四川省で15人死亡か 僧侶らと治安部隊が衝突 |
4月6日8時2分配信 産経新聞 |
【北京=野口東秀】インドに拠点を置く非政府組織「チベット人権民主化センター」は5日、中国四川省甘孜県で3日夜に発生した僧侶や住民らと治安部隊の衝突で、僧侶や女性など少なくとも8人が死亡したと発表した。一方、米政府系放送局「ラジオ自由アジア」は15人が死亡、数十人が負傷したとの目撃者情報を伝えている。同センターによると、当局は3日、現地のチベット仏教寺院を捜索し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の写真や携帯電話を押収。僧侶2人を拘束したため、数百人の僧侶や市民が抗議デモを実施したところ、治安部隊が群衆に向けて発砲したという。国営新華社通信は4日、この衝突で当局者1人が重傷を負ったと伝えていた。 |
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またまた、支那の武装警察が、数百人の僧侶や市民の抗議デモに発砲し、15人を殺した。 |
四川省で新たな暴動発生【4月5日NHK】7PM |
「どうして、四川省で、チベット人の僧侶や市民が抗議デモをするのか?」と不思議に思う人もいるかもしれない。 |
以前にも述べたが、改めて説明しよう。 |
チベットという国は、もともと現在の青海省とチベット自治区、更には四川省、甘粛省、雲南省の一部を領土としていた。 支那がチベットを侵略し、「チベット」を青海省、チベット自治区、四川省、甘粛省、雲南省に5分割したというわけだ。 |
ところが、事実を無視して嘘を吐くのが支那に常套手段だ。 何と、支那は、「大チベットという国が存在した事実はない」と言い出した! |
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嵐の予感!民族学者、「大チベットという国が存在した事実はない」と断言―中国 |
4月6日9時47分配信 Record China |
2008年4月3日、新華社サイト「新華網」は国務院新聞弁公室が2日、国内外の記者を招いてチベット問題に関する会見を開いたと伝えた。 |
会見の席上、中央民族大学喜饒尼瑪(シーラオニーマー)副校長は記者団に対し、「ダライ・ラマが主張する『大チベット』とは現在の自治区だけでなく、四川省、甘粛省、雲南省、青海省を含めた地域を指すもので、これらの地域が中国の歴史上において『大チベット』であった事実はない」と述べた。 |
これに続き、「西蔵(現チベット自治区)」は元(1271年~1368年)の時代には中央政府による直接統治下にある1行政区域として地図に画かれており、王朝や政権は変わっても、現在に至るまでずっと中央政権の管轄下にあったと記事は説明。「大チベット」という概念は、中国の分裂を画策する帝国主義者の陰謀だと指摘した。(以下略) |
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明らかに事実に反する。 侵略を正当化するために、平気で嘘を吐く支那は、本当に醜い。 |
「チベット」という国は、間違いなく存在したし、モンゴルや満州の支配を受けたことはあっても、20世紀まで一度も、支那(漢族)に支配されたことはないし、本来は現在の青海省とチベット自治区、更に四川省、甘粛省、雲南省の一部も領土としていた。 |
チベットの歴史 |
チベットは、7世紀にソンツェン・ガムポが吐蕃王朝という強大な帝国を建てた。 |
以後、チベットは、20世紀まで一度も支那(漢民族)に支配されたことはなく、逆に763年には唐の都・長安を攻略した。 その時、唐は、講和の条件として文成公主という姫を差し出し、チベットへの朝貢を余儀なくされた。 |
783年には条約が結ばれ、チベットと唐の国境線が定められた(建中の会盟)。 |
13世紀、チベットは、モンゴル帝国の傘下に入ったが、一方でフビライ・ハーンは、チベット仏教を受け入れて国教とした。 仏教界の最高権威にはヂョゴン・チョゲ・パスパ(チベット人)がなった。 更に1254年、フビライ・ハーンは、パスパにいくつかの称号を授与し、チベット全土に及ぶ政治権威を与えた。 |
当時のモンゴルとチベットの関係は、世界帝国の皇帝と宗教の導師が政教界の最高権威を2分し、優劣なく互いに依存しあう関係にあった。 上師(ラマ)が皇帝の保護を受けてチベット統治を保証してもらう一方、皇帝は帝国統治が正当であることを上師(ラマ)に保証してもらった。 |
20世紀、辛亥革命により、支那(漢族)は、清朝(満州人)からの独立を達成した。 その際、清朝に支配されていたチベットやモンゴルも、支那(漢族)と同じように、清朝からの独立を宣言した。 |
ところが、そのとき支那は、満州人の清朝が支配していた外国(チベットやモンゴル)までをも、支那の領土と言い出した。 |
これは、まさに、泥棒の論理だ。 ペマ・ギャルポさんは「そんな、おかしな主張が通るのなら、ビルマはインドの領有を宣言できる。両国はともに大英帝国の一部であったから」と言っている。 |
これを、日本のケースに喩えると、日本から独立した台湾が『朝鮮や南洋群島は台湾の領土だ』と言うのと同じことであり、正常な国では思いつかない言い分だ。 |
支那は、そのメチャクチャな理屈で、満州・内モンゴル・チベット、東トルキスタンを侵略した。 |
そのような支那の侵略は、支那事変によって中断されたが、戦後、共産支那によって再び本格的に再開された。 |
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