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報ステで捕虜殺害の証言を放送・真実は便衣兵の処刑、テレビ朝日に抗議文!・【戦争の話を聞かせてください】登場の黒田千代吉は半年前「便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言・テロ朝は日本軍が捕まえた敵兵を「捕虜」と呼んだ事を悪用
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2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」
2011年6月2日放送「報道ステーション」【戦争の話を聞かせてください】テレビ朝日


6月2日、菅政権に対する内閣不信任決議案が否決された日の夜、テロ朝「報道ステーション」を見た。

勿論この日の「報ステ」は、大半を内閣不信任案について報じた。

しかし、その後、「戦争の話を聞かせてください」という特集が放送された。


戦争の話を聞かせてください|報道ステーション|テレビ朝日
報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」



以下、番組制作会社スタッフのブログより一部転載させて頂く。

http://news.boewien.com/?eid=18
戦争の話を聞かせてください
2011.05.31 Tuesday
author : boewien

オフィスボウ・ウィーン制作の新しい作品をご紹介します。

テレビ朝日、報道ステーションでシリーズ企画として放映される特集「戦争の話を聞かせてください」です。この企画は「戦争の記憶を語り継ごう」という、私を含む数人のスタッフの思いが結実したものです。その思いとは・・・

父から息子へ、祖父から孫へ、自分が体験した悲惨な戦争を語り継ぐ・・・。
これまで幾度となく繰り返された大切な行為が、戦争体験者の高齢化により、失われる日が近づいています。その前に、話を聞いておきたい・・・。という思いです。

(略)

今回私たちは、埼玉県在住の黒田千代吉さんを取材しました。孫の泰子さんに語る壮絶な戦場体験は、話を聞くものに深い印象を残します。(略)

ご出演していただいた黒田さんと孫の泰子さんです。.

ご出演していただいた黒田さんと孫の泰子さんです。
(略)



6月2日の放送は、黒田千代吉さん(86歳)が、孫の竹本泰子さん(34歳)に戦争の話を聴かせるという形式で編集されていた。

その話の内容は、次のとおりだった。


――――――――
黒田さんは、終戦の約1年前に召集され、初年兵として支那大陸へ。
その後、武漢辺りから南へと向かった。

やがて、食料は底を付き、飢えとの戦いが始まった。
青草やヘビやカエルを食べて飢えをしのいだ。
死んだ兵士が持っていた非常食を争った。
「人間が人間でなくなる」
2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

やがて、マラリアなどの病気で死ぬ兵士も。
自殺する兵士もいた。
南部の曲江に到着したのは、1200人のうち400人だけだった。

その後、黒田さんたちは、韓州で本隊と合流。
5ヶ月間で歩いた距離は、3000kmに及んだ。
2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

そこで黒田さんたちは実践的な訓練を受けた。
その当時、銃剣術の訓練を受けていた。

2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

ある日、古年兵が捕虜を、私たちが藁で訓練している所に連れて来た。

2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

それで、藁じゃなくて、そこに捕虜を立たせて、その捕虜を突けと言ってきた。

「お前たちの度胸試しだ!」と言ってきた。

「今日は本物の敵を突くんだから、我と思う者は出て来い!」と言うわけだ。

生きている目隠しの捕虜を殺すのは嫌だって言って、皆尻込みをして出て行かなかった。

そしたら、「お前たちは上官の命令に抗するならばすぐ銃殺だ。」と言うわけだ。
2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

そんで、これからね、「名前を呼ばれた者は出て来い!」と言われ、私が一番先に「黒田ー!!」と呼ばれた。

「黒田、一番先にあの捕虜を突け!」と言った。

上官の命令で他の18人の兵士たちも、次々とその捕虜を刺し、中国人の捕虜は息絶えた。

2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」

終戦の僅か1か月前の事だった。

2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」涙ぐむ孫の泰子さん
涙ぐむ孫の泰子さん


2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」
「命令だ」と言うので「人を突け」と言われて突いた。
本当に今考えると、悪いことをして帰って来た。
本当に済まないな。

