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■写真【クリックすると拡大】
当時の上海バンド(埠頭近く中心街)。
上海は人口300万人で米、英、日などの共同租界とフランス租界があった。
1937年8月、支那軍は、共同租界(国際租界)の日本人居留区を包囲攻撃し、更にホテルやデパートを爆撃した。
Yahoo!掲示板
投稿者 :
rekisisiranai
日本の戦争責任
責任なし26 蒋介石が仕掛けた上海戦
これは「責任なし25 揚子江上流邦人引揚げ」の続きです。
盧溝橋事件が起こると、蒋介石は本格的に戦争準備を始めました。
そして、上海の外側の非武装地帯に、ドイツ軍将校指導の下、トーチカを築き、上海から南京に至る途中にはヒンデンブルクラインなる防御線を構築したのです。
その上で、上海の外側に、遠巻きに保安隊を配置し、徐々に包囲網を狭めていました。
これには8月6日、同盟通信上海支局長の松本重治氏が遭遇しています。
松本氏は第一報を東京に打電したのですが、翌日、海軍武官室から呼び出され《戦争を煽る様な記事はイカン、今後もこの様な記事を書くなら上海から退去させる》と警告を受けました。当然この記事は没になります。
その頃、保安隊の進出で戦争を察知した住民は外国租界へと避難を始めていたのです。
これを裏付ける物として、毎日新聞社刊『大日本帝国の戦争2太平洋戦争』に8月6日の日付けで“住民が外国租界へ避難している”写真があります。
一方、そんな事とは知らない日本は、通州で日本人居留民260人が虐殺されたにも拘わらず、中国へ和平の話を持ちかけていました。それも中国が呑みやすいように大幅に譲歩してです。
その内容は
(1)塘沽協定の解消
(2)梅津-何應欽協定の解消
(3)土肥原-秦徳純協定の解消
(4)冀察政権の解消
(5)冀東特殊貿易の廃止
(6)非武装地帯海面の中国側密輸取締りの恢復
(7)華北における自由飛行の廃止
(8)中国側が要求すれば上海停戦協定をも解消
というものです。
ところが、中国は、和平会談の予定されていた8月9日に、海軍陸戦隊の大山中尉を惨殺して、これをぶち壊しました。
実は、この日は、揚子江の奥地から居留民が陸戦隊ともども上海に引揚げて来ていた日です。
大山中尉一行は、周辺地区の巡回に行き、虹橋飛行場近くの越界路で、進出していた保安隊に遭遇し殺されました。
日本側は中国に抗議するのですが、向こうは日本に責任をなすりつけて、取り合いません。
「大山中尉が中国兵の止めるのも聞かず、衛兵を拳銃で撃ち殺して飛行場に押し入ったので射殺した」と言うのです。
大山中尉は拳銃を携帯しておらず、運転手の斉藤水兵は持っていましたがホルスターに入ったままで殺されているのにです。
車は機関銃で蜂の巣にされ、その後中尉は、車から引きずり出されて、銃剣で胸を刺され、かつ大刀で頭を割られています。
中国側の態度に危険を感じた海軍は、警備の為、陸軍の応援を要請するのですが、参謀本部の石原少将は《上海に陸軍を出すと戦火が拡大するので出せない》と断りました。
仕方がないので海軍は、陸戦隊を1200名程増派します。
ところが追加の陸戦隊が上海に着いた8月11日には、既に日本人居留区は保安隊に包囲されていました。
そして、この日の夜、中国は上海付近の鉄道を抑えて、民間の使用を禁じ、軍用に切り換えて、上海に12万の大軍を送り込み、12日には通称日本租界を包囲し、保安隊に取って代わったのです。
当時、上海にいたのは海軍陸戦隊四千名のみで、とても中国の大軍を相手に出来ません。
そこで改めて陸軍の派遣を要請しました。
またこの日、中国は上海の大河“黄浦江”に船を沈めて川を封鎖し、次いで揚子江の江陰という所にも船を沈めて川を封鎖しました。
この為、最後の引き揚げ船は揚子江を下る事が出来ず、総領事達は一旦南京に戻り、陸路、列車で青島に脱出せざるを得なくなったのです。
緊迫した情勢の中、13日、政府はやっと陸軍の派遣を決めます。
と言っても、これから準備するのですから、到着するまでに約20日は掛かります。
従って「絶対に先に手を出すな」と指令しました。
ところが、この日、中国は既に上海への攻撃を開始しました。
そして翌14日には上海市街を爆撃したのです。
爆弾はキャセイホテルやパレスホテル等にも落ち、中国人や西洋人に大量の死傷者を出しました。
あまりの暴虐さに日本政府は「暴支膺懲」を宣言し、海軍は台風の中にも拘わらず、日本本土から直接爆撃機を飛ばして、中国軍の飛行場や前線基地を叩き、邦人の命を永らえさせました。
これが第二次上海事変の始まりであり、長く続く戦争の始まりです。
つづく
●関連記事
責任なし25 揚子江上流邦人引揚げ
Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/27283988.html
「第二次上海事変」(上海戦)
8月9日大山中尉惨殺事件→8月13日支那大軍が国際租界日本人居留区包囲攻撃→8月14日支那軍機がホテル爆撃→日本が「暴支膺懲」宣言→日本海軍が『渡洋爆撃』
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/23844075.html
1937年7月~8月
反日テロの嵐・大山中尉惨殺事件・支那大軍が国際租界の日本人居住区域を包囲攻撃
第8章上海、その問題点
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ7
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/14535408.html
支那軍が上海の外国人区域を爆撃
外国の干渉を誘発するために空爆した支那が世界から同情
第9章ジュネーブ・ブリュッセル会議を拒否した日本の立場
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ9
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/14751885.html
支那軍が上海のホテルやデパートをわざと狙って爆撃して日本軍の仕業と逆宣伝
戦時下での虚偽
第12章 誹謗中傷運動
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ13
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/15080822.html
ちなみに、同盟通信上海支局長の松本重治という奴は、コミンテルンの工作員(反日共産主義スパイ)だった。
これに関しては、三田村武夫著『大東亜戦争とスターリンの謀略』に詳しく述べられている。
1938年、松本重治は、萱野長知と孔祥熙(行政院長)などが纏めていた日支和平工作に対する破壊工作を行なった。
萱野長知と孔祥熙らの間で進めていた和平は、近衛首相、板垣陸相、蒋介石なども承知していた。
しかし、それを知った松本重治と国民政府の高宗武は、日本政府に対して、「支那側に全然戦意なし、このままで押せば漢口陥落と同時に国民政府は無条件で降伏する」と伝え、一方の国民政府に対して、「日本側に戦意なし、支那が飽迄抗戦を継続すれば、日本側は無条件で停戦、撤兵する」と伝え、その和平工作をぶち壊した。
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