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4月29日は令和最初の「昭和の日」・激動の昭和を心に刻む日・昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸
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先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸
昭和天皇


令和2年4月29日は、令和に入って最初の「昭和の日」だ。

昭和天皇の御誕生日であり、宝亀6年 (775年)から昭和23年(1948年)までは「天長節」と呼ばれ、昭和24年(1949年)からは「天皇誕生日」となり、昭和64年(1989年)年1月7日に崩御されたので、「天皇誕生日」は上皇陛下の御誕生日である12月23日に移行した。

それでも、4月29日はゴールデンウィークの始まりとなる日でもあったことから、名称を「みどりの日」に変えてそのまま祝日として残った。

しかし、激動の昭和の中で、「二・二六事件」の鎮圧、大東亜戦争の終結や戦後復興などに卓越した指導力を発揮された昭和天皇にふさわしい名称を残すべく国会議員によって「昭和の日」を実現する運動が起こった。

議員立法で法案が三度国会に提出され、平成17年(2005年)に法案が可決・成立し、平成19年(2007年)から4月29日は「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動した。




4月29日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」昭和の日だ。

【昭和天皇のお話】

●戦中
先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
アッツ島の守備隊

昭和18年(1943年)5月12日の米軍アッツ島上陸以来、昭和天皇は、同地の守備隊の模様をいたく気にかけられ、 毎日のように戦況を御下問されておられた。

5月29日夕刻、守備隊から最後の電報が発せられた。
「機密書類全部焼却。是レニテ無線機破壊処分ス」

陸軍大臣は、直ちに参内し、アッツ玉砕を天皇に奏上した。
陛下は、陸軍大臣大臣の報告を黙って聞くと、目を閉じしばし佇立された。

そして、ひと言、 「アッツ島守備隊は、まことに最後まで良く敢闘した。このことを伝えよ。」 とおっしゃった。
陸軍大臣は、陛下が自分の報告を聞き違えられたかと思い、言葉を返した。
「恐れながら陛下、彼らは無線機を既に破壊しており、お言葉をお伝えする手段がございません」 と申上げると、

陛下は、 厳しい声で、「構わぬ。それでも構わぬから、そういう電波を出しなさい!」とご命令された。

陸軍大臣は一礼して引き下がり、控えの間に至ると両手で顔を覆って男泣きに泣き崩れた。
直ちに北のアッツ守備隊に向け、電報が放たれ、陛下の御言葉が打電され続けた。

勿論、アッツから返事が来ることはなかったが。


先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
アンカレッジの博物館には、昭和18年(1943年)5月に、アッツ島で玉砕した日本軍将兵の遺品が展示されている

先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
■動画
『 凛として愛 』
http://www.youtube.com/watch?v=HBxaF0wps6U

57:17~
大東亜戦争最初の玉砕地となった北のアッツ島では、山崎保代大佐以下2,500の将兵が守備していたが、15,000のアメリカ軍相手に18日間善戦。
昭和18年5月29日、敵陣地の突撃して玉砕した。
アッツ島守備隊の最期が天皇陛下にご報告されると、
陛下は、「最後まで良く敢闘した。このことを伝えよ。」と言われたが、既に将兵は玉砕し、無線機も破壊されてない。
そのことを申し上げると、陛下は厳しい声で、「それでもよい!電波を出しなさい!」とご命令されたという。
雪と氷で閉ざされた北のアッツに向けて、陛下の御言葉が打電された。
諸国のために散華された2,500の将兵は、陛下の御言葉を耳にしたのであろうか。






●戦後

昭和天皇が終戦の際に詠まれた和歌。

身はいかに なるともいくさ とどめけり
ただたふれゆく 民をおもひて


先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
昭和天皇の戦後の全国ご巡幸

毎年「昭和の日」に、私は、昭和天皇の全国ご巡幸などについて紹介している。

日本が戦後、奇跡と呼ばれる復興をなしえた1つの要因は、全国ご巡幸で国民を励まされた昭和天皇を中心に、日本が結束を保ったことだった。

このことは、私たち日本人が永久に語り継いでいかなければならない。

まだ読んでいない方は勿論だが、既に読んだことがある方も、「昭和の日」を機会に改めて読んで頂ければ幸いだ。


先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)

●マッカーサーを感動させた昭和天皇の言葉

(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。
一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。
三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。
また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。

いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。
天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。
かつては一万八〇〇〇人の近衛師団に守られたかもしれないが、今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…

陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。
じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。

九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。
ついに天皇をつかまえるべき時が来た。
マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。
マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。

『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。
このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。
陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。
そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。

マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」
と。

陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」
と。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。

皆様方、日本は八〇〇〇万人と言いました。
どう計算しても八〇〇〇万はおらなかったでしょう。
いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして八千万でしょうか。
じつは六六〇〇万人しかいなかったのです。
それをあえて、マッカーサーは、八〇〇〇万として食糧をごまかして取ってくれました。
つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。
米国大統領からは、日本に一〇〇〇万の餓死者を出すべしと、マッカーサーに命令が来ておったのです。

ただ一言、マッカーサーは、
『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』
と言いました。

彼は陛下のために、食糧放出を八〇〇〇万人の計算で出してくれました。
それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。





【マッカーサーおよび侍従長の証言】

以上が、三上教授の講演の言葉である。
この講演にも出てきた一九四五年九月二七日の天皇とマッカーサーの会見については、辻井圭三氏(キリスト伝道会「活水の群」副理事長)も、こう書いている。
「この件については、第二回目の通訳をされた、内閣情報局総裁であり戦後外務次官も務められた奥村勝蔵氏を通じて、私は詳しく伺いました」
そして、三上教授の言っている通りであると述べている。
実際マッカーサー自身が、のちに回顧録の中で次のように書いたのである。

「天皇の話はこうだった。
 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』
――大きな感動が私をゆさぶった。
死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」

(マッカーサー回顧録一九六三年)

天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。
しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、会見は三五分にも及んだのである。
会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書にまとめられ、侍従長に渡される習慣になっていた。
会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨を文書にまとめたものを、通訳から受け取った。
藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、天皇のもとに提出した。
藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。

しかし彼はのちに、その内容について二つの点をはっきり憶えていると言って、次のように著書の中に書いている。

「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。
『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。
私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。
『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』

とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)。

メールマガジン
「話題通信」



昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言 The testimony of the interpreter先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
■動画
昭和天皇とマッカーサーの会見を通訳官が証言 The testimony of the interpreter
https://www.youtube.com/watch?v=inE1DSH0jrk






先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
戦災者住宅で戦災者を激励される昭和天皇、昭和21年(1946年)2月19日 神奈川・横浜

●貞明皇太后の前で泣いた昭和天皇

また、さらにご立派であったのは、貞明皇太后でした。

母君の貞明様は、亡くなるまで防空壕の中で生涯を送り、雨漏りのする、そして皆様方、貞明様は法華経の信者でしたから、戦死者のお名前を一〇人ずつ書きながら、法華経をあげて生涯を送られたのです。

その貞明様が、皇霊殿に陛下をお招きになりました。
皇霊殿は高いので、東京の市中が見えるのであります。
焼けただれ、一日千秋の思いでわが子の復員を待つ年寄りたちの姿も、見えるのであります。

貞明様は陛下にそれをお見せになり、
「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおります。この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめしになろう(切腹しよう)などとはご卑怯ではありませんか。退位は絶対になりません!」

陛下は、母君の前で頭を垂れて泣かれたそうです。
どうしたらいいのかと。

陛下の万歳を叫んで死んでいった護国の英霊の労苦を労いなさい、遺族の労苦を労いなさい、産業戦士の労苦を労いなさい――これが、後の陛下の行幸(外出)になったのでした。

原爆の地、広島に行幸された時でした。
共産党の腕利きが、今こそ「戦争の元凶である裕仁に対して恨みを報いようではないか」とビラをまき、宣伝カーで叫んでいました。

しかし、陛下は一兵の護衛をも持たず、ツギのあたった背広をお召しになり、中折れ帽をかぶって、広島の駅頭に立たれたことは、われらの記憶に新しいところであります。
むしろ陛下がおいたわしかった。
「万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。

言えばやはり記録に残りましょうから、その県名と市名はもうしませんが、北陸のある所(福井市)においては共産党が、「朕はたらふく飯を食う。汝臣民飢えて死ね」とプラカードを仕立て、二〇〇〇名のデモ行進をやっていました。
「陛下、お逃げなさい」
しかし陛下は、「私に面会を申し込んでいる限り、私が会いましょう」と言って、皆の前に頭を下げられました。
「皆様方が私を打擲することによって心が癒えるならば、ごずいにめされたがいい。でも日本の国を一日も早う復興し、次の子孫へこの国を送り得てこそ、はじめて護国の英霊に対し、我々が報いる道ではなかろうか」
と陛下は申されたのでした
――はっきり言ったほうが良かったのかも知れませんが、場所を。

陛下に向かっての発砲もありました。
八二歳のある老婆が犠牲になったことも、中国地方の一角でありました(広島で、陛下をねらった弾がはずれて老婆に当たった事件)。
陛下の行幸は、そういう中に続いたのであります。…

歩一〇四記念講演特集号より


先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
釜石


昭和21年(1946年)から昭和29年(1954年)までの間に行われた御巡幸では、敗戦直後で宿舎がままならず、陛下が列車の中、学校の教室に泊まられた事もあった。

それでも陛下は、「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」とおっしゃり、御行幸を続けられた。





昭和天皇が硫黄島に行かれた時、硫黄島自体がお墓だからとおっしゃり、靴をお脱ぎになって上陸された。
ちなみに小沢一郎は普通に靴をはいていたそうだ。

遺骨収集が完了していない地下壕跡に入るときには、周りの案内役もそのまま足を踏み入れたのに、陛下だけは靴をお脱ぎになって裸足になられた。

先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
硫黄島


先帝陛下:昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸(昭和の日)
昭和63年9月、陛下が病床につかれると、全国の御平癒祈願所に約9百万人が記帳に訪れた。
40数年間の御巡幸で陛下に励まされた人々も少なくなかった。

陛下は、病床で「もう、だめか」とおっしゃったことがあった。
医師たちは、陛下がご自分の命の事をおっしゃったのかと思ったが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのだった。
御巡幸の最後の地、沖縄に寄せられた昭和天皇の御心は、平成の御代(平成5年)になって上皇陛下によって果たされた。


東京の空を台風が過ぎ去った翌日、侍従長は、昭和天皇に「台風が去ってようございました。」と申し上げた。
すると、陛下は、次のとおりおっしゃった。

「… まだ、東北、北海道地方はこれからである。」




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天皇の本質
『天皇の重み』 松下幸之助 ※パナソニック(旧松下電器)創業者

(一部抜粋)
昭和20年8月15日、太平洋戦争が始まってからすでに3年8カ月が過ぎていましたが、今日は”陛下の放送がある”
ということで、私以下会社の幹部一同は講堂に集まり、かたずをのんで放送を待っていました。
その夜、私はまんじりともしませんでした。この思わぬ事態に直面して、この日本のために自分は何をすればよい
のだろうか、と真剣に思いあぐんでいたからです。

翌日、急遽、私は会社の幹部を招集してこう訴えました。
「3年有余にわたる総力をあげての戦争も、いかんながらついにこの結末になった。国民としてこれほど悲しいこと
はない。しかし、陛下は”耐え難きを耐え、忍び難きを忍べ”と仰せられた。この仰せに従って、われわれは悲しみに
耐え、苦しみに耐えて、直ちに国家の再建にとりかからなければならない」

戦争末期、連合軍との実力の違いはいかんともしがたく、本土決戦による玉砕か、無条件降伏かという重大な岐路に
我が国が立ったとき、陛下は御前会議で「これ以上戦争を続けては結局我が国が焦土となる。国民にこれ以上の苦悩を
なめさせることは、私としては実に忍び難い。 この際私としてなすべきことがあればあれば何でもいとわない。
国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前に立つ」との決意をこみあげる嗚咽をのみ下しながら
語られたといいます。

