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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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支那南部で豪雨!被災者260万人超!大洪水衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
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20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件



住宅がのみ込まれ・・・中国で大雨 260万人超が被災(20/06/10)
■動画
住宅がのみ込まれ・・・中国で大雨 260万人超が被災(20/06/10)
https://www.youtube.com/watch?v=WGg4dWeybA0

中国南部で長引く大雨。被災者は260万人を超えました。

 住民らが見守るなか、3階建ての住宅が崩れて茶色く濁った水にのみ込まれていきます。
辺り一面が水没し、わずかに道路の一部だけが孤島のように浮かんでいます。
よく見るとたくさんの車が取り残されています。
梅雨の時期を迎えた中国南部では今月に入って広東省や広西チワン族自治区など広い範囲で大雨が続き、これまでに260万人余りが被災したということです。
中国メディアは、この雨が来週まで続くと伝えています。
中国南部で長引く大雨。
被災者は260万人を超えました。
[テレ朝news]




中国・桂林が水没 大雨で河川氾濫 被災者70万人(20/06/08)
■動画
中国・桂林が水没 大雨で河川氾濫 被災者70万人(20/06/08)
https://www.youtube.com/watch?v=XIxW02HCaIQ




20200611支那南部で豪雨!被災者176万人!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件





https://twitter.com/naochashu/status/1270008827060973568
野山@naochashu
广西桂林洪水滔天⋯有多少人将无家可归,从此阴阳两隔.…
连续一周降雨,桂林阳朔遭遇今年特大洪水,漓江洪峰抵达,全城被淹,愿平安!
午前0:04 · 2020年6月9日






https://twitter.com/naochashu/status/1270651578383429635
野山@naochashu
■動画
午後6:38 · 2020年6月10日







https://twitter.com/hX49buoEfNblGNG/status/1269612984403279878
诸葛亮@hX49buoEfNblGNG
桂林洪水
■動画
默默さんによる
午後9:51 · 2020年6月7日







https://twitter.com/MgOqkzLBRPLCHyN/status/1269956962126426114
全智胜@MgOqkzLBRPLCHyN
如果不是自媒體報道,你根本不知道真實情況究竟是咋樣!
■動画
午後8:38 · 2020年6月8日





20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件


20200611支那南部で豪雨!被災者176万人!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
■動画
中国南部で豪雨 失踪者多数 北部は記録的な高温
https://www.youtube.com/watch?v=zJKjW1XDB_A


You Tubeへのコメント

安心して下さい。中共の輩どもはそんな事気にしてません。国民を国民と思わない人達ですから。
自国民を奴隷としか思っていない国は滅ぶべし。

こらこらちゃんと狙いを定めろ。
どうせ押し流すのなら中共本部と党員と幹部の私邸にしとけ。

毎年恒例の人民は虫ケラ
地方の整備なんかより 世界征服が大事な中凶政府

犠牲になるのはいつも一般市民。 中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。何のための政府だ。金と腐れた組織の維持にやっけになって法輪功の人達など簡単に虐殺、生きたまま臓器を移植したり、ひどいことをする人達が助けると思うか?我が身一番、人のことはどうでもいい。胸くそ悪い。

あーあ……。香港に関わっている時じゃないだろうが。中国共産党の連中は馬鹿の集まりなのか⁉️

自国民を助けずに、尖閣や南沙等にちょっかい出す中共

中共が何か悪さするほど天災等が起こってる。それにしてもしぶといね、中共は。早く滅びろ!



上掲したYou Tubeのコメントを見ると、やたらと「中共」「中狂」「中国共産党」という言葉を用いて、支那共産党を非難している。

例えば、中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。」というコメントがある。

しかし、それならば共産党1党支配でなければ、支那政府は支那国民の命を重んじるだろうか?

答えは、【NO】だ!

支那人というのは、共産党だろうが、国民党だろうが、●●党だろうが、国民や人民や他人の命を重んじることの決してない連中(民族・人種)なのだ!

だから、支那で共産党一党独裁支配が終焉しても、決して国民や人民の命を重んじる支那政府は誕生しない!

また、支那で共産党1党独裁が終焉しても、不朽の中華思想華夷秩序があるために決して反日侮日が改善することはなく、支那人や朝鮮人(小中華思想)の国家では未来永劫親日国家が誕生することは有り得ない!

支那人は、支配者になれば、共産党でなくても、暴力によって人民を支配し続け、人民や国民の命を軽んじ、中華思想や華夷秩序から反日・侮日を継続する!

韓国を見れば、反日・侮日が共産党とは一切関係ないことが明白だ!

だから、支那についても「共産党一党支配が終われば、支那人民にとっても日本にとっても良くなる」という考えは、幻想にすぎない!

共産党が支那を支配する前の支那の歴史を振り返れば、誰にでも分かる。

支那人は、共産党でなくても、国民や人民や他人の命を重んじることは決してない連中なのだ!





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泥流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。同盟ニュース、昭和13年6月23日

歴史を紐解くと、6月11日は1938年の「黄河決壊事件」の日だ!

1938年6月11日夜、支那軍は、黄河の堤防を破壊し、大洪水にし、何十万人もの命を奪った。

1938年6月11日夜に始まった支那の大洪水には、天災の要素はなく、人間が意図的に起こした神をも恐れぬ大犯罪だ!

1938年といえば支那事変の真っ最中だが、当時、支那大陸では、支那軍が様々なことをして支那民衆を大量に殺しまくっており、日本軍はそんな支那民衆の救助に追われていた。

その1938年の大水害は「黄河決壊事件」と呼ばれ、当時、支那民衆を大量に殺しまくっていた支那軍と、そんな支那民衆を救助しまくっていた日本軍の代表的な出来事として、支那事変について勉強している人なら知っている大事件だ!

どうして、この「黄河決壊事件」のことが歴史教科書に記述されないのか不思議でならない!

