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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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朝鮮総連前で北朝鮮批判街頭演説決行!「維新政党・新風」比例代表の瀬戸弘幸候補・新風のポスターだけが剥がされる怪・剥がすのは誰だ?!

公費で賄う選挙ポスター 今春の福岡県議選 上限請求 候補の6割超 1000円以下はわずか1割 1枚当たり5303円も
7月26日17時7分配信 西日本新聞

 参院選真っ盛り。街中で見かける候補者のカラフルなポスターの製作費は、公費で賄われる。その実態をご存じだろうか‐。今春の福岡県議選のケースを情報公開請求して調べたところ、立候補者の63%がポスター1枚の単価を公費負担上限額で請求していたことが分かった。1枚4000‐5000円を請求した候補者がいる一方で、1000円以下で済ませた候補者も約1割いた。どうしてこれほどの差が出るのだろうか。

 県議選では、供託金を没収された1人を除く123人が公費負担を請求。うち単価が同負担の上限だったのが78人。上限の9割以上を請求した人を加えると、76%の93人に上った。

 ポスター1枚の最高額は、アイドルの等身大ポスターの販売額に匹敵する5303円。逆に最低は約100円。総額の最高は99万706円(758枚分)、最低は4万4150円(438枚分)だった。

 県内の印刷業者によると、印刷代だけなら最高級紙を使っても1000枚で20万‐30万円程度。枚数が少ないと単価は上がり、逆に多く作るほど単価は下がるという。「デザイン代や写真撮影代などを含むと高くなるが、1枚数千円はちょっと高いね」と同社担当者。

 同1業者が作ったポスターでも単価に違いがあった。ある業者が、A候補に作ったのは1枚約1500円、別のB候補の分は1枚3000円だった。

 「印刷代だけなら1枚何1000円もかからない。公費は税金。できるだけ安く作るべきではないか」と1枚400円で済ませた候補は言う。さらに「他の印刷物代も含まれているのでは」と水増し請求の可能性を指摘した。

 福岡市の「市民オンブズマン福岡」の児嶋研二代表幹事は「1枚数千円のポスターは考えられない。税金の無駄遣いを監視すべき議員(や議員を目指す候補者)が、ずさんな公金支給の実態を悪用していると言わざるを得ない」と厳しく指摘。その上で「公費負担制度が地域の実情に合った制度にはなっておらず、支給の仕組みを見直すべきだ」と話している。


選挙ポスターが税金で賄われているというのに1枚5000円とはふざけてる。


ところで、今回私は新風のポスター貼りをやったが、数日後に選挙ポスター掲示板に行ってみると、貼ったはずのポスターが剥がされていた。

新風のポスターだけが、一ヶ所のみならず、何ヶ所でも剥がされていたので偶然ではあるまい。

新風のポスター貼りをした他の人も同じこと述べているので誰かが意図的に剥がしていたのは間違いないだろう。

新風のポスターを剥がす奴は誰だ?!



朝鮮総連前の風景


26(木)

朝鮮総連前  14:00←ココ

信濃町駅前(創価学会)16:00
新宿東口     18:00
新宿コマ劇場前 18:30


維新政党新風(せと弘幸)遊説日程

27(金):池袋東口  9:00
      新宿東口  11:00
      吉祥寺  14:00
      立川   16:30
      渋谷   19:00

28(土):大宮     9:00
      横浜西口  12:00 
      新宿西口   15:00
      渋谷    16:00 
      秋葉原   18:00
最終日は秋葉原電気街口18:00です。

※26日と28日の横浜西口、渋谷については対話形式演説会を開催します。
新風支持者は勿論、新風が大嫌いな反対派の方もどうぞお越しください。
是非討論しましょう!

