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責任なし18 盧溝橋事件直前の予兆・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし18 盧溝橋事件直前の予兆


これは「責任なし17 盧溝橋事件前 共産党の策動」の続きです。


 日本側に、冀察政務外交専員の林耕宇から「空砲で演習する場合でも、あらかじめ中国側に通告して欲しい」との要請があり、特務の方で検討する事になりました。

 北清議定書では、実弾射撃の場合は通報する事になっていますが、空砲の場合は規定されていません。

 「日本だけ勝手に規定を変える事はできない、ここは他の列強と協議してからでなければ」

 「しかし、今、不穏なこの時期、間違いがあれば大変な事になる」

 「ここは一時的に彼らの要求を通したら」

という事で、《7月6日、7日、9日、10日の4日間、日本軍が盧溝橋の原で昼夜空砲を使って演習する》という通告が、その日の晩に、中国側に通達されました。

‐‐‐‐

 一方、その頃、今井武官にはおかしな事が起こっていました。
 7月3日、反日で有名な馮治安から今井武官は、迎賓館開館の賓客第一号に招待されたのです。

 そして列車で保定に行く途中、馮治安から「近ごろ宛平県城の北面の壁めがけて夜間しきりに機関銃の射撃をする者があって困るんです。

それが空砲じゃなくて実弾なんです。

日本側でも一応調べてみて下さいませんか」と申し出られました。

 武官は「そりゃ、初耳です。調べてみましょう」と言って、翌4日、旅団次級副官の小野口大尉に照会しました。
 副官は早速各中隊に連絡し、くまなく調べさせましたが、そんな事実はありませんでした。

 そこで5日朝、結果は武官に報告され、武官は馮治安に回答しました。
 武官にとって、これは謎でした。

 “日本軍が、好き好んで夜中に宛平県城を射撃するなど常識として考えられないし、ことに実弾使用となると、日本軍は射耗報告がやかましいから、そんな事はできない。

だからと言って中国側が自ら宛平県城を射撃するような芝居、これもうがち過ぎて考えにくい”


 翌6日の夕6時、またしても今井武官に不可解な事が起こりました。

 今井武官が北京北城鼓楼西、陳子庚博士の邸の宴会に招かれていた時、表の方から一台の自動車があわただしく走りこんで来ました。

 ボーイが名刺を捧げもって入って来「ただいま石友三将軍がお見えになりまして、今井武官に緊急の用でお目にかかりたいと申しております」と伝えたのです。

 今井武官が会うと、石友三は「突然、こういう席に飛び込みまして不躾の段お許し下さい、実はただいま、盧溝橋で中日両軍が衝突し、今盛んに射ち合いを始めております。
 私は早速部下に命じ、日本軍に対し絶対に抵抗してはならんと言い含めて参りました。どうか日本軍も今後、私の部隊に対してだけは攻撃行動をとられないよう直ちに手配を願います」と言ったのです。

 武官は彼のこの言葉を怪しみました。

もし事実なら武官室からとっくに電話で報告が来てる筈です。

「石さん、それはどこから入った情報ですか」

「これは最も確実な情報です、絶対間違いありません。だから武官を探して飛んできたんです」

 周囲をはばかって出どころを言おうとしない。

先方が真剣なのに、けなしつけるのも礼がない、デマだとは思うが、そこはさあらぬ体で「それは、ご連絡有難う、日本軍は一番親日の石さんの部隊に対し、どうこうする考えは毛頭ありません。どうぞご安心下さい」としかるべくあしらった。

 その晩は何事も無く平穏にすぎ、石友三のもたらした情報はデマである事がハッキリした、が1日後、場所も状況も彼の言った言葉そのままに現実となって現われた。

 これは、一体何を意味するのか。

(寺平忠輔著『盧溝橋事件』読売新聞社刊 昭和45年発行より抜粋要約引用)


 今井武官は「石友三は何か知っていたのではないか。あまりに思いつめて日にちを一日間違えて、私の所に飛んできたのかも知れない」と言っていますが、私は、間違えたのではなく、一日早めに来て、暗示のような形で教えたのではないかと思います。

 日本側には、その発想が無かったので、意味が理解できなかったのでしょう。
 宛平県城への銃撃は、共産党の仕業と考えられます。

そうする事によって日本軍の仕業と思わせ、日本軍への疑心暗鬼を起こさせられるからです。

 この翌日、盧溝橋事件は起こります。

つづく










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