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男装の麗人
東洋のマタハリ
川島芳子
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投稿者 :
rekisisiranai
日本の戦争責任
責任なし8 満蒙独立運動4
これは「責任なし8 満蒙独立運動 3」の続きです。
一方、郭家店近くで混乱が生じました。張軍の近くには日本陸軍守備隊の兵舎がありました。
(これは恐らく張軍がわざと、日本軍兵舎のそばに布陣したと思われます。第二次上海事変でも中国軍は英国租界のすぐ側に布陣して日本軍の流れ弾が外国租界に当たるようにしていましたから。こういうのは中国軍の伝統でしょう。第三者を巻き込んで相手を非難させるのは)。
流れ弾が兵舎に飛び込んで来るので、稲生田守備隊長が部下を率いてパプチャプ軍陣地に行き、撤退を要請しました。そして、これを約束させた後で、張軍陣地に向かうとなんと張軍側は軍使に発砲してきたのです
(これも済南事件と同じで軍使に平気で発砲して来る中国軍の伝統でしょう)。
この為、稲生田は公主嶺の日本守備隊に応援を依頼しました。その間に、張軍軍事顧問の菊池大佐が来て休戦協定を結ばせました。
日本軍としては満鉄に被害があっては困るので、パプチャプ軍に退いてもらう事にしました。その代わり、パプチャプ軍に武器を与えるという条件でですが。もっとも、このことは外務省には内密ですけど。
パプチャプ軍は9月2日引き揚げました。ところが、張軍は陣地を構築してパプチャプ軍に攻撃を掛けたのです。 (これも、盧溝橋や、紀元前3世紀、劉邦が項羽に対してとったのと同じ停戦協定破りです。停戦協定をまじめに守って引き揚げる者を攻撃するのは中国の伝統です)。
この時、日本軍の公主嶺守備隊の一中隊が応援に駆けつけ、パプチャプ軍は張軍を追い払いました。
パプチャプ軍は、ようやく内蒙古にたどり着きますが、その入り口で張軍に攻撃され、パプチャプは戦死しました。
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蒙古の独立運動は、中国の汚いやり方と、日本の中国に媚びた態度で潰されます。日本政府は、昔から中国に甘く、助けを求めて来るものを見殺しにしていたのです。 日本のこの態度は"瀋陽の領事館に駆け込んだ北朝鮮人を、中国の官憲が侵入して連行するのを許した"のと同じ態度でしょう。
また公平とか内政不干渉の美名の下に、中国の蒙古侵略を許してしまうのも、現在、内政不干渉の名の下で、中国のチベット侵略を許しているのと同じ事でしょう。日本人の甘い性格は今も昔も全く変わっていません。
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2回目の満蒙独立運動に夢破れた粛親王は2月に訪日を打診しますが、日本政府は断りました。日本政府は北京支持にまわり「日本の復辟援助は事実無根」と言ったのです。(これなども現在、中国の顔色を伺って李登輝氏の訪日を拒否するのと同じ態度です)
大正6年3月、旅順の粛親王は軍再編成の命を出しました。旧パプチャプ軍は再びハルハ河畔を出発、6月初旬進撃に移りハイラルに入り、そこでコロンバイルの独立宣言を発表しました。
驚いたロシアと中国は、蒙古軍参加の日本人退去を二瓶領事に要請してきます。そこでやむなく外務省と参謀本部は動き出し、最も効果的な方法として、旅順の粛親王の滞在に圧力を加える事にしました。
その為、川島は妥協せざるを得なくなり、無念の涙を呑んでやめることになりました。(またも日本は中国にいい顔をして満蒙の独立運動を潰してしまいました)。日本人が離れると、ロシア・中国の連合軍は蒙古軍を総攻撃し、ここに蒙古の独立運動はついえました。
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挙事に失敗した粛親王は大正11(1932)年2月旅順の邸宅で死去します。川島は旅順に駆けつけ葬儀に参列、粛親王の子供たちを引き取り、日本で教育を与えました。廉子と芳子は川島の養女となり、特に、芳子は男装の麗人、東洋のマタハリとなって活躍します。
また、粛親王の第一王子は満州国宮内府侍従武官に、第七子は新京特別市長に、第14子はチチハル市長になりました。
満州事変は、いわば満蒙独立運動の最後の総仕上げでもあったわけです。中国人に侵略された祖国を関東軍の手を借りて取り戻したのです。
1931年9月、柳条湖事件
9月下旬、遼寧省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル等は独立を宣言
10月、満州各地の代表が揃って、天津に溥儀を訪ね出馬を懇請
11月、溥儀、天津脱出
1932年 満州国建国、溥儀執政に就任
