アさて、アさて、さては南京嘘だらけ
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-02/22/content_24703475.htm
南京大虐殺生存者の叫び 「私達が証人だ」
発信時間: 2012-02-22 16:41:13 | チャイナネット
河村たかし名古屋市長が20日、南京市代表団と会談した際に「南京(大虐殺)事件はなかったのではないか」と発言したことを受け、南京大虐殺の生存者が21日に取材に答え、「私達が証人だ」と怒りを込めて語った。中国新聞網が報じた。
南京防衛戦に参加した経験を持つ兵士のうち、今も存命している人はわずか3人だ。その中の1人、李高山氏(88)は南京防衛戦に参加した兵士であり、南京大虐殺の生存者でもある。
李高山氏は高齢で耳は遠いものの、名古屋市長の言葉を聞くと「名古屋市長は事実を歪曲している。私は死体の山の中から這って出てきたんだ。これこそが証拠であり、私達は証人だ」と怒りを込めて語った。
「今日ニュースを見て、とても憤慨している」。南京大虐殺の生存者、シャ子清氏(79)は記者にこう語った。「名古屋市長の言葉は完全なるでたらめだ。南京大虐殺は世界的にも認められている。生存者の李秀英氏は亡くなる前に『恨みではなく、歴史を記憶しよう』と語った。我々は彼女の言葉を胸に刻まなければならない」。
1937年の南京大虐殺から74年が経ち、生存者も皆高齢者となった。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館の統計によると、南京大虐殺で生き残った人のうち、今も存命している人は237人であり、歴史の「生き証人」は今後10年以内にいなくなってしまう可能性がある。現在各方面は生存者の情報を募集している。
平均年齢80歳を超える生存者たちは、世界各地を訪れて各種の平和集会に参加し、自らの経験を語り、歴史を証言している。
李高山氏は1980年代、大阪で証言報告をしたことがあるほか、昨年12月には香港で南京大虐殺の歴史を語ったという。シャ子清氏は8年前から侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館でボランティアとして働いている。「毎週金曜日に記念館で当番に当たり、見学に来た学生たちに歴史と自分の体験を語っています。2004年から働き始めて、もう8年目になります。記念館側も私の体調を考慮してくれ、これまでは週6日でしたが、現在は週1日の当番となりました」。
李高山氏 略歴:
南京陥落後、日本軍は李高山氏を含む数百人の兵士を捕虜とし、八字山公館に閉じ込めた。日本軍は窓から室内に向かって機関銃で猛射し、ほとんどの人はその場で殺されたが、李氏は背が低かったために奇跡的に生き延びた。その後、建物の屋上に隠れ、飲まず食わずで数日を過ごしたが、向かいにいた日本兵に発見されて拘束され、近くの池で殺されそうになった。しかし、李氏は年が若く、背が低かったため、他の5人は銃殺されたが1人だけ九死に一生を得た。李氏は日本軍に連行され、数十日間肉体労働をさせられたが、その後生還した。
シャ子清氏 略歴:
南京大虐殺発生時、シャ子清氏はわずか5歳だった。当時、父親は運よく長江以北に逃げ延び無事だったが、家に残っていた母親は日本軍に惨殺された。子供たちは米国大使館に逃げ込んだ。ある時、日本兵に捕まり、拳銃で頭を殴られ顔中血だらけになったが、大使館の人に助けられ、生き延びることができた。
「人民網日本語版」2012年2月22日
>その中の1人、李高山氏(88)は南京防衛戦に参加した兵士であり、南京大虐殺の生存者でもある。
88歳なら1923年か1924年生まれだ。
支那事変で南京戦があったのは1937年だ。
こいつは13歳か14歳で支那軍に加わり南京防衛戦に参加したのか?!
軍服を着て参戦したのか?
便衣兵だったのではないか?
14歳以下の支那正規軍兵士だった可能性は限りなくゼロに近い。
つまり、李高山は、嘘を吐いているということだ。
と言うか、そもそも兵士だったのに生存していて「大虐殺生存者」などと言うこと自体がおかしい。
>李高山氏 略歴:
>南京陥落後、日本軍は李高山氏を含む数百人の兵士を捕虜とし、八字山公館に閉じ込めた。日本軍は窓から室内に向かって機関銃で猛射し、ほとんどの人はその場で殺されたが、李氏は背が低かったために奇跡的に生き延びた。
日本軍が戦闘中に捕まえた直後に処分した支那軍将兵は「捕虜」ではなく、「投降兵」や「敗残兵」や「便衣兵」などだ。
「捕虜」というのは、相手の軍が投降を認め、収容所などに収容されて初めて「捕虜」となる。
1937年12月に日本軍が処分した支那軍将兵は、「捕虜」ではなかった。
戦闘中に投降してきた支那軍将兵を捕虜として保護するかどうかは、主権者である日本軍が判断する。
――――――――――
ハーグ陸戦法規第二十三条は、「兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること」を禁止している。
しかしながら、戦闘の進行中で敵軍の一部が投降せんとする場合に、味方軍がこれを受諾し投降兵を収容して後方に送致する為には味方軍の進撃を中止する必要を生じその事が味方軍の勝利を危うくする惧れのある場合には、味方軍の安全と勝利を確保する為に敵軍の降伏信号を黙殺して攻撃を継続する事が軍事上必要となる。
故に、戦時法規は一定の条件下において投降の拒否を認めるのである。
この見解はオッペンハイムを始め多数の戦時国際法家に支持されている。
「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」
(オッペンハイム)
――――――――――
ましてや、相手が便衣隊(軍服を着ないゲリラ部隊)の場合、適当な場所へ連れて行って処断するのは当たり前のことだ。
日本軍の場合、1937年、8月、9月、10月、11月…と、多くの支那軍便衣兵によって、多くの日本軍将兵が犠牲になった(関連記事)。
便衣兵は殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後、支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。
ちなみに、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。
「反戦兵士」にする極めて少数の日本兵を除き1人残らず惨殺した。
まさに「皆殺し」だった。
一方、日本軍は、南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護した。
まー、普通に考えて、13歳か14歳で「南京防衛戦に参加した」などという李高山(88)の話は嘘っぱちのでっち上げだ!
>南京大虐殺の生存者、シャ子清氏(79)
79歳ということは、1932年か1933年生まれだ。
支那事変で南京戦があったのは1937年だ。
南京戦があった1937年当時、シャ子清は、4歳か5歳だった!
