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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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冨田メモの徹底検証9:元侍従長・徳川義寛のウソ(続編)。富田メモの最重要部分は徳川義寛の発言だった!?

■冨田メモの徹底検証
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_第7章_徳川元侍従長の虚言?


第7章 徳川元侍従長の虚言?

(5)食い違いは、もう一つある

 食い違いと言えば、もう一つある。

 徳川によれば、靖国神社は元「A級戦犯」の合祀をしてから、11月に遅れて提出してきた。その際、「私は『一般にもわかって問題になるのではないか』と文句を言ったが、先方は『遺族にしか知らせない』『外には公にしませんから』と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう。そうしたら翌年4月に新聞に大きく出て騒ぎになった。そりゃあ、わかってしまいますよね」と、徳川は著書で語っている。
 先に見たように、靖国神社側は、事後報告ではなく事前に、しかも宮内庁の申し出により、例年より早く名簿を提出した。また、権宮司らが宮内庁を訪れて提出したと言う。しかし、徳川は、違う。靖国神社は、勝手に合祀をして事後報告だったから、「やましいところ」があったのだろう、だから公表しなかったが、自分が懸念していたように、結局わかってしまい、騒ぎになったではないか、と言いたいようである。



 これに対し、松平宮司は、著書『誰が御霊(みたま)を汚したのか』に、次のように書いている。
 「14柱を合祀したときは、事前に外へ漏れると騒ぎがおきると予想されましたので、職員に口外を禁じました。しかし合祀後全く言わないと、これまた文句を言う人が出てくる。そこで合祀祭の翌日秋季例大祭の当日祭と、その次の日においでになったご遺族さん方に報告したわけです。
 『昨晩、新しい御霊を1766柱、御本殿に合祀申し上げました。この中に』--ここを、前の晩、ずいぶん考えたんです。『東条英機命以下‥‥』というと刺激が強すぎる。戦犯遺族で結成している『白菊会』という集りがありますので--『祀るべくして今日まで合祀申し上げなかった、白菊会に関係おありになる14柱の御霊もその中に含まれております』
 そういうご挨拶をしたんです。すると、白菊会の会長である木村兵太郎夫人が、外に出てくる私を待っていらして、『今日は寝耳に水で、私が生きているうちに合祀されるとは思わなかった』と非常に喜ばれた。
 それから半月後に、14柱のご遺族すべてに、昇殿・参拝いただきたいという通知を出し、お揃いでご参拝いただいたと、こういう経過でございます。」



 木村兵太郎は、東京裁判で「A級戦犯」として絞首刑にされた7人のうちの一人。陸軍大将だった。可縫夫人は、当時白菊会の会長として、例大祭に参列したものだろう。
 松平宮司の言うには、事前に外へ漏れると騒ぎがおきると予想されたので、職員に口外を禁じた。しかし、10月17日に合祀をした翌日、18日の例大祭の宮司挨拶で合祀したことを述べ、元「A級戦犯」の遺族にも報告した。
 事前に伏せておいたのは、神社としては穏やかに神事を執り行いたいという考えだろう。隠しておいて勝手に進めるということとは違う。また、例大祭の宮司挨拶で公表したのであれば、公式の発言である。祭典が終わった後に、遺族にだけ耳打ちしたのではない。



 ところが、徳川は、11月になって名簿を遅れて提出してきた際に、「私は『一般にもわかって問題になるのではないか』と文句を言ったが、先方は『遺族にしか知らせない』『外には公にしませんから』と言っていた。やはりなにかやましいところがあったのでしょう」と言う。そして、「そうしたら翌年4月に新聞に大きく出て騒ぎになった。そりゃあ、わかってしまいますよね」と語る。
 靖国神社側には「やましいところがあった」、それは事前に名簿を提出せずに合祀したからである。「やましいところがあった」から、遺族以外には合祀を伝えず、公表しなかったのだという印象を強く与える言い方を、徳川はしている。また結局、世に知られて騒ぎになったのは、靖国神社の姿勢に問題があるという印象を強く与える言い方になっている。
 ここにも食い違いがある。