関東軍は、川島らの満蒙独立運動を陰で応援していましたが、時の政府の中国への遠慮からことごとく潰されて来ました。
今回は日本人の生存が脅かされた為、政府の意向を無視して、軍事行動に出て、ついでに満蒙独立運動もやったわけです。
満州事変は、日本の自衛行動であると共に満蒙独立運動でもあったわけです。
満州事変はこれで終わるのではなく、続きがありますが、その前に、中国の反日激化と第一次上海事変をとりあげます。
●関連記事
合法的独立国家「満州国」
満州事変は日本の警察行動
満州と支那は別物
自発的な独立運動
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著15
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責任なし8 満蒙独立運動2
Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史
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責任なし8 満蒙独立運動3
Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史
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(参考)
――――――
日本は満州国の建設についてこう説明するのだ。
満州がかつて中国の一部だったことはない。
全く逆で、中国のほうが満州帝国の一部だった。
満州人が北京に在って中国を統治している限りは、2つの地域の間に関係はあるだろう。
しかし、万里の長城が証明しているように、満州王朝の統治時代でも、満州の各省は中国の境外の地と考えられていたのだ。
1912年の革命で満州王朝は倒れた。
これによって中国と満州の法的関係は切れたにもかかわらず、西洋列強は満州は中国の一部であるという擬制(フィクション)を続けている、と日本はいう。
・・・
日本の説明では、満州の独立運動は長い時間をかけてはぐくまれ、現地住民が自発的に張の悪政からの独立を宣言できるところまで、熟成していたのだ。
P292-293
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
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と__)__)
<赤福>過去に輸入原料も使用 94年ごろ中国産小豆など |
10月23日2時1分配信 毎日新聞 |
老舗和菓子メーカー「赤福」(三重県伊勢市)の消費期限偽装問題で、赤福の浜田典保社長らが22日会見し、原材料の小豆やもち米について、過去に輸入物や冷凍加工品などを使ったことがあったと発表した。赤福は国産原料の使用をアピールしており、当時、輸入物の使用は明らかにしていなかった。 |
赤福によると、93年は国内農産物が凶作で、94年2月ごろから北海道産小豆の価格が高騰した。このため仕入れ予定量の小豆が確保できなくなった。これを埋めるため、同年春ごろから中国産を仕入れたほか、中国で加工したゆで小豆の冷凍加工品も使った。また、もち米も確保が困難となったため、カリフォルニア米の米粉加工品を輸入し、数カ月間使っていたという。 |
浜田社長は「当時、国産原料の利用を明確にはうたっていなかったし、赤福餅を不足なく提供することを優先した」と述べた。 |
この日の会見で浜田社長は(1)売れ残りの赤福餅を分離した「むきあん」「むき餅」のうち、一部消費期限切れのものを含む大量のあんや餅を再利用したり、グループ会社に販売したこと(2)冷解凍しない「生」の状態で包装紙を取り換える「まき直し」を行ったこと(3)あらかじめ次の日の日付を刻印する「先付け」を行ったことーーなど、これまで報じられた一連の不正を認めて謝罪。これまでの会見で事実を隠ぺいしたり、虚偽の説明をしたことについては「過去を否定するのが忍びなかった」などと述べた。 |
―――――― |
今まで赤福に関してはブログでは取り上げなかったが、支那産の小豆を使用していたとあっては無視できない。 |
これじゃー、支那産そうめんを国産高級品の「三輪そうめん」と誤解させるような表示をしたとして、不正競争防止法違反容疑で先日逮捕された連中と殆ど同罪ではないか? |
赤福は過去にこんなことをしていたくせに、国産原料の使用をアピールしているという。 |
ついでに言っておくが、日本政府は野菜や肉などの食品原材料だけではなく、加工食品や外食産業の料理にも原材料の原産地表示を義務付けるべきだ。 |
そして、原産地表示の偽装には厳しい刑罰を科すべきだ。 |
加工食品や料理の原材料の原産地表示は、食の安全確保もさることながら、日本の食料自給率を上げるためにも非常に有効だ。 |
自民党に物申す!