4歳か5歳の子供に、日本軍か支那軍かを区別するのは困難だし、ましてや戦闘か便衣兵処刑か虐殺かの区別など絶対に無理!
以上、 「私達が証人だ」と叫んだ李高山とシャ子清の2人の生き証人とやらは、アッサリと2人とも嘘吐きの偽証言者だと判明した!
実は、支那事変(大東亜戦争)が終わると、連合軍は支那人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけたが、当時そのような証言者が現れず、連合軍は非常に苦労した。(関連記事)
――――――――――
東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」によれば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。
ところが、日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむなく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。
その後も調査を進め、ようやく「五百件の調査事実」を発掘したが、「資料を獲得する毎々一々これを審査」した結果、新規に採用できたのは僅か四件であった。ともかく・・・
The Alleged "Nanking Massacre"再審「南京大虐殺」
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-2
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今頃になって、 「私達が証人だ」と叫んだところで、一人は13歳か14歳で参戦したと言っているし、もう一人は当時4歳か5歳だったのだから、全く証人とは認められない。
私は、2003年くらい前からヤフー掲示板などで南京問題について反日左翼たちを相手に論争を繰り広げてきた(ブログを始めるまでは殆ど毎日で、ブログを始めてからは週に1度)。
しかし、未だに一度たりとも日本軍による南京での虐殺を証明する証拠や証人を見たことがない。
☆チン チン ☆
チン チン
☆ チン 〃 Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 鉄壁の証拠、まだ~ー!!
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| .台湾バナナ. |/
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◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆
●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)
●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu00.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu20.htm
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(外務省の公式声明など○)
●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿 ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.当時の政府の認識 ×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)
●カチンの森事件
1.ポーランド人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書その他公式文書 ○あり
(スターリンが命令し、内務人民委員部長官ラヴレンティ・ベリヤが命令書に署名○)
3.当時の政府の認識 ○あり
加害者のソ連 ○あり
被害者のポーランド ○あり
濡れ衣を着せられたドイツ ○あり
(事件3年後、収容所にいた元ポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等の遺骸を発見○)
●ホロコースト
1.犠牲者の名簿 ○あり
(犠牲者や強制労働者ら1750万人の名簿○)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(ナチスの強制収容所などの実態が記述された約5千万件の公文書○)
3.当時の政府の認識 ○あり
●原爆投下
1.犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料 ○あり
3.当時の政府の認識 ○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)
●ソ連による日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件
1.犠牲者の名簿 ○あり
(死亡年月日、死因、埋葬地など全員○。犠牲者は50万人超で、ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみ渡された)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(マリク駐日大使がモロトフ外相に宛てた文書で、「1946年12月時点で、まだ生存している抑留日本人が105万人以上居る」と記載○)
3.当時の政府の認識
被害者の日本 ○あり
加害者のソ連 ○あり
第3国の米国 ○あり
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支那共産党市委員会の劉志偉常務委員(左)との会談後、贈り物を交換する河村たかし名古屋市長=20日午前、名古屋市役所
2月23日付当ブログ記事で紹介した、河村たかし議員(当時)が平成18年(2006年)6月13日に日本政府(小泉純一郎首相)に対して提出した「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を見ても分かるように、名古屋の河村たかし市長は、南京問題についてはかなり勉強しており、このような南京に乗り込んで話し合おうと言っている。
◆名古屋市長会見詳報(2月20日定例会見)
(一部抜粋)
-幹部への発言はどういう意図か。
旧日本軍が30万人の一般市民を虐殺したと語り継がれて(南京には)記念館まである。日本国の子孫のため(歴史認識を)真実へと正すのは63歳のじいさまの社会的、政治的使命だと思っとります。
-討論会はどういうイメージか。
何人か、私も行きますけど、南京で開くのがいい。論点を三つか四つぐらいに絞って、日本人としての主張をはっきり言っていく。
当時、捕虜収容所で放火事件があって、銃撃事件になってしまって一般の人が亡くなったり、容疑者を揚子江で処刑したりと、残念なことはあった。
南京事件を勉強してきて、一般的な戦闘行為はあったが、虐殺は無かったというのが私の立場です。
米国の高校の歴史副読本には日本軍が40万人の非武装の市民を虐殺したと載っとる。米国もこういう認識。
姉妹都市だからこそ、真実を言い、のどの奥に刺さったトゲをきちっと抜かないかん。堂々と(南京へ)言いに行かなかんです。
ところが、南京側は河村市長の入国を拒否しようとしているのだが…
さらに、日本のマスメディアは、河村市長に「南京事件はなかった」発言を撤回させて謝罪させようと躍起になっている。
そのようなマスメディアに対して、河村市長は2月23日もまたまた発言撤回を拒否した!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120223-00000049-mai-pol
<河村名古屋市長>南京事件発言、改めて撤回否定
毎日新聞 2月23日(木)13時22分配信
日本記者クラブで会見する河村たかし名古屋市長=東京都千代田区で2012年2月22日、手塚耕一郎撮影
河村たかし名古屋市長は23日午前、南京事件を否定する発言について「撤回したら(政治家として)生きていられない」などと報道陣に述べ、撤回しない姿勢を改めて示した。また「衆院議員時代にまとめた政策集『河村ビジョン』に書いている」と、一連の発言は従来の自身の外交論に基づいていると説明した。
「河村ビジョン」は08年に発表。「『南京大虐殺記念館』や『盧溝橋記念館』などにも行き、言うべきことは言う。主張しなければ、外交は成り立たない」と記している。
>河村たかし名古屋市長は23日午前、南京事件を否定する発言について「撤回したら(政治家として)生きていられない」などと報道陣に述べ、撤回しない姿勢を改めて示した。
素晴らしい!
頑張れ!