まだ知らない方は、これを機会に支那事変では、支那軍が支那民衆を殺しまくり、日本軍が支那民衆を救出しまくっていた実態を是非とも知って頂きたい。


20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
黄河決壊

1938年6月6日に、日本は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市も攻略できる様相となった。

早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止する」案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た!

蒋介石は、商震将軍に日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破は延ばされた。

この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの問い合わせを行っている。

おそらく蒋介石は、日本軍の進撃を阻止するために、味方諸共水攻めにしようとしたのだろう。

6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、これは結果として失敗し、その後、場所を花園口に変更して作業が進められた。

6月9日午前9時に作業が終了、堤防が破壊されると黄河の水は堤防の外に流れ出し、河南省・安徽省・江蘇省の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。

この結果、黄河の流れはその後9年間、南側へ変わり黄海に注ぐようになった。

水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。

6月11日夜、支那軍は、隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所を破壊した!

二、三日前の雨で増水した黄河の水は堰を切って奔流しつつあった。

6月12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。

洪水は中牟を中心として幅約20Kmにわたり、5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。

幸い線路が高い所に位置していたため、住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。

日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた!

日本軍に救助された避難民は開封方面1万人、朱仙鎮、通許方面5万人、尉氏方面2万人、その他数万人だった。

国民党軍は、現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した!

日本軍の地上部隊は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機も氾濫した地区において麻袋をパラシュートにより投下してこれを支援したが、決壊地点の対岸にいた支那軍遊撃隊が麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えたこともあった!

6月11日午前、支那国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。

6月13日、さらに支那国民党は、支那全土の各メディアに虚偽報道の上「日本軍の暴挙」と逆喧伝させた!

当然、日本側は、支那の発表を否定するコメントを出した。

支那側からは、最初は黄河の堤防破壊は堤防の影に避難している支那軍を日本軍が砲撃及び爆撃した時になされたものであるとの説明がなされ、後には事件は日本軍によって意図して行われたことであり、中牟と鄭州地区にある支那軍陣地への水攻めとし、かつ後方連絡を脅かすゲリラに対する戦略であり、広東への絶え間ない無差別爆撃と同様に支那民衆を威嚇する日本軍の作戦の一部とされた。

さらに報告では日本軍機による中牟北部の堤防への爆撃が続けられ、これが洪水を悪化させ、かつ日本軍は洪水の被害を受けた地区からの避難民を機関銃で銃撃していること、が説明された。

支那国民党は、自分たちが行っていた住民への銃撃まで日本軍の仕業だと嘘を吐いて逆宣伝を行っていた!

日本側は、開封の堤防破壊は支那軍に強制された農民によるものと声明を出した(国民党軍は1個師団の兵に加えて付近の農民を強制して作業を行っていた)。

また、日本軍は自軍の前進を妨げる洪水を引き起こす黄河の堤防破壊をすることはなく、さらに堤防の大きさを考慮すれば爆撃と砲撃によって堤防を破壊することは不可能だと反論した。




以下は、この大水害に関する文献や資料だ。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝より

敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。

敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。




1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。

ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した!

支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。

1938年6月16日

16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」



事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった!

昭和13年6月23日、同盟ニュース、濁流渦巻く水禍の中に 皇軍必死の救助活動続く

昭和13年6月23日、同盟ニュース
濁流渦巻く水禍の中に 皇軍必死の救助活動続く


流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。



國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。
國史図書刊行会編『支那事変』 濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯



その後、支那軍は揚子江の堤防も決壊した。
1938年6月26日

6月26日同盟ニュース
『悪逆、暴虐、その極に達す 敵、揚子江堤防を決壊』
悪逆の限り、黄河決壊の暴挙を敢えてなし、無辜の民幾十万かを絶望の淵にたたき込んだ蒋介石は、なんたる無謀か、皇軍を怖るあまり、又しても進撃を阻まんとして、太湖南方揚子江両岸の馬華堤を破壊し、付近一帯の住民は濁流渦巻く大水害に見舞われんとし、怨嗟憤怒は地に満ちている





わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ 支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)




更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。

支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた!



黄河決壊事件の被害状況についての第一報は、6月21日に日本軍の占領下にある開封の治安維持会と商務会が発表している。

それによると、罹災者約100万人、うち行方不明者約12万人、浸水部落約3500、うち水底に没したもの約2000、倒壊浸水家屋約30万戸、被害面積約200平方キロという(大阪朝日6月21日)。

死者数については、終戦後の1945年12月に国民政府が河南省で行った「河南省戦時損失調査報告」がある。

それによると、1944年末の段階で、洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人という数値を提示している。

徐州会戦経過要図(1938年5月~6月)20200611支那南部で豪雨被災者260万人超!大洪水の衝撃映像・【歴史】1938年6月11日の黄河決壊事件
徐州会戦経過要図(1938年5月~6月)


死者・離郷者の数値は、韓・南「黄泛区的損害与善後救済」,梁262頁所収、冠水地域は北支那方面軍史料より作図
死者・離郷者の数値は、韓・南「黄泛区的損害与善後救済」,梁262頁所収、冠水地域は北支那方面軍史料より作図


犯人である国民政府が終戦直後、河南省だけで約32万人とした死者数は、その後『中国革命史辞典』などで89万人とされている。


●その他の参考資料

一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。
穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。
日本軍の進撃を鈍らせて鄭州の町を守るために、政府は1938年に黄河の堰を開いた。
すると、黄河は1世紀近く前から打ち捨てられたままになっていた古い河道を再び流れた。

「思い切った」決定であったが、このために、河南省東部の数十万の農民が命を失った。
彼等は水に溺れ、或は飢えて死んだのである。
『中国革命の起源』ルシアン・ビアンコ著


●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人~100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-4274.html




「武漢ウイルス」後の新世界秩序 - ウイルスとの戦いである第三次世界大戦の勝者は? - (ワニプラス)
西村 幸祐 著、福山 隆 著(2020/5/26)


朝日新聞への論理的弔辞 - 西村幸祐メディア評論集 - (ワニプラス)
西村幸祐著(2020/1/27)