周知のように、戦前の日本は天皇親政でしたが、それはいわゆる独裁君主でなく、憲法に基づく立憲君主制でした。
つまり天皇が議会なり、内閣の補佐により、憲法の規定に基づきつつ政治を行うようになっており、実際にも議会なり
内閣が決定したことを、天皇の独断で否決するということはしないような慣行になっていたといわれます。
ですから、太平洋戦争の開戦については、内閣はじめ当時の指導者の人々が一致してそう決定したことを天皇は
そのまま承認されたのです。

しかし、終戦の時には、内閣なり指導者の人々の間で意見の一致がみられず、そのために天皇の裁断によって決定される
ことになりました。そこで陛下は、もはやこれ以上の犠牲を出すにしのびないということから、連合軍のポツダム宣言を
受諾し、ご詔勅を出されたのです。そして、そのご詔勅が出るや、それまで戦争続行を主張していた人々も納得し、
まとまりにくかった空気がピタリとおさまって、戦争は終結したのでした。

実際、連合軍側にしても、沖縄での攻防戦のすさまじさは大変なものでしたから、日本軍の死をもおそれぬ勇敢な
戦いぶりから、本土を攻撃するにあたっては大きな犠牲を払わなくてはならないだろうと考えていたようです。
それが天皇のご詔勅一つできわめて平和裡に終戦になり、まったく抵抗なく無血進駐に成功したのですから、すっかり
驚いてしまったといいます。

天皇の権威や徳というものが、第二次大戦後の非常時にあって、きわめて大きな力となったと述べましたが、
幕末から明治維新にかけての国家存亡のときも同様だと思います。当時、欧米の先進諸国は、次々と東洋に進出し、
そのためアジアの諸国はすべてといっていいほど植民地化しつつありました。鎖国をしていた日本も開国を迫る
アメリカのぺリー艦隊の来訪で幕末の動乱が本格的に始まりました。
一歩誤れば国内が分裂し、そこから他の国々と同じように植民地化していたかもしれません。

しかし、幸いそういう姿に陥らずにすみました。当時わずか16歳であった明治天皇に大政を奉還するというかたちに
おいて、平和裡に一大改革がなしとげられたのです。もちろん、明治維新に際しては、各地でいくつかの戦闘がありました。
しかし、250年も続いた徳川幕府という封建体制から明治政府という近代国家に移行するにあたって、全体として
あれだけ平和裡に改革が行われ、政権がかわったことは、世界の歴史の中でもめずらしいことではないでしょうか。

それは、志士をはじめ、当時の人々が、自分の家、自分の藩、自分の幕府というものにとらわれず、日本のためということを
考えて行動したからでしょうが、それはやはりそれぞれの心に日本人の中心としての天皇というものがあったからこそだと
思います。天皇というものがなく、単に幕府と幕府に反対する勢力の争いであったなら、共に相手を倒すまで戦い抜こうと
したでしょう。

この天皇の偉大な力はこのような国家存亡の非常時ばかりではなく、常にわれわれ国民に及んでいるのだと思います。
戦後の40年を考えてみましても、国会が混乱し、たびたび開店休業というような状態になったことがありました。
今日、海外では、このような状態ですと、クーデターが起こったり、秩序が乱れるという国も少なくないと思います。
しかし、我が国では、そのような政府や国会が混乱した中でも、国民はそれほど不安には思っていません。これも一つには、
天皇に精神的なよりどころを無意識のうちに見出しているからではないでしょうか。
そこに、日本が今日のように復興発展を遂げることができた大きな理由の一つがあると思われます。
2020/04/29(水) 01:02:47 | URL | ごんぞう #- [ 編集 ]
松下幸之助の言葉をふりかえる
松下幸之助の言葉は当時の日本のサイレントマジョリティの感情をよくあらわしている。
(つまらん歴史教科書や歴史本より、よほど当時の歴史を感じる)

皮肉をいえば、「もう日本は経済で生きていこう。経済で生きていくしかない」という風にも感じるが、
経営人だから当然だろうし、生活再建を最優先する国民の大部分の総意でもあったのだろう。

また、終戦工作では陛下を閉じ込めて戦争継続しようという勢力もいて、実際はどっちにころぶか確信がもてないという綱渡りであった。
陛下の洞察力など、いくつかの幸運が積み重なって「本土決戦」を避けることができた。

日本人が経済再建に専念できたのは、(皮肉なことに)国外の共産国家と国内の共産勢力(革命勢力)ににらみをきかせる
アメリカ軍の強大な軍事力を背景とした「監視」と「保護」があったからだ。

そして、そこで日本国内の極左および極右の「両極端」を排除し、日本のリベラルはアメリカのリベラルと、
日本の保守はアメリカの保守と、それぞれが連携するという原型ができあがった。

ところが、日本のリベラルは、日本の左翼の攻勢があまりに強いので、すっかり左翼の戦略に組み込まれてしまって
左翼の言いなりになった。自衛隊の位置づけなどがその典型である。

左翼の言いなりになってしまったのは、
・戦争の後遺症が甚大であり戦争反省を大義名分とする左翼の洗脳に負けたこと、
・左翼の全体主義的な有無を言わさない組織への浸透力(教育・言論機関、労働組合などへ)があったこと、
・日本の戦前・戦中の全体主義的な報道体制や教育システムがことごとく悪用されて左翼に有利に働いたこと
などが大きい。

日本の左翼の荒唐無稽なことに、ナチスドイツのホロコーストを反省するドイツ人を模範として、「そのドイツ人ほど日本人は戦争を
反省していない」というとんでもない比較を日本国民に刷り込んだ。

本来なら、自由な精神を守るため共産主義左翼と対決したドイツ人を模範として日本人が見習うべきだが、全くそうはならなかった。

その正反対で、「日本もホロコーストをやった」と日本人に想起させるため、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」が異様に
クローズアップされ、それを日本国民に刷り込むため、左翼は中国や韓国、海外すべての反日を焚きつけて、多くの日本人は無抵抗だった。

中国に媚びる経済人もまんまと左翼にいいように洗脳された。

皮肉を書けば、松下幸之助のような優秀な日本人が日本人の「和」や経済優先をあまりに主導しすぎて、
・「敵」は常に寝首をかこうとつけ狙っていること、
・善意や平和の意思は決して「悪用」されないように目を光らせなければならないこと
・一見すると耳ざわりの良い言葉の裏に悪意がないか警戒すること
などの一種の「自衛本能」を日本人が忘れて警戒心が希薄化したからでもあったとも言える。
2020/04/29(水) 02:08:24 | URL | ごんぞう #- [ 編集 ]
人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
https://www.youtube.com/watch?v=u09z6mHmB-k
2020/04/29(水) 02:20:25 | URL | RDF #- [ 編集 ]
『4月29日は令和最初の「昭和の日」・激動の昭和を心に刻む日・昭和天皇のお話・お言葉と全国ご巡幸』に対する意見
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7873.html

>それでも陛下は、「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ」とおっしゃり、御行幸を続けられた。

天皇は国民を踏みつけて世界有数の資本家になったわけ。
天皇教の信者はあらぬ物語に酔いしれるんだよね。

【天皇は国民を踏みつける側の人間】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-201.html
【天皇が世界有数の資産家になれた理由】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-907.html
【天皇は支配者という立場を受け入れて支配者として振る舞った】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-965.html
【金の亡者が日本人特有の精神の持ち主?】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-964.html
【東洋拓殖株式会社という国策会社】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-881.html
【天皇は大資本家】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-108.html
【天照様は金儲けが好き】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-910.html


2020/04/29(水) 02:39:06 | URL | ewkefc #- [ 編集 ]
おい、ewkefc、韓国兵がベトナムでやった野蛮、卑劣な行為に対し、被害を受けたベトナムの婦女子が韓国を訴えた。
これに対するあんたの真摯な見解を言ってみろと要求している。
人のブログに偉そうにゴタクを並べるが、
おまえは、自分に都合な悪いことからは逃げる二重人格のクソか?
2020/04/29(水) 05:06:01 | URL | 名前を書いてください #/KJpTwa6 [ 編集 ]
密航犯罪侵略者は自国へ帰って兵役義務と納税義務を果たせ!
>ewkefc

はいはい良かったねえ、はいはいそれで?
このネット全盛の時代に、ウンコリアンが書いた嘘八百デタラメだらけの糞駄文を読んで真に受ける日本人など、最早この世に居らんのだよ、いい加減アキラメロン!

もし、日本に「天皇」という「最高権威」の存在が無ければ、お前は「最高権力者」に生殺与奪の権利を握られた唯の「動産」でしかなく、「昭和大帝」による大東亜戦争開戦のご聖断が無ければ、人種差別の撤廃も植民地の解放も無いまま、今頃お前は「この世に生まれていない」か、仮に生まれていても「白人の奴隷」なんだよ、良〜く覚えとけボケ!

2020/04/29(水) 06:18:17 | URL | 歴史の真実 #QMnOeBKU [ 編集 ]
>「昭和天皇に感謝!昭和の先人達に感謝!」

昭和帝の国民への御慈愛の深さを今更乍ら有難く存じ奉ります。

斯かる日に、真夜中の内から、(きっと満を持して〔笑い〕)、屑※を残して行くew野郎は、在日鮮人でしょうね。

必死になって、誰からも相手にされない手前の糞ブログの宣伝に憂き身を窶し、人気ブログの※欄に深夜せっせとURLを書き込んでいる姿を想像すると哀れです。先ず、誰も見ないでしょうから、ランキング外は変わらず、残念乍ら、ちっぽけな承認欲求は満たされず、未熟な自我を抱えて悶々とした日々を送くっている事でしょう。
2020/04/29(水) 07:10:25 | URL | John Doe the Passerby #odcdKkXI [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その4)


昭和天皇の御親政 内政面

1939年(昭和14年)8月、「阿部ニ内閣組閣ノ大命ル」

阿部は天皇から政策や人事で厳しい注文を受け、緊張の極みにあった。

(wiki より)

昭和天皇

阿部信行内閣総理大臣に命令

「朕は内務、大蔵、外務、司法各大臣の詮衡(せんこう=人物などを調べて選び出す)には深き関心を持つ」

(『高木日記』1939年8月30日、高木惣吉は当時、海軍省官房調査課長 )


阿部信行内閣(1939年(昭和14年)8月30日~1940年(昭和15年)1月16日)おける政治

内務

諸政令公布 1939年(昭和14年)10月18日

国家総動員法第19条に基づいた価格等統制令や、同時に地代家賃統制令、賃金臨時措置令、会社給与臨時措置令などを公布。

このような国家権力による諸価格の統制は“ヤミ値”と“ヤミ商人”を産み出し二重価格が生まれていった。日中戦争によって不足していた食料と物資が、統制逃れによって産まれたヤミ市場に流通したので一般市場の欠乏が加速し、ヤミ値の高価な商品に手が出ない庶民の窮乏化がさらに促進された。

大蔵、外務

外務省通商局、商工省貿易局、大蔵省関税局などの反対を押し切って「貿易省」を新設して、外務省から経済外交を取り上げる行政改革に手をつけ、9月26日には閣議決定にまでこぎつけたが、外務省キャリアのほぼ全員が辞表を出すという激しい抵抗にあって失敗。

内務

米価引上

この年は凶作と流通統制の影響でコメの流通が滞りがちとなり、コメの出回りを促進しようと、米価を引き上げたのが裏目に出て、物価の高騰、物資不足を招いた。

米の買い入れ価格を石あたり38円から43円に値上げしたが、もちろんこれは消費者に価格転化される。そして米に続いてタバコも値上げされることになったが、賃金は統制により固定されたままだったので労働者の生活を直撃した。

