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嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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甘利明辞任→石原伸晃後任!「中国は尖閣に攻めてこない!誰も住んでいないんだから」発言で有名
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http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160128/k10010389371000.html
経済再生相の後任に石原元幹事長の起用固まる
1月28日 19時35分、NHK
経済再生相の後任に石原元幹事長の起用固まる

甘利経済再生担当大臣は、事務所が建設会社から現金を提供されたなどと報じられたことを受けて記者会見し、大臣室やみずからの事務所で現金を受け取っていたことを認めたうえで、今後の国会審議への影響などを考慮し、閣僚を辞任する意向を明らかにしました。これを受けて安倍総理大臣は、後任に、自民党の石原元幹事長を充てる意向を固めました。

甘利経済再生担当大臣は、事務所が建設会社から現金を提供されたなどと報じられたことを受けて、28日夕方、記者会見し、大臣室やみずからの事務所で、建設会社の関係者からの政治献金を受け取っていたことを認めたうえで、今後の国会審議への影響などを考慮し、閣僚を辞任する意向を明らかにしました。
これを受けて安倍総理大臣は、甘利大臣の後任について調整を行った結果、自民党の石原元幹事長を充てる方針を固めました。
石原氏は、衆議院東京8区選出の当選9回で、58歳。
石原慎太郎元東京都知事の長男で、民放の記者を経て、平成2年の衆議院選挙で初当選しました。
行政改革担当大臣や国土交通大臣などを務めたほか、自民党の政務調査会長や幹事長などの要職を歴任し、第2次安倍内閣では環境大臣に就任し、除染で出た土などを保管する中間貯蔵施設を福島県内に建設するため、地元自治体との交渉などに尽力しました。

首相「停滞あってはならない」

安倍総理大臣は、記者団に対し、「安倍政権は経済再生、経済最優先で取り組んできた。一刻の停滞はあってはならないと考え、ただちに経済再生担当大臣の後任を決定した。自民党において、幹事長、政務調査会長といった要職を歴任して政策通であり、そして小泉政権時代、行政改革担当大臣として突破力を示した石原伸晃さんにお願いした。今後、改革の推進、成長戦略の実行に石原大臣とともに全力を尽くしていきたい」と述べました。

石原氏「アベノミクスの流れ確固たるものに」

自民党の石原元幹事長は、午後6時40分ごろ、総理大臣官邸に入り、安倍総理大臣とおよそ10分間、会談しました。
会談のあと、石原氏は記者団に対し、「安倍総理大臣からは、『突然ではあるが、甘利経済再生担当大臣が辞意を表明され、そのあとを受けて石原、お前がしっかりとやれ』と言われ、謹んで受けさせていただきました」と述べました。
そのうえで石原氏は、「私からはアベノミクスの光が、やっと地方や中小企業にも広がってきた、この流れをしっかりと確固たるものにしていく、マクロ政策をしっかりやらせていただきたいという話をさせて頂いた」と述べました。
また石原氏は、甘利大臣について、「これまで15年間続いたデフレを払拭(ふっしょく)すべく、経済・財政の司令塔として内閣でもご一緒させていただいた。体調が十分ではないなか、存分に働いてこられた甘利大臣の突然の辞任だけに非常にびっくりしたというのが正直なところだ」と述べました。





金銭授受問題の記者会見で、辞任を表明した甘利明経済再生担当相=28日午後、東京・永田町
記者会見で、金銭授受を認めて辞任を表明した甘利明経済再生担当相(1月28日午後、東京・永田町)
▼甘利明▼
【総合評価 10点/100点】

▽プラスポイント▽
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会【しかし、閣僚になって参拝せず!】
朝日新聞の外国人参政権に関する質問に「反対」と回答


▼マイナスポイント▼
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会【しかし、閣僚になって参拝せず!】
金融サービス制度を検討する会(代表世話人)
人権擁護法案推進派
日韓議員連盟
日中友好議員連盟(幹事長)


イラクの位置を知らなかった山本一太と甘利明
イラクの位置を知らなかった。

公約を破ってTPPをゴリ押し!