反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)


「人民の命を軽んじているのは、共産党1党独裁だからではなく、支那人だから!」

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原口一博「開戦は止められたし早くやめれたがやめなかった。感染拡大は止められたが止めなかった」
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20200227原口一博「開戦は止められたし早くやめれたがやめなかった。感染拡大は止められたが止めなかった」


20200227原口一博「開戦は止められたし早くやめれたがやめなかった。感染拡大は止められたが止めなかった」


https://twitter.com/kharaguchi/status/1231650487461531648
原口 一博@kharaguchi
そうです。
開戦は、止められたのです。しかし止めなかった。
そして戦争は、もっと早くやめることができました。しかしやめなかった。
今もそうです。
感染拡大は、止められたのです。しかし止めなかった。
内閣を辞めさせ被害を最小限にすることは、今でも可能です。
今がまさに正念場です。

https://twitter.com/buu34/status/1231620093102002178
午前3:42 · 2020年2月24日



>原口 一博@kharaguchi
>そうです。
>開戦は、止められたのです。しかし止めなかった。



原口一博は、やはり馬鹿だ。

開戦を止めようと思えば止められたかもしれないが、日本が開戦を回避していたら開戦するよりも悲惨な運命が待っていた!

当時の日本政府は、開戦を回避すれば、開戦するよりも悲惨なことになると判断したから、開戦したのだ!

日本が開戦を回避するためにハルノートを呑んで満州国などの支那大陸から大量の日本人が引き揚げれば、それら地域に築き上げてきた日本の権益を失い、日本の内地は失業者で溢れ、食糧も不足して餓死者が大量発生したことは確実であり、更に北方の防衛能力も無くなってしまうため、ソ連に侵略されて赤化した(共産主義国家になった)可能性が高い!

当時は大国であることが国家存亡の必要最低条件だったのだから、大国の地位を失う戦争回避なんて自殺行為だった!



英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になった。
3やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機


1939年9月に始まった1ヶ月余りに亘るドイツとポーランドの戦争(ポーランド侵攻)でポーランド人が失った命は人口(約3000万人)の0.4%にあたる約13万人だった。

ところが、そのポーランド侵攻の後に、ポーランドが独ソ両国によって分割占領されていた時の大量処刑や大量虐殺、及び独ソ両軍がポーランドを戦場として死闘を繰り広げたことなどにより、ポーランドは人口の20%(600万人)が死ぬという悲劇に見舞われた。

600万のポーランド人の死因の大半は、ドイツによる占領中に主にポーランド人知識階級大虐殺作戦、ポーランド人飢餓絶滅作戦、ポーランド人微罪死刑作戦、の大まかに3つのポーランド占領政策によりドイツによって計画的に殺されたものだった。


ポーランド人犠牲者の大半は民間人であり、戦死ではなかった。

つまり、ポーランドでは、戦争で抵抗した際に死んだ人数は人口の僅か0.4%だったが、戦争をしない弱小国家になったら死んだ人数が人口の20%にまで増加してしまったのだ!
4やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機
独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定):ポーランドが独ソ両国によって分割占領でポーランド人は大量死に。


そして、何よりも実際に支那によって侵略されて支配された東トルキスタン(ウイグル)やチベットの惨状を見れば良く分かる。

1949年に支那によって侵略された東トルキスタン(支那は「新疆ウイグル自治区」と改称)では、楼蘭などで支那に46回も核兵器を使用(大気圏核実験)されたため、19万人が急死し、129万人が健康被害者となった。
5やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機


人類の歴史における核兵器使用には、アメリカによる日本への2回の他、支那による東トルキスタン(ウイグル)への46回も含めるべきだ。


また、1951年から始まった支那によるチベット侵略の結果、犠牲になったチベット人は120万人にものぼる。

死んだ120万人の大半のチベット人は武器を手にとって戦って死んだのではなく、支那人たちに虐殺されたり処刑されたりして死んだのだ。
やくみつる「絶対戦わない!降参して中国領で生き続けたい」・チベット族やウイグル族は滅亡の危機

さらに、支那は、チベット人をこの世から抹殺しようとし、チベット人男性に断種治療を行い、女性にも不妊や堕胎のための治療(手術)を行ったり、漢民族の子孫にするため強姦したりした。


連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。
マッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言20191207 12月7日は日米開戦(真珠湾攻撃)の日・歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな
 「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。


 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。






>そして戦争は、もっと早くやめることができました。しかしやめなかった。


上記も原口一博の無知を丸出しにしている。

日本はもっと早く戦争をやめようとしていたが、相手がやめなかったからやめることができなかっただけだ!


日本は、1945年以前からアメリカに対して戦争終結の意思を伝えていた。

日本は戦争を終わらせたいという意思をアメリカに伝えていたにもかかわらず、アメリカは戦争を終わらせたい日本の意思を無視し、戦争を続け、市民殺戮【懲罰と人体実験】と、ソ連などに対する将来に向けた威嚇【デモンストレーション】のために広島と長崎に原爆を投下したのだ!

 1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。
当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。
3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。


中略

 米戦略爆撃調査の報告によると、日本政府は直ちに通告内容の検討に入った。政策決定グループ「6首脳」(訳注=最高戦争指導会議。首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長で構成)の中で降伏に反対するものは一人もいなかった。
指導部の中で3人(陸軍参謀総長、海軍軍令部長、陸軍大臣)だけが、内容が「あまりにも不名誉」であるという理由から、交渉抜きの受諾に難色を示した。
彼らは、連合国側が領土条件を緩めてくれることを期待したからではなく、天皇の地位が不明確のまま残されていること、また占領を回避し、武装解除と戦争犯罪裁判を日本政府の責任で行うことを求めていたのである。

 ポツダム宣言は、日本国民を決起させ降伏を早めるための解放戦略として受け止められていた。
対日プロパガンダ、特にキャプテン・ザカリアスが制作、放送していたラジオ番組と同じようなものだ。
しかし、日本での効果は全く逆だった。
降伏を決定すべき政策立案者の立場からすれば、宣言は和平勢力より、寧ろ「徹底抗戦」派の力を強める効果しかもたなかった。