■河村たかし市長への激励先
名古屋市役所
市長室 秘書課 秘書係
電話番号 052-972-3054
ファックス 052-972-4105
名古屋市政へのご意見(500文字以内)
https://koe.city.nagoya.jp/kn3/USER/?hid=cbf5da8413c0a13fcfa0fffeaace9bca
名古屋市民の声を届けるメールアドレス
shimin-no-koe@shiminkeizai.city.nagoya.lg.jp
名古屋市長へのメールアドレス
a3054@shicho.city.nagoya.lg.jp
(例文)
――――――――――
河村たかし市長が「南京事件はなかった」と発言したことを支持します。
河村市長は、絶対に発言の撤回や謝罪をしてはいけません。
今回の件で南京市代表団は「大虐殺、鉄壁の証拠山ほどある」と主張していますが、だったら最も固い証拠を一つでも良いから示してほしいです。
以下、南京事件がなかったことを証明します。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は全く居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻ったからだ。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も全くなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日~1938年10月24日までに約300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後暫く経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆はあったが、犯人や被害者が特定可能な日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。
結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。
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南京事件否定発言で撤回の考えないことを明言した河村たかし名古屋市長(2012年2月22日)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120220/lcl12022011410001-n1.htm
「南京事件なかった」と河村名古屋市長 中国共産党の市常務委員に「互いに言うべきこと言おう」
2012.2.20 11:35、産経新聞
名古屋市の河村たかし市長は20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。
河村氏は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて「事件から8年しかたってないのに、南京の人は父に優しくしていただいた」と指摘。「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とも述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120222-00000645-yom-pol
河村市長、南京事件発言「撤回も謝罪もしない」
読売新聞 2月22日(水)13時14分配信
名古屋市の河村たかし市長は22日、友好都市提携を結んでいる中国江蘇省南京市政府が名古屋市との交流を一時停止する考えを明らかにしたとの報道について、「南京市との友好関係は不変であり、これまでに重ねてきた交流を今後も継続していきたい」などとコメントした。
一方、発言については「撤回や謝罪するつもりはない」と述べた。市役所で記者団の質問に答えた。
河村たかし名古屋市長が2月20日に名古屋市役所を表敬訪問した支那共産党南京市委員会の代表団との会談で、いわゆる「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。
それに対して、南京側代表団は“南京大虐殺”について「鉄壁の証拠は山のようにある」と反論した。
さらに、南京市政府は、友好都市提携を結んでいる名古屋市との交流を一時停止する考えを明らかにした。
それでも、河村市長は、南京事件否定発言について「撤回や謝罪するつもりはない」と述べた。
私は、河村市長の信念ある発言を高く評価し、今後も過去に良くあった「へたれ政治家」のようにへたれないことを期待する。
2012年2月20日、河村たかし名古屋市長は、支那共産党南京市委員会常務委員(左)に「南京事件というのはなかった」と発言した。
河村たかしが「南京事件はなかったのではないか」と主張するのは、今回が初めてのことではない。
まず、河村たかしは、名古屋市長になる前の国会議員の時の平成18年(2006年)6月13日に日本政府(小泉純一郎首相)に対して「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出した。
当時、外務省は、HPに「歴史問題Q&A」というコーナーを設け、【問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。】の問いに対して、【日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。】などと回答していた。
この外務省HPには産経新聞などでも批判的な記事が掲載されたが、日本政府は南京事件について「非戦闘員の殺害は否定できない事実」という見解を崩さなかった。
そこで、河村たかし議員が政府に対して、次の質問を含む「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書」を提出した。
―――――
三 それにもかかわらず「非戦闘員の殺害は否定できない事実」という政府見解や、日本軍は市民や捕虜を殺害して国際的な非難を浴びたという教科書記述はいったい何を根拠としているのか。市民虐殺と捕虜虐殺があったと明確に記載されている、南京陥落当時の、既に検証された記録をご教示いただきたい。
四 旧日本軍兵士の聞き取り調査等により、南京大虐殺を行ったという証言を得たことはあるか。また、南京市民において、親族が虐殺されたといった類の証言ないし証言録を政府は取得したことがあるか。
―――――
平成十八年六月十三日提出
質問第三三五号
いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書
提出者 河村たかし
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm
政府の答弁
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164335.htm
上記の河村たかし議員の「質問主意書」に対して、政府(内閣総理大臣小泉純一郎)は、何一つ根拠、記録、証言、証言録を示すことが出来なかった。
つまり、外務省は、何一つ根拠、記録、証言、証言録がないにもかかわらず、HPに漠然と「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。」と書いているだけだったことが判明した。
私は、河村たかし議員の「質問主意書」に対する政府の答弁を見て、「やはり日本政府は何ら根拠や証拠もなしに、『非戦闘員の殺害があった』などと言い張っているだけなのだな」と改めて確信した。
この時、河村たかしも私と同様の確信を持ったものと思われる。
それから3年後の2009年4月に、河村たかしは名古屋市長に当選した。
その年の9月15日、河村たかし市長は、市議会の本会議での一般質問で、いわゆる「南京大虐殺事件」について、30万人以上が死亡したとする説については「当時の南京の人口より多いので絶対違う」と否定した上で、「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されて伝わっているのではないか」、「事件そのものについて日中友好のためにきちんと検証し直す必要がある」などと述べた。
要するに、河村市長は、2009年にも名古屋市議会で今回と同様の発言をしていたのだ。
河村市長が2009年9月15日に発言した際にも、いろいろと報道され、名古屋市には意見が相次いだ(関連記事)。
名古屋市広聴課によると、2009年9月18日正午までに寄せられた意見は58件。
メールが8割で、電話、ファクスの順だった。
内訳は「よく言ってくれた」「発言を支持する」などの好意的な内容が37件、「公的な場で言う話ではない」「歴史認識に誤りがある」などの批判的意見が21件だった(名古屋市内在住者の割合は不明)という。
当時、毎日新聞などは、秦郁彦や笠原十九司などの「南京大虐殺」肯定派(捏造派)の意見を掲載し、河村市長に批判的な記事を掲載していた。
河村市長の南京発言で名古屋市に意見相次ぐ(2009年9月)
以上のように、いわゆる「南京大虐殺」とか「南京事件」に関する河村たかし名古屋市長の信念は揺るぎないものと考えられる。
だから、河村市長は、今回も「撤回や謝罪するつもりはない」と発言したのだ。
今後もへたれずに、信念の貫いて頂きたい。
2月21日夜、南京市政府が名古屋市との交流一時停止を発表した。
また、2月22日、人民日報系の新聞「環球時報」の胡錫進編集長は、ミニブログ「微博」で「名古屋市長が謝罪しなければ、彼の(中国)入国を禁止し、訪日旅行団が名古屋を避けるようにして、圧力を加えよう」と強調した。
河村市長の支那への入国禁止や、支那人旅行団の名古屋回避なんて、圧力でも何でもない。
むしろ、うらやましいくらいだ!
