正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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責任なし6 張作霖爆殺事件・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史・ロシアの歴史家ドミトリー・プロホロフはソ連特務機関が暗殺したと断言・謎が残る張作霖暗殺

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし6 張作霖爆殺事件


これは「責任なし5 済南事件2」の続きです


 蒋介石軍の北伐が進展し満州に近づくにつれ、関東軍は警戒せざるを得なくなりました。

 南京での中国軍の暴虐、済南での残虐行為、これらを見るにつけ、勝ち組であろうと負け組みであろうと、中国軍が満州に入って来ると大変な事になると判ったからです。

 中国北部は張作霖が支配していますが、これを蒋介石が討伐すれば、張作霖の敗兵は満州になだれ込んで来るでしょう。張作霖の軍隊は30万もいます。ところが守る関東軍は一万にも満ちません。それも鉄道沿線に散らばっています。

 満州には百数十万の帝国臣民がいるのですが、これをどうやって守るのか、それが問題でした。
 そこで、その解決策として河本大佐が考えたのが張作霖の暗殺です。

 張作霖が死ねば軍は四散する。そうすれば蒋介石が攻めてくる理由がなくなるという物でした。
 張作霖は、満鉄の平行線を試みるなど日本の既得権益を侵害し、かつ排日運動を利用して、日本人の生活を圧迫していました。

 また、軍費調達の手段として大豆、高粱、米、粟その他の特産品を買占め、紙幣の乱発、不当課税などもしていました。その上、市中を行進するときは皇帝の行幸のようなまねをし、威勢の誇示と虚飾に満ちた生活をしていたのです。それは出費を伴い満州の課税率を高めます。

 "民に重税を課し、民を苦しめ嫌われているのだから、殺しても問題ないだろう"河本大佐はそう考えたわけです。実際、彼は何度も暗殺され掛かっていますので。

‐‐‐‐

 一方、これより一年前、田中義一首相は「東方会議」を開き満蒙問題について話し合いました。

 田中首相は、中国の動乱が満州に及ぶことを恐れ、「支那本土と満蒙」とを別扱いにしようとしていたのです。田中首相は日本人居留民の保護以外で、蒋介石軍の北伐に干渉する気はありませんが、満蒙だけは別でした。

 「東方会議」では
 「満蒙殊に東三省地に関しては、国防上並びに国民的生活の関係上重大なる利害関係を有する…」、「万一動乱満蒙に波及し治安乱れ、同地方に於けるわが特殊の地位権益に対する侵迫起こるの虞あるに於いては、其の何れの方面より来るを問はず之を防護し…機を逸せず適当の措置に出づるの覚悟あるを要す」

と規定しています。これは関東軍の考えと大差ありません。

‐‐‐‐

 違うのは田中首相が張作霖びいきだった事だけです。彼は張作霖に満州を支配させる気でした。日本としては蒋介石軍と張作霖軍が衝突するのを好みません。張作霖軍の敗兵がなだれ込んで来るのも嫌なら、蒋介石軍が攻め込んで来るのも嫌でした。

 そこで田中首相は、張作霖に"今のうちに満州に引き上げろ、戦乱が激しくなったら入れん"と言ったのです。しかし関東軍としては、30万の軍隊が武器を持ったまま満州に入るのを好みません。武装解除してから入れるつもりでした。

 その為には軍を錦州や山海関に移動させる必要があるのですが、そうするには奉勅命令が必要となります。ところが、奉勅命令が出ません。このままでは30万の張作霖軍が満州に雪崩れ込んでくる。そうなるとトンでもない事になる。

 そこで已む無く、と言うか初期の考え通り、暗殺を決行したというわけです。
 ところが、いざ暗殺してみると息子の張学良が後を継いで何にもなりませんでした

 それどころか、張学良は国民党の旗を満州に掲げ、蒋介石の仲間である事を鮮明にしたのです。その為、蒋介石は労せずして満州を手に入れ、ここに統一がなってしまいました。

 これは、関東軍や日本政府の思惑と違い、全くの逆効果でした。

 河本大佐は、蒋介石に満州をノシを付けてさし上げたわけです。だからと言って蒋介石が日本に感謝するわけはありません。当然の事ながら張作霖爆殺を非難し、排日運動を強め、日本人居留民を迫害して行きます。