食料価格高騰を極端にひどいものにしたのは農村の労働力人口の減少であり(労働力人口の多くを兵役に取られている)、肥料の不足である。(化学肥料の多くは火薬と原料と製法も似ているので肥料工場の多くは火薬工場に転用された)

あまりの不人気に、陸軍も組閣の4ヶ月後に倒閣に動く有様だった。

阿部信行内閣の終焉

国会における内閣退陣勧告騒動

阿部内閣の最初の議会である第75通常国会の開会式が行われ慣例では議会は休会に入るはずであったが、本会議が終わっても240名の議員たちは解散せず、院内に残って民政党の斉藤隆夫を座長にして阿部内閣の総辞職を要求する決議を行ったのである。その後、彼らは内閣不信任の署名活動を行い過半数をはるかに超える276名の署名を集めた

内閣総辞職 1940年(昭和15年)1月14日 

阿部も一時は衆議院の解散を考えたが、衆議院解散による反軍感情が沸騰することを怖れた陸軍が支持せず、畑俊六陸相、吉田善吾海相に反対され内閣総辞職となった。


まとめ

後醍醐天皇の建武の新政(親政)は1333年から1336年までの3年間で終わった。「朕は第一線に立ち」と意気込んだ裕仁天皇による昭和の御親政は、過半数をはるかに超える276名の議員の阿部内閣不信任により僅か4ヶ月で終わってしまったのである。またしても昭和天皇は門外の領域に介入し混乱を招いてしまったのであった。

阿部信行は軍人(陸軍)であり政治家としての経験も政治を行う準備もなかった。昭和天皇の家庭教師であったという以外特筆すべき経歴もなかった。そんな阿部が就任早々から次々と政策を施行したのである。それは天皇の意向に沿ったものだった。

異例の内閣退陣要求の背景には、日中戦争の長期化による深刻な国内の食料と物資の不足がある。これらの原因は労働者を兵士として動員し過ぎ、尚かつ、物資を軍需に優先供給した為で、労働力、物資不足により食料、生活用品の生産量が落ち込んだのである。そのような状況において統制という流通の阻害まで行った為に、不足している食料や物資がより庶民に行き渡らなくなってしまった。

翌年(1940年)には全力で軍需物資の生産をしているにもかかわらず日本のGDPは下向し始める。支那へ兵として人員を送る、労働力喪失により国内生産が減少する、国内生産の減少により物資供給が滞る、即ち戦争事業遂行半ばで国力が限界に達したのである。このような実情を知る議員らによる抵抗も虚しく、支那との戦争は尚も継続されるのであった。


引用元

阿部信行 Wikipedia
価格等統制令 Wikipedia

昭和天皇の“御親政”
http://blog.livedoor.jp/kodama1872/archives/51392928.html

2020/04/29(水) 07:38:10 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その5)


昭和天皇の御親政(軍事面)

1939年(昭和14年)末における支那事変(日中戦争)の状況

昭和天皇

阿部信行内閣総理大臣に命令

「陸軍大臣は(日中戦争不拡大派の多田駿ではなく)畑(俊六)、梅津(美治郎)両人の中より選任せよ。」

(『高木日記』1939年8月30日、高木惣吉は当時、海軍省官房調査課長 )


畑(俊六)陸軍大臣の下での更なる戦線拡大

南寧作戦

1939年11月15日から12月1日

広西省南寧を攻略。南寧は香港よりも南にあり北部フランス領インドシナ(現ベトナム)の国境近くであるので国際紛争(英・仏・米の反発)を懸念して見送られてきたが海軍(つまり米内光政)の強い要望があったためにそれに押し切られる形で作戦を実行。

満州事変→華北侵略→上海・南京戦→徐州作戦→武漢作戦と日本軍は中国における侵略戦争の拡大を増派(兵員数の増加)によって対応してきた。これが武漢作戦終了時には日本の国内残存兵力が底払いしてしまって近衛師団を残すのみとなっていた。南寧作戦では最後の予備兵力である近衛師団も動員した。


蒋介石

冬季攻勢

1939年(昭和14年)12月 - 1940年(昭和15年)2月

中国のほぼ全戦線にわたって行われた中国国民革命軍の攻勢である。この攻勢の規模や中国軍の戦意は日本軍の予想を遥かに上回るものであった。

蒋介石の南寧における反撃

12月17日

南寧北東方面から合計25個師の中国軍が押し寄せ、特に崑崙関の陣地を巡って激戦となった。それから約10日間の激戦で、補給と増援を絶たれ中村支隊長以下多くの損害を出した日本軍は、12月30日崑崙関の放棄を決定し後方の陣地へ撤退した。(崑崙関の戦い)

3月6日

冬季攻勢終了後、蒋介石(国民政府軍事委員長)は各戦区の参謀長を重慶へ集めて4日間、作戦検討会を実施した。 ~ 日本軍が既に進攻能力を失っている現状を指摘

日本の軍事侵略の限界が見えはじめたのを契機に、蒋介石も毛沢東も日本の敗北を前提にして、その後起こるであろう国民党と共産党の内戦へ向けて準備を始めている。翌年(1940年)夏の共産党の華北における総反攻(『百団大戦』)も当然、蒋介石の国民革命軍を意識したものであるし、秋の皖南(かんなん)事件(移動中の新四軍が国民党軍8万人に襲われ部隊は全滅、軍長の葉挺が拘留され副軍長の項英が殺害された事件)もそうだ。


沢田茂陸軍参謀本部次長(1939年(昭和14年)10月2日就任)の回想

 「自分が参謀次長になるや、支那事変が長引き日本の力がどの位残っているか検討してみた。外に向かっては強いことを言うが、ちょうど果物の芯が腐っているようもので、そう長くはもたないと思えた。畑陸相も同様に判断していた。支那事変は武力決戦によっては解決の糸口を見出すことはできない。支那軍に対しては決戦はできないのである。蒋介石は、抗日を断念すればたちどころにその政権は瓦解するから、どこまで追いつめられても屈服はしないであろう。また、冬季攻勢はともかく撃退できたから、われわれがこの後、撃退されることは、多少兵力を減じてもまずないであろう。支那事変は全面撤兵すれば別だが、有終の美を収めようとすれば日支両国の間では解決できない。世界的事件にひっかけて解決するよりほかに方法がない。これが当時抱いていた考えであった。」


まとめ

日本側の予備兵力が枯渇したということは敵側からすれば、もうあまり日本軍の侵攻を心配しなくとも良いということである。その結果、蒋介石と毛沢東に日本を長期戦に引き摺り込むという戦略の正しさを実感させてしまった。以後、彼らは日本の敗北を前提に国共内戦を意識して活動するようになった。

日本が敗北するのであれば、日本をできるだけ追い込んで、できるだけ多くの戦利を獲得しようとするのは必然であった。具体的には華北、満州、台湾、および澎湖諸島、朝鮮の支配権、賠償金等、清朝以来失ったものを日本から取り戻す好機である。もはや蒋介石との講和は望むべくもなかった。

沢田茂陸軍参謀本部次長は「(日本の国力は)そう長くはもたないと思えた。畑陸相も同様に判断していた。」と考えたと語っているが、陸軍参謀本部では、いくつか具体的な想定を行ったはずである。ここでそれを考えてみたい。

日中戦争継続シナリオ

予備兵力枯渇後も日中戦争を継続すれば、国力差によりいずれ中国戦線を維持できなくなり大陸から退却せざるを得なくなる。中国を支援しているソ連、米国、英国も対日参戦し日本は敗北する。日本は中国に占領され日本民族と日本文化は存続の危機に陥る。

ソ連属国化シナリオ

ソ連の庇護を受け中国と講和する。ソ連に庇護を求めれば共産主義を受け容れざるを得なくなり、日本の支配階級は天皇を含め一掃される。日本はソ連に属国化し日本民族は存続するが日本文化は破壊される。

米国属国化シナリオ

米国の庇護を受け中国と講和する。米国に庇護を求めれば弱肉強食の自由主義を受け容れざるを得なくなり米国に富を吸い上げられる。日本は米国に属国化するが日本民族と日本文化は存続する。

日本にとって残虐な支那人からの復讐を免れるには、あくまで蒋介石政権打倒を指向しながらも、それに失敗した場合には米国属国化を受容し保護下に入るのが望ましい選択である。その為には孤立主義的な世論が支配する米国を変化させて極東政治に関与させなければならない。ここに日米開戦、真珠湾攻撃に対する政治的な合理性を見出すことができるのである。


引用元

南寧作戦 Wikipedia
冬季攻勢 Wikipedia
昭和天皇の“御親政”
http://blog.livedoor.jp/kodama1872/archives/51392928.html

2020/04/29(水) 07:40:12 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その6)


とあるネトウヨA氏の日米開戦に関する主張

「日本が開戦を回避するためにハルノートを呑んで満州国などの支那大陸から大量の日本人が引き揚げれば、それら地域に築き上げてきた日本の権益を失い、日本の内地は失業者で溢れ、食糧も不足して餓死者が大量発生したことは確実であり、更に北方の防衛能力も無くなってしまうため、ソ連に侵略されて赤化した(共産主義国家になった)可能性が高い!」

ネトウヨA氏の主張を添削する。

「日中戦争における日本の敗戦は不回避であり、ハルノートを呑もうが呑むまいが、いずれ満州国などの支那大陸から大量の日本人の引き揚げを想定せざるを得ず、それら地域に築き上げてきた日本の権益を失い、日本の内地は失業者で溢れ、食糧も不足して餓死者が大量発生する可能性大であった。更に北方の防衛能力も無くなってしまうため、ソ連、米国、英国に支援された支那人の復讐によって日本民族が抹殺される危険性が高まっていた!」


そもそもハルノートとは何か?

ハル国務長官

「ヨーロッパに戦争が勃発し、特にフランスが陥落してから、アメリカは日本とのすべての関係において2つの目的をもっていた。その一は平和であって、その二はもし平和がえられなければ、アメリカの防衛を準備するために時間を稼ぐことであった。アメリカは平和をかちとりえなかったが、無限の価値ある時間を稼いだ」「日本がもし六ヵ月早く真珠湾を攻撃していたならば、世界戦争の全貌が変っていたかも知れない」

(田村幸策『太平洋戦争外交史』鹿島研究所出版会、1966年)

チャーチル英首相

「もしドイツが一九四〇年六月フランス崩壊後にイギリス本土侵入を企て、またもし日本がそれと同じ時期に、イギリス帝国とアメリカに宣戦したとすれば、われわれの運命がどんなに災厄と苦悶とであっただろうことは、何人も知りえない」

(1941年12月26日のアメリカ上下両院合同会議における演説)

ヒットラー総統

「1940年に、すなわちフランスが敗北した直後に、日本がシンガポールを占領しなかったことを残念に思うだろう。 アメリカは、大統領選挙の真っ最中だったために、事を起こすことは不可能であった。 その当時にも、この戦争の転機は存在していたのである。」(1945年2月18日)

(原書房『ヒトラーの遺言』(記録者:マルティン・ボルマン))

昭和天皇

1941年(昭和16年)10月17日 白紙還元聖旨

東條(英機)内閣総理大臣兼陸軍大臣、及川(古志郎)海軍大臣に木戸(幸一)内大臣から9月6日御前会議決定(「十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」という内容)の白紙還元の聖旨が伝えられた。

(防衛庁防衛研修所戦史室 1974, pp. 162-164.)

