正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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アパホテル「南京大虐殺否定本は撤去しない。誤りがあればご指摘ください」グッジョブ!支那発狂!
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アパホテル「南京大虐殺否定本は撤去しない。誤りがあればご指摘ください」・支那発狂!グッジョブ!
以前からAPAホテルでは、全ての客室に「いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである」などとの記述があるCEOの著書を置いていた。
しかし、最近になってアメリカ人女子大学生と支那人男子大学生のコンビが問題視して動画に掲載したら、支那人などが発狂!
支那の旅行会社がアパホテルの予約受け付けを停止!
支那外務省の華春瑩副報道局長が記者会見で「日本の一部の人たちに歴史を直視し、反省するよう求める」と発言!

アパホテル「本書籍を客室から撤去することは考えておりません。…事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。」
APAホテル、Good Job!
日本のヘタレ政治家どもは、APAホテルを見習え!

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1701/17/news088.html
「アパホテル」中国のSNSで“炎上” 「南京大虐殺を否定するCEOの著書が客室に」 告発動画「微博」で6800万再生
2017年01月17日 11時45分 更新


アパホテルが中国のネットで“炎上”。「アパホテルCEOが執筆した、南京大虐殺を否定する内容の書籍が全客室に置かれている」との告発動画がSNS「微博」に投稿され、2日で6800万再生を超えた。

 日本のホテルチェーン・アパホテルが、中国のSNS「微博」で炎上状態になっている。「アパホテルCEOが執筆した、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が全客室に置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と、米国人の学生が「微博」に動画を投稿して告発。この動画が2日で6800万再生を超え、中国ネットユーザーの批判を浴びている。

動画は「微博」で6800万再生超。32万以上の「いいね」と2万9000以上のコメントがついている(17日午前11時半現在)「アパホテル」中国のSNSで“炎上” 「南京大虐殺を否定するCEOの著書が客室に」 告発動画「微博」で6
動画は「微博」で6800万再生超。32万以上の「いいね」と2万9000以上のコメントがついている(17日午前11時半現在)

https://www.youtube.com/watch?v=rmoTcP-G8r8
動画はYouTubeにも投稿されている
(その後、削除)

 動画は、米国人女子大学生Katさんと中国人男子大学生Sidさんのコンビ「KatAndSid」が15日夕方に投稿したもの。2人は1月、東京に旅行に行った際、アパホテルに宿泊し、部屋にあった書籍を読んでショックを受けたという。

 書籍は、アパグループ代表の元谷外志雄さんが「藤誠志」のペンネームで執筆した「理論近現代史学II」(英題は「THEORETICAL MODERN HISTORY II」)で、「南京大虐殺はねつ造だ」「従軍慰安婦の強制連行はなかった」などと主張している。


ホテルのフロントで本を購入するKatさん(KatAndSidの動画より)
ホテルのフロントで本を購入するKatさん(KatAndSidの動画より)

「理論近現代史学II」(アパグループ公式サイトより)「アパホテル」中国のSNSで“炎上” 「南京大虐殺を否定するCEOの著書が客室に」 告発動画「微博」で6
「理論近現代史学II」(アパグループ公式サイトより)

Katさんが購入した本(KatAndSidの動画より
Katさんが購入した本(KatAndSidの動画より)

内容を紹介 「アパホテル」中国のSNSで“炎上” 「南京大虐殺を否定するCEOの著書が客室に」 告発動画「微博」で6800万再生
内容を紹介

 動画では、Katさんがアパホテルのフロントで書籍を購入し、ページを開いて英語版の内容を紹介。南京大虐殺を否定している部分などを読み上げ、「彼には、自分の本をホテルに置いたり自分が言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人・韓国人客からお金を取っているのは不誠実だ。このホテルに支払ったお金は、CEOのこのような政治的思想をサポートすることになる」と話す。

 2人は日本で素晴らしい時間を過ごしたといい、「日本の人達はとても親切で礼儀正しい」と称賛。アパホテルの書籍を批判する動画を公開するかは迷ったが、「このホテルにお金を払う人は真実を知るべき」と考え、公開に踏み切ったという。「これはこのホテルだけの問題で、この国やこの国の人々には関係ない。日本をディスるつもりはない」としている。

 動画は17日午前11時半までに6800万再生を超えた。シェアは60万以上、「いいね」は32万以上、コメントは2万9000以上投稿されており、「客観的なリポートをありがとう」「このホテルには泊まらない」などの声が寄せられている。

 中国共産党の機関誌「人民日報」国際版の「GlobalTimes」もこの問題を報道。記事によると、中国の旅行会社・黄光グループは、この問題を受けてアパホテルの予約受け付けを停止したという。アパホテルの公式サイトは17日午前10時現在、つながりづらい状態になっている。



> 日本のホテルチェーン・アパホテルが、中国のSNS「微博」で炎上状態になっている。「アパホテルCEOが執筆した、南京大虐殺を否定する内容を含む書籍が全客室に置かれている。中国人はこの事実を知った上で宿泊するかどうか決めるべき」と、米国人の学生が「微博」に動画を投稿して告発。この動画が2日で6800万再生を超え、中国ネットユーザーの批判を浴びている。


このアメリカ人の学生も完全に南京大虐殺が事実だと思い込んでいるようだ。

私の経験上、支那人の中には南京大虐殺について疑っている者が意外といるが、むしろアメリカ人の方が支那人などよりも事実だと思い込んでいる比率が高いような気がする。






>書籍は、アパグループ代表の元谷外志雄さんが「藤誠志」のペンネームで執筆した「理論近現代史学II」(英題は「THEORETICAL MODERN HISTORY II」)で、「南京大虐殺はねつ造だ」「従軍慰安婦の強制連行はなかった」などと主張している。


この書籍には、南京大虐殺について「中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである」などと記されている。

アパグループ代表の元谷外志雄さん(ペンネーム「藤誠志」)の主張は事実だ。

南京大虐殺は捏造であり、嘘っぱちのでっち上げだ。

また、従軍慰安婦強制連行も、同じく嘘っぱちのでっち上げだ。

米国人女子大学生Katと支那人男子大学生Sidのコンビは、この本の中身をちゃんと読んだのかな?

読めば本当に南京大虐殺なんて捏造だと理解できるはずだが、最初から思考停止していて素直に読んで理解する意思がないのかもしれない。






>動画では、Katさんがアパホテルのフロントで書籍を購入し、ページを開いて英語版の内容を紹介。南京大虐殺を否定している部分などを読み上げ、「彼には、自分の本をホテルに置いたり自分が言いたいことを言う権利はあるが、彼の政治的思想を知らない中国人・韓国人客からお金を取っているのは不誠実だ。このホテルに支払ったお金は、CEOのこのような政治的思想をサポートすることになる」と話す。


いや、アパホテルでは堂々と全客室に英語と日本語で書かれた当該書籍を置いているのだから、「彼の政治的思想を知らない中国人・韓国人客からお金を取っているのは不誠実だ。」との主張は間違っている。

しかも、書籍の内容は「彼の政治的思想」ではなく、事実だし。


なお、日本語と英語の2か国語で書かれた南京大虐殺の否定本としては、次のような大作もあり、ネット上で全て読むこともできる!

日英バイリンガル・再審「南京大虐殺」 世界に訴える日本の冤罪 The Alleged 'Nanking Massacre' Japan's rebuttal to China's forged claims
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/index.html
日英バイリンガル
再審「南京大虐殺」
世界に訴える日本の冤罪
The Alleged 'Nanking Massacre'
Japan's rebuttal to China's forged claims

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/preface.html#preface
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2






>2人は日本で素晴らしい時間を過ごしたといい、「日本の人達はとても親切で礼儀正しい」と称賛。アパホテルの書籍を批判する動画を公開するかは迷ったが、「このホテルにお金を払う人は真実を知るべき」と考え、公開に踏み切ったという。「これはこのホテルだけの問題で、この国やこの国の人々には関係ない。日本をディスるつもりはない」としている。


いや、だから、「このホテルにお金を払う人は真実を知るべき」も何も、アパホテルはかなり以前から全ての部屋に当該書籍を置いているし、フロントで販売もしており、隠す気など毛頭なく、むしろ少しでも多くの人に歴史の真実を知ってほしいと願ってやっていることだ。

アメリカ人女と支那人男は、完全に「南京大虐殺」が事実だと思い込んでいる上に完全に思考停止に陥っている。






>中国共産党の機関誌「人民日報」国際版の「GlobalTimes」もこの問題を報道。記事によると、中国の旅行会社・黄光グループは、この問題を受けてアパホテルの予約受け付けを停止したという。アパホテルの公式サイトは17日午前10時現在、つながりづらい状態になっている。


支那の旅行会社がアパホテルの予約受け付けを停止したり、支那人がアパホテルを回避したりするなら、アパホテルに日本人客が急増することになる。

5 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:06:08.19 ID:uL+dWmRb0APA
ホテルに中国人泊まらなくなるなら、出張しやすくなって大歓迎だわ

