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フェリスや立教女学院の入試問題の嘘!伊藤博文殺人犯を英雄扱い・南京大虐殺肯定・西川京子議員
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http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20130412/dms1304121539019-n1.htm
これでいいのか自虐史観入試問題 フェリスや立教女学院 伊藤博文暗殺犯を“英雄扱い”
2013.04.12、ZAKZAK

西川議員はパネルを示して、自虐史観に満ちた入試問題を指摘した=10日、衆院予算委員会
西川議員はパネルを示して、自虐史観に満ちた入試問題を指摘した=10日、衆院予算委員会

 歴史教科書の自虐史観・反日史観が取り沙汰されるなか、有名私立中学・高校の入試問題にも同様の傾向が見られることが、安倍晋三首相も出席した衆院予算委員会で取り上げられた。この問題を追及した自民党の西川京子衆院議員は「幼気な小学生が、自虐史観に満ちた過去問題を一生懸命勉強している。これは、教科書以上に大きな問題だ」と訴えている。

 衝撃の指摘は、教育をテーマに行われた10日の同委員会で、西川氏がパネルを使って指摘した。まず、横浜にあるフェリス女学院中学校・高校の2008年入試問題には、こう書かれていた。

 《安重根は、ある日本人を暗殺して処刑されました。韓国では、彼は国のために戦った人物として知られています。彼が暗殺した日本人は、朝鮮支配のために置かれた役所の最初の責任者でしたが、この日本人とは誰のことですか》

 答えは、初代内閣総理大臣で韓国統監だった伊藤博文だ。ただし、伊藤は1909年に韓国併合が閣議決定された後も早期併合に反対し、韓国に同情を寄せていた。その伊藤を暗殺した安重根は殺人犯・テロリストだが、西川氏は同委員会で「あたかも英雄のような、書き方をしている」と問題視した。

 同じパネルには、東京・杉並の立教女学院中学校・高校の11年入試も取り上げられ、次のような質問が記されていた。

 《1937年から本格的に日中戦争が始まりました。この年の12月に、日本は当時の中国の首都を占領し、多くの中国人を殺害しました…》

 南京大虐殺についての記述だが、最近では、これが中国側による戦時プロパガンダで、事実と異なるという見解も根強い。そもそも、中国政府が当初主張した被害者数は2万人だったが、現在では30万人まで膨張している。ちなみに、当時の南京市の人口は約20万人とされる。

 こうした入試問題の実態を指摘され、下村博文文科相は「憂慮すべきことがある。客観的な学問的成果に基づき、正しく学び、誇りを持った日本人としてのアイデンティティーが確立されることが重要だ」と答弁した。

 夕刊フジで両校に問い合わせたところ、フェリス女学院中学校・高校は「入試問題に関するお答えはできない」と返答。立教女学院中学校・高校は「検定教科書の内容から作問しており、指導要領から逸脱したものとは考えていない。特に意図したものではない」と回答した。

 もし、日本や日本人をおとしめる自虐史観・反日史観による教育が子供たちに行われるとすれば、わが国を内側からむしばみ、壊しかねない。

 西川氏は「こうした教育を受けた日本人は、中国や韓国から間違った歴史を押し付けられても、反論できなくなる。1日も早い教育の立て直しが必要だ」と警告した。

平成25年4月10日国会(西川京子)衆院予算委員会



>衝撃の指摘は、教育をテーマに行われた10日の同委員会で、西川氏がパネルを使って指摘した。まず、横浜にあるフェリス女学院中学校・高校の2008年入試問題には、こう書かれていた。
>《安重根は、ある日本人を暗殺して処刑されました。韓国では、彼は国のために戦った人物として知られています。彼が暗殺した日本人は、朝鮮支配のために置かれた役所の最初の責任者でしたが、この日本人とは誰のことですか》
>答えは、初代内閣総理大臣で韓国統監だった伊藤博文だ。ただし、伊藤は1909年に韓国併合が閣議決定された後も早期併合に反対し、韓国に同情を寄せていた。その伊藤を暗殺した安重根は殺人犯・テロリストだが、西川氏は同委員会で「あたかも英雄のような、書き方をしている」と問題視した。



確かに問題文は、安重根を「国のために戦った人物」と持ち上げて英雄扱いしている一方、伊藤博文を「朝鮮支配のために置かれた役所の最初の責任者」といかにも悪者のように紹介している。