日本人及び日本軍の行動特性

アーネスト・キング 合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長

「敵"オレンジ(日本)"は、我々を不利な対外戦にひきずりこんで打撃を与えようとするだろう。そのためには、"オレンジ"はフィリピン、さらにハワイを攻撃する可能性もあり、我々は"オレンジ"との戦いでは、まずきわめて不利な"手段と方法"しか与えられない戦争に巻き込まれることを予期せねばならない」「カマクラの体験は、私に日本人の二つの特性を教えてくれた。ひとつは、財布をうばうのに暴力よりはスキをねらう技術を重視するということであり、もうひとつは、駅員の態度が象徴している如く、相手の不利に容赦しないということだ。この二つの特性が軍事面に発揮されれば、日本の戦争のやり方が、奇襲とあらゆる方向への前進基地推進を基本にすることは、容易に想像できるはずだ」と自身の体験から日本の奇襲戦略を予測している。

(wikipediaより)

(余談)キングの日本体験

(軍艦)シンシナティが浦賀に入港した折、キングは鎌倉大仏見物のために鎌倉に向かった。しかし見物の最中でスリに遭い、財布を盗まれた。鎌倉駅に到着してキングはスリにあったことに気づいた。キングは駅員に事情と身分を話し、後払いで横須賀行きの切符を購入しようとしたが、駅員はあくまで現金払いを要求した。この時の様子をキングは「彼は、ひどく疑わしそうだった。あるいは外国人は嘘つきだという信仰の持ち主だったのかも知れない。とにかく、現金がなければ切符は売れない、と繰り返し、結局本官はオーバーをぬぎ、それを抵当にして横須賀までの三等切符をもらった」と語っている。一週間後に現金を渡してオーバーを引き取ったが、「ひどく不愉快だったので、料金だけをはらい、チップは1セントも出さなかった」。この出来事と日露戦争の勝利の影響で白人に対して傲慢な態度を取る日本人に悪印象を抱く。

(wikipediaより)


<コメント>

ネトウヨA氏の主張には、日米戦争の原因となった支那事変(日中戦争)の分析が無いために国務長官の交渉案に過ぎないハルノートなど無視しても構わないのでは?との疑問に答えられない。ハルノートとは戦争準備の時間稼ぎの為に日米交渉を行っていた米国が、戦備の目途がついたので交渉打切りを示したものなのである。当時、長期戦となった日中戦争は経済的、軍事的にも日本の国力の限界に達しており、陸軍参謀本部、陸軍省(陸軍大臣)は1939年末には日中戦争の敗戦処理を考えていた。ハルノートを無視しても同じ帰結を迎えたと考えられる。つまり、どの道駄目なのだから日本に残された道は速やかに討って出るしかなかったのである。

そもそも陸海軍は1941年(昭和16年)9月6日の御前会議で「外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」と帝国国策遂行要領で対米開戦を決定していた。要するに、日本側は南部仏印進駐によって獲得した前進基地(サイゴン周辺の基地)から東南アジアの欧米植民地へ十月上旬頃に侵攻する準備ができる目途がついていたのである。そして、当事者達が語っているように対米戦争開始が早ければ早い程、日本側に勝機があった。それを昭和天皇は選りによって東条英機に対米交渉を白紙に戻して行わせるなどして引き延ばし戦機を逸してしまったのである。

キングの日本分析は我々が日常で気付かない日本人の習性を教えている。所謂、「隙あり!」のごとく不意をつくのを好むのである。この奇襲癖はミッドウェー海戦の頃には相手に読まれて返り討ちに遭う。そして、日本は相手の不利な状況において容赦せず前進基地を推進させるはずだ、との指摘の典型例は南部仏印進駐であろう。南部仏印の前進基地は誰が見ても欧州大戦で手薄となった東南アジアの植民地を横取りする為のものである。(実際そのように機能した)、問題なのは南仏印基地で出撃準備が整っても尚、無駄に対米交渉をして相手に対日戦準備を行う機会を与えてしまったことだ。これでは戦術的に真珠湾奇襲攻撃を成功させても、戦略的な意味では相手の不意をつく奇襲にはならず大失敗である。昭和天皇の9月6日帝国国策遂行要領の白紙還元聖旨(対米開戦決定を白紙に戻す、俗に言う「ちゃぶ台返し」)が追い詰められていた帝国の命運を決したである。

昭和の天皇である裕仁氏は才能、器量に恵まれず、とにかく人気がなかった。2.26事件では弟の秩父宮を総理、あるいは天皇にしようとする動きまであった。(秩父宮は陸軍において成績優秀で人望もあった。)そして、その懸念は現実と化し大日本帝国を破綻させ実質的に米国の属国にしてしまった。もちろん、それは帝国の運営が個人の資質で揺らいでしまうような脆弱な国家制度が悪いのであるが、それを考えるには、具体的にどのような悪影響が生じたのかを認識することから始めなければならないのである。

近衛文麿(服毒自殺前に友人に語った。)

「自分が罪に問われている主たる理由は、日支事変にあると思うが、日支事変で責任の帰着点を追及してゆけば、政治家としての近衛の責任は軽くなり、結局、統帥権の問題になる。したがって究極は陛下の責任ということになるので、自分は法廷に立って所信を述べるわけにはいかない。」

(昭和の宰相 近衛文麿の悲劇―外務省興亜派の戦争責任 鈴木荘一 より)

引用元

ハルノート Wikipedia
アーネスト・キング Wikipedia
ヒトラーの日本観
http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/NazisGermany/Hitler_nihonkan.html

2020/04/29(水) 07:42:35 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その1)過去投稿済


結論:支那事変(第二次上海事変)について日本人自身が天皇を批判するべきである。

とあるネトウヨA氏の支那事変についての主張

支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争

ネトウヨA氏の間違い箇所

誤 ×:支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言った
正 〇:支那の挑発にのせられて、天皇が「蒋介石を懲らしめよ」と陸軍の反対を押し切って全面対決を強行した

当事者の思惑、概略

蒋介石:日本軍を中支から南支に誘引し英米と対立せしめ、英米ソの力で一掃する。
天皇:蒋介石政権に打撃を加えて反省させよ。
陸軍:蒋介石政権との本格的な戦闘に反対。(正確には賛成派と反対派が対立して動けない)
海軍:天皇の意向に従う。(揚子江以南は海軍の担当地域、侵攻は利権拡大)

1937年当時 時系列

8月6日

昭和天皇の発言

「近衛首相の話によれは船津が上海にて内面交渉を行う由なるが、うまく行けば宜しいが、若しこの条件にて支那が同意せさるなれは寧ろこれを公表し、日本がかく公明正大の条件を出したるに支那同意せさるなりとせば、各国の世論も帝国に同情すへし。出来るだけ交渉を行い纏らされは止むを得ず戦うの外なし。先日参謀本部の話に、長引く時に露を考慮するの必要上、支那に大兵力を用い得ずとの事なるがやれる丈けやるの外なし。陸軍も困ったものなるも、海軍のみにてもしっかりやる様に」

昭和天皇の船津工作についての発言(嶋田繁太郎大将無題備忘録)より

<重要箇所>

「(中支派兵反対の)陸軍も困ったものなるも、海軍のみにてもしっかりやる様に」天皇は主に陸上戦闘が想定される蒋介石政権との戦いに海軍のみでも戦えと発言している。このような道理に反する指示こそ亡国の元凶と言えよう。

8月10日

昭和天皇 陸軍へ命令

臨参命第73号

命令
一、上海派遣軍(編組別紙ノ如シ)ヲ上海ニ派遣ス
二、上海派遣軍司令官ハ海軍ト協力シテ上海附近ノ敵ヲ掃滅シ上海竝其北方地区ノ要線ヲ占領シ帝国臣民ヲ保護スヘシ
(中略)
昭和12年8月10日
奉勅伝宣 参謀長  載 仁 親 王

参謀総長           載 仁 親 王 殿下
上海派遣軍司令官       松 井 石 根 殿
支那駐屯軍司令官       香 月 清 司 殿
その他13師団長宛(師団長命略)

8月12日

昭和天皇 海軍へ命令

海軍軍令部は第三艦隊司令官に「上海確保」を命令(大海令第10号、8月12日午後11時40分発電)(「大海令」というのは天皇が海軍に発する命令)

<重要箇所>

「臨参命」「奉勅伝宣」即ち天皇が陸軍に命令
「大海令」即ち天皇が海軍に命令
これらは特別な命令で統帥大権に基づき発せられる天皇の直接的な意思であることを示している。

8月12日

陸軍大臣の通告

「しかるに、右四相会議(上海出兵を承認した12日深夜の四相会議)終了し離散後、同夜、杉山陸軍大臣より米内海軍大臣に対し秘書官を通じ次の意を通じ来れり
『四相会議散会後陸軍大臣は陸軍出兵内定の旨参謀本部に通知せるところ参謀本部は支那側の戦備意外に進捗し、当初の計画時とは上海方面著しく情況の変化を来したるため出兵については最も慎重に考慮を要する旨通告ありたり』

『大東亜戦争海軍戦史本紀第一』「中支出兵の決定」より

<重要箇所>

「参謀本部は支那側の戦備意外に進捗し、当初の計画時とは上海方面著しく情況の変化を来したるため出兵については最も慎重に考慮を要する旨通告」支那側は相当防備を固めており「出兵については最も慎重に考慮を要する」と警告したにもかかわらず無視される。天皇の命令なのだから不合理でも絶対服従なのである。

8月12日 夜

陸軍参謀本部の具申

木坂軍令部部員は参謀本部作戦課にありて上海作戦に関する打ち合わせを行いたるが、参謀本部第一部長石原(完爾)少将入り来たりて上海に対する陸軍即派(即時派兵)に関し否定的と認めらるる陳述ありしかば、木坂軍令部員はその突然なるに驚き石原第一部長に対し質するところありしに同(石原完爾)少将は次のごとく答へたり
 上海方面の作戦においては江湾を敵手に委するは今後の作戦をいちじるしく困難ならしむるところなるがさらに呉淞(ウースン)に敵が入りてはこれを陸軍の上陸点として作戦することは絶望なり、列国環視の中にて上陸戦が不成功に終わることあらんか、今次の作戦は根底より覆(くつがえ)るべし

 当面の処置としては動員下令をなすことは必要なり、一方極力外交交渉を行ふを要す、ただし外交交渉は成立の見込みなく結局上海上陸戦隊に陸軍を若干注入し上海租界を堅めたる後、徹底的爆撃を行ふ外、手なし、この際、大いに考え直す必要あり」

『大東亜戦争海軍戦史本紀第一』「中支出兵の決定」より

<重要箇所>

「上海方面の作戦においては江湾を敵手に委するは今後の作戦をいちじるしく困難ならしむるところなるがさらに呉淞(ウースン)に敵が入りてはこれを陸軍の上陸点として作戦することは絶望なり」作戦計画を「いしじるしく困難」「絶望」と具申した石原の指摘は的確であった。実際の戦闘において部隊は釘付けになり大損害を被る。そして情勢判断的確故に派兵反対の石原は窮地打開の為の増援派遣の障害と見なされ、失敗の責任を負わされる形で更迭されてしまう。

8月15日

政府声明

「最早隠忍其の限度に達し、支那軍の暴戻を庸懲し以って南京政府の反省を促すため断乎たる措置をとるの已む無きに至れり」

<重要箇所>

「支那軍の暴戻を庸懲」有名な標語であり大義名分となった「暴支膺懲」の元になった声明である。しかし、自ら支那(華北)に攻め込んでおきながら、現地政府が抵抗してきたので懲らしめる、これが全面対決の大義名分となり得るのか、まともな人なら疑問に思うのではないだろうか。事実、末端の将兵の士気は上がらず軍紀も乱れた。

8月18日

昭和天皇の発言

「戦局漸次拡大し上海の事態も重大となれるが青島も不穏の形勢あるよし、かくのごとくにして諸方に兵をもちうとも戦局は長引くのみなり、重点に兵を集め大打撃を加えたる上に我の公明なる態度をもって和平に導きすみやかに時局を収拾するの方策なきや、すなわち支那をして反省せしむるの方策なきや」