<参考>
「日刊・中央通信」

今後の【新聞広告】(注・選挙公報とは別)
・比例代表  =産経新聞29日
・東京選挙区=読売新聞27日28日


【新風 比例代表 政見放送】予定

NHKテレビ 今晩23時05分から

まもなく

新風の政策公約「小学校の英語教育反対」の説明・学ばせるべきは誇り高き日本の文化・母国語こそが文化の中核・日本語教育の実効性あげよ

維新政党・新風の政策公約には『青少年に正しい公教育を実施します』とあり、その中には、

「自虐史観からの脱却を」
「国旗国歌教育の正常化」
「ゆとり教育反対」
「小学校の英語教育反対」
「職業教育の推進」
「正しい国語教育の強化を」

などがある。

このうち、「小学校の英語教育反対」に異論が寄せられているので、根拠を紹介しておこう。




―――――――
【正論】お茶の水女子大学 藤原正彦 学ばせるべきは誇り高き日本の文化
2004/03/29, 産経新聞

■英語教育を小学校に導入する愚


≪教えられる子供達が気の毒≫

 英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。

 小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。


 小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。

 英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。


≪母国語こそが文化の中核≫

 大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。
日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。

 英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。

 これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。


≪読書などの知的活動必要≫

 英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。

 伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を、素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。


 ある統計によると、仕事の上で英語を必要としている人は一八パーセントに過ぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人や、そんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、しかるべき人間とみなされず商談の進まないことがある。

 国をあげての英語フィーバーは、滑稽を通り越して醜態である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽(あお)るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。(ふじわら まさひこ)


―――――――

【オピニオンプラザ・私の正論】第357回 入選 宮地久子
2004/08/03, 産経新聞

■(大阪市・主婦)
■第357回テーマ「小学校における英語の必修化」

■日常生活の質に影響しない英語

≪具体的目標なく「机上の空論」≫

 まず結論を述べると、「日本国内での公立小学校における英語の必修化」は必要無い、と私は考える。その理由は大きく言って四つ。第一に、授業時間確保の問題。第二に、小学生に有効な英語学習を行うための教材や教員の問題。第三に、英語を学びたければ、個々人で学ぶ方法は、学校の外に豊富にあること。そして第四に、大多数の日本人にとっては、英語が使えることによって、日常生活で得られる利益は殆ど無いことである。

 まず、第一の授業時間確保の問題だが、「ゆとり教育」の徹底で土曜日が完全休日になった上、わけのわからない「総合学習」の時間確保が優先され、
国語・算数などの基礎学習に充てる授業時間数さえ少なくなっているのに、コツコツと毎日続けることが必要な外国語の学習のために、いったいどれだけの時間を充てることができるのか、疑問である。

 第二の問題については、どのレベルまでの習得を目標とするのかを、先に決めなければならないだろう。簡単な日常会話を習得するレベルなのか、「読み・書き・話す・聞く」の基礎能力をきちんと習得させるまでやるのか、さらにそれ以上、「英語で考える」ところまでのレベルを求めるのか、そうした着地点を明確にしなければ、どのような教材を使い、どのような人材(教員)を用意しなければならないのかさえ明確な議論はできないはずだ。しかし、そうした具体的な問題提起さえなされていない実情だけを見ても、現在文部科学省が提案している「英語必修化」議論が、単なる机上の空論でしかないことが分かるというものだ。

 第三に、時代を問わず日本では、「外国語学習」が趣味・教養として根強い人気があり、民間企業や個人が工夫を重ねて開発した数々の教材や教育システムが豊富にある。義務教育の中で「全員」に学習させるよりは、個々人の必要性と能力に合わせた教材や教室・教師を自分で選択させる方が効果的なのではないだろうか?

 その上で、どうしても国民全員に「平等に英語教育を」施したいという思いが為政者にあるならば、既成の教材・施設を利用するための「バウチャー(補助金・奨学金)」を一定額支給すれば済むことだと思う。


 だが、私が一番訴えたいのは、第四の部分である。日本の外で活動する場合には、現在のところ国際語として通用する英語を使いこなせることは有効ではあるが、大部分の日本人にとって、英語が使えるかどうかが日常生活の質に影響することはほとんど無いという事実を無視して、「英語の必修化」を論じることは無意味なことだ。必修化を訴える人は、いかなる根拠をもって「義務教育に必要不可欠の学習科目である」というのであろうか? 


