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「関係発展の基礎拡大を」=戦犯の靖国合祀問題で支那・慰安婦問題で真実の主張を放棄している安倍は靖国神社参拝も放棄するのか?!

画像は靖国神社の桜だが、今年の画像ではない。





「関係発展の基礎拡大を」=戦犯の靖国合祀問題で中国
3月29日18時0分配信 時事通信

 【北京29日時事】中国外務省の秦剛副報道局長は29日の定例記者会見で、戦犯の靖国神社合祀(ごうし)への旧厚生省の関与が国立国会図書館の資料で判明したことについて「われわれは双方が共に努力して敏感な問題を適切に処理し、両国関係の改善と発展の基礎を絶え間なく拡大するよう希望する」と述べ、4月の温家宝首相の訪日を控え、対日関係の改善に強い意欲を示した。
 中国は小泉純一郎前首相がA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝を続けたことを強く批判してきた。合祀そのものにも批判的見解を持っていると思われるが、日本の首相らが参拝しなければ、強硬に取り上げる考えはないとみられる。特に温首相訪日を前に靖国問題に関する議論が内外で再燃することを避けたい意向だ。 

最終更新:3月29日19時0分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000122-jij-int&kz=int









慰安婦問題で外国の圧力に屈し真実を捻じ曲げ謝罪してしまった安倍首相は、靖国神社参拝問題でも支那の圧力に屈してしまうのだろうか?



2005年5月28日、安倍晋三・自民党幹事長代理の発言


「小泉総理大臣がわが国のために命をささげた人のために靖国神社をお参りするのは当然だと思うし、責務だ」
「次の総理にも、またその次の総理にもお参りをしてもらいたい。どの国も行っている慰霊の行為だ」








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靖国神社の年表・元戦犯の合祀の背景や経緯など■必見!・推奨!■
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9934017.html


A級合祀、昭和44年提示・靖国神社、厚生省と綿密協議・国会図書館が資料
合祀判断、慎重さ裏付け・全戦災死亡者合祀も検討・「合祀への政府関与明らか」
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/16952115.html


戦犯合祀は官民一体作業・大原康男・國學院大學教授「明日への選択」平成11年7月号より
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9836763.html


冨田メモの徹底検証10 : 補説1 靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9523754.html

冨田メモの徹底検証11:補説1 靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9598808.html

冨田メモの徹底検証12:補説1 靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯?
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9687233.html

A級合祀、昭和44年提示・靖国神社、厚生省と綿密協議・国会図書館が資料・合祀判断、慎重さ裏付け・全戦災死亡者合祀も検討・「合祀への政府関与明らか」・分祀など論外


画像は今年ではない





元戦犯合祀は独立後の日本国民の総意だった。

合祀の基準は、「戦争による公務死者」だった。

国立国会図書館が公表した資料集によれば、合祀する際、政府・厚生省と靖国神社が綿密に協議していた。

今頃になって、元A級戦犯を分祀しろと言う政治家や日本人は恥を知れ!










A級合祀、昭和44年提示
靖国神社、厚生省と綿密協議
国会図書館が資料

3月29日、産経新聞


 国立国会図書館は28日、靖国神社が提供した内部資料や、これまで非公開だった中曽根内閣当時の「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)の議事録など、靖国神社に関する資料集を公表した。靖国神社が昭和44年、「A級戦犯」を「合祀可」とする見解を示す文書を厚生省に提示するなど、戦後、両者が一体となり合祀を進めてきた過程が明らかになった。


 旧陸、海軍両省の業務を引き継いだ厚生省援護局と靖国神社は、「合祀基準に関する打合会」などを頻繁に開き協議。この過程で厚生省は41年2月8日、A級戦犯を含む合祀の名簿である「戦争裁判関係死没者に関する祭神名票」を靖国神社に送付した。


 これを受け44年1月31日、靖国神社社務所で開かれた会合で神社側は、厚生省との「再確認事項」として「法務死没者」の「A級(12名)」と「内地未決死没者(10名)」を「合祀可」とすることを提示した。ただ「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」とし、世論の動向を気遣っていたことをうかがわせた。

 その後、靖国神社は45年、総代会でA級戦犯の合祀を決定する。実際に合祀したのは53年10月で、その9年前に一定の結論に達していたことになる。合祀されたA級戦犯が14人となったのは、東京裁判の未決勾留中に死亡した松岡洋右元外相と海軍の永野修身元軍令部総長が「内地未決死没者」に含まれているためとみられる。