中国の方々に、大きい声で謝らなくちゃならない気持ちが今ございます。
中国の方々に
大きい声で謝らなくちゃならない気持ちが今ございます。
――――――――

その後、スタジオの様子

古館伊知郎
大本営は随分最前線を騙したり斬った部分がありますよね
2011.6.2報道ステーション「戦争の話を聞かせてください」
・・・・・

小川彩佳
今後も【戦争の話を聞かせてください】の放送を続けていきます。
番組では話を募集しています。
――――――――


以上が番組の概要だ。



しかし、この話は真実を正確に伝えていない。

この黒田千代吉は、半年前(2010年12月)に異なる証言をしている。

2010年12月、黒田千代吉は「刺突訓練を行っていた時に、戦闘で捕えた一名の便衣兵を銃剣でついて殺した」と証言していたのだ。

その証言内容は、次のブログで報告されている。


NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blog

NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blogです。
http://blog.bridgeforpeace.jp/?eid=1489421
元日本兵取材報告:黒田千代吉さん(86歳)
2010.12.26 Sunday

(一部抜粋)

○昭和二十年四月二十四日、衡陽を出発。行軍のあまりの辛さに手榴弾や小銃を使って自決するものがでた。またマラリヤなどの病気にかかって亡くなる者もいた。

便衣兵に兵隊が拉致されることもあった。拉致されると尋問を受けた後に殺される。

○昭和二十年五月十日ごろ、曲江(現広東省韶関市)に到着。

○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。秋水591大隊本隊に合流。長い行軍が終わる。当初千二百名いた初年兵が、四百人に減っていた。ここで休養した後、戦闘訓練を行う。刺突訓練などをやっていた。

ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。

○昭和二十年七月十六日、転進命令が出てカン州を出発。また行軍。

○昭和二十年八月十九日ごろ、劉家(江西省南昌市あたり)で終戦を知る。
○昭和二十年九月、安徽省安慶に移動。ここで武装解除。収容所に入れられ捕虜生活が始まる。



>○昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。
>・・・
>ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。



このように、半年前(2010年12月)、黒田千代吉は、刺突訓練を行っていた時に銃剣でついて殺したのは戦闘で捕えた一名の便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)だったと証言していたのだ。

捕虜ではない。

収容所に収容していた正式な「捕虜」であれば保護することが国際法で義務付けられているが、便衣兵は捕まえたその場で殺しても合法だ


古年兵が、初年兵の訓練のために便衣兵を銃剣で突かせても、違法ではない。

戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。

便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。

ちなみに、この爺さんが9年前に書いた『最後の初年兵―3千キロ死の行軍』黒田千代吉著(2002/4/1)にも、夜に用便のため少し離れた戦友(梯団の仲間)が敵の便衣兵(便衣隊)拉致された話が述べらている。
『最後の初年兵―3千キロ死の行軍』黒田千代吉著

日本兵が用足し中に敵の便衣兵(便衣隊)に拉致されたりすることは良くあったとのことだ。



では、どうして黒田千代吉は「報ステ」で「捕虜」と発言していたのだろうか?

これには大きく次の3つの可能性が考えられる。
―――――――
1.
黒田千代吉が、自分を含めた「日本軍」を悪者に仕立てようと悪意を持って偽証した。

2.
昔の日本兵は捕まえた敵の便衣兵なども、正確には「捕虜」ではないのに、「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいた事実がある。
黒田千代吉もやはり「捕まえた便衣兵」を「捕虜」と表現してしまい、番組制作会社がその事実を隠したまま如何にも日本軍が悪かったように番組を制作した。

3.
正確には「捕まえた便衣兵」なのに、黒田千代吉が不正確な「捕虜」という表現を使って証言してしまい、無知な番組制作会社がその事を知らずに、そのまま日本軍を悪者として放送した。
―――――――


私は、2の可能性が極めて高いと考えている。

昔の日本兵は、捕まえた敵の投降兵や敗残兵や便衣兵などのことも、全て「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいた。

