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縄文、古さケタ違い 1万6500年前の土器(青森)........四大文明より遥か前に土器・この地でなぜ?
縄文の起源4500年古く 青森で1万6500年前の土器片発見
1999/04/17, 朝日新聞夕刊

 青森県蟹田(かにた)町にある縄文草創期の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった土器片が一万六千五百年前に作られたものであることが、同遺跡発掘調査団(団長=谷口康浩・国学院大講師)と名古屋大学などによる最新の科学的分析法で明らかになった。これまで縄文時代の始まりとされてきた約一万二千年前より四千五百年も古く、考古学関係者は「定説を覆す、極めて重要な発見・研究だ」としている。土器の年代は世界的に見ても最古級に属し、「世界最古の土器文化」としての縄文文化の起源にも改めて光があたることになりそうだ。(15面に関係記事)
 昨年七月の調査で、遺跡から四十六点の土器片が出土。地下約五十センチの地層に散らばっており、同じ地層にあった石の矢じりなどから縄文草創期のものと確認された。土器の表面には、模様ははっきりしなかったものの薄い線があった。
 出土した土器のうち、煮炊きの跡を示す炭化物が付着していた五点を、調査団の依頼を受けた名大年代測定資料研究センターの中村俊夫助教授らが分析した。
 従来、考古学的遺物の年代を測定する場合、炭化物に含まれる放射性炭素の崩壊する速度を尺度とした「炭素14法」が主に利用されてきた。この方法は、大気中の炭素14の濃度が一定であることを前提としているが、実際は、地球環境の変動などで年代によって変化する。計測装置の精度の問題もあって、この方法で測った年代(炭素14年代)と実際の年代(暦年代)に大きなずれが生じるケースもあった。
 そこで、暦年代との関係がはっきりしている木やサンゴの年輪を利用した年代測定法を使って、炭素14年代を補正する方法が一九九〇年代に入って欧米を中心に発達。実際の暦年代に極めて近い値が得られるため、現在では「国際標準」として認められている。今回の分析では、この最新の方法を日本で初めて一万年以上前の考古学的遺物に適用した。
 調査団によると、精度が極めて高い加速器質量分析計で土器に付着した炭素14の濃度を測定。土器片の炭素14年代は一万二千六百八十年前から一万三千七百八十年前と出た。このうち、もっとも古い値を示した土器片の測定値を計算式で換算したところ、一万六千五百年前という値が得られた。
 一方、土器片と同じ地層から出土した炭化木を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)を通じて米国の分析機関に送り、分析したところ、ほぼ同じ測定結果が得られた。調査団長の谷口講師は「今回の調査分析で、縄文時代が暦年代でいつ始まったかがはっきりした。グローバルスタンダードに準拠したため、同じ尺度で世界各地の遺跡との比較が日本で初めて可能になる」と話している。
 大平山元1遺跡は、津軽半島中部の河岸段丘にある。七六年に最初の本格的な調査が行われ、昨年七月に民家の建て替えをきっかけに再調査が行われた。


 旧石器→縄文、移行に興味 網干善教・関西大名誉教授(考古学)の話

 縄文時代の出発点を塗り替える重要な発見といえるだろう。さかのぼるとしても、これまではせいぜい一千年前後だったが、四千五百年とは驚きだ。
 こうなると、旧石器時代から縄文時代への移り変わりにますます興味がわく。石器から土器への移行は「ろうそくから電気へ」と同様に、人間の生活にとって一大転換だ。なぜそれがどこでどう起きたのか、土器をさらに分析して縄文人の暮らしぶりを明らかにするべきだ。


 古代年代見直しへ

 《解説》大平山元1遺跡は、旧石器時代と縄文時代の境界に位置する。今回の画期的な年代算出で、新しい測定法による原始・古代の年代の見直しが急速に進むと思われる。
 同遺跡の年代測定は、世界的に進んできた考古学と自然科学の学際研究の成果だ。
 炭素14年代測定法は戦後間もないころから用いられてきたが、一九八〇年代に開発された加速器質量分析計によって、より精度の高い値が得られるようになった。同時に、気候変動や植生の変化なども、自然科学者の研究で明らかにされつつある。
 一方、土器や石器の年代判定を広域火山灰など地層の分析に頼っていた考古学の側でも、こうした年代測定法の有用性に気づき、土器そのものだけでなく、それに付着した炭化物の重要性を理解するようになった。
 信頼度の高い年代を出すには、発掘現場で土器を洗わない、素手で触らない、といった細心の注意がいる。これまでの発掘調査の常識を覆すことになる。一方、自然科学者も、出土状況の把握など、現場への理解が欠かせない。