 BC級戦犯の合祀についても慎重に検討が進められたことも分かった。33年4月9日の打合会(第4回)で厚生省は「個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないよう合祀に入れてはいかが」と提案。同年9月12日の打合会(第7回)でも「全部同時に合祀することは種々困難もあることであるから、まず外地刑死者を目立たない範囲で了承してほしい」と、BC級戦犯の合祀を先に決定するよう打診した。

 36年8月15日、靖国神社は「終戦後における合祀審議の状況」の中で、A級戦犯は「保留」とし、BC級戦犯のうち外地処刑者は「合祀」、内地処刑者は「合祀予定」とした。

 資料集は「新編靖国神社問題資料集」で、A4判1200頁。資料集は非売品で、5月の連休をめどに国会図書館のHPに公開される予定。





合祀判断 慎重さ裏付け 


 国立国会図書館が公表した「新編靖国神社問題資料集」は、戦後、国(厚生省)と靖国神社が一体となって「A級戦犯」を含む戦没者、戦犯刑死者の合祀に努力してきたことを裏付けるものだ。


 靖国神社が全面的ともいえる協力で提供した内部資料は、合祀基準の形成の過程、とりわけこれまで判明していなかった戦前の合祀基準も含まれており、日本の戦没者追悼の歴史を検証する上で一級の資料といえる。

 敗戦に伴い陸、海軍両省は廃止され、靖国神社は宗教法人化された。陸海軍両省の業務を継承した厚生省援護局が、靖国神社と協力して戦没者の合祀作業を進めたのは、戦没者を認定する能力が厚生省にしかない以上、当然のことだ。厚生省が戦没者の「祭神名票」を靖国神社へ送付してはじめて、合祀が行われていた。これを知りながら「政教分離に反する」と批判する向きがあるが、戦没者合祀をやめよと言うに等しい。

 厚生省と靖国神社が戦後、綿密な協議を重ね合祀を進めた事実は、戦没者や連合国の戦争裁判によって処刑された人々への慰霊をまっとうする責任を、当時の政府が果たしていたことを意味する。



 靖国神社が「新聞報道関係の取り扱いいかんで、その国民的反響ははなはだ重要な問題として考えなければならない」(昭和33年9月12日)としたように、協議は時間をかけ慎重に進められたことがうかがわれる。ただ、今回の資料集では、なぜ53年の時点でA級戦犯の合祀に踏み切ったかその理由までは示されていない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000007-san-pol









A級戦犯合祀
終戦時多くの選択肢
全戦災死亡者合祀も検討



 国会図書館の「新編靖国神社問題資料」で、これまで詳細が分からなかった戦前、戦中の靖国神社への戦没者合祀の資格基準が明らかになった。終戦直後に陸軍省は戦没者に加え、一般国民の全戦災死亡者を合祀するよう提案したが、政府内で合意を得られなかったことも分かった。

 今回見つかった靖国神社所蔵の資料には、昭和10年代から20年に至る時期の合祀基準に関する書類が含まれている。

 19年7月18日付の陸軍省の「合祀資格審査案」は、軍人について(1)戦死、戦傷死はことごとく合祀(2)病死は内地港湾を出発後、2カ月以上勤務した者は自己の重大な過失でない限り全部合祀(3)自殺は自己の重大な過失や「破廉恥」でない者はなるべく合祀-と規定。軍属は「軍人に比しさらに厳選主義とし、死没当時の任務および状況により詮議する」とした。

 戦前の合祀基準をめぐっては、51年に国会図書館がまとめた資料集で、靖国神社の回答として「陸海軍省で一定の基準を定めていたようであるが、極秘に取り扱われていたため確実なことは分からない」と記述されていた。

 一方、終戦直後の20年8月30日、陸軍省は「靖国神社合祀に関する件」で「敵の戦闘行動により死没せる常人(戦災者、鉄道、船舶などに乗車船中遭難せるもの)」とし、空襲などで亡くなった一般国民も合祀するよう提案した。

 先の大戦で前線と後方の区別がなくなり民間人の戦災死亡者が多数にのぼったことを背景に、敗戦の時点で合祀にはさまざまな選択肢があったことを示すものだ。しかし、海軍省や宮内省が同調せず実現しなかった。