TPP 日本粘らず米に譲歩 他国ギリギリまで交渉(東京新聞 2015年10月6日)
TPP 日本粘らず米に譲歩 他国ギリギリまで交渉
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環境・原子力防災 石原伸晃
▼石原伸晃▼
【総合評価 10点/100点】

▽プラスポイント▽
憲法20条を考える会(事務局)
政教分離を貫く会(公明党との連立を批判する議員が参加)
真・保守政策研究会


▼マイナスポイント▼
日朝国交正常化推進議員連盟
前原誠司の敵基地攻撃能力保有論に対し、「アジアの国々の反発も大きい」と否定的な考えを示す
大量移民政策
元A級戦犯分祀論者

「河野談話はよくできていた」と発言


2011年、新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、佐藤正久参議院議員の3人の鬱陵島視察計画に対し、「韓国の状況は非常に厳しく、身の安全が保たれるか非常に心配だ」と中止を要請

2012年9月11日、尖閣問題について「攻めて来ませんよー。誰も住んでないんだから。」と発言。
また、「ナマポ」発言も。

2012年9月13日、「土を運ぶところは福島原発の第1サティアンしかない」と発言

【総合評価 10点/100点】

●関連記事
石原伸晃「中国は尖閣に攻めてこない!誰も住んでいないんだから」発言
大量移民政策推進、元A級戦犯分祀を主張する支那の工作員
「サティアン」や「ナマポ」発言もした自民党のルーピー
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4907.html
(一部再掲載)

「サティアン」発言や「ナマポ」発言も酷いが、外務大臣としてはやはりこの「中国は尖閣に攻めてこない!誰も住んでいないんだから」発言が重要だ。

2012年9月11日の夜、当時自民党幹事長だった石原伸晃はテロ朝「報道ステーション」に出演した。

古館伊知郎が政府による尖閣諸島の国有化について「中国側が攻め込んでくるのでは?」と質問すると、石原伸晃は「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言した。

石原伸晃「中国は尖閣に攻めてこない。誰も住んでいないんだから。そりゃ勿論周りには来ますよ、あそこはいい漁場だから…」とテロ朝「報ステ」で発言!動画あり・駄目だ、こりゃ!
2012年9月11日 テレビ朝日「報道ステーション」「自民総裁選 候補者に聞く」
石原伸晃「中国は尖閣に攻めてこない!誰も住んでいないんだから」

■動画
総裁選候補者に聞く 石原伸晃氏
http://www.youtube.com/watch?v=M1Epu_Vwy0g

――――――――――
(8:37頃~)

古舘伊知郎 
「(尖閣諸島に)中国がどういう風に攻めて来るか?仮に攻めて来た時の対策は?」


石原伸晃幹事長
「攻めて来ませんよー。誰も住んでないんだから。」


古舘伊知郎 
「攻めて来ないと言いきって良いんですか?!」


石原伸晃幹事長
「そりゃーもちろん周りには来ますよ、あそこはいい漁場だから…」
 


「ナマポ!」発言は、12:50頃~)
――――――――――



竹島には誰も住んでいなかったが、それでも韓国が竹島に攻めて来て今日まで不法占拠が続いている。

「誰も住んでいないから攻めて来ない」という主張は、「軍隊を持っていないから攻めてこない」「核武装していないから核攻撃されない」と言ってる福島瑞穂らと似たような思考回路だ。




左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/19)
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右:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)