(陸軍参謀総長閑院宮、海軍軍令部総長伏見宮博恭への下問、1937年8月18日)より

<重要箇所>

「重点に兵を集め大打撃を加えたる上に我の公明なる態度をもって和平に導きすみやかに時局を収拾する」史実は全く逆に推移した。まんまと蒋介石政権の罠に陥り陣地帯(ゼークトライン)に誘引され重点に集められた日本軍は日露戦争旅順攻略戦以来の大打撃を被り、以降、1945年8月の日本の敗戦まで時局が収拾することはなかった。

8月23日

陸軍の上海派遣軍は第3師団が呉淞(ウースン)に11師団が呉淞より西方の川沙鎮に上陸


まとめ

華北分離工作の軍事的な目的は華北地域を満州国と支那政府との間の緩衝地帯にしようとするものであった。蒋介石政権が北上し攻めてきたら緩衝地帯である華北地域で撃退する為である。華中(上海~南京)で戦えば、何の為に華北分離工作を行ったのか意味を成さなくなってしまう。

その華北分離工作自体も日本と支那との戦争の原因になったのだが、想定どおり華北地域で戦わず、わざわさ華中である上海へ出向いて全面対決する必要性があったのか、どうしてそうなったのか、を考えるべきであろう。

作戦上、華北地域で戦った方が策源地である満州から近い日本側に有利であろう。反面、華中での戦いは蒋介石に極めて有利な条件で戦うことになり、長期戦になる危険性が高く、日本側にとって割に合わない作戦であった。(華中では通貨「法幣」が使用され法幣の発行者である蒋介石政権は容易に物資調達できた、対する日本軍の軍票は流通せず、対価を払えない日本軍の物資調達は略奪としかならず、徴発に抵抗する住民に対する暴行、殺戮の原因となった。)

責任回避は上手いとしても、政治、軍事的には素人同然であった天皇が作戦に介入し時局収拾不能になった、というのがその後の国家破綻にまでつながる第二次上海事件の顛末だったと言えるのではないか。


資料

「昭和天皇の第二次上海事件」
http://blog.livedoor.jp/kodama1872/archives/51398798.html

南京空襲 対支作戦 日本軍の南京入城
https://blog.goo.ne.jp/yshide2004/e/bd2b8d1841136285d96c56babc759238

盧溝橋事件からの陸軍と海軍の動き
http://bestopia.jp/pdf/bestopia352sokou.pdf

2020/04/29(水) 08:03:32 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その2)過去投稿済


日中情勢に対する当事者の見解

支那事変(日中全面対決)前

石原莞爾 参謀本部第1部長(第二次上海事件前)

「蔣介石は相当な戦術家だ。かならず長期戦にもちこむだろう。中国大陸は広大だ。どこまでも逃げていくだろう。抵抗する者はうち破ることができる。しかし、逃げる者には追う者が奔命に疲れる。食糧が足らないなら、まんじゅう一個で辛抱する支那兵だ。武器、弾薬が欠乏すれば、ゲリラ戦を展開するだろう。兵員が不足なら、支那には五億もの民がいる。広域な泥沢地帯、無限の山岳地、鉄道もなければ、道路もない。全大陸を縦横に走るクリークは世界無比の迷水路である」「奥地深く逃げ込まれたとき、追うに道もないが、日本軍への補給のすべもない。日本の軍事費は無限大に投じられても、効果がないだろう」「この戦争は十カ年を費やすも、解決点がない。結局、攻める者が敗北だ。断じて戦争をしてはならない」

(浅原健三(八幡製鉄所でストライキを指導し検挙される。第一回普通選挙に当選。のちに石原に近づき政治工作に関与。支那事変前には石原の意を受け、政界や陸海軍の要人と面談を重ね日支不戦を説いた)、山口重次(満鉄に勤務。満洲事変勃発後は石原に協力して満洲国建国を後押し。その後満洲国官吏を歴任)との談話 (桐山桂一『反逆の獅子』))


蒋介石

・「第二次大戦はいまや一九三七年までに起る可能性があるほど切迫し来たった・・・その大戦において日本の陸軍はソ連を敵とし海軍は米国を敵とするが故に、結局日本は敗戦すべく、その際が満州・華北の失地を回復し中国の統一を完整する機会である・・・もしこれに先だって日本との単独戦争に入ることとなるならば、長期戦に訴えてその間の国際情勢の変化を待つ」

(『太平洋戦争への道』4「解題」)

・「戦争が始まれば、勢力が均衡した国家は決戦で戦争を終結する。だが、日本と中国のような、兵力が絶対的に不均衡な国家同士の戦争は、正式の決戦にこだわらない。日本は中国の最後のひとかけらの土地まで占領し尽くさなければ、戦争は終結できない。普通、二国間で開戦すれば、政治の中心の占領が要計である。しかしながら、対中国作戦に関しては、武力で首都を占領しても、中国の運命は制することはできないのである」

(「友か?敵か?」一九三四年一二月、同前)


アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン(中国国民党、ドイツ人軍事顧問団長)

・「蔣は事態の平和的な解決を希望しているが、中国の国益を犠牲にすることはできないと考えている、現在、中国がひとつにまとまっているのは反日感情によるものであり、ここで降伏することは不可能、むしろ武力対立を選ぶに違いない・・・戦争は中国全土に拡大するだろう・・・中国が勝利するチャンスはかなりある・・・日本の勝利のためには軍の総力が投入されねばならないが、これはソ連の態度から考えてとうてい不可能である・・・したがってブロンベルク大将は、日本が必ず勝つと考えるべきではない」

((1937年)7月21日付、ヘルベルト・フォン・ディルクセン駐日ドイツ大使より外務省あて電報。ゲルハルト・クレープス、盧溝橋事件後、トラウトマンへの報告書「在華ドイツ軍事顧問団と日中戦争」『日中戦争の諸相』)

・揚子江流域地区の守りに集中し、(広大な大陸)空間を武器として使って日本軍を消耗させ、加えてゲリラ戦を展開すること

(長谷川熙「アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンと中華民国陸軍」『ドイツ史と戦争』)

・四川省を最後の抵抗地区とすること

(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』)

・日本が対支戦争を遂行しようとする場合、極東に戦略的地歩を求めるソ連、経済的関心を持つ英米にも対処しなければならなくなり、これら各国を含む大規模な戦争に日本の財政力は耐えられないと分析したうえで、支那の対日戦略は「できるだけ戦いをひきのばし、できるだけ多くの外国の介入を待つ」こと

(児島襄『日中戦争』第二巻)。


米国武官J・スチルウェル〔Joseph Stilwell〕大佐(後の中国国民党軍事顧問)

今後、日本側が採用する政策として次の三案が考えられる、と推理していた。
「A」=戦線を一定地域に限定し、兵力と補給を確保して持久し、中国側の疲労を待つ。
「B」=全面撤退して全面戦争をさける。
「C」=全面戦争をさけるつもりで、兵力を逐次投入して全面戦争にまきこまれる。
 そして、大佐の結論は──
「Aが上策、Bが中策、Cが下策だ。Aの場合は蔣介石側は勝利を得られず、内外の支持を失って政治的失脚をまねくはずだからだ。Bも良い。蔣介石にとっては成功だが、そのあとは必ず共産党との戦いになり、日本が再進出する機会が期待できる。
 しかし、AB両策は、いずれもよほど冷静で辛抱強い国民と政府でなければ、実行できない。日本には無理で、日本がえらぶのは下策イコール蔣介石にとっての最上策だろう」

(児島襄『日中戦争』第三巻)


昭和天皇

「戦局漸次拡大し上海の事態も重大となれるが青島も不穏の形勢あるよし、かくのごとくにして諸方に兵をもちうとも戦局は長引くのみなり、重点に兵を集め大打撃を加えたる上に我の公明なる態度をもって和平に導きすみやかに時局を収拾するの方策なきや、すなわち支那をして反省せしむるの方策なきや」

(陸軍参謀総長閑院宮、海軍軍令部総長伏見宮博恭への下問、1937年8月18日)


支那事変(日中全面対決)後


石原莞爾 関東軍参謀副長(第二次上海事件後)

・「国家にも、人間と同じように運命というものがあるものらしいですな。とうとう支那との戦争は拡大することになりました。それには私が邪魔になるから満州に放逐したのです。今後は日本が敗けても満州が崩れないように固めましょう」

(横山銕三「石原精神の中国における栄光と受難」『石原莞爾のすべて』)

・「山口さん、これで私も肩の荷が卸りたような気がする。止むを得ない。日本は亡国です。せめて満洲国だけでも独立を維持するようにしましょうなあ」

(山口重次『満洲建国への遺書 第一部』)

「日本は、樺太も、台湾も、朝鮮もなくなる・・・本州だけになる・・・」

(田村眞作『愚かなる戦争』)

「日本はこれから大變なことになります。まるで糸の切れた風船玉のやうに、風の吹くまゝにフワリフワリ動いて居ります。國に確りした方針といふものがありません。今に大きな失敗を仕出かして中國から、台灣から、朝鮮から、世界中から日本人が此の狹い本土に引揚げなければならない樣な運命になります」

(岡本永治「豫言」『石原莞爾研究』)


スターリン

歴史というのは冗談好きで、時にその進行を追い立てる鞭として、間抜け(дурак)を選ぶ。

(1938年2月7日(第二次上海事変から約5ヶ月後)、日本について立法院長孫科に語った言葉)


まとめ

(一人だけ除いて)当事者の見解として「持久戦争」では中国軍優位というのが共通認識であったと言えよう。(「限定戦争」(想定戦場は華北地域)においてのみ日本軍優位)、残る一人は「支那をして反省せしむる」という意図で「全面対決」を決断したのである。その決断には日本が持久戦争に引き摺り込まれる危険性に対する認識はない。そもそも、日本は支那と「持久戦争」に陥る危険を冒してまで「全面対決」をしなければならないような状況にはないのである。国家元首としてあまりにも軽率な決断であった。スターリンはそれを「歴史の冗談」と評し更に侮蔑的な表現を使い「間抜け」と呼んだ。「間抜け」に翻弄された時代、それが「昭和」なのである。


資料

石原莞爾と支那事変
http://gyuhoneko-laboratory.hatenablog.com/entry/2017/04/25/140700

「日米を戦わせよ」1920年のレーニン演説とスターリンの謀略
https://ironna.jp/article/914

2020/04/29(水) 08:05:24 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
昭和天皇の第二次上海事変(その3)過去投稿済


1937年(昭和12年)12月13日

南京陥落

1937年(昭和12年)末

多田駿陸軍参謀本部次長

陸軍参謀本部の日中戦争不拡大と講和への努力

・トラウトマン和平工作

「数多い和平工作のなかでも、日中両国政府の最高指導者部が戦争終結とその条件について、ある程度まで意志を流通させたことが確認できる唯一の例であり、また戦争打ちきりの可能性を残した最後の機会であった」

(秦郁彦 「日中戦争の軍事的展開」『太平洋戦争への道 開戦外交史4 日中戦争〈下〉』(新装版)、朝日新聞社、1987年、34頁)

1938年(昭和13年)

1月11日

(陸軍)参謀本部の要請によって日露戦争以来の御前会議が開かれる。参謀本部は御前会議開催について、「戦勝国が敗戦国に対し過酷な条件を強要する」ことを戒める意味がある、と説明した。参謀本部は最後まで交渉による和平を主張する

(wikiより)

1月15日

 「(トラウトマン交渉)の期限の日の1月15日、午前から大本営政府連絡会議が開かれた。多田参謀次長は、中国の最後的確答を待たずに、挙国一致の決意の不十分なまま、前途暗澹たる長期戦に移ることは絶対にいけない。蒋政権否認を決定するのは本日は保留して中国側の確答を待つべきである旨を強調し、政府側と完全に対立した。参謀総長と軍令部長は皇族であるため、政府側の意見によって両次長が統帥部から列席したのである。

