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南京虐殺は嘘67・支那軍による虐殺7・南京郊外・農村部での食糧掠奪と殺害

●支那軍(不逞支那人)による南京郊外・農村部での食糧掠奪と殺害

日本軍の南京占領後も、支那の盗賊は、南京の郊外や農村で食糧などを強奪し、殺人までも行なった。
日本軍はちゃんとカネを払って調達したが、支那軍・不逞支那人はカネを払わず、殺して食糧等を奪った。





■日本軍は金を払った


「1月25日(曇)きょうは、発電所に2名の使役をだす。分隊は正門から約2キロの部落へ、野菜と食糧の徴発に行った。しかし、軍票がないので、日本円で払うと、土民は喜び、鶏卵まで加えてくれた」(46頁)

「2月6日(晴後曇、時々小雪) 分隊の何名かを残して徴発に行く。土民も段々好意を持つようになった。軍票がないので、幾らかの日本銭を与えると『謝謝』と笑顔で送ってくれる。」(49頁)

「4月5日(晴) きょうは勤務はない。昨日のこと(注:松江付近における敵の急襲)もあるので、いつ非常出勤があるかも知れない。野菜不足のため、城外に徴発に行く。農民は、我々がいつも金を与える関係で喜んで野菜を売ってくれる。またわれわれのためにすこし備蓄しておいてくれるらしい。」(72頁)

長谷川秋広上等兵の私家版『戦火の揚子江を行く』より引用


Ω Ω Ω Ω




■支那軍(不逞支那人)は略奪した


私家版の片山兵二著『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』(昭和52年)
 
以下は佐藤己三男准尉から聞いた南京陥落から四ヶ月後の湯山の模様。

 「どうも油断がならなくてね。昨夜も付近烽火を合図に数十名の敗残兵が現れ、良民から金品を強奪して行きました。そのため毎日討伐をやり、警戒を厳重にしていますよ」(347頁)


 大坪鉄三郎准尉と長倉久徳一等兵が語る、湯山の南の句容の状況。

 「この近くの部落へ十五名ばかりの強盗がやってきて、主人(農夫)を竈の上に吊り上げ、火あぶりにしたが、それが丁度、憲兵隊が使っているコックの実家なので、すぐに報告があり、今朝二手に分かれて討伐をやったのです。・・・奴らの残忍性にはあきれます。

 農民を火あぶりにした上、金を奪い取り、憲兵隊へ密告せば命がないぞと脅していくので、農民はブルブル震えて仕事が手につかないのです、そのためわれわれが行くと喜び親しんでイスをすすめ、お茶を出して歓待してくれますよ」(349頁~350頁)

『1937南京攻略戦の真実』東中野修道編著(小学館文庫)より引用





(参考)

南京虐殺は嘘40 食糧の補給と調達 (食糧現地調達による虐殺も嘘っぱちのでっち上げ)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/8913842.html

日本軍の「食糧などの補給と調達」、「輸送の問題」、「補給が不如意に陥った場合への備え」などについての説明がある。

日本軍は、将兵が飢えのあまり掠奪を行うような状態にはなかったが、何万人にも及ぶ大量の支那軍便衣兵などを優しく養うほどの余裕もなかった。

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