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日本の防衛大臣に対して、アホ丸出し、馬鹿丸出し、支那工作員(スパイ)丸出しの暴言や妄言や質問をしつこく繰り返す共同通信の石井暁
今度は、岸信夫防衛相に対して、靖国神社参拝について触れた後、「日中戦争は日本の侵略ですか?」という質問を3回以上繰り返した!
【いつもの人】共同通信・石井暁「日中戦争は侵略戦争か?」
— Mi2 (@mi2_yes) September 25, 2020
岸信夫防衛大臣「歴史を真摯に考えていかなければいけない」
石井「日中戦争は侵略戦争か?」
大臣「差し控える」
石井「なぜ差し控える、重要な問題だ」
大臣「重要な問題だからこそ差し控える」
石井「防衛大臣として答える必要がある」 pic.twitter.com/uISywOoFZX
https://twitter.com/mi2_yes/status/1262038129453576194
Mi2@mi2_yes
【いつもの人】
共同通信・石井暁「日中戦争は侵略戦争か?」
岸信夫防衛大臣「歴史を真摯に考えていかなければいけない」
石井「日中戦争は侵略戦争か?」
大臣「差し控える」
石井「なぜ差し控える、重要な問題だ」
大臣「重要な問題だからこそ差し控える」
石井「防衛大臣として答える必要がある」
■動画
午後3:10 · 2020年9月25日
共同通信・石井暁
「靖国神社参拝に関連してお伺いしたいのですが、先の日中戦争は日本の侵略戦争だと大臣はお考えでしょうか?」
「繰り返し聞きますが、日中戦争は日本の侵略戦争だと大臣はお考えでしょうか?」
「防衛大臣として答える必要があるんじゃないでしょうか!」
「日中戦争は日本の侵略戦争だと大臣はお考えでしょうか?!」
「親台湾派と言われている防衛大臣が、日中戦争が侵略戦争かどうかということを答えないのは影響が大きいと思うのですが、いかがでしょうか?」
共同通信の石井暁は、以前から防衛大臣の記者会見の担当をしており、馬鹿丸出し、アホ丸出し、日本人とは思えない支那の工作員(スパイ)丸出しの質問を何度もしている!
令和元年(2019年)9月に河野太郎が防衛大臣に就任した際にも、支那が待望している「日本の脱原発」について場違いの質問をしつこく繰り返してヒンシュクを買った!
また、令和2年(2020年)8月4日の記者会見で河野太郎防衛大臣は、支那の「海警局」の武器を装備した公船が日本の漁船に対して危害を加えていることについて「海上保安庁と連携して必要な場合にはしっかり行動する」旨の発言をした。
すると、共同通信・石井暁は「中国の海警局の公船と漁船について、大臣は『海上保安庁と連携して、必要な場合にはしっかり行動をとってもらいたい』とおっしゃられました。かなり刺激的な言葉だと思うのですが、海警局公船と漁船の行動について質問しているのに、こういった刺激的な言葉をとったということと、実際、しっかり行動というのは何を指すのかということを教えてください。」と、日本政府の手の内を公表させようとした!
河野太郎防衛相が「手の内を明かすことは差し控えます。」と公表を断ると、共同通信・石井暁は「そんなことを言ったら、国の命運は全て防衛大臣や総理大臣の手中にあるというふうになるので、極めて危険な発想だ」と支那工作員(スパイ)丸出しの暴言を吐いて食い下がり、何が何でも日本政府の手の内を公表させようとした!
共同通信・石井暁のアホ丸出し、馬鹿丸出し、支那工作員(スパイ)丸出しの暴言や妄言の具体的事例については、また最後に紹介する。
さて、共同通信・石井暁が今回の質問で取り上げた「日中戦争」についてだが、「日中戦争」は戦後の呼称であり、当時の正式名称は「支那事変」だった。
結論から言うと、支那事変(日中戦争)は、日本による侵略戦争ではない!
強いて言うなら、支那事変は、支那による侵略戦争だった。
以下に歴史事実を述べる。
当時、日本は、支那との合意の上で支那大陸に日本軍を駐屯させていた。
日本は、支那と条約(北京議定書)を交わし、支那の合意の上で、マトモな警察を持たなかった支那の治安維持と平和のために、支那に軍隊を駐屯させていたのだ!
1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した!
「義和団の乱」当時の西洋の風刺画
北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。
そのときに列国と清国が結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。
北京議定書
北京-山海関の12の要地における外国軍の駐屯
この「北京議定書」は、英・米・仏・露・独・墺・伊・白・西・蘭・日の11カ国と清国との間で締結された。
「北京議定書」により、外国の軍隊は、支那に駐屯し、支那の警察の役割を果たすこととなった。
1933年の「塘沽協定」によって完全決着した満州事変から4年後の1937年に始まった支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件(黄村=北京の豊台に駐屯中の日本軍を銃撃)を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争だ!
盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)!
更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
1937年8月、支那軍による上海爆撃により夥しい数の支那人や外国人が殺害された。
その後も支那は、日本が和平条件を大きく譲歩して提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。
支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない!
満州事変を完全に終結させた1933年の「塘沽協定」から、再び戦乱となった1937年の支那事変までの間、排外主義・排他主義の支那人テロリストたちは、支那に滞在・在住していた民間の日本人に対して、様々なテロ活動を行っていた!
支那大陸において、権利を侵害されたり攻撃されて殺傷されたりしたのは、日本の軍隊だけではない。
支那大陸に在住したりビジネスで滞在したりしていた多数の日本人民間人も、権利を侵害され、攻撃され、殺傷されていた!
次に挙げる事例は、1937年7月から始まった支那事変の直前の2年間(1935年5月~1937年6月)だけに期間を限って抽出した支那で日本人民間人や日本と関係深い支那人が被害に遭った事例だ。
○北支
1、1935年5月、日本贔屓の傾向のある2人の中国人新聞編集者が天津で殺害された。
2、1935年8月、満州国国境から天津に向け走行中の満州国・中国国際列車が匪賊に襲撃された。調査により判明したところでは、彼らは天津の反日組織に扇動されていた。約20名の乗客が殺害された。
3、1935年12月17日、天津の日本軍守備隊総司令官多田陸軍中将の邸宅に爆弾が投げ込まれ、中国人召使が負傷。
4、1936年1月2日、天津付近のタークーで2軒の日本人商店が中国正規兵により略奪された。
5、1936年6月19日、山東省防東で日本人が中国人に射殺された。
6、1936年6月26日、北京付近で中国正規兵が、豊台日本軍守備隊に所属する日本人兵士を襲撃し重傷を負わせた。それに対する謝罪を要求して中国軍兵営に赴いた日本陸軍大尉が中国兵に刀と銃剣で斬りつけられた。
7、1936年7月22日、天津の市役所所属の中国人警備兵が、天津の日本総領事館に勤務する2名の警官を領事館前で銃撃。1人死亡、1人重傷。
8、1936年8月23日、河北公共治安部隊の数名の兵士が、天津の日本語学校を襲撃し略奪。日本人教師に暴行を加え拉致。
9、1936年10月、反日組織に扇動されたストライキが発生。山東省青島の日本人経営の紡績工場が2週間閉鎖。
10、1937年5月23日、満州国大連沖で操業中の日本漁船2隻が、中国の税関パトロール船に発砲された。中国人税関警備兵がこの日本漁船に乗船し捜索したが、犯罪に関するものは何も発見されなかった。
11、1937年6月1日、中国人暴徒が天津付近の日本人経営の農場敷設を襲撃。1つの倉庫と3つの住居に放火し、多数の日本人従業員が負傷。
○中支
1、1935年11月9日、日本海軍准尉の中山秀夫が上海国際租界で射殺された。(本件に関しては第8章で詳細に述べる)
2、1935年12月20日、漢口で大規模な反日デモ。
3、1935年12月21日、約1千名の中国人学生が「日本帝国主義を倒せ!」「全ての日本人を上海から追い出せ!」と叫びつつ反日ビラを配布し、上海国際租界の中心部を行進。
4、1935年12月26日、上海国際租界にある日本海軍の本部公館に爆弾が投げ込まれた。
5、1936年1月7日、3千人の学生が南京の孫文墓地に集まり、反日デモを行った。同時に、南京の日本総領事館前でもデモが行われた。
6、1936年7月10日、東京三井物産上海支店の日本人社員が国際疎開で射殺された。
7、1936年7月18日、中国人暴漢が日本人を殴打し、重傷を負わせた。日本人の女や子供に投石する事件や上海の中国人が日本人に対して行う暴力行為は、日を追うにつれ増加。短期間にそのような事件が20件以上も報告されている。
8、1936年8月7日、南京の日本総領事館の松村秘書官が上海に到着した際、彼の外交上の地位を承知の上で、中国人税関職員は彼の携行していたかカバンの中を調べた。
