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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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サンモニで河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
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4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社

4月28日(日)、TBSの「サンデーモーニング」で、河野洋平らが嘘出鱈目を言いたい放題話していた。

公共の電波を使ってのあまりにも酷い嘘出鱈目のオンパレードなので、嘘出鱈目を指摘し、事実を述べておきたい。


――――――――――
画像と書き起こしはメイド・イン・ジャパン!より

4月28日
TBS
サンデーモーニング


4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社

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4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
河野洋平
「靖国神社問題はですね
とにかく日本が中国韓国に侵略をしたり、或いは植民地化したりして相当な迷惑をかけてきたという歴史的事実があるわけですね。
その歴史的事実をどれだけ日本が反省をしたり、お詫びの気持ちを持ったりしてるかって事を今ま我々の先輩は長い事ずーっと言い続けて、そして日中関係日韓関係を維持してきたわけです。
それをこういう風にメチャクチャにしてしまう、つまりこれはですね
もう明らかに、その、軍国主義者として、そのA級戦犯だと言われて断罪された人達が祀られている靖国神社
しかも今日はさっき関口さんが仰ったように、この主権回復の日という
主権回復の日っていうのはつまり、サンフランシスコ講和条約を受け入れた日ですね。
サンフランシスコ講和条約には東京裁判の結果を受託してるわけですね
東京裁判については、あれはいいとか悪いとかって色々議論はあるけれど
兎に角、あの裁判の結果を受託した。そしてサンフランシスコ条約ができたわけですから
その日を今日お祝いしようと言ってみんなで集まってですね
受託して戦犯を我々がのんだ、その人が祀られている靖国神社に同じ内閣の閣僚が皆で参拝するっていうのは、本当にどう考えても自己矛盾なんですね

……」

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社




4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
幸田真音
「私もあのー、何がしたいんだろう(笑)つい思ってしまうんです

予測できる事なのに、なんで!わざわざここでこんな事しなきゃいけないのか
…」

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社




4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
中央大学教授
目加田説子
…外交問題にはならない!という主旨の発言を政府関係者がしてますけど
とんでもなくって!外交問題にするかしないか自分で決める事ではないですよね?
諸外国がどう受け止めるかって事によって、成立するわけですし、それから何よりも
戦争で多くの日本人も確かに犠牲になった。そういう方達が祀られていると。
という事があったとしてもですよ、同時に日本はアジアでもの凄い被害をもたらしてきたじゃないですか。
その事に対して国民の多くは反省をしていると思いますし、先程河野さんが仰った通りで
非常に神経を使って外交ってものをこれまで組み立ててきたわけじゃないですか。
それをなんでこの問題で、こんな形でですね、蔑ろにしてしまうのかなって
その意図はどこにあるのかなっていう事がほんとに不可解ですし
もう一つ危機感を持つのは、国会の中でこれに対して反対をするとか
やめましょうというような声が見えてこない事、ですね
大半の方があたかも支持してるように映ってしまうという所に
非常に危機感を抱きます。

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社



4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
萱野

そういった事で、例えば日本は中国韓国と連携やっぱり深めていかなければいけない
こういう風にアメリカが見てる中で、やっぱり外交関係、東アジアでの外交関係を壊すような行動をアメリカも余り大目に見てくれなくなってきているという状況があると思うんですよ。
そこを見誤ったかなという気が私はしますね

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社



4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
涌井

しかしそれがなぜ靖国なのか?その事をしっかり考える必要がある。
それはもう先の戦争でですね一番お苦しみになった
昭和天皇がですね、どんなお気持ちを持っていたのかって事を考えてもそこは
はっきりするわけでですね

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社



4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
岸井成格
今、涌井さんが言われた大事なことは
昭和天皇がどういうお気持ちだったかって言ったのは
A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇もね参拝されなくなったんですよ

4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社




4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
河野
もう一言だけ言うとですね、靖国神社ってのは、いち宗教法人なんですよ
東京都が認可しているいち宗教法人
そのいち宗教法人にですね、もう色んなものを全部そこに寄せ集めて
国の気持ちを靖国神社で全部表現しようとする
これ無理なんですよ!



4月28日TBSサンデーモーニング河野洋平らが嘘のオンパレ・歴史事実、サンフランシスコ平和条約、東京裁判、靖国神社
関口
・・・ですねぇ。
ハアァ―――・・・・・・・・コマーシャルをちょっと入れさしてください

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>河野洋平
>とにかく日本が中国韓国に侵略をしたり、或いは植民地化したりして相当な迷惑をかけてきたという歴史的事実があるわけですね。



そんな事実はない。

まず、「日本が韓国に侵略」って、完全に意味不明!