6 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:06:48.43 ID:ObBO8nFK0
これで出張しやすなといいなぁ

11 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:08:08.26 ID:Dj0f4F710
今頃www

   支那人客で迷惑してる店は本置けばいいって事だなwww

     ∩___∩   /)
    | ノ      ヽ  ( i )))
   /  ●   ● | / /
   |    ( _●_)  |ノ /
  彡、   |∪|    ,/
  /    ヽノ   /´
   


12 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:08:14.70 ID:QnInGtch0
よし、これからは出張時にはAPAに泊まるようにするぞ。

13 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:08:19.83 ID:UoKxxjdN0
これで日本人にとってはAPAは予約しやすい上により安全で静かなホテルってことになるね。なんだいい事ずくめじゃないか。

15 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:08:28.49 ID:Qm5OWdVu0
日本人宿泊者でいっぱいになるなwwwwwwww

19 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:09:18.41 ID:3VkxCfmD0
これで支那人が来なくて良かったね
旭日旗も玄関正面に掲げたら。


46 :名無しさん@1周年:2017/01/17(火) 10:12:15.73 ID:TzZY2Cn40
なるほど。
中国人お断りって掲示すると差別だって言われるけど、
こーゆうやり方もあるんだな。




その後、支那外務省の華春瑩副報道局長も、記者会見で「日本の一部の人たちに歴史を直視し、反省するよう求める」と述べた。
華春瑩副報道局長



これらの騒動の中、ホテルを運営するアパグループは「本の撤去はしない」「本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたい」などのコメントをホームページ上に発表した。

Good Job!


アパホテル「南京大虐殺否定本は撤去しない。誤りがあるなら指摘しろ」

http://www.apa.co.jp/newsrelease/8325
apaニュース リリース
ニュース リリース
客室設置の書籍について

 弊社ホテル客室に設置している『本当の日本の歴史 理論近現代史』等について、南京大虐殺を否定するものだとして批判的に取り上げる動画がインターネット上にアップされたことをきっかけに、昨日からご意見やお問い合わせをいただいていますので、ここで弊社の見解を述べさせていただきます。

 ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。

 本書籍の中の近現代史にかかわる部分については、いわゆる定説と言われるものに囚われず、著者が数多くの資料等を解析し、理論的に導き出した見解に基づいて書かれたものです。国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたものです。したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません。日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます。なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。
 

『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6
二、南京三十万人大虐殺


 中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。しかも国民党広報宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。
 そもそも日本軍が南京に侵攻したのは、一九三六年、張学良が蒋介石を西安で拉致監禁した西安事件をきっかけに、コミンテルンの指導で第二次国共合作が成立したことで、国民党政府軍は中国共産党への攻撃をやめ、国民党政府軍に共産党勢力が入り込み、日本軍を挑発して、日本を戦争へ引きずり込んでいったことが背景にある。
 一九三七年七月七日、中国盧溝橋付近で北京議定書に基づき合法的に駐留していた日本軍の軍事演習中に、日本軍とその近くにいた国民党政府軍の双方に対して実弾が発射されたことをきっかけに、戦闘状態になった(盧溝橋事件)。この双方への発砲は、後に中国共産党国家主席となった劉少奇(りゅうしょうき)が指示したものであることを、彼自身が告白している。事件不拡大を望んだ日本軍は、その四日後には停戦協定を結んでいる。
 しかし、日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、同年七月二十九日、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、同年八月九日に起こった「大山大尉惨殺事件」、更には、同年八月十三日、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中(ちょうじちゅう)の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。
 上海事変で勝利した日本軍は、敗走する国民党政府軍を追撃し、国民党政府の首都であった南京を攻略し、同年十二月十三日に南京占領。このとき敗残兵が住民に対して略奪、虐殺を行なった。それらの敗残兵が民間人の衣服を奪って便衣兵(ゲリラ)となったことから、日本軍は便衣兵の掃討作戦を行った。便衣兵(ゲリラ)の殺害は国際法上認められているものであり、一般住民を虐殺したのはこの敗残兵達(督戦隊が撃ち殺したのは、逃亡中国兵であった。)であった。しかし、こうした事実が歪められて、情報謀略戦として、「南京三十万人虐殺説」が流布されたのである。そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。



>ご指摘のあった書籍は、本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として、弊社グループ代表の元谷外志雄が「藤誠志」のペンネームで月刊誌『Apple Town』に連載している社会時評エッセイを1年分まとめたものに、まえがきとして解説を付して制作したもので、日本語の他に、英語訳も付いています。


「本当の日本の歴史を広く知っていただくことを目的として」書いた本を全アパホテルの全客室に置いていたのだから、今回の騒動で目的の推進が加速したことになる!

「ラッキー!」「ナイス!」としか言いようがない。






>なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています。 


この対応も、とても良い。

「南京大虐殺は捏造だ」ということについての記載内容(説明)に対して誤りがあるという奴は、どの部分のどの記述がどのように誤りなのかきちんと指摘するべきだ!

当該書籍を購入して動画でアップしたアメリカ人女子大学生Katと支那人男子大学生Sidのコンビも、本を購入して動画で訴えた以上、どの記載内容の何が間違いなのか説明する責任がある。

やれるもんならやってみろ!






> 『本当の日本の歴史 理論近現代史学』P6
>二、南京三十万人大虐殺
>中国は日本軍が南京で三十万人を虐殺したと主張しているが、そもそも当時の南京市の人口は二十万人であり、三十万人を虐殺し、その一ヶ月後には人口が二十五万人に増えていたなどあり得ないことだ。



そのとおりだ!

南京戦が始まる頃の南京の人口は約20万人かそれ以下で間違いない!

▽1937年11月~12月の南京の人口推移▽

1937年前半「100万人超」
(支那事変勃発前)

1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)

11/27「30~40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90)

12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令

12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)

12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令

12月10日「約20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月13日「約20万」
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)


▽陥落直前の南京の人口に関する資料▽
――――――――――
安全委員会公文書【20万人の市民】
スティール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
ラーベ【20万人】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
――――――――――


以上の資料を総合してみると、12月13日、南京陥落時点の南京の人口は、【10万人から最高20万人】の間とみて間違いない!

なお、南京陥落から1か月後の生存人口が約25万人(安全委員会公文書)だから人口は増えた。
●日本語と英語の2か国語の説明
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1


そして、その約20万人の市民は、全員が安全区(難民区)に避難しており、日本軍による虐殺は全く確認されていない。(詳細記事






>しかも国民党広報宣伝部に雇われていた二人を除いて、欧米人など第三国の人が虐殺を目撃した日記も手紙も写真も、記録したものが一つもないことなど、…


国民党に雇われた二人のうち、一人は確実にベイツのことだ。

ベイツは長く南京に滞在したのだが、ベイツ自身が目撃した虐殺は0件だ。

ところが、ベイツは、「ベイツ・メモ」で4万人大虐殺を主張し、1938年に国民政府から勲章を受けた。

また、ベイツは、東京裁判で市民1万2000人大虐殺を主張した1946年にも国民政府から勲章を受けた。

さらに、2001年には、ベイツが「国民政府の顧問」と紹介されていた新聞記事の切り抜きまで、イエール大学で発見された。

ベイツ教授は国際委員会の有力なメンバーで、宣教師でもあったが、エール大学所蔵の南京関係文書の中から見つかった新聞記事には、彼の顔写真の下に、「南京大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サー
エール大学所蔵の南京関係文書の中から見つかった新聞記事には、彼の顔写真の下に、「南京大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士」とあった。
ベイツ教授は支那国民党の工作員だったのだ。

(東中野修道、『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』、2006年)。




南京安全区国際委員会のメンバーについては、ベイツが支那国民党の工作員だったことは明確に判明しているが、委員長だったラーベ、マギー、スマイスなども言動から国民党の工作員だったことは間違いなく、大半が工作員、あるいは南京安全区国際委員会そのものが工作機関だった可能性が高い。

●詳細記事
南京虐殺は嘘20 嘘吐きダーディン 1 (宣伝工作員のメモを基にした南京の虚報と、当時の米国新聞の反日虚報の数々と、『支那事変日誌抜粋』松井石根)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3304.html
南京虐殺は嘘22...嘘吐きダーディン3...スティールとダーディンの虚報...『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著より
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3295.html
南京虐殺は嘘23 ...嘘吐きダーディン4...虚報の情報源は宣伝工作員のベイツ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3291.html

南京虐殺は嘘28 嘘吐きベイツ1....嘘吐きベイツの化けの皮
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3275.html
南京虐殺は嘘29 嘘吐きベイツ2....嘘吐きベイツのトンデモ証言・文書の数々
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3272.html
南京虐殺は嘘30 嘘吐きベイツ3....ベイツは嘘吐き宣伝工作員
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3270.html