 独立回復後の国会において、わが国にはA級戦犯を含めて戦争犯罪人はいない、処刑された者は公務に殉じた法務死者とみなすことを決定した。その基準に変更のない限り、彼らを靖国神社に合祀するのは、いずれ実行すべき課題である。
 元「B・C級戦犯」は、昭和34年から合祀が行われた。国は41年の祭神名票に、元「A級戦犯」14柱の氏名を記載した。靖国神社は45年か46年に総代会で合祀を決定した。「時期は宮司預かり」とは言え、機関決定したことを、宮司個人の判断でいつまでも先延ばしにすることは、組織としておかしい。
 松平宮司は就任後、再度、総代会が合祀の実行を確認したのを受けて、合祀の名簿をつくった。それを宮内省に提出した上で、合祀を実行し、例大祭の宮司挨拶で公表した。

 国会の決議、政府の通知、組織の決定、合祀事務の手続き等を経て、元「A級戦犯」の合祀は行われたと理解するのが、適当ではないか。その公表の仕方や時期をどうするかは、靖国神社側の考えですることではないか。
 私は徳川の発言に疑問を感じる。しかも、その主張の大前提は、靖国神社は事前に上奏簿を提出せず、合祀した後の事後報告だったということにあるのである。



(6)徳川と朝日新聞社の関係

 元「A級戦犯」の合祀が、一般に知られるようになったのは、翌年春、昭和54年4月19日の共同通信のスクープ報道による。徳川は「新聞に大きく出て騒ぎになった」というのが、これである。
 当時、朝日新聞は「賛否、各界に波紋」という見出しで報じたが、
それほど大きな騒ぎになったわけではない。報道の2日後に、大平正芳首相が靖国神社の例大祭に参拝した。
 大平氏はこの時、「人がどう見るか、私の気持ちで行くのだから批判はその人にまかせる」と述べ、「A級戦犯あるいは大東亜戦争に対する審判は歴史が致すであろうというように、私は考えております」と明言して参拝した。自身はクリスチャンだった。



 その後も大平首相は通算3回、続く鈴木善幸首相は8回参拝し、中曽根首相にいたった。中曽根氏は在任中、最後の回も含めると10回参拝している。国民の間には、元「A級戦犯」が合祀されたことを批判する者もいたが、大多数の国民は彼らが合祀されている靖国神社に首相が参拝することに賛同するか、またはこれを許容していた。元「A級戦犯」の合祀は、既に行なわれたこととして定着しつつあったのである。
 徳川が「一般にもわかって問題になるのではないか」「新聞に大きく出て騒ぎになった」と言うのは、国民の大多数の反応とは異なっている。

(以下略)

南京虐殺は嘘45 驚くべき出鱈目裁判5 寝耳に水のウソ証言 『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎編

東京裁判に於ける南京問題と「検閲」

連日新聞紙上に報じられて全国民の注視を集めた各段階の審理過程の中、殊に印象深かったのが、満州国建国事情めぐっての審理で検察側証人として出廷した廃帝溥儀(ふぎ)氏の錯乱した言動(八月の後半)、そしてその少し前七月下旬に突如として法廷に登場し九月始めまで尾を曳(ひ)くことになる「南京問題」である。


これは全ての日本国民にとって寝耳に水の衝撃だった。南京問題の証言に法廷に呼び出された検察側証人達は、簡単に言へばそこで思ふ存分に法螺(ほら)を吹きまくり、見て来た様な嘘をつき放題に言ひ散らす。新聞報道を通じて唯一方的にその虚構を耳に吹き込まれる一般の市民、法廷内で直接それを聞かされる弁護人、記者、傍聴人達、いづれも遺憾(いかん)ながらそれに反駁(はんばく)する力も手段も持ち合わせてゐない。凡そ或る事実が「あった」といふ証明は証拠さへあれば誰にもできるが、「なかった」といふ証明は極めて困難である。それは汝が「知らなかった」だけのこと、と言はれればそれまでだからだ。

かくてこの巨大な「うそ」が世界の眼を欺く「まこと」に仕立て上げてゆくからくりはそれ自体極東国際軍事裁判所が抱へこんだ大醜聞(だいしゅうぶん)であり、永く歴史に残る不名誉な失策となった。南京問題が全く検察側証人達の虚言(きょげん)から捏造(ねつぞう)された架空の事件であるとの実証的及び文献的研究は数多くあるが、その虚構が成立することになった現場としての東京裁判法廷内部の経過に焦点を絞った研究としては冨士信夫氏の『「南京大虐殺」はこうして作られた-東京裁判の欺瞞(ぎまん)』(平成七年四月、展転社刊)が始めてのものであると言ってよい。