9、1936年8月24日、四川省成都で大阪毎日及び東京日日の特派員ともう1人の日本人新聞特派員が1万人の中国人暴徒(その大部分は少年少女)に襲われ、最も残忍なやり方で殺され、他の2人の日本人が重傷を負った。中国当局は暴動を抑えるための手段を何ら講じなかった。南京の中央政府も同様に無関心だった。四川省当局は必死で証拠隠滅を図り、日本の外務省が成都に派遣した調査団を妨害。日本の度重なる抗議の後8月26日、国民政府は行政部門の特別会議を招集し、日本国籍をもつ者に適切な保護を与えるよう各地方長官に命令を出した。
10、1936年9月19日、漢口の日本領事館の警官が中国人に射殺された。
11、1936年9月23日、日本海軍の水兵が上海の街路で射殺された。他の2人の水兵は重傷を負った。
12、1936年9月26日、湖南省湘潭にある日本の汽船会社の事務所に中国人暴徒が放火。
13、1936年9月29日、長沙の日本総領事館に爆弾が投げ込まれた。
14、1936年10月、上海の中国警察による日本人の女や子供の逮捕・拘留が気紛れの不法状態で行われる事件が増加。
15、1936年11月11日、日本の汽船会社の日本人船乗りが上海で射殺された。
16、1937年2月13日、漢口で日本人実業家の妻が中国人に襲われた。
○南支
1、1936年1月6日、汕頭で2千人の中国人中学生が、対日戦を要求するデモ行進を行った。
2、1936年1月21日、汕頭の日本領事館に所属する日本人の警官が、出勤途中中国人に射殺された。
3、1936年1月、中国警察と税関警備兵が広東の36ヶ所の中国人事務所を襲い、日本商品を没収。
4、1936年7月3日、広東の中国人商店は反日組織により、日本商品ボイコット相互組合に加入することを余儀なくされた。
5、1936年9月3日、広東省パクホイで日本人薬局経営者が、19路軍の中国人兵士に惨殺された。暴徒が薬局を急襲した時、家族は夕食中であった。経営者(中野)は街路に引きずり出され、殴るけるの暴行の上殺害された。その間、彼の中国人妻は筆舌に尽くしがたい虐待を受けた。店は完全に略奪された。広東の日本領事館職員が事件の調査のため汽船でパクホイに赴いたが、19路軍が力ずくで上陸を妨げたため広東に戻らざるを得なかった。そこで20日間足止めを食い、ようやくパクホイに入ることができた。
6、1936年9月6日、汕頭で反日デモが発生。にほんじん経営の商店で働く中国人が退職を余儀なくされた。
7、1937年3月、広西省当局は反日感情を煽り立てる目的のためだけに、全日本人を広西省から追放した。
8、1937年5月22日、汕頭の日本領事館に勤務する警官が中国警察の集団暴行を受けた。
P121-128
『シナ大陸の真相』K・カール・カワカミ著
また、戦後においても、支那と国交正常化する前の1970年頃まで、支那共産党の幹部たちは、支那事変(盧溝橋事件と戦線拡大と継続)が共産党の仕業だったことを公然と話していた!
▼周恩来▼
―――――――
1949年10月1日、「中華人民共和国」成立の日に周恩来首相が、「あの時(廬溝橋事件の際)、我々の軍隊が、日本軍・国民党軍双方に、発砲し、日中両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、共産党に今日の栄光をもたらしたのだ」と発言したと伝えられている。
―――――――
▼劉少奇▼(支那共産党軍「人民解放軍」総政治部発行『戦士政治課本』の劉少奇に係る記述を元「人民解放軍」将校の葛西純一が発表)
私が盧溝橋事件の仕掛人は中国共産党(北方局第一書記胡服こと劉少奇)であると初めて知ったのは、一九四九年(昭24)十月一日の北京政権誕生直後、河南省洛陽市西宮に駐屯する中国人民解放軍第四野戦軍後勤軍械部(兵器弾薬部)第三保管処に現役将校(正連級、日本の大尉に相当)として勤務している時であった。
その頃、閉された中国大陸は『人民中国』の誕生にわきかえっていた。中国人民解放軍総政治部発行のポケット版『戦士政治課本』(兵士教育用の初級革命教科書で、内容はいずれも中国共産党の偉大さを教えるものばかり)は、
「七・七事変(葛西注=中国では盧溝橋事件を一般にそう呼ぶ)は劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもので、これによってわが党を滅亡させようと第六次反共戦を準備していた蒋介石南京反動政府は、世界有数の精強を誇る日本陸軍と戦わざるを得なくなった。その結果、滅亡したのは中国共産党ではなく蒋介石南京反動政府と日本帝国主義であった」
と堂々と述べ、・・・
(中略)
昭和28年から翌29年(一九五三~五四)にかけて、いわゆる中共帰国船(興安丸、白山丸、自竜丸)で約三万二千人の日本人が帰国したが、「国共内戦で帰国のチャンスを失った日本人居留民」と北京放送の伝えたあの日本人たちは、実は中国革命戦争に八年間も従軍した革命者なのであった。
彼ら三万二千人は殆んどが中国語の『戦士政治課本』を読みこなせたし、或る者は、
「日中戦争が中国共産党の仕組んだものだったとは・・・」
と憤慨もした。
葛西純一編訳著『新資料盧溝橋事件』(昭和49年、中国人民解放軍政治部発行)
葛西純一は、元支那共産党軍(人民解放軍)将校だ。
そして、あの毛沢東も、「日本の皇軍なしには、我々が権力を奪取することは不可能だった」と発言していた。
このように、支那と国交正常化する前の1970年頃まで、支那共産党の連中は、「盧溝橋事件とそれに続く日支全面戦争は、自分たちが起こした」と堂々と公言していたのだ。
▼毛沢東▼
日本社会党の人士佐々木更三、黒田寿男、細迫兼光らを接見した際の談話 (1964年7月10日)
佐々木――今日、毛主席の非常に寛大なお気持ちのお話しをうかがいました。過去において、日本軍国主義が中国を侵略し、みなさんに多大の損害をもたらしました。われはれはみな、非常に申し訳なく思っております。
主席――何も申し訳なく思うことはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。みなさんの皇軍なしには、われわれが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とみなさんは、意見を異にしており、われわれ両者の間には矛盾がありますね。
(皆が笑い、会場がにぎやかになる)。
佐々木――ありがとうございます。
主席――過去のああいうことは話さないようにしましょう。過去のああいうことは、よい事であり、われわれの助けになったとも言えるのです。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取しました。同時に、みなさんの独占資本と軍国主義はわれわれをも〔日本側の記録では、「みなさんをも」となっており、文脈からはその方が適切と思われる〕助けたのです。日本人民が、何百万も、何千万も目覚めたではありませんか。中国で戦った1部の将軍をも含めて、彼らは今では、われわれの友人に変わっています。
東京大学近代中国史研究会訳『毛沢東思想万歳』、下巻
▼鄧小平▼
日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、鄧小平は発言をさえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。あっけにとられた一行を前にした鄧小平の説明はこうだった。
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安にたどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作をしていった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
西安に旅行したとき、周恩来が隠れていた地下指令室を見学した時のことを思い出した。展示されていた古い雑誌に、日本軍が蒋介石軍を破って南京に迫ってゆく様子を「形勢好」と表現してあった。「形勢はいいぞ」という意味だ。当時は「へんなことが書いてある」といった程度の認識だったが、国共合作で友軍になったはずの蒋介石軍が負けていて「いい」ということもなかろうにと考えた。
とにかく1936年秋の西安事件までは、蒋介石は日本とことを構えるより、共産党制圧を第一目標にしていた。それが西安事件で順番が逆転する。そうしなかったら捕らわれの身だった蒋介石は殺されていただろう。
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
日中戦争のおかげで全滅を免れた中国共産党-鄧小平語録
1998年06月06日(土)
伴 正一
伴正一氏は元外務省官僚。
1972年から青年海外協力隊事務局長、1977年から1981年まで北京の日本大使館で公使などを歴任。
以上の事実関係や資料(証拠)などから、支那事変(日中戦争)が日本による侵略でなかったことは明らかだ!
むしろ、支那人が支那大陸に居留していた日本人たちに危害をく加えたり、正当な日本の権利や利益を侵害したり、合意の上に支那に駐屯していた日本軍に支那共産党が攻撃を仕掛けたり、支那保安隊が通州の日本人居留民を大虐殺したり、支那軍が停戦協定を何度も破って戦争を継続して、支那国民党も上海の日本人居留区に大軍を送り込んで包囲攻撃をしたことによって北支で始まった戦闘を上海に拡大させたり、その後も日本が条件を大きく譲歩して何度も提出した和平案をことごとく蹴って、南京や武漢や重慶などに戦争を継続・拡大させていった経緯などからも、支那事変(日中戦争)は支那による侵略戦争だったと言える!