南京虐殺は嘘31 ベイツとティンパリー、嘘吐き宣伝工作員同士の音信
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3266.html
南京虐殺は嘘32 嘘吐き安全区国際委員会、組織ぐるみで嘘を吐いていた背景
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3263.html
南京虐殺は嘘33 嘘吐きラーベのデマ宣伝工作 、支那軍将校を自宅に匿っていたトンデモない安全区国際委員長
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3261.html






>更には、上海大学の朱学勤教授が「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、ただの一人分も存在していない」と論文で発表したにもかかわらず、辞職もさせられていないことなどから、いわゆる南京虐殺事件が中国側のでっちあげであり、存在しなかったことは明らかである。


支那で日本人が虐殺された「済南事件」「通州事件」などには犠牲者名簿があるが、「南京大虐殺」には犠牲者名簿が全くないので具体的な犠牲者が全く特定されていない。

◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆

●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)

●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu00.htm
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu20.htm
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(外務省の公式声明など○)


●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿 ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.当時の政府の認識 ×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)


●カチンの森事件
1.ポーランド人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書その他公式文書 ○あり
(スターリンが命令し、内務人民委員部長官ラヴレンティ・ベリヤが命令書に署名○)
3.当時の政府の認識 ○あり
加害者のソ連 ○あり
被害者のポーランド ○あり
濡れ衣を着せられたドイツ ○あり
(事件3年後、収容所にいた元ポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等の遺骸を発見○)

●ホロコースト
1.犠牲者の名簿 ○あり
(犠牲者や強制労働者ら1750万人の名簿○)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(ナチスの強制収容所などの実態が記述された約5千万件の公文書○)
3.当時の政府の認識 ○あり

●原爆投下
1.犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料 ○あり
3.当時の政府の認識 ○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)

●ソ連による日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件
1.犠牲者の名簿 ○あり
(死亡年月日、死因、埋葬地など全員○。犠牲者は50万人超で、ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみ渡された)
2.命令書その他公式文書 ○あり
(マリク駐日大使がモロトフ外相に宛てた文書で、「1946年12月時点で、まだ生存している抑留日本人が105万人以上居る」と記載○)
3.当時の政府の認識
被害者の日本 ○あり
加害者のソ連 ○あり
第3国の米国 ○あり



【慰安婦(戦地売春婦)強制】に係る証拠(資料)▼
1.被害者の名簿 ×なし
(戦地売春婦である慰安婦は実在したが、日本によって強制された被害者は皆無「0人」)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.当時の政府の認識 ×なし
(当時、日本にも×、朝鮮総督府にも×、アメリカ政府にも×、強制の認識なし。1965年の日韓基本条約締結時の韓国政府にも×、全く強制の認識なし)




左:「トランプ革命で甦る日本」西村幸祐、ケント・ギルバート著(2017/1/19)
中:『米国人弁護士が「断罪」 東京裁判という茶番』ケント・ギルバート著(2016/12/16)
右:『「カエルの楽園」が地獄と化す日』百田尚樹&石平著(2016/11/11 )


左:「在日特権と犯罪」坂東忠信著(2016/10/8)
中:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 低塩 スマートPET 720ml×15本
右:デルモンテ 国産 旬にしぼったトマトジュース750ml瓶×12(6×2)本入



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仏博物館で『南京事件』展・記憶遺産の登録後初・日本軍の残虐性を印象付け・館長「真実かどうかは別」
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plt1611240003-p1.jpg 仏博物館で「南京事件」展 記憶遺産の登録後初 日本軍の「残虐性」を印象付け 「中国の視点。真実かどうかは別」と館長
【歴史戦】仏博物館で『南京事件』展
記憶遺産の登録後初
日本軍の“残虐性”を印象付け

館長「中国の視点。真実かどうかは別」

http://www.sankei.com/politics/news/161124/plt1611240003-n1.html
【歴史戦】
仏博物館で「南京事件」展 記憶遺産の登録後初 日本軍の「残虐性」を印象付け 「中国の視点。真実かどうかは別」と館長
2016.11.24 01:30更新、産経新聞

仏北西部の「カン平和祈念博物館」で、「南京事件」をテーマに開かれている企画展(宮下日出男撮影)
仏北西部の「カン平和祈念博物館」で、「南京事件」をテーマに開かれている企画展(宮下日出男撮影)

フランス北西部カンの「カン平和記念博物館」で、第二次世界大戦中の「南京事件」をテーマにした企画展が12月15日まで開かれている。中国が昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(記憶遺産)に関連資料を登録後、初の海外展示となる。欧米人の証言などを強調する内容で、中国の主張への共感を呼びたい狙いも垣間見える。(カン 宮下日出男)

カンでの企画展「1937南京大虐殺 南京の6週間」は10月23日に開幕し、中国の「南京大虐殺記念館」が提供した写真270点以上や文書などがパネル展示されている。会場には遺産登録を告知するパネルも設けられていた。

会場では「犠牲者30万人以上」との中国側主張が改めて掲げられ、「日本軍に殺害された」とする遺体の写真のほか、2将校が日本刀で「百人斬り」を行ったとする当時の報道も展示された。日本兵から性的暴行を受けたとする若い女性や、「慰安所前に群がる日本兵」とする写真などもあり、日本軍の「残虐性」を印象付けようとしている。

展示はまた、「共通の証人」と銘打ち、当時南京に滞在していた欧米人に焦点をあてる。記憶遺産に登録されたという16ミリフィルム映像を撮影した米国人宣教師ジョン・マギーについては「危険を冒して日本の戦争犯罪の証拠を記録した」と説明。関連とみられる短い映像も流されていた。

このほか、「虐殺」に関する証言が同様に遺産登録されたとされる南京大学の米国人教授マイナー・ベイツ、シーメンス社南京支社長だったドイツ人ジョン・ラーベら欧米人や、「虐殺」を伝える欧米メディアの当時の報道の紹介にも大きなスペースが割かれた。

カンは大戦中の1944年、連合軍を勝利に導く分岐点となるノルマンディー上陸作戦時の戦闘で町の大部分が破壊され、博物館は88年、その記憶をとどめるため開設された。「戦勝国」にとって象徴的な場所を活用しつつ、欧米人による南京での「正義と真実を守る」(展示記述)取り組みを伝え、中国の論拠の正当性を訴えているようでもある。

博物館によると、欧州だけでなくアジアの大戦中の状況も伝えるため、中国側の交流先を探した際、記念館側が応じ、展示物の相互紹介を提案。2014年に協議がまとまり、今回の特別展が実現した。博物館の資料の展示会も今後、中国で開く計画という。

展示内容については、来館者に理解しやすいよう説明文の一部改訂を求めたが、中国側が基本的にすべて用意した。博物館のステファン・グリマルディ館長は産経新聞に、「(展示内容は)今の中国の視点であり、真実かどうかは別の話だ」と語った。

館長は「虐殺の歴史には各国の見方があり、どうしても対立をはらむ。議論があるのは当然」とも強調。博物館は日中開戦80年にあたる来年、「集団犯罪」に関する国際シンポの開催を計画しており、日本の歴史家にも参加してもらい、議論する考えを示した。



>会場では「犠牲者30万人以上」との中国側主張が改めて掲げられ、「日本軍に殺害された」とする遺体の写真のほか、2将校が日本刀で「百人斬り」を行ったとする当時の報道も展示された。日本兵から性的暴行を受けたとする若い女性や、「慰安所前に群がる日本兵」とする写真などもあり、日本軍の「残虐性」を印象付けようとしている。


昭和12年(1937年)に東京日日新聞(毎日新聞)が報道した「百人斬り」というのは、「敵兵を斬った」という内容だったので、実際に有ろうが無かろうが全く問題のない内容だった。

「百人斬り」というのは、昭和12年(1937年)の東京日日新聞(毎日新聞)の最初の記事においては、「野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた」と記述されていたように、「敵兵を斬った」という内容の武勇談(宣伝報道)だった。

昭和12年(1937年)11月30日朝刊

百人斬り競争!両少尉、早くも八十人

[常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発]
常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。

無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた。
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

向井少尉
この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ

野田少尉
僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ


百人斬り競争をした日本軍将校(1937年12月13日東京日日新聞,現在の毎日新聞):二人の少尉がどちらが先に日本刀で敵を100人斬れるか競争をしたことを伝える新聞報道。
百人斬り競争をした日本軍将校(1937年12月13日東京日日新聞,現在の毎日新聞):二人の少尉がどちらが先に日本刀で敵を100人斬れるか競争をしたことを伝える新聞報道。


>野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた。


記事内容が事実か作り話かの問題は置いておき、この東京日日新聞(毎日新聞)の記事は敵陣地に突撃して敵兵を斬ったという「武勇伝」が報道されていた。

そして、この話は実際には宣伝のための作り話だった。

百歩譲って、仮に宣伝のための「作り話」ではなく事実報道だったとしても、敵陣で敵兵を斬ったことを犯罪にしたのだから、実におかしなことだった。

したがって、支那は戦後の「南京軍事法廷」で敵兵(支那兵)を斬った日本軍将校を死刑にしたのだから滅茶苦茶であり、悪いのは支那だった。

話がややこしくなったのは、戦後20年以上経ち、朝日新聞の本多勝一が話を捏造したからだった。

朝日新聞記者だった本多勝一は、日本兵が敵陣地に突撃して敵兵を斬ったという「百人斬り」について「これではツマラナイ」、「このままではマズイ」と思ったのだろう。

本多勝一は勝手に、「降伏を呼びかけられて塹壕から出てきた無抵抗の蒋介石軍兵士らを並ばせておいて、かたはしから斬った」などと出鱈目を書き加えた!