 これが満州事変へとつながって行くわけです。

つづく














以下は私の補足
――――――
張作霖爆殺事件の真犯人は今なお謎のままだ。

最近では、ロシアのドミトリー・プロホロフ氏(ソ連・ロシアの特務機関の活動を専門分野とする歴史研究家)が、「張作霖の爆殺は、ソ連の特務機関が行ったのはほぼ間違いない」と断定した。

この説は、月刊『正論』平成18年4月号で紹介された。




http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/20c8b38b11e1f95b09be906046cadcc0

(一部抜粋・修正)

 張作霖は1924年に、ソ連と満州鉄道条約を締結し、鉄道の共同経営を行った。
しかし、張は鉄道使用代金の未払いを続け、その額が膨らんでいた。
1926年、ソ連がこれに抗議して、鉄道の使用禁止を通達した。
張作霖軍はこれに反発し、鉄道を実力で占拠して、実権を握った。

 こうした張の反ソ的な姿勢に対し、スターリンのソ連政府は、張作霖の暗殺を、軍特務機関のフリストフォル・サルヌイン(註 サルーニンとも書く)に命じた。
サルヌインは暗殺計画を立案し、特務機関のレオニード・ブルラコフが協力した。

 彼らは、同年9月、奉天にある張作霖の宮殿に地雷を敷設して、爆殺する計画を立てた。
しかし、張作霖の特務機関にブルラコフらが逮捕され、第1回目の暗殺計画は、失敗に終わった。 

 その後、張作霖は、モスクワに対してあからさまな敵対的行動に出始めた。
1927年4月には、北京のソ連総領事館に強制捜査を行い、暗号表や工作員リスト、モスクワからの指示書等を押収した。
支那共産党に対しても、共産党員を多数逮捕するなど、共産主義に対する弾圧を行った。
また、亡命ロシア人や土匪部隊を仕向けて、ソ連領を侵犯させるなどしていた。

 その一方、張作霖は、1928年、日本側と交渉を始め、日本政府の支持を得て、満州に反共・反ソの独立した満洲共和国を創設しようと画策した。
この動きは、ソ連合同国家保安部の諜報員、ナウム・エイチンゴン(註 エイティンゴンとも書く)がモスクワに知らせた。

 クレムリンには、日本と張作霖の交渉は、ソ連の極東方面の国境に対する直接的な脅威であると映った。
スターリンは再び、張作霖の暗殺を実行に移す決定を下した。暗殺計画の立案とその実行には、エイチンゴンとサルヌインが任命された。

 サルヌインは、1927年から上海で非合法工作員のとりまとめ役を行っていたが、満洲においてもロシア人や支那人の工作員を多く抱えていた。
暗殺の疑惑が、日本に向けられるよう仕向けることが重要だった。

 1928年6月4日夜、張作霖が北京から奉天に向かう列車は、奉天郊外で爆破された。
重症を負った張は、その後、死亡した。

 しかしながら、張作霖の暗殺は、ソ連政府の望んだような結果をもたらさなかった。
父の後を継ぐ張学良は、蒋介石と協力し、南京政府を承認した。
また、張の軍はソ連軍と武力衝突した。
一方、日本は、張作霖の死後、満州の支配力を失った。
しかし、1931年、関東軍が満洲事変を起こし、翌年、満洲国を建設した。
これによって、ソ連は、三省での立脚地を失った。

 東京裁判では、元陸軍省兵務局長の田中隆吉が証言した。
「河本大佐の計画で実行された」「爆破を行ったのは、京城工兵第20連隊の一部の将校と下士官十数名」「使った爆薬は、工兵隊のダイナマイト200個」などと証言した。

 しかし、日本では、東京裁判後の1940年代後半、日本には張作霖を暗殺する理由がまったくなく、暗殺には関与していないという声があがった。
田中隆吉は、敗戦後、ソ連に抑留されていた際、ソ連国家保安省に取り込まれ、裁判ではソ連側に都合のいいように準備され、翻訳された文書をそのまま証言させられていた