長崎ちゃんぽん「リンガーハット」では、材料の原産地表示をしているが、それによると、「もやし、きくらげ、きぬさや、にんじん、イカ、エビ、大ネギ、にら、あさり」が【中国】と書かれていた。・・・orz |
・・・それでも、リンガーハットのような原産地表示運動は評価されるべきだ! |
俺は二度と食べに行かないが、頑張れ!長崎ちゃんぽん「リンガーハット」! |
インサイド中国、日本政府はニセモノに黙っていていいのか? |
日本が輸入する野菜の50%は支那産なのだ |
最近、支那ではニセモノの塩が大量に出回っている |
中には製塩工場の廃液から作った食塩や亜硝酸塩を転用した塩まで出回っている |
そのような塩には重金属などの有害化学物質が含まれている |
広東省では市場に出ている塩の9割がニセモノ |
日本はまた、支那から加工食料品も大量に輸入している。となると、加工品を製造する過程で、当然ながら塩も使うだろう。 |
もし、ニセモノの塩が使われていたら、大変なことになりかねない |
米国も支那もしっかり自分たちの主張をしているのに、日本政府はいったい何をしてきたのだ |
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2007年10月19日放送の「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中」 |
山本モナの売国発言 |
2007.10.19-2 太田総理 外国人地方選挙権
(・・。)は?? |
アホのと山本モナが |
「良いじゃないですか、別に!」 |
と言ったら、周囲も同調するように笑っていたが、どう考えてもおかしいだろ?! |
公立小学校に在日韓国人が居るからといって卒業式に韓国の国旗を掲揚する神経は何なんだろうか? |
どうかしてるよ。 ったくもう! |
ちなみに、この番組「太田光の私が総理大臣になったら...秘書田中。」のテーマだった「外国人参政権」に関しては、今の憲法がある限り絶対に外国人への参政権付与は認められない。 |
なぜなら、憲法には、 |
第15条「公務員を選定し、および、これを罷免することは、国民固有の権利である」 |
第93条2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の「住民」が、直接これを選挙する。 |
(第93条2項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。) |
と謳われているからだ。 |
憲法を改正しない限り絶対に無理。 |
外国人に参政権を与えたい連中は、まずは憲法改正を実現させるんだな。 |
平成7年2月、最高裁判所判事の園部逸夫は永住外国人への地方参政権付与を認めた傍論を出した。 |
しかし、判決は「本論」部分において、選挙権が「権利の性質上日本国民のみ」を対象とし、「外国人には及ばない」こと、憲法には地方選挙に投票できる人を「住民」と書いてあるが、これは「日本国民」を意味し、「右規定は、わが国に残留する外国人に対して、選挙の権利を保障したものということはできない」と述べている。 |
園部逸夫は狂っている。 |
(参考) |
大阪の市立小、卒業式に韓国旗掲揚 校長判断、府教委は否定的見解 |
2002/04/12, 産経新聞 |
大阪府八尾市の市立小学校の今春と昨年の卒業式で、日本国旗とともに韓国旗が壇上に掲揚されていたことが十一日、わかった。在日韓国人が多い土地柄を踏まえ、学校長の判断で実施したという。教育現場における式典などの国旗掲揚は学習指導要領で義務づけられている。大阪府教委は「学習指導要領の趣旨や社会通念からみても、日本の公立学校の入学式や卒業式で他の国旗は掲げないのが原則」と否定的な見解を示している。 |
八尾市教委によると、同小は昨年三月の十二年度卒業式では壇上に国旗、韓国旗、校旗を三脚で並べて式を行った。今春の十三年度卒業式では壇上正面に国旗と校旗を並べて張り、壇上に韓国旗を立てたという。 |
同校は全校児童約三百人のうち二十数人が韓国籍という構成。両親が帰化していたり、一方が韓国籍だったりするケースも多い。 |
校長によると、平成十二年四月の同校着任後、以前から考えていた国際理解教育の観点から「子供たちに国旗について考えさせるためにも韓国旗を掲揚した方がいい」として同年末、市教委に実施を打診した。 |
市教委は府教委に見解を求めたが、日本国旗以外の国旗の取り扱いに関する規定がない、との趣旨だったため、「公立学校の自主性を損なわないよう」としたうえで校長の判断に委ねた。校長は「日本の児童と一緒に学んだ韓国籍の児童を卒業式でたたえたい」と、実施に踏みきったという。 |