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新風の政策公約「小学校の英語教育反対」の説明・学ばせるべきは誇り高き日本の文化・母国語こそが文化の中核・日本語教育の実効性あげよ

維新政党・新風の政策公約には『青少年に正しい公教育を実施します』とあり、その中には、

「自虐史観からの脱却を」
「国旗国歌教育の正常化」
「ゆとり教育反対」
「小学校の英語教育反対」
「職業教育の推進」
「正しい国語教育の強化を」

などがある。

このうち、「小学校の英語教育反対」に異論が寄せられているので、根拠を紹介しておこう。




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【正論】お茶の水女子大学 藤原正彦 学ばせるべきは誇り高き日本の文化
2004/03/29, 産経新聞

■英語教育を小学校に導入する愚


≪教えられる子供達が気の毒≫

 英語第二公用語論がやっと沈静したと思ったら、今度は手をかえて「小学校での英語必修化」が蠢(うごめ)き始めた。平成十四年に、国際理解教育の一環として公立小学校に導入された英語は、今や全国の小学校の半数以上で教えられている。平成十六年度には東京・荒川区で、英語を正式教科に格上げし、区内の全小学校で一年次より担任が教えることになるという。

 小学校での英語に関しては保護者の要望も強く、この動きは今後全国に広がりそうである。この高まりを受けてか、小学校での英語必修化に強い意欲を持つ文部科学大臣は、中央教育審議会に実施に向けた検討を要請した。


 小学校での英語教育を主張する人の大多数は、英語が不得意の人である。自分ができないのを何かのせいにする、というのは人情である。かつては、文法や読解に重点をおいた従来の英語教育法が悪い、と声高に叫ばれた。教科書や授業で会話英語が大幅に取り入れられた。そんな教育を受けてきた大学生の英語基礎力の低下は、関係者からよく指摘されることである。しからば他の理由ということで、「小学校から始めなかったのが悪い」となった。

 英語力ゼロに近いほとんどの小学校教諭が、生徒に一体なにを教えるのか。ブラックユーモアとしてなら世界中に受けること必定だが、教えられる子供達は気の毒である。


≪母国語こそが文化の中核≫

 大ていの日本人が英語をなかなか会得できないのは、日本人にとって英語自体が極端に難しいからという理由につきる。何かが悪いからではない。
日本にいて英語をマスターしている人はすべて、外国語適性の高い人が膨大な時間と労力をかけた結果である。

 英語は文法的にも文化背景から言っても、日本語からあまりにも遠い。アメリカ国務省は、外交官などのため外国語学習の難易度をランキングしているが、日本語はアラビア語とならび最難解とされている。この距離ゆえに、日本人にとって英語は根本的に難しいのである。そのうえフィリピン、シンガポール、インドなどと違い、日本で日常生活を送るうえで日本語以外の言語はまったく不必要である。どうしても習得しなければ、という動機も覚悟もわきにくい。

 これらは嘆くべきことではない。外国語が不必要というのは、他のアジア・アフリカ諸国と異なり、かつて欧米の植民地にならなかったという栄光の歴史を物語っている。英語から遠いという事実は、世界を席捲しつつあるアングロサクソン文化に対し、自然の防波堤を有するということである。母国語こそが文化の中核だからである。我が国に美しく花開いた稀有(けう)の文化、人類の宝石とも言うべきものを、荒波から守るための神の思し召しと感謝してよい。


≪読書などの知的活動必要≫

 英語をマスターすれば国際人になれる、という驚くべき誤解が国民の間に根強いようだ。言うまでもなく国際社会では、一芸に秀でた人はともかく、一般には伝達手段の巧拙でなく伝達内容の質で人間は評価される。質の向上には自国の文化や歴史などの教養とそれに基づく見識が必要である。米英で四年余り教えたが、この意味での国際人は私の見るところ、両国でも高々数パーセントである。逆にぎこちない英語ながら、国際人として尊敬されている日本人を何人も知っている。

 伝達手段の英語をマスターし、かつ自らの内容を豊かにすることは、並の日本人には不可能という辛い現実を、素直に国民に伝えねばならない。内容を豊かにするためには、読書を中心とした膨大な知的活動が必要であり、これが膨大な英語習得時間と、並の人間にとって両立しないのである。うまく両立させられる日本人は、千人に一人もいないと考えてよい。


 ある統計によると、仕事の上で英語を必要としている人は一八パーセントに過ぎない。基本的に英語は、中学校で全員が学んだ後、必要に迫られている人や、そんな仕事につきたい人が猛勉強して身につければよいものである。この場合でも教養や見識は英語より上にくる。海外駐在商社マンも日本の文化や歴史を知らないと、しかるべき人間とみなされず商談の進まないことがある。

 国をあげての英語フィーバーは、滑稽を通り越して醜態である。為政者は、国際化だ、ボーダーレス化だ、などと軽薄な時流に乗って国民を煽(あお)るより、真に誇るべき日本の文化や情緒を子供達にしっかり学ばせ、祖国への自信と誇りを持たせることが肝要と思う。(ふじわら まさひこ)


