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3月10日は東京大空襲の日・円周上に焼夷弾を投下して東京の住民が逃げられないようにした後に、その円の内側を塗りつぶすように焼夷弾を投下・葛飾区柴又では防空壕の1日だけの見学会

3月10日未明のB-29爆撃機344機による爆撃は、40km2の円周上にナパーム製高性能焼夷弾を投下して東京の住民が逃げられないようにした後、東京市の隅田川沿岸地区を中心にその円の内側を塗りつぶすように約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下された。当夜は低気圧の通過に伴って強風がふいており、この風が以下の条件と重なり、大きな被害をもたらした。

2005年3月の『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ちなみに、以前、「NHKスペシャル」では32万発と紹介された。


現在の『ウィキペディア(Wikipedia)』では、以下のように述べられている。



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3月10日の大空襲は、日本の軍需産業が中小企業が生産拠点となっているために市街地と市民そのものを攻撃対象とし、日本軍には低高度での有効な対空火器が存在しないことに注目した故に行なわれた低高度夜間爆撃である。アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の三個航空団が投入された。

1945年3月9日から10日に日付が変わった直後に爆撃が開始された。B-29爆撃機325機(うち爆弾投下機279機)による爆撃は、午前0時7分に深川地区へ初弾が投下され、その後、城東地区にも爆撃が開始された。0時20分には浅草地区でも爆撃が開始されている。

投下された爆弾の種類は油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾などであり、投下弾量は約38万発、1,700tにのぼった。

(中略)

これら複数の要因が重なり被害が拡大。8万人以上(10万人ともいわれる)が犠牲になり、焼失家屋は約27万8千戸に及び、東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した。

このとき使用された焼夷弾は日本家屋を標的にしたものであり、ドイツがロンドンを空襲した際に不発弾として回収されたものを参考に開発された。当時の平均的な構造とは違う作りをしていた。通常、航空爆弾は瞬発または0.02~0.05秒の遅発信管を取り付けることで、爆発のエネルギーを破壊力の主軸にしている。しかしこれでは木材建築である日本家屋に対してはオーバーキルとなる。そこで爆発力ではなく、燃焼力を主体とした「焼夷弾」が開発され、これが木造を主とする日本家屋を直撃した。 また爆撃の方法も左右を先に爆撃して炎の壁をつくり、その間に避難して炎に挟まれた群集を、後続の爆撃機でその炎の壁の間を爆撃して焼き殺すという戦法が採用された。
――――――










3月10日、葛飾区柴又で、防空壕の見学会を1日だけするそうだ。





東京大空襲から62年の10日、防空壕の見学会
3月9日22時4分配信 読売新聞


 約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲から62年の10日、東京都葛飾区柴又の旧宅「山本亭」に今も残る防空壕(ごう)で、1日だけの見学会が行われる。

 山本亭はカメラ部品工場を創立した実業家・山本栄之助氏(故人)の邸宅で、現在は同区が取得して一般公開している。

 地下の防空壕は約6畳2間の広さ。床には木材、タイルが敷かれ、金庫や排気口、温度計も設置されている。

 見学会は、戦争の悲惨さを実感してもらおうと地元のボランティア団体が企画した。防空壕の見学は事前に申し込んだ人のみ可能だが、普段有料で公開されている母屋では、大戦中の話を題材にした紙芝居や空襲の解説などが午後に行われる。問い合わせは山本亭(03・3657・8577)へ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070309-00000515-yom-soci









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<東京大空襲>被害者、遺族ら国提訴12億円の賠償請求・原告が指摘する「東京大空襲が日本軍の重慶爆撃などの先行行為(原因)の結果として受けた被害」は間違い!重慶爆撃の真相と東京大空襲との明確な違い

<東京大空襲>被害者、遺族ら国提訴 12億円の賠償請求
3月9日20時21分配信 毎日新聞

 1945年3月10日、約10万人の命が失われた東京大空襲の被害者や遺族ら112人(57~88歳)が、国に1人当たり1100万円(総額約12億3200万円)の損害賠償と謝罪を求め9日、東京地裁に提訴した。原告団によると、空襲被害者の集団訴訟は初めて。
 原告は現在、東京、大阪、北海道など20都道府県に住み、弁護団は全国30都道府県の110人。訴状には、原告全員の被災や戦後の生活実態を1ページずつ盛り込んだ。
 訴状によると、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているが、空襲などの民間被害者に補償制度がないことから「法の下の平等に反する」と主張。大空襲が、日本軍の中国・重慶爆撃などの先行行為(原因)の結果として受けた被害である点からも、国に責任があると指摘している。
(以下省略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070309-00000111-mai-soci









いろいろと、疑問が多い集団訴訟だが、以下の点について説明しよう。




>大空襲が、日本軍の中国・重慶爆撃などの先行行為(原因)の結果として受けた被害である点からも、国に責任があると指摘している。





この人たちは東京大空襲と重慶爆撃の違いを全く理解していない。



―――――――
1945年3月9日から10日に日付が変わった直後、深夜の午前0時8分に初弾投下が行われた。B-29爆撃機344機による爆撃は、40km2の円周上にナパーム製高性能焼夷弾を投下して東京の住民が逃げられないようにした後、東京市の隅田川沿岸地区を中心にその円の内側を塗りつぶすように約1万2千発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下された。
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上の記述は、1年ほど前に、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用(最近は少し変更されている)。