つまり、敵陣で敵兵を斬ったという東京日日新聞(毎日新聞)の当時の「武勇談」(作り話)は、20年以上経っていつのまにか朝日新聞の本多勝一によって無抵抗の捕虜の「据えもの斬り」競争に摩り替えられたのだった!

朝日新聞の本多勝一
【敵陣で敵兵を斬った】という東京日日新聞の記事を何十年も経った後に勝手に【無抵抗の捕虜の「据えもの斬り」競争】にすり替えて広めた朝日新聞の本多勝一

しかも、東京日日新聞の後身である毎日新聞社は、平成元年(1989年)に自社発行した『昭和史全記録』という本のなかで「百人斬りは事実無根だった」(P178)と記述している。





>展示はまた、「共通の証人」と銘打ち、当時南京に滞在していた欧米人に焦点をあてる。記憶遺産に登録されたという16ミリフィルム映像を撮影した米国人宣教師ジョン・マギーについては「危険を冒して日本の戦争犯罪の証拠を記録した」と説明。関連とみられる短い映像も流されていた。


アメリカのジョン・マギー牧師が虐殺そのものを収めた証拠フィルムなんて全くない!

専門家によって唯一実写と認められているマギーが撮影したフイルムが存在するが、その中にも虐殺のシーンは全くなく、多くは戦傷者の治療風景となっている。

戦後、東京裁判で証言台に立ったジョン・マギーは、膨大な殺人、強盗、強姦、暴行、累々たる死体などを見たかのような証言をした。

しかし、ブルックス弁護士が「殺人行為の現行犯をあなた自身はどのくらいご覧になりましたか?」と反対尋問すると、その答えは「1件のみです」だった。

その1件とは、歩哨に誰何(すいか)されて逃亡した者を射殺したケースであり、この場合は合法的な射殺となるため、虐殺には該当しない。

その他のマギー証言は、全て伝聞、想像、創作だったのだ。

ジョン・G・マギー牧師
ジョン・G・マギー牧師
●関連記事
南京虐殺は嘘37 嘘吐き婆夏淑琴と嘘吐き宣教師マギー①
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3251.html
南京虐殺は嘘38 嘘吐き婆夏淑琴と嘘吐き宣教師マギー②
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3249.html






>このほか、「虐殺」に関する証言が同様に遺産登録されたとされる南京大学の米国人教授マイナー・ベイツ、シーメンス社南京支社長だったドイツ人ジョン・ラーベら欧米人や、「虐殺」を伝える欧米メディアの当時の報道の紹介にも大きなスペースが割かれた。


【「虐殺」を伝える欧米メディアの当時の報道】とあるが、その報道の情報源(ソース)は【南京大学の米国人教授マイナー・ベイツ】だった。

しかし、今では【南京大学の米国人教授マイナー・ベイツ】は、支那国民党政府の工作員だったことが判明している。

「欧米メディアの当時の報道」というのはニューヨークタイムズのダーディン記者とシカゴ・デイリー・ニューズのスティール記者の記事のことだと考えられる。(それ以外に南京事件に関する「欧米メディアの当時の報道」は無いに等しい)

しかし、ダーディンもスティールも2人とも、南京事件について書いた記事は、国民党工作員のマイナー・ベイツ教授から手渡されたメモを記事にしたものだった。

ベイツは、宣教師で、南京で大学教授をしていた。

南京安全区国際委員会のメンバーであり、当時から日本軍の犯罪を米国領事館へ報告したり日本大使館へ抗議しまくったりしていた。

また、ベイツは、戦後の東京裁判でも、日本軍に不利になる様々なデタラメ証言をして、「南京大虐殺」を作り上げた中心的人物の一人だ。

ダーディンとスティールの報道は、この支那工作員のベイツからのメモが情報源(ソース)だった。

南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。
一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。
「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』 のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」


ベイツは長く南京に滞在したのだが、ベイツ自身が目撃した虐殺は0件だ。

ところが、ベイツは、「ベイツ・メモ」で4万人大虐殺を主張した1938年に国民政府から勲章を受けた。

また、ベイツは、東京裁判で市民1万2000人大虐殺を主張した1946年にも国民政府から勲章を受けた。

さらに、2001年には、ベイツが「国民政府の顧問」と紹介されていた新聞記事の切り抜きまで、イエール大学で発見された。

ベイツ教授は国際委員会の有力なメンバーで、宣教師でもあったが、エール大学所蔵の南京関係文書の中から見つかった新聞記事には、彼の顔写真の下に、「南京大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サー
エール大学所蔵の南京関係文書の中から見つかった新聞記事には、彼の顔写真の下に、「南京大学歴史学教授にして、中華民国政府顧問のマイナー・サール・ベイツ博士」とあった。
ベイツ教授は支那国民党の工作員だったのだ。

(東中野修道、『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』、2006年)。





そもそもNYタイムズのダーディンなんて、日本軍が南京を占領した1937年12月13日には南京に居なかった!

当日、ダーディンは南京から出かけており、南京に戻ったのは12月14日の夜遅くになってからだ。

12月14日の夜に南京に戻ったダーディンは寝て起きて翌日12月15日の昼には船で南京を離れているため、南京戦を見てもいないし、日本軍占領後の南京について取材をする時間もなかった。

したがって、上述したとおり、ダーディンの記事の情報源は、国民党工作員のベイツから渡されたメモだったのだ。

スティールもダーディンらとともに1937年12月15日の昼に早々と船で南京を離れており、2人の記事は内容が酷似しているため、2人とも12月15日にベイツから渡されたメモを基に記事を書いたことは間違いないのだ。

ダーディン
NYタイムズのダーディン記者
極秘文書の中の「外事課工作概況」 中央宣伝部は取材に協力した記者を記録していた。「南京大虐殺」第一報を報じたスティール記者とダーディン記者の名前も含まれている。 出典:東中野修道、『南京事件―国民党極秘
極秘文書の中の「外事課工作概況」
中央宣伝部は取材に協力した記者を記録していた。
「南京大虐殺」第一報を報じたスティール記者とダーディン記者の名前も含まれている。

出典:東中野修道、『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』(2006年)50頁






ジョン・ラーベ(John Rabe)は南京安全区国際委員会の委員長であり、シーメンス南京支社長、ナチス党員でした。
ジョン・ラーベ(John Rabe)は南京安全区国際委員会の委員長であり、シーメンス南京支社長、ナチス党員

【シーメンス社南京支社長だったドイツ人ジョン・ラーベ】は南京安全区国際委員長でもあったが、実はジョン・ラーベも虐殺を1件も目撃しなかった!

ジョン・ラーベの日記や手紙の中では、ラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもない。

ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていた。

ところが、東京裁判で検察側書証として提出された「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)には、「約二万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民を殺害」と書いていた。
さらに、『ヒトラーへの上申書』には、「中国側の申し立てによりますと、十万の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万と見ています」と報告した。
ラーベの報告は、数千だったり5~6万だったり滅茶苦茶だ。
もしも、本当に日本軍が市民大虐殺をしていたのなら、日本軍憲兵隊に通報したり日本大使館に抗議するのが安全区国際委員長の責務であるのに、それをせず、南京の外(上海やドイツなど)に向けてのみ、日本軍の犯罪を発信していたのは、彼が嘘吐き宣伝工作をしていたとしか考えられない。

このラーベの嘘宣伝は、前回既に述べたように安全区国際委員会全体が嘘吐き宣伝工作委員会と化していたのが大きな理由だが、ラーベ独自の事情もあった。

ラーベは、安全区の自宅に、現金を一杯に詰めたトランクを幾つも持っていた支那軍将校の龍大佐と周大佐を潜伏させていた。
これは、中立と、安全区の保護を責務とする安全区国際委員長としては、言語道断であり、この行為自体が支那軍のための工作活動だ。


また、当時ジョン・ラーべは、支那の蒋介石政権に重電機・通信機などを売って莫大な利益を得ていた「軍需産業ジーメンス」の南京支社長だった。
支那事変が始まってから日本は再三ドイツに支那への軍需品輸出をやめるように要請していた。
ヒトラーはソ連を牽制するためにも、日本と手を組む事を選び、支那への軍需品輸出を控えた。