●関連記事
7月7日盧溝橋事件まとめ・なぜ日本軍が居たのか・1937年7月7日から日本軍が銃撃され7月8日に4回目の銃撃で反撃・毛沢東、周恩来、小平、劉少奇(葛西純一)「共産党が戦争を起こした!」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-3897.html
【反撃せよ!ニッポン】K・ギルバート「捏造された歴史を修正せよ」GHQの『大東亜戦争』禁止理由
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5644.html
流行語大賞、姜尚中、鳥越俊太郎、やくみつるらが選考委員・「SEALDs」「戦争法案」など候補
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6019.html
朝日新聞「日の丸掲揚が侵略戦争の暗い記憶を呼び起こす。わざわざ旭日旗を持ち込む人の目的は何?」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7757.html
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さて、改めて、共同通信・石井暁のアホ丸出し、馬鹿丸出し、支那工作員(スパイ)丸出しの暴言や妄言の具体的事例について紹介する。
令和元年(2019年)9月
【脱原発が~】共同通信・石井暁「大臣はかつて脱原発の考え方をお持ちでしたが現在は?」
— Mi2 (@mi2_yes) September 11, 2019
河野太郎防衛大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「結構です」
共同「何で答えない」
河野大臣「閣僚ですら」
つえー。この記者何なんだ。 pic.twitter.com/wWuQjb7RvP
https://twitter.com/mi2_yes/status/1171785680143310848
Mi2@mi2_yes
【脱原発が~】共同通信・石井暁「大臣はかつて脱原発の考え方をお持ちでしたが現在は?」
河野太郎防衛大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「結構です」
共同「何で答えない」
河野大臣「閣僚ですら」
つえー。この記者何なんだ。
■動画
午後11:00 · 2019年9月11日
■動画
共同通信・石井暁が発狂 河野太郎防衛大臣にあしらわれ
https://www.youtube.com/watch?v=x_zyXuv4_8k
▼石井暁「脱原発だったが、現在は?」▼
共同通信・石井暁「大臣はかつて脱原発の考え方をお持ちでしたが現在は?」
河野太郎防衛大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「結構です」
共同通信・石井暁「何で答えない?!」
河野太郎防衛大臣「所管外です。閣僚ですら所管の中のことを答えます。失礼します」
令和2年(2020年)5月
【裸の王様か?】共同通信・石井暁「多くの人に迷惑がかかったイージスアショア報道がフェイクニュースなのか?」
— Mi2 (@mi2_yes) May 17, 2020
河野太郎防衛大臣「事実と違うからフェイクニュース」
共同「結果的に新屋が外れたら?」
大臣「防衛省の方針ではない」
共同「大臣、裸の王様になってないか」
大臣「なってない」 pic.twitter.com/adlzs5m55D
https://twitter.com/mi2_yes/status/1262038129453576194
Mi2@mi2_yes
【裸の王様か?】
共同通信・石井暁「多くの人に迷惑がかかったイージスアショア報道がフェイクニュースなのか?」
河野太郎防衛大臣「事実と違うからフェイクニュース」
共同「結果的に新屋が外れたら?」
大臣「防衛省の方針ではない」
共同「大臣、裸の王様になってないか」
大臣「なってない」
■動画
午前0:11 · 2020年5月18日
■動画
フェイクニュースを指摘されたマスコミが逆ギレ「河野大臣!裸の王様になってませんか!」イージス配備断念の誤報巡り会見で応酬
https://www.youtube.com/watch?v=q2kfXG4BJEI
令和2年(2020年)8月4日
■動画
防衛大臣会見|令和2年8月4日(火)
https://www.youtube.com/watch?v=HjUnkFa2WmY&t=13m39s
▼動画の13:39から共同通信・石井暁の馬鹿丸出し、支那工作員(スパイ)丸出し質問▼
共同通信・石井暁「先ほどの冒頭の幹事社質問に関してなのですが、中国の海警局の公船と漁船の報道についての質問に対して、大臣は『海上保安庁と連携して、必要な場合にはしっかり行動をとってもらいたい』とおっしゃられました。かなり刺激的な言葉だと思うのですが、海警局公船と漁船の行動について質問しているのに、こういった刺激的な言葉をとったということと、実際、しっかり行動というのは何を指すのかということを教えてください。」
河野太郎防衛大臣「特に刺激的なことを申し上げたつもりはございません。様々なことが南シナ海を始め、行われているわけでございますから、万が一自衛隊が対応しなければならないような事態になった場合には、しっかり自衛隊が対応するということでございます。」
共同通信・石井暁「幹事社の質問は、あくまでも中国海警局の公船と漁船の行動についての質問で、それに対して大臣は海保と連携して必要な場合にはしっかり行動をとってもらいたいと。どういう想定でどういう行動のことを考えてらっしゃるのでしょうか。」
河野太郎防衛大臣「手の内は明かしません。」
共同通信・石井暁「非常に国の行先を左右するような重要な問題なので、我々に説明して、国民に説明する義務があるんじゃないでしょうか。」
河野太郎防衛大臣「手の内を明かすことは差し控えます。」
共同通信・石井暁「でもそれは、そんなことを言っていたら国の命運は全て防衛大臣の手中にある、あるいは総理大臣の手中にあるというふうになるので、極めて危険な発想だと思うのですが。」
河野太郎防衛大臣「そうは思いません。」
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「支那事変(日中戦争)は、日本の侵略戦争ではない!」
「共同通信の石井暁は、馬鹿丸出し、支那の工作員(スパイ)丸出しの質問をやめろ!」
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ロシア大使館がTwitterで1945年の「日ソ中立条約」違反、満州国や北方領土における侵略&大量強姦&大虐殺などの極悪非道、戦後の違法な100万人以上の「シベリア抑留」(拉致、強制連行、強制労働、50万人以上の大量殺戮)を正当化・美化!
当時のソ連の行為は、「日ソ中立条約」に一方的に違反した超悪質な侵略行為だった!
しかも、ソ連軍は、満州国や北方領土において、侵略&強姦&虐殺と極悪非道・悪逆暴虐の限りを尽くした!
さらに、戦後も「シベリア抑留」という国際法違反を続け、100万人以上の日本人を拉致、強制連行、強制労働させ、そのうち50万人以上の日本人を大虐殺した!
2019年に売国政党「日本維新の会」が丸山穂高衆院議員の発言について、ロシア大使にお詫びしたことの弊害が顕著化!
山田宏議員がロシア大使館に抗議!
以上が、概要。
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以下、詳細。
https://twitter.com/RusEmbassyJ/status/1292569445836050432
駐日ロシア連邦大使館@RusEmbassyJ
1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。
その一日前の1945年8月8日、米国と英国という、ヒトラーに抗する二つの連合国に対する義務をはたすべく、ソ連は在モスクワ日本大使に、宣戦布告の文書を手交しました
1945年8月9日
小さくて青いダイヤモンド満州作戦の目的は、日本陸軍最強の部隊であった関東軍の壊滅と、中国北東部(満州)、朝鮮北部の開放で、それにより第二次世界大戦を早急に終結せしめることでした
小さくて青いダイヤモンド ソ連軍の猛攻により日本人は追い詰められ、日本軍の部隊は防戦を余儀なくされ、反撃に転じることはできませんでした
関東軍が壊滅し、本土での軍事経済上のベースがない状態で、日本は現実的な威力と戦争を継続する可能性を失ったのでした。
敵側は合計8万4000人が戦死し、64万人(!)以上が捕虜となりました。目的は達成されました。
❗満州作戦は、第二次世界大戦中の赤軍の作戦の中でも非常に成功したものでした。
満州作戦は、赤軍の作戦の中でも非常に成功したもので、その構想、規模、動き、そして結果において、際立っている
ソ連軍司令部はその規模において前例のない、国の西側から東側へ、1万2000キロにもなる戦力の移動を果たし、長距離にわたる策略と、陸軍、海軍、空軍の連携という、価値ある経験となった
午前6:12 · 2020年8月10日
>1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。
>満州作戦は、赤軍の作戦の中でも非常に成功したもので、その構想、規模、動き、そして結果において、際立っている
「満州戦略攻撃作戦」とは、悪質な歴史偽造であり、笑止千万の噴飯物だ!
当時のソ連の行為は、「日ソ中立条約」に一方的に違反した超悪質な侵略行為だった!
1945年8月9日、ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、アメリカの原爆投下によって虫の息ほどになった日本に対して、日本侵略を開始した!
そして、ソ連軍は、その頃手薄になっていた満州や樺太などにおいて、民間人に対する大量強姦・大虐殺など悪逆暴虐の限りを尽くした!
