東京裁判開廷の根拠となった極東国際軍事裁判所条例は、「被告人に対する公正なる審理」を保証していたが、実際は弁護側が提出した証拠文書などは大部分が却下されました。
反対に、検察側の証拠は「通例なら伝聞証拠として却下されうるような材料をも受理した」(パール判事)。
また、オランダのレーリング判事も、裁判終了後に「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような事実誤認があったが、裁判中は箝口令がひかれていて言えなかった」 と発言しました。
更に日本糾弾の旗頭キーナン主席検事ですら裁判が終わった後に、「東京裁判は公正なものではなかった」と発言しました。
以下は、『世界が裁く東京裁判』より
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【「弁護側に不利な証拠規則だった」(プリチャード博士) 】
それでは、どのような弁護側の「言い分」が却下されたのか。
インド代表のパール判事は、その個別意見書の中で特に「第三部 証拠および手続に関する規則」という章を設けてこの問題について詳しく論じているが、その中で、文書類を次のように分類している。
弁護側が提出し却下された文書
(1)日本軍が行動を開始した以前における中国本土の状態に関する証拠
(2)に在中国の日本軍が中国に平和を恢復し、静詮をもたらしたことを示す証拠
(3)一九二七年における中国の対英紛争に関する証拠
(4)満州が日本の生命線であるという日本国民の輿論を示す証拠
(5)
a、ソビェト連邦とフィンランド、ラトビア、エストニア、ポーランドおよびルーマニアとの関係に関する証拠
b、米国およびデンマーク対グリーンランドならびにアイスランドの関係に関する証拠
c、ロシアおよび大英帝国ならびにイランの関係に関する証拠
(6)原子爆弾決定に関する証拠
(7)パリ条約の調印にさいして、数カ国のなした留保に関する証拠
(8)
a、国際連盟規約
b、ランシング・スコット報告書
(9)
a、新聞のための当時の日本政府の声明、すなわち、新聞発表
b、当時の日本外務省の発した声明
(10)中国における共産主義に関する証拠
(11)以上にあげたもの以外の理由によって証明力がないと考えられた証拠
(『パル判決書』(上)PP575~577)
かくして、これらの視点に基づく証拠文書をすべて排除することによって事実認定がなされ、東京裁判の判決が下されたのである。
証拠書類のうちの多くの割合が却下されたとの印象は、日本人弁護団の副団長であった清瀬一郎弁護人にも共通していて、
《それ[却下された証拠書類]は膨大なものです。なかでも日本政府の声明、これはセルフ.サービング、つまり自分で自分を弁明するものだといって初めから却下されてしまうのです。中国との戦争これは日本では事変と言っているが、あの時分の蒋介石政府なり汪兆銘政府との間の合意によってできた声明、これも歴史上の記録ですが、みな却下です。おそらく弁護団側の出した証拠は十通のうち八通まで却下されたと思うのです。》
(「日本週報」昭和三十一年四月五日発行/『東京裁判日本の弁明』P35.)
と、その印象を語っている。
その膨大な却下・未提出弁護側資料二千三百六件は平成七年(一九九五年)、国書刊行会発行『東京裁判却下未提出辮護側資料』全八巻として初めて日の目を見ることになった。ともあれ、清瀬弁護人が証言しているように、当時の日本政府の公式声明が全て却下ということは、証拠規則においても「裁判を敗戦国の言い分を宣伝する場としてはならないし、戦勝国の戦争責任も追及されてはならない」という連合国の当初からの原則が冷厳に貫かれたことを物語っていると言えよう。
条例で「被告に対する審理の公正」を特に謳っているとはいえ、戦勝国たる検事側の「言い分」はたとえ根拠薄弱の証拠に基づいていても認められた一方で、敗戦国たる弁護側の「言い分」はほとんど認められなかった法廷において、果たして公正な「事実」認定ができるものか。答えは明らかだ。
この事態を判事はどのように見ていたのか。少数派個別意見側のフランスのアンリ・ベルナール判事は、特に「審理の手続についての意見」を提出し、
《条例は被告に弁護のために十分な保障を与えることを許していると自分は考えるが、実際にはこの保障は被告に与えられなかったと自分は考える。
多くの文明国家でそれに違反すれば全手続きの無効となるような重大な諸原則と、被告に対する訴訟を却下する法廷の権利が尊重されなかった。》(『東京裁判の正体』P118)
と指摘し、同じく少数派個別意見のオランダのべルト・レーリンク判事も、
《手続き上にも問題がいくつかあり、不公平な点がありました。
一例をあげると、中国における共産主義の脅威があったことを立証する機会を与えてほしい、との求めが被告側から出されました。そうした脅威があったために、日本は行動を起こしたと立証しようとしたのです。ドイツの場合は、ヨーロッパ大陸での大国になろうとして戦争に突入していったのですが、日本は、これとは違います。結局、裁判では、立証の機会は認められませんでしたが、アンフェア(不公平)だったと思っています。》(『東京新聞』昭和五十八年六月一日夕刊)
として、事実認定のあり方が被告に著しく不公平な裁判だった
『世界が裁く東京裁判』終戦50周年国民委員会編(ジュピター出版)
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