「後任が石原伸晃とは呆れた!」

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フィリピンで英雄!神風特攻隊・カミカゼ記念碑、銅像、慰霊祭などで称賛・天皇陛下、戦没者への思い
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マバラカット東飛行場跡 フィリピンで英雄!神風特攻隊・カミカゼ記念碑、銅像、慰霊祭などで称賛・天皇陛下、戦没者への思い
最初に神風特攻隊が飛び立ったフィリピンのマバラカット飛行場跡にある特攻隊員の銅像
フィリピンで英雄!神風特攻隊・カミカゼ記念碑、銅像、慰霊祭などで称賛・天皇陛下、戦没者への思い
神風特攻隊が最初に飛び立ったフィリピンでは、英雄として特攻隊員の銅像や記念碑を設置し、慰霊祭まで開催し、その武士道精神を讃え続けている。

フィリピン訪問の両陛下 大統領主催の晩餐会に出席

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160128-00000004-nnn-soci
天皇陛下、晩さん会で“戦没者への思い”
日本テレビ系(NNN) 1月28日(木)0時55分配信

国賓としてフィリピンを訪問している天皇皇后両陛下が27日、大統領主催の晩さん会に出席された。

マラカニアン宮殿で行われた晩さん会では、天皇陛下の戦没者に対する思いの強さと、アキノ大統領の両陛下への尊敬の深さが伝わってきた。晩さん会で天皇陛下は、太平洋戦争で、日米両国のし烈な戦闘により多くのフィリピン人が命を失い、傷ついたと改めて述べられた。

天皇陛下「このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、このたびの訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます」

一方、アキノ大統領は「両国の歴史に影を落とした時期に、他者が下した決断の重みを背負ってこられねばならなかった」と両陛下に対する畏敬の念を語り、「人生のこの時点でお越しくださる選択を思うと、いっそう意義深い」と挨拶した。

晩さん会に先立ち、両陛下は27日、フィリピン人の戦没者を慰霊されたが、29日には日本人戦没者の慰霊碑で供花される予定。



フィリピンは、大東亜戦争において、次の2点で特殊な国だった。

1つは、他のアジア諸国と異なり、フィリピンでは日本軍の敵も多く、フィリピン人の間でも日本側とアメリカ側に分裂して戦闘を繰り広げたことだ。

大東亜戦争が始まると、他のアジア諸国は、ほぼ完全に日本の側にまわり、英国やオランダやフランスなどから独立するために日本軍に協力した。

ところが、フィリピンでは、アメリカ側に付いて抗日ゲリラとなる者も多かった上に、共産ゲリラなども多く、これらの敵は日本軍を大いに苦しめた。

日本の敵となったフィリピン人勢力は戦況によっても変化したが、フィリピンほど日本の敵となって戦った現地人が多い国は他にはなかった。

そして、もう1つ、フィリピンが大東亜戦争で日本にとって特殊な国だったのは、最初の神風特攻隊が飛び立ったのがフィリピンだったということだ。

カミカゼが1944年10月20日にマバラカットで誕生した
「カミカゼ」神風特攻隊は1944年10月20日に、フィリピンのマバラカットで誕生した。
マバラカット東飛行場跡 フィリピンで英雄!神風特攻隊・カミカゼ記念碑、銅像、慰霊祭などで称賛・天皇陛下、戦没者への思いカミカゼが1944年10月20日にマバラカットで誕生した
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■フィリピンに建てられたカミカゼ記念碑■

フィリピン人ダニエル・ディソンが奔走してフィリピン政府により建立されたカミカゼ記念碑がある。
このあたりは先の大戦中、日本軍が使用していたマバラカット飛行場であり、ここから最初の神風特別攻撃隊が飛び立った。
記念碑には、ディソンが書いた次のような碑文が記されている。

『第2二次大戦終結までに、カミカゼはアメリカ軍艦を総計322隻撃沈または大破、9000人以上の海軍軍人を戦死させ、一方、5000人のカミカゼ隊員の内4600人が自殺攻撃にて戦死した。カミカゼは、世界史上比較しうるもののない全く大胆不敵なものであった。
歴史的調査が明らかにしたところによれば、カミカゼを支えた信条とは、世界のすべての民族に対する機会の均等と親睦が、自らの死によって実現されることを心底から願って自らの身を捧げたカミカゼ志願者達の思いである。』