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【オピニオンプラザ・私の正論】第357回 入選 宮地久子
2004/08/03, 産経新聞

■(大阪市・主婦)
■第357回テーマ「小学校における英語の必修化」

■日常生活の質に影響しない英語

≪具体的目標なく「机上の空論」≫

 まず結論を述べると、「日本国内での公立小学校における英語の必修化」は必要無い、と私は考える。その理由は大きく言って四つ。第一に、授業時間確保の問題。第二に、小学生に有効な英語学習を行うための教材や教員の問題。第三に、英語を学びたければ、個々人で学ぶ方法は、学校の外に豊富にあること。そして第四に、大多数の日本人にとっては、英語が使えることによって、日常生活で得られる利益は殆ど無いことである。

 まず、第一の授業時間確保の問題だが、「ゆとり教育」の徹底で土曜日が完全休日になった上、わけのわからない「総合学習」の時間確保が優先され、
国語・算数などの基礎学習に充てる授業時間数さえ少なくなっているのに、コツコツと毎日続けることが必要な外国語の学習のために、いったいどれだけの時間を充てることができるのか、疑問である。

 第二の問題については、どのレベルまでの習得を目標とするのかを、先に決めなければならないだろう。簡単な日常会話を習得するレベルなのか、「読み・書き・話す・聞く」の基礎能力をきちんと習得させるまでやるのか、さらにそれ以上、「英語で考える」ところまでのレベルを求めるのか、そうした着地点を明確にしなければ、どのような教材を使い、どのような人材(教員)を用意しなければならないのかさえ明確な議論はできないはずだ。しかし、そうした具体的な問題提起さえなされていない実情だけを見ても、現在文部科学省が提案している「英語必修化」議論が、単なる机上の空論でしかないことが分かるというものだ。

 第三に、時代を問わず日本では、「外国語学習」が趣味・教養として根強い人気があり、民間企業や個人が工夫を重ねて開発した数々の教材や教育システムが豊富にある。義務教育の中で「全員」に学習させるよりは、個々人の必要性と能力に合わせた教材や教室・教師を自分で選択させる方が効果的なのではないだろうか?

 その上で、どうしても国民全員に「平等に英語教育を」施したいという思いが為政者にあるならば、既成の教材・施設を利用するための「バウチャー(補助金・奨学金)」を一定額支給すれば済むことだと思う。


 だが、私が一番訴えたいのは、第四の部分である。日本の外で活動する場合には、現在のところ国際語として通用する英語を使いこなせることは有効ではあるが、大部分の日本人にとって、英語が使えるかどうかが日常生活の質に影響することはほとんど無いという事実を無視して、「英語の必修化」を論じることは無意味なことだ。必修化を訴える人は、いかなる根拠をもって「義務教育に必要不可欠の学習科目である」というのであろうか? 


≪日本語教育の実効性あげよ≫

 私は学生時代に日本語について学んだが、中世日本文学の研究をする際に、中世の日本に渡来してきていたポルトガル人の作った「日葡(にっぽ)辞書」が使われていることを知って驚いたものだ。中世・近世時代に日本へやって来た外国人たちの多くは、キリスト教を布教することが目的であっただろう。布教目的で世界各地へ散らばった宣教師たちの「努力」によって、多くの民族や国が、母国語の代わりにポルトガル語やスペイン語を公用語として使うようになり、それは現在にまで生き続けている。しかし、日本では日本語が他国語によって駆逐されることはなかった。「日葡辞書」を作ったポルトガル人宣教師たちも、最初はポルトガル語かラテン語で日本人を教化しようと企てていただろう。だが、そうせずに、自分たちの方が日本語を学び、日本語によって布教をした方が「効率的」であると考えたのは、日本語が「神」や「信仰」「隣人愛」などといった高等な抽象概念を理解することに不足の無い高度な言語であることを発見したからではないかと思われる。

 現代においても、日本語は感性に訴える必要のある外国文学やドラマ・映画においても、最先端の科学技術や哲学思想においても、万能の表現能力と造語力を有している。また、外国語をこなれた日本語に翻訳できる優秀な翻訳家を途切れることなく輩出しているため、日本語をすっかり捨て、外国語を使わなければ発展的な学習ができないという事態は、ここ千数百年ほどの間には生じていないはずだ。

 以上の検証から、日本の公立小学校における「英語の必修化」は、その緊急の必要性も実効性も乏しいと結論づけざるを得ない。本当は誰も真面目に考えていない
英語教育にエネルギーを費やすよりは、日本語による教育の実効性を最大限に上げる方法こそ、文部科学省は真剣に考えるべきである。もしくは、外国に「日本語学校」を数多く創設し、日本語を国際語に育て上げることに知恵とエネルギーを注いだ方が、日本への留学生や質の良い移入労働者が増えて国益に適うのではないかと、私は真面目に考えている。
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ブログ「タッチャンの散歩」のたつやさんが紹介してくれたサイト

小学校英語導入の是非
http://www.gyakusetsu-j.com/bbs/library/ag2_frm/No24.html

小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です
http://konn.seesaa.net/article/18137553.html

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