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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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冨田メモの徹底検証7:徳川元侍従長の虚言、靖国神社の合祀の経緯。最重要部分は、徳川義寛の発言だった!?

■冨田メモの徹底検証

http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_第7章_徳川元侍従長の虚言?



第7章 徳川元侍従長の虚言?

(3)靖国神社の祭神合祀

 徳川元侍従長は、元「A級戦犯」合祀に関して、ウソを言っていた可能性がある。その検討のために、まず靖国神社の祭神合祀の仕組みと経緯をみておきたい。


 戦後、靖国神社に合祀される人の基準は、法律に根拠がある。国会が制定した戦没者遺族援護法及び恩給法とその関連法が、関係法である。国会は、昭和28年8月、いわゆる戦争犯罪人は国内法的には犯罪者ではなく、法務死者とみなすことを決議した。 それによって、国は、元戦犯の遺族にも年金を支払うなどを行ってきた。行政府は、立法府がつくった法律に基づいて、行政事務を行なう。管轄官庁は、厚生省(現厚生労働省)だった。
 厚生省は、日本遺族会からの「戦没者靖国合祀」の要望によって、戦没者の靖国神社への合祀に協力する事業を行なった。この事業は、合祀事務協力事業と呼ばれる。担当部局は、引揚援護局(当時)だった。
 厚生省引揚援護局は、戦傷病者戦没者遺族等援護法と恩給法の適用を受ける戦没者の名簿を作成し、その名簿を靖国神社に提出した。昭和31年から46年まで、名簿提出が続けられた。
 この名簿は、引揚援護局の課長名による通知として送られた。その通知が「祭神名票」と呼ばれる。

 靖国神社は「祭神名票」をもとに、その年に合祀する人々の名簿を作成する。それが「霊璽簿(れいじぼ)」である。この作成の際、もう一つ「上奏簿」を作成する。一定の書式に則って奉書に墨で清書し、絹の表紙でとじたものだという。上奏簿とは、天皇に上奏するための名簿である。
 靖国神社は戦前も戦後も、毎年合祀の前には必ず上奏簿を作成して、上奏簿を宮内庁にお届けし、天皇に上奏してきたという。戦前は、祭神の合祀は天皇の裁可を受けた。戦後も、上奏が慣例として行われた。

 「祭神名票」は、国会が制定した法律を基準として行政当局が合祀されるべき人を選定し、書面として作成したものである。靖国神社は「祭神名票」を受け、それをもとに合祀者の名簿を作る。靖国神社は、「祭神名票」に載っていない人を、独自に合祀するのではない。

 昭和41年、厚生省から靖国神社に祭神名票が提出された。その中に、14柱の元「A級戦犯」の名前が含まれていた。そもそも祭神名票の提出は、事務次官らの承諾を得ずに行われ、元軍人が多かった援護局の独断だったという説がある。しかし、援護局の課長名で出だされた通知は公式文書であり、民間団体は国からの通知として受理する。
 こういう事務に何か問題があれば、厚生省で業務の改善がされるなり、国会で法律が改正されるなりしたはずである。実際には、31年からずっと同じように通知が出されていた。41年の通知も同様にされた。

 祭神名票を受けた靖国神社は、元「A級戦犯」の合祀をすぐ行なわなかった。筑波慶麿宮司は、靖国神社の最高意思決定機関である崇敬者総代会に何度か諮った。そして、協議の結果、数年後に総代会で合祀が決定された。機関決定である。
 決定の時期は、昭和45年6月30日である。46年2月という説、46年6月30日という説があり、徳川元侍従長も45年と言ったり46年と言ったりしている。
 合祀の時期については、宮司預かりとすることが、やはり総代で決定されたという。当時、国会では昭和44年から靖国神社国家護持法案が繰り返し提出されて審議されており、合祀の保留は、こうした国会の動向を見ていたものという説がある。同法案は49年に廃案となった。

 総代会で早期に合祀の実現を求める推進派の中心は、元「A級戦犯」で東条内閣の大東亜相だった青木一男氏や、同じく蔵相だった賀屋興宣氏らだったという。一方、崇敬者のなかには、元「A級戦犯」の合祀は、国家護持が実現してからという意見もあった。宮司の諮問機関である祭祀制度調査会は、その意見で固まっていた。その中心は、戦後の神社界の理論的支柱だった葦津珍彦氏だった。

 筑波宮司の在任中には、合祀は実行されなかった。筑波は、「合祀は自分が生きている間は恐らく無理だろう」とか「宮内庁の関係もある」などと言っていたと伝えられる。
 筑波宮司は、昭和53年3月に急逝した。その後、7月1日に松平永芳氏が宮司に就任した。宮司の選任は、総代会に権限がある。