ディソンが大戦中に日本軍人と出会ったのは11歳の時であった。一人のフィリピン少年はどのような思いで、このような記念碑を造るに至ったのであろう。

■12月の深い青色の空に白く輝く機体■

1941(昭和16)年12月8日、午後1時頃、昼食を終えたディソン少年が立ち上がった所で、突然地面が揺れ、窓がガタガタと鳴った。祖父が「地震だ、地震だ」と叫んだ。

その後に、ゴーという低い轟音がして、続いて、ポップコーンが破裂するような音が空から降ってきた。窓に駆け寄って空を見上げると、小さな破裂した煙がいくつも見え、そのはるか上に爆撃機の編隊が二つ見えた。初めて見る日本軍だった。地震だと思ったのは、その爆撃機が落とした爆弾だった。近くにあるクラーク飛行場は、アメリカ軍の極東での主力基地である。そこを日本軍が急襲したのだった。

祖父は「何故日本がこんなところを攻撃できるんだ。日本はずっと遠くにあるはずじゃないか」と叫んでいた。祖父は新聞で日中戦争の事を知っており、また近くに住む中国人が日本人は残虐だと触れ回っていたので、日本軍をとても恐れていた。

「もちろん私は日本軍をとても恐れてはいました。しかし、その時心の中では密かに日本軍のことを賞賛していました。
何しろ決して敗れないはずの白人を、私達と同じアジア人の日本人がやっつけているのですから。
私達は皆、日本の爆撃機の数を数えていました。私はその光景を忘れません。12月の深い青色の空に機体が白く美しく見えました。」


■日本兵から貰った乾パンと金平糖■

年が明けて1月1日、日本軍がディソンの住むアンヘレスの町にもやってきた。アメリカ軍とその指揮下にあるフィリピン兵たちは、散発的な抵抗をしながらも、南に逃げていった。

ディソンの一家は戦闘を逃げて、深い谷間に数日隠れていたが、ようやく静かになったので、町に戻ってきた。町には大勢の日本兵がいた。ディソン少年の伯父はマニラで日本人と働いたことがあるので、「『アリガト』と」と、教えてくれた。
そこで、ディソンらが「アリガト! アリガト!」と言うと、日本兵はみな笑い出した。何かひどい扱いを受けるのではないかと心配していたディソンは、少しほっとした。

日本兵たちは、ポケットから何かを出して、子供達に渡した。
ディソン少年も一つ貰ったが、それは布でできた小さな袋で口をひもで縛るようになっていた。巾着である。明けてみると、小さな四角いビスケット(乾パン)と砂糖のボール(金平糖)が入っていた。
それが、ディソンが日本兵からもらった最初のものだった。

■日本軍将兵とフィリピンの子供達■

ある時、ヤマカワ中尉はディソンが描いた絵を見て、「うーん、ベリーグッドじゃないか」と言った。そして時々、白い紙を鉛筆をくれて、自分や部下の絵を描かせた。

妻子を故郷においてフィリピンに駐屯している日本軍将兵たちにとって、フィリピンの子供達は心を和ませてくれる存在だったようだ。

後にディソンの妻になるエンリケッタも、アンヘレスのすぐ南のポラックという町に住んでいて、似たような経験をしている。近くに日本軍の飛行場があり、毎日そこに行って、雑草を引き抜く仕事をしては1ペソ貰う。やがて背の低いがっりとした体格の日本兵が、エンリケッタによくキャンディーやクッキーをくれるようになった。