それを良いことに反日左翼が、日本軍による敵兵殺害や敵便衣兵殺害のことを「捕虜殺害」と非難することは、よくある手口だ。

また、便衣兵の処分に関しても知識がない初年兵の黒田千代吉は、便衣兵を見つけたら殺すべきなのに、「いくら何でも捕まえて目隠ししている者を殺すのは悪いことだ」と間違った思い込みを続けているものと考えられる。


有り得ないことだが、仮に黒田千代吉が銃剣で突き殺した相手が「捕まえた便衣兵」ではなく、本当に「捕虜」だという場合、次のことを確認する必要がある。

●古年兵が収容所から捕虜を勝手に連れ出すことなど出来るわけがないのに、その古年兵はどのようにして捕虜を収容所から連れ出したのか?

●黒田千代吉さんに捕虜を突いて殺せと命令した上官の名前は?

●なぜ、黒田千代吉さんや他の兵士たちは、そのような違法行為を憲兵に通報しなかったのか?


いずれにしても、制作会社の「オフィスボウ・ウィーン」と放送した「テレビ朝日」には、この「戦争の話を聞かせてください」という特集を制作したり放送したりする資格がない。

googleで「黒田千代吉 捕虜 銃剣」で検索すれば、上から4番目に上述した「NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)の公式blog」の記事が掲載され、「刺突訓練を行っていた時に、戦闘で捕えた一名の便衣兵を銃剣でついて殺した」と明記されている。

オフィスボウ・ウィーンにせよ、テロ朝にせよ、このような番組を制作して放送するなら、最低限これくらいのことは下調べして確認し、事実を正確に放送しなければならない。

尚、日本軍将兵が、捕まえた敵の投降兵や敗残兵や便衣兵などのことも、全て「捕虜」や「俘虜」と呼んでいたことに関しては過去記事で詳しく説明しているが、簡単な事例を紹介しておこう。

歩兵第三十三連隊を統括した第三十旅団長佐々木到一少将が日記を元に書き起こした佐々木私記には、次の記述がある。
―――――――
午後二時頃概して掃蕩を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進和平門に至る。その後俘虜続々投降し来り数千に達す、激昂する兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
―――――――


既に俘虜(捕虜)となっているのであれば投降するはずがない。。
まだ俘虜(捕虜)ではない敗残兵だから、「投降し来り」となる。
ここでは、敗残兵が「俘虜」(捕虜)と表現されている。




ということで、私は、テレビ朝日に抗議文を郵送することにした。

「報道ステーション」係 抗議文

〒106-8001 テレビ朝日
「報道ステーション」係

━━━━━━━━━━
拝啓

6月2日放送の「報道ステーション」【戦争の話を聞かせてください】を拝見しました。
番組では黒田千代吉さんらが捕虜を銃剣で突き殺したことについて、「上官の命令で他の18人の兵士たちも、次々とその捕虜を刺し、中国人の捕虜は息絶えた。終戦の僅か1か月前の事でした。」と述べていました。

しかし、2010年12月に、NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)が黒田千代吉さんに対して行った取材報告には、次のように述べられています。
――――――
昭和二十年六月十日ごろ、カン州(現在江西省:難しい漢字)に到着。秋水591大隊本隊に合流。長い行軍が終わる。当初千二百名いた初年兵が、四百人に減っていた。ここで休養した後、戦闘訓練を行う。刺突訓練などをやっていた。
ある日、日本軍の分哨が攻撃され戦闘になった。そして便衣兵一名が捕えられた。刺突訓練を行っていた時、その便衣兵を銃剣でついて殺した。
――――――


上記「NPO法人ブリッジ・フォー・ピース(BFP)」の公式HPによれば、銃剣で突いて殺したのは、国際法で保護すべき捕虜ではなく、その場で処刑すべき便衣兵だとされています。

ちなみに、黒田千代吉著『最後の初年兵―3千キロ死の行軍』(2002/4/1)にも、夜に用便のため少し離れた戦友(梯団の仲間)が敵の便衣兵(便衣隊)拉致された話が述べられています。
日本兵が用足し中に敵の便衣兵(便衣隊)に拉致されたりすることは良くあったとのことです。

番組では、黒田千代吉さんが銃剣でついて殺した相手は正式な捕虜だったのか、それとも戦闘で捕えた便衣兵だったのか、確認したのでしょうか?

