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【核の空白】(上)・ウラン濃縮に10年・製造業の誇り今こそ・日本の遠心分離機開発の歴史

今日も、産経新聞の一面トップは日本の核開発絡み

昨日の「国産小型核弾頭の試作の政府内部調査」と同じ編集委員が書いた記事だった。




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【核の空白】(上)

ウラン濃縮に10年

製造業の誇り今こそ



2006/12/26, 産経新聞


 製造大国日本は「潜在核保有技術国」と外からはみられているが、実際には核開発能力が欠如している(25日付本紙)。なぜか。追跡すると、政官民学、また業界内部の無責任体制が浮かび上がる。

「核の空白」はウラン濃縮事業だけでも10年以上の間に及ぶ。

 原発用と核兵器原料の濃縮ウランをつくる遠心分離機は世界情勢を左右する戦略技術である。

国連制裁決議に対してイランは「遠心分離機3000基を稼働させる」と息巻く。パキスタンは稼働中だし、北朝鮮も部品集めに躍起となっている。ロシアと欧州は覇を競い、米国は技術拡散に神経をとがらせる。

 金属研磨加工、超高速電磁モーター、超精密軸受け、複合炭素繊維と、世界最高のものづくり技術国日本にとってはたやすい、とだれもが思った。だが結果は無残だった。

 下北半島の日本原燃六ケ所ウラン濃縮工場。屋根にゴーッと霰(あられ)が降り注ぐ。だが広大な建物の中は静寂。厳重な防護壁のせいではない。一万数千基の超高速の大型遠心機は機能停止。それを複数台ずつ収容した収納筒はさながら棺おけ、工場の大半は世界で一番高価で巨大な墓場と化していた。

 遠心分離機の開発に1970年代以来、国費は90年代後半までに4000億円投じられ、電力業界は六ケ所村にさらに2500億円費やした。

 機械群はユニットの150トンずつ、まるでのろわれたようにバタバタと倒れてゆく。11月下旬には300トン(当初計画は1500トン)の能力まで落ちた。

 重い口をやっと開いた関係者たちの証言は衝撃的だった。

 1990年代初め、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)は、岡山県人形峠で金属胴タイプと複合炭素繊維胴による遠心分離機を2つのメーカーグループと共同で開発していた。動燃は金属胴を日立製作所、東芝、三菱重工業の重電3社による「ウラン濃縮機器(UEM)」と、炭素繊維胴を住友電気工業と石川島播磨重工業の「日本複合材料(NCM)」と共同で開発してきた。

 92年、原子力委員会濃縮懇談会は「新素材機の開発のメドが立った」と結論づけたが、電力業界はとりあえず金属胴タイプを採用、同年に工場を着工した。動燃・NCM連合は細々ながら新素材高性能機の開発を続行、96、97年度には「高い信頼性が実証された」(「動燃30年史」)。

 そのときUEM製の金属胴遠心機は「根詰まり」を起こし、トラブル続き。新素材機への入れ替えが検討されたが、重電3社が猛烈に巻き返す。電力業界は学者グループの推薦もあって93年から3社が提案した別の新素材機「高度化機」の開発を資金支援していた。NCMが入る余地はなく、「捨て子にされた」とNCM首脳はパートナーをフランスに求めた。

 2000年に入ると逆転する。高度化機には遠心機底板がひび割れを起こす重大事故が発生、2000年度、日本原燃と電力業界は重電3社にとうとう引導を渡した。

原燃はNCMタイプの採用を決め、現在この新素材高性能機を2010年から本格導入し、六ケ所工場を再生する計画だ。

 新素材機の開発に取り組んできた技術者たちは「空白の10年」と呼ぶ。92年に開発のメドが立って以来、日の目をみるまでに約10年かかったからだ。

 政府や電力業界関係者は、「いや、新型機は世界最先端になるはず」と、新鋭機の2010年の導入に期待を込める。成功すれば、日本は遅れを一挙に取り戻し、遠心分離技術で確かに世界の先頭に立てるだろうが、条件がある。


 失敗からどのような教訓を学んだのか。国と民間、電力とメーカーのもたれあい体質、メーカー間の競争なきすみ分け。構造問題はあるが、そればかりではない。
その昔、東芝の土光敏夫会長(故人)は、遠心分離機の開発に使命感を持ち、国や電力が予算をつけないときに東芝のタービン設計室を新素材遠心分離機用として、ライバル社の技術者に提供した。日本の製造業の誇りにかけて、公共の利益に貢献するという土光精神を今こそ思い起こすときだろう。(編集委員 田村秀男)
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うーん。
昨日と今日の1面トップを日本の核開発絡みの記事で担当した田村秀男編集委員の言いたいことが少し見えてきたような気がする。

要するに、「今までの日本の核開発は、全然なってない!」、「もっとしっかり気合入れて核開発をしろ!」と何気に言っているような気がするのだが・・・

今日のこの記事が(上)ということは、間違いなく(下)があるだろうし、もしかしたら(中)もあるかもしれない。

それを読んで田村秀男編集委員が何を言いたいのか見極めたい。

靖国神社・遊就館変更概要・「米に戦争意図」の裏付け史料展示へ

これ、ナイス!