(wikiより)

 杉山(元)陸相は、期限までに返電がないのは和平の誠意がない証左である。蒋介石を相手とせずに屈服するまで作戦を進めるべきであると主張し、陸軍省部の対立を露呈した。
 広田(弘毅)外相は『長い外交生活の経験に照らし、中国側の応酬ぶりは和平解決の誠意がないことは明らかである、(多田)参謀次長は外務大臣を信用しないか』と述べ、米内(光政)海相は『(近衛文麿)政府は外務大臣を信頼する。統帥部が外務大臣を信用しないのは、同時に政府不信任である。政府は辞職のほかない』とつめ寄った。
 (多田)次長は『明治大帝は朕に辞職はないと仰せられた。国家重大の時期に政府辞職云々は何ごとぞ』と声涙ともにくだった」

(防衛研究所戦史室『支那事変陸軍作戦(1)』からその様子を引用)

なお参謀本部は諦めず最後の賭として、昭和天皇への上奏により政府決定の再考を得ようとした。しかし、先に上奏した近衛によって、参謀本部の試みは阻まれた。このような打ち切りに際しては、蒋政権との和平交渉継続を強く主張し、第一次近衛声明の発表を断固阻止しようと食い下がる多田参謀次長に対し、米内海相が大本営政府連絡会議で「内閣総辞職になるぞ!」と恫喝して黙らせたことが知られる。

(wikiより)

1月16日

近衛内閣は「帝國政府は爾後国民政府を対手とせず。真に提携するに足りる新興支那政権に期待し、これと国交を調整して更生支那の建設に協力せんとす」と声明を発した(第一次近衛声明)。

(wikiより)

1938年(昭和13年)12月

多田駿 第3軍司令官に親補される。(満州東部の警備部隊)

1939年(昭和14年)8月

平沼内閣が総辞職し、後継首相は阿部信行大将となった。阿部内閣の組閣時、多田は板垣陸相の後任として陸軍三長官会議で陸相候補に決定した。

(wikiより)

昭和天皇

阿部信行内閣総理大臣に命令

「従来、内治外交ともにはなはだ乱れたるは、その根源陸軍の不統制にあり。卿(阿部信行)は陸軍の長老として諸般の消息しあるべく、またいかなる要点を押さえれば可なるかも熟知するならん。
 朕(昭和天皇)は第一線に立ちてこの問題の解決に当たる決心なるをもって、卿これを補佐せよ。陸軍大臣は畑(俊六)、梅津(美治郎)両人の中より選任せよ。要すれば朕は畑を手放さん(当時、畑俊六は侍従武官長だった)。卿は梅津にて陸軍がこぞりて推薦できうるよう試みよ。
 また朕は内務、大蔵、外務、司法各大臣の詮衡(せんこう=人物などを調べて選び出す)には深き関心を持つ」

(『高木日記』1939年8月30日、高木惣吉は当時、海軍省官房調査課長 )

天皇自ら陸相を指名したことは「事実上の親政宣言」とも言える

(古川隆久 『昭和天皇』 中央公論新社〈中公新書〉、2011年、229-253頁)

「(多田駿陸軍参謀本部次長ら)石原(派)こそは、日中戦争不拡大派であり、この時天皇の支持すべき陸軍軍人であったのだ。その石原派で、最も日中戦争の拡大に反対していた多田の陸相就任を天皇が潰したのだった。またしても歴史は皮肉というしかなく、多田が陸相になっていたらというイフは残り続けるであろう」

(筒井清忠 「天皇指名制陸相の登場」『昭和史講義2―専門研究者が見る戦争への道』 筒井清忠編、筑摩書房〈ちくま新書〉、2016年、214-215頁)


まとめ

日中戦争不拡大派の多田駿が陸軍大臣の候補となったと聞いた昭和天皇は「陸軍大臣は畑(俊六)、梅津(美治郎)両人の中より選任せよ。」と阿部信行首相に命令して多田駿の陸軍大臣就任を阻止したのである。

大日本帝国憲法における統治の前提として天皇は国務大臣を直接指名しない。そのような制度にすると、その所管で何かしらの失敗や問題が発生した場合、任命者である天皇の責任を問われるからである。従って、国務大臣の任命は推挙があった者を天皇が認可するにとどめられていた。

天皇が「朕は第一線に立ち」と表明し直接陸軍大臣を指名したということは「事実上の親政(親政とは天皇自ら政治を行うこと)宣言」である。それは後醍醐天皇の建武の新政(親政)以来の出来事であった。重要なのはそうすると、その陸軍大臣によって行われた国家行為に関して天皇が責任を負わなければならない、ということである。

日中戦争の始まりである第二次上海事件における陸軍部隊の上海派兵決定に続き、大日本帝国憲法の制度をないがしろにしてまで日中戦争不拡大派である陸軍参謀本部次長であった多田駿の陸相就任を阻止した件について、昭和天皇には日中戦争において重大な責任があるとしか言えない。それにも増して、そこまでするということは多田が陸軍大臣に就任して「日中戦争を止めなければ大臣を辞任する」と圧力をかけられると何か困ることでもあったのか、との疑念は尽きないのである。


資料

多田駿 Wikipedia
トラウトマン和平工作 Wikipedia
阿部信行 Wikipedia
輔弼 Wikipedia

昭和天皇の“御親政”
http://blog.livedoor.jp/kodama1872/archives/51392928.html

2020/04/29(水) 08:06:59 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫! #- [ 編集 ]
上の基地外へ
朝っぱらから気持ち悪い長文を投稿するんじゃない!今日の10時までに
全部削除しろ!これは法令に基づく命令だ!
2020/04/29(水) 08:55:28 | URL | パスタ買いだめパヨクはそのうち捕まるから大丈夫 #PMoz9hdc [ 編集 ]
もう一匹の基地外ストーカーパヨク業者=ew何とかは今日の17時までに貴様を逮捕しに行くから、首を洗って待っていろよ、ゴミ虫。
2020/04/29(水) 08:58:05 | URL | パスタ買いだめパヨクはそのうち捕まるから大丈夫 #PMoz9hdc [ 編集 ]
千葉市在中、69歳、男性、会社員です。毎日渾身のブログを有難うございます。

この題のブログ、読んだ方はどなたも熱いものがこみ上げてくるのではないでしょうか。 そこには感謝という心に訴えるものが。

お願いがあります。来年のこの題のブログの結びの言葉に、「陛下、有難うございました!」を復活していただけないでしょうか。

読みながらこみ上げてくるのを我慢しながらの、「東北、北海道がこれからである」というお言葉、そして「陛下、有難うございましたました!」。 思わず落涙を抑えきれないのではないでしょうか。

日本人なら感謝の気持ちで一杯になります。 落涙したら、きっとこの言葉が心に残ると思います。 それこそが今の日本人が望んでいるのではないでしょうか。

今後も熱い、厳しい、時に優しい、いつものブログを宜しくお願い申し上げます。
2020/04/29(水) 08:58:35 | URL | 寺島 孝 #- [ 編集 ]
常連の皆様へ
もう一匹の基地外パヨク業者=パスタ買いだめ
パヨクにも、灸を据えてやって頂けないでしょうか?
それと、パスタ買いだめ基地外パヨクは、今日の10時までに長ったらしい誹謗中傷コメントを全部削除しなかったら、貴様のアジトを「消毒」しに行くぞ。糞蛆虫パスタ野郎。
2020/04/29(水) 09:05:06 | URL | パスタ買いだめパヨクはそのうち捕まるから大丈夫 #PMoz9hdc [ 編集 ]
経団連なんかにやらなくてもいい
旭日大綬章に榊原定征氏 外国人でビル・ゲイツ氏 春の叙勲
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6358434

日本のコンピューターソフト『トロン』を潰したと言われている方ですけど
原爆落とさせたアメリカ将校に勲章あげちゃう天皇家だからね。無理もない!


どうしてもカーチス・ルメイの勲一等旭日大綬章を思い出す
2020/04/29(水) 09:21:36 | URL | memo #cQkO275U [ 編集 ]
memoもコメント禁止
パヨク予備軍のmemoもコメント禁止。これまでに何度も「コメント禁止」と言っているのにまるで聞く耳を持たない。大変しつこい。常連でないくせに目立ちすぎている。ewやパスタパヨクと同じ目に遭いたいと思っているのだろうか。
2020/04/29(水) 09:29:43 | URL | パスタ買いだめパヨクはそのうち捕まるから大丈夫 #PMoz9hdc [ 編集 ]
昭和の日
昨夜から玄関に日の丸を掲揚しています。
2020/04/29(水) 09:40:29 | URL | 憲坊法師 #4N.WTMIs [ 編集 ]
左翼歴史家と昭和天皇
昭和天皇を称賛する回には、毎回ケチをつけにやってくる気持ちの悪いやつら。

実は、こいつらは過去に大勢いた極左の歴史家の手法をそのまんま使っているだけだ。

共産主義者の歴史家が使った常連者の手口は、「昭和天皇がこんな発言をした」という
膨大な伝聞のなかから、悪意をもって一部をつまみ食いし、切り取りして
あーだ、こーだと印象操作をやるという手口であった。

典型的なのは、「昭和天皇は平和主義者でなく好戦主義者であった」と印象操作する手口である。

だから、歴史というのは広い視野で全体を見る必要がある。
要はこういうことだ。

昭和天皇は立憲君主に近いといっても、すぐれた帝王学を学んでいるのだから
国政に無関心ではありえない。
当時の世界では「軍事」は君主にとって国家の死活を左右する重大事であった。

そのため、昭和天皇は軍事関係にも強い関心をもち、その分野でもときに積極的発言をされている。
もちろん大部分は「これは本当か、こういう意見があるがどう思うか」などの、いわば「探り」である。

そのなかには間違った情報や判断もあったかもしれない。

しかし、ここからが重要なのだが、

そこまで軍事と軍人に強い関心をもちつづけたからこそ戦争末期にも強い権威を維持し、
軍部に影響力を与えて戦争終結に導くことができたのだった。

ただし、昭和天皇は意見を述べるだけで強制はせず、立憲君主の立場を維持された。
というのは田中儀一を叱責したことで「田中儀一の辞職は宮中の陰謀だ」というデマが流され、
それ以降は政治への介入に慎重になったからであった。

軍事への洞察がなければただの平和主義者など非力であり無用の長物だ。
もし、戦争反対だと言って昭和天皇が隠居でもしていたら、終戦時にリーダーシップを
発揮しようとしても相手にされないか、暗殺されたに違いない。

つくづく極左どもは平和な国家の排泄物に寄生するウジ虫みたいなもので、無責任に情報の
切り取りだけをやって社会を混乱させる。

南京大虐殺件キャンペーンは朝日新聞の本多勝一が「中国にいったら中国共産党が用意して
くれた証人が準備されていて、その聞き取りだけ記録して朝日で垂れ流しすればよかった」
というように、

朝日の従軍慰安婦騒動でも、「吉田清治や自称元慰安婦の証言さえ垂れ流せばよかった」

極左の歴史家どもは「悪意をもって、元日本兵のザンゲ話を聞き取って垂れ流せばよかった」」

たとえば最近のコロナ報道では、テレビ朝日の玉川という人物が、「テレビ局が用意したスタッフ
の言うことを垂れ流していればよかった」と考えているに違いないように

極左どもは、ただ悪意をもって、情報を選別し切り取りし、捏造を適当にごちゃまぜにして
日本人をだまそうとする。
それが、深いところでは彼らのドス黒い金もうけ欲や名誉心につながっているのだろう。

