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責任なし15 日本人記者惨殺事件・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし15 日本人記者惨殺事件


これは「責任なし14 中国が満州を侵略した」の続きです。


 満州事変以後、中国では反日が激化し、国民党中央常務委員会は、高等中学校以上の学校に「青年義勇軍」、初等中学校以下に「童子義勇軍」を組織させ、各学校の教職員、学生に「不買日貨」を宣誓させました。

 そして、これら「義勇軍」には、各自の胸に「団結奮闘雪恥救国」と墨書した白布をぬいつけ、毎朝の朝礼のさい「誓雪中国国恥」、「恢復中国領土」、…等のスローガンを高唱することを義務づけたのです。

 こうやって反日で高揚させられた学生達が、成都で日本人記者惨殺事件を起こしました。
 以下は児島襄著『日中戦争』の要約引用です。

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 1936年5月、日本政府は1931年以来閉鎖していた成都の総領事館を再開しようと岩井英一領事代理を派遣しましたが、中国は上海で「成都駐在」を拒否しました。

 川越大使が「ともかく行け」というので、岩井は重慶まで行きましたが、中国側が「護照」(通行証)を発行せず、飛行機の搭乗券も売らないので、結局あきらめました。

 一方、岩井領事代理には、上海から四人の同行者がありました。『大阪毎日新聞』上海特派員渡辺洸三郎、『上海毎日新聞』記者深川経二、南満州鉄道上海事務所員田中武夫、漢口の『瀬戸洋行』店主瀬戸尚の四人です。

 彼らは、ともかく行く事にしました。瀬戸は商用で、他の3人は取材でです。
 総領事館開館には関係ないので、「護照」はすぐに発行されました。

 四人が成都に着くと「日本総領事館開館反対」の民衆大会が開かれ、「岩井領事は即刻四川を去れ」のビラが貼られていました。彼らは『大川旅館』に投宿します。

 そうした所、四人の部屋に中学生達が押しかけ、在室していた渡辺洸三郎と瀬戸尚の前でビラの文句を読み上げ、二人をにらみつけて立ち去ったのです。

 学生達が護衛の警官と大声で押問答をかさね、次第に市民たちも内庭に集まってくるので、警官は、しっかり鍵をかけて外に出るなと指示しました。

 午後五時ごろ、階下からガラスが割れる音、家具を打ち壊す音が響き、その音が一階から二階へと上昇して来、四人は危険を感じたので、室内の机、椅子をドアにあてがって防禦物としました。

 そうしたところドアの上半部が破られ、破口から中学生がのぞきこみ叫びました。中学生の叫びを合図に体当たりが加えられ、バリケードを蹴散らして十数人が乱入してきたのです。

 四人は「護照」を示し、総領事館と無関係であることを説明し、相手はようやく部屋を出て行きましたが、ものの30分もすると、また群衆が押し寄せ、前にも増して激しく打ち壊しをするようになりました。

 中国人警官はこの間に約40人に増員されていますが、丸腰なので静止できません。群衆は、またも四人の部屋に乱入し、今度は「殴れ」「殴れ」と叫びながら四人に殺到してきました。

 たちまち、深川経二が異様なうめき声をあげて倒れ、田中武夫は、その後は自分の記憶しかないと言っています。
 田中は両手を縛られた後、財布、時計その他身につけたものを略奪され、外に引きずり出されましたが、

旅館の庭、周辺は群衆で埋め尽くされていて、群衆は口々に田中を罵りました。
 現場には、警備司令部から派遣された武装兵士約二百人が来ていたのですが、発砲して群衆を解散させるでもなく、傍観していました。

 学生が田中を連行してくると、兵士が田中を引継ぎ市中を引き回しました。次々に群衆の殴打を受けながら夜の街を歩かされていましたが、右耳を棍棒で強打され倒れました。

 警官は「この男は死んだ」と叫んで、なおも殴ろうとする群衆を制し、人力車でカナダ人経営の『四聖病院』に運ばせたのです。田中は病院で気がつきましたが、群衆はなおも病院内に押しかけ、入れ代り立ち代り懐中電灯で田中の顔を照射しています。

 午後11時ごろ、督弁公署に移され、軍医の手当てを受けて、ようやく田中は安堵しました。瀬戸尚も督弁公署に運ばれていて、二人は無事を喜びあいましたが、残る二人の安否が気がかりでした。

 翌日、二人の死体が王府街の火神廟前で発見されました。二人とも全裸にされ、さんざん殴られ、顔もぐしゃぐしゃに潰されて、酸鼻をきわめた殺され方でした。

 この後、惨殺は広東省に飛び火します。

つづく










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創価学会の会長や理事長らが聖教新聞で自民党をぼろ糞に非難・戦略の転換か・日蓮正宗が創価学会を破門した経緯・池田大作の裸像・怖いカルト創価学会
創価学会が「自民党離れ」を示唆