植民地化もしていないし、迷惑もかけていない。


朝鮮は7世紀から19世紀まで歴代支那大陸帝国の属領・属藩だった。

日本は日清戦争後の1985年の下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせ、朝鮮は日本のお陰でようやく独立できた。

日本のお陰で清国から独立できた朝鮮(大韓帝国)は日本からカネやヒトの支援を受けたが、あまりにも朝鮮人の能力が欠如していたために国家破綻の危機が続いた。

結局、自分たちの力ではマトモに独立(一人立ち)できそうになかった朝鮮人は、日本との合邦を希望した。

「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々。
「合邦」を望む、朝鮮半島からの熱意あふれる電報の数々

大韓帝国で最大の政治団体だった「一進会」は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
――――――――――
「韓日合邦を要求する声明書」

 日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。
それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。
丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。 
 伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご苦労されたことは忘れられない。
にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。
これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。
(中略)
 それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう。

1909年 12月4日  一進会(百万の朝鮮人会員)

――――――――――



しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。

それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。

1910年8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。

ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。

この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。

これにより1910年8月22日の韓国の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定した。

(上)日本統治前、(下)日本統治中
(上)日本統治前、(下)日本統治中

日韓併合により、日本は、階級による身分差別を撤廃し、両班による搾取・虐待から農民を救い、移住の自由を認めさせ、残酷な拷問や刑罰や一族の罪人連座法などを廃止し、女性再婚の自由を保障し、人権尊重などの法治国家の基礎をつくり、学校教育制度を導入し、読み書きを教え、ハングル文字を復活・普及させ、台湾では運動が起きても1~2%にしか許可しなかった改姓名だが、85%の朝鮮人には創氏改名を許可し、鉄道網、道路網を整備し、港の開設工事をし、水力発電所を建設し、重化学工業を興し、緑化政策によって山野を甦らせ、不毛の地を開拓し、河川大事業で洪水を減少させ、水田を倍増させ、世界中から世界一不潔と言われた町々を清潔にし、近代医療制度を導入し、平均寿命を24歳から45歳にのばし、人口を2倍にし、内地(日本)への渡航規制を犯して来る密航者にも寛容に対処した。

併合後のソウル
併合後のソウル




次に、「日本が中国に侵略」をしたという事実もない。

1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した。
北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。

そのときに列国と清国と結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。
――――――――
北京議定書
北京-山海関の12の要地における外国軍の駐屯
――――――――


この「北京議定書」は、英・米・仏・露・独・墺・伊・白・西・蘭・日の11カ国と締結され、外国の軍隊が支那に駐屯し、支那の警察の役割を務めることになった。

今日本では「日米安保条約」による合意の上で米軍が日本に駐留しているように、20世紀前半には「北京議定書」による合意の上で日本を含む列国が支那に駐屯していた。

支那が「北京議定書」による合意の上で支那に駐屯していた日本軍や支那在住日本人を攻撃したために、1937年に支那事変が始まった。

支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。

盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。

更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。

その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。







>河野洋平
>サンフランシスコ講和条約には東京裁判の結果を受託してるわけですね
>東京裁判については、あれはいいとか悪いとかって色々議論はあるけれど
>兎に角、あの裁判の結果を受託した。そしてサンフランシスコ条約ができたわけですから
>その日を今日お祝いしようと言ってみんなで集まってですね
>受託して戦犯を我々がのんだ、その人が祀られている靖国神社に同じ内閣の閣僚が皆で参拝するっていうのは、本当にどう考えても自己矛盾なんですね



日本は東京裁判の戦犯を認めていないし、国際社会も同じく東京裁判の戦犯を認めていない。

サンフランシスコ平和条約11条で日本が受諾したのは、「judgements=判決」つまり「刑の執行の継承(刑の即時停止の防止)」であり、内容や判決理由を含む「裁判」そのものを受諾した訳ではない。

「judgement」という英単語は、uncountable nounの場合には稀に「裁判」と和訳する事もあるが、サンフランシスコ平和条約11条の場合は、「Judgements」と複数形になっており、その場合には、countable nounだから、「裁判」にはならずに「判決」となる。

通常「裁判」を意味する「trial」、「proceedings」と区別されるべきことは、例えば権威ある法律辞典『Black´s Law Dictionary』の説明からも明白なのだ。



