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責任なし5 済南事件1・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし5 済南事件1


これは「責任なし4 第一次南京事件」の続きです。


 1928年、蒋介石が第二次北伐を開始すると、日本は南京の二の舞は御免と、居留民保護の為、出兵(山東出兵)を決めた。中国から「統一を妨害するのか」と言われ、一時ちゅうちょしたが、やはり出す事にした。

 -以下、児島襄著『日中戦争』より抜粋引用-
‐‐‐‐

 済南で斉藤少将は、どうやって居留民を守るのか、熟慮した。
 -「濁流はすべからく道を造りて流すべし」-

 日本人居留民が住む商阜地は租借地ではない。従ってなるべく衝突をさけ武力行使以外の方法で始末すべきである。それには通行路を与えれば良い。

‐‐‐‐

 5月1日午前6時ごろ国民革命軍入城、第9軍・第40軍・第1軍・第41軍と続々入城して来た。
 この頃、街の雰囲気は一変して来た。

 商阜地東部監獄から囚人が解放され、入城した部隊の内、特に第40軍所属の少年兵が市内を走り回り、宣伝ビラを民家の壁に貼った。
 「排斥日本帝国主義」「反対日本出兵」など、いずれも反日ビラであり、中には張作霖と日本女性が「乱舞」している図柄もあった。

 少年兵は、わざと日本軍歩哨に近づき白眼を向いて敵意を示しながら、その前面の街路樹にビラを貼った。
 国民革命軍第1軍第22師第64団が入城する際、兵士の一人が日本人民家に掲揚中の日章旗を奪い破棄した。

 その後も革命軍の入城は続き済南には約十万の将兵が充満した。
 日本軍はたったの五千人で国民革命軍の人海の中に点在する形となった。

 蒋介石は入城後、佐々木中佐を通じて、日本軍の撤兵、警備区域の撤去などを申し入れた。

 斉藤少将は、師団長に連絡する事なく防禦物の撤去を命じた。 日本側が徹夜で撤去作業をしていると、中国兵の一団がその作業を妨害し、あえてその前で中国市民に反日演説を行う者もいた。

‐‐‐‐
 5月3日、午前9時20分ごろ、国民革命軍の暴兵約30人が麟趾門街の『満州日報』取次販売店吉房長平宅に乱入し、掠奪を始めた。

 久米川小隊は現場に急行、到着してみると、先着した二人の巡査のうち岡田巡査が暴兵に袋叩きにされ、佩剣を奪われ、射殺される寸前であった。

 久米川小隊はとっかんし、暴兵は東方約百米の民宿に逃げ込んだ。兵舎に利用された民家は、強固な土塀の中に数家屋が密集していて、出入口は一箇所しかなく、二人の中国兵が立哨していた。

 久米川小隊が近づくと歩哨は発砲し、屋内からも射って来た。久米川小隊は応戦し、中隊に伝令を送った。

 銃声を合図の様に国民革命軍兵士は商阜地内の随所で掠奪と射撃をはじめた。

 天津歩兵隊第四中隊本部には、久米川小隊からの伝令が届く前に「緯一路三馬路交差点付近で中国兵多数が日本人民家を襲っている、国旗を破棄している」という急報が伝えられた。

 斉藤少将は日中交戦を知り、装甲車を出動させようとしたが、中国兵がいち早く電話線を切断したので、旅団司令部にも師団司令部にも、電話連絡出来なかった。

 おっとり刀で日本軍部隊は現場に急行したが、民家の土塀越しに射弾が集中し、前進が困難であった。

 それでも中国兵がたむろする民家を一軒づつ掃討して行くと、民家のほとんどが掠奪・暴行されていた。
 「支那人民ノ柱ニ縛ラレアル等 惨状目モ当テラレズ」と言った光景も少なくなかった。

‐‐‐‐

 午前11時 蒋介石は停戦を要望、福田中将も応じた。 しかし、中国側は発砲を止めなかった。

 旅団司令部は、参謀菊地中佐が、中国側に停戦を勧告すべく、捕らえた康明震を派遣した。

 康明震と他二人は白旗を振りながら二馬路を西進したが、中国側が容赦なく射って来るので、康明震らは立ち止まって前進を拒否した。

 田中伍長が先頭に立ち「不打(うつな)」「不打」と叫んで一行を引率したが、緯五路二馬路交差点に差しかかった所、南側民家に潜伏した中国兵の機銃射撃を受け田中伍長は戦死。

 一行は遺体を収容して旅団司令部に引き返した。

 つづく








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「沖縄戦の真実」を封印・検定を撤回すれば将来に禍根を残す・照屋昇雄氏、宮城義男氏、梅澤裕氏、宮城初枝氏らの真実の証言・一方、「軍命令が有った」とする証言は矛盾や食い違いや疑問だらけ

「沖縄戦の真実」封印 検定撤回は将来禍根

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071016-00000050-san-soci


米軍施政下「沖縄戦の真実」封印 検定撤回は将来禍根            
10月16日8時1分配信 産経新聞

 高校日本史教科書の沖縄戦集団自決に関する記述で、「日本軍に強いられた」と書いた教科書に検定意見がつき修正された問題をめぐり、沖縄県の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員長を務める仲里利信県議会議長は15日、大野松茂官房副長官を首相官邸に訪ね、記述の回復を要請した。一方、有識者らによる「教科書検定への政治介入に反対する会」は同日、再書き換え反対決議を採択した。検定は「軍が命令したかどうかは明らかといえない」と指摘したにすぎず、政府が検定を撤回すれば、将来に禍根を残す。県側が過敏ともいえる反応を示したのはなぜか、背景と事情を探った。(阿比留瑠比、小田博士)


