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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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支那製冷凍食品「イカの天ぷら」からもジクロルボス・舟山興業製造「マルハお徳用ひとくちサイズのいか天ぷら」に残留農薬・北京市は北京五輪選手村へ食品や薬の持ち込み禁止・支那製のまな板からも鉛が検出
冷凍いか天でもジクロルボス



中国製冷凍食品「イカの天ぷら」からもジクロルボス
2月23日23時21分配信 読売新聞

 神奈川、静岡、山梨3県の6生協を運営する「生活協同組合連合会ユーコープ事業連合」(横浜市港北区)が販売した中国製冷凍食品「マルハお徳用ひとくちサイズのいか天ぷら」(500グラム入り)から、有機リン系殺虫剤「ジクロルボス」が0・11ppm検出されたことが23日、分かった。

 同連合の自主検査で判明。健康被害の報告はないという。

 横浜市保健所によると、同商品は中国・浙江省の舟山興業が製造、輸入業者は「マルハ」(東京)で、ユーコープは昨年2月から取り扱っている。ジクロルボスが検出されたのと同じ賞味期限(今年7月20日)の商品は、1月16~23日に3県の会員向けに配達されており、自主回収を進める。

 同市は、小麦粉や大豆油などに使われた殺虫剤が残留していた可能性が高いとみている。
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つまり、支那の農産物には農薬が残留しまくっているのだ。

とても検査なんかし切れない。

支那からの輸入を中止する以外に対策はない。



ところが、驚いたことに、北京は五輪開催中に外国選手団が食品や医薬品を持ち込むこを禁止することにした。

食品や医薬品の持参は、各国の自由であり、禁止はおかしいだろ?!

支那人でも食べない支那食品を、オリンピックの外国選手に強制的に食べさせるのか?!
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五輪選手村へ食品・薬の持ち込み禁止 毒ギョーザ余波、北京市方針
2月22日22時6分配信 産経新聞

 北京市食品安全弁公室の唐雲華報道官は21日の記者会見で、北京五輪開催期間中、選手団が独自で選手村や会場に食品・医薬品を持ち込むことを禁止する方針を明らかにした。冷凍ギョーザ農薬混入事件などで中国製食品の安全性に対する不信感が高まる中、米国選手団が米企業の支援を受け大量の食品を空輸する計画が報じられていた。
 唐報道官は、過去の五輪で、選手団の食品持参を許した例はない上、海外から中国への食品持ち込みは、税関で検疫当局の検査が必要となどと説明している。(北京 福島香織)
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中国の危ない農産物『毒菜』は『中国人も食べない!』 (昨年5月放送)








また、最近、支那製のまな板からも鉛が検出され、自主回収となった。

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<ベネトン>中国製まな板から鉛 自主回収へ
2月22日12時11分配信 毎日新聞

 ベネトンジャパンは22日、同社からライセンスを受けた日用雑貨メーカー「レアック・ジャパン」(東京都港区)が販売した中国製まな板に、有害な鉛やクロムが含まれていたとして、5817枚を自主回収すると発表した。対象は「ベネトン ガラスカッティングボード」。レアックが中国の工場で委託生産し、05年11月から今年2月まで全国の量販店やインターネット通販で販売した。今のところ、健康被害の報告はない。

 ベネトンによると、まな板の裏面の塗料がはがれやすい不具合があることが分かった。塗料に含まれている鉛やクロムが溶け出し、食物などに付着して体内に入る恐れがある。

 問い合わせは、レアック・ジャパンお客様相談室のフリーダイヤル(0120・757・831、23日から)
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支那では食べ物が原因で年間3億人が病気に罹る。(CNN)
病人になった年3億人のうち、多くの命が失われている。(CNN)

支那の新生児の5%以上が障害児だ。(週刊新潮)



繰り返しになるが、日本人として出来ることは、1にも2にも支那には行かないこと。

支那産食品や支那製品は購入しない。

日本政府などに対して、支那からの輸入中止を訴える。

外食料理や加工食品にも原材料の原産地表示の義務化を訴える。

とにかく、支那、支那人とは極力関り合わないことが重要だ。


食材、食品、水、飲料、薬品だけではなく、支那製の割り箸、まな板、弁当袋、紙ナプキン、土鍋、魔法瓶、練り歯磨き、子供用の浴用スポンジ、子供服を含む衣服、布団、毛布、玩具、クリスマス装飾品、アクセサリー、化粧品などにも毒が含まれているから要注意!!