 松平宮司は就任後、元「A級戦犯」の合祀は「時期は宮司預かり」となっていることを知り、実行を考えた。総代会は、元「A級戦犯」の合祀を行なうことを再度確認した。そのうえで、この昭和53年の年に、元「A級戦犯」の合祀が進められた。松平の独断ではない。(註)





・詳しい経緯は、補説1「靖国問題と元『A級戦犯』合祀の経緯」をご参照のこと


http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_補説1_靖国問題と元「A級戦犯」合祀の経緯

南京虐殺は嘘43 驚くべき出鱈目裁判3 南京軍事法廷 (無実の4人を3百人斬りの罪などで処刑)

東京裁判に先立って行われた南京軍事法廷では、4人の元日本軍将校が死刑の判決を受け、銃殺刑に処された。

果たして、その中身はどうだったのか?!





虚報・冤罪「百人斬り」「三百人斬り」(判決)

【判決文】
事実
田中軍吉ハ京城西南郊外一帶ニ於テ宝刀「助廣」ヲ使用シテ俘虜及非戰闘員計三百餘名ヲ連続的ニ斬殺シタリ。




3百人斬り!?
ヽ(。_゜)ノ
まさに、「でっち上げ」。
今どき、漫画でもこんなことにはならない。


更に、



向井敏明及野田巖ハ、紫金山麓ニ於テ殺人ノ多寡ヲ以テ娯楽トシテ競争シ、各々刺刀ヲ以テ老幼ヲ問ハズ之ヲ見レバ之ヲ斬殺シ其ノ結果野田巖ハ百五名、向井敏明ハ百六名ヲ斬殺シ勝ヲ制セリ。


105人斬りと106人斬りかよ?・・・
オイ、オイ。



もともと「百人斬り」というのは、「野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた」と記事にあったように、敵兵を斬るという内容の虚偽(宣伝)報道だった。
したがって、仮に虚偽(宣伝)報道ではなく事実報道だったとしても、犯罪にすることは理解に苦しむ。


――――――――
1937年(昭和12年)11月30日朝刊

百人斬り競争!両少尉、早くも八十人

[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発]
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

向井少尉
この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ

野田少尉
僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ
――――――――





そして、東京裁判の前に南京で行われたデタラメ裁判で銃殺刑にされたもう一人の犠牲者は谷寿夫中将だったが、これもまた酷いデタラメ裁判だった。


申 弁 書
民国三十六年 (昭和二十二年、1947年) 一月十五日
南京戦犯拘留所 被告 谷 寿夫
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/tani-sinbensho.html#20
(一部抜粋)

残存者皆無にして我師団は空家に宿営せり。

 従って我将兵により迫害を受くる対象となる住民は皆無なりき。

(略)

而して被告部隊の宿営地付近に人ありとするも、夫れは空家狙ひの野盗若しくは乞食の類の出没するのみなり。
 故に被告の部隊駐留期間に、該区域に殺人事件生起する筈なし。

 況んや婦女子の強盗事件の如きはあり得べからず。





以上が東京裁判に先立って行われた南京軍事法廷で銃殺刑に処された4人である。

実際には、300人斬りの田中軍吉大尉、100人斬りの向井敏明少尉と野田巖少尉、そして、部隊が市民の居ない場所に宿営していた谷寿夫中将の4人は、全員が無実だった。

このようなデタラメ裁判で死刑にされた4名の無念は如何ばかりであっただろうか・・・

(黙祷)

「東京直撃」死者50万人 負傷500万人 対策次第で被害縮小 【核攻撃シミュレーション】....日本は核武装が必要だが、せめて核シェルターを!