 ■県内からも異論

 昭和20年の渡嘉敷島の集団自決をめぐっては昨年8月、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄氏(83)が産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにした」と証言し、「軍命令」説を否定した。

 照屋氏はこの発言後、「相当な嫌がらせを受けた」(関係者)というが、同様の認識を示す人は沖縄県内にもいる。

 元宜野湾市議の宮城義男氏(83)は「同年配の各市町村の幹部らとの私的な会合では、『軍命令はなかった』『遺族年金をもらうために軍命令にしたということだ』といった話をよく聞いた。しかし、こういう話は表に出ない」と話す。

 宮城氏自身も、陸軍病院などで傷病兵らの看護にあたる「ひめゆり学徒」だった妹を沖縄戦で亡くした経験を持つが、「軍の関与はまぎれもない事実だが、軍命令は推論にすぎない」との立場だ。

 また、泣き声で米軍に見つからないよう、「日本軍により幼児が殺された」とする教科書記述にも異説がある。

 匿名を条件に取材に応じたある地方議員は「老人会でのひそひそ話に耳を疑ったことがある。子供が軍命令で殺されたとして遺族年金をもらっている人について『あの人、本当は自分で殺したんだよね』と話し合っていた」と語る。


 ■米軍施政の呪縛

 集団自決の「軍命令」説を最初に報じたのが、地元紙、沖縄タイムス編の「鉄の暴風」(朝日新聞社、昭和25年初版発行)。作家、大江健三郎氏の「沖縄ノート」など、軍命令を事実と断定する著作の多くは、この「鉄の暴風」の記述・内容を引用したものだ。

 ただ、明星大戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏は「この本は全然実証的ではない」と強調する。

 確かに、同書は集団自決の現場での取材は行っていない上、生存者について「不明死を遂げた」としたり、事実関係が違っていたりするなどの不備が少なくない。

 勝岡氏は、同書が米軍施政下の沖縄でラジオ朗読されて広まった経緯や、当初は米軍の「高いヒューマニズム」をたたえていたことなどを例示。連合国軍総司令部(GHQ)が日本人に戦争に対する罪悪感を植えつけた宣伝工作「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」との共通点を指摘し、こう語る。

 「この本の歴史的意味は、沖縄県民の敵を、米国から日本軍へと置き換えさせたことだろう」

 沖縄在住のジャーナリスト、恵隆之介氏は「沖縄では、軍命令を疑う意見は地元紙に一切掲載されず、今も言論統制が行われているのに等しい。戦後、米陸軍第8心理作戦部隊が『沖縄県民は日本国民に差別された。その帰結が沖縄戦の悲劇だ』と反日宣伝を徹底したが、それが定着してしまった」と話す。

(以下略)







『週刊新潮』 '07年1月4日・11日号
日本ルネッサンス
櫻井よしこ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_497.html

「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」

(一部抜粋)

いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。

助役の宮里盛秀氏が言った。
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」

梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。

だが、宮里助役は続けた。

「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

「そんなことは出来ない」と梅澤氏。

「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」

梅澤氏は諭して、5人に言った。

「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」

翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。


汚名を着せられた人生

寝耳に水の報道が梅澤氏を襲ったのは、戦後暫く経ってからだった。

「昭和33年の『週刊朝日』を読んで、私も家内も仰天しました。座間味島の住民は梅澤隊長の命令で自決させられたとの記事が、無残な写真と共に報じられていました。家内は精神的にどん底に落ち、私は同期生や軍人の団体にも連絡して、報道が事実無根であることを訴えました。しかし、時代は全て、軍が悪い、軍人が悪いという見方に塗り潰されていましたから、私の反論は誰もとりあげてくれませんでした」

"梅澤隊長命による住民の集団自決"は、家永三郎氏の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉両氏の『沖縄問題二十年』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって喧伝され、「梅澤=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。ノーベル平和賞を受賞した大江氏の『沖縄ノート』は1970年の出版以来、49版を重ねている。

この間、氏の家族は、濡れ衣に苦しんだ。梅澤氏は幾度か職場を変え、夫人は息をひそめて暮らし、子息は都会に住むのを嫌い、人と会わなくて済む地方に移り住んだ。

だが、転機はやってきた。戦後40年目の昭和60年7月30日、「神戸新聞」が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」と報じたのだ。大江氏ら"権威"が植えつけた悪しき軍人のイメージが全面否定されたわけではなかったが、それでもこのどんでん返しが梅澤氏にとってどれほど嬉しかったか。それにしてもなぜ、真実は語られ始めたか。梅澤氏が驚くべき経緯を語った。

戦後、全ての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は烈しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請したとき、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍によって自決命令が下されたという理由づけだった。

生きるために事実無根の話が創られ、梅澤氏への根拠なき非難が一人歩きを始めたのだ。それを調査せずに喧伝したのが大江氏らである。


歴史の真実を語った女性

一方、梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。

「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」

梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。

「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」

彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。










このように、「軍命令は無かった」とする証言が相次ぐ。

一方、「軍命令が有った」とする証言は、矛盾、食い違い、疑問に満ちており、証拠力を有するものは皆無。







沖縄教科書抗議集会の参加者は「4万人強」だった
警察が主催者発表にモノ言えず「11万人」独り歩き
検定意見は軍関与を否定せず軍命令を否定しただけ
軍命令説は証拠力のない金城重明などの証言だけで破綻
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26080556.html



軍命令説の最有力証人である金城重明の証言も、食い違いや矛盾や疑問だらけで全く信憑性なし





反日捏造主義者たちと反日マスコミが執拗に煽って再び問題化
秦郁彦の【正論】報道は冷静な検証の姿勢忘れずに
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25794763.html



当時8歳だった議員の体験談も、当時16歳だった語り部の元短大学長(金城重明)の証言も、全く信憑性なし





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