はっきり言って、かなり危険!





「対策は支那からの輸入中止しかない!」、「支那は北京五輪の外国選手に強制的に毒食品を食わせるな!」と思う人は、↓クリックお願いします。↓
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沖縄集団自決・座間味島の守備隊長(梅沢裕少佐)は自決をいさめた・「われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。」宮平秀幸さんが軍強制説否定する新証言


沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定する新証言

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080222-00000977-san-soci


沖縄集団自決、隊長はいさめた 軍強制説否定する新証言
2月22日23時15分配信 産経新聞

 沖縄県座間味島で起きた集団自決をめぐり、同島の村長が日本軍の隊長に集団自決をいさめられ、自決のために集まった住民に解散を指示していたことが、当時の防衛隊員の証言で明らかになった。教科書などで誤り伝えられている「日本軍強制(命令)」説を否定する有力な証言といえそうだ。

 証言したのは、座間味村で民宿などを経営する宮平秀幸さん(78)。沖縄戦(昭和20年3~6月)の当初、15歳の防衛隊員として、同島に駐屯した海上挺進隊第1戦隊長、梅沢裕少佐の伝令役を務めていた。

 宮平さんによると、同島に米軍が上陸する前日の昭和20年3月25日午後10時ごろ、野村正次郎村長、宮里盛秀助役ら村三役と国民学校長、役場職員、女子青年団の宮城初江さんが、梅沢少佐のいる本部壕を訪ねた。

 そこで、宮里助役らは「明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい」「すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている」などと梅沢少佐に頼み、自決用の弾薬や手榴弾、毒薬などの提供を求めた。



 これに対し、梅沢少佐は「そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。


 村側はなお懇願し、30分くらい押し問答が続いたが、梅沢少佐が「おれの言うことが聞けないのか」と弾薬類の提供を強く拒否したため、村の幹部らはあきらめ、忠魂碑前に向かった。

 同日午後11時ごろ、忠魂碑前に集まった約80人の住民に対し、野村村長は「部隊長(梅沢少佐)に自決用の弾薬類をもらいにいったが、もらえなかった。みなさん、自決のために集まってもらったが、ここでは死ねないので、解散する」と話した。このため、住民たちはそれぞれの家族の壕に引き返したという。



 宮平さんは「私は、本部壕での村側と梅沢隊長のやりとりと、忠魂碑前での野村村長の指示をすぐ近くで聞いていた」と話す。


 その後、村長ら村三役や国民学校長らとその家族はそれぞれの壕で集団自決したが、宮平さんら多くの住民は自決を思いとどまり、翌26日に上陸してきた米軍に捕らえられるなどした。宮平さんは米軍の迫撃砲で左足を負傷し、自分の家族の壕に戻ったところを米軍に見つかったという。

 宮平さんはまた、梅沢少佐の元部下から生前に送られた手記を保存している。そこにも、村三役と国民学校長らが自決用の劇薬、手榴弾、ダイナマイトなどをもらいにきたが、与えるべき武器、弾薬類がなかったことが書かれている。

 宮平さんは戦後、これらの事実を話す機会がなかったが、「昨年、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと思った」と話している。
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もう既に、沖縄の集団自決は、日本軍の関与によって行なわれたのではないことが明白になっている。

今朝の産経新聞1面には、またまた駄目押しとなる当事者の裏づけ証言が掲載された。


念のため、整理しておくと、沖縄集団自決は、主に2つの島で起こった。

一つは、赤松嘉次大尉が守備隊長をしていた渡嘉敷島。

もう一つが、梅沢裕少佐が守備隊長をしていた座間味島。


渡嘉敷島の赤松大尉が住民に自決させた事実がないことも既に明白だ。


「軍による教育・指導などで『集団自決』に追い込まれた」も嘘
『沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/28774118.html

トリック報道で世論誘導・藤岡信勝・
それでも「命令」の実証なし・曽野綾子
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26722620.html

軍命令説は証拠力のない金城重明などの証言だけで破綻
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26080556.html