創価学会会長が聖教新聞で「自民党離れ」
10月30日12時0分配信 FACTA

我らは「人物本位」で政治家を評価――。公明党の支持母体、創価学会の機関紙「聖教新聞」10月4日付に、こんな見出しの記事が掲載され、政界関係者の話題を呼んでいる。
記事は創価学会創立80周年に向けた座談会で、原田稔会長をはじめ正木正明理事長ら6人の幹部が出席。
福田内閣の発足について原田会長が「期待する声、厳しい注文の声等々、国民の反応はさまざまだ」と指摘。別の出席者が「我が創価学会は、あくまで『人物本位』だ」(正木氏)、「我々は政治団体じゃない。どの政党、どの議員を支持しようが全く自由だ」(山本武副理事長)と強調。
さらに正木氏は「特にさんざん応援をしてもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙をむく。そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おう」と、選挙協力をした自民党を批判したとも受け取れる発言をしている。
同記事には、激しく対立してきた共産党について、1974年に結んだ「創共協定」を引き合いに、「池田大作名誉会長は、あれだけ学会を目の敵にしていた共産党とも協調した。どれほど幅があるか。懐が深いか」などとも書かれている。
創価学会は将来、自民党が野党に転落し、民主党を中心とする反自民勢力結集の動きが出てくることを想定して、戦略を再構築し始めたのではとの憶測も出ている。
――――――




7月の参院選で自公がボロ負けし、先日も民主党の石井議員からP献金(公明党議員から池田大作「本名:成太作ソン・テチャク」への献金)について追求された公明党=創価学会。

創価学会は、自民党の野党転落に備え、組織防衛のために、自民党とは距離を置き、民主党に“保険”をかけ始めたのか?

P献金などについて民主党からの追求を緩めるためなのか?



P献金に関する先日の↓記事では、
冬柴国交相全否定の「池田大作献金」に動かぬ証拠(週刊新潮11月1日号)・以前はP献金が給与天引きだった・福本潤一を非公認にした理由は、秘書の遺族が日蓮正宗(創価学会を破門)の寺院で葬儀を執り行ったため
1991年、日蓮正宗が、度重なる社会不正と教義逸脱により、創価学会を破門としたことを述べたが、その詳細を紹介しておこう。



公明党(創価学会) 博士の独り言
半島カルトの異常性と特異性!



画像
池田大作の裸像(週刊文春 昭和57年新年号より)
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 かろうじてパンツは着けているようだが。このレリーフは、昭和47年(1972年)に創価学会が中心となり、日蓮正宗総本山大石寺に寄進した正本堂(しょうほんどう)の内部にあったそうだ。宗門重宝の仏を安置する須弥壇(しゅみだん)の手前。経机に当たる位置に彫られていたとのこと。後に、仏の前に半裸で寝そべるレリーフが池田大作をモデルにしたものであることが判り、宗内でも問題となったそうだ。

 平成3年(1991年)11月に、度重なる社会不正と教義逸脱により、日蓮正宗は創価学会を破門。このレリーフはクレーンで撤去され、その後に、正本堂を解体。池田大作が自己顕示欲の象徴としていたこの建物は完全に撤去された。
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池田大作の異常性格

 この破門から正本堂解体に至るまでの様子について、終始、記事を書き続けたジャーナリストの内藤國夫氏は、この裸像について、池田大作の異常性格と創価学会の特異性を示す「最も端的な実例」と指摘。

 内藤氏が、月刊誌「諸君!」につづった事件は数多かった。 たとえば、信者の娘(幼児)を抱き寄せ、顔面にマジックインキを塗りたくった事件。創価学園で、父兄がいる前で、突如、教室の窓から飛び出し、スリッパで走り出した事件。七味唐辛子を目一杯振りかけたカレーライスを、大勢の会員の目前で北条浩に食べさせ、自分の唾を塗りたくったマイルドセブンを幹部に吸わせた異様な光景等。

 また、ある会合で、自分に出されたメロンが小さいことに激怒し、40分間にわたって怒鳴り散らした事件等々。一方、「ハーレム」とでも呼ぶべき女性関係の多さも指摘されていた。外で作った子供に「大作」と名づけ、その数はオウムの麻原をはるかに凌ぐ。そして、「金集め」はシッカリしている。そのためには、いかなる脱税行為や不正すら厭(いと)わずに側近に指示する。生い立ち云々ではなく、遺伝子それ自体のレベルで、「池田大作の異常さは日本人離れしている」、と氏は指摘していた。

 内藤氏との会話の中で、池田大作の両親が朝鮮人であったことを言及する機会はなかった。筆者も気づかなかったのだが、後年の富ヶ谷氏の指摘よりも早い時期に、長年のウォッチャーとして、晩年の内藤氏も、池田の本質を見抜いていたようだ。

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池田大作の報復

 創価学会を破門に付した直後から、それを逆恨みした創価学会の報復が始まる。この様子を観察していた複数のジャーナリストから、次の惨状を語った。

 「大石寺の周辺には、在日朝鮮人らの街宣車が周回し、連日、「創価学会への破門を撤回せよ!」「反省せよ!」等、拡声器を通じた激しい怒号が法主(ほっす)に向けられた。夜間になると、境内には、赤ペンキの大きな缶や汚物が投げ込まれた。危機を感じて寺の警備集まった寺門信徒の青年も暴力を浴びた。一時は、寺自体が焼き討ちに遭うのではないかとさえ、地元では心配する声があった」。

 新聞社の記者によれば、破門の翌年4月の夜間に、ついに、大石寺に銃弾が数発撃ち込まれる事件が発生。それが大きく報じられることになり、怒号と暴力による報復活動は、地元警察が捜査に乗り出し、一端、収束に向かったようだ。

 「来るものは拒まず」が、宗教者の慈悲に違いない。その上で、創価学会を昭和から平成にかけての一時期に信徒として認めたのであろう。だが、創価学会を破門に付した法主は、「我々は池田大作に騙されていた」「もう二度と、このような団体を信徒として認めることは無い」「守るべき教えがある」と宣言。創価学会が寄進した建物のほとんどを解体撤去し、今は、昔ながらの寺容に回復しているそうだ。
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怖いカルト創価学会






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