しかし、事実、現実は、大きく異なる。

世界の人々は全く異なる評価をしている。

伊藤博文を「朝鮮支配のために置かれた役所の最初の責任者」などと矮小化・悪者扱いするのは、古今東西、現在の朝鮮人と一部の反日日本人だけであり、当時は朝鮮も含めて世界中が伊藤博文を大絶賛していたし、今でも朝鮮人と一部の反日日本人を除けば伊藤博文の評価は世界的に非常に高い。


▽当時の伊藤博文に対する世界の評価▽
――――
伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。
彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。
伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。
そこには改革、公正、斡旋があった。
(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこには救済されるはずであった。
「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」
と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー
ロンドン・ディリーメール紙
――――

朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している。
その上、人民はあまりにも愚昧である。
これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン
――――

韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。
高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円満である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手をとられて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に二倍の進歩を遂げた。
宣教師 ラッド博士
――――

私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。
韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。
過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。
私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います。
宣教師 ハリス博士
――――

韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間に三千万円に達している。
日本及び日本人を益することを少しもやらないで、韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。
飽くまで韓国の主権を尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人はその下働きになっているに過ぎない。
利権は韓国人のみに与えて、日本人には荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。
なおその上、韓国通の大陸浪人を追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺にあるやを疑わしめるものがある。
韓国発行 「邦字新聞」より
――――

思えば思うほど情けない限りである。
最後の大戦争(日露戦争)以前に伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。
伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、誰もが知っていた。
伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。
尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりでなく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。  
東清鉄道長官 ホルワット少将(ロシア)
「ハルピン・ウェストニツク紙」
――――

伊藤博文
伊藤博文




一方、伊藤博文を暗殺した殺人犯(殺人テロリスト)の安重根を英雄扱いしているのは、古今東西、戦後の朝鮮人と一部の反日日本人だけだ。
安重根
韓国はそういう歴史の事実は隠し、子供たちに間違った歴史教育を行いテロリストである安重根を英雄扱いしているのです

安重根は子供の頃から勉強が出来ず、15歳頃から勉強をしなくなり、銃を扱うようになった。
25歳頃に清国人と争いの末、携帯していた短銃で清国人を射殺して逃亡したこともあった。
腹が立つとすぐに抜刀し威喝し乱暴に振舞うなど重度の火病持ちだったため、同じ火病を持っている仲間からも嫌われていた。


上述した通り世界から大絶賛されていた伊藤博文は、日韓併合について、曾禰荒助や陸奥宗光、竹越興三郎などのような強硬な反対派とまでは言えないが、井上馨や原敬などと同様に慎重派だった。

安重根による伊藤博文暗殺は、日韓併合を推進したといって良い。
日本側の慎重派・反対派の重鎮を一人失ったことよりも、むしろ韓国内の日韓併合推進派に併合推進の口実を与えてしまったことが大きかった。
韓国内の日韓併合推進派は、「伊藤博文暗殺のようなことが繰り返し起ころうものなら、日本が怒って韓国へ宣戦布告して韓国を植民地にしてしまう。それならば日韓併合をして同じ国になってしまう方が韓国にとっては有利だ」と考えるようになっていった。

伊藤博文が世界中から大絶賛される事実、安重根が若い頃から銃や刀を使った威喝・乱暴・殺人の常習犯だった事実、安重根による伊藤博文殺害が日韓の歴史に悪影響を及ぼした事実などを考慮すれば、安重根を「国のために戦った人物」と紹介し、伊藤博文を「朝鮮支配のために置かれた役所の最初の責任者」と紹介したフェリス女学院中学校・高校の2008年入試問題が如何に狂っているかが良く分かる。

私はブログ「反日研究倶楽部」を見て気がついたが、3月4日付当ブログ記事などで取り上げた平成25年1月31日放送『NHK高校講座 世界史「朝鮮半島の20世紀」~開国から南北分断へ~』へは、フェリス女学院大学教授の並木真人が担当していた!(ソース

平成25年1月31日放送のNHK教育の『NHK高校講座 世界史「朝鮮半島の20世紀」~開国から南北分断へ~』
NHK高校講座 世界史「朝鮮半島の20世紀」~開国から南北分断へ~
平成25年1月31日放送のNHK教育の『NHK高校講座 世界史「朝鮮半島の20世紀」~開国から南北分断へ~』
フェリス女学院大学教授・並木真人





>同じパネルには、東京・杉並の立教女学院中学校・高校の11年入試も取り上げられ、次のような質問が記されていた。
>《1937年から本格的に日中戦争が始まりました。この年の12月に、日本は当時の中国の首都を占領し、多くの中国人を殺害しました…》
>南京大虐殺についての記述だが、最近では、これが中国側による戦時プロパガンダで、事実と異なるという見解も根強い。そもそも、中国政府が当初主張した被害者数は2万人だったが、現在では30万人まで膨張している。ちなみに、当時の南京市の人口は約20万人とされる。