もっと判り易いのはスペイン語正文だ。

スペイン語正文では、日本は諸軍事法廷の「判決」(las sentencias)を受諾し、それらの法廷により言渡された刑(las sentencias pronunciadas por ellos)を執行すべきものと書かれている。

スペイン語の「sentencia」は、【判決】または【宣告された刑】を意味するが、【裁判】を意味する言葉ではない。

英語でもフランス語でもスペイン語でも、日本が受諾するのは【裁判】ではなく【判決】(刑の執行の継承)だと言っているのに、日本語の訳だけが【裁判】を受諾するとなっているのだから、日本が誤訳を記載して放置しているだけのこと。



つまり、当時の日本が受け入れたのは、「刑の執行の継承(判決)」であって、「内容や判決理由(裁判)」ではない

「判決を受諾する」ということは、「刑の執行を継承する」ということであって、「(侵略や虐殺などを捏造された)裁判の内容や判決理由を受諾する」ということではない

服役中の者など全員をいきなり無罪にしたら、既に死刑を執行された者もいたために連合軍が悪者になってしまってマズイから、便宜上第11条があっただけで、これによって刑の執行の即時停止を阻止したに過ぎないのだ。

当時の法務総裁(法務大臣)や外務省条約局長や国会議員などの解釈や見解もそのようなものだった。

また、これについては世界の国際法学界の常識も完全に一致している。

――――――――
要するに、十一条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかったのです。日本政府は十一条の故に講和成立後も、東京裁判の「判決」中の「判決理由」の部分に示されたいわゆる東京裁判史観(日本悪玉史観)の正当性を認め続けるべき義務があるという一部の人々の主張には、まったく根拠がありません。
 筆者は昭和六十一年八月にソウルで開催された世界的な国際法学会〔ILA・国際法協会〕に出席して、各国のすぐれた国際法学者たちと十一条の解釈について話し合いましたが、アメリカのA・P・ルービン、カナダのE・コラス夫妻(夫人は裁判官)、オーストラリアのD・H・N・ジョンソン、西ドイツのG・レスなど当代一流の国際法学者たちが、いずれも右のような筆者の十一条解釈に賛意を表明されました。議論し得た限りのすべての外国人学者が、「日本政府は、東京裁判については、連合国に代わり刑を執行する責任を負っただけで、講和成立後も、東京裁判の判決理由によって拘束されるなどということはない」と語りました。これが、世界の国際法学界の常識なのです。
佐藤和男監修『世界がさばく東京裁判』
――――――――



以上の通り、サンフランシスコ平和条約11条で日本が受諾したのは、「judgements=判決」つまり「刑の執行の継承(刑の即時停止の防止)」であり、内容や判決理由を含む「裁判」そのものを受諾した訳ではない。

だから、国際法において、元A級戦犯は、今や完全に無罪だ!

また、日本の国内法でも、勿論元A級戦犯は完全に無罪となっている。


【年表】
▼日本は既に完璧に戦争を総括済み▼

●1951年
9月、サンフランシスコ平和条約調印
11月、大橋武夫法務総裁
「戦犯は国内法においてはあくまで犯罪者ではない」

●1952年
4月28日、サンフランシスコ平和条約発効
外務省の西村熊雄条約局長
「平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失うのが国際法の原則だから、第11条はそういう当然の結果にならないために置かれたもの」(第11条は、刑の執行の即座停止の阻止が目的)
政府は拘禁中の全ての戦犯の全面赦免を関係各国に要請

5月1日、木村篤太郎法務総裁が戦犯の国内法上の解釈についての変更を通達。戦犯拘禁中の死者は全て「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」に。(平和条約で戦争犯罪の撤回を認め、戦犯は国内法上の犯罪者とみなさず

6月7日、戦犯の釈放を求める全国的な署名運動は、4千万人達成


日本が1952年(昭和27年)に独立を回復すると、国会は早速、靖国神社合祀の関係法となる「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(遺族援護法)および「恩給法」とその関連法を制定した。

また、1953年(昭和28年)8月3日には「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が、衆議院本会議に上程され、与野党全会一致で可決された。

更に、1953年(昭和28年)8月から国会で、「遺族援護法」および「恩給法」の改正が重ねられた。

当時の国会は、「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正し、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにし、「戦犯」とされた人々の死を「戦争による公務死」とした。

決定は全会一致だった。

「日本に戦争責任者は居ない」というのが、大東亜戦争の真実を良く知っていた当時の日本国民の総意による結論だった。






>目加田説子
>日本はアジアでもの凄い被害をもたらしてきたじゃないですか。



これも、事実と異なり、意味不明だ。

「日本はアジアでもの凄い被害をもたらしてきた」とは、いったい何のことなのか?