ラーベにしてみれば、自分が30年間も支那で培ってきた商売が水の泡になるので、「日本はこんなひどい事をしている。こんな国との同盟は止めてくれ!」と言いたかったのだろう。

しかし、ラーベの荒唐無稽な「数千人」とか「5~6万人」とかの虐殺の話はあまりにも不自然過ぎて、同胞のドイツ人にも信じて貰えなかった。

1938年1月9日に南京に戻ったドイツ大使館のシャルフェンベルク事務長は、2月10日、自分の目で実情を確かめた上で漢口のドイツ大使館に、ラーベが語る日本軍の暴行事件について、「暴行事件と言っても全て支那人から一方的に聞いているだけ」と書き送っている。

結局ラーべの策略は実らず、ドイツに呼び戻され、二度と支那の土を踏むことはなかった。


南京安全区国際委員会のメンバーについては、ベイツが支那国民党の工作員だったことは明確に判明しているが、委員長だったラーベ、マギー、スマイスなども言動から国民党の工作員だったことは間違いなく、大半が工作員、あるいは南京安全区国際委員会そのものが工作機関だった可能性が高い。

●詳細記事
南京虐殺は嘘20 嘘吐きダーディン 1 (宣伝工作員のメモを基にした南京の虚報と、当時の米国新聞の反日虚報の数々と、『支那事変日誌抜粋』松井石根)
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3304.html
南京虐殺は嘘22...嘘吐きダーディン3...スティールとダーディンの虚報...『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著より
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3295.html
南京虐殺は嘘23 ...嘘吐きダーディン4...虚報の情報源は宣伝工作員のベイツ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3291.html

南京虐殺は嘘28 嘘吐きベイツ1....嘘吐きベイツの化けの皮
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3275.html
南京虐殺は嘘29 嘘吐きベイツ2....嘘吐きベイツのトンデモ証言・文書の数々
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3272.html
南京虐殺は嘘30 嘘吐きベイツ3....ベイツは嘘吐き宣伝工作員
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3270.html

南京虐殺は嘘31 ベイツとティンパリー、嘘吐き宣伝工作員同士の音信
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3266.html
南京虐殺は嘘32 嘘吐き安全区国際委員会、組織ぐるみで嘘を吐いていた背景
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3263.html
南京虐殺は嘘33 嘘吐きラーベのデマ宣伝工作 、支那軍将校を自宅に匿っていたトンデモない安全区国際委員長
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3261.html






>博物館のステファン・グリマルディ館長は産経新聞に、「(展示内容は)今の中国の視点であり、真実かどうかは別の話だ」と語った。


ハァ?!

博物館の館長が「真実かどうかは別の話だ」だって?!

展示内容については、支那側が基本的にすべて用意したとも述べられている。

その上で館長が「真実かどうかは別の話だ」と発言するということは、展示内容には南京大虐殺の決定的証拠となるような物はないと言っているようなものだ。




左:「在日特権と犯罪」坂東忠信著(2016/10/8)
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:『日本人に「憲法」は要らない』西村幸祐著(2016/8/9)


左:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 低塩 スマートPET 720ml×15本
中:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 食塩無添加 スマートPET 720ml×15本

右:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6


「支那も仏博物館も、真実かどうかは別の話となるような展示をするな!」

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南京大虐殺の写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」で展示された写真がインチキ
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神奈川新聞が宣伝した写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」の写真がインチキ!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161011-00012603-kana-l14
南京大虐殺の事実を知って 12日まで写真展
カナロコ by 神奈川新聞 10月11日(火)7時3分配信

南京大虐殺の写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」で展示された写真がインチキ
南京大虐殺をテーマにした写真展=横須賀市本町

 旧日本軍による南京大虐殺をテーマにした写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」が、横須賀市本町の市立市民活動サポートセンターで開かれている。市民団体「州和会」の主催。12日まで。

 民衆の前で首を切られる男性や、野原に横たわる死体など残虐な写真19枚を展示。同会代表の橘田恒之さん(68)が、中国残留孤児の帰国運動などに関わっていた男性から譲り受けたものという。

 橘田さんは「21世紀を担う若者たちに南京事件を知ってもらい、二度と戦争はしてはいけないと感じてほしい」と話している。



>旧日本軍による南京大虐殺をテーマにした写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」が、横須賀市本町の市立市民活動サポートセンターで開かれている。


神奈川新聞の記事に掲載されている画像からは一番手前(左端)に写っている写真だけが何の写真か確認できる。
南京大虐殺の写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」で展示された写真がインチキ
拡大画像
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南京大虐殺の写真展「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」で展示された写真がインチキ


しかし、この写真は所謂「南京事件」(南京大虐殺)とは全く関係のない写真だ!

この写真は、満州の張学良の部下が盗賊を銃殺して見せしめとして首を切って晒したものを撮影した写真であり、1937年の南京戦よりも何年も前から満州や朝鮮の土産屋などで「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と題して販売されていた写真だ。
この写真は、満州の張学良の部下が盗賊を銃殺して見せしめとして首を切って晒したものを撮影した写真であり、1937年の南京戦よりも何年も前から満州や朝鮮の土産屋などで「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と題して販

この写真は、昭和59年(1984年)に朝日新聞が「南京大虐殺」の証拠写真として捏造報道した際にも使用した写真であり、南京問題の研究家の間では非常に有名な写真だ!





>民衆の前で首を切られる男性や、野原に横たわる死体など残虐な写真19枚を展示。同会代表の橘田恒之さん(68)が、中国残留孤児の帰国運動などに関わっていた男性から譲り受けたものという。


他人から写真を譲り受けただけで何ら検証もせずに「戦争という名の狂気 知られざる事実 南京事件」と題して写真展を開催する市民団体「州和会」代表の橘田恒之は、とんでもないペテン師だ!

「知られざる事実」が聞いて呆れる!

しかも、神奈川新聞も【旧日本軍による南京大虐殺をテーマにした写真展】と無批判に記事にしているのだから、悪質な反日プロパガンダだ!

「州和会」代表の橘田恒之神奈川新聞も、日本を悪者にでっち上げたくて仕方がないのだ。


(参考)

http://www.yokosuka-supportcenter.jp/hp/support/db/f704.html
州和会

会員数
30人(男性 20人/女性 10人)

会員年齢層
70歳代 - 80歳代

問合せ:横須賀市立市民活動サポートセンター(TEL: 046-828-3130)



なお、所謂「南京事件」(南京大虐殺)の写真とされるモノには、本当に「南京事件」(南京大虐殺)の証拠と成り得るモノは1枚たりともない!

全ての写真は、所謂「南京事件」(南京大虐殺)とは全く関係ない写真だったり、「いつ」「どこで」「誰が」撮影した写真なのかが一切不明だったり、誰かが捏造したり修正したりした写真ばかりであり、「日本軍の犯罪の証拠」としては到底認めることができないモノばかりだ。

南京で日本軍による虐殺は一切なかった(犠牲者数ゼロ)のだから当然だ。








さて、上述したとおり、昭和59年(1984年)、朝日新聞は、1937年の南京戦よりも何年も前から満州や朝鮮の土産屋などで「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と題して販売されていた写真を「南京大虐殺」の証拠写真として大々的に報道する事件(宇和田日記捏造事件)を起こした。

嘘を吐こうが捏造記事を書こうが反日であるならば「反日無罪」となる日本であるにもかかわらず、朝日新聞の捏造があまりにも杜撰過ぎたために朝日新聞が裁判で負けたほど酷い捏造記事だった。

朝日新聞は、「南京大虐殺」について、昭和59(1984)年8月4日夕刊と翌5日朝刊の全国版で、「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題した記事を掲載した。

翌年の1985年12月、朝日新聞が前年1984年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明。

1986年8月、濡れ衣を着せられた都城23連隊の連隊会は、日記(宇和田日記)の内容も捏造と確信していたため、日記の保全が第1だと考え、小倉簡易裁判所に対して日記保全を申し立てた。

1986年12月、裁判所は、連隊会側の主張をほぼ認め、朝日新聞に日記を見せるよう判決。

朝日新聞は、福岡地裁小倉支部に抗告するなど、時間稼ぎ戦術を展開。

連隊会側は、本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断し、「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を全国版に載せてもらうことを朝日新聞と合意し、保全申し立てを取り下げた。

ところが、朝日新聞は、宮崎県の地方版にしか「都城23連隊は南京事件に無関係である」という記事を載せず、全国版に載せる約束を反故にした!

朝日新聞の悪逆暴虐!極に達す!!


朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件について、未だに謝罪も記事取り消しも行っておらず、それどころか約束した「連隊は無関係」という記事の全国版への掲載すら行っていない!