[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載
昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いていたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。
次の女性はモンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたりに見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中にのみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
・・・(中略)・・・
1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った。
銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
・・・(中略)・・・
また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるんです。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い出す。
ベール脱ぐ引き揚げ史、福岡の旧二日市保養所、看護婦が体験を証言
1997/05/13, 西日本新聞
終戦直後、中国大陸から引き揚げ途中に旧ソ連軍兵士らから暴行を受け妊娠した女性の堕胎処置が行われた福岡県筑紫野市武蔵の「旧二日市保養所」跡地で十二日、供養が行われた。当時、看護婦として同保養所で働いた村石正子さん(71)が初めて参列し、自らの体験を涙ながらに語り、隠れた引き揚げ史を証言した。
「博多引揚援護局史」などによると、旧二日市保養所は一九四六年三月に開設。患者総数は三百八十人、閉鎖までの治療日数は延べ七千九百八十一日を数えた。堕胎は、当時非合法だったこともあり、保養所の歴史はあまり語られず、引き揚げ史の中でも実態は詳しく分かっていない。
日赤看護婦だった村石さんは、四六年、同保養所で約三カ月勤務。「堕胎は違法と知っていたが、心ならず妊娠した女性は故郷にも帰れなかった。ただ救いたい、という一心だった」と当時の様子を証言した。
処置後、「悔しい」という言葉を残して亡くなった十七歳の師範学校女生徒のことなどを思いだすにつけ、村石さんは自分の過去に苦しめられたが、五十年余りがたち「歴史の一ページとして証言しなければならない」と思ったという。
(以下略)
【双方向プラザ】看護婦22人眠る「慈蔵尊」参りたい
2003/07/27, 産経新聞
■“ソ連軍暴行より死”悲劇忘れてはならぬ
(一部抜粋)
≪命日に有志、靖国の提灯供える≫
「事件」は終戦後の昭和二十一年六月に起きました。その年の春、ソ連軍(当時)の支配下にあった満州・新京(長春)の長春第八病院で、三十四人の従軍看護婦が仕事を続けていました。
そこへ、数キロ離れたソ連陸軍病院から「三人の看護婦を派遣せよ」という命令が届きます。約一カ月後にはもう三人、そしてさらに三人と、看護婦の派遣命令が続きますが、誰一人として帰ってきません。
しばらくたって、瀕死の重傷を負った看護婦の一人が長春の病院のドアをたたきました。ソ連軍の病院に派遣された一人が、決死の思いで逃げ帰ってきたのです。
「わたしたちは看護婦の仕事ではなく、ソ連軍将校の慰みものにされているのです。もう、人を送ってはいけません…」。その看護婦が息もたえだえに語ったのは衝撃的な事実でした。
そしてその二日後の六月二十一日、悲劇が起きました。長春の病院に残っていた二十二人の看護婦が青酸カリを飲んで自ら命を絶ったのです。遺書には、「ソ連軍に暴行されるよりは死を選びます」という内容のことが書かれていました。看護婦たちは、ソ連軍の非道ぶりに“死の抗議”をしたのでしょう。
看護婦たちの遺骨は当時の婦長さんの手によって、日本へ帰りました。
(以下略)
なお反日左翼が良くいう「関東軍は自分の家族だけ最初に逃がした」は真実を歪曲している。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog357.html
「同胞4万救出作戦」
内蒙古在住4万人の同胞をソ連軍から守ろうと、日本軍将兵が立ち上がった。
http://holywar1941.web.fc2.com/sensi2/sensi-taiso2.html
満州の対ソ戦
(一部抜粋)
居留民後退の問題
それでも9日には在留邦人の後送に着手し一般邦人を先に送り出そうとしたが、既に生活拠点を有する民間人は直ちに乗車などできない状況にあり、満州は内地よりも安全と考えられていたことも手伝って遅々として進まなかった。
一刻の猶予もない状況下ではやむを得ず、緊急集合が容易な軍人・軍属の家族を主体に一番列車に乗せ、10日 0140には新京駅を出発した。
だがこのことは後に、関東軍は軍人家族を最初に後退させた、として非難されることとなった。
以上、ここまでは、満州における惨状について述べたが、ソ連軍が悪逆・暴虐の限りを尽くしたのは満州だけではない。
ソ連軍は、北方領土の樺太でも、同様の悪逆・暴虐を行っていた。
樺太の真岡は人口2万の町だった。
1945年8月16日夕から本土への引き揚げが開始され、同月19日夕刻までに6千人が出航していたが、乗船を待つ避難民がまだ1万5千~8千人いた。
真岡への攻撃は同月20日早朝に始まった。
数隻の大型軍艦が町中に艦砲射撃を行い、その後、上陸したソ連兵は山へ逃がれる人々に背後から機関銃や自動小銃を撃ち、手榴弾を投げつけた。
引き揚げ船へ向かう女子供たちの上にも、容赦なく砲弾が降り注いだ。
厚生省資料ではこの時の民間人犠牲者は約千名としている。
樺太の真岡電話局には電話交換手の9人の若い女性たちが、引揚げの指示を断ってまで、市街の惨状を報告し続けるために現地に残留していたが、そこにもついにソ連軍が侵入。
9人は引き揚げの指示を断って、ソ連軍の砲撃開始後一時間半に渡って、市街の惨状を報告し続けた。
だが、そこにもついにソ連軍が侵入・・・
「氷雪の門」で伝えられる最後の放送は次のとおり。
「内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。
只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。
これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。
私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。
そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。
ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。
稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。
内地の皆さん、さようなら、さようなら」
9人の乙女は青酸カリを飲んで自決した。
真岡電話局の9人の若い女性の電話交換手たちも「戦争における公務死者」として靖国神社に合祀されている。
戦後建てられた稚内市の「九人の乙女の碑」を昭和43年に訪れられた昭和天皇と香淳皇后は深く頭を垂れて、冥福を祈られ、次の御製、お歌を残された。
樺太に
命をすてし
をたやめの
心を思えば
むねせまりくる
からふとに
露と消えたる
乙女らの
御霊安かれと
ただいのるぬる
さらに、戦後も「シベリア抑留」という国際法違反を続け、100万人以上の日本人を拉致、強制連行、強制労働させ、そのうち50万人以上を大虐殺した!
一般的には、第二次世界大戦後、約60万人の日本人がソ連のシベリアに連行され約10万人が殺されたとされる所謂『シベリア抑留』だが、実際には100万人以上の日本人が拉致、強制連行、強制労働を強いられ、うち50万人以上が大虐殺されていた!
●今立鉄雄氏ー「日本しんぶんー日本人捕虜に対するソ連の政策」
・「終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々とその遺族の胸中を思いやっている」
●ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著ー「検証ーシベリア抑留」
・「1945年8月ソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人がソ連によって殺された」
●アルハンゲリスキーの解明
・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連からの日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に10万1,075人が送還された」
・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数とも曖昧にされていく。
(中略)
●シーボルト(対日理事会の米代表)
・夥しい数の日本人捕虜がシベリアで虐殺されたとして、日本側の資料を用い、次の数字をあげている。1945年だけで、27万2349人が死んだ。1945年から1949年までの4年間で、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、実に37万4041人にのぼる。
37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。死亡原因は疾病、野外留置、衣服の不足、栄養失調、極寒時の強制行進、過酷な労働とされている。広島、長崎の原爆を上回る我が同胞が、まさにスターリンによって虐殺された。
前野 徹 著『第四の国難――日本崩壊の地鳴りが聞こえる』
ソ連による日本人拉致、強制連行、労働、大虐殺、いわゆる「シベリア抑留」問題についてもう少し詳しく述べておく。
ソ連(ロシア)は、満州、樺太、択捉、国後などからソ連に拉致され、シベリアに強制連行され、殺害された日本人全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などを把握している。
平成3年、ゴルバチョフが来日した際、満州、樺太、択捉、国後などからソ連に拉致され、シベリアに強制連行され、殺害された日本人全員の名簿や死亡年月日、死因、埋葬地などをソ連が日本に提出することを約束した協定が結ばれたが、履行されなかった。
ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみがソ連から日本に渡されただけになってしまっている。
日本側としては、その名簿がないと、1945年8月にその場で殺害されたり行方不明になった日本人と、ソ連に拉致されシベリアに強制連行されてから殺害された日本人の内訳(区別)などが分かり難いのだと思う。
人数だけは概ね判っており、「アルハンゲリスキーの解明」等によれば、1945年8月にソ連の管理下にあった日本人の人数は、272万6千人で、ソ連による日本人拉致被害者が105万人であり、帰国(47万3千人)したり死亡が確認(5万5千人)されたりしている人数が【帰国47万3千人+死亡確認5万5千人≒合計約52万人】(厚生省引揚援護局)。