ここで言っている「アジア」とはどこの国のことなのか?

朝鮮では上述した通り、平均寿命も人口も2倍にした。

アジアで日本軍が戦った相手は支那以外では、米国側と日本側に分かれて戦ったフィリピンくらいしか考えられないが、そのことで「日本はアジアでもの凄い被害をもたらしてきた」という表現はしない。



支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。

むしろ、日本軍は、支那軍が殺していた支那民衆を救出することが多かった!

例えば1938年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河や揚子江の堤防を決壊させ、河南省だけの少ない見積もりでも32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言わる支那民衆を大量に殺害した。


ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。

支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。

1938年6月16日

16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」



事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった(冒頭に掲載)。

國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。


写真集支那事変国書刊行会\濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯


わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)



更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。

支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。




1938年10月21日
日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。
國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。
また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。

写真集支那事変国書刊行会\P255逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士
写真は広東で支那軍による放火で「逃げ遅れた老婆を避難地まで背負う日本軍兵士」
写真集『支那事変』国書刊行会P255



11月13日
支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。
火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。
仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。

1938年11月13日、蒋介石の命令により支那軍が長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)
1938年11月13日、長沙市焼き払い(長沙大火Changsha fire)


以上のように、支那軍は1937年の支那事変勃発から1945年8月の終戦まで同じようなことを繰り返して支那民衆を殺しまくった。

支那軍による徴発、略奪、徴兵等は苛酷を極め、支那軍と支那人民との間で殺し合いが頻繁に起こった。

支那民衆を大量に殺害した犯人が日本軍ではなく支那軍だったことは、ルシアン・ビアンコ著『中国革命の起源』や郭沫若自伝『抗日戦回想録』や劉震雲著『温故一九四二』などにも明確に述べられている。




『歴史通』2013年1月号の私(coffee=佐々木益荒男)の投稿は、支那事変における「支那の悪逆暴虐と卑怯な逆宣伝」について特集している。

【上海爆撃事件】、【黄河決壊事件】、【長沙市焼き払い】の3つの事件を中心に、支那軍による支那民衆大虐殺と日本軍の仕業に転嫁した逆宣伝について詳しく述べている。

『歴史通』2013年1月号「反日宣伝を狙った人民虐殺 支那軍の空爆・火攻め・水攻め」
『歴史通』2013年1月号
http://www.fujisan.co.jp/product/1281690614/b/875061/
総力特集
日本vs中韓 文明と野蛮の戦い
P55~

■H・Nアイスコーヒー 佐々木益荒男
反日宣伝を狙った人民虐殺 支那軍の空爆・火攻め・水攻め






>岸井成格
>A級戦犯が合祀されてから、昭和天皇もね参拝されなくなったんですよ



天皇陛下が靖国神社の御親拝を長らくされていないのは、元A級戦犯の合祀が理由ではない。

天皇陛下の靖国神社御親拝が政治問題化されたためだ。

先帝陛下(昭和天皇)も現在の天皇陛下も、ご親拝をしない原因が元A級戦犯合祀などとは全く仰っていないのに、勝手に決め付けている涌井や岸井などは馬鹿で不届きだ。

天皇陛下のご親拝中止の原因は元A級戦犯合祀ではなく、無知で無策な政治家どもが靖国参拝を政治問題化させていることが原因だ。

上の【年表】で示した通り、戦後、靖国神社に合祀される人の基準は、国会で制定された法律に根拠がある。

「元A級戦犯は、戦犯ではない」「日本に戦争責任者は居ない」というのが、大東亜戦争の真実を良く知っていた当時の日本国民の総意による結論だった。


厚生省引揚援護局は、遺族援護法と恩給法の適用を受ける戦没者の名簿を作成し、その名簿を靖国神社に提出した。

名簿を受け取った靖国神社は戦前も戦後も、毎年合祀の前には必ず「上奏簿」(合祀の名簿)を作成して、宮内庁にお届けし、天皇に上奏してきた。

天皇陛下も歴代首相も、当然のこととして靖国を参拝していた。

ところが、先帝陛下(昭和天皇)の最後の靖国神社ご親拝となった1975年(昭和50年)11月21日の前日に、国会でこの問題が大きく取り上げられた。

11月21日、天皇皇后両陛下は靖国神社の秋の例大祭と千鳥ヶ淵戦没者記念墓苑にご親拝されたが、前日の11月20日の参議院内閣委員会で日本社会党の野田哲、秦豊、矢田部理の3議員が質問に立って厳しく追及した。