縄文、古さケタ違い 1万6500年前の土器、この地でなぜ 青森
1999/04/17, 朝日新聞夕刊(15面)

 ナイル川やチグリス川流域などの四大文明の地に土器が出現するはるか前、大陸と陸続きだった「日本列島」ではすでに土器の製作が始まっていた。青森県の大平山元(おおだいやまもと)1遺跡で見つかった一万六千五百年前の縄文土器は、世界各地の土器と比べても、けた違いに古い。人はなぜ、この地で土器を作り始め、使うようになったのか。最新の年代測定法による分析は、「縄文とは何か」を改めて問いかけている。(1面参照)


 ●縄文土器の起源

 東京都立大学の小野昭教授によると、ヨーロッパに土器が登場するのは、七千年前ごろ。西アジアからドナウ川沿いに伝わったと考えられている。それに比べると、日本列島での土器使用は驚くほど古い。旧来の炭素14法でも約一万二千年前の土器が関東、九州など少なくとも数カ所の遺跡で出土している。長野県佐久市の下茂内遺跡で見つかった土製品が一万六千年前の数値を示したこともあるが、土器かどうか確認できなかったこともあって学問的評価は定まっていない。
 従来の説では、土器の出現は温暖化と関係があるとされてきた。しかし、最後の氷期が終わるのは約一万一千年前で、縄文時代の開始はそれよりかなり前になる。
 小野教授は「気候が急激に温暖化する以前のまだ寒い時期に、なぜ東アジアにだけ土器が現れたのか、興味深い」と話す。
 「むしろ寒いからこそ、土器が必要になった」と梶原洋・東北福祉大学教授はみる。
 食物が不足し、これまで食べられなかったものを煮炊きして食べる工夫が必要になった。それが土器、というわけだ。日本海をはさんだロシアのアムール川流域でも炭素14法で一万二千年前の土器が出ているといい、今後日本列島の遺跡との関連が注目を集めそうだ。
 佐原真・国立歴史民俗博物館長も「年代が一万六千年前までさかのぼるなら、これまで旧石器とされてきた時代の一部がそっくり縄文時代になる。改めて世界的な注目を集めるのではないか」と、今後の研究の発展に期待を寄せる。


 ●最古の矢じり

 大平山元1遺跡の出土物は、旧石器時代から縄文時代への移りかわりのイメージも大きく変えた。土器片が出たのと同じ地層から石の矢じりが二点見つかったからだ。
 弓矢は投げやりから発達し、日本ではその出現は約一万一千年前とされてきた。一万六千五百年前の矢じりの発見によって、弓矢の使用は一気に五千年以上さかのぼることになる。調査団長の谷口康浩・国学院大学講師は「弓矢の発明は人類の進歩にとって大きな飛躍だった。周辺大陸を含めて類例を見ないほど古い矢じりが見つかった意義は大きい。狩猟道具の発達についての従来の説は根本的に見直す必要がある」と話している。


 ●紀元前三千八百年

 最新の年代測定法については、国立歴史民俗博物館の辻誠一郎助教授もいち早く注目し、昨年から全国の縄文遺跡で出土した炭化物を測定し始めている。縄文前・中期の文化を代表する青森市の三内丸山遺跡で、谷に捨てられていた大量のニワトコ、ヤマグワ、ヤマブドウが紀元前三千八百年の数値を示した。
 「捨てられた果実は酒造りに使ったもの」と、辻助教授はみる。約五十キロ南の秋田県大館市の池内遺跡でも、全く同じ種類の果実が大量に捨てられており、こちらも紀元前三千八百年と判定された。「この時期、日食など縄文人の心をゆるがす事件が起きて、大量の酒造りでまつりごとをしたのではないか」
 補正した年代を使えば、世界中どこでも同じ尺度で年代を推定できる。「三内丸山で縄文の酒宴が催された年、エジプトでは……」。歴史の教科書に将来、こんな記述が登場するのだろうか。
 縄文土器の代表的な研究者である小林達雄・国学院大学教授も「今後、データを蓄積していけば、原始・古代の輪郭がさらにはっきりしてくるかもしれない」と話している。





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