≪日本語教育の実効性あげよ≫

 私は学生時代に日本語について学んだが、中世日本文学の研究をする際に、中世の日本に渡来してきていたポルトガル人の作った「日葡(にっぽ)辞書」が使われていることを知って驚いたものだ。中世・近世時代に日本へやって来た外国人たちの多くは、キリスト教を布教することが目的であっただろう。布教目的で世界各地へ散らばった宣教師たちの「努力」によって、多くの民族や国が、母国語の代わりにポルトガル語やスペイン語を公用語として使うようになり、それは現在にまで生き続けている。しかし、日本では日本語が他国語によって駆逐されることはなかった。「日葡辞書」を作ったポルトガル人宣教師たちも、最初はポルトガル語かラテン語で日本人を教化しようと企てていただろう。だが、そうせずに、自分たちの方が日本語を学び、日本語によって布教をした方が「効率的」であると考えたのは、日本語が「神」や「信仰」「隣人愛」などといった高等な抽象概念を理解することに不足の無い高度な言語であることを発見したからではないかと思われる。

 現代においても、日本語は感性に訴える必要のある外国文学やドラマ・映画においても、最先端の科学技術や哲学思想においても、万能の表現能力と造語力を有している。また、外国語をこなれた日本語に翻訳できる優秀な翻訳家を途切れることなく輩出しているため、日本語をすっかり捨て、外国語を使わなければ発展的な学習ができないという事態は、ここ千数百年ほどの間には生じていないはずだ。

 以上の検証から、日本の公立小学校における「英語の必修化」は、その緊急の必要性も実効性も乏しいと結論づけざるを得ない。本当は誰も真面目に考えていない
英語教育にエネルギーを費やすよりは、日本語による教育の実効性を最大限に上げる方法こそ、文部科学省は真剣に考えるべきである。もしくは、外国に「日本語学校」を数多く創設し、日本語を国際語に育て上げることに知恵とエネルギーを注いだ方が、日本への留学生や質の良い移入労働者が増えて国益に適うのではないかと、私は真面目に考えている。
――――――




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ブログ「タッチャンの散歩」のたつやさんが紹介してくれたサイト

小学校英語導入の是非
http://www.gyakusetsu-j.com/bbs/library/ag2_frm/No24.html

小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です
http://konn.seesaa.net/article/18137553.html

小便で汚染される支那のプール・最高級ホテルのプールでも小便垂れ流しで尿素汚染するも水を交換せず・日本の温泉でも支那人による糞尿垂れ流し被害続出

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000005-scn-cn


【中国】小便で汚染・水換えず、高級ホテルもプール不合格
7月25日12時24分配信 サーチナ・中国情報局

 上海市松江区の衛生当局はこのほど、同区内のプール15カ所の水質検査を実施したところ、尿素が基準値を超えたため5カ所が不合格となったことを明らかにした。同局では
「プールの中で小便をしてしまう水泳客が多いことが一因」との見方を示した。新民網が伝えた。

 同局は「この他、水を定期的に交換しないことも原因だ」と述べた。最高級とされる「5つ星ホテル」のプールでも不合格となったケースがあるという。
―――――――





支那では最高級ホテルのプールの中でも小便を垂れる水泳客が多く、プールが汚染されている。

北京五輪のプールも支那人の小便の尿素で汚染されるのだろう。


現在、日本の温泉には大量の支那人が押し寄せているが、浴室で小便や大便をされる被害が相次いでいるという。

日本の温泉も、「チャイナ・フリー」ならぬ「チャイニーズ・フリー(支那人・フリー)」を推進するべき!