アメリカ軍が行った空襲は、明確に、民間人を大量に殺害するための空襲だった。

一方の日本軍が行った重慶爆撃は、全然違った。


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1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
―――――――




これらの証言には「絨毯爆撃」という言葉が用いられたりしているが、我々が東京大空襲などでイメージする絨毯爆撃とは実態は違っている。

重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937-1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、犠牲者は、1939年から1943年の約5年間で1万1889人だ。
そのうち、1939年5月の2日間で3991人の犠牲者が出たが、この直接的な原因は火災であり、爆撃は間接的な原因だった。

1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実だろうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなる。




だから、支那軍が上海で行った故意にホテルやデパートを狙った爆撃や、米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や、広島・長崎への原爆投下などと同列にするのが間違いで、それは5年間で1万人強という重慶爆撃の犠牲者の少なさが証明している。



南京戦の前にも後にも提出した日本政府の和平案を蹴って重慶に逃げ込み、その重慶の市街地から対空砲火で日本軍機を攻撃したのだから仕方がないのだ。

最初から民間人密集地を狙った支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による原爆投下や東京大空襲とはまったく異なる。




重慶爆撃のまとめ

1.支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。
2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。
3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)
4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は少なかった。
5.戦争の早期終結への願望も要因としてあっただろう。










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戦争の被害・日本軍による爆撃の真相・第12章 誹謗中傷運動・『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ16

戦争の被害

 南京爆撃は、日本軍の空爆で生じた被害について想像を膨らませる機会を新聞に与える、多くの事例のうちの単なる一つに過ぎない。日本軍のパイロットは非難される点は全く無く彼らは過ちを全く犯していない、などと主張する日本人は一人もいない。だがしかし日本人は次の点に付いては確信している。即ち非軍事施設、または日本軍に対する作戦として中国軍が利用したことのないような施設を、故意に狙った日本軍のパイロットなど、戦闘の如何なる段階、如何なる場面においてもただの一人もいなかったのだ。

 中国の教育施設及びその他の文化施設を日本軍が爆撃したと報じる新聞の紙面には、多くのセンセーショナルな見出しが躍った。だが調査の結果、爆撃されたそれらの文化施設は軍事目的のために中国軍が使用していたことが判明した。次に掲げるのはこの件に関する諸々の事実の要約である。




天津

1、南海大学は7月29日の日本軍の砲撃と空爆でかなりの被害を受けた。その理由は、第29方面軍第26連隊に所属する6百名の中国軍がこの建物を占拠し、日本軍に対する軍事活動の拠点として使用していたからである。
2、南海女学校と河北中学校は7月30日の日本軍の空爆で被害を受けた。その理由は、第38方面軍の中国兵がその建物に立てこもったからである。


上海

1、同済大学と呉淞中学校が被害を受けた。その理由は、第88方面軍の中国兵がその建物を占拠し、その壁の背後から日本軍を攻撃したからである。
2、閘北地区の商業新聞社及びそれに付属する東洋図書館が被害を受けた。その理由は、先ず最初に中国の第87方面軍が、後に第25及び第10方面軍がその建物を占拠したからである。中国軍はその周囲に塹壕を掘り巡らし、防衛手段の一部として戦車を配置し、全ての窓の背後に土嚢を積み上げ、その陰から機関銃で日本軍を攻撃した。
3、交通大学が日本軍に攻撃された。その理由は、そのキャンバスを中国軍の砲兵隊が使用していたからである。
4、佳夏大学と昆華大学が攻撃された。その理由は、中国軍がキャンパスの内外に塹壕を掘り巡らし、それを軍事活動に利用したからである。退却する前に中国軍はその建物に放火して行った。
5、復旦大学、上海商業学校、準貼学校、愛国学校などが日本軍に攻撃された。その理由は、それらの施設が全て中国軍の軍事活動のために使用されていたからである。


広東

 次の諸施設は不幸にも全くの偶然によって被害を受けた。その理由は、それらが広東政府のセメント工場と空港に隣接していたからである。
1、梅花中学校
2、光亜中学校
3、夏后女子大学



 次の諸施設は攻撃された。その理由は、中国軍がそれらを占拠していたからである。

1、将軍中学校
2、中山大学
3、復但中学校



日本軍によって被害を受けた中国の文化施設は全く無い。中国軍は退却に際し、

1、純粋に科学的な目的のために日本人が設立した気象台を完全に焼き払った。
2、日中両国民の福祉のために日本人が経営していた呑堅病院を略奪し尽し、その殆どを破壊した。
3、日本人学校を略奪し尽し、その殆どを焼き払った。


山東省、青島

 中国軍は退却する前に、日本人の経営する全ての絹糸工場と錦糸工場を焼き払い破壊した。その評価額は3億円にのぼる。中国の軍と民間当局は1937年10月に、日本人がこの都市から撤退した後、それらの財産を保護すると約束しておきながらこの蛮行に及んだ。



P262-265
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ(1938年)

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