頑張れ!河村たかし!
今回の件で南京市代表団は「大虐殺、鉄壁の証拠山ほどある」と主張しているが、だったら一つでも良いから、その「鉄壁の証拠」とやらを示してほしいものだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0221&f=politics_0221_001.shtml
南京市代表団「大虐殺、鉄壁の証拠山ほどある」…名古屋市長を批判
2012/02/21(火) 10:14、サーチナ
河村たかし名古屋市長(63歳)は20日、同市役所を表敬訪問した中国・江蘇省南京市政府の代表団に対して、日中戦争時の「“南京事件”はなかったのではないか」と話した。中国新聞社など中国メディアによると、中国側代表団は河村市長の発言に対し、“南京大虐殺”について「鉄壁の証拠は山のようにある」と表明した。中国新聞社が報じた。
河村市長は「通常の戦闘行為はあった」と述べた上で、“南京事件”から8年後の終戦時に父親が南京市にいたと述べ「南京の人は日本の軍隊に優しくした。なぜか」などと、“大虐殺”について疑問を示した。
中国側代表団が自らの“反論”を、河村市長の発言を受け直接述べたのか、別の場所で述べたかは伝えられていない。
中国側代表団は「中国を侵略した日本軍が南京で大虐殺を行った歴史事実は抹殺できない。鉄壁の証拠は山のようにある。国際社会でも早くから定説になった」などと“厳正な反応”をしたという。
河村市長の発言についてさらに、「無責任だ。歴史を歪曲(わいきょく)して南京の人民を尊重しないものだ」、「歴史の教訓を切実にくみ取り、両国の友好と両市の人民にとって有益なことを多くしてほしい」などと批判・論評した。
中国メディアは河村市長の発言中の「父親は終戦時に南京にいた」、「南京の人は日本の軍隊に優しくした。なぜか」の部分は伝えなかった。「南京市で歴史にかんする討論会をしてもよい。私は南京の人に感謝している。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」との発言も伝えなかった。
名古屋市と南京市は1978年に友好都市(姉妹都市)として提携を結んだ。
この問題について、2月22日、藤村修官房長官は記者会見で、旧日本軍による「南京事件」について「非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない。村山談話以来、政府の姿勢は変わっていない」と従来の日本政府の見解を繰り返した。
また、支那外務相アジア司(局)の羅照輝司長は、支那を訪れた日本外務省アジア大洋州局の杉山晋輔局長と会談し、「南京大虐殺は日本帝国主義が中国に対する侵略戦争で犯した残虐な行為で、確証がある。 国際社会でも定論もあり、疑う余地がない」と強調した。
すると、杉山局長は「名古屋市長の発言は個人的な見解で、日本政府の立場を代表できない。歴史問題における日本政府の立場が変わっていない。過去、日本が行った殖民地支配と侵略は多くの国、特にアジア各国の人民に大きな損害と苦痛をもたらした。これに対し、日本は深く反省していると共に、平和発展の道を歩んでいく決意である」と述べた。
藤村修官房長官も外務省アジア大洋州局の杉山晋輔局長も「バカの一つ憶え」を繰り返すのみならず、まずはその「鉄壁の証拠」とやらを提示してもらうべきだ。
●まとめ
日本軍による南京市民虐殺はなかった(犠牲者0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻って来たからだ。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見も全くなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による死亡事故はあったが、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。
結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。
陥落直後の南京、日本軍の配給を受ける避難民。昭和12年12月
陥落直後の南京で治療活動をする日本軍衛生隊
南京入城する松井石根司令官(1937年12月17日)
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
●シリーズ84!【南京虐殺は嘘(0人)】
南京虐殺は嘘(0人) 目次1 (1~40)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009515.html
南京虐殺は嘘(0人) 目次2 (41~84)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009833.html
●英語サイト(日英バイリンガル)
The Alleged "Nanking Massacre"再審「南京大虐殺」
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/
●上級者向け詳細サイト
今尚進行するWar Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に対抗する為の資料収集を目的とするサイト
http://1st.geocities.jp/nmwgip/index.html
「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/NankingWGIP.html
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南京大虐殺映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」を見た韓紅はミニブログで「日本人!中国人はおまえらの永遠の敵だ」などと述べた。
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20120108010/1.htm
日本兵の少女暴行は許せない!「日本人くそったれ」発言の歌手が反論―中国
2012年1月8日(日)11時50分配信 Record China
4日、北米華字ニュースサイト・多維網は、ライブリハーサル中の歌手・韓紅を取材、「日本人くそったれ」発言について質問した。韓紅氏は「普通の観客としての感想をつぶやいただけ」とコメントしている。写真はザ・フラワーズ・オブ・ウォー。
2012年1月4日、北米華字ニュースサイト・多維網は、ライブリハーサル中の歌手・韓紅(ハン・ホン)を取材、「日本人くそったれ」発言について質問した。5日に掲載された。
韓紅氏は1971年生まれのチベット族。人民解放軍所属の人気歌手だ。29日夜、南京大虐殺をテーマとした、チャン・イーモウ監督の新作映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」を見た後、「日本人、くそったれ!中国人はお前らを永遠に敵とする!釣魚島に触れようとも思うなよ!」「今日からお前らの製品は二度と使わないことを誓う」とマイクロブログに書き込んだ。
このつぶやきが話題となり、「愛国主義の濫用だ」「品位にかける」「著名人としての責任感」がないなど激しい批判にさらされている。一方で同感だと支持する声もあり、賛否両論の論争となった。
この問題について韓紅氏は「映画を見た普通の感想を書き込んだだけ。日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンを見れば、当たり前の感想でしょう」とコメント。有名人としてふさわしくないという批判にも、「一般の観客として感想をつぶやいただけ」と反論。母国への愛情、愛国精神を表現することは当たり前だと強調した。
>韓紅氏は1971年生まれのチベット族。人民解放軍所属の人気歌手だ。29日夜、南京大虐殺をテーマとした、チャン・イーモウ監督の新作映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」を見た後、「日本人、くそったれ!中国人はお前らを永遠に敵とする!釣魚島に触れようとも思うなよ!」「今日からお前らの製品は二度と使わないことを誓う」とマイクロブログに書き込んだ。
ハァ?
映画を見て、フィクションを事実だと思い込んでいるのか?