関連記事
―――――――
北京でブームの温泉リゾート、大半は雑菌の温床
2007年6月

 [北京 13日 ロイター] 北京では温泉リゾートがブームになっているが、衛生検査当局の調査では、全体の約3分の2の施設がバクテリア検査で不合格となり、衛生基準の改善命令を受けている。新華社が13日に報じた。

 それによると、北京の衛生当局はリゾート施設22カ所から水のサンプルを採取したが、バクテリア基準を満たしたのは全体のわずか27.3%だった。

 当局は、検査で見つかったのは「人体に害のないバクテリア」だったとし、「これまでに温泉に入って病気になったという報告は聞いていない」としている。ただ、入浴前後にはシャワーを浴びることを推奨している。
―――――――




民主党は「沖縄ビジョン」と称して、総人口136万人の沖縄に、3千万人の支那人移民を受け入れようと画策している。

自民党の安倍首相は支那人留学生を増員している。

一方、私たちの『維新政党・新風』は、「入国管理体制強化」、「安易な外国移民受入反対」、「不法滞在外国人への断固たる対処」を政策公約に掲げている。



あなたはどの政党を選択する?!

参院選・理解に苦しむ公職選挙法とNHKによる政見放送のYou Tube不当削除・明日夜23:05から「新風」比例代表の最後の政見放送

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000050-san-l11


参院選 有名人応援も「芸」はダメ!?
7月25日7時50分配信 産経新聞

 29日投開票の参院選で、芸能人ら有名人による応援が相次いでいる。若者や無党派層の関心を引くための戦略だが、芸能人が選挙応援中に「芸」を披露すると、公職選挙法で禁じられた「利益供与」に当たるという解釈も。そのため、ダンサーは踊らず、お笑い芸人はしゃべらないという“物足りない”応援を余儀なくされている。
(以下略)
―――――――




公職選挙法は候補者は党のネットによる選挙運動を禁止(実際にはHPがブログが更新されている)するなど理解に苦しむ規則が多過ぎる。

ルールを作って守ることは重要だが、頓珍漢なルールが多過ぎる。


新風の政見放送がYou Tubeになったが、NHKによって次々と削除され続けている。

こちらは、公職選挙法ではなく、著作権侵害だという。

消された新風の政見放送のYou Tubeは、

【この動画は、NHK (Japan Broadcasting Corporation)による著作権侵害の申し立てにより削除されました。】
と表示されるのだ。

?(・_・;)

(゜д゜)ぽかーん

私にはどうもNHKの申し立てが理解できない。


さて、明日の夜は再び新風の比例代表の「政見放送」が放送される。

今晩は、22時からサッカー・アジアカップの準決勝「日本vsサウジアラビア」を観て日本を応援しよう。


明日、木曜日の夜は、「維新政党・新風」の比例代表の政見放送を観よう!

お友達や家族、職場の仲間などに教えよう!


【新風 比例代表 政見放送】予定
NHKテレビ
7月26日(木)夜23時05分から




以下は、「維新政党・新風」から比例代表で立候補している瀬戸弘幸さんのブログ「極右評論」の2007年07月09日の記事を転載

―――――――――
政見放送収録が終了

終了後5つの注意指摘の過激ぶり

 本日2時NHKにおいて政見放送の収録が無事終了しました。リハーサルも含めて2回できるのですが、一回でほぼ満足だったので、それを本番で使用して頂くことにしました。

 終わった後に案の定、NHKの職員が「申し上げたいことがあります」と近づいて、私に5項目の注意をしました。私は4つまではあるとは思いましたが、5つとは意外でした。

 余り書くと政見放送を皆さまが見る楽しみが減るので、ここでは簡単にだけ触れておきます。


1.国名に対する差別用語が使われています。

2.公党や団体の名誉を傷付ける言い方がなされています。

3.「在日、創価、部落解放同盟が結託して…」の表現に対して。

4.当方のNHKに対する発言について。

NHK:なぜ、そのように断定されて言われたのですか?