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靖国・遊就館変更概要 「米に戦争意図」 裏付け史料展示へ
2006/12/26, 産経新聞


 靖国神社の戦史博物館「遊就館」の展示内容に米国から批判が出ていた問題で、来年1月からの展示内容変更の概要が25日分かった。国内からも疑問の声が出ていた、ルーズベルト大統領が経済復興のために日本に開戦を強要した-との内容は削除されたが、米国に戦争意図があったことを示すスチムソン陸軍長官の日記を展示に加えるなど、日本の立場を主張する基本方針は変わっていない。

  ◇

 最も大幅に変更されるのは、日米開戦の経緯をめぐる「ルーズベルトの大戦略」と題したパネル。「ルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」との記述が削除され、全面的に書き直される。

 現在の記述をめぐっては、米国のシーファー駐日大使、アーミテージ元国務副長官、ハイド下院外交委員長が批判したほか、国内の保守派知識人からも「経済的理由に絞るのは不正確だ」との指摘が出ていた。

 ルーズベルトをめぐるパネルが「ヒトラーの膨張政策」「スターリンの赤化政策」と並べて展示されていたレイアウトも改められる。



 一方で、新たに「ハル4原則」「ハルノート」「スチムソン日記」の英文と和訳、「開戦の詔書」の英訳が展示される。

 スチムソン日記は、ハルノート通告直前に米首脳部が「問題は、われわれ自身が過大な危険にさらされないで最初の一発を撃たせるよう日本をいかに誘導していくべきかということにあった」と認識。ハルノート通告後、ハル国務長官がスチムソンに「私はそれから手を引いた。今は君とノックス(海軍長官)の手中にある」と語ったことを明らかにし、日本を挑発して戦争を行う意図が米国にあったことを示す史料となっている。



 このほか「日露戦争から満州事変」「満州の歴史」「支那事変」のコーナーの記述も一部が修正される。


 関係者によると、展示の見直しは「基本方針は変えない。解釈を加えず適切な史料を示すことによって来館者に判断してもらう」との方針で行われた。


 遊就館は26日から31日まで臨時休館して展示を入れ替え、1月1日から新しい展示を公開する。

  ◇



 靖国神社展示課の話「展示の見直しは来年の開館5周年に向けて今年春から行ってきたもので、外部の意思ではない。ご祭神の慰霊顕彰という遊就館の目的に沿い、客観的史料に基づき分かりやすい記述に努めた」

 展示を監修した永江太郎・元防衛庁防衛研究所主任研究官の話「誤解を与える表現があればこれからも修正したい。『史料をもって語らしめる』が基本姿勢で、親米とか反米という特定の史観ありきではない」
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「推測」や「解釈」を削除して、「動かぬ証拠」を新たに展示するとのこと。

この方が、断然、イイ!!

ナイス!




米国から批判が出ていたルーズベルトについての問題の詳細は、
↓こちら

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8550002.html

南京虐殺は嘘52・朝日新聞の日記捏造事件2・都城23連隊「宇和田日記」の改竄と土産写真の悪用?


「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」(上)
この満州の土産物写真を朝日新聞は、南京大虐殺の証拠写真だと報道した。




朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件について、秦郁彦は著書で「宇和田日記」(日記帳)の現物写真を引用して、以下のように記している。



「なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが、都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋山正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う」
『昭和史の謎を追う(下)』




アホか?!

上記の著書にある「宇和田日記の現物写真」というのは、日記の外観だけであり、『筆跡』の判らない写真である。
秦郁彦は宇和田日記の現物の【虐殺風景を書きとどめたページ】を見ていない。
朝日新聞など日記捏造関係者以外は、誰も【虐殺風景を書きとどめたページの『筆跡』】を見ていない。
なぜならば、そのページの『筆跡』を見れば、この日記捏造事件の全てが明白になるから。



秦郁彦という奴は、嘘証言を簡単に信じる傾向がある。
未亡人をもたぶらかして日記を捏造する朝日新聞が、1人のインチキ証言者を仕立て上げるくらいは御茶の子さいさい。
天下の朝日新聞を舐めてはいけない。
結局、「虐殺があった」と言っているのは、秋山正行1人だけ。
都城23連隊は何人居たのか?
その中の1人の証言と捏造日記を付き合わせて、「信頼性だが、・・・確実と考えてよいと思う」なんて、秦郁彦は相当マヌケだ。

事実と付き合わせておかしいことは、吉川正司氏など多くの元連隊兵士が述べている。



この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにあるのだ。

騙されてはいけない。


当該事件の核心(想定)は以下のとおり。




1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去

1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出

戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される

・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る

1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす

1984年末、吉川正司氏は、日記の【現物】を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず

1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の【現物】は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず

1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明

1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず

1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て

1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告

1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告




こちら↓を熟読すれば詳細を把握でき、秦郁彦の甘さも理解できる。



朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載


ニセ生首写真で"南京大虐殺"ねつ造
http://members.at.infoseek.co.jp/jhistory/nanking/asahi.html
『朝日新聞の犯罪』世界日報社刊より










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