残りの約53万人(105万人-52万人=53万人)は確認はされていないが、やはり拉致(シベリア抑留など)された後に殺害された人数ということになる。
■まとめ
マリク駐日ソ連大使がモロトフソ連外相に宛てた文書
「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連からの日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人」
ビジョン米代表(1947年3月5日付けの対日理事会にて)
「ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留している。」
今立鉄雄『日本しんぶん―日本人捕虜に対するソ連の政策』
「約107万人が終戦後、僅か9ヶ月間にソ連の為、シベリアに送られた。推定ながら、シベリアの野に失った40万人の人々」
ウイリアム・ニンモ(米国の研究者)著『検証ーシベリア抑留』
「確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡・その他は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人がソ連によって殺された」
シーボルト(対日理事会の米代表)
「37万人を超える日本人捕虜がシベリアで殺された。」
105万-52万=53万
(関連参考記事)
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2005/1022.html
北朝鮮に送られたシベリア抑留者たち
(ポイント)
厚労省によれば、シベリア抑留者57万5千人にうち帰国した人は47万3千人、現地での死亡5万5千人で、残る4万7千人(うち2万7千人は北朝鮮に移送)が消息不明だった。
北朝鮮移送のシベリア抑留者、2万7千人の名簿公開へ
2005年12月18日13時28分、asahi.com
第2次大戦後、シベリアに抑留された日本人将兵のうち、現在の北朝鮮に移送された人たちについて、厚生労働省はロシア側から入手した約2万7000人の名簿を公開して身元調査することを検討している。名簿はシベリア抑留者の北朝鮮移送を示す唯一の公的資料で、厚労省は出征者名簿などと照合しているが、身元が特定できたのは1人にとどまっている。帰還した抑留者や家族の高齢化が進んでおり、調査の枠組みづくりを急ぐ。
シベリア抑留者の北朝鮮への移送は、帰還した人の証言で明らかになっている。だが、国交のない北朝鮮政府の協力を得るのは難しく、本格的な調査は行われていない。関係者からは旧ソ連領内と同様に遺骨収集を希望する声もあるが、実現の見通しは立っていない。
名簿はロシア国立軍事古文書館(モスクワ)が3月、在モスクワ日本大使館に提供した。A4判の用紙929枚に名前と生年、階級が手書きやタイプライターのキリル文字で記されている。
厚労省は夏までに翻訳を終え、日本側の資料類と手作業で付き合わせた。しかし、出身地や所属部隊など具体的な身元につながる情報が乏しく、調査は難航。これまでに身元を特定できたのは移送中に旧ソ連領内で死亡したとみられる1人だけにとどまっている。
名簿は旧ソ連から送り出された人の記録で、何人が北朝鮮にたどり着いたのかはわからない。
北朝鮮への抑留者の移送は、終戦翌年の46年ごろから始まったと見られる。病気やけが、栄養失調などで「労働力」とはみなされなくなった人たちが、当時、旧ソ連の支配下にあった現在の北朝鮮に送られたといわれている。シベリアに抑留された57万5000人のうち4万7000人が行方不明とされ、北朝鮮に移送された人たちは、この中に含まれている可能性が高い。
https://twitter.com/yamazogaikuzo/status/1293500684420018176
山田宏 自民党参議院議員@yamazogaikuzo
ロシア大使館に下記の通り抗議致しました。
「私は日露友好を願う国会議員の一人だが、このような一方的で不愉快極まるツイートに対し、強く抗議し削除を求めます」
――――――――――
https://twitter.com/RusEmbassyJ/status/1292569445836050432
駐日ロシア連邦大使館@RusEmbassyJ
· 8月10日
1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。その一日前の1945年8月8日、米国と英国という、ヒトラーに抗する二つの連合国に対する義務をはたすべく、ソ連は在モスクワ日本大使に、宣戦布告の文書を手交しました
――――――――――
午後7:52 · 2020年8月12日
2019年、アホ丸出しで売国奴政党の「日本維新の会」は、北方領土返還に関し「戦争をしないとどうしようもなくないか」と発言した丸山穂高衆院議員に対して言論弾圧をして、除名処分にして、更にロシア大使に謝罪するという馬鹿丸出しの暴挙に出た!
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●関連記事
松井一郎「ロシアの皆さんに大変申し訳なかった」・小西洋之「戦争発言は9条違反」・馬鹿ばかり
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7500.html
維新の会がロシア大使におわび!丸山穂高の辞職勧告決議案を提出・事実を述べると袋叩きに遭う日本
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7501.html
(一部再掲載)
売国政党「日本維新の会」の片山共同代表と馬場幹事長がロシア大使に謝罪!
「日本維新の会」は、馬鹿でもあり、売国奴でもあり、どうしようもないゴミ屑政党だ!
2019年5月14日に超売国奴の松井一郎が会見で「ロシアの皆さんにも、大変申し訳なかった」などと言っただけでも絶対に許せなかったが(詳細記事)、今度は国会議員の2人がロシア大使館に出向いてお詫びしたのだから、党ぐるみの馬鹿売国政党だ!
「日本維新の会」には、『悪いのは、日本を侵略して日本の領土を不法占拠し続けているロシアだ』という認識が全くない!
なぜ、条約を破られて侵略されて、戦後も何十万人も殺害されて、領土を不法占拠され続けている日本が、条約を破って侵略して、戦後も何十万人も日本人を殺して、日本の領土を不法占拠し続けているロシアお詫びをするか?!
「日ソ中立条約」を一方的に破って日本の領土を侵略し、多数の日本軍将兵や日本の民間人を殺害し、70年以上経った今でも不法占拠を続けているロシアが100%悪いにもかかわらず、ロシア大使におわびをした「日本維新の会」を絶対に許してはならない!
1945年8月9日、ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、日本に対して宣戦布告した。
ソ連軍は、その頃手薄になっていた満州国、樺太、千島列島などに侵攻、上陸した上に、略奪、強姦、殺戮など悪逆非道の限りを尽くした!
さらに、ソ連(ロシア)は、100万人以上の日本人を拉致し、シベリアに強制連行し、強制労働をさせた所謂『シベリア抑留』により、戦後に50万人以上の日本人を大虐殺した!(詳細記事)
「日本維新の会」は、上記のソ連(ロシア)による戦争犯罪の事実や、北方領土が日本の領土だという事実を無視して、ロシア大使にお詫びをしたのだから、日本の政党として完全に失格だ!
ロシア大使も、自分たちが悪いくせに、「日本維新の会」の馬鹿どもがお詫びに来たものだから、偉そうにしている。
ロシアは常々「戦争の結果を認めろ!」と自分たちの戦争犯罪を肯定している!
戦争は合法だが、ソ連(ロシア)が日本に対して行った行為は、明確な違法行為(戦争犯罪)だった!
日本国民は、自分たちの違法行為(戦争犯罪)を肯定するロシアに対して、丸山の発言ごときでペコペコ謝罪した「日本維新の会」を絶対に許してはならない!
このような日本の土下座外交の弊害は、支那や南北朝鮮などで実証されているにもかかわらず、ロシアにまで不要な土下座外交をしているのだから呆れる。
そもそも、馬鹿ばかりそろっている野党が勝手に外交なんかすんな!
また、「日本維新の会」は、立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党などと丸山穂高衆院議員の議員辞職勧告決議案を衆院に共同提出した!
これも酷い言論弾圧であり、絶対に許せない!
日本では、事実や率直な意見を述べると、反日国家や反日野党や反日マスゴミから袋叩きにされ、大臣などの要職を辞任させられたり処罰を受けたりする【言論弾圧】が頻繁に行われてきた!
戦前の日本は「言論の自由」が高度に保障されていたが(詳細記事)、戦後の日本は「言論の自由」が保障されていない(関連記事)!
テレビや新聞などのマスメディアは何度も繰り返し捏造番組や捏造記事や虚偽報道や出演者の嘘出鱈目などを垂れ流しているが、全く処罰されない!
一方、政治家は、本当のこと(事実や率直な見解)を言うと、【言論弾圧】によって処罰される!
戦後の日本は、本当に狂っている!
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「武漢ウイルス」後の新世界秩序 - ウイルスとの戦いである第三次世界大戦の勝者は? - (ワニプラス)
西村 幸祐 著、福山 隆 著(2020/5/26)
反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)
「ソ連軍による『日ソ中立条約』違反&侵略&大量強姦&民間人大虐殺&違法な100万人『シベリア抑留』&50万人超大虐殺を許すな!」
「超売国政党の『日本維新の会』の2019年の売国行為(ロシアへの謝罪)を絶対に許すな!」
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■動画
住宅がのみ込まれ・・・中国で大雨 260万人超が被災(20/06/10)
https://www.youtube.com/watch?v=WGg4dWeybA0
中国南部で長引く大雨。被災者は260万人を超えました。
住民らが見守るなか、3階建ての住宅が崩れて茶色く濁った水にのみ込まれていきます。
辺り一面が水没し、わずかに道路の一部だけが孤島のように浮かんでいます。
よく見るとたくさんの車が取り残されています。
梅雨の時期を迎えた中国南部では今月に入って広東省や広西チワン族自治区など広い範囲で大雨が続き、これまでに260万人余りが被災したということです。
中国メディアは、この雨が来週まで続くと伝えています。
中国南部で長引く大雨。
被災者は260万人を超えました。
[テレ朝news]
■動画
中国・桂林が水没 大雨で河川氾濫 被災者70万人(20/06/08)
https://www.youtube.com/watch?v=XIxW02HCaIQ
广西桂林洪水滔天⋯有多少人将无家可归,从此阴阳两隔.…
— 野山 (@naochashu) June 8, 2020
连续一周降雨,桂林阳朔遭遇今年特大洪水,漓江洪峰抵达,全城被淹,愿平安! pic.twitter.com/DxE0Crpn4u
https://twitter.com/naochashu/status/1270008827060973568
野山@naochashu
广西桂林洪水滔天⋯有多少人将无家可归,从此阴阳两隔.…
连续一周降雨,桂林阳朔遭遇今年特大洪水,漓江洪峰抵达,全城被淹,愿平安!