ポツダム宣言の内容は、よくいえば「厳しく、贖罪的」、悪くいえば、経済条項は極めて漠然としていたし、特定されない戦争犯罪人の追及があまりに広範で曖昧だったから、それが指導部と全国民に対してもつ意味を理解できるものには、ただちには受け入れ難いものだったのも当然である。
しかし、その過酷な条件にも拘らず、6首脳のうち3人は即時受諾に賛成していたのだ。

 しかし、私たちは和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。
私たちはたった11日間待っただけで、いきなり1発の原子爆弾を、そしてさらにもう1発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な指導部の上でもない、2つの都市の約20万の市民の上に投下した。


 スチムソンは原子爆弾の投下を正当化して、「日本の独裁体制に確実なショック」を与え「我々が望んでいたように、和平支持勢力を強化し、軍部の力を弱める」ためには「優れて適切な武器」だったと説明する。

しかし、米戦略爆撃調査の公式報告は、そのような「ショック」は必要なかったというのだ。

 同報告は、原子爆弾が投下されなくても、あるいはソ連が参戦しなくても、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏をしていただろうという意見である。

(P143~~148)
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著



以上のとおり、アメリカは、最初から何が何でも原爆を投下するために、日本に和平を決断させない工作をしていた。関連記事





>今もそうです。
>感染拡大は、止められたのです。しかし止めなかった。
>内閣を辞めさせ被害を最小限にすることは、今でも可能です。
>今がまさに正念場です。



確かに、武漢ウイルスについては、感染拡大を止める施策は多数あった!

安倍政権が感染拡大防止策を小出しにして、後手後手に回っていることは事実だ!

しかし、野党の国会議員に安倍政権の感染拡大防止策の大失敗について批判する資格もない!

原口は、具体的にどうすれば完全拡大を止めることができたか、止めることができるか、全く言及していない!

もっと具体的にどうするべきかを言ってみろ!





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原口一博とテレビ局の癒着・原口総務相と「テレビ局」のズブズブ 「電波オークション消極」「利用料値下げ」
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原口一博「中国も民主主義国家だ!一党独裁ではない!彼らにも人権を守る姿勢がある」2日後に訂正
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(最近の関連記事を一部再掲載)

20200120原口一博「中国も民主主義国家だ!一党独裁ではない」・河野太郎「中国が習近平国賓に世論操作要求」

20200120原口一博「中国も民主主義国家だ!一党独裁ではない」・河野太郎「中国が習近平国賓に世論操作要求」
原口一博元総務大臣
中国も民主主義国家です。
一党独裁ではないかとの私の問いに共産党一党独裁ではない、他にた6あると答えてくれました。
彼らにも人権を守る姿勢があります。
それを貫いてくれる事を期待しているのです。


↓ ↓ ↓

元支那人から叱られてしまう!
地蛋@Wl9uZ
地蛋@Wl9uZ
元中国人です。
中国は言論の自由もなく、選挙もない、中国で生きるには反中共しないことが前提である。
あなたとあなたの中国友人にとって、民主主義の定義は何でしょうか?
嘘をつくにも程がある!
民主自由を満喫しながら独裁を讃えるな!
無知な人間を許せるが、無恥な人間を許せません!!


↓ ↓ ↓

原口一博は、多くの人々から間違いの指摘や批判を受けて、2日後の1月19日になって妄言を訂正。




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新聞という病 (産経セレクト)
門田 隆将 著(2019/5/29)


反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)


朝日新聞への論理的弔辞 - 西村幸祐メディア評論集 - (ワニプラス)
西村幸祐著(2020/1/27)


「原口一博は無知!野党議員に安倍政権の感染拡大防止の大失敗を批判する資格なし!感染拡大防止策を具体的に言ってみろ!」

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12月7日は日米開戦(真珠湾攻撃)の日・歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな
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真珠湾を爆撃した日本海軍の中島九七式攻撃機20191207 12月7日は日米開戦(真珠湾攻撃)の日・歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな
真珠湾を爆撃した日本海軍の中島九七式攻撃機


12月7日(日本時間12月8日未明)は、日米開戦=真珠湾攻撃の日だ。

改めて、支那事変、真珠湾攻撃、大東亜戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えよう!



【支那事変→真珠湾攻撃→大東亜戦争】

1933年の「塘沽協定」によって完全決着した満州事変から4年後の1937年に始まった支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。


それにもかかわらず、満州や支那での利権を狙っていたアメリカは、支那に対して金や武器を援助し、日本に対しては経済制裁を行った。

―――――
●1941年
4月15日、ルーズベルト大統領は米軍人にフライング・タイガースに自主的に志願するよう行政命令
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

―――――
1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ
1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ

当時の日本は、石油の殆どをアメリカからの輸入に頼っていた。

そのアメリカが日本への石油の輸出を禁止した。

アメリカ以外では、わずかにイギリスやオランダ(オランダ領インドネシア)などの輸入先があったが、アメリカががイギリスやオランダにも日本に石油を売らせないようにした。

当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。


【東条内閣の和平努力】
凛として愛 20191207 12月7日は日米開戦(真珠湾攻撃)の日・歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな
■動画
凛として愛(4/7)
http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs
凛として愛(5/7)
http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q

【動画の要約】
1937年、支那事変
1937年~、米英ソなどによる蒋介石支援
1940年~、米国による対日経済制裁
1941年
4月、日米交渉開始
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣が発足、「帝国国策遂行要領」を白紙還元し、和平努力
11月、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。
マッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言20191207 12月7日は日米開戦(真珠湾攻撃)の日・歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな
 「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。


 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。




石油があったオランダ領インドネシアでは、インドネシア人たちが何度もオランダに対して独立戦争を試みたが、全て失敗していた。

しかし、大東亜戦争における多数の日本軍の犠牲により、アジア諸国はようやく独立できた!