朝日新聞など本当に悪質きわまりない。
いかに情報を巧妙に切り取り、狂ったように拡散して日本を戦争にむかわせたか。

そして、戦後は何事もなかったように開き直り、また全然違う方向にむかって無責任な情報を垂れ流した。

そして極左どもは(まるで示し合わせたように)
「戦争しかない」と国民を洗脳しまくり、戦争末期には一億玉砕や竹槍戦法を煽りたてた朝日新聞などの
おぞましい犯罪を免罪しながら、命をかけて戦争終結にむけて動いた昭和天皇を
「もっと早く動けば被害は小さくすんだはず」と(批判というより)罵倒しながら(極左がろくに相手に
されないという左翼にとって不遇の日本社会で)鬱屈したストレスをひたすら発散してきたのだ。

こんな、ろくに社会経験のないゴキブリどものたわ言を真に受けるのは子供だけだ。
だから、日教組など極左どもは子供を洗脳することに将来をかけたのだ。
2020/04/29(水) 10:19:22 | URL | 反左翼 #- [ 編集 ]
普通の現代日本人のほとんどが教えられてないこと
昭和天皇の玉音放送を阻止しようとして近衛師団長などを暗殺した軍関係者たちは、
なぜそこまでして徹底抗戦を呼びかけたか。

それは、戦前までの世界におけるパラダイムを理解しなければ到底理解できない。

教科書は「国際平和秩序ができつつあったのに日本が挑戦し破壊した」かのように教えるものもあるが、
当時の日本国民が教えられていたのは、直近の50年間の歴史だった。

アメリカはフィリピンを巧妙にだましてスペインと戦争をさせて独立させた後に植民地にした。
抵抗するフィリピン人は拷問にかけられた。
50万人以上のフィリピン人が餓死などを含めて犠牲になった。

「アメリカはフィリピン独立運動の指導者エミリオ・アギナルドに勝利の暁に独立させると約束して
背後からスペイン軍を襲わせた。しかし、スペイン降伏後アメリカは、フィリピン独立の約束を反故にして植民地にし、
アギナルド率いる独立軍1万8千人の掃討を始めた。
米上院に報告された数字では米軍は1902年までの4年間で20万人を殺害した。 」

米比戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/米比戦争

日本で有名なマッカーサーの父親がフィリピン侵略の当事者であった。

そして、また朝日新聞など日本のマスコミどもはバカだから、こういう情報だけを熱心かつ一面的に配信した。

だから、日本の大衆は「アメリカ人は鬼畜だ」と考えるようになった。

そして、そういう状況を日米戦争をやりたがっている連中に悪用された。

アメリカ人にも人道的な人間もいれば異常な人間もいるというリアリズムを啓蒙しなかった。

戦後のマスコミは、また左翼どもの陰謀にひっかかって「中国共産党は民主的、中国人は善良だ」などという
一面的情報だけを流した。

マスコミが一面的情報を流すのは、「こういう面もあれば、ああいう面もある」などという複合的な情報を流せば、
なーんにも世論を一色に染め上げることができずに、
情報を自分で咀嚼できないアホどもから「要は何を言いたいのか」と詰め寄られて
なんの威厳も無くなってしまうからだ。
2020/04/29(水) 11:02:23 | URL | 反左翼 #- [ 編集 ]
Wikipedia は嘘ペディア
Wikipedia は全知全能の神が書いたのではない。

支那チョン、パヨクは悪意を持ってプロパガンダを書いている。

Wikipedia は、あちこちで嘘ペディア

Wikipedia は、今日も明日も嘘ペディア
2020/04/29(水) 11:47:35 | URL | さよならサヨク #- [ 編集 ]
昭和天皇の孤高
普段は冷静な昭和天皇が激怒されたことは何度かあることが知られているが、

あまりに気の毒だったのが、
側近の人が「私が仕えてきたなかであれほどの激怒の声を聞いたのはそれ一回だけだった」
と証言する出来事である。

それは、昭和天皇がおひとりでテレビ鑑賞をされている部屋から聞こえてきた怒りの悲鳴である。

それは、どうやらNHKのドキュメンタリで226事件に関する番組らしく、澤地久枝などが
当時の関係者などを罵倒しまくっていたらしい。

NHKの極左ディレクターどもが極左の自称歴史家とグルになって
印象操作やりたい放題の番組をつくっていたので、
そのいい加減なレッテルばりと乱脈ぶりに激怒されたのだろう。

それでも、昭和天皇はその怒りを誰にぶつけることもできないし、
生き証人として原稿に反論を書くことも一切できなかった。

なぜなら天皇という存在は神がかり的な中立性をもとめられているので、
天皇といえども、ひとりの人間の肉眼で見えたに「すぎない」ことにこだわり過ぎてはいけない。

こだわると、そこから想定外の副作用が発生するからである。
(昭和天皇の独白録という側近の記録メモも廃棄されるところを偶然発見されたのである)

上皇陛下が比較的、社会的発言をされる傾向があるが、あれもメディアに悪用されるから危ういのである。

そうした関係者の沈黙をいいことにして、
「お前、邪推するくらいしか取り柄がない人間だろう」というような無能な言論人が
出版物やメディアで非常にはびこった。

「昭和天皇の沈黙は、犯罪者の頬かむりと同様だ」と極左どもが罵倒のかぎりを尽くした。
レベルは「ノストラダムスの予言」のベストセラーと似たようなものだが、
クソマスコミが不自然に持ち上げて、非常に氾濫した。

そうした状況のなかで、ただ私情を超越して、
ひたすら日本の発展と日本人の幸福を祈り続けておられた昭和天皇は偉大だ。

特にご病気になられてからの、「昭和天皇のせいで原爆おとされた」の言論ブームを
「ここぞとばかり」に狙ってつくりあげた極左どもの嫌がらせはかなり残酷だった。

米国による原爆投下を非難しながらGHQににらまれてコロッと方針転換した朝日新聞ども極左は、

(その筋違いの恨みをはらさんとするばかりに)
「原爆は昭和天皇のせいだ」と極左のキャンペーンに便乗して卑劣な商売を謳歌した。

時局に便乗するしかないクズどもが氾濫するなかで昭和天皇の孤高はひときわ輝く。
重要なのは、日本人がクズどもの洗脳にやられず真実をちゃんと語り継ぐことだ。
2020/04/29(水) 11:48:37 | URL | 反左翼 #- [ 編集 ]
>昭和天皇が硫黄島に行かれた時、硫黄島自体がお墓だからとおっしゃり、靴をお脱ぎになって上陸された。

>ちなみに小沢一郎は普通に靴をはいていたそうだ。


おざーは、赤の申し子、全共闘世代( 一一)。


>2020/04/29(水) 08:06:59 | URL | パスタを買いだめしてあるから大丈夫!


 ほ~~~、久しぶりだな( 一一)。
 

****
(訂正追貼り→ )「西」安事件の結果、抗日統一戦線が成立し、蔣介石が実権を失ったことはわが国にとって大きな痛手でした。

 この事件によって、日中の和平の可能性も、共産党勢力を撲滅する可能性も、完全に失われてしまったからです。

 西安事件の真実を知れば、わが国の中国での行動が侵略行為ではないことが一目瞭然になります。

 日本との戦争を望んでいたのは国共合作が成った中国でした。以後、1937年7月の「盧溝橋事件」を嚆矢(こうし)に、「第二次上海事変」「南京攻略」等々日中の軍事衝突が続くことになるのですが、事変不拡大を目指すわが国政府の和平方針はことごとく蔣介石に拒否されることになりました。


 ちなみに、盧溝橋事件は中国共産党が、第二次上海事変はドイツ軍事顧問団の支援を受けた蔣介石が仕掛けたものです。
 
 わが国は居留民保護のためにも増派しましたが、南京攻略の前に蔣介石に対し和平を提案したのです。

 首都南京攻防戦は無意味であるとして、首都での戦闘を避けるのが目的でした。これが、ドイツに和平斡旋(あっせん)を依頼したいわゆる「トラウトマン和平工作」です。

 駐中国ドイツ大使オスカー・トラウトマンは日本側の和平条件を蔣介石に通告しましたが、蔣介石はこれを拒否します。

 ドイツが仲介役を引き受けたのは日本の和平条件が妥当なものであると判断したからでした。
 
 蔣介石が日本提案を拒否したのは、折から開催予定であった九か国条約ブリュッセル会議に期待していたこともあるでしょうが、蔣介石にあくまで日本に戦うように仕向けたのはアメリカでした。


 後に、“マッカーシーの赤狩り旋風”で名を馳せたアメリカ上院議員のジョセフ・マッカーシーは、蔣介石に日本とあくまで戦いを続けるよう使嗾(しそう)したのはアメリカだったと述懐しています(『共産中国はアメリカがつくった』成甲書房)。

****http://aikokutaro.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

 
 ソ連の助産婦もアメリカの中の赤い人たちですから( 一一)。
  
 アメリカの共和党は違うでしょう( 一一)。
  
2020/04/29(水) 12:26:19 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
腐れパスタよ( 一一)。

自分が勝手に赤いのは構わないよ( 一一)。

しかし、WW2ならずもこのWW3まで、

どうしてこうも、日本全体を【強酸禍】に巻き込むのだ( 一一)。


2020/04/29(水) 12:34:11 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
✨天皇陛下、万歳 🙌
戦前の「君が代」斉唱 / National Anthem of Japan in 1940 

https://www.youtube.com/watch?v=MCRqJIUS-EQ
2020/04/29(水) 12:56:28 | URL | 一般人 #- [ 編集 ]
ewkefcさんのような歪んだ思想の人が多いのは事実…見ていて憤るというより辛くなるというか、悲しくなるというか…。"天皇"という宗教はないし、制度もない。外国の血と欲にまみれた王家と一緒にしないでもらいたい。万物に神が宿るとして大切にしてきた日本人の本来の精神を代々受け継がれた方々だ。外国や日本政府に利用されたことはあっても、国民を愚弄したことや搾取の対象としたことはなかったはずだ。制限のある窮屈な日常の中でご自分のことより国民の安寧を願い続けてくれる。外から入った方々やその身内の中には様々な疑いを持たれている方もいるが、血筋を受け継いだ陛下や殿下は国民が苦しむのを楽しむような外道ではない。
2020/04/29(水) 13:05:27 | URL | 名前を書いてください #- [ 編集 ]
天皇陛下の正月祭祀、四方拝を思い出しました。
ありがたいことです。
2020/04/29(水) 13:41:24 | URL | 名前を書いてください #- [ 編集 ]
***
2020年04月29日11:32


テレビ朝日が確信犯的なコロナ検査デマを拡散して混乱を助長 

解釈の過ちだったと強弁中
http://japannews01.blog.jp/archives/50534473.html
****

解釈?( 一一)?

勝手聞きまつがいじゃないの( 一一)⁇


最後まで赤に抵抗された、昭和天皇陛下と東条英機に、戦後もデマばかり飛ばしてましたよね( 一一)。
2020/04/29(水) 14:39:43 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
***
2020年04月29日03:02


中国の恫喝に屈したEUが報告書の内容を改竄した疑惑が浮上 

欧州報道官は疑惑を必死に否定

2020年04月29日03:02
http://japannews01.blog.jp/archives/50534464.html
****

 今日も赤の恫喝は、元気ですね( 一一)。
2020/04/29(水) 14:53:35 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
橋下徹氏、自粛要請の中、人影激減の都内の映像に「日本国民ってすごいですよね」
https://news.livedoor.com/article/detail/18192646/
2020/04/29(水) 16:03:05 | URL | 名前を書いてください #- [ 編集 ]
日本人有志が、ewとパスタ買いだめとmemoと北朝鮮人民解放軍の悪質パヨク
業者四天王を血祭りに上げる日は遠くない事でしょう。
2020/04/29(水) 16:04:00 | URL | パスタ買いだめパヨクはそのうち捕まるから大丈夫 #PMoz9hdc [ 編集 ]
今日は昭和天皇陛下に仇する
クソ統一教会のキチガイネトウヨ工作員が沸いてるな
バカ女ミロク、捕まるから大丈夫、反左、
死ねよ オマエラ。
2020/04/29(水) 16:29:08 | URL | 名前を書いてください #- [ 編集 ]
やっぱ、極左はゲスバイブのキヨミだね!www
>名前を書いてくださいさん

>今日は昭和天皇陛下に仇する
>クソ統一教会のキチガイネトウヨ工作員が沸いてるな…
>2020/04/2916:29編集URL

そんな印象操作で分断工作を図ろうとしても
無理!無駄!馬鹿!
いい加減もうアキラメロン!
2020/04/29(水) 16:52:24 | URL | 歴史の真実 #QMnOeBKU [ 編集 ]
転送
閲覧注意! 習近平の命令で香港警察が市民を拷問、レイプ、殺害で1万人の死者!