エンリケッタは飛行士たちとも仲良しになった。飛行士の一人はエンリケッタを抱き上げて、戦闘機の翼の上に乗せ、その特設ステージで、エンリケッタは得意の歌と踊りを披露した。
司令官のマエダさんはそんな光景をいつも見ているだけだったが、ある時、エンリケッタが熱を出して二日も基地に行かないでいると、トラックで家まで見舞いに来てくれた。そして袋一杯のキャンディーとクッキーを置いていってくれた。

■鉢巻きをした日本軍の飛行士たち■

しかし、1944(昭和19)年になると、戦局が悪化し、食糧事情も悪くなっていった。共産ゲリラや親米派ゲリラの活動が活発になり、親日派の市長や警察署長、そして日本兵の暗殺が行われるようになった。日本軍そのものが幹線道路で待ち伏せ攻撃を受けるようになり、日本の将兵は疑い深くなっていった。
ゲリラを支援した人間や、ゲリラとの疑いをかけられた人々が処刑された。

9月21日、アメリカ軍の飛行機がアンヘレス周辺にあるすべての飛行場を爆撃した。それからは毎日、空襲があった。
その頃から、アンヘレスで鉢巻きをした日本軍の飛行士たちを見かけるようになった。日本の兵隊たちは、彼らと街で会うと、お辞儀をしていた。

ある晩、この飛行士たちが泊まっている家からピアノの伴奏が始まり、いろいろな軍歌が聞こえてきた。悲しい調子の曲も流れた。その一つが「海ゆかば」だった。そして翌朝、彼らは飛び立つと、二度と帰ってこないのだった。
こうした事が繰り返されたが、ディソン少年を含めフィリピン人たちは、彼らがどういうことをしているのか、知らなかった。

(後半)
■かつて大東亜戦争の”天王山”とまでいわれたフィリピン決戦■

圧倒的物量にものをいわせて押し寄せる米軍に、反撃を試みる日本軍に残された手段は、もはや250kgの爆弾を抱えて敵艦に体当たりする特攻攻撃しか残されていなかった。

昭和19年10月25日、関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」の5機は、ルソン島西部のマパラカット飛行場から出撃し、レイテ湾のアメリカ艦隊に突入していったのである。

関 行男大尉と敷島隊
敷島隊

この特攻攻撃を皮切りに、終戦までに陸海軍合わせて3375機の特攻機が出撃し、4279名の命が散った。
もっとも、特攻攻撃を受けて沈没・損傷した連合軍艦艇は350余隻を数え、連合軍将兵を震えあがらせた。

この特攻攻撃を皮切りに、終戦までに陸海軍合わせて3375機の特攻機が出撃し、4279名の命が散った。

■神風特攻隊はフィリピンで英雄だった■

こうした神風特攻隊も、戦後の日本では「戦争の悲劇」の代名詞としてしか語られていない。

ところが、「カミカゼ」を生んだフィリピンではその捉え方がまったく違っていた。

大東亜戦争における日本の精神的象徴ともいえる神風特攻隊は、フィリピンの人々に敬われ、そしてその勇気が称賛されている。

平成12年10月25日、フィリピンでは、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、「神風特別攻撃隊」をはじめ、戦没者の慰霊祭が挙行された。

慰霊祭のメイン会場になったマバラカットは、首都マニラの北方約80kmに位置し、戦時中には日本の「神風特攻隊」の飛行基地があった。

フィリピン空軍軍楽隊の奏でる勇壮な「軍艦マーチ」が、マバラカット飛行場を見下ろすリリー・ヒルの大地を揺さぶった。

慰霊祭の取材にやって来た、フィリピン人ジャーナリスト、ジョジョ・P・マリグ氏は語る。
「この式典は日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私は先の大戦で戦ったすべての愛国者は”英雄”だと考えています。とりわけその尊い生命を国家に捧げた神風特攻隊員は英雄です」