日本は、直接オランダ軍を攻撃しただけではなく、インドネシアなどの大東亜各地において軍隊を創設して教育して訓練を与えた!


▼日本軍がアジア諸国に残した最大の遺産▼
―――――――――
ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。

ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。

アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
・・・日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
―――――――――




▼欧米の歴史学者の歴史認識▼

H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。

アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。




▼東南アジア諸国の人々の事実認識▼
――――――――――
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。
そして実はわれわれの力でやりたかった。

ブン・トモ元情報宣伝相(インドネシア)

アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

モハメッド・ナチール 元首相(インドネシア)

我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。

アラムシャ 元第3副首相(インドネシア)

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。

ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(マレーシア)

日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。

ククリット・プラモード 元首相(タイ)
――――――――――





上述したとおり、当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。

だから、戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくと、日本はエネルギーや食糧などを輸入に頼ってはいけないのだ。

可能な限り自給率を高めることが重要だ。

エネルギーについては、原発をできるだけ早く再稼働させ、将来は海水や海藻からウランを採取し、電力の完全自給化を目指すべきだ。

また、食料自給率を高めるため、加工食品や外食料理にも原材料の原産地表記を義務化するべきだ!



そして、戦争というのは、軍事的バランスが崩れると起こる可能性が高まる。

外国からの侵略に警戒し、情報管理をしっかりと行い、必要な防衛力を備えておけば、戦争は起こり難い。

戦前の日本にも、意外と平和主義者が多く、アメリカと比べて工業生産力や軍事力が大きく劣っていたために、アメリカやコミンテルンによって無理やり戦争に引きずり込まれた

小室直樹の『新戦争論』

1.平和主義者が戦争を引き起こす
(一部抜粋)
1-1.日本には今も昔も軍国主義者はいなかった
 戦前は軍国主義者が蔓延(はびこ)っていたために日本は無謀な戦争へ突入したと国民には信じられていますが、軍国主義者は戦前も戦後の現在においても登場していないと小室直樹は述べています。軍事的な話題がのぼるとすぐに軍国主義や憲法九条違反という論調となりますが、真の軍国主義はそのようなものではないのです。自国と敵国の優劣を判断し、戦争に勝つことを目的とした思考を指すとすれば、戦前も戦後にも国内には軍国主義者はいないのです。日本の軍国主義は偏った精神論に過ぎません。

 一方でアメリカの大学には軍事学部があり、軍事研究は大学生までもが行っています。日本は今でも軍事研究はタブーとされ、知らないことが戦争を起こさないことだという信仰にまでなっているのであると指摘しています。

新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす (光文社文庫)





また、アメリカが原爆の開発(保有)に成功したのに対して、日本は原爆の開発(保有)に成功しなかったために、日本はアメリカによって原爆を投下されてしまった。

当時日本が原爆を持っていれば、米国は日本に原爆を投下せず、日本に良い条件で早期に戦争は終わっていた。

「なぜ北の核に沈黙するのか」78ページ「諸君!」2003年1月号より

評論家の加瀬英明さんはかつて「トルーマン政権による原爆投下の決定に参画した」ジョン・マックロイさんにこう尋ねたそうです。

加瀬氏
「日本がもし原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたら、日本に核攻撃を加えたか」。


マックロイ氏
「もし、日本があの時に原爆を持っていたとしたら、使用することはありえなかった」





現在、日本が戦争相手として最も危惧する相手は、支那だ。

支那は、日本の領土について一方的に領有権を主張し、物凄い勢いで軍事力を増強し続けている。


以前は自衛隊が有利だったが、日本は防衛費を削減ばかりしてきた。

その結果、今では、支那軍が兵隊や兵器の物量では、日本を圧倒している。

日本の場合、GDPの1%以下しか防衛予算がなく、これほど自国民の生命・財産の保護に無責任な国家はない。

日本が支那との間に有る圧倒的軍事予算格差を埋めるためには、核武装が必要不可欠だ。




改めて言う。

支那事変から大東亜戦争までの歴史を学ぶと、今後の日本のあり方として、次の結論に至る。


1.食料やエネルギーやその他様々な資源をできる限り他国に依存せず、自給率を高めることが重要だ。

2.戦争というのは、日本がどれほど避けようとしても、避けられない場合があり、その場合に備えて、できるだけ防衛力を増強しておくことが重要だ。
特に、核攻撃をされないようにするため、日本も核武装することが重要だ。

3.支那人、米国人、ロシア人、そして朝鮮人などを絶対に信用してはいけない。



20191115日本でも爆売れ『反日種族主義』の著者が語る「韓国文化の恥ずかしい問題」・日本でも早速1位に!
反日種族主義 日韓危機の根源




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11月13日は【長沙市焼き払い】の日・蒋介石が命令!目的は、日本軍の仕業にして宣伝するため!
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1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)


平成30年(2018年)11月13日は、支那軍による「長沙市焼き払い」(長沙大火、Changsha fire)からちょうど80年になる。

80年前の1938年11月13日、支那の長沙市で、蒋介石の命令によって支那軍が長沙市に放火した!

支那軍が放った火は、2日間に亘って燃え続け、全市を焼き尽くし、夥しい数の支那人を焼き殺した!

なぜ、支那軍が支那の都市を焼き尽くして多数の支那人を焼き殺したのか?!

その理由(目的)は、放火を日本軍の仕業に転嫁して宣伝するためだった!