私は、河本大佐ら関東軍の一部がソ連特務機関の支配下に置かれていたと考えている。


次のようなことが考えられる。

プロホロフが主張するとおり日本政府には張作霖を暗殺する動機はなく国益に反するが、河本大佐ら関東軍の一部は政府の対支政策を理解せずに張作霖は暗殺する方が良いと考えていた。

一方、ソ連も対日・対支政策を有利に進めるために張作霖暗殺を実行した。

河本大佐は爆殺を自ら計画して実行したと述べたが、これは実際にはソ連特務機関がやったのに、河本大佐はそのことを全く知らずに自分たちがやったと思い込んでいた。









http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-1017.html

(一部抜粋)


極めつけが河本大作自身の証言と言われているものですけれども、河本大作は、戦後は、太原戦犯管理所という所に入れられまして、中共の戦犯管理の中で、三年間過ごし、そこで亡くなっています。

手記も何も書いていません。じゃあ『文藝春秋』昭和二十九年十二月号に載った「私が張作霖を爆殺した」という、あの河本告白記というのは誰が書いたかというと、これは河本の義弟で作家の平野零児が書いている。

彼は戦前は治安維持法で何度か警察に捕まっている人なんです。その人が河本の一人称を使って書いたわけです。その内容も当時、ほとんど誰も確認せずにそのまま活字になっているわけですね。

ですから、張作霖爆殺が関東軍の仕業だったというのは、当時の流言飛語、それから東京裁判での田中隆吉証言、そしてこの文藝春秋告白記と称するものに基づいているといえます。







 河本大作大佐は、一九五三(昭和二十八)年に中国の太原収容所で悲惨な獄死をとげた。翌年『文藝春秋』(昭和二十九年十二月号)に「私が張作霖を殺した」という「手記」が出た。「日本犯行説」を当然のものとして疑わない多くの著者がこの「手記」を引用している。ところが、これは河本の自筆ではなく、義弟で作家の平野零児氏は「私が河本の口述を基にして筆録したもの」であると言っている(『特集文藝春秋』昭和三十一年十二月) 。「基にして」というところが、どうもひっかかる。そもそも口述録音もなく、真筆でもなく、本人の死後現れたものが手記などと言えるのだろうか。

 平野氏は著書『人間改造』を見ればわかるように、中共の収容所で強烈に洗脳され、一九五六(昭和三十一)年に帰国した人である。彼が中共で受けた「マインド・コントロール」の解けないまま、特殊目的をもった文章を書き綴ったとしても何の不思議もない。

P83
『正論』2006年5月号・瀧澤一郎『張作霖を「殺った」ロシア工作員たち』






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改めて死刑主張・光市母子殺害で検察側・法治国家の国民は自分の暴力を国家の法に預けて国家によって暴力の報復してもらう・しかし国家間においては国際法などは無力なので核攻撃には国家が報復しなければならない


改めて死刑主張 法治国家の報復と国家間の報復

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071018-00000064-jij-soci


検察側、改めて死刑主張=光市母子殺害で元少年に-差し戻し審弁論・広島高裁
10月18日12時4分配信 時事通信

 1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件で、殺人などの罪に問われている当時18歳の少年だった被告(26)の差し戻し控訴審第11回公判が18日、広島高裁(楢崎康英裁判長)であり、検察側は最終弁論で「死刑を回避するに足りる事情は見いだすことはできない」と改めて死刑判決を求めた。
 最高裁は「二審は量刑で考慮すべき事実の評価を誤った。死刑回避の十分な理由は認められない」として、無期懲役を破棄し、同高裁に差し戻した。
 検察側はそれを前提とし、「捜査段階での供述を翻して被害者を冒涜(ぼうとく)するような被告の態度は、さらに遺族を苦しめている」と指摘。「被害者の必死の抵抗を受けながら、5分間あるいはそれ以上継続して首を圧迫し続け、窒息させており、強い殺意に基づく行為は明白」と強調。その上で、被告の犯行時の年齢や家庭環境などを考慮しても、死刑は免れないとした。
 被告が殺害後に乱暴したことを「復活の儀式」と主張している点について、「被告の性的欲望の充足として行われたもので、荒唐無稽(むけい)なこじつけ」と批判した。
 弁護側は「人恋しさから被害者に抱き付いた」と殺意を否定し、傷害致死罪の適用を求めている。
――――――