-------------------------
習近平の命令により、香港警察が、
香港市民に暴行を加え、逮捕し、拷問し、レイプし、殺害しています。
昨年からの死者、行方不明者は合わせて10,000以上です。
世界のマスコミは香港警察の惨虐な行為を一切伝えません。
だから私が伝えます。(2020.4.27)
https://twitter.com/beierbang/status/1254828866515820544
-------------------------

日本の歴史には済南事件や通州事件など、シナ人による数百人の日本人女性への輪姦・虐殺事件があるが、日本人がされた被害は学校で教えられることなく、日本人は知らない。

しかし、やってもいない日本兵による虐殺やレイプ、性奴隷が教えられて、その間違った歴史認識がシナや朝鮮に対する日本の甘い考えにつながっている。

しかし民族の本質は時代が変わっても変わらない。

この民族の本質を教えるのが歴史であるが、戦後ずっと教えられることがなかった。

世界中の目が武漢ウィルスに奪われている間、あの「香港」のことは忘れ去られている。

「習近平の命令により、香港警察が、香港市民に暴行を加え、逮捕し、拷問し、レイプし、殺害しています。昨年からの死者、行方不明者は合わせて10,000以上」

以下画像 
閲覧注意!












日本人もかつては同じようにレイプされ虐殺された。

もちろん今の香港は日本にとって他人事ではない。

政治が愚かだと近い将来の日本の姿になるかもしれない。

正しい歴史を知った日本人の共通の危機感はそこにある。

自民党の二階幹事長は、武漢ウィルスで「隣の友好国が困っているのにマスクなどを贈って助けるのは当然だ」と言った。

その後、日本もマスク不足になり、シナで生産開始した日本企業のマスクは全部シナに没収されて日本に入ってこなかった。

シナは日本を友好国などとは思っていないことがわかる。

しかし困った日本に手を差し伸べてマスクを贈ってくれた国があった。

台湾である。

ならば台湾が困った時に我々日本人は台湾を助けたい。

実は、台湾南部で今が旬の嘉義県産パイナップルが、武漢ウィルスでシナへの輸出が落ち込んで、日本に助けを求めてきた。

このパイナップルが日本に輸出されることになった。

第一陣は大阪に出荷されるという。

翁章梁県長は「嘉義の良質なパイナップルを日本の消費者にも食べてもらえる」と喜びを示している。
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/202004190001.aspx

日本の皆さん、このパイナップルを見かけたらぜひ買って下さい。

給付金10万円で買うのもよし。

それが我々の恩返しです。



・・・・・


2020/04/29(水) 16:59:19 | URL | あきあき #- [ 編集 ]
****
2020年04月29日06:32


春節封鎖問題で中国専門家が世にも哀れな自画自賛コメントを連発 

中国を世界の救世主だと言いはるhttp://japannews01.blog.jp/archives/50534467.html?1588145569#comment-56
****

だから、武漢封鎖だけじゃなく、渡航制限が必要だったわけでな( 一一)。


>2020/04/29(水) 16:29:08 | URL | 名前を書いてください

ちみのほうが、今日は、だろ( 一一)。
私は、最近毎日お邪魔しておる( 一一)。

人を信者だの工作員だと思うのは、本人が、それだから( 一一)。


 
2020/04/29(水) 17:00:37 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
金委員長の船を確認か 北朝鮮・元山近くの海岸に・・・(20/04/29)
https://www.youtube.com/watch?v=ySIY_lOcaMc
2020/04/29(水) 17:02:37 | URL | tex #- [ 編集 ]
***
旬の嘉義産パイナップル、日本へ=コロナで中国輸出落ち込み、方針転換/台湾


4/19(日) 12:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200419-00000001-ftaiwan-cn
***
 
 これだね( 一一)。
2020/04/29(水) 17:10:47 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
嗚呼!昭和天皇陛下
 今日はほかの祭日より特別に国旗を掲げる思いに駆られます。
 このアッツ島玉砕後の電報発信の話は、何度聞いても涙が出ます。
2020/04/29(水) 17:40:15 | URL | tbsasahinhk #qauwC6GU [ 編集 ]
****
2020年04月29日17:02


韓国政府が勝手に日本を巻き込んだ国際フォーラムの設立を宣言 

あきらかに米国に喧嘩を売ってる内容だhttp://japannews01.blog.jp/archives/50534479.html

*****
 
 だから、日本を巻き込まないでください( 一一)。
2020/04/29(水) 17:55:52 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
コロナ軽症者の療養に 全国で約1万2000室を確保(20/04/29)
https://www.youtube.com/watch?v=UIvk0ol81Vk
2020/04/29(水) 18:58:31 | URL | 名前を書いてください #- [ 編集 ]
日本人ということ
いつもブログを読ませていただいています。令和初の「昭和の日」は仕事でした。ここ数日はコロナ鬱になり、通勤するのが怖くて涙が自然に流れてしまうという、自分でも驚きの状態になっていたのですが、昭和天皇のお人柄に触れ、心の底から熱い思いが湧き出して「守られている、大丈夫」と、今日は気丈に通勤し仕事をすることが出来ました。
日本人ということだけで、自分を律する思いが歳を重ねるごとに強くなっています。天皇陛下はじめ先人たちから「見られている。見守られている。日本人として誇り高く生きたい」と思います。
自分の弱さに負けそうなときは、このブログを読み返します。
ありがとうございました!
2020/04/29(水) 19:24:41 | URL | 雪だるま #- [ 編集 ]
天皇陛下がおわします日本…。
>「…まだ、東北、北海道地方はこれからである。」

陛下は常に日本全国隅々にまで、
目を配られていたのですね。


ただただ頭が下がり【感謝の思い】が絶えません。

このような生き神様のような天皇を頂く日本人は、本当に幸せです。

他国の王族は、国民を見捨てて逃げまくってますよね。
特に朝鮮の王族は最低!


2020/04/29(水) 20:17:16 | URL | 椿 #- [ 編集 ]
16:29に、NIE世代の糞基地外パヨガキが
湧いてきてるな。ガキでも容赦なく殺さないといけないな、糞パヨク業者は
2020/04/29(水) 20:26:30 | URL | ewkefc○す #HK2IEjfs [ 編集 ]
やっぱり今のガキども=NIE世代のぱよちんは、若くしてパヨク業界に入ってしまう、出来損ないのゴミ屑ばっかりだな。特に16:29の奴
パヨク業者は未成年であっても殺処分あるのみ!
2020/04/29(水) 20:32:36 | URL | ewkefc○す #yti3Gyoo [ 編集 ]
工作員・ネットストーカーに関する情報
16:29のパヨク業者は、「したらば板」というコミュニティーで、
「坂井輝久」という人物に粘着しているネットストーカー業者である。
こやつはネットストーカーの中でもベテランの部類に入る奴で、
知り合いに頼んで1年ほどかけて身辺を調査した結果、共産党の議員や
関連団体から毎月数十万、多い時で百万円近い現金を貰っている事が判明した。
2020/04/29(水) 20:58:31 | URL | ゆとりパヨクによる無許可コピペ・ネットストーカーの被害者 #HK2IEjfs [ 編集 ]

クドカンさん、石田純一さん、ソラ豆琴美さん、そして野球解説者の片岡さんなど、有名人が次々と「アビガンが効いた」と発信してくださったので、今やB層の方の頭の中にも新型コロナウイルスにはアビガンが効果あり、とインプットされていると思います。
残念ながら亡くなってしまった志村けんさんや岡江久美子さんはアビガンを使ってもらえなかったらしい。それも皆さんご存知ですね。
羽鳥慎一モーニングショーで岡田晴恵先生がおっしゃっていたしね。

今の時代、調べようと思えばネットで効率的に調べられるので、一般人だってその気になればにわか専門家になれてしまう。
今や『新型コロナになったらアビガン』は常識になりつつあると思う。

そんな折も折、政府が「新型コロナ治療薬として、5月にレムデシビルを承認する」なんて、空気を読まないどころか重大過ぎる言い間違い?だよね?と思われてしまうようなブッ飛び発言をかましてくれました。
今、全ての日本人がビックリし過ぎて、まだ固まったままの状態かもしれないです。

このネット社会、レムデシビルがどんな薬かっていうのは調べたらすぐバレてしまうからね。
誰もが「レムデシビルじゃなくてアビガンだろうが!」という結論に至ります。

政府、今ならまだ間に合う。
国民の皆さまに頭を下げてお詫びして、「間違いました。レムデシビルじゃなくてアビガン、アビガンでした。わたくしのカタカナの読み間違いで、申し訳ございませんでした。アビガンを5月に承認致します。」と言い直せ。はよ。
2020/04/29(水) 23:18:19 | URL | 母うさぎ #- [ 編集 ]
あら~~~、
世界の英語圏就職苦組が、日本の就職時期、就職体制(一括採用)を、変えたいだけちゃうの~??( 一一)。

9月入学て、欧米は、12月まで1学期、5月までで2学期、6~8月夏休み??( 一一)。

三連休だ、土曜休み、祝日だ、GWだ、全部すっ飛ばしてぶっ通しで授業せんと、間に合わんけど( 一一)??

詰め込みで( 一一)。

まさか、日本の9月入学は、6~8月も授業すんの??( 一一)。

パヨが変えたくても、それで来年度卒業した学生が、卒業した時期に、

どこの人事部も動いてなかったら、誰も就職できんし( 一一)。

それより、国公立?5%しかできてないオンライン授業を、何とかしたらどうなんだよ( 一一)。

県知事さんがた( 一一)。

パソコン配るとか、配線手伝いに行くとか( 一一)。

私学は、速攻でオンライン授業やってんでしょうが( 一一)??

パ☆クンに遅れてるとか言われたくないね( 一一)??

お☆まま( 一一)??。

今受験する大学生を救うことが先決だろうが( 一一)。

企業が大変な時に、なんでそこまで変えてる暇があるんだかな( 一一)。
 
お☆ママが就職時期まで、企業に指示できるとか思ってんの( 一一)??

日本の知識を英語圏が、吸収したいだけだよ( 一一)。

母国語で最終学府までが、あることを、それこそ誇りに思ったらどうなんだ( 一一)。

10代以下はよくわかってるね( 一一)。

***
2020/04/30 TBSテレビ 【はやドキ!】
9月入学制10代以下反対77%

9月に新学期をという議論がスタートしている。
休校が長引き地域によって教育の格差が生まれる懸念が高まっている。
安倍総理は「前広に検討していきたい」と述べた。
日刊スポーツ緊急アンケートでは反対55%、賛成41%。
10代以下は77%が反対しているという。
オンライン授業、国際化、会計年度に言及。
TBSラジオニュースデスク・中村尚登のスタジオ解説。
****https://jcc.jp/news/15896688/

あと、ウジの研究家さんが正論述べてるわ( 一一)。


海外行きたい奴はどうしても行くし( 一一)。
 

ジジババがやりたいグローバル化は、やっぱりもう古い( 一一)。
2020/04/30(木) 09:03:24 | URL | mirokuninot #1wIl0x2Y [ 編集 ]
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