1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日
■支那軍による長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)
【目的は、日本軍の仕業にして宣伝するためだった】

「お前たちはいったい何をしているんだ?」私は腹を決めて大声でたずねた。
「放火です、命令です」その連中は異口同音に答えた。
「敵は城内に入ったのか?」
「とっくに汨羅に迫って来ています」
火の手はますますふえる。
(略)
しかし火の手がどっと一斉にあがり、たちまちにして全市は大火に包まれた。駅に通ずる道路は両側から火に挟まれトンネルになった。
(略)
車に乗ったまま絶えず良心の呵責を感じていた。
沿道の情景はまったく目をおおうものだった。公路は避難人びとで埋まっている。子供たちを連れているもの、家財道具をかついでいるもの、泣くもの、叫ぶもの、罵るもの、ふとんをかぶったもの、老人を背負っているもの、傷ついたもの、身ごもっているもの、兵士、難民、みな入りまじってごったがえしている。警笛はひっきりなしに鳴り、車はたえまなくぶつかる。狼狽の情景はまさに形容のすべもなかった。
(略)
大火はまさに燃えさかっていた。長沙全域は火煙に包まれ、火煙の勢いは空を呑みつくさんばかりだった。
「どうやら、敵は長沙には入っていないらしいな」周恩来が感慨深げにいった、「もし敵が長沙に入っていたら、きっとぎりぎりまで追って来るだろう、まったく何の動きも見せないはずがない。・・・」

(中略)

長沙に火をつけたのは、国民党が蒋介石の指図でやった大仕事だった。彼らは一度派手な手柄をたてようと、クトゥーゾフがモスクワを焼き払ったのをまねて長沙焼き払いをしでかしたのだ。しかし、残念ながら日本軍はこれを道化役にしてしまい、ナポレオンを演じに登場してはくれなかった。全市に焼け棒杭の山を残し、百余万戸の家を焼き、そればかりいまだに総数もわからぬ傷病兵や年寄り、子供、病人などの市民を焼死させた責任は、いったい誰が負うのだろうか?
行政上の処分は――18日に警備指令艷悌、警備第二連隊長シュークン、公安局長文重孚の3人が銃殺された。
長沙の人びとは真相がわからなかったので、省主席の張文白(張治中)を怨んだ。
(略)
しかし、あだはかたきに、借金は貸し主にというもので、張文白を怨むのは見当ちがいである。張文白その他の連中は蒋介石の命令を執行しただけなのだから。私たちがのちに手に入れた確実な情報によれば、張文白は12日午前9時、長沙全域を焼き払えという、蒋介石の密電を受けとったのだ。したがって、長沙の大火に関する責任は蒋介石が負うべきもので、「3個の人頭」ですら本当のところは冤罪だった。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝

抗日戦回想録―郭沫若自伝



周恩来が気づいたように、この時には幸いにも日本軍がまだ長沙には入っていなかったから、支那軍の嘘がばれ、日本軍は濡れ衣を着せられずに済んだ。

しかし、長沙市民にしてみれば、まったく無意味に家や街を焼き払われたことになる。

1938年11月13日に行われた長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)による 死者の数は、2万人以上という。








▼清野作戦に関する記録▼

●清野作戦(焦土作戦)
支那軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

上海~南京、また、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。

南京戦の前後も、支那軍や盗賊による強奪に伴い殺害も発生した。



1937年に行われた支那軍による主な「清野作戦」(焦土戦術)▼
――――
ラーベ
1937年11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。


――――
孫元良
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。

――――
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し、方か、破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。


――――
第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める

――――

第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏
上海から南京へ行く途中のある部落で、稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。


――――
ミニー・ヴォートリン
1937年12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。
1937年12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。

――――




1938年に行われた支那軍による「清野作戦」(焦土戦術)▼

英国の通信社「ルーター」(ロイター)も、蒋介石が焦土戦術を命令していたことを報じていた。

昭和13年7月12日 東京朝日
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
 蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
 九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社(いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
 しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
 商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。




1938年10月19日
支那軍は広東東方約50キロの増江の橋を爆破し増城城内を焼いて退却した。




1938年10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。

写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」写真集『支那事変』国書刊行会P255
写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」
写真集『支那事変』国書刊行会P255




1938年10月25日
支那軍は武漢撤退の際、街を爆破する目的で全ての建物に爆弾をしかけたが、英国海兵隊員らが必死で爆弾を撤去し、支那軍がスィッチを入れた時、爆破されたのは日本人所有の家屋だけだった。




1938年11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。

1938年11月13日、蒋介石の命令により支那軍が長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)

1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火、Changsha fire)

●関連記事
南京虐殺は嘘65・支那軍による虐殺5・清野作戦(焦土作戦)
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「支那軍の悪逆暴虐の数々を日本の歴史教科書に載せるべき!」

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杉原千畝の記念館を安倍総理が視察・テロ朝の「ユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行」は虚偽
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テレビ朝日「杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官」はウソ
テロ朝「杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官」

フェイクニュース(虚偽報道)!


日本は、東条英機や松岡洋右が中心となって国家ぐるみでユダヤ人を救出した!

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180114-00000030-ann-pol
“命のビザ”杉原千畝の記念館を安倍総理が視察
1/14(日) 23:16配信 テレ朝 news

 ヨーロッパを歴訪中の安倍総理大臣は、戦時中に多くのユダヤ人を救った「命のビザ」で知られる外交官・杉原千畝の記念館を視察しました。

 安倍総理大臣:「世界中で杉原さんの勇気ある人道的行動は高く評価されています。同じ日本人として本当に誇りに思います」

 安倍総理は昭恵夫人とともに記念館を訪れ、地元の子どもたちから歓迎を受けました。杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官で、約6000人の命を救ったとされています。安倍総理はこの後、4番目の訪問国であるブルガリアで首脳会談などに臨みます。



>杉原千畝は第二次大戦中、ナチスに迫害されたユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した外交官で、約6000人の命を救ったとされています。


杉原千畝もユダヤ人救出に貢献した一人であることは事実だが、テロ朝の「ユダヤ人が国外脱出できるビザを独断で発行した」という記事は事実に反するフェイクニュースだ!

なぜならば、当時の日本政府・外務省は、ユダヤ人避難民への通過ヴィザ(ビザ)発給を禁じてはいなかったからだ。

事実を述べると、当時の日本は東条英機松岡洋右をはじめとして国家ぐるみで、一貫してユダヤ人難民を救出した!