―――――――
【安全保障新時代 第12部 眼前の危機】
2006/12/15, 産経新聞



長崎級 核攻撃シミュレーション

◆札幌医大・高田純教授予測

「東京直撃」死者50万人 負傷500万人 対策次第で被害縮小



 1200万人を超える人口を抱える大都市東京が、昭和20年に長崎に投下された原子爆弾とほぼ同じ威力の核攻撃に見舞われた場合、死者は約50万人に達し、300万~500万人の負傷者が出る-とのシミュレーション結果が明らかになった。札幌医科大学の高田純教授(放射線防護学)が、今年開発した「核爆発被害予測計算方式」(NEDIPS)によって予測したもので、核攻撃による東京の被害に関する本格的なシミュレーションの公開は初めて。北朝鮮が核実験を強行するなか、核攻撃に対する国民防護態勢の整備や政府、国民の意識向上を目指した研究だ。
 人々が忙しく働く、いつもと変わりない平日の昼間、悲劇は起きた。
 東京ドームがある水道橋。弾道ミサイルが飛来し、上空600メートルのところで20キロトン(TNT火薬2万トン相当)の核が強烈な閃光(せんこう)を放って爆発したのだ。
 爆発の火球は直径200~300メートルに膨れ上がり、瞬間温度は100万度にまで達した。熱線が四方八方に放たれ、核爆発直下のゼロ地点(グラウンド・ゼロ)近くでは、ガンマ線や中性子の初期核放射線が降り注ぐ。続いて、想像を絶する破壊力をもつ衝撃波(爆風)が音よりも速く遠方へ広がっていく。ピカッと光ったら、爆発音よりも先に熱線と衝撃波が襲いかかる。
 現代の高層建築は耐震設計ではある。だが、コンクリートは薄く、核攻撃には脆弱(ぜいじゃく)だ。外壁は吹き飛び、ガラスが砕け散る。場所によっては、超高層も含めビルは丸ごと倒れ、途中からボキッと折れるものもある。東京タワーは倒壊する。爆心地点に近いところでは上からの衝撃波で、9・11(米中枢同時テロ)の世界貿易センターのツインタワーのように崩れ落ちていく。
 ゼロ地点から2キロ圏内は99%、2~4キロ圏内は88%の建物が再利用不能のがれきの山となる。熱線を浴びたモノは発火し、2・2キロ圏内は全焼する。
 水道橋から2キロ圏内の昼間人口は70万人、4キロ圏内は230万人だが、そこにいる人々がとりわけ大きな被害を受ける。衝撃波で吹き飛ばされ、モノに激突して亡くなる人。熱線で蒸発したり、火災に巻き込まれる者もいる。初期核放射線で放射線障害を受け死亡するのも2キロ圏内の人だ。
 全体では、核攻撃当日または数カ月以内の死者は50万人、負傷者は300万~500万人。想像を絶する数だ。
 特に2キロ圏内の死者数は約40万人に達する。昼間人口70万人のうち当日の死者は約20万人で、残る50万人は、ほぼ全員が重傷または重体となるが、このうち約20万人が後日死亡してしまう。生き残ったのは地下街や堅固な建物にいた「運の良い」人々だ。
 国の政治、経済の中枢も消滅する。皇居や首相官邸、国会、市ケ谷の防衛庁、霞が関の官庁群、そして報道機関を含む数多くの企業…。人的にも、コンピューターや通信網などの機能も壊滅する。経済、文化的損失も計り知れない。

 □ □ □

 北朝鮮は20キロトン規模のプルトニウム型原爆の開発を目指しているとみられている。長崎に投下されたプルトニウム型原爆は推定22キロトンで、昭和20年末までに7万4000人の命を奪った。広島への濃縮ウラン型原爆は推定15キロトン。同年末までに14万人が死亡した。
 今回のシミュレーションでは東京の地形と人口密度の高さなどにより、広島、長崎以上の被害が出た。高田教授は「ゼロ地点の場所や爆発の高度、昼か夜か、核兵器の威力、防護態勢によって被害は増減する」と説明する。そして「北朝鮮や核保有国は核兵器の威力を知っている。日本人だけが被害予測を知らなくていいのか。それなしに対策はとれないし、核兵器廃絶の熱意も持続しない」と、国民が被害予測を知る重要性を訴える。
 高田教授は来春、詳細なシミュレーションと防護策の提言を出版(中公新書)する予定で「国民への警報、地下への退避、自衛隊病院に(核汚染の)除染棟を建設するなどの対策をとれば、今回の例でも死亡者50万人のうち27万人は救える。政府は自然災害へ備える熱意を、核爆発被害の対策と研究にも振り向けるべきだ」と強調する。
 戦後60年余り、平和を享受してきた日本。北朝鮮の核はもとより、中露両国の核を搭載した弾道ミサイルも日本を見据えている。21世紀の日本が広島、長崎に続く「第3の悲劇」に襲われることはない、と断言できるだろうか。シミュレーションが投げかける問題は限りなく重い。
(榊原智)

    ◇

 北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議が18日から北京で再開される。その間にも核開発は着々と進められ、外交交渉の行方いかんにかかわらず、備えの手だけは緩めてはならない。北朝鮮の核攻撃の脅威という「眼前の危機」を考える。
――――――――





一方、『SAPIO』2006年11月22日号で兵頭二十八氏も、東京都心で、広島と同じ15kt原爆が高度600メートルで炸裂した場合の被害予測をしている。


――――――――
 地表から反射してくる衝撃波と、上から下に向かう衝撃波の合力が、水平方向に最大に遠達してくれる爆発高度というものは、計算上決まるもので、それより高くなっても、低くなっても、核爆発が与える被害半径は著減してしまう。仮に(北が中国に通告したとおり)4ktの核弾頭ならで外国の首都を攻撃しようとするなら、その弾頭は、地表から百数十m上空で正確に爆発させなければならないだろう。

 (略)