式典に参列した、ダニエル・H・ディゾン画伯は静かに語る。
「いまから35年前に私は神風特攻隊の本を読みました。涙がとまらなかった。・・・こんな勇気や忠誠心をそれまで聞いたことがなかったからです。同じアジア人として、このような英雄がマバラカットと私の町アンヘレスで誕生したことを”誇り”に思っています」
「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきだとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の”抵抗”だったといえましょう」


現地のマリオ・ピネダ氏は、こう語った。
「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見て下さい。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。日本の“教育”の成果です。…ですがアメリカに統治されたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分たちの作ったものを、一方的に売りつけたからです。」

■「カミカゼ・パイロットはヒーローです」■

同じ10月25日、タルラック州バンバン村でも神風特攻隊の慰霊祭が行なわれた。
この村でも地元住民は村を挙げて日本の慰霊囲を歓迎した。
「カミカゼ・パイロットはヒーローです」神風特攻隊はフィリピンで英雄・カミカゼ記念碑や慰霊祭などで称賛・天皇陛下、戦没者への思い

式典に参加した地元サン・ロック高校の女子学生達は声を揃える。
「Brave!」(勇敢)

その中の一人が続けた。
「フィリビンにも”英雄”はたくさんいます。ですから私達も神風特攻隊という日本の”英雄”をたいへん尊敬しています。」

私は学生達にもう一度訊いた。
「君たちは、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね?」

屈託のない笑顔でフィリピンの女子高校生たちは答えた。
「もちろんです! だって、あの人たちはヒーローですもの」

そして、日本からの慰霊団が会場を去ろうとしたとき、驚嘆すべき出来事がおこった。

濛々と立ちあがる砂ぼこりとともに、歓声を上げて「日の丸」の小旗を振る子供たちの一団が押し寄せてきたのだ。
わが目を疑った。
弾けるような笑顔と歓声にあふれた子供たちの「日の丸行進」は途切れることはなかった。

帰路につこうとする我々を子供達は「日の丸」の小旗をちぎれんぱかりに打ち振って見送ってくれたのである。
タルラック州バンバン村でも神風特攻隊の慰霊祭が行なわれ、子供達の「日の丸」行進はどこまでも続いた。

日本人参列者はこの光景に胸を詰まらせていた。
頬を濡らす者もいた。
この光景を目の当たりにして、もはやこみ上げる感情を抑えきれず、嗚咽を漏らしてしまった。

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ピナツボ火山の噴火で埋もれてしまったが、特攻隊飛行場跡の慰霊碑建立に奔走したディゾン画伯(肖像画は画伯の手になる特攻隊員のもの。左上が関行男大尉)
ディゾン画伯(肖像画は画伯の手になる特攻隊員のもの。左上が関行男大尉)
(前半)
Japan On the Globe
フィリピン少年が見たカミカゼ
なぜカミカゼの記念碑がフィリピンの地に建てられたのか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog524.html
(後半)
井上和彦
神風特攻隊はフィリピンで英雄だった
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philipine.html
【賞賛される日本】フィリピン・ルソン島で経験した神風特攻隊の慰霊祭
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140129/frn1401290719000-n1.htm



「敷島隊」の攻撃によって炎上する護衛空母「セント・ロー」. 「敷島隊」 -
「敷島隊」の攻撃によって炎上する空母「セント・ロー」

■動画
フィリピンで語り継がれる特攻精神
https://www.youtube.com/watch?v=HknYSn-sGtU
【KSM】フィリピン少年が見たカミカゼ なぜカミカゼの記念碑がフィリピンの地に建てられたのか。
https://www.youtube.com/watch?v=Jd8xa-nQJEc
神風特攻隊 「命の使い方」~日本人として知っておきたいこと~
https://www.youtube.com/watch?v=5w5TC4ppsIE#t=79
泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~
https://www.youtube.com/watch?v=nQ0AN524pF4&feature=youtu.be




左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/19)
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右:「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」村田春樹著(2015/10/20)


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「陛下、神風特攻隊、フィリピンに感謝!」

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