政府委員として答弁した富田朝彦・宮内庁次長(当時)が、天皇陛下の靖国神社御親拝は「私的行為」であると説明したところ、社会党議員からは、公的行為だとか私的行為だとかいった区別はできないのではないか、明日の天皇陛下の御親拝は、「(当時国会で議論されていた)天皇陛下や内閣総理大臣らの靖国神社「公式参拝」に道を開くものであって、「表敬法案」の先取りであり、【憲法20条】に違反する疑いがある、更に「あなた方によれば、私的行為の名のもとに天皇が靖国神社に参拝されるということは、どんな答弁、どんな強弁に接しようともわれわれは断じて認めるわけにはいかない」などといった厳しい批判が加えられている。

追及を受けた吉国一郎内閣法制局長官は遂に、天皇のご親拝は、「憲法第20条第3項の重大な問題になるという考え方である」と答えてしまった。

この答弁によって、天皇のご親拝が憲法・政治問題になってしまった。

同項は「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。

この条項の解釈問題が解決しないと、天皇陛下のご親拝は政治問題となる事態となった。

このような事情から、宮内庁としては天皇陛下の靖国神社ご親拝が憲法違反とされれば大変なことになるし、国民統合の象徴である天皇が政治的に争いのある問題に関わられるべきではないと判断をしたと考えられる。

実際に、それ以来、ご親拝は途絶えている。

天皇陛下がご親拝されなくなった決定的な原因がこの点にあることは明らかだ。

決して元A級戦犯合祀が原因でご親拝を中止したのではない。



先帝陛下(昭和天皇)は、1978年(昭和53年)に元「A級戦犯」が靖国神社に合祀された後も毎年、靖国神社の春秋の例大祭には勅使を欠かすことなく差し遣され、元A級戦犯が合祀されている社に奉幣を行われていた。

現在の天皇陛下も同様にされている。

また、三笠宮殿下や寛仁親王殿下をはじめ他の皇族方は靖国神社にご参拝を続けておられた。

皇族のご参拝は、天皇のご意思に反して行なわれているはずはなく、むしろ代拝とも考えられる。

更に、毎年8月15日、天皇・皇后両陛下をお迎えし、日本武道館で政府主催の全国戦没者追悼式が行われている。

この追悼式の追悼対象には、元「A級戦犯」を含んでおり、1977年(昭和27年)の第1回以来、その基準は変わっておらず、昭和天皇も今上天皇も元A級戦犯を含む戦没者の追悼をずっとされてきている。
「全国戦没者追悼式」では、毎年、天皇、皇后両陛下がご出席され、首相も式辞を述べるが、「全国戦没者之霊」には、いわゆる元A級戦犯の霊も含まれている


これらの事実からも、天皇陛下の靖国ご親拝中止は、憲法問題など政治問題となることを避けるためだったと判る。

つまり、元「A級戦犯」合祀に問題があるのではなく、天皇の靖国ご親拝を憲法・政治問題化させる動きに問題があるのだ。

だから、政治的に大きな問題になっていない「勅使差遣」や「皇族のご参拝」や「全国戦没者追悼式へのご臨席」は、そのまま続けておられる。

元A級戦犯合祀自体に問題があるのであれば、靖国への勅使差遣も、皇族のご参拝も、全国戦没者追悼式へのご臨席も、一切やめられたはずだ。

政治家も含めて無知な連中は、日経新聞の「富田メモ」報道を真に受けているのかもしれないが、日経新聞が全てのメモを公開していないことからも判るように、「富田メモ」報道はプロパガンダに過ぎない。

日経新聞は、御厨貴、秦郁彦、保坂正康、半藤一利、丸谷才一ら、もともとA級戦犯に批判的な連中などにしかメモの全てを見せていない。

日経新聞は、天皇陛下ご親拝中止の原因が元A級戦犯合祀だとする見解に疑問を抱く高森明勅、大原康男、渡部昇一、櫻井よしこ、百地章、岡崎久彦や一般国民にはメモの全てを見せずに隠蔽し続けている。

2006年7月に大々的に報道された「富田メモ」の1988年4月28日の最重要部分(私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と  松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている)は、先帝陛下(昭和天皇)のお言葉ではなく、元侍従長の徳川義寛が常々話していたことだ。
「富田メモ」

結論!

天皇陛下の靖国神社ご親拝が中止されている決定的な原因は、元「A級戦犯」の合祀ではなく、天皇陛下や首相による靖国神社参拝を政治問題化させている政治家どもの無知と無策にある。




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