人間は自然状態でいるとき、自分の身は自分で守らなければならない。

暴力に対しては、暴力によって防衛したり、暴力による報復によって抑止したり復讐したりすることになるだろう。

人間は共同体の中で法による支配を受け入れる事でより自らを生存させ易くしようと考えた。

法治国家の国民は自分の暴力を国家の法に預け、国家によって暴力の報復してもらうことにした。



一方、国家間においては国際法や国連が存在するものの、国内法の刑の執行とは異なり、強制力がなく実効性はない。

本村さんが望む犯人への報復(死刑)は実現するかもしれない。

しかし、日本が核攻撃を受けた場合には、犯人(相手国)への報復は実現しない。

日本の核武装に反対する者は、当該事件の元少年の死刑や死刑制度に反対するのと同じことといえよう。


私は常々
「日本国民の生命と財産と自由を守る核武装!」と訴えているが、核武装していない日本は非常に危険だ。

以下にkanazawa_sanetoki2004さんの素晴らしい投稿を紹介したい。









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「万死に値、命で償え」 2007/ 9/20 23:03 [ No.8385


投稿者 :
kanazawa_sanetoki2004





「万死に値、命で償え」=遺族が陳述、うつむく被告-光市母子殺害・広島高裁
9月20日17時1分配信 時事通信

 1999年4月に起きた山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が1、2審の無期懲役判決を破棄した当時18歳の少年だった被告(26)の差し戻し控訴審第10回公判は20日午後も、広島高裁(楢崎康英裁判長)で続き、会社員本村洋さん(31)ら遺族が法廷で意見陳述した。
 本村さんは5年9カ月ぶりにこの裁判で証言に立ち、差し戻し前の2審で陳述した内容を振り返りながら、「君の犯した罪は万死に値する。命をもって償わなければならない」と強い口調で被告に語り掛けた。被告はジャケット姿でうつむいて耳を傾け、陳述後に深く一礼したが、本村さんは被告と終始目を合わせなかった。



********

本村氏は法による「報復」を望んでいる。
報復を望むのは本村氏だけではありません。
殺人事件の被害者家族が極刑を望むという例は案外多いのです。
そして不肖kanazawaは本村氏を支持するのであります。

人間は自然状態でいるとき、自分の身は自分で守らなければならない。
しかしその状態では他人の暴力を管理するのは自分の責任で自分でしなければならない。
一人で多数に立ち向かわなければならない場合も考えられるがその場合生存することすら出来なくなるかもしれない。
それでは不利であると悟った人間は集団を組み、共同して自衛する事を選んだ。
その共同体は家族、集落から村、町、都市と拡大し、ついには国家になった。
共同体の中で法による支配を受け入れる事でより自らを生存させ易くしようと考えた。
国民は自分の暴力を国家の法に預け、暴力を自ら行使せず法によって代理に報復してもらう。
それが法治国家であります。

対して、国家間はどうでありましょうか?
国家の暴力を規制する国際法なる物は一応存在しますが、慣習法が元になった物であって強制力はありません。
警察が犯人を捕らえ、裁判に掛けて、刑を執行するという個人に対するそれのようにはなっていないのが現実です。
国連は安全保障機関ではなく、調停機関または親睦団体にすぎません。

もしも万が一核攻撃を受ければ、報復を望む人は何万人、何十万人、何百万人、何千万人と出現するでしょう。

国家が報復をしないのであれば、我々自身の暴力を国家から取り戻し、我々個人で自衛若しくは報復せざるを得なくなります。
相手が国家という集団である場合、それでは物凄く不利である事は論を待たないでしょう。


核には核による報復しかできません。

今、核武装しないで居る事は、「国民を守らない」「日本国は滅びよ」と政治家自身が宣言しているに他なりません。

一般国民も「核廃絶」などという出来もしないアホダラ教を信じ込んでいないで、現実に目を向けない政治屋を選挙で落選させなければなりません。









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