ナチスに迫害されたユダヤ人を救出した最大の功労者【救世主】東条英機松岡洋右だったが、左記の2人は戦後にいわゆる「A級戦犯」とされたために歴史が偽造されたものと考えられる。

東条英機 東京裁判
東条英機

松岡洋右
松岡洋右

所謂「A級戦犯」とされた東条英機松岡洋右を始めとして日本が国家ぐるみでユダヤ人の人道的救済をしたという事実は、戦勝国にとっては不都合な事実なので封印されてしまっているのだ。

ちなみに、今回、安倍首相が杉原千畝記念館を訪問しただけで、韓国はイチャモンを付けている。

http://japanese.joins.com/article/527/237527.html?servcode=A00§code=A10
安倍首相、「日本人シンドラー」杉原千畝記念館を訪ねて「誇りに思う」…日本の過去史は?
2018年01月15日15時06分 中央日報日本語版
安倍首相、「日本人シンドラー」杉原千畝記念館を訪ねて「誇りに思う」…日本の過去史は?

安倍首相が在リトアニア日本総領事記念館を訪ねて故杉原千畝元在リトアニア日本総領事を「日本人として誇り」と話したことを受け、韓国メディアが批判の声を出している。

韓国日刊紙「アジア経済」は15日、リトアニアを訪問している安倍首相が14日(現地時間)、「日本人シンドラーリスト」と呼ばれる故杉原千畝元在リトアニア日本総領事記念館を訪ねたとし、「戦犯国家の過去史にも直視できない安倍首相がドイツ政権のユダヤ人虐殺に対抗した日本人を賛えるのは二重的という指摘も出ている」と報じた。

(以下略)



話を史実の説明に戻す。

日本政府・外務省(有田八郎外相及び松岡洋右外相)は、杉原千畝が勤務する在リトアニア(カウナス)領事館を含む全欧州の在外公館に対し、通過ヴィザ発給に際して守るべき大原則を厳格に指示はしていたが、避難民へのヴィザ大量発給を訓令違反と見做したことも断じてない。

そもそも、外務省のノンキャリア組の職員で、小国のリトアニア領事館でも、副領事(領事代理)に過ぎなかった杉原千畝に、外務省の訓令に違反してユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給するほどの権限はなかった。

有りえないことが、仮に外務省のノンキャリア職員だった副領事(領事代理)の杉原千畝が、日本政府・外務省の訓令に違反し、独断でユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続け、難民をシベリア鉄道経由で日本の港湾に殺到させたとしたら、外務省は間違いなく杉原千畝を即刻懲戒免職にしたはずだ。

しかし、実際には、杉原千畝は、戦後まで外務省職員として懲罰無しで勤務を続けた。

在リトアニア日本領事館副領事、杉原千畝
――――――――――
【杉原千畝氏の略歴】
明治33(1900) 
  岐阜県加茂郡八百津町に生まれる
大正 8(1919)年
  早稲田大学高等師範部英語科予科終了 英語科本科入学
  外務省留学生試験合格 外務省入省
  外務省ロシア語留学生として満洲ハルビンへ
(中略)
昭和12(1937)年
  二等通訳官として在フィンランド公使館勤務
昭和14(1939)年
  副領事(領事代理)として在リトアニア領事館勤務
昭和15(1940)年
  日本経由で第三国に渡航目的のユダヤ人難民に通過査証発給

  在プラハ(プラーグ)総領事館勤務(総領事代理)
昭和16(1941)年
  在ケーニヒスベルク総領事館勤務(総領事代理)
  一等通訳官として在ルーマニア公使館勤務
昭和18(1943)年
  三等書記官として在ルーマニア公使館勤務
昭和22(1947)年
  帰国 外務省退職
――――――――――



杉原千畝は、37歳で二等通訳官、39歳で副領事(領事代理)、41歳で一等通訳官、46歳で3等書記官となった。

ノンキャリア職員で40歳の副領事が、政府の訓令に背いて勝手にユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けることなど不可能だし、やったら即刻懲戒処分にされていた。

杉原千畝が戦後になって日本に帰国後、外務省を退職したのは、ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給したからではなく、大東亜戦争の敗戦によって日本が占領下で外交権を失い、外交官の仕事はなくなり、外務省職員が大量にリストラされたからだ。

では、当時の日本政府・外務省のユダヤ人避難民に係る訓令(通達)などは、どのようになっていたのか?

松岡洋右外務大臣が来栖三郎駐独大使に宛てた、昭和15(1940)年7月23日付「猶太(ユダヤ)避難民二対スル通過査証取扱方注意ノ件」と題した訓令は、次のとおり。

最近欧州方面ヨリ本邦経由米国大陸諸国渡航ノ猶太避難民多数アリ 現ニ日本郵船伯林支店ニテ之等避難民ノ本邦米国間ノ輸送ヲ引受ケタル者ノミニテモ六百名ニ上リ(中略)之等ノ者ニ対シテハ行先国ノ入国許可手続ヲ完了セシ者ニ非サレハ通過査証ヲ輿ヘサル様取扱方御注意アリタシ
最近、ヨーロッパから日本経由でアメリカ大陸へ渡航するユダヤ人が多数おり、日本郵船ベルリン支店が引き受けたユダヤ人避難民だけでも600名にも上ったが、これら避難民に対する日本通過ヴィザは、行先となるアメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了していない者については発給しないように取扱いに注意しろ


つまり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していたのだ。

「行先(最終目的地)の入国許可手続を完了していない者には通過ヴィザを発給するな」という訓令は、当たり前過ぎるほど当たり前の訓令だ。

平成27年(2015年)に上映された映画「杉原千畝 スギハラチウネ」などで「真実」とする【日本政府・外務省は、同盟国ナチス・ドイツへの配慮からユダヤ人避難民へのヴィザ発給を禁止していた】というのは、悪意に満ちた反日プロパガンダ(虚偽の物語)だ。

日本政府は、行先(最終目的地)の入国許可手続を完了したユダヤ人避難民には日本通過ヴィザを発給していたのであり、杉原千畝が通過ヴィザを発給したことは政府・外務省の指示に従った領事館の副領事の業務に過ぎなかった。

実際に、松岡洋右外務大臣からのユダヤ人難民に係る訓令(通達)に対して、在リトアニア領事館の副領事だった杉原千畝は「日本政府が条件とした手続き未了の避難民についてはウラジオストクで乗船を拒否してください」と意見を具申していた!

