正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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「日本軍によるレイプは遺憾」=米大使、慰安婦問題で不快感・シーファーが「信じる」と明言した元慰安婦の証言は本当に信じられるのか?米下院公聴会で証言した金君子や李容洙の過去の証言の徹底検証

「日本軍によるレイプは遺憾」=米大使、慰安婦問題で不快感
3月17日 時事通信

 【ニューヨーク16日時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は16日、米国のシーファー駐日大使が先の下院公聴会に出席した元従軍慰安婦3人の証言を「信じる」と明言、3人が「日本軍によってレイプされた」ことは「遺憾で恐ろしい」と述べたと報じた。米外交当局者としては、異例の強い表現で慰安婦問題に絡み不快感を表明した形だ。







シーファーが先の下院公聴会に出席した元従軍慰安婦3人の証言を「信じる」と明言した。

日本政府が、「証言した元慰安婦は嘘を吐いている。」と主張しないから、こういうことになる。



さて、2月15日の米下院公聴会で証言した元慰安婦の証言は、シーファーが明言したように、本当に信用できるのだろうか?
食い違いや矛盾、あるいは、明らかな嘘だと判る証言はないのだろうか?


証言した3人の元慰安婦とは、韓国人の金君子(キム・クンジャ)、李容洙(イ・ヨンス)の2人とオランダ人のジャン・ラフ=オハーンだが、韓国人2人の証言を徹底検証する。








■金君子



2005/06/23, 北海道新聞

元従軍慰安婦、金君子(キムグンジャ)さん(79)。
(略)
幼いとき両親をなくした金さんは、六十数年前、日本植民地時代の韓国江原道で、養女に出された。ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。女性たちがたくさんいて、兵隊の姿も見えた。




●ある日、養父から「お使いに行っておくれ」と言われて、汽車に乗せられた。







平成17年11月「東京の高校生 平和のつどい」

私は10歳で父、14歳で母を亡くし、孤児でした。あの頃はみんなそうでしたが、大変な暮らしで、他人の家に働きに出て日銭を稼いでいましたが、16歳の時、チョロンの巡査の養女になりました。その頃、私にはボーイフレンドがいましたが、結婚できませんでした。1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。




●1942年3月、養父に「お金を稼げるところがあるから」と言われて、朝鮮人の軍人に連れて行かれました。







2006/02/26, 朝日新聞

金君子(キムグンジャ)さん(79)。「私は天涯孤独。この世に生きて、何も残すものがない」と、硬い表情で天井を見つめた。
 幼い時に両親が死んで養女に。17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。慰安所だった。




●17歳の時、家に朝鮮人2人が来た。「工場で働かせてあげる」。列車で連行されたのが旧ソ連国境近くの中国・琿春。

2006年-(79歳-17歳)=
1944年









■李容洙



1992/08/23, 朝日新聞

 「従軍慰安婦」として、強制的に旧日本軍兵士の相手をさせられた韓国人女性らの体験を聞く集会が、22日午後、四日市市内の「じばさん三重」で開かれた。
(略)
 「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む三重集会」実行委員会の主催。…(略)…李容洙(リ・ヨンス)さん(63)の「体験」を、約200人が聴き入った。
(略)
李さんはハンカチで目頭を押さえ、声を詰まらせながら証言。16歳のとき、知人から「いうことを聞いたら、ご飯も、お金ももらえる」と言われ、日本人によって、ほかの4人の韓国人女性とともに台湾へ連れて行かれた。

―――――

1992年の証言
(1992年に採録された韓国挺身隊問題協議会の証言記録)

一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。(略)……それから何日かたったある日の明け方、プンスン(引用者註・友人で「飲み屋」の子ども)が私の家の窓をたたきながら「そうっと出ておいで」と小声で言いました。私は足音をしのばせてそろそろとプンスンが言う通りに出て行きました。
 母にも何も言わないで、そのままプンスンの後について行きました。……行ってみると川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。その男の人は四十歳ちょっと前ぐらいに見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。その人は私に服の包みを渡しながら、中にワンピースと革靴が入っていると言いました。包みをそうっと開けてみると、ほんとうに赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって、幼心にどんなに嬉しかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座について行くことにしました。私を入れて娘たちが全部で五人いました。




●1944年、満16歳の秋、友人に誘われて、日本人の男の人のところへ行き、即座について行った(他の4人の韓国人女性とともに台湾へ連れて行かれた)。







1995/11/27, 中日新聞

 【愛知県】中村区稲葉地町の同朋学園稲葉地キャンパスで二十六日に開かれた私立中学・高校の合同文化祭「なごや発アジア行き マイタウンふぇすてぃばる」で、戦時中、日本軍の従軍慰安婦にさせられた韓国ソウル在住の李容洙(イ・ヨンス)さん(66)が講演、「日本政府は責任を持って謝罪と賠償を」と訴えた。