 資料集には20年8月27日の美山要蔵陸軍大佐(後に厚生省引揚援護局次長)による東条英機元首相との会見記も含まれ、東条元首相は「未合祀の戦死・戦災者、戦争終結時の自決者も合祀すべきである。これを犬死にとしてはならぬ。人心安定、人心一和の上からも必要である」と、軍人、民間人の区別をしないよう主張していた。











A級戦犯合祀で激論
「合祀への政府関与明らか」
大原康男・国学院大教授


 今回の資料集の中で最も注目すべきなのは、政府が関与した靖国神社の合祠の手続きや実施が明らかになったことだ。政府がいかに靖国神社に協力し、神社の御祭神を合祠するに至ったかを示すものだ。

 合祠のあり方については、(1)陸海軍省が靖国神社を所管していた時代 (2)陸海軍が解体して占領下で合祠が続けられていた時代 (3)占領が終わり、まだ200万人近くの人々が祭られておらず迅速に合祠しなければならなかった時代の3つに区分される。

 特に今回の資料では政府が昭和31年以降、緊密に合祠に関与していた様子がよく分かる。当時の国民世論を受け、政府が200万人の未合祠者に対し合祠を進めた背景も見ずに「憲法の政教分離の観点から問題がある」というだけの見方をする人もいるだろうが、一方的議論である。この時代の国民の心意に目配りして読んでほしい。

 また、中曽根内閣下で非公開だった「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の議事概要が明らかになったことの意味も大きい。こうした政府の新しい資料が公開されたことで、靖国神社の議論がより精密に深まってほしい。












厚生省と神社 協議の経緯


昭和32・10・2 靖国神社調査部の合祀資格審査参考資料に「今後詮議を要するもの」として「戦犯関係」が挙がる

33・4・9 合祀基準に関する厚生省と神社側の打ち合わせ会で、厚生省側が「戦犯者B級以下で個別審議して差支へない程度でしかも目立たないよう合祀に入れては如何」と説明

6・20 「将来靖国神社に合祀すべきか否かを決定すべき者」として「所謂戦犯者として刑死し又は拘禁中自決又は病死したるもの」を挙げる

6・24 打ち合わせ会で厚生省側が「全部を同時に合祀の審議を行ふことも諸種の事情で適切でないことも考慮され(中略)先づ外地で死亡した者の合祀を行ひ次に内地関係を審議することにしては如何か」と指摘

9.12 打ち合わせ会で戦犯関係が議題に。「人違ひされて処刑された者が200名位ある」と報告

34・3・10 厚生省が靖国神社に「日本国との平和条約第11条関係合祀予定者の祭神名票」(364枚)を送付

4・4 一部のBC級戦犯合祀を受け、厚生省が「重大な誤解を生じ、ひいては将来の合祀にも支障を起す恐れもある」と憂慮、「この際今次合祀者中に標記死没者が含まれていることを公表せず、世論と共に極めて自然に推移するよう希望しております」と指摘

36・8・15 靖国神社が「終戦後における合祀審議の状況」の中で、A級は「保留」と明記、BC級のうち、外地処刑者は「合祀」、内地処刑者は「合祀予定」と記す

8・25 合祀関係研究会の記録で「A級及びBC級で調査中又は反証上不適当なものを除き全部合祀する」

39・5・11 靖国神社が「合祀を保留されてゐるもの」として「平和条約第11条に依る法務死者 a、A級 b、B、C級で同一の罪で軍法会議でも処断されてゐるもの」などと記述

40・12・9 合祀事務に関する打ち合わせ会記録で「更に保留となる項目」として、「A級及び一般刑受刑者」を挙げる

41・2・8 旧厚生省が靖国神社に、A級戦犯を含む「戦争裁判関係死没者に関する祭神名票」を送付

42・5・9 靖国神社の「合祀に関する検討資料」で「A級(刑死7名 獄死5名)総代会に付議決定すること」と記述

44・1・31 厚生省課長らと靖国神社側の会合での「合祀に関する検討資料」で、再確認事項として「(イ)A級(12名) (ロ)内地未決死没者(10名) 合祀可」と記述。「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」と注記