 現在の大都市には、高さ二百数十mの超高層ビルすらあり、中層マンションでも数十mの高さがある。これらは全て耐震建築基準を満たしており、横からのG(加速度)には特に強い。つまり、高度200m以下という低い高度での核爆発の衝撃波や熱線は、ビル陰のために、水平方向に有効に遠達することを妨げられてしまう。かといって出力が1ktとか4ktしかないのに広島・長崎並みに高度600mで起爆させたら、半径数kmのビルの窓を割り、半径数百mの可燃物に火をつけるだけに終わるかもしれない。

 (略)   

 今日の不燃化、耐震化された鉄筋ビル群からなる東京都心で、もしも北朝鮮の4kt原爆ではなく、広島と同じ15kt原爆が高度600メートルで炸裂したとしても、おそらく死者は1万人超えないということは、「相場値」として断言できる。広島の被害の4分の3は火災であった。家屋が不燃でも耐震でもなかったことと、消化栓の水圧がゼロになり消防署も同時に壊滅した事で、もたらされているが、これらの条件は今日の日本の大都市には該当しない。

『SAPIO』2006年11月22日号 兵頭二十八(寄稿)

――――――――





高田純教授の試算と兵頭二十八氏の試算ではかなりの差異があるが、いずれにせよ、備えの手だけは緩めてはならない。


日本が核武装して敵に核ミサイルを撃たせないのが一番良いが、時間がかかるなら核シェルターを建設するべき!



核シェルターとMD。MDは役に立たないが、核シェルターは大いに有効。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4542490.html

核シェルターの有効性と必要性。地下なら爆心地でも生き残れる。コンクリートの壁だけでも生存可能。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4620686.html

核シェルターの有効性、地下に居るだけで生き延びる。スイスやスウェーデンやフィンランドでは全国民のための核シェルター有り。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4552978.html

生活圏に核シェルターを実現すべき ■地下鉄や小中学校を避難施設に 【正論】菊竹清訓
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5024253.html

嘉手納基地/核シェルター/米軍の為
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3550777.html

北次第で限定支援:外務省首脳――ハァ? また騙されるのか?!?.....来週核実験実施の可能性も、北朝鮮―─韓国国防相

6カ国協議 北次第で限定支援 外務省首脳が見通し
2006/12/16, 産経新聞

 外務省首脳は15日、今後の6カ国協議で北朝鮮の核問題が具体的に進展した場合の対応について「日本としてゼロ回答というわけにはいかない。人道的な支援くらいはあり得る」と述べた。

 麻生太郎外相は14日の参院外交防衛委員会で「話がついて負担金の奉加帳を回されても(拉致問題で進展がなければ)日本は応じる気はない」と答弁したが、外務省首脳発言は核問題での北朝鮮の対応次第では限定的な援助はあり得るとの見通しを示したものだ。

 一方、安倍晋三首相は15日夜、官邸で記者団に対し6カ国協議について「すべての核兵器、既存の核計画の廃棄に向けて、北朝鮮が具体的にどのようなことを行うかを示すことが重要だ」と重ねて表明した。






>麻生太郎外相は14日の参院外交防衛委員会で「話がついて負担金の奉加帳を回されても(拉致問題で進展がなければ)日本は応じる気はない」と答弁したが、外務省首脳発言は核問題での北朝鮮の対応次第では限定的な援助はあり得るとの見通しを示したものだ。



ハァ?
また騙されるのか?!


この外務省首脳は馬鹿ですか?!
何故、拉致問題も完全に解決するまで、ゼロ回答を貫けないのか?!


北朝鮮は核開発を始めたり核実験を行なったりする度に援助を得られて羨ましい。
やはり、核開発や核実験をすると得をするんだね。
日本も北朝鮮を見習うべきだね。


日本やアメリカが同じ過ちを繰り返しているうちに北朝鮮の核開発・ミサイル開発は着々と進歩していく。

いい加減にしろ!



――――――――



一方の北朝鮮は、来週、また核実験を行なう可能性があるようだ。




北朝鮮の再度の核実験を警告、6者協議再開に合わせ
2006.12.15
Web posted at: 17:28 JST
- CNN/REUTERS

ソウル――12月18日に1年余ぶりに再開される朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題をめぐる6者協議で、韓国の金章洙国防相は15日、北朝鮮が協議に合わせ、2回目、3回目の核実験もしくは威力行動に出る可能性があると警告した。聯合ニュースが報じた。


韓国軍の司令官、将校あての書簡で表明した。軍は北朝鮮のこれらの挑発的な行動の可能性に準備しなければならないと呼び掛けている。韓国国防相の報道官は聯合ニュースの報道内容を確認、正しいものだと述べた。


北朝鮮は過去に、外交交渉を進めている際、威嚇行動に出た例がある。北朝鮮は今年10月、6者協議の停滞を受け、初の核実験の実施を発表している。同7月には日本海へ向け、複数の弾道ミサイルを試射している。


http://cnn.co.jp/world/CNN200612150026.html

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