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宮本顕治日本共産党元名誉議長が死去98歳・共産主義者は殺人テロリスト・殺人テロ集団を野放しにしている今の日本は狂っている

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070718-00000062-mai-pol


<訃報>日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去、98歳
7月18日15時46分配信 毎日新聞

 日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、東京都内の病院で死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。
(以下略)
―――――――





共産主義者は殺人テロリストである。

そして、共産党は殺人テロリスト集団だ。

自由と民主主義を尊重す国家であれば共産主義者を厳しく取り締まるべきであり、共産主義者を野放しにしている今の日本は狂ってる。




―――――――
≪祖国を蝕む内なる敵を斬る!≫

 民商や共産党に入るということは破防法指定容疑団体の構成員になるということ、つまりオウムの信者になるのと同じことなのだ。
それ故に破防法を目の敵にする左翼陣営がオウムの破防法適用に対して、一致団結して反対を唱えたる所以である(498頁)。

 平成5年に共産党議長の不破哲三が『日本共産党に対する干渉と内通の記録』という著書を出版している。
これは
宮本顕治が野坂参三派を攻撃するために、つまり共産党内部抗争の材料として出版されたものだが、この本には野坂や志賀義雄ら共産党の幹部の多くがソ連共産党のスパイとなり、ソ連から活動資金を支給されクレムリンの指示に従って活動していたその事実が詳しく書かれている。
これはまさに不破自ら語るに落ちたというべき珍書であり、日本共産党がソ連の対日工作部門であった事実を証明するものである。

日本を仮想敵国とする外国から数百億円もの裏資金を貰って自国政府の転覆を企図する、この共産党の行為は死刑に該当する刑事犯罪ではないか。
高校や大学でオルグされて民青に入り街頭で「自衛隊イラク派遣反対の署名をお願いします」と叫んでいる馬鹿学生たちは、この不破による共産党売国史のカミングアウト(暴露本)著書を読んだことがあるのだろうか(499頁)。

 共産主義国のまさに縮図のような事件の代表例は、やはり日本共産党革命左派所属の永田洋子らが起こした連合赤軍の群馬県榛名山アジト「12名リンチ殺人」であろう。
永田や森恒夫ら幹部の意見には全て無条件で「意義なし」と答えさせられ、少しでも幹部の気にいらない言動を取った者は「革命意志が足りない。共産主義戦士の自覚がたりない」とされて死ぬまで殴られた。
もしも幹部に対して疑問を呈したら「公安のスパイだ」と決め付けられ殺害された。

こうして12名を殺害した残党がかの「浅間山荘」へと向ったわけだが、この榛名山アジトがそのまま国家規模になった国がソ連・中共・北朝鮮等々なのである。
すなわち日本共産党員が目指す国のことだ。
これは観念論ではなく、共産党の頂点に長らく君臨した宮本顕治議長はリンチ殺人で逮捕されたことのある人物であり、殺人犯を党首に戴く政党なんて共産党だけなのである。
この宮本のリンチ殺人について共産党は「党と社会進歩をめざす闘争の正しい前進を防衛するためにおこなった正義の闘争」(昭和51年1月8日・日共中央委員会)としている。
殺人を「正義の闘争」と断じる政党は日本においては共産党だけである(500頁)。

 オウムが革命による日本支配を計画していたように、共産党もまた一度は「武力革命による政権転覆」を呼号したテロ政党であり、その違いはサリンを使ったか火炎瓶を使ったかだけにすぎない(512頁)


深田匠著『日本人の知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』

━━━━━━━━


 だが、田中清玄は唐沢清人らを集めて、なおも党再建に着手したが、その運動は暴力化した。
田中の提唱で当時争議中の東京市電ストライキに対しその指導委員会を組織したが、


 1 指導権を社会民主主義者より奪取せよ
 2 市電ダラ幹の暗殺
 3 市電車庫の放火計画


 などを指令し、ついに青山車庫放火事件が勃発し、アジプロ行動隊は短刀その他の兇器を以て武装し、至る処警官との間に殺傷事件が頻発した。
その頃党は極左的混乱に陥り下部組織は赤色テロを発揮した。
即ち同年5月1日のメーデーには、党の指令により武装行動隊を以てする暴動化を計画し、東京では帝国議会の襲撃動員のため、メーデー行列をしばしば混乱に陥れ、川崎ではメーデー武装蜂起事件が起こった。
一部党員がピストル、日本刀、メーデー旗、竹槍などで武装し、メーデー後進のあとを追うて鶴見より川崎に入り、メーデー会場に突入、第一線警戒線を突破し演壇近く迄進み、ここで警官隊と衝突して多数の負傷者を出すに至った。