午前0:04 · 2020年6月9日
— 野山 (@naochashu) June 10, 2020
https://twitter.com/naochashu/status/1270651578383429635
野山@naochashu
■動画
午後6:38 · 2020年6月10日
桂林洪水 pic.twitter.com/C1BFmhasfd
— 诸葛亮 (@hX49buoEfNblGNG) June 7, 2020
https://twitter.com/hX49buoEfNblGNG/status/1269612984403279878
诸葛亮@hX49buoEfNblGNG
桂林洪水
■動画
默默さんによる
午後9:51 · 2020年6月7日
如果不是自媒體報道,你根本不知道真實情況究竟是咋樣! pic.twitter.com/u2lK2R3Z9L
— 全智胜 (@MgOqkzLBRPLCHyN) June 8, 2020
https://twitter.com/MgOqkzLBRPLCHyN/status/1269956962126426114
全智胜@MgOqkzLBRPLCHyN
如果不是自媒體報道,你根本不知道真實情況究竟是咋樣!
■動画
午後8:38 · 2020年6月8日
■動画
中国南部で豪雨 失踪者多数 北部は記録的な高温
https://www.youtube.com/watch?v=zJKjW1XDB_A
↑
You Tubeへのコメント
安心して下さい。中共の輩どもはそんな事気にしてません。国民を国民と思わない人達ですから。
自国民を奴隷としか思っていない国は滅ぶべし。
こらこらちゃんと狙いを定めろ。
どうせ押し流すのなら中共本部と党員と幹部の私邸にしとけ。
毎年恒例の人民は虫ケラ
地方の整備なんかより 世界征服が大事な中凶政府
犠牲になるのはいつも一般市民。 中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。何のための政府だ。金と腐れた組織の維持にやっけになって法輪功の人達など簡単に虐殺、生きたまま臓器を移植したり、ひどいことをする人達が助けると思うか?我が身一番、人のことはどうでもいい。胸くそ悪い。
あーあ……。香港に関わっている時じゃないだろうが。中国共産党の連中は馬鹿の集まりなのか⁉️
自国民を助けずに、尖閣や南沙等にちょっかい出す中共。
中共が何か悪さするほど天災等が起こってる。それにしてもしぶといね、中共は。早く滅びろ!
上掲したYou Tubeのコメントを見ると、やたらと「中共」や「中狂」や「中国共産党」という言葉を用いて、支那共産党を非難している。
例えば、「中共はろくに手助けもしないだろう。だって中国国民の命を一番軽んじてるもんね。」というコメントがある。
しかし、それならば共産党1党支配でなければ、支那政府は支那国民の命を重んじるだろうか?
答えは、【NO】だ!
支那人というのは、共産党だろうが、国民党だろうが、●●党だろうが、国民や人民や他人の命を重んじることの決してない連中(民族・人種)なのだ!
だから、支那で共産党一党独裁支配が終焉しても、決して国民や人民の命を重んじる支那政府は誕生しない!
また、支那で共産党1党独裁が終焉しても、不朽の中華思想や華夷秩序があるために決して反日侮日が改善することはなく、支那人や朝鮮人(小中華思想)の国家では未来永劫親日国家が誕生することは有り得ない!
支那人は、支配者になれば、共産党でなくても、暴力によって人民を支配し続け、人民や国民の命を軽んじ、中華思想や華夷秩序から反日・侮日を継続する!
韓国を見れば、反日・侮日が共産党とは一切関係ないことが明白だ!
だから、支那についても「共産党一党支配が終われば、支那人民にとっても日本にとっても良くなる」という考えは、幻想にすぎない!
共産党が支那を支配する前の支那の歴史を振り返れば、誰にでも分かる。
支那人は、共産党でなくても、国民や人民や他人の命を重んじることは決してない連中なのだ!
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歴史を紐解くと、6月11日は1938年の「黄河決壊事件」の日だ!
1938年6月11日夜、支那軍は、黄河の堤防を破壊し、大洪水にし、何十万人もの命を奪った。
1938年6月11日夜に始まった支那の大洪水には、天災の要素はなく、人間が意図的に起こした神をも恐れぬ大犯罪だ!
1938年といえば支那事変の真っ最中だが、当時、支那大陸では、支那軍が様々なことをして支那民衆を大量に殺しまくっており、日本軍はそんな支那民衆の救助に追われていた。
その1938年の大水害は「黄河決壊事件」と呼ばれ、当時、支那民衆を大量に殺しまくっていた支那軍と、そんな支那民衆を救助しまくっていた日本軍の代表的な出来事として、支那事変について勉強している人なら知っている大事件だ!
どうして、この「黄河決壊事件」のことが歴史教科書に記述されないのか不思議でならない!
まだ知らない方は、これを機会に支那事変では、支那軍が支那民衆を殺しまくり、日本軍が支那民衆を救出しまくっていた実態を是非とも知って頂きたい。
黄河決壊
1938年6月6日に、日本は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市も攻略できる様相となった。
早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止する」案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た!
蒋介石は、商震将軍に日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破は延ばされた。
この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの問い合わせを行っている。
おそらく蒋介石は、日本軍の進撃を阻止するために、味方諸共水攻めにしようとしたのだろう。
6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、これは結果として失敗し、その後、場所を花園口に変更して作業が進められた。
6月9日午前9時に作業が終了、堤防が破壊されると黄河の水は堤防の外に流れ出し、河南省・安徽省・江蘇省の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。
この結果、黄河の流れはその後9年間、南側へ変わり黄海に注ぐようになった。
水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある。
6月11日夜、支那軍は、隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所を破壊した!
二、三日前の雨で増水した黄河の水は堰を切って奔流しつつあった。
6月12日午後5時に日本軍の2部隊が堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。
洪水は中牟を中心として幅約20Kmにわたり、5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。
幸い線路が高い所に位置していたため、住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。
日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた!
日本軍に救助された避難民は開封方面1万人、朱仙鎮、通許方面5万人、尉氏方面2万人、その他数万人だった。
国民党軍は、現場に近づく日本軍に攻撃を加えたほか、日本軍が住民と共同で行っていた防水作業を妨害した!
日本軍の地上部隊は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機も氾濫した地区において麻袋をパラシュートにより投下してこれを支援したが、決壊地点の対岸にいた支那軍遊撃隊が麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えたこともあった!
6月11日午前、支那国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。
6月13日、さらに支那国民党は、支那全土の各メディアに虚偽報道の上「日本軍の暴挙」と逆喧伝させた!
当然、日本側は、支那の発表を否定するコメントを出した。
支那側からは、最初は黄河の堤防破壊は堤防の影に避難している支那軍を日本軍が砲撃及び爆撃した時になされたものであるとの説明がなされ、後には事件は日本軍によって意図して行われたことであり、中牟と鄭州地区にある支那軍陣地への水攻めとし、かつ後方連絡を脅かすゲリラに対する戦略であり、広東への絶え間ない無差別爆撃と同様に支那民衆を威嚇する日本軍の作戦の一部とされた。
さらに報告では日本軍機による中牟北部の堤防への爆撃が続けられ、これが洪水を悪化させ、かつ日本軍は洪水の被害を受けた地区からの避難民を機関銃で銃撃していること、が説明された。
支那国民党は、自分たちが行っていた住民への銃撃まで日本軍の仕業だと嘘を吐いて逆宣伝を行っていた!
日本側は、開封の堤防破壊は支那軍に強制された農民によるものと声明を出した(国民党軍は1個師団の兵に加えて付近の農民を強制して作業を行っていた)。
また、日本軍は自軍の前進を妨げる洪水を引き起こす黄河の堤防破壊をすることはなく、さらに堤防の大きさを考慮すれば爆撃と砲撃によって堤防を破壊することは不可能だと反論した。
以下は、この大水害に関する文献や資料だ。
『抗日戦回想録』郭沫若自伝より
敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。
敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。
ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した!
支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。
1938年6月16日
16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」
事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。
6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった!
昭和13年6月23日、同盟ニュース
濁流渦巻く水禍の中に 皇軍必死の救助活動続く
流渦巻く黄河の洪水被災地で、支那人に対する日本軍の必死の救助作業が続く。
國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
その後、支那軍は揚子江の堤防も決壊した。
1938年6月26日
6月26日同盟ニュース
『悪逆、暴虐、その極に達す 敵、揚子江堤防を決壊』
悪逆の限り、黄河決壊の暴挙を敢えてなし、無辜の民幾十万かを絶望の淵にたたき込んだ蒋介石は、なんたる無謀か、皇軍を怖るあまり、又しても進撃を阻まんとして、太湖南方揚子江両岸の馬華堤を破壊し、付近一帯の住民は濁流渦巻く大水害に見舞われんとし、怨嗟憤怒は地に満ちている
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)
更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。
支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた!