私:私はそのように思ったから発言させてもらいました。


(朝日新聞も同じように言ったが、朝日新聞という固有名称の指摘はなし)これってNHKを名指ししなければ、朝日新聞だけなら良かったのかな?

5.インターネットについて。

NHK:インターネットによる選挙は確か公選法によって禁じられているはずですが、そこに触れた発言はどうなのでしょうか?


 この5番目の指摘は意外でした。やはり既存メディアはネットを相当気にかけているようです。しかし、これは違法行為を助長した発言ではありません。

 「以上の点を考慮して、再度撮り直しますか?」と訊かれましたが―、


「何回やっても同じように発言します」として、これを拒否しました。


 前にNHKの職員から、候補者本人が信念を持って言われる以上、NHKとしては、それを止めていただく立場にはない―と言われた旨を告げると、NHKの職員は次のように述べました。

 「それではご注意は申し上げましたので、後の責任はそちらで取って頂くということでお願いします」

 それは最初からそのつもりなので「結構です」と答えました。

 さて、NHKはどうするのかな?自分の放送局を批判されて、かなり戸惑っていましたが、一瞬顔色が変わったのがハッキリ見て取れました。何せ、手話の人が立ち会った控え室では、NHKにはまったく触れずに、いきなり本番でやらかしたわけだから、驚いたことは言うまでもありません。

 この政見放送はかなり意識して喋っています。ニコニコして話しをする内容ではないので、少し顔が怖そうだとスタッフが言っておりました。別に緊張していたわけでなく、それくらいの凄みがないといけないと思っただけです。

 最後の最後にパフォーマンスもしっかり入れてあります。たぶんこのようなパフォーマンスも他の候補者はしないでしょう。既存マスコミに無視される我々新風に関しては、この政見放送だけが勝負です。

 放送されたら、後はどのように広まって行くのか?そこまでは私の知るところではありません。皆さんが勝手に広めてくれるでしょう。

 政見放送に立ち会った当方のスタッフが、私に終了時に声をかけました。


 「『してやったり、言ってやった!』という感じで終わっています。ご苦労様でした。気分はどうでした?」

 「やはり、緊張したかな。でもやり遂げた」
という満足感がありました。

 魚谷哲央代表も力強い言葉で最後を締めて頂きました。少し早口で時間が余ってバトンタッチしてしまいましたが、魚谷代表は冷静に時間を見ながらまとめてくれました。

 皆さん、是非ご覧下さい。

 言った通りに放送されることになります。

 最後に面白い話題を一つ、控え室で手話通訳の人に「創価学会とはどのように表現するのですか?」と訊いたら、両手で胸の辺りで鶴の羽を描くように丸く表現して見せました。

 それから、公明党のマークですとも…やっぱり一緒ジャン(笑)!

 それでは「カルトとはどのように表現するのですか?」と訊いたら、手話でのカルトという表現方法はないので、手話で一文字づつ「カ」「ル」「ト」と表現しますと片手の指を動かしてくれました。

 その辺りが正確に表現されているかも。注意して見ていただきたいものですね。

―――――――――






維新政党新風(瀬戸弘幸)遊説日程

 
26(木):朝鮮総連前 14:00
      信濃町駅前 16:00
      新宿東口    18:00
      新宿コマ劇場前 18:30

27(金):池袋東口  9:00
      新宿東口  11:00
      吉祥寺  14:00
      立川   16:30
      渋谷   19:00

28(土):大宮     9:00
      横浜西口  12:00 
      新宿西口   15:00
      渋谷    16:00 
      秋葉原   18:00


終日は秋葉原電気街口18:00です。

※26日と28日の横浜西口、渋谷については対話形式演説会を開催します。
新風支持者は勿論、新風が大嫌いな反対派の方もどうぞお越しください。
是非討論しましょう!