正式な捕虜だとすれば、収容所から連れ出した事になりますが、兵士が勝手に収容所から捕虜を連れ出すことなど出来ません。
ましてや、その捕虜を刺突訓練のために銃剣で突き殺したりすれば、軍法会議にかけられた後、死刑にされることは間違いありません。

したがって、事実としては、黒田千代吉さんが銃剣でついて殺した相手は正式な「捕虜」ではなく、「戦闘で捕えた便衣兵」でした。

黒田さんは「捕虜」という表現で発言していますが、日本軍将兵は正確には国際法上の「捕虜」ではない「捕まえた敗残兵や便衣兵」のことも全て「捕虜」と呼んでいたのです。

日本軍将兵が、捕まえた敵の敗残兵や便衣兵などのことも、全て「捕虜」や「俘虜」などと呼んでいた簡単な事例を次に紹介します。

歩兵第三十三連隊を統括した第三十旅団長佐々木到一少将が日記を元に書き起こした佐々木私記には、次の記述があります。
――――――
午後二時頃概して掃蕩を終って背後を安全にし、部隊を纏めつつ前進和平門に至る。その後俘虜続々投降し来り数千に達す、激昂する兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
――――――


既に俘虜(捕虜)となっているのであれば投降するはずがありません。
まだ俘虜(捕虜)ではない敗残兵だから、「投降し来り」となるのです。
ここでは、敗残兵が俘虜(捕虜)と表現されています。

このように、日本軍将兵には、捕まえた敵の敗残兵や便衣兵などのことを全て「捕虜」や「俘虜」と呼ぶ習慣がありました。

収容所に収容していた正式な捕虜ならば国際法で保護する義務がある一方、捕まえた便衣兵ならば処刑する必要がありました。

便衣兵の処分に関する知識のない初年兵だった黒田千代吉さんは、便衣兵を見つけたら殺すべきなのに、「いくら何でも捕まえて目隠ししている者を殺すのは悪いことだ」と間違った思い込みを続けているものと考えられます。

有り得ないことですが、仮に黒田千代吉さんが銃剣で突き殺した相手が「捕まえた便衣兵」ではなく、本当に「捕虜」だった場合、次のことを確認する必要がありました。

●古年兵が収容所から捕虜を勝手に連れ出すことなど出来るわけがないのに、その古年兵はどのようにして捕虜を収容所から連れ出したのか?

●黒田千代吉さんに捕虜を突いて殺せと命令した上官の名前は?

●なぜ、黒田千代吉さんや他の兵士たちは、そのような違法行為を憲兵に通報しなかったのか?


テレビ朝日が報道番組において、このような話を放送する以上、真実を正確に報道する義務があります。

すなわち、黒田千代吉さんは「捕虜を殺した」(違法)と証言しましたが、実際に黒田さんが殺したのは保護すべき「捕虜」ではなく、戦闘で捕まえた便衣兵だった(殺しても合法)ことを視聴者に伝えなければなりません。

勿論その際には、日本軍将兵が正確には国際法上の「捕虜」ではない「捕まえた敗残兵や便衣兵」のことも「捕虜」と呼んでいたことを説明するべきでしょう。

番組では黒田さんたちが行った便衣兵の殺害(処刑)を悪いことと結論付けていましたが、それは大きな間違いです。

黒田さんに便衣兵の処分に関する知識がないことを悪用して、日本軍が悪いことをしたと誤解を生ぜしめる番組をつくったことは、大きな問題です。

私は、テレビ朝日に対して、放送で謝罪と訂正を行うことを強く要請します。

「報道ステーション」では今後も【戦争の話を聞かせてください】の放送を続けていくようですが、6月2日のような出鱈目な内容を放送するのであれば、もうやめてください。

まずは、急いで謝罪と訂正を行うようお願い致します。

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