(略)

李さんの話では、十四歳の時、家族の知らぬ間に強制連行、中国の大連から台湾に軍隊と一緒に船で連れて行かれ、日本の軍人の相手をさせられた。

―――――

1996/07/17, 朝日新聞

李容洙さん(六八)と・・・の三人。「アジア文化研究会」が、教科書で取り上げられなかった歴史をじかに学ぶため招いた。
(略)
 大邱市出身の李さんは一四歳の時、旧日本軍に強制連行され、船で台湾に渡った。到着してすぐ、軍人の部屋に入るよう命令された。泣き叫んで拒むと、けり倒された。殴られ、電気を使ったごう問を受け、右の太ももを刀で切りつけられた。療養後、日本の敗戦までの四年間、慰安婦にされた。

―――――

1996/08/03, 河北新報

元慰安婦が体験を語る/岩手・千厩町
 「元軍隊慰安婦の証言を聞く東磐井集会」が1日夜、千厩町の東磐井教育会館で開かれ、第二次大戦中に強制連行されて台湾で慰安婦生活を強いられた李容洙(イ・ヨンス)さん(67)=韓国・大邱市=が体験を話した。…(略)…李さんは14歳の時、軍用船で台湾へ送られ、17歳まで兵士の相手をさせられたという。李さんは時に通訳を交え、日本語で語った。




●14歳の時、中国の大連から台湾に軍隊と一緒に軍用船で強制連行され、17歳まで兵士の相手をさせられた。







1996/08/10, 中国新聞

声荒らげ「組織的な犯罪」 大田で元従軍慰安婦招き集会 韓国の女性 日本語でも証言(島根県)

 「アジア太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ心に刻む大田集会」(世話人代表・菅原龍憲真宗遺族会事務局長)が八日夜、大田市勤労青少年ホームで開かれ、韓国・大邱市の元日本軍慰安婦、李容洙(イ・ヨンス)さん(68)が「日本政府は慰安婦の問題を民間基金(女性のためのアジア国民基金)でごまかさないで」と訴えた。
証言によると、李さんは十五歳の時に川で水遊びしていてら致され、途中さまざまなごう問を受けながら中国・大連を経て軍用船で台湾へ。「船に乗れば生きて帰れない」とおののくうち、船内で軍人に乱暴された。台湾では着物姿の女性十数人が住む三角屋根の家の毛布一枚で仕切った個室に入れられ、解放後かろうじて生きて帰郷した。




●15歳の時に川で水遊びしていてら致され、途中さまざまなごう問を受けながら中国・大連を経て軍用船で台湾へ。







2002年6月26日(水)「しんぶん赤旗」

韓国の李容洙さん(74)は、十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し、「私は歴史の生き証人として今、生きている。この法案が審議され、成立することを望む」と語りました。




●14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられた。







2004年
12・4全国同時証言集会

「消せない記憶」
日本軍「慰安婦」被害女性を招いて

京都 Kyoto

イ・ヨンス
李容珠
(Yi Yong-Su)

1928年韓国の大邱(テグ)生まれ。1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。

その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。「慰安所」では1日に何人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると電線のようなもので電流を流されたり、丸太で叩かれたりの暴行を受けた。「解放」(日本の敗戦)後、しばらくしてから韓国に戻る。

―――――


2004/12/05, 朝日新聞

戦時中に日本軍の従軍慰安婦として働かされた韓国の李容洙(イヨンス)さん(75)が4日、左京区の京都大で過酷な体験を話した。政府の責任を問うグループなどが全国10カ所で開いた「同時集会」の1会場で、約200人が聴いた。
 李さんは16歳の時に韓国・大邱から連行され、台湾などで働かされた。殴られるなどの暴行を頻繁に受けたため、今も耳鳴りがし、足に傷が残っているという。台湾への輸送船では、李さんら5人の少女が約300人の日本兵の相手を強いられたと話し、「想像してください。本当に悔しいし、悲しいし、汚らしい」と涙ながらに訴えた。




●1944年、16歳の時に韓国・大邱から「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。・・・
日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。



↑1945年に戦争が終わったのだから、1947年まで日本軍「慰安婦」を強制されたなんて絶対に有り得ない。





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謝罪外交の罪・詫びれば済むという錯覚4・「ラダ・ビノード・パール」(パル博士)?・1952年広島原爆慰霊碑『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』に慨嘆・「子孫のため誤れた歴史は書きかえよ」

原爆慰霊碑と博士の追悼詩

 (1952年)11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。
『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。

 「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」


 このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。

 このあと博士はわたくしに
「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。

(略)




子孫のため、歴史を明確に正せ

1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。

(略)