朝日新聞は、この「宇和田日記」捏造事件についても、記事取り消しと謝罪をしなければならない。



詳細記事より一部再掲載▽

▼1984年の朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件▼

朝日新聞が1970年代に突如開始した『南京大虐殺』の大キャンペーンの中でも、特に悪質だった1984年の捏造報道事件を紹介する。

この写真は、満州の張学良の部下が盗賊を銃殺して見せしめとして首を切って晒したものを撮影した写真であり、1937年の南京戦よりも何年も前から満州や朝鮮の土産屋などで「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」と題して販
「鉄嶺ニテ銃殺セル馬賊ノ首」
「鉄嶺」は満州の都市。
張学良の配下の者が匪賊を銃殺し、見せしめとして首を切ったものと考えられ、当時この写真は満州や朝鮮などで販売されていた。

ところが、1984年8月4日、朝日新聞は、どこかでこの写真を入手し、日本軍による「南京大虐殺」の証拠写真として、とある「日記」と共にスクープ記事に掲載した!


日記と写真もあった南京大虐殺 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊

昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」
昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊
「日記と写真もあった南京大虐殺」
「悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」



しかし、やがて、写真は偽物!!

日記も、朝日新聞による加筆あるいは改竄があったことが判明した。

朝日新聞との闘い・われらの場合都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載

http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html
朝日新聞との闘い・われらの場合

都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ

吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)

「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載

 昭和59(1984)年8月4日、朝日新聞夕刊に5段抜きの大見出しが躍った。
 「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題されたこの記事は、翌5日朝刊の全国版にも掲載され、一大センセーションを巻き起こす。


 思えばこれが、朝日新聞との2年5ヶ月におよぶ闘いの幕開けだった。
 
(略)

 支局長「抗議の公文書、確かに受け取りました。その事ですが、「お詫び」だけはご勘弁下さいませんか。その事を記事にすれば、私は首になります」
 中山「首になる。仕方ないじゃありませんか。嘘の報道を大見出しの記事として全国版に掲載したんですから。その責任をとって首になるのが当然じゃありませんか」
 支局長「その責任は重々、感じています。しかし首になると私は困ります。私の家族のために助けて下さい。お願いします。この通りです(両手をついて頭をさげる)」
 中山「お詫びがないと、私の方が困ります。亡き戦友の御霊を慰めるのが私ども連隊会の責務ですから」
 支局長「そこのところ何とか」

 2人の間で種々のやりとりがあったすえ、お詫びとか記事取り消しといった言葉は使わないが、全国版・地方版で連隊は南京大虐殺とは無関係との旨を報道することで、両者が合意した。
 事務局長は帰ってから連隊会の安楽秀雄会長とも相談し、やむを得ないとの承諾を得たのである。
 昭和60(1985)年2月24日、朝日地方版は「「南京大虐殺と無関係」元都城23連隊の関係者が表明」として次のように報じた。

(略)

 いささか不本意ではあったが、ともかくもこの記事で、およそ半年におよぶ朝日と連隊会の抗争に終止符が打たれるかに見えた。

 ところが、同年の6月、7月、10月と、大阪・名古屋などに住む戦友から相次いで「連隊は無関係という記事は全国版の何月何日に載ったのか」との問い合わせが事務局に殺到した。
 全国版に載せると言った朝日が約束を破るはずはない。
 この種の記事は紙面の片隅に小さく載せるのが新聞社の常道だから、もう1度よく見て下さい、と照会のたびに事務局は回答していた。
 昭和60(1985)年12月20日、"お詫び"記事から半年たったところで、意外な事実が判明した。
 この日、中山事務局長は、朝日宮崎支局に中村支局長を訪ねた。
 事件の取材で宮崎に来ていた「世界日報」の鴨野守社会部記者を伴ってである。
 中山氏はさっそく、
 「例の無関係の件、全国版の何月何日に載ったのですか」と切り出す。
 ところが支局長は言った。

 「全国版?全国版には載せてありません」
 「載せていない?それじゃ約束が違います」
 「約束した覚えはありません」
 「冗談をおっしゃってはいけません。あの日、固く約束されたじゃないですか。」
 「いや、地方版に載せるとは言いましたが、全国版とは言いません」

 そして中村局長は、「あの記事はすべて正しい。朝日新聞宮崎版に載った記事は訂正記事ではない。連隊会から抗議があった旨を載せたまでだ」と、言い放ったのである。
 中山事務局長は、

 「今からでもよいから、全国版に載せてくれませんか」と食い下がったが、
 支局長は「いや、もうこれ以上の事は朝日としては出来ません」と一蹴した。
 やむなく中山事務局長は、次のように言い残して席を立った。

 「卑怯ですねあなたは。あの時私に、1人で来て下さいと言われた意味が今になってわかりました。約束をした、しないは、当事者だけでは押し問答になりますからね」

朝日は都城23連隊との抗争はこうして再燃したのである。


 それから1週間ほどたった12月28日、朝日にとって極めて衝撃的なスクープが「世界日報」の一面トップを飾った。

 「朝日、こんどは写真悪用 南京大虐殺をねつ造」と題された記事によれば、中国人の首が転がっている例の写真、南京大虐殺の動かしがたい証拠であると朝日が大見得を切った写真は、旧満州の熱河省で撮影されたもの、と指摘されたのだ。(その後の報道で、この写真は昭和6(1931)年、当時の朝鮮で市販されていたもので、満州の凌源で中国軍が馬賊を捕らえて処刑したものと判明する)

(以下略)


1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明
1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が偽物だったと判明


関心を持たれた方は是非、全文読んで頂きたい。

朝日新聞の卑劣さが良く分かる。


朝日新聞との闘い・われらの場合
都城23連隊の戦史を汚すことは断じて許さぬ
吉川正司(元都城歩兵第23連隊・中隊長)
http://www.history.gr.jp/nanking/books_bungeishunju875.html
「文藝春秋」昭和62(1987)年5月号より転載




この朝日新聞による「宇和田日記」捏造事件については、『「宇和田日記」(日記帳)の現物があるから信頼できる』といいうような頓珍漢な主張をしている馬鹿もいる。

しかし、この朝日新聞の日記捏造事件の核心は、本当に存在した宇和田日記に、後日誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行ったことにある。

騙されてはいけない。

当該事件の核心(想定)は以下のとおり。


――――――――――
1973年(昭和48年)、宇和田弥一、死去

1978年(昭和53年)の戦記編纂の以前に、宇和田氏の日記帳に誰かが加筆し、戦記編纂委員会に提出

戦記完成後、この日記は未亡人の宇和田八重子さんに返送される

・その後、さらに、誰かが大幅に加筆、あるいは改竄(書き換え)を行い、日記は朝日新聞に渡る

1984年(昭和59年)年8月、朝日新聞に5段抜きの大見出しが躍る。「日記と写真もあった南京大虐殺、悲惨さ写した3枚、宮崎の元兵士後悔の念をつづる」と題された記事は一大センセーションを巻き起こす

1984年末、吉川正司氏は、日記の【現物】を見せてもらったが、3メートルほど離れたところからで、判読は出来ず

1985年(昭和60年)2月、朝日新聞宮崎支局で2回目の会談。連隊会側5名、朝日新聞側は中村支局長。日記の【現物】は、5メートルほど離れてから広げられたので、日記帳だと判断することさえ出来ず

1985年12月、朝日新聞が1984年年8月に「宮崎の元兵士の写真と日記」として記事にしたあの写真が捏造だったと判明

1986年(昭和61年)1月、朝日新聞宮崎支局会議室において、連隊会と朝日西部本社の会談。出席者は連隊会5人に対して、朝日側3名。「日記も嘘である。・・・日記を白日のもとにさらせば解決する」と迫れば、「そうなったら日記提供者の氏名が判明して、本人に迷惑が掛かる」と取材源の秘匿を楯に応じず

1986年8月、日記の保全が第1だと考えた吉川氏は、弁護士を通じて小倉簡易裁判所に対して日記保全の申し立て

1986年12月、裁判所側はほぼ連隊会側の主張を認め、朝日に日記を見せるよう判決。朝日側が、守秘義務の配慮が万全でないとして、福岡地裁小倉支部に抗告
本裁判となれば10年はかかるため、連隊会員たちの余命がなくなると判断。「うちの連隊は南京事件に無関係である」という記事を朝日の全国版に載せてもらうことで、保全申し立てを取り下げることを朝日に通告

1987年(昭和62年)1月、連隊会にも報告

連隊会は不本意なまま、朝日新聞との闘いを終えた。

――――――――――



左:「大嫌韓日記」桜井誠著 (2016/6/16)
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:『日本人に「憲法」は要らない』西村幸祐著(2016/8/9)


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中:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 食塩無添加 スマートPET 720ml×15本

右:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6


「神奈川新聞は、捏造写真展の宣伝をするな!」

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有田芳生「『南京の人口は20万人だから南京大虐殺30万人はデマ』は無知。人口は160万人だ」
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有田芳生「『南京の人口は20万人だから南京大虐殺30万人はデマ』は無知。人口は160万人だ」珍説!恥知らず!
【無知!無恥!】有田芳生が珍説!
『南京の当時の人口が20万人だったから南京大虐殺30万人はデマ』と主張する候補者は無知。周辺も含めれば南京の人口は160万人だった

有田芳生「南京の人口は20万人だったから南京大虐殺30万人はデマという主張は無知なデマ。当時南京周辺も含めれば160万人いた」

https://twitter.com/aritayoshifu/status/711189147268984832
有田芳生「『南京の人口は20万人だから南京大虐殺30万人はデマ』は無知。人口は160万人だ」
有田芳生
‏@aritayoshifu
名古屋の金山駅前で「日本のこころ」街宣車で演説をしている参議院選挙予定候補者がいた。
「南京大虐殺30万人はデマ」との主張。当時の人口が20万人だったからという。
無知。
周辺もふくめ160万人が問題とされた人口だ。
「ヘイトスピーチをなくそう」号で目の前を通過。デマを否定しておいた。

21:54 - 2016年3月19日



>「南京大虐殺30万人はデマ」との主張。当時の人口が20万人だったからという。
>無知。
>周辺もふくめ160万人が問題とされた人口だ。



無知(無恥)なのは、有田芳生の方だ!