この韓紅(ハン・ホン)とは、本名はヤンチェンドルマといってチベット族出身の支那女性軍歌手で結構有名人だという。
チベット族出身なら、反日プロパガンダ映画を真に受けず、自分が所属する人民解放軍によるチベット侵略と虐殺、凌辱や弾圧などに怒れ!
■動画
(Tibet)LOVING-KINDNESS and Asura((チベット)慈悲と修羅)
http://www.youtube.com/watch?v=t5xCpKclC_o
◆業田良家 チベット漫画 「慈悲と修羅」
http://www.geocities.jp/my_souko/goda_01.htm
●関連記事
慈悲と修羅 - 業田良家(English Version)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/31743213.html
ペマ・ギャルポさんの手記『新潮45』平成八年九月号(中国のチベット百二十万人大虐殺)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/31267485.html
南京大虐殺をテーマとした映画「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)」とは、当ブログ12月13日付記事で取り上げた、70億円をかけて人気俳優クリスチャン・ベイルも出演させた反日プロパガンダ映画だ。
支那では昨年12月16日に上映スタートし、昨年末から年明けにかけて大ヒットし12月31日の時点で興行収入が4・5億元(約55億円)を突破し、12月の映画ランキングではトップを独走したそうだ。
産経新聞によると、映画の中には、日本軍の残虐性を強調するシーンが多く、2時間あまりの上映中、映画館の中では、すすり泣きと日本人を罵倒する声があちこちから聞こえてくるという。
韓紅のみならず映画を見た連中による「小日本を絶対に許せない」といった感想がインターネットにあふれ、反日の嵐が起きているという。
確かに2分44秒の宣伝動画を見るだけで、日本軍は完全に悪者にされているようだ。
■動画
The Flowers Of War (金陵十三釵) Trailer (More better version)
http://www.youtube.com/watch?v=V_NeDklTjnk
>この問題について韓紅氏は「映画を見た普通の感想を書き込んだだけ。日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンを見れば、当たり前の感想でしょう」とコメント。
日本兵が13、4歳の少女を強姦しているシーンが現実だったと痛い勘違いをしている。
1937年12月に南京を占領した日本軍兵士による強姦事件は7件~10件程度しか確認されておらず、被害者が13、4歳だったという話は聞いたことがない。
――――――――
(南京安全地帯の記録より強姦の事例を紹介)
そこで、記録者名のある強姦(未遂)事例61件(coffee注:支那工作員によって日本大使館に報告されたデマが大半)のうち、日本軍に通報された事例を挙げると、それは次のように分類される。
①日本兵逮捕の事例は、右の「事例167」の1件のみであった。
②日本兵が憲兵に引き渡されて事例は、右の「事例227」の1件のみであった。
③憲兵に連絡された事例は、「事例426」の1件のみであった。
④日本兵が連行された事例は、「事例168」と、「事例220」の、2件であった。
⑤被害者が証人として同行を求められたのは、右の「事例146」の1件のみであった。
⑥日本兵と被害者(未遂)が連行されたのは、「事例216」の1件のみであった。
このように日本軍に通報された件数は、合計7件であった。右の計算には、あるいは見落としがあるかも知れない。そこで、東京裁判に出廷した塚本浩次法務部長の証言をも紹介しておく。
法務部とは軍関係の裁判を司る部門であった。塚本法務部長は上海派遣軍法務官として、1937年12月から1928年8月まで南京に在勤した。その間に、何件の事件を扱ったのか。サトン検察官から、そう尋問されて、彼は次のように答えた。
《10件内外であつたかと思います。(略)10件と申しましたのは1人1件ではございません。1件の中には数人を含む場合も相当あります。》
P261
『「南京虐殺」の徹底検証』東中野修道著
――――――――
上記のように、日本軍への通報記録や軍関係の裁判を司る法務部の塚本浩次部長(上海派遣軍法務官)の証言によれば、南京における日本軍による強姦事件は約7件~10件だった。
1937年12月13日の南京陥落以降に発生した強姦件数が僅かに10件程度で、掠奪事件も同程度だったことは、驚くほど少ない。
支那軍やソ連軍や米軍などは、その何万倍も虐殺、強姦、掠奪を働いた。
さらに、第十軍法務部長の小川関次郎氏も、1937年11月15日~12月14日に軍紀及び風紀犯で処罰したのは約20件程度と証言している。
以下、竹本忠雄・大原康男著『再審「南京大虐殺」』より。
――――――――
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。
「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。
その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」
(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)
――――――――
なお、この反日プロパガンダ映画には、人気俳優クリスチャン・ベールが出演しているほか、複数の日本人俳優も制作に参加している。
▼「ザ・フラワーズ・オブ・ウォー」(金陵十三釵)出演の売国奴▼
渡部篤郎(長谷川大佐)
山中崇 (朝倉中尉)
小林成男(加藤中尉)
梶岡潤一
安長博文
●関連記事
残忍な日本軍から支那人を守る米国人を演じたクリスチャン・ベイル「プロパガンダではない」
70億円かけた南京虐殺映画で記者会見
南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ
日本軍による南京市民虐殺はゼロ(0人)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-category-16.html
(一部抜粋)
南京入城する松井石根司令官(1937年12月17日)
●まとめ
日本軍による南京市民虐殺はなかった(犠牲者0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻って来たからだ。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見も全くなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による死亡事故はあったが、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。
結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。
陥落直後の南京、日本軍の配給を受ける避難民。昭和12年12月
陥落直後の南京で治療活動をする日本軍衛生隊
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
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南京虐殺は嘘(0人) 目次2 (41~84)
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「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです
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「反日プロパガンダではない」=南京虐殺映画出演のクリスチャン・ベール
http://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2845372/8194905
南京虐殺映画に主演したクリスチャン・ベイル、「プロパガンダではない」
2011年12月13日 07:59 発信地:北京/中国
【12月12日 AFP】(写真追加)俳優クリスチャン・ベイル(Christian Bale)は11日、北京(Beijing)で行われた南京虐殺を描いた主演作『ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(原題、The Flowers of War)』の記者会見に出席し、同作品は反日のプロパガンダ映画ではないと主張した。
ベイルはチャン・イーモウ(Zhang Yimou)監督がメガホンを取った本作で、南京(Nanjing)に進攻した日本軍の残忍な略奪行為から少女や売春婦らを守ることになる米国人を演じている。
製作費9000万ドル(約70億円)をかけた2時間半にわたる本作は、中国軍と日本軍の戦闘シーンや、日本兵による中国人女性のレイプや殺害のシーンが多い。中国では16日に公開される。
中国には、反日感情で国をまとめようとする映画やテレビ番組があり、中国共産党は世界での同国の存在感を高めようと映画産業に力を入れている。
しかしベイルは、撮影に入る前は南京虐殺についてほとんど知らなかったと語り、この作品は日本の過去の暴力行為を描いただけの映画ではないと訴えた。
「人間を描いた作品だ。人間の危機に対する反応の本質や、危機に直面した人間がどのようにして野獣のような行動を取り、また逆にどのようにして最も高潔な行動へと出るのかが描かれている」
ベイルはさらに、この作品を「プロパガンダ」だと表現するのは間違っていると話した。
「そんなのは、お決まりの反応だ。そういう反応をする人は、この映画を十分理解していないと思う」
■オスカー獲得なるか?