黄河決壊事件の被害状況についての第一報は、6月21日に日本軍の占領下にある開封の治安維持会と商務会が発表している。
それによると、罹災者約100万人、うち行方不明者約12万人、浸水部落約3500、うち水底に没したもの約2000、倒壊浸水家屋約30万戸、被害面積約200平方キロという(大阪朝日6月21日)。
死者数については、終戦後の1945年12月に国民政府が河南省で行った「河南省戦時損失調査報告」がある。
それによると、1944年末の段階で、洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人という数値を提示している。
徐州会戦経過要図(1938年5月~6月)
死者・離郷者の数値は、韓・南「黄泛区的損害与善後救済」,梁262頁所収、冠水地域は北支那方面軍史料より作図
犯人である国民政府が終戦直後、河南省だけで約32万人とした死者数は、その後『中国革命史辞典』などで89万人とされている。
●その他の参考資料
一般住民に対して、徴発と略奪があまりしばしば行われたので、農民は日本軍よりも彼等自身の軍隊をさらに一層憎んだ。
穀物を略奪されまいとして抵抗する農民を飢えた中国兵が殺したり、日本軍の進撃を免れるために逃亡兵が村民を殺し、その衣類を自分が着こんで変装するということも起こった。
日本軍の進撃を鈍らせて鄭州の町を守るために、政府は1938年に黄河の堰を開いた。
すると、黄河は1世紀近く前から打ち捨てられたままになっていた古い河道を再び流れた。
「思い切った」決定であったが、このために、河南省東部の数十万の農民が命を失った。
彼等は水に溺れ、或は飢えて死んだのである。
『中国革命の起源』ルシアン・ビアンコ著
●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人~100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-4274.html
「武漢ウイルス」後の新世界秩序 - ウイルスとの戦いである第三次世界大戦の勝者は? - (ワニプラス)
西村 幸祐 著、福山 隆 著(2020/5/26)
朝日新聞への論理的弔辞 - 西村幸祐メディア評論集 - (ワニプラス)
西村幸祐著(2020/1/27)
反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)
「人民の命を軽んじているのは、共産党1党独裁だからではなく、支那人だから!」
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そうです。
— 原口 一博 (@kharaguchi) February 23, 2020
開戦は、止められたのです。しかし止めなかった。
そして戦争は、もっと早くやめることができました。しかしやめなかった。
今もそうです。
感染拡大は、止められたのです。しかし止めなかった。
内閣を辞めさせ被害を最小限にすることは、今でも可能です。
今がまさに正念場です。 https://t.co/IsE7DcEvqp
https://twitter.com/kharaguchi/status/1231650487461531648
原口 一博@kharaguchi
そうです。
開戦は、止められたのです。しかし止めなかった。
そして戦争は、もっと早くやめることができました。しかしやめなかった。
今もそうです。
感染拡大は、止められたのです。しかし止めなかった。
内閣を辞めさせ被害を最小限にすることは、今でも可能です。
今がまさに正念場です。
https://twitter.com/buu34/status/1231620093102002178
午前3:42 · 2020年2月24日
>原口 一博@kharaguchi
>そうです。
>開戦は、止められたのです。しかし止めなかった。
原口一博は、やはり馬鹿だ。
開戦を止めようと思えば止められたかもしれないが、日本が開戦を回避していたら開戦するよりも悲惨な運命が待っていた!
当時の日本政府は、開戦を回避すれば、開戦するよりも悲惨なことになると判断したから、開戦したのだ!
日本が開戦を回避するためにハルノートを呑んで満州国などの支那大陸から大量の日本人が引き揚げれば、それら地域に築き上げてきた日本の権益を失い、日本の内地は失業者で溢れ、食糧も不足して餓死者が大量発生したことは確実であり、更に北方の防衛能力も無くなってしまうため、ソ連に侵略されて赤化した(共産主義国家になった)可能性が高い!
当時は大国であることが国家存亡の必要最低条件だったのだから、大国の地位を失う戦争回避なんて自殺行為だった!
英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になった。
1939年9月に始まった1ヶ月余りに亘るドイツとポーランドの戦争(ポーランド侵攻)でポーランド人が失った命は人口(約3000万人)の0.4%にあたる約13万人だった。
ところが、そのポーランド侵攻の後に、ポーランドが独ソ両国によって分割占領されていた時の大量処刑や大量虐殺、及び独ソ両軍がポーランドを戦場として死闘を繰り広げたことなどにより、ポーランドは人口の20%(600万人)が死ぬという悲劇に見舞われた。
600万のポーランド人の死因の大半は、ドイツによる占領中に主にポーランド人知識階級大虐殺作戦、ポーランド人飢餓絶滅作戦、ポーランド人微罪死刑作戦、の大まかに3つのポーランド占領政策によりドイツによって計画的に殺されたものだった。
ポーランド人犠牲者の大半は民間人であり、戦死ではなかった。
つまり、ポーランドでは、戦争で抵抗した際に死んだ人数は人口の僅か0.4%だったが、戦争をしない弱小国家になったら死んだ人数が人口の20%にまで増加してしまったのだ!
独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定):ポーランドが独ソ両国によって分割占領でポーランド人は大量死に。
そして、何よりも実際に支那によって侵略されて支配された東トルキスタン(ウイグル)やチベットの惨状を見れば良く分かる。
1949年に支那によって侵略された東トルキスタン(支那は「新疆ウイグル自治区」と改称)では、楼蘭などで支那に46回も核兵器を使用(大気圏核実験)されたため、19万人が急死し、129万人が健康被害者となった。
人類の歴史における核兵器使用には、アメリカによる日本への2回の他、支那による東トルキスタン(ウイグル)への46回も含めるべきだ。
また、1951年から始まった支那によるチベット侵略の結果、犠牲になったチベット人は120万人にものぼる。
死んだ120万人の大半のチベット人は武器を手にとって戦って死んだのではなく、支那人たちに虐殺されたり処刑されたりして死んだのだ。
さらに、支那は、チベット人をこの世から抹殺しようとし、チベット人男性に断種治療を行い、女性にも不妊や堕胎のための治療(手術)を行ったり、漢民族の子孫にするため強姦したりした。
連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。
「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
>そして戦争は、もっと早くやめることができました。しかしやめなかった。
上記も原口一博の無知を丸出しにしている。
日本はもっと早く戦争をやめようとしていたが、相手がやめなかったからやめることができなかっただけだ!
日本は、1945年以前からアメリカに対して戦争終結の意思を伝えていた。
日本は戦争を終わらせたいという意思をアメリカに伝えていたにもかかわらず、アメリカは戦争を終わらせたい日本の意思を無視し、戦争を続け、市民殺戮【懲罰と人体実験】と、ソ連などに対する将来に向けた威嚇【デモンストレーション】のために広島と長崎に原爆を投下したのだ!
1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。
当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。
3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。
(中略)
米戦略爆撃調査の報告によると、日本政府は直ちに通告内容の検討に入った。政策決定グループ「6首脳」(訳注=最高戦争指導会議。首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部長で構成)の中で降伏に反対するものは一人もいなかった。
指導部の中で3人(陸軍参謀総長、海軍軍令部長、陸軍大臣)だけが、内容が「あまりにも不名誉」であるという理由から、交渉抜きの受諾に難色を示した。
彼らは、連合国側が領土条件を緩めてくれることを期待したからではなく、天皇の地位が不明確のまま残されていること、また占領を回避し、武装解除と戦争犯罪裁判を日本政府の責任で行うことを求めていたのである。
ポツダム宣言は、日本国民を決起させ降伏を早めるための解放戦略として受け止められていた。
対日プロパガンダ、特にキャプテン・ザカリアスが制作、放送していたラジオ番組と同じようなものだ。
しかし、日本での効果は全く逆だった。
降伏を決定すべき政策立案者の立場からすれば、宣言は和平勢力より、寧ろ「徹底抗戦」派の力を強める効果しかもたなかった。
ポツダム宣言の内容は、よくいえば「厳しく、贖罪的」、悪くいえば、経済条項は極めて漠然としていたし、特定されない戦争犯罪人の追及があまりに広範で曖昧だったから、それが指導部と全国民に対してもつ意味を理解できるものには、ただちには受け入れ難いものだったのも当然である。
しかし、その過酷な条件にも拘らず、6首脳のうち3人は即時受諾に賛成していたのだ。
しかし、私たちは和平支持派に反対勢力を説得する時間的余裕を与えなかった。
私たちはたった11日間待っただけで、いきなり1発の原子爆弾を、そしてさらにもう1発を、戦艦の上でもない、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な指導部の上でもない、2つの都市の約20万の市民の上に投下した。
スチムソンは原子爆弾の投下を正当化して、「日本の独裁体制に確実なショック」を与え「我々が望んでいたように、和平支持勢力を強化し、軍部の力を弱める」ためには「優れて適切な武器」だったと説明する。
しかし、米戦略爆撃調査の公式報告は、そのような「ショック」は必要なかったというのだ。
同報告は、原子爆弾が投下されなくても、あるいはソ連が参戦しなくても、また上陸作戦が計画ないし検討されなくても、日本は「あらゆる可能性を考えに入れても1945年11月1日までに」無条件降伏をしていただろうという意見である。
(P143~~148)
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
以上のとおり、アメリカは、最初から何が何でも原爆を投下するために、日本に和平を決断させない工作をしていた。(関連記事)
>今もそうです。
>感染拡大は、止められたのです。しかし止めなかった。
>内閣を辞めさせ被害を最小限にすることは、今でも可能です。
>今がまさに正念場です。
確かに、武漢ウイルスについては、感染拡大を止める施策は多数あった!
安倍政権が感染拡大防止策を小出しにして、後手後手に回っていることは事実だ!