上記「そもそも、中国政府が当初主張した被害者数は2万人だったが、現在では30万人まで膨張している。」の部分は、ZAKZAK(夕刊フジ)の記事の表現があまり良くない。

西川京子議員は、4月10日の国会(衆院予算委員会)で、国際連盟の支那代表の顧維鈞が1938年2月の総会で「2万人の南京市民と婦女子を虐殺、暴行した」と演説した内容を否定したのだ。

なぜなら、当時の国際連盟は、支那代表・顧維鈞が1938年2月に行った当該演説を完全無視していたからだ。

なぜ当時の国際連盟が支那代表・顧維鈞の演説を無視したかというと、その演説には誰にもすぐにばれるような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダが満載だったし、顧維鈞の国連演説以外でも当時の支那国民党の発表や報道や宣伝は嘘出鱈目のオンパレードであり、確認をすれば簡単に事実無根と判明していたからだ。

したがって、西川議員は、2万人の南京市民殺害をも否定し、南京戦における市民虐殺そのものが虚構だったと説明したのだ。

その西川議員の説明部分は、動画で見ることが出来る。

今のところ、NHKによる削除もされていない。(関連記事

――――――――――
■動画
【神回】2013.4.10 衆議院予算委員会 自民党:西川京子
http://www.youtube.com/watch?v=yjlfazMLo-c

(14:25~)
文字起こし

その中で一番特記すべきことは、実は、国際連盟の時に、中国の顧維鈞(こいきん)外相が、これは、その当時2万人ということも、あの、数を出してきましたが、2万人の南京市民と婦女子を虐殺、暴行したという演説をしたんですね。日本非難決議をしてくれと。その時に、実は欧米列強、日本に大変厳しい目を持ってる欧米列強が、その意見陳述を一切無視しました。取り上げませんでした。そのことに対する、国際連盟の議事録が、2007年、私たちの努力で出てまいりました。外務省、なかなか出さなかったんですが、内閣府のほうから出てきました。これは戸井田・元衆議院議員の、ご努力があった結果なんですが、そういう中で、この問題は完全に決着が付いてるんですね。私たちはこの議連で、この南京の問題は通常の戦闘行為でも戦闘以下でもなかったと。これは、憲政記念館で20社以上の外信の記者、いわばニューヨーク・タイムズ、その他、ま、香港フェニックス、中国のメディアも来てました。日本ももちろん朝日、読売ら大手新聞来てましたが、記者会見しました。その時に、一切反論はありませんでした。この南京の問題は、1980年代、朝日新聞が、大キャンペーンを張った中で大きな政治問題として、中国、韓国がこれを利用するようになった。これが実態です。ですからこの南京の問題、従軍慰安婦の問題は明らかに、なかった、通常の戦闘行為でも以下でもなかった、以上でも以下でもなかったという結論が、実に正しいことだと、私たちはそういう結論を得ています。そういう結論が出ている問題をあえて推論で、この教科書にたくさん載せる、今の検定制度に、大変、大きな疑問を持っております」
――――――――――

南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ\20130410国会(西川京子)

日本軍が、1937年12月13日、南京に入った時の、写真です。これ、当時のアサヒグラフ。

1937年2月1日付「国際連盟理事会第六会議議事録」(国連支那代表の顧維鈞の演説)には、「日本軍が南京で虐殺した中国市民の数は20000人と推定され、…」と述べられている。

支那代表の顧維鈞がこの演説の中で情報源として挙げたのは、ニューヨーク・タイムズ特派員、米国人教授、外交使節、宣教師の記事・記録などだった。

しかし、上記顧維鈞の情報源のうち、被殺者2万人について言及していたのは、1937年12月22日発「ニューヨーク・タイムズ」と1938年2月2日アメリカ大使館「エスピー」副領事の報告の2つのようだ。(ソース:「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです~顧維鈞演説のウソと国際連盟決議の事実~

(1) ニューヨーク・タイムズ

上海十二月二十二日発
ニューヨーク・タイムズ宛航空便
 南京の戦闘は、近代戦史における最も悲惨な物語の一つとして、歴史に残ることは疑いない。
 近代軍事戦略の指示にことごとく反し、中国軍は自ら罠にかかり、包囲され、少なくとも三万三千人を数える兵力の殲滅を許した。この数は南京防衛軍のおよそ三分の二にあたり、このうち二万人が処刑されたものと思われる。・・・・
(『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』 南京事件調査研究会編訳)