前回のアカデミー賞(Academy Awards)で助演男優賞を受賞したベイルの主演は、本作のオスカー獲得への後押しとなっている。
本作は、米国では23日に、ロサンゼルス(Los Angeles)、ニューヨーク(New York)、サンフランシスコ(San Francisco)で限定公開され、来年のアカデミー賞外国語映画賞のノミネートに向けた条件は満たすことになる。
しかしこれまで、中国人監督がアカデミー賞の主要部門で受賞したことはない。
>俳優クリスチャン・ベイル(Christian Bale)は11日、北京(Beijing)で行われた南京虐殺を描いた主演作『ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(原題、The Flowers of War)』の記者会見に出席し、同作品は反日のプロパガンダ映画ではないと主張した。
南京大虐殺は支那が事実無根の虚構を史実であったかのように宣伝している反日プロパガンダなので、南京虐殺を描いた映画も反日プロパガンダで間違いない。
反日プロパガンダでないなら、「この映画は全てがフィクションです」と明記するべきだ。
>製作費9000万ドル(約70億円)をかけた2時間半にわたる本作は、中国軍と日本軍の戦闘シーンや、日本兵による中国人女性のレイプや殺害のシーンが多い。
製作費9000万ドル(約70億円)だと黒字にならないのでは?
日本人が悪者だと宣伝するための反日プロパガンダとしか考えられない。
悪質なプロパガンダ捏造本アイリス・チャン著「レイプ・オブ・南京」では、嘘出鱈目のオンパレードが次々と発覚した!
12月13日は、1937年の日本軍による「南京陥落」から74周年にあたる。
南京城総攻撃!1937年12月13日南京陥落!
南京入城する松井石根司令官(1937年12月17日)
「南京大虐殺」が嘘っぱちのでっち上げであり、日本軍による南京虐殺の犠牲者数がゼロだったことを簡潔にまとめると次の通り。
●まとめ
日本軍による南京市民虐殺はなかった(犠牲者0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領していた上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が徐々に南京に戻って来たからだ。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、軍関係の裁判を司る日本の法務部で把握されている。
日本軍では、日本軍将兵が道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけていた。
ところが、「虐殺」事件については南京に居た日本軍憲兵隊などが目撃したことも通報を受けたことも全くなかった。
つまり、日本軍による虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見も全くなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから「南京で虐殺した」と自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
以上のことから、支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による死亡事故はあったが、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件は全くなかったと断定できる。
結論!
日本軍による南京虐殺事件は全くなかった(0件)。
陥落直後の南京、日本軍の配給を受ける避難民。昭和12年12月
陥落直後の南京で治療活動をする日本軍衛生隊
【平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》】朝日新聞1937年12月20日掲載「17日河村特派員撮影」
●シリーズ84!【南京虐殺は嘘(0人)】
南京虐殺は嘘(0人) 目次1 (1~40)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009515.html
南京虐殺は嘘(0人) 目次2 (41~84)
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27009833.html
●英語サイト(日英バイリンガル)
The Alleged "Nanking Massacre"再審「南京大虐殺」
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/
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http://1st.geocities.jp/nmwgip/index.html
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2011年5月15日、テキサス親父 来日講演in東京(講演)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110515-OYT1T00065.htm
動画サイトで話題の米国人、太地の捕鯨に理解
2011年5月15日07時58分 読売新聞
「太地は絵画的で美しい平和な町」と語るマラーノさん(太地町で)
インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」で反捕鯨団体シーシェパード(SS)を批判、〈テキサス親父(おやじ)〉として知られる米国人トニー・マラーノさん(62)が、和歌山県太地町を訪れ、三軒一高町長と面談し、捕鯨に理解を示した。
役場を訪れたマラーノさんは、三軒町長から捕鯨とともに歩んできた町の歴史を聞き、「町民が生活を守るためにクジラを捕ることに問題はない」と述べた。昼食に初めてクジラ料理を食べたといい、「とてもおいしかった。牛を食べるのも、クジラを食べるのも全く同じ」と話した。
東日本大震災については「日本には略奪という文字はなかった。他国では考えられないことだ」と日本人の行動を称賛した。
マラーノさんは大手電話会社を退職後、様々な問題についてユーチューブで意見を発信している。「海に囲まれた日本がなぜ捕鯨をしてはいけないのか」と疑問に思ったのが、SS批判のきっかけという。
日本でも著書があり、ファンも多く、三軒町長は「町にとってありがたい応援団。これからも太地の情報を発信してもらいたい」と話していた。
20日まで日本に滞在、東京や大阪で講演するほか、広島の原爆記念館や東京の靖国神社を訪れる。
―――――――
<テキサス親父 来日講演in東京>
※日時:平成23年5月15日(日)
17:40 開場
18:00 開演(テキサス親父 氏の講演)
18:30 パネルディスカッション
19:10 ファンの集い(軽食)
20:10 閉会
※会場:文京区民センター 3−A会議室 (東京都文京区本郷4−15−14)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
※会費:4,000円(事前に予約された方は1,000割引で3,000円 )
―――――――
私は事前に予約しておき、既に3,000円も支払っていたので、勿論参加した。
2011年5月15日、テキサス親父 来日講演in東京(講演)
テキサス親父については既に殆どの方がご存じだと思う。
私もこのブログで何度か紹介しているが、念のため代表的な動画を次に掲載しよう。
■動画
テキサス親父、シーシェパードに宣戦布告!