<参考>
「日刊・中央通信」
http://blog.livedoor.jp/central_press/


■※遊説日程は今後も交通事情などのために変更される場合があります。

激励・予定確認(せと弘幸)携帯電話番号 & メールアドレス
080-1240-7123
zzzseto@docomo.ne.jp
 




今後の【新聞広告】(注・選挙公報とは別)
・比例代表  =産経新聞29日
・東京選挙区=読売新聞27日28日




今後の【新風 比例代表 政見放送】予定
NHKテレビ
7月26日(木)夜23時05分から

NHKラジオ 7月26日(木)午後14時05分から

「支那」呼称を非難される謂れはない・「中国」「中華」は差別語だが、「支那」「シナ」は差別語ではない・「台湾」名義での国連加盟申請書を受理せず

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070724-00000016-jij-int


台湾の加盟申請を門前払い=国連、書類受け取り拒否
7月24日8時1分配信 時事通信

 【ニューヨーク23日時事】国連事務局は、陳水扁総統が潘基文事務総長にあてて提出した「台湾」名義での国連加盟申請書を受理せず、返却した。事務総長報道官が23日明らかにした。国連側が台湾の申請を門前払いした形だ。
 台湾は1993年以降、友好国を通じて加盟問題を総会で討議するよう求めてきたが、今回は初めて「台湾」名義で潘事務総長あてに申請書を送付していた。
―――――




台湾はもう「中華民国」「中国」の名義を完全に捨てて「台湾」になろうとしている。

支那も「中華人民共和国」「中国」の名義を捨てて「支那」になるべきだ。


最近、またコメント欄に多くの人から、「支那と言うな!」というヤジが寄せられているので、なぜ、「支那」といい続けるのかこの機会に改めて説明しておこう。



結論から言うと、「中国」「中華」は差別語であり、「支那」が正しい。

支那人の伝統的な文明観は「中華主義」というやつで、これを「華夷秩序」と言う。

これは差別そのものだ。

「中華主義」「華夷秩序」という差別文明観を取り込んだ「中国」という国名を認めて使用することは、満州やモンゴルや東トルキスタンやチベットやベトナムや台湾や日本や朝鮮などの周辺諸国を「野蛮な種族の地」と認めて呼ぶことを意味する。

「支那」「シナ」は差別語ではなく、「シーナ」(オランダ語、ポルトガル語)や「チーナ」(サンスクリット語)や「チャイナ」(英語)と同じなのだ。



だからと言って、私は、「中華」「中国」と言っている人に対して、『「中国」と言わずに 「支那」と呼べ』と言う気もない。

現実として、既に「中華」「中国」が一般的となっているので致し方ないと思っている。

ただ、「中華」「中国」が差別語である以上、私は使用を出来るだけ控えているだけ。


支那人は、「支那」の何が気に入らないのか不明。

支那の「国父」といわれている英雄「孫文」も日本に入国した時、国籍は「支那」と書いていた。


しかも、支那人が、「中華人民共和国」や「中国」と呼べと言ってる相手は、日本以外にあるのだろうか?

日本以外の国は、「チャイナ」や「シーヌ」や「シーナ」のままで良くて、日本だけに「シナ」から「中国」に変更しろと言ってるのではないのか?

支那が日本に、「中国と呼べ」と言って来たのは、終戦の翌年1946年だった。

アメリカのお蔭で一応「戦勝国?」となった国民政府(蒋介石政権)が、アメリカに占領されて主権がなかった日本に対して要求したのだった。


「日本では敗戦直後の1946年に中華民国からの要望により、支那を中国と呼ぶように外務省から通達が出され、公務員が公務を行っている時のみは支那を使うことや公共電波での支那呼称は禁止されている(当時の外務省局長級通達による)。
ただし、上記通達で禁止されているのは「国名としての『支那』」呼称のみであり、歴史的・地理的および学術的呼称の場合は必ずしも従う必要はない。
上記通達でも「東シナ海」「支那事変(日支事変)」などの名はやむを得ないとされている(現実には支那事変は日中戦争に取って代わられた)。」