しかし、野党の国会議員に安倍政権の感染拡大防止策の大失敗について批判する資格もない!
原口は、具体的にどうすれば完全拡大を止めることができたか、止めることができるか、全く言及していない!
もっと具体的にどうするべきかを言ってみろ!
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●原口一博の関連記事
原口一博とテレビ局の癒着・原口総務相と「テレビ局」のズブズブ 「電波オークション消極」「利用料値下げ」
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原口総務相事務所に電凸!・原口総務相、特別永住外国人への地方参政権付与に賛同・「自分の意思に反して(日本に)連れてこられた人が地方で投票の権利を持つのは日本の国家として大事なことだ」
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原口、特別永住者には付与の意向・原口総務相は外国人参政権について拙速避けるべきと述べたが、「サンフランシスコ講和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人への付与と、それ以外の人とでは全く議論が違う」と発言
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原口がA級戦犯の合祀手続き検証、省内に検討会
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陳哲郎と菅直人「問題なし」・原口一博「国会議員となる日本人の要件を満たさない」蓮舫の二重国籍
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蓮舫の戸籍謄本公開宣言で民進党分裂?差別助長危惧の声!有田芳生vs原口一博・山口二郎らも参戦
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原口一博「中国も民主主義国家だ!一党独裁ではない!彼らにも人権を守る姿勢がある」2日後に訂正
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7764.html
(最近の関連記事を一部再掲載)
原口一博元総務大臣
中国も民主主義国家です。
一党独裁ではないかとの私の問いに共産党一党独裁ではない、他にた6あると答えてくれました。
彼らにも人権を守る姿勢があります。
それを貫いてくれる事を期待しているのです。
↓ ↓ ↓
元支那人から叱られてしまう!
地蛋@Wl9uZ
元中国人です。
中国は言論の自由もなく、選挙もない、中国で生きるには反中共しないことが前提である。
あなたとあなたの中国友人にとって、民主主義の定義は何でしょうか?
嘘をつくにも程がある!
民主自由を満喫しながら独裁を讃えるな!
無知な人間を許せるが、無恥な人間を許せません!!
↓ ↓ ↓
原口一博は、多くの人々から間違いの指摘や批判を受けて、2日後の1月19日になって妄言を訂正。
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国産トマト100%
新聞という病 (産経セレクト)
門田 隆将 著(2019/5/29)
反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)
朝日新聞への論理的弔辞 - 西村幸祐メディア評論集 - (ワニプラス)
西村幸祐著(2020/1/27)
「原口一博は無知!野党議員に安倍政権の感染拡大防止の大失敗を批判する資格なし!感染拡大防止策を具体的に言ってみろ!」
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真珠湾を爆撃した日本海軍の中島九七式攻撃機
12月7日(日本時間12月8日未明)は、日米開戦=真珠湾攻撃の日だ。
改めて、支那事変、真珠湾攻撃、大東亜戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えよう!
【支那事変→真珠湾攻撃→大東亜戦争】
1933年の「塘沽協定」によって完全決着した満州事変から4年後の1937年に始まった支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。
更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。
支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。
支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。
支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。
支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。
それにもかかわらず、満州や支那での利権を狙っていたアメリカは、支那に対して金や武器を援助し、日本に対しては経済制裁を行った。
―――――
●1941年
4月15日、ルーズベルト大統領は米軍人にフライング・タイガースに自主的に志願するよう行政命令
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃
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1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ
当時の日本は、石油の殆どをアメリカからの輸入に頼っていた。
そのアメリカが日本への石油の輸出を禁止した。
アメリカ以外では、わずかにイギリスやオランダ(オランダ領インドネシア)などの輸入先があったが、アメリカががイギリスやオランダにも日本に石油を売らせないようにした。
当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。
【東条内閣の和平努力】
■動画
凛として愛(4/7)
http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs
凛として愛(5/7)
http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q
【動画の要約】
1937年、支那事変
1937年~、米英ソなどによる蒋介石支援
1940年~、米国による対日経済制裁
1941年
4月、日米交渉開始
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣が発足、「帝国国策遂行要領」を白紙還元し、和平努力
11月、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃
連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。
「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」
石油があったオランダ領インドネシアでは、インドネシア人たちが何度もオランダに対して独立戦争を試みたが、全て失敗していた。
しかし、大東亜戦争における多数の日本軍の犠牲により、アジア諸国はようやく独立できた!
日本は、直接オランダ軍を攻撃しただけではなく、インドネシアなどの大東亜各地において軍隊を創設して教育して訓練を与えた!
▼日本軍がアジア諸国に残した最大の遺産▼
―――――――――
ジョージ・S・カナヘレ(アメリカ、ハワイ日本経済協議会事務局長・政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事である。
ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。
アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)
・・・日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。
―――――――――
▼欧米の歴史学者の歴史認識▼
H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
▼東南アジア諸国の人々の事実認識▼
――――――――――
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。
そして実はわれわれの力でやりたかった。
ブン・トモ元情報宣伝相(インドネシア)
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。
モハメッド・ナチール 元首相(インドネシア)
我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。
アラムシャ 元第3副首相(インドネシア)
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。
ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(マレーシア)
日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。
ククリット・プラモード 元首相(タイ)
――――――――――
上述したとおり、当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。
だから、戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくと、日本はエネルギーや食糧などを輸入に頼ってはいけないのだ。
可能な限り自給率を高めることが重要だ。
エネルギーについては、原発をできるだけ早く再稼働させ、将来は海水や海藻からウランを採取し、電力の完全自給化を目指すべきだ。
また、食料自給率を高めるため、加工食品や外食料理にも原材料の原産地表記を義務化するべきだ!
そして、戦争というのは、軍事的バランスが崩れると起こる可能性が高まる。
外国からの侵略に警戒し、情報管理をしっかりと行い、必要な防衛力を備えておけば、戦争は起こり難い。
戦前の日本にも、意外と平和主義者が多く、アメリカと比べて工業生産力や軍事力が大きく劣っていたために、アメリカやコミンテルンによって無理やり戦争に引きずり込まれた。
小室直樹の『新戦争論』
1.平和主義者が戦争を引き起こす
(一部抜粋)
1-1.日本には今も昔も軍国主義者はいなかった
戦前は軍国主義者が蔓延(はびこ)っていたために日本は無謀な戦争へ突入したと国民には信じられていますが、軍国主義者は戦前も戦後の現在においても登場していないと小室直樹は述べています。軍事的な話題がのぼるとすぐに軍国主義や憲法九条違反という論調となりますが、真の軍国主義はそのようなものではないのです。自国と敵国の優劣を判断し、戦争に勝つことを目的とした思考を指すとすれば、戦前も戦後にも国内には軍国主義者はいないのです。日本の軍国主義は偏った精神論に過ぎません。
一方でアメリカの大学には軍事学部があり、軍事研究は大学生までもが行っています。日本は今でも軍事研究はタブーとされ、知らないことが戦争を起こさないことだという信仰にまでなっているのであると指摘しています。
新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす (光文社文庫)
また、アメリカが原爆の開発(保有)に成功したのに対して、日本は原爆の開発(保有)に成功しなかったために、日本はアメリカによって原爆を投下されてしまった。
当時日本が原爆を持っていれば、米国は日本に原爆を投下せず、日本に良い条件で早期に戦争は終わっていた。
「なぜ北の核に沈黙するのか」78ページ「諸君!」2003年1月号より
評論家の加瀬英明さんはかつて「トルーマン政権による原爆投下の決定に参画した」ジョン・マックロイさんにこう尋ねたそうです。
加瀬氏
「日本がもし原子爆弾を一発でも持っていて、アメリカのどこかに落とすことができたら、日本に核攻撃を加えたか」。
マックロイ氏
「もし、日本があの時に原爆を持っていたとしたら、使用することはありえなかった」
現在、日本が戦争相手として最も危惧する相手は、支那だ。
支那は、日本の領土について一方的に領有権を主張し、物凄い勢いで軍事力を増強し続けている。
以前は自衛隊が有利だったが、日本は防衛費を削減ばかりしてきた。
その結果、今では、支那軍が兵隊や兵器の物量では、日本を圧倒している。
日本の場合、GDPの1%以下しか防衛予算がなく、これほど自国民の生命・財産の保護に無責任な国家はない。
日本が支那との間に有る圧倒的軍事予算格差を埋めるためには、核武装が必要不可欠だ。
改めて言う。
支那事変から大東亜戦争までの歴史を学ぶと、今後の日本のあり方として、次の結論に至る。
1.食料やエネルギーやその他様々な資源をできる限り他国に依存せず、自給率を高めることが重要だ。
2.戦争というのは、日本がどれほど避けようとしても、避けられない場合があり、その場合に備えて、できるだけ防衛力を増強しておくことが重要だ。
特に、核攻撃をされないようにするため、日本も核武装することが重要だ。
3.支那人、米国人、ロシア人、そして朝鮮人などを絶対に信用してはいけない。
反日種族主義 日韓危機の根源
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反日種族主義 日韓危機の根源
李 栄薫 (著)(2019/11/14)
「歴史を学び、自給率を高め、核武装し、特アを信用するな!」
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