当国避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト当館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ現在唯一ノ通過国タル我査証方願出ル者アリ而モ我査証ハ蘇側ニ於テモ米国方面出国手続上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ 確実ナル紹介アル者ニ限リ浦塩乗船迄ニ行先国上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金ヲ本邦へ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査証シ居ルニ付右手続未了ノモノニ関シテハ至急浦塩ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ
リトアニアの避難民の中には、近辺に中南米諸国の大使館や領事館がないとし、日本の領事館もリトアニアからの引き揚げが切迫していることを見越して唯一通過する日本のヴィザを願い出る者があり、しかもソ連としても米国方面への出国手続きを絶対条件としているなどの事情斟酌を考慮し、確実な身元紹介がある者に限って、ウラジオストクでの乗船までに行先国の上陸許可を取り付け、しかも日本以遠の乗船券を予約し、所持金については極端な為替管理のため、海外資金を日本へ送金手配する場合、敦賀にも予め手配する必要があることを承知すると申告して実行することを条件として通過ヴィザを発給しており、この手続を完了していない者についてはウラジオストクにて日本行きの乗船を拒絶するように取り計らって頂きたい。



以上のとおり、当時の日本政府・外務省(松岡洋右外相)は、アメリカ大陸諸国の入国許可手続を完了しているユダヤ人避難民については、日本通過ヴィザの発給を許可していた。

リトアニア領事館の副領事(領事代理)だった杉原千畝は、日本政府・外務省(松岡洋右外相)の訓令に従ってユダヤ人避難民に通過ヴィザを大量発給し続けた。

日本政府が杉原千畝に対して「ユダヤ人避難民に通過ヴィザを発給するな」と命じていたとする映画「杉原千畝 スギハラチウネ」は、日本政府を悪者に仕立てあげるための「虚偽の物語」(反日プロパガンダ)だ!


杉原千畝の美談を捏造する人たち、歴史をフィクションに書き換えるNHK
■動画
杉原美談を捏造するユダヤ、歴史をフィクションに書き換える在日・NHK
https://www.youtube.com/watch?v=5pDaEKFVa_I



【参考】
映画「杉原千畝スギハラチウネ」は、反日プロパガンダの改訂版だ!
http://blogs.yahoo.co.jp/tatsuya11147/57248877.html
杉原千畝を題材にしたウソ映画
http://d.hatena.ne.jp/NOFNOF/20151204/1449210595
杉原千畝神話の虚実  
http://oira.sumera-ikusa.com/index.php?%BF%F9%B8%B6%C0%E9%C0%A6%BF%C0%CF%C3%A4%CE%B5%F5%BC%C2



また、日本としては、杉原千畝「命のビザ」を発給する2年前の1938年に、関東軍の東條英機参謀長樋口季一郎少将たちがドイツの抗議に逆らって大量のユダヤ人難民を救出していた!
東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。
東條英機 ……満州に逃げてきたユダヤ人に穏健な措置を取るように指示し、ドイツからの抗議を一蹴。

樋口季一郎
樋口季一郎

日本は国家ぐるみで、一貫してユダヤ人難民を救出したというのが歴史の真実だ!

杉原千畝が日本政府に背いてユダヤ人避難民を救出したのではない。

ユダヤ人のマーヴィン・トケイヤーも、「我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機」と明言している!

ラビ・マーヴィン・トケイヤー
マーヴィン・トケイヤー

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/7f7148f64ad2b9f3545a8fbe7705f58f
「ユダヤ製国家日本」 ラビ・マーヴィン・トケイヤー (著)
我々ユダヤ人がもっとも感謝すべき人物は東條英機


◆西洋諸国ではなく日本がユダヤ難民に扉を開いてくれた

関東軍司令部は昭和13年(1938年)1月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第4項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。

東條と、樋口と、安江が2万人以上のユダヤ人難民を窮状から救ったのは、『日本のシンドラー』として有名になった、杉原千畝リトアニア駐在領事代理が首都のカウナスで昭和15年(1940年)7月から9月にかけて、『生命のビザ』を発行して、6000人以上のユダヤ人難民を救った、その2年以上も前のことである。

3人の日本軍将校と、杉原が、ユダヤ人を救った時には、アメリカや、イギリスをはじめとする諸国が、ユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。もし、このころにこれらの西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたとしたら、その後、数百万人のユダヤ人が、ナチスによって虐殺される運命から逃れることができたことだろう。ところが、日本は扉を開いたのだった。


◆ドイツの抗議を一蹴した東條

オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の『J』を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の『ダビデの星』の縫い取りをつけることを、義務づけていた。

難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。

この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。

樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。

◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象

日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。

日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。

サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で2万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か100人にみたなかった。

東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。

◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!

日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。

先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。

「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)


「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」ラビ・マーヴィン トケイヤー(著)


●関連記事
映画「杉原千畝」は嘘物語・「政府に背き」は嘘・日本政府はユダヤ人難民へのビザ発給を許可していた
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6048.html








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「報道しない自由 ――なぜ、メディアは平気でをつくのか」 西村幸祐 著 2017/11/26


左:徹底検証 テレビ報道「噓」のからくり』 小川 榮太郎著 2017/11/21
右:『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』小川榮太郎著2017/10/18


左:「 報道特注(本)」生田與克, 和田政宗, 足立康史 著 2017/11/9
右:「永田町アホばか列伝」足立康史(2017/10/17)


「ユダヤ人を救出したのは東条英機や松岡洋右を始めとする日本(国家ぐるみ)だった!」

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