http://www.youtube.com/watch?v=ETaHPEjSYQA
■動画
【テキサス親父】 トヨタ問題に怒る Toyota Recall - Government Motors exploits
http://www.youtube.com/watch?v=oSCcC42G9DA
とても楽しい「ファンの集い」だった。
ただ、テキサス親父の講演の時間が短かかったし、質疑応答の時間もなかった。
もし、次回があるなら、軽食など要らないので、テキサス親父の講演と質疑応答をもっと充実させてほしい。
最後はファン一人一人と握手したりサインに応じたり記念撮影に応じたりしていた。
さて、家に帰って、朝日新聞の衰退や「尖閣を護れ!国民大集会」などについて書いた昨日のブログ記事のコメントを見た。
次のようなアホ丸出しのコメントがあった。
―――――――
日本人はユダヤ人大虐殺の間接的協力者でもある
百人斬りは真実だよ。
実際に斬った体験談があるのだよ。
それから、中国人人体実験も事実だよ。
2011/05/15(日) 21:13:06 | URL | ガエモン #- [ 編集 ]
―――――――
こんな馬鹿のコメントはいちいち相手にしなくても良いのだが、せっかくなので出来るだけ分かり易く、「百人斬り」と「支那人人体実験」の虚構について説明しておく。
まず、「百人斬り」について。
もともと「百人斬り」というのは、1937年の東京日日新聞(毎日新聞)の最初の記事においては、「野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた」と記述されていたように、「敵兵を斬った」という内容の武勇談(宣伝報道)だった。
1937年(昭和12年)11月30日朝刊
百人斬り競争!両少尉、早くも八十人
[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発]
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた。
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。
向井少尉
この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ
野田少尉
僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ
>野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた。
記事内容が事実か作り話かの問題は置いておき、この東京日日新聞(毎日新聞)の記事は敵陣地に突撃して敵兵を斬ったという「武勇伝」が報道されていた。
そして、この話は実際には宣伝のための作り話だった。
百歩譲って、仮に宣伝のための「作り話」ではなく事実報道だったとしても、敵陣で敵兵を斬ったことを犯罪にしたのだから、実におかしなことだった。
したがって、支那は戦後の「南京軍事法廷」で敵兵(支那兵)を斬った日本軍将校を死刑にしたのだから、むしろ悪いのは支那の方だった。
朝日新聞記者だった本多勝一も「これではツマラナイ」、「このままではマズイ」と思ったのだろう。
本多勝一は勝手に、「降伏を呼びかけられて塹壕から出てきた無抵抗の蒋介石軍兵士らを並ばせておいて、かたはしから斬った」などと出鱈目を書き始めた。
つまり、敵陣で敵兵を斬ったという東京日日新聞(毎日新聞)の当時の「武勇談」(作り話)は、20年以上経っていつのまにか朝日新聞の本多勝一によって無抵抗の捕虜の「据えもの斬り」競争に摩り替えられたのだった。
ところが、東京日日新聞の後身である毎日新聞社は、平成元年(1989年)に自社発行した『昭和史全記録』という本のなかで、次のとおり「百人斬りは事実無根だった」(P178)と記述している。
この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。
ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった。
向井少尉はこのとき手足に重傷を負っていた。
東日記者に会ったのは南京の手前で、冗談に「花嫁を世話してくれ」と言うと「天晴れ勇士として報道されれば花嫁候補はいくらでも集まる」とこの記事になったという。
向井は47(昭和22)年4月、東京軍事法廷に召喚されたが、新聞記事は事実ではないと釈放。2カ月後、再召喚され中国軍事法廷に立たされ「百入斬りの獣行により日本女性の欲心を買わんとしたことは現代人類史上聞いたことがない」と死刑の判決。ふたりは、48(昭和23)年1月28日、南京雨花台刑場で銃殺された。
『昭和史全記録』 毎日新聞社
当たり前のことだが、1937年に東京日日新聞(毎日新聞)の記事は宣伝のために創った事実無根の「作り話」だったことを毎日新聞が自ら認めたのだった。
後年には、佐藤振寿カメラマン(東京日々新聞)も、「百人斬りなんてできないのは明らかです」と証言している。
百人斬り競争をした日本軍将校(1937年12月13日東京日日新聞,現在の毎日新聞):二人の少尉がどちらが先に日本刀で敵を100人斬れるか競争をしたことを伝える新聞報道。
朝日新聞の本多勝一という奴が如何に性質の悪い奴か良く分かる。
「事の真相はわからないが、かつて日本人を沸かせたに違いない「武勇談」は、いつのまにか「人斬り競争」の話となって、姿をかえて再びこの世に現れたのである。
やや皮肉めいていえば、昭和十二年に「毎日新聞」に書かれたまやかしめいた「ネタ」が、三十四年の年月と日本、中国、日本という距離を往復して「朝日新聞」に残虐の神話として登場したのである。いわば、この「百人斬り」の話によって、ある「事実」が、地域を越え、年月を経ることによって、どのように変貌してゆくかという一つのケースを、われわれは眼前に見せつけられたわけである。
鈴木明著『「南京大虐殺」のまぼろし』P16(2006年)
「戦闘中の百人斬り」を「捕虜の据えもの斬り」に変えた本多勝一氏
「本多氏は『中国の日本軍』において「百人斬り競争」の記事を載せ、そして次のように解説する。‥(中略)‥。
まず両少尉の「百人斬り競争」の記事が出てくる。それに続いて、両少尉は《降伏を呼びかけられて塹壕から出てきた無抵抗の蒋介石軍兵士らを並ばせておいて、かたはしから斬ったという》と解説される。
それからさらに写真が出てきて、《将校らは日本刀を持っているので、首を切り落とすことがもっとも普通に行なわれた》といった説明が続く。両少尉だけではなく、そこから日本軍全体にまで拡大して首切りは《もっとも普通に行なわれた》と言い、首を斬ったあとは《記念写真》が撮られ、切り落とされた首は見せしめのため《並べてぶら下げ》られたと解説した。
このように一連の写真を並べて示されると、志々目彰氏の発言を根拠にした本多氏の「据えもの斬り」競争が、あたかも事実であったかのような感にとらわれてこよう。南京裁判と同じく「初めから結論ありき」であって、「据えもの斬り」という新解釈を付加するために、あたかも写真が使われているかのようであった。」
東中野修道著『南京「百人斬り競争」の真実』P139-141(2007年)
そして、向井少尉と野田少尉の遺族が朝日、毎日両新聞社とジャーナリストの本多勝一らを相手に、損害賠償や謝罪広告を求め訴訟を起こした。
遺族側の弁護士は、今や自民党のエースとなっている稲田朋美だった。
ただし、私は、遺族側(稲田朋美弁護士)が朝日新聞と本多勝一と毎日新聞を相手に訴訟を起こしたのは作戦ミスだったと思う。