また、「支那」という言葉(表記)は、清国より遥か大昔からあった。

「支那」という表記を発明したのは古代シナ人だった。


――――――――
"支那"原是"Cina" 的音譯,是古代印度対古代中国的称呼,最早出現在梵文佛経中。梵文Cina進入不同的語言中,其読音変化不大,譯音是"China"、"支那"、"脂那"、"至那"或"震旦"。1999年5月7日付けの「人民日報、支那源流考」
――――――――
中国でも仏典や、「宋史」などに支那という語が使われているそうだ。北京かわら版 1999年3月 第90号 雑学 中国を繙く24「支那」は本当に悪くない言葉か(1) 櫻井澄夫(元JCB北京事務所所長)
――――――――




梵語(サンスクリット語)
チーナ,ティン

漢訳仏典
支那,脂那,チナ

フランス語
ラ・シーヌ

英語
チャイナ

ドイツ語
ヒーナ

イタリア語
ラ・チーナ

オランダ語
シーナ

ポルトガル語
シーナ

スペイン語
チナ

日本語
支那,シナ




まとめ(参考コピペ)

――――――
まず、「シナ」の語源ですが、支那史上最初の統一帝国「秦」(チン Ch'in 前221-207)から来ています。
この「チン」(秦)がインド(サンス クリット語)に伝わり、「チーナ」(Cina)・「ティン」(Thin)となり、更にヨーロッパへ伝わり、「シーヌ」(Chine 仏語)・「チャイナ」(China 英語)と変化していった訳です。
そして、戦前の日本で広く使用された「支那」もこれと同様で、梵語(サンスクリット語)の「チーナ」がインドの仏典と 一緒に支那に逆輸入されたもので支那人自身が「支那」・「脂那」と表記したのが起源です。
つまり、支那側が侮蔑用語としている「支那」の表記は、支那自身が編み出したもので、日本人は江戸時代中期以来終戦までそれを借用していたに過ぎないのです。
また、日本人が使用していた「支那」が侮蔑用語だというならば、「シーヌ」も「チャイナ」も侮蔑用語となる訳で(語源は全て同じなのだから)、支那が自国の英語表記を「People's Republic of China」(支那人民共和国)とする事自体矛盾している訳です。

「中国」の呼称に潜む真の意味について書いてみようと思います。
支那の現国名「中華人民共和国」の「中華」ですが、この中の「華」とは古代支那の王朝「夏」が起源で、「中夏」とも書かれました。
そして、「中国」・「中華」の「中」とは、「世界 の中心」を意味しており、「中華」とは、「世界の中心である夏(華)」と言った意味なのです。
そして、この「中国」・「中華」とは裏を返せば、支那周辺の国々は「野蛮で非文化的な未開な地」と言う意味も込められています。
これが「中華思想」と呼ばれるもので、支那の周辺国は方角によって、東夷・西戎・南蛮・北狄と呼ばれました。
勿論、私たちが住む日本も例外ではありません。
「邪馬台国」や「女王卑弥呼」で有名な「魏志倭人伝」も、正式には「魏志東夷伝倭人条」と言います。
つまり元来、日本人が支那の事を「中国」と呼ぶ のは大義名分からしても不自然な訳で(あの「広辞苑」にもそう書かれています)、支那側が自国の呼称としている「中国」(及び「中華」)は、逆の意味で「支那」以上に侮蔑用語なのです。
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繰り返す。「中華主義」「華夷秩序」という差別文明観を取り込んだ「中国」という国名を認めて使用することは、満州やモンゴルや東トルキスタンやチベットやベトナムや台湾や日本や朝鮮などの周辺諸国を「野蛮な劣等種族の地」と認めて呼ぶことを意味する。

私は、満州やモンゴルや東トルキスタンやチベットやベトナムや台湾や日本や朝鮮などの周辺諸国に対して非常に失礼な「中国」という言葉の使用したくはない。


以上

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