45・2・10 靖国神社の「合祀事務に関する検討」で、「保留名票」に触れ、「A級、内地未決」について「保留扱」「合祀扱ひとするときは両者同時扱ひを至当とする」と記述

6・25 厚生省と靖国神社が検討資料の中で、A級合祀について「諸情勢を勘案保留とする」

53年10月 A級戦犯14人を合祀

日清戦争後の三国干渉で満州は露西亜の1州となった・『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著1

旧満州の皇宮が姿を現す―吉林省長春市
3月28日16時40分配信 Record China

2007年3月27日、吉林省長春市で、過去最大規模のマンション解体工事が行われた。246kgの火薬を仕掛け、わずか5秒で4棟の建物が姿を消した。建築面積は約1万8000平方メートル、231世帯の住民が暮らしていた。

現場は旧満州国の皇宮を保存した偽満洲皇宮博物院の正門、莱薫門(らいくんもん)からわずか40mのところにある。莱薫門は愛新覚羅溥儀と関東軍司令官の出入り専用に使われていた門といわれ、これまで隠れていた皇宮が急に姿を現した形だ。解体後は旧満州国皇宮の第3期保護工事のため、緑地・駐車場として使用されるという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070328-00000018-rcdc-cn











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だが英国は、1895年の春に日本の旅順港領有を恐れなかったとすれば、極東におけるロシアの膨張の恐怖のために取り乱しもしなかった。
もし英国が三国干渉の次に来たものを予見していたならば、英国は確かに、日本に譲歩を勧告しはしなかったであろうし、また3国同盟に抗して日本を支持することを怠りもしなかったであろう。

だが、ロシアは極東において余りにも永く沈黙を続けていたし、また1861年及び1884年におけるロシアの前進の企図は余りにも容易く阻止されたので、日清戦争後のロシア政策の急速な発展に対しては何の用意もしていなかったのであった。


1895年の秋に至って漸く英国の消息通の間に、三国干渉及び満州におけるロシアの計画の真の重要性が認識されてきたという有様であった。

今度こそ『遠方の支那領土の小さな一角』に関心を持つのは英国の番であった。日本は大強国の1つに数えられなかったが、しかしロシアはそうであり――しかも英国海軍も英国資本も支配するを得ない強国であった――、極東問題は突如として湧き起こり、その重大性は直ちに認識された。

ロシアは

――と10月25日のタイムズは、その香港特派員の情報に註釈を加えて書いた――
『現存の勢力均衡を、類例なき大胆不敵さを以て破壊し去らんとする1企図を、極東に利害を有する他の諸強国が拱手傍観するとはよもや想像し得ないだろう。・・・・・旅順港に幡距する露国艦隊と、同港をシベリア幹線に結びつける鉄道とによって、満州は殆どロシアの1州となり、支那の資本はロシアの支配下に置かれ、そして支那に何らかの利害を有する全ての国は、その地位及び商業的利益が現在保障されているところの諸関係の根本的変更をなさざるを得ないであろうことは明らかである』。

P80
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)
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つまり、日清戦争後の三国干渉によって、満州は清国のものではなくなり、殆どロシアのものとなってしまったということである。



これより34年前の1861年、ロシアは対馬の占領を企て軍艦を停泊させた「対馬事件」(露艦対馬滞泊事件)を起こすなど、ロシアの南下政策は日本の脅威となっていた。


1895年、日清戦争で日本が遼東半島を讓受けると、ロシアは「三国干渉」を行なった。

三国干渉によって日本は清国に遼東半島を返還することになったが、結局、ドイツが膠州湾や青島を、イギリスは威海衛と九龍を、フランスは広州湾を勢力圏にし、ロシアに至っては何と日本に返還させた遼東半島の旅順・大連を自分のものにしてしまった。

ロシアは、日本が清国に遼東半島を返還すると、1897年9月清と秘密条約を結び、満州横断鉄道の敷設権を獲得、さらに翌1898年、遼東半島を25年間租借し、大連とハルビンを結ぶ東清鉄道の敷設権を獲得し、旅順・大連がロシアのものとなった。


清国はヤクザにモノを頼んだのと同じで、列強から「落とし前」を付けさせられたのだ。
このことは、当然日本にとっても痛かった。

日本は遼東半島をロシアなど3国によって返還させられたのだが、結局、ロシアはそれを奪い、更に朝鮮にまで勢力を伸ばして日本に迫って来た。

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