有田芳生は、どこまでの周辺を含めて「人口160万人」などと言っているのか、全く理解不可能だ。


1937年南京城周辺地図
1937年12月の南京城周辺地図

1937年12月の南京戦直前の人口は、南京城壁の周辺も含めて【約20万人】で間違いない!

南京の人口は1937年に支那事変が始まる前には約100万だったが、その後南京市民は南京戦が始まるまでに日本軍占領地の上海などに避難したため、1937年12月13日の南京陥落当時の南京の人口は約20万人だった。


最初に、南京の人口推移から。

▽1937年11月~12月の南京の人口推移▽

1937年前半「100万人超」
(支那事変勃発前)

1937/11/23日「50万」
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である」
南京市政府書簡(南京事件P220 笠原十九司)

11/27「30~40万」
在留外国人に対して「避難勧告」が出された。
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」
米大使館報告 (アメリカ資料編P90)

12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令

12/6「約20万」
なぜ。金持ちを、約80万という恵まれた市民を逃がしたんだ?
(ラーベの日記P96)

12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令

12月10日「約20万」
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月13日「約20万」
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)


▽陥落直前の南京の人口に関する資料▽
――――――――――
安全委員会公文書【20万人の市民】
スティール【10万人の市民】
アベンド【10万人以上】
ダーディン【10万を越す非戦闘員たち+民間人は5万以上】
ラーベ【20万人】
リリー・アベック【15万人】
米ライフ紙【15万人の南京市民】
張群思少佐【非戦闘員10万】
劉啓雄少将【20万】
松井大将【12万余】
――――――――――


以上の資料を総合してみると、12月13日、南京陥落時点の南京の人口は、【10万人から最高20万人】の間とみて間違いない!
なお、南京陥落から1か月後の生存人口が約25万人(安全委員会公文書)だから人口は増えた。



そして、その20万人は、全員が安全区(難民区)に避難していた。

支那軍は、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、民衆から食糧などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行った。

支那軍は、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。★重要★

したがって、まずは、南京城壁の周辺に一般住民は全く居なかった。

次に、南京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜、南京に残った約20万人の善良な市民は全て安全区に避難していた。

つまり、南京城内についても、安全区以外は無人だった。★重要★

――――――――――
12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令
――――――――――


南京市長や支那軍司令長官の命令に逆らって一般市民が危険な場所に残っていたことは有りえない。

▼裏付け資料▼

1937年
12月7日
何千という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのだ。
(南京事件の日々P39)

12月7日
門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂が広まり、中華門の近くに住む住民はパニックに陥っている。何百という家族が安全区に押し寄せてはいるが、こんなに暗くてはもう泊まるところがみつからない。
(ラーベの日記P100)

12月8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に集結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
NYタイムズ12/8(アメリカ資料編P390)

12月8日
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、 中国人はそこから城内に入る事を許されていない。昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)

12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)

12月9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。(略)AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41)

12月10日
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月11日
警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(アメリカ資料編P101~102)

12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)

12月13日
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう
(安全委員会公文書T-6)

12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
 こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2~3人いるだけになりました。
中国側によれば、まだ中国人が大勢安全区の外に隠れていると言う話でしたが、これは確かめることができませんでした。
『南京の真実』P344 1938年6月8日付け「ヒットラー宛の上申書」


▼南京城内の安全区以外が無人だったことの裏付け▼
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南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
No.8418


安全区内にしか市民がいなかった(市民であって中国兵や負傷兵を看護する従軍看護婦でないことに注意)という説は日本「南京」学会理事の冨澤繁信氏が強く主張しています。
その根拠は冨澤氏の著書『南京事件の核心』(展転社)に詳しく論じられています。
一部抜粋しますと、

・・・蒋介石の宣伝部の顧問であった、ティンパーリという人が「南京事件」を諸外国に宣伝するために、『戦争とは何か』という本を日本軍南京占領の翌年(1938年)に出版した。この本の中には「南京事件」のたくさんの事例が集められている。この事例の実質的編纂者であり、南京大学の教授で、かつ蒋介石の顧問であったベイツという宣教師が、この事例について次のように言っている。「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」(『戦争とは何か』103頁)
(『南京事件の核心』冨澤繁信著 展転社)


 一部の虐殺派の人々はラーベ日記に一月中旬、安全区外で5万人の難民が発見されたと記述されていることを以って安全区外無人説を否定する向きもありますが、以下の理由により根拠薄弱です。

1.国際委員会の用意した収容所は全部あわせても5万人程度の収容力しかなく、それ以外の市民についてはその住居を掌握できていた訳ではない。
 ラーベが発見した5万人が、安全区から自宅へ帰還しようとしていた人々でないと断定する根拠は無い。
 日本軍は1月上旬より市民に自宅への帰還を呼びかけている。

2.また、良民証の発行により、身元の確認された南京市民は城外より城内の元の住居へ帰還が可能となっており、ラーベの発見した5万人が城外より帰還した市民ではないという根拠も無い。

『南京安全地帯の記録』第23号 布告
 本司令官は12月24日より、全ての難民と市民に対し良民証を発給する。これは居住と就労の便宜だけのためのものである。・・・この調査の後には良民証を持たない者の南京城内居住は許されない。・・・
 昭和12年12月22日
 日本陸軍 南京憲兵司令官
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)


3.国際委員会の主要業務は難民に対する食糧の配給であり、人数分の食料が供給されるよう、日本に対してたびたび苦情を申し立てている。
 この配給人数について、良民証発行による人口調査の結果、国際委員会は1月14日の第41号報告で従来の20万人から25万人に上方修正しているが、これ以降、配給対象人数の上方修正は行われていない。
 ラーベにより5万人もの難民が発見されたなら、新たに増加供給の要求が無ければ不合理であり、そもそも5万人発見の記録そのものの信憑性が乏しい。

『南京安全地帯の記録』第41号 福田氏への手紙
 1938年1月14日
・・・我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。この住民を通常の米の配給で養うには・・・
 ジョン・H・D・ラーベ 委員長

『南京安全地帯の記録』第54号 プリドウブリューン氏への手紙
 1938年1月28日
・・・南京25万の難民のうち、大部分は市内及び近郊の大規模な火災のために家がありません。・・・
 ジョン・H・D・ラーベ 委員長
(『南京安全地帯の記録』完訳と研究 冨澤繁信著 展転社より抜粋)


なお、25万人という数字は1/18、1/19、1/22の記録にも見られるので、ラーベに発見されてから直ちに日本軍に殺されたということはあり得ないw
━━━━━━━━━━

以上、1937年12月の南京戦直前の人口は、南京城壁の周辺も含めて【約20万人】で間違いないことの証明完了!

ハイ、論破♪






>「ヘイトスピーチをなくそう」号で目の前を通過。デマを否定しておいた。


有田芳生こそ、無知な上に恥知らずだ!