上述のとおり、東京日日新聞(毎日新聞)は当時、向井少尉と野田少尉が承知の上で武勇談(宣伝報道)を記事にして、毎日新聞は1989年に「百人斬りは事実無根だった」と認めていた。
悪質なのは、1937年の向井少尉と野田少尉の「武勇談」(作り話)を報じた東京日日新聞の記事を、20年以上経っていつのまにか無抵抗の捕虜の「据えもの斬り」競争に摩り替えられた本多勝一と朝日新聞なのだ。
遺族側(稲田朋美弁護士)は、毎日新聞を味方に付けて、本多勝一と朝日新聞だけを相手に訴訟したら、まず間違いなく勝てたはずだ。
以上が、いわゆる「百人斬り競争」の真相と「百人斬り」訴訟の概要だ。
ガエモンは、コメントで「実際に斬った体験談があるのだよ。」と述べており、何を指しているのか明確ではないが、もしかすると、野田少尉が日本の小学校で武勇伝を話したことを言っているのかもしれない。
それについては、Yahoo!掲示板に良い投稿があるので紹介する。
トピック名:南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
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Re: 偽証だろ 2007/ 2/26 0:29 [ No.16653 /
投稿者 :
nmwgip
> あんたは、百人斬りのマヌケ少尉が日本の小学校で自分の武勇伝を、子供達の前で、聞かせた事実は、当然知ってるよな。
> このマヌケ少尉は子供達にデタラメのホラ話をしたのか、それとも本当の事を、しゃべったのか、どっちだと思う?
「子供達の前で、聞かせた事実」が偽証だと思うがね。
以下に挙げたのは裁判の中で、志々目証言に関連して、同じ時に野田少尉の話を聞いたという人達の証言だ。残念ながら、本多シンパのウェブサイトからの転写なので信憑性はいまいちなのだが。(何故なら、裁判例として公開されていない判決文は当事者以外閲覧はできても複写はできないはずだから。これだけ長文の判決を全て手書きで写したとは考え難い)
『「之だけはと思い,野田少尉の事だけは,私の私見ですが伝へておこうと思って次に書いておきます。野田少尉は,戦争の犠牲者と云うより,マスコミの犠牲者と云った方が正しい様な気がします。野田少尉の話は,附属の裁縫室でありました。私たちの組だけでした。上海上陸から南京攻略迄の話,色々の苦労話が主だったのですが,捕虜を切った話もありました。彼が出鱈目に捕虜を切ったわけではないのです。多数の捕虜の中には逃亡を企てる奴等は必ずいる。他の捕虜の見せしめの為には處罰しなければならない。その様な連中を切ったのです。それも百人もと云う多人数ではないと思います。彼が日本刀を抜いて見せた時,歯こぼれが沢山していて,何とかいう名刀も,こんなに歯こぼれがしては使いものにならない。日本刀は,実際の所,実戦では役にたゝない。支那兵は厚い綿入を着ているので,切りつけてもはねかえされてしまう。捕虜を何人か切ったけど,骨迄切り落す事は非常にむつかしい。骨にあたると,此の様に歯がかげてしまう。実際問題として,日本刀は役にたゝない。」』
『志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたことがあるとした上,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いていないこと,志々目彰が聞いたとされる話を聞いていないことなどを述べている』
『鹿児島一中において野田少尉の話を聞いたことがあること,その話が,「百人斬りの英雄ということで有名になったが,自分は決してそういうものではない。迷惑で心外である。百人斬りなんて無茶なことができるわけはない。白兵戦なんていうのはめったにおこるものではない。」という内容であったことを覚えている』
『田代小学校4年生のころ,野田少尉の話を聞いたことがあること,その際,印象に残っているのは,延々と続く高梁畑を進軍中に,敵弾を浴び,高梁の穂が銃弾で折れてぶら下がっている中での進軍であったとの話であり,敵と渡り合って切り結んだというような話は全然出てこなかった』
志々目証言は野田少尉が
「・・・・占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから,ぞろぞろと出てこちらへやってくる。それを並ばせておいて片つばしから斬る・・・・」
という講演をした、というものだが、これと似た話は太田供述書の虚偽を曝いた梶谷日記の中にも出てくる。但し、その内容は全く逆だが。
以下、『南京裁判資料集Ⅱ』に収録された『梶谷健郎日記』12月9日分より引用。
『・・・・正午ころ東□村附近にて道を尋ねんとせしが、皆逃走して誰も居らず。折から水田中、膝まで没して逃走中の支那女を発見。トンヤンピン□□□□ニーライライと呼べど振り反りつつも尚逃走せるにより、距離三百メートルにして一発射てばヨロヨロと水中に倒れ、再び起たず遂に死せり。・・・・』
ニーライライ、と呼びかけられたところまでは同じだが、さて、どちらが人間として正常な反応か、考えるまでもないと思うがねぇ。
これは メッセージ 16639 fukagawatohei さんに対する返信です
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それと、ガエモンはコメントの中で「それから、中国人人体実験も事実だよ。」と述べているが、これも事実無根の作り話だ。
人体実験というのは、最初は1949年のハバロフスク軍事法廷で出て来た作り話だった。
GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。
それらのレポートの中で、「人体実験の証拠」となる可能性が残るモノは、「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というヒル・レポートのみで、その「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけだが、その病理標本も証拠にならないと判明した。
つまり、731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された日本兵の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしなかった。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝した。
その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
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テキサス親父も、以前、動画で、日教組に歪められた日本の教育について批判していた。
■動画
【日本再生】 テキサス親父 日教組に歪められた日本の教育について
http://www.youtube.com/watch?v=Gj3E4SdMxng
5月15日の東京講演によれば、今回、テキサス親父は広島などを訪問して、歴史についても更に進化している模様だ。
5月16日、テキサス親父は、靖国神社を参拝する予定だという。
テキサス親父が遊就館も見学するかどうか確認しなかったが、遊就館も見学すれば更に歴史の真実を知ることになるだろう。
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