今回の新証言は座間味島の梅沢少佐の潔白を証明するものであり、こちらも既に明白になっているが、私のブログは資料室の役割もあるので取り上げておくことにした。



渡嘉敷村の守備隊長(赤松嘉次)は、村民に対して、「非戦闘員だから最後まで生きてくれ。」と言った。

座間味島の守備隊長(梅沢裕)も、「そんなもの(手榴弾や毒薬)は渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ」と命じた。




梅沢元少佐(91)と赤松大尉の遺族は、大江健三郎らを名誉棄損で訴える訴訟を大阪地裁に起こし、今年3月28日に判決が言い渡される。

大阪地裁の判決と文科省の検定は、真実に忠実であるべきだ。

日本軍の関与を明記した教科書6社の訂正申請を承認するように仕向けた渡海、福田、町村らは集団自決しろ!








●関連記事

「沖縄戦の真実」を封印
検定を撤回すれば将来に禍根を残す
照屋昇雄氏、宮城義男氏、梅澤裕氏、宮城初枝氏らの真実の証言
一方、「軍命令が有った」とする証言は矛盾や食い違いや疑問だらけ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/26433192.html

(一部抜粋)


「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」

いよいよ明日にも敵が上陸という翌20年3月24日夜10時頃、司令本部の基地隊に、村民代表5名が訪ねてきた。助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長だった。

助役の宮里盛秀氏が言った。
「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」

梅澤氏は本当に驚いた。「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語る。

だが、宮里助役は続けた。

「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

「そんなことは出来ない」と梅澤氏。

「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。

「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」

梅澤氏は諭して、5人に言った。

「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」

翌日、文字どおり地獄の戦闘が始まった。梅澤氏は部下の6割を失って、遂に敗北した。戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった。

(略)

歴史の真実を語った女性

一方、梅澤氏は昭和34年以来、沖縄への慰霊の旅を続けてきた。その度に住民らは氏をあたたかく迎えた。そして昭和62年の慰霊のとき、一人の女性が訪ねてきて言った。

「梅澤さん、本当のことを話します。昭和32年、座間味で行われた厚生省の調査で、隊長に集団自決を命じられたかと問われ、『はい』と答えました。そう言わなければならなかったために、そう言いました。けれど、それは真実ではありません」

梅澤氏はなぜ、この女性がそんなことを知っているのかと一瞬考えた。すると女性は言った。

「あの夜、5人が隊長に会いに行きました。4人は亡くなりました。私はたった1人の生き残りです。5人の中に女性が1人、女子青年団長がいましたでしょう。それが私です」

彼女は宮城初枝氏である。初枝さんはこのあと、「国の補償金がとまったら、弁償しろ」などの非難を浴びた。が、彼女が再び発言を変えることは、もはやなかった。幾人かの住民も真実を語り始め、自決命令は宮里助役が下したと判明した。








許容する余地はない大江健三郎の人権侵害的記述
秦郁彦の稀に見る正論
沖縄戦の集団自決と大江氏裁判
両守備隊長の優れた人間性明らか
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/18020187.html

(一部抜粋)


≪「自決せず生きのびて」≫

 裁判は進行中だが、原告側は座間味村役場の援護係だった宮村幸延氏が昭和62年に、集団自決は当時の村役場助役の命令だったが、遺族補償のため梅沢守備隊長の命令として申請した事情を記して、梅沢氏へ渡した「詫(わ)び状」を提出した。梅沢氏の無実を証する決定的証拠といえるもので、文科省の検定でも援用された。



 これに対し大江氏側は「詫び状」は宮村氏を泥酔状態に陥れハンコを押させたとか、守備隊長と記し実名は書いていないから特定できぬはずだとか、日本軍全体の非人間性に目を向けろ式の見苦しい弁明に終始している。


 その半面、法廷記録から浮かびあがってきたのは赤松、梅沢両氏のすぐれた人間性であった。25歳、27歳の若さなのに彼らは絶望的な戦況下、数百人の部下と島民をまとめ、冷静、沈着な判断力で終戦までの5カ月をしのいだ。「自決するな。生きのびなさい」と指示したのに、米軍の砲火でパニックに陥り死を選んだ島民を思いやって「汚名」を甘受した2人に比し、「現存する日本人ノーベル文学賞作家」の醜悪な心事はきわだつ。
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