「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。

 わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。」

『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著
http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.html











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広島、長崎原爆資料館の正しい見方 2007/ 3/ 7 0:17 [ No.8067

投稿者 :
kanazawa_sanetoki2004


>に行って原爆資料館を見てきてください。

うん、キミは非常に良い事を言う。
実は俺も広島、長崎の原爆資料館には両方とも行っているんだ。
それで核武装派として益々磨きがかかってきたぞ。

あの資料館は政治的に色が付いている。
イカレ左翼の残り少なき飯の種になっているから、展示の解説をそのまま鵜呑みにしてはダメだな。

先ず、広島市の写真を見よう。
キレイサッパリ何もない等と思ってはイカンぞ。

例えば日銀広島支店だ。
爆心から360mに位置しているこの建物は現在でも健在だ。
被爆時には鎧戸を下ろしていた一階と二階はほぼ無傷だった。
つー事は人が居れば助かっただろうと言う事だ。
(三階は全焼した)
堅牢な建物の奥に居れば生残れると言う証拠だよ。

例えば平和公園のレストハウスだ。
爆心から170m離れたこの建物は当時広島県燃料統制配給組合の事務所だった。今でも現存してレストハウスになっている。
そこに勤務していた野村英三氏は被爆時に地下室に居たので助かり、84歳まで元気に長生きした。
これが何を意味するか解るか?
初期の熱線、爆風、放射線をやり過ごせば生存できる可能性は高いと言う事だ。

爆心から500m以内に居て生存した人が78人居た。
彼らは、コンクリートの建物の奥、地下室、満員電車の中に居た。
(満員電車には7人生存しているのは驚くなあ、しかしこれは殆ど偶然だろう)
例え核攻撃を受けても、コンクリートの建物の奥、地下室、地下駐車場、地下街、地下鉄の駅などに予め避難出来れば生存し得るという証明だな。
原爆なんて一つも最終兵器なんかじゃありゃしないという事を如実に語っているのがあの資料館だな。

修学旅行で行くと「語り部」という人が出てくる。事前に学校が頼むのだろう。
彼(彼女)らがそれなりに酷い目にあったのは気の毒であるが、彼(彼女)らが語るべきことは「悲惨なんですよ」という事ではない。
自分はどうやって生残ったかを語らねばならないのだよ。そこからどうすれば良いかという思考が開始されるのだ。
お涙頂戴では何の進歩も無いな。

広島、長崎原爆資料館は腐れ左翼の残り少なき飯の種であると書いた。
あの展示の解説をそのまま読んでいくと、なるほど一掬の涙を禁じ得ないよ。
人によっては衝撃的で思考停止してしまうのだろうな。
腐れ左翼は風上に置けないにしても一応日本人であるから、日本人には何が効果的であるのか重々承知だ。
しかし、外国人はそうは思わないぞ。
「すばらしく強力な兵器だ。是非装備すべきだ。」「これがあれば五月蝿い隣国を黙らせられる。」
そう考えない保障は何処にも無い。
原爆資料館のあの展示方法は、外国に向っては核兵器の価値を高め、核拡散の動機を与え、日本人に向っては核アレルギーを植えつけている元凶なんだよ。
日本を核に対して無防備状態に置いておき、西の方の某国に侵略して頂きたい、いかにも腐れ左翼らしい発想じゃないか。
資料館の展示方法は根本から変える必要がある。
「俺は(私は)こうやって生残った。原爆は確かに強力であるが、やりようによっては被害は局限できる。」
そう展示しなければ、科学的な資料にはなり得ないと思うぞ。


キミもそう言いたくて原爆資料館を見てきてくださいと書き込んだんだろ?



これは メッセージ 8058 wakayosiba さんに対する返信です











慰安婦決議案は「日米友好に有害」=ネットで謝罪実績説明-在米大使館
3月17日11時0分配信 時事通信

 【ワシントン16日時事】在米日本大使館は16日までに、下院で審議中の従軍慰安婦問題に関する超党派の対日謝罪要求決議案について、「事実関係に誤りがある。採択されれば日米の友好関係に有害となる」との日本政府の立場を示した英文の説明文をインターネットのホームページに掲載した。
 同大使館は、1993年の河野洋平官房長官(当時)談話の全文や小泉純一郎前首相が在任中に一部の元慰安婦に送った手紙などを説明文に添付し、謝罪の実績を紹介。さらに「心からおわび申し上げている」と表明した安倍晋三首相の最近の発言も載せ、「首相は河野談話を再確認している」と指摘した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070317-00000034-jij-int





↑こんなものは必要ない。

慰安婦の強制連行なんて、なかったのだから、謝罪した実績を説明するのではなく、謝罪した実績を取り消すべきなのだ。

在米日本大使館は、馬鹿だ。








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