有田芳生は、私に反論があるなら、反論してみなさい。

まー、絶対に無理だけど。

ちなみに、有田芳生の「ヘイトスピーチをなくそう」号というのは、これ↓

有田芳生の「ヘイトスピーチをなくそう」号





なお、3月20日付当ブログ記事でも述べたとおり、1937年12月の南京戦において、日本軍が非戦闘員を殺害した証拠は皆無であり、そのような事実はなかった(虐殺犠牲者数はゼロだ)。

●南京大虐殺完全否定のまとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。

南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。

南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。

日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。

日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。

日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。

支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。


以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。



左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/19)
中:「余命三年時事日記」余命プロジェクトチーム著 (2015/12/17)
右:「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」村田春樹著(2015/10/20)


左:カゴメ ふくしま産トマトジュース食塩無添加 スマートPET 720ml×15本
中:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6
右:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)


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支那、ずさん目録で「南京大虐殺文書」を申請!ユネスコ審査も1委員だけ・日本政府は口だけ番長
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ユネスコの狂気の沙汰、日本政府が拠出金見直し=南京大虐殺
支那がユネスコに提出したのは、「資料の一覧」「公文書館名の目録」だけだった!(資料の内容は全く審査されていない)
審査した委員は、1人だけだった!
「南京大虐殺文書」ユネスコ記憶遺産への登録決定から3カ月、日本政府は「口だけ番長」で何もしていない。

http://www.sankei.com/politics/news/160110/plt1601100006-n1.html
中国、ずさん目録で申請 「南京大虐殺文書」 ユネスコ審査も1委員だけ…
2016.1.10 05:00、産経新聞

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことが9日、わかった。日本政府は昨年12月に中国側より外交ルートで目録の提出を受けており、各公文書館で資料の確認を急ぐ。

 申請資料として目録が提出されるのは通例だが、多くは詳細な内容を記載しており、日本の場合は「何の資料が棚の何段目にあるかなども含めて詳細に記している」(外交筋)という。中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。

 南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張しているが、多くは日本人学者らの調査によって否定されている。

 一方、最初の審査機関となる「登録小委員会(RSC)」で、南京文書を担当し「登録可」との評価をしたのは1人のベテラン公文書管理の専門家だったことがわかった。

 RSCでは、9人の委員が申請案件を分担して審査するしくみになっている。昨年は全88件の申請があったことから、委員1人あたり約10件を担当したとみられる。「各委員の意見は尊重される」(関係者)といい、委員が相互に審査結果をチェックする機能はないようだ。

 このベテラン専門家は記憶遺産事業に長年携わり、地域レベルの申請を審査するアジア太平洋記憶遺産委員会(MOWCAP)の議長を務めた経験があり、関係者の間では「重鎮」として影響力もある。中国側に追加の資料提供を求めていたという情報もある。

 南京文書は、RSCで「登録可」の評価を受け、上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」に勧告された。昨年10月のIACでは日本側の働きかけもあって、南京文書の登録に否定的な意見も出たが、最終的に多数決で登録が決まった経緯がある。関係者によると、IAC委員の多くは目録さえ見ていない可能性があるという。

 記憶遺産はユネスコが実施する一事業だが、厳格に運営される世界遺産と比べ「審査過程はブラックボックス」(政府筋)と指摘されている。南京文書をめぐっても、申請から登録可否の決定までの過程のずさんさについては日本政府も把握している。政府は、記憶遺産制度全体の正当性を揺るがしかねないとして、引き続きユネスコに制度改革を強く求めていく方針だ。



>国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことが9日、わかった。


支那がユネスコに提出したのは、「資料の一覧」と、それら資料を保管する「公文書館名の目録」だけだった!

つまり、資料の内容は全く審査されていないということだ!






>申請資料として目録が提出されるのは通例だが、多くは詳細な内容を記載しており、日本の場合は「何の資料が棚の何段目にあるかなども含めて詳細に記している」(外交筋)という。中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。


そもそも「南京大虐殺」というのは、虚構であり、実際にはなかった。

したがって、「南京大虐殺文書」(南京大虐殺を証明する資料)というものは、全く存在していない。

「大虐殺」どころか、日本軍将兵による無辜の南京市民虐殺については、1件(1人)たりともなく、犠牲者数はゼロ(0人)だった。

私は、平成16年(2004年)頃から平成18年(2006年)頃まで3年間以上、Yahoo!掲示板で「南京大虐殺」について毎日のように反日左翼たちと論争をしていたので、毎日数時間を「南京大虐殺」の勉強(研究、調査)に費やした。

「南京大虐殺はあった」、「南京大虐殺は事実だ」と主張するHPの管理人など反日左翼を相手にほぼ毎日3年間以上も論争したが、彼らはマトモな証拠資料を何一つ示すことができなかった。

だから、支那も、ユネスコに対してマトモな「南京大虐殺文書」など提出できるわけがないのだ。






>南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張しているが、多くは日本人学者らの調査によって否定されている。


まず、「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」について、当該写真は、羅瑾という南京の写真館の店員が現像し、呉旋という知人が戦後の南京軍事裁判で提出したものだという。

しかし、この写真は、「いつ」「どこで」「誰が」撮影した写真なのかが一切不明であり、「日本軍の犯罪の証拠」としては到底認めることができない。

写真の日本兵とされる人物の服は非常に軽装であり、南京大虐殺があったとされる12月から2月の南京で、冬を越せる服装ではない。(この時期の南京の平均気温は3~5度)

東中野修道・亜細亜大学教授らは、これら写真を詳細に分析した結果、「撮影時期は5月末か6月初め」と指摘している。

「日本兵が中国人の首を軍刀で斬り落とす」とされる16枚の写真の1枚。しかし、東中野教授は「中国がでっち上げた写真」と指摘する。真冬のはずなのに、日本兵とされる人たちの服装は軽装で、腕まくりをする人も見え
「日本兵が中国人の首を軍刀で斬り落とす」とされる16枚の写真の1枚。しかし、東中野教授は「中国がでっち上げた写真」と指摘する。真冬のはずなのに、日本兵とされる人たちの服装は軽装で、腕まくりをする人も見える。また、手前の人物の靴も軍用の靴には見えない。

また、羅瑾という南京の写真館の店員が写真を現像した経緯と証言を突き合わせても、日本軍の南京戦とは関係のない可能性が高いと指摘されている。


次に、「『大虐殺』の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記」について、当該日記は2001年12月に見つかったとされる程瑞芳(当時62歳、金陵女子大学の寮長、看護婦)の日記のことだが、これもまた「南京大虐殺文書」としては完全に論外だ。
程瑞芳氏の英語版日記(南イリノイ大学出版)。
程瑞芳の英語版日記(南イリノイ大学出版)。

戦場の街南京―松村伍長の手紙と程瑞芳日記
松村伍長の手紙と程瑞芳日記

この「程瑞芳日記」には、日本軍による強姦についての記述はあるが、日本軍による虐殺(殺害)についての記述は何もない。

「程瑞芳日記」の事件に係る内容は、全て伝聞情報であって、殺害の目撃記録は1件もない!

程瑞芳の日記には、「聞くところによると~」「~そうだ」などの伝聞表現ばかりで、しかも肝心の虐殺を目撃したという記述はどこにもない。

だから、「程瑞芳日記」なんて、最初から「南京大虐殺文書」には絶対になり得ないのだ。






>一方、最初の審査機関となる「登録小委員会(RSC)」で、南京文書を担当し「登録可」との評価をしたのは1人のベテラン公文書管理の専門家だったことがわかった。
>RSCでは、9人の委員が申請案件を分担して審査するしくみになっている。昨年は全88件の申請があったことから、委員1人あたり約10件を担当したとみられる。「各委員の意見は尊重される」(関係者)といい、委員が相互に審査結果をチェックする機能はないようだ。



たった1人の委員の審査によって、上述したような「南京大虐殺文書」とは到底なりえないインチキ資料ばかりが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に登録されてしまった。

しかも、このたった1人の委員は、「資料の一覧」「公文書館名の目録」だけを提出されただけで、それら資料の内容を審査せずに「登録可」との評価をしたのだ!

本当にふざけた話だ!






>政府は、記憶遺産制度全体の正当性を揺るがしかねないとして、引き続きユネスコに制度改革を強く求めていく方針だ。


いや、そうではなく、「分担金の永久不払い宣言」「国連脱退」を実行しろ!

本来日本政府は支那が「南京大虐殺文書」のユネスコ記憶遺産登録を画策していた次点で阻止に動くべきだったのに、日本政府は何もしなかった。

結局、昨年10月9日に、支那が申請した「南京大虐殺文書」がユネスコ世界記憶遺産へ登録されることが決まった。

当初日本政府は「断固たる措置を取る」と述べていたが、結局は殆ど何もしていない。

これでは、「口だけ番長」の民主党の前原誠司と同じじゃないか?!

登録決定から、もう既に3カ月が経っている。

今頃になって「引き続きユネスコに制度改革を強く求めていく方針だ」とか言っても信用できないし、仮にユネスコに制度改革を強く求めても、ユネスコは日本政府の要求なんて聴く耳を持たない。

「分担金の永久不払い宣言」「国連脱退」を実行するべきだ!

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左:「そうだ難民しよう! はすみとしこの世界」はすみとしこ著(2015/12/19)
中:「余命三年時事日記」余命プロジェクトチーム著 (2015/12/17)
右:「三島由紀夫が生きた時代 楯の会と森田必勝」村田春樹著(2015/10/20)


左:【国産トマト100%】カゴメ トマトジュースプレミアム 低塩 スマートPET 720ml×15本
中:Panasonic 32V型 ハイビジョン 液晶テレビ VIERA TH-L32C6
右:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)


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