(2)エスピー報告

……12月13日夜、14日朝には、すでに暴行が行なわれていた。城内の中国兵を「掃討」するため、まず最初に分遣隊が派遣された。市内の通りや建物は隈なく捜索され、兵士であった者および兵士の嫌疑を受けた者はことごとく組織的に銃殺された。正確な数は不明だが、少なくとも二万人がこのようにして殺害されたものと思われる。兵士と実際そうでなかった者の識別は、これといってなされなかった。ほんの些細なことから、兵士であったとの嫌疑をかけられた者は、例外なく連行され、銃殺された模様だ中国政府の残兵はあまねく「掃討」するという日本軍の決定は、断固として変更されることはなかった。
1938年2月2日アメリカ大使館「エスピー」副領事の報告
(『南京事件資料集 アメリカ関係資料編』 南京事件調査研究会編訳)P-241



上記2つの顧維鈞演説の情報源を読むと、そもそも「被殺者2万人」は、顧維鈞が演説で述べたような「南京市民20000人」ではなく、支那軍や便衣兵だったことが判明する。

そもそも「被殺者2万人」は、兵士として処刑された人数であり、ダーディン(ニューヨーク・タイムズ)もエスピー(アメリカ大使館)も、市民2万人が虐殺されたとは言っていない。


ダーディンの記事においては“処刑された兵士の数”、エスピー報告においては“便衣兵として摘出され処刑された人数”のことを述べていた。

なお、エスピー報告では「兵士と実際そうでなかった者の識別は、これといってなされなかった。ほんの些細なことから、兵士であったとの嫌疑をかけられた者は、例外なく連行され、銃殺された模様だ。」と述べられているが、これも事実無根であり、おそらく当時エスピー副領事は支那の工作員から戦時宣伝を吹き込まれたのだろう。

安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われた。

日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。

上の写真は5000-6000人ということですから、規模的に見て12月16日に歩兵第七連隊が行った便衣兵(私服で偽装潜伏中の中国兵)摘出の光景と考えられます。
また、兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」詳細記事


国際連盟支那代表の顧維鈞が1938年の2月の総会で行った演説の評価をまとめると次の通り。

支那代表の顧維鈞が1938年の2月の総会で、日本軍による南京市民の虐殺行為について演説したことを以って、当時の支那や国連が南京大虐殺を認識していたなどと馬鹿なことを言う反日左翼がいるが、見当違いも甚だしい。
その顧維鈞の演説は、誰でもすぐに分かるような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダが満載だった。
顧維鈞自身が本当に南京で大虐殺があったと認識していたら誰でもすぐに判るような明らかな嘘や逆宣伝やプロパガンダと一緒に南京のことを演説をするはずがない。

例えば、その顧維鈞の演説は、「無防備な都市にたいして無差別爆撃を続け、中国民間人の大量殺戮をおこなっています。…」と日本を非難したが、これも明らかに低俗で卑劣な逆宣伝だ。
日本軍の爆撃についても様々な報道がされたが、調査の結果、爆撃された教育施設等の殆どは支那軍が使用していたことが判明した。
一方、支那軍は世界の同情を得るため、無差別爆撃どころか、わざと大量の民間人を狙ってホテルやデパートを爆撃し、それを日本軍の仕業として逆宣伝した。

その後にあった「黄河決壊事件」でも「長沙市の焼き払い」などでも、支那軍は、いつでも、どこでも、自分達が暴虐・悪逆の限りを尽しておいて、それを日本軍の仕業と宣伝するのが日常業務だったのだ。

この支那代表顧維鈞が国連で行なった演説も、蒋介石の『日本国民に告げる書』と同様に、自分たちが行なった【上海戦】や【民間人密集地への爆撃】などを日本軍の仕業に転嫁して嘘八百を並べ立てただけの下劣で卑劣な逆宣伝に過ぎない。

支那は所かまわず常に日本軍の悪事を捏造し、嘘の宣伝を行なっていたので、その多くが「信憑性なし」と判断され、世間から全く追認されなかった。

案の定、1938年5月に国際連盟理事会が「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したが、「虐殺」非難の文言は一切なかった。

つまり、2月の顧維鈞の演説は国際社会からも「出鱈目だらけで信憑性なし」と認定されて相手にされない毎度お馴染みの嘘八百を羅列した演説にすぎなかったのだ。


なお、上述した支那軍による「上海市街地爆撃」、「黄河決壊事件」、「長沙市の焼き払い」については、『歴史通』2013年1月号に私(coffee=佐々木益荒男)の投稿が掲載されている。




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