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責任なし24 通州虐殺事件(通州事件)・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

Yahoo!掲示板


投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし24 通州虐殺事件


これは「責任なし23郎坊事件と広安門事件」の続きです。


 香月中将は、最後通牒を出し、通告どおり7月28日、北京の中国軍へ攻撃を開始、実力排除に出ました。
 宋哲元はこれまでと北京を去りましたが、只では逃げません。

 通州と天津に分駐する冀東保安隊と第38師の一部に“蜂起”を指令しました。
 そしてその指令は実行されます。

 天津の中国軍は、天津駅、東機器局、飛行場、日本租界、支那駐屯軍司令部などを襲撃しました。
 尤も、これは日本軍によって撃退されますが。

 一方、通州の方は事情が異なっていました。通州は親日政権冀東防共自治政府の所在地であり、保安隊は野砲を持つ強力な存在だったので日本軍は安心していたのです。 ところが、彼らは、ひそかに宋哲元に服従していました。

 南京から「日本軍が負け、中国軍が勝っている」というラジオの偽放送があり、これを信じた彼らは、このまま親日でいたら自分たちが危ない、ここは一つ手柄をたてて、宋哲元の下に馳せ参じようと考えたのです。

 そこで、彼らは29日、通州にある特務機関、警察分署、守備隊、旅館、出張所、食堂、民家、など日本人のいる所を一斉に襲撃しました。ここで彼らは軍人、警察官だけでなく、非戦闘員の日本人居留民約260人を惨殺しています。老若男女の別なく。


 その、惨状は、聞きしに勝るものでした。証言には

 《城内は実に凄惨なもので到る処、無惨な日本居留民の死体が横たわって居りまして、殆ど全部の死体には首に縄がつけてありました。頑是なき子供の死体や婦人の虐殺死体は殆ど見るに耐えませんでした》

 《旭軒とか云ふ飲食店を見ました。そこには四十から十七~八歳迄の女七~八名は皆強姦され裸体で陰部を露出したまま射殺されて居りました。そのうち四~五名は陰部を銃剣で刺されていました。家の内は家具・布団・衣類等は何物もなく掠奪されていました》

 《錦水楼と云ふ旅館は凄惨でありました。同所は危険を感じた日本人が集まったものの如く大量虐殺を受けておりました。錦水楼の女主人や女中等は数珠繋ぎにされ、手足を縛られたまま強姦され、遂に斬首されたと云ふ事でした》

 《男は目玉をくり抜かれ、上半身は蜂の巣の様でありました》

 《南城門の近くに一日本人の商店があり、そこの主人らしき者が引っ張りだされ殺された屍体が路上に放置されてありました。これは腹部の骨が露出し、内蔵が散乱しておりました》

 《旭軒と云ふ飲食店に入りますと、そこに居りました七~八名の女は全部裸体にされ、強姦射(刺)殺されて居りまして、陰部に箒を押し込んである物、口中に土砂を填めてあるもの、腹部を縦に割ってあるもの等、見るに耐えませんでした》

 《東門近くの鮮人商店の付近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せて、それに八番鉄線を通し(貫通)、一家六名数珠繋ぎにして引廻された形跡、歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まって居たのを目撃しました》

 《守備隊の東門を出ますと、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわって居るのを目撃し、一同悲憤の極に達しました。敵兵は見当たりませんでしたので‥‥「日本人は居ないか」と連呼し乍ら、各戸毎に調査して参りますと、

鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等が、そこかしこの塵埃箱の中や壕の内、塀の蔭等から続々這い出して来ました》

とあります。

‐‐‐‐

 彼らは、日本人をやっつけた手土産を持って意気揚々北京にやって来ました。ところが、そこにいたのは宋哲元ではなく、日本軍だったのです。彼らは慌てて逃げますが捕まります。

 温厚な中島29軍顧問は「機関銃をくれ、仇をとってやる」と息まきました。尤も「それでは暴に酬ゆるに暴を以ってするだけだ」と止められ、結局、連中は収容もされず城外に放置されただけでした。

 理由は「収容すると飯を食わさにゃならん。本当は鉛の弾を食わしたいくらいなのに、飯などもったいない」という事です。彼らは後、移動して中国軍に加わります。これが当時の日本軍だったのです。現在宣伝されている事とえらい違いです。

 この後も、日本は和平を模索しますが、蒋介石は逆に上海戦を計画します。

つづく










●関連記事

惨!通州事件
1937年7月29日
南京放送のデマ報道で身の危険を感じた支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺
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南京虐殺は嘘61・支那軍による虐殺1・通州事件
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盧溝橋事件~通州事件(1937年7月)
北支で攻撃を受け停戦しても繰り返し攻撃を受け続けた日本軍
第7章いかにして戦闘は始まったか
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ6
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