 だが、共産党のこの暴力化はどうしたことだろう。
先にコミンテルン第六回大会では今や武装蜂起時代であることを決議したが、田中、前納、佐野らは武装蜂起の意味を誤って、党が直接武器をとって立つものと理解して指令を発したが、その結果5年2月以後各地で警官との乱闘撃ち合いとなり、負傷警察官25名(内1名死亡)を出したのである。(以上、25-6頁より)

 (中略)

当時(昭和6年ごろ)、在獄中の共産党員の間にも軍事研究が旺盛で購読貸出し相次ぎ、市ヶ谷刑務所では彼等の意図を知って兵書の購読閲覧を禁止したのであった。(37頁)

 (中略)

 (共産党の)軍事部はまた民間飛行学校をのっとり革命に飛行機の使用を準備していた。
洲崎第一飛行学校を党の御用学校とするため、7年6月党員鹿島宋二郎を同校理事として潜入させ、同校の経営難に乗じて金3千円を提供し、あわや飛行機による画期的な赤化行動を展開しようとするうち、同年9月20日鹿島及び同校長上田光男が検挙されて事は潰えた。(37頁)

大谷敬二郎著『昭和憲兵史』(みすず書房、1979年5月)

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 大正末から昭和初年にかけて起こった大きな労働争議を一瞥すれば明らかなように、当時の労働争議は、暴力・放火・乱闘などをともなうすさまじい「血戦」となる場合が多く、その残虐性は、第二次大戦後の共産主義運動諸セクト間の「内ゲバ」のそれに匹敵する。
一例として、1926年4月~8月にわたって決行された、ストライキ日数105日に及んだ日本楽器株式会社争議を見ておこう。

この争議中、争議団の一人が会社役員宅にダイナマイトを投げ込んだ。
戦前、労働争議の調停で腕を振った矢次一夫(共産主義の立場)は、この争議についてつぎのように述べている。

 ・・・・・争議団幹部の間では、このダイナマイト事件をきっかけとして、一挙に警察署の焼打、浜松市長邸の襲撃、林支配人宅への放火を決行することにより、会社をふるえ上らせ、一般市民に恐怖感を与えるとともに、世論を喚起し、解決を促進することに努めようと考えたらしい。
この頃は、ストに限らず、ストがこげついて容易に片づかないと、何か事件を起こすことによって警察の干渉を誘発し、調停者出現のきっかけを作るとか、負けた場合の弁解口実を作るとかいう作戦が、好んで採られたものである。


 浜松日本楽器の争議で、浜松氏は一時無法地帯になり、騒擾罪・放火罪・爆発物取締法違反などで起訴された者76人に及んだ。
この争議は、共産党系の争議プロによって仕組まれたものであるが、総同盟や中間派が指導した争議も、暴力の横行という点では大同小異であった。
労働争議は、産業社会を衰退もしくは崩壊させる癌細胞のようなものである。

近代日本研究会編『昭和期の社会運動』(年報・近代日本研究-5、山川出版社、1983年11月)に所収の萩原進「産業報国体制の一考察」、100頁より。
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1988年、浜田幸一議員。衆院予算委員会で、テレビ放映中継下での共産党議員の質問中、浜田幸一委員長が、宮本顕治共産党議長を殺人者呼ばわりし紛糾、騒然となった。
「私が言ってるのは、宮沢賢治君が人を殺したといっただけじゃないですか。何が悪いんですか」。
宮本顕治を宮沢賢治とを言い間違えて平気なのもハマコーらしい。





以上述べてきたように、共産主義者は殺人テロリストである。

殺人を伴わない共産主義の実現など絶対に有り得ない。

共産主義は個人の金融資産や土地などの所有を認めず、現在の個人資産は全て没収する。

現在のアメリカや韓国など、また日本も戦前・戦中は、共産主義者(殺人テロリスト)を厳しく取り締まったが、共産主義者(殺人テロリスト)を野放しにしている今の日本は異常だと思う。








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