この南京問題の場合に典型的に表れてきたことだが、検察側の立証に八箇月も日時を費し、その間に提出される個々の事項について弁護側の反駁立証を即座に行ふ機会が与へられてゐない、といふ構造は非常な問題である。

(中略)



 何分事件全体が虚構なのであるから、事件の不存在を直接証明する形の証拠資料もあり得ないわけで、弁護側の提出した南京問題に関係する反証は、その様な事が起り得るはずがない、そんな事実を見た人はゐない、といった形の消極的なものばかりで、且つ点数も少ない。

従って却下されたり未提出に終ったものも点数からいへば僅少であり、本書原本の資料集も、その点では別段の新しい論拠を提出するものとはなってゐない。

『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎編 講談社学術文庫(解説P25~28)

核シェルターの問い合わせ急増! 普及の兆し 北実験で

核シェルター普及の兆し 北実験で問い合わせ急増
2006/12/18, 産経新聞

 北朝鮮による核実験後、一般家庭にも設置できる核シェルターが注目されている。核シェルターを取り扱う株式会社「シェルター」(大阪市北区)には、住宅メーカーなどからの問い合わせが殺到しているという。核の脅威が現実のものとなる中、これまで日本ではなじみのなかった核シェルターが、今後、思わぬヒット商品となるかもしれない。(小段哲治)

 「シェルター」は平成3年、碁・将棋盤製造販売メーカー「めぐみ堂」(西本誠一郎社長)がグループ会社として設立した。欧州製シェルターの輸入・販売、設計、施工のほか、防災グッズも取り扱う異色企業だ。
 主力商品は、放射能や細菌、毒ガスの濾過(ろか)装置を設けた核シェルター「ノア」。熱心なキリスト教徒でもある西本社長が「人の尊い命を守り、役に立ちたい」と"ノアの箱舟"にちなんで名付けた。
 核シェルターは、スイッチ一つで分厚いコンクリート造りの室内の気圧を上げ、外部からの空気の進入を遮断する仕組み。濾過装置は高さ2メートル、幅1メートル、奥行き80センチのスペースがあれば設置できる。普段は倉庫や金庫、カラオケルームなどとして利用する人が多い。大阪府羽曳野市の西本社長宅にはモデルシェルターがあり、見学も可能だ。
 核シェルターは、欧米では決して珍しくない。冷戦時の国を挙げた取り組みにより、スイスやスウェーデンでは一般への普及率が90%以上にも達している。
 その一方で、平和が長く続いた被爆国日本ではあまりなじみがなく、普及率は1%未満とされ、国内で取り扱う企業もごくわずか。同社の核シェルターに関する問い合わせ件数も、昨年までは年間10件程度で、成約に至っては会社設立以来10件にも満たなかった。
 それが今年10月の北朝鮮による核実験を機に、「考えられないくらい」(西本社長)関心が高まり、問い合わせは一気に50件以上、成約も既に10件を超えた。280万円の家庭用を中心に住宅メーカーからの問い合わせも相次ぎ、「会員制」地下シェルターの設置を検討するマンションも出始めた。百貨店の外商部も関心を寄せているという。
 核シェルターはその構造上、地震や集中豪雨などにも強いとされることから、今後、自然災害対策としても注目されそうだ。同社は、年間30件以上の成約を目指したいとしている。問い合わせは同社(電)072・950・3055



【参考】


核シェルターとMD。MDは役に立たないが、核シェルターは大いに有効。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4542490.html




「東京直撃」死者50万人 負傷500万人 対策次第で被害縮小 【核攻撃シミュレーション】....日本は核武装が必要だが、せめて核シェルターを!
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/9152378.html

核シェルターの有効性と必要性。地下なら爆心地でも生き残れる。コンクリートの壁だけでも生存可能。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4620686.html

核シェルターの有効性、地下に居るだけで生き延びる。スイスやスウェーデンやフィンランドでは全国民のための核シェルター有り。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/4552978.html

生活圏に核シェルターを実現すべき ■地下鉄や小中学校を避難施設に 【正論】菊竹清訓
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/5024253.html

嘉手納基地/核シェルター/米軍の為
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/3550777.html

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