


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180126-00000009-jct-soci
野中広務さん死去、92歳 「影の総理」と言われた自民元重鎮
1/26(金) 18:50配信 J-CASTニュース
野中広務さん(右)が亡くなった(画像は角川新書の「差別と日本人」)
内閣官房長官や自由民主党幹事長など政府や与党の要職を歴任し、政界の実力者として知られた野中広務(のなか・ひろむ)さんが2018年1月26日、死去した。92歳だった。NHKやTBSなどが同日、報じた。
中央政界に進出したのは50代後半になってからだったが、短期間に力をつけて永田町を牛耳り、一時は「影の総理」とも言われた。戦争体験者として「戦争責任」を問い続け、2003年に政界を引退したあとも折に触れマスコミに登場、「憲法9条だけは守ってほしい」と話していた。
■官房長官や自民党の幹事長を歴任
1925年生まれ。京都府出身。旧制園部中学卒業後、大阪鉄道局に勤めたが、召集され、高知の陸軍の部隊へ。約半年で終戦。復員して再び大阪鉄道局に。25歳の時、地元に戻り、青年団活動などに参加。町議、町長、府議会議員のあと、副知事も務めた。
83年、旧京都2区の衆議院補選で当選、57歳で代議士になった。田中角栄氏、竹下登氏とは若いころから面識があり、旧田中派、経世会に属した。
93年、非自民・非共産連立による細川護熙政権が誕生。自民党は野党に転落したが、亀井静香代議士らと共に、細川内閣を倒して94年、自社さ連立の村山富市内閣を実現させるために尽力、短期間で自民党を政権与党に復帰させる。自治大臣・国家公安委員長として初入閣し、「首相の後ろ盾」として存在感を高めた。95年、自民党副幹事長、98年、小渕恵三内閣で官房長官、2000年の森喜朗内閣では党幹事長として辣腕をふるった。
旧経世会の小沢一郎氏とは同じ派閥にもかかわらず険悪な間柄だったが、官房長官の時代に、小沢氏が率いる自由党と自民党との自自連立に関わった。さらに公明党を引き込む自自公連立への道筋をつけ、のちの自公政権につながる安定政権づくりに奔走した。
しかし、01年の小泉純一郎内閣では主流から外れ、郵政民営化などでも対立、「守旧派」として批判される側になり、03年、議員を引退した。
■京都の経験、国政で生かす
剛腕、コワモテの政治家として知られた。1991年、「NHKのドン」言われたシマゲジこと島桂次・NHK会長の首切り騒動で頭角を現す。島氏は大物会長として君臨していたが、態度が横柄ということで霞が関・永田町界隈では反発する向きも多かった。野中さんは、島会長の国会答弁にウソがあることを聞きつけて揺さぶり、辞任に追い込んだ。
「野中は『シマゲジの首をとった男』として一躍脚光を浴び、郵政省やNHKに影響力を持つ族議員としての地位を確立した」(魚住昭著『野中広務 差別と権力』、講談社)。
保守系議員に多い典型的な叩き上げ。その中でも、「京都出身」ということで他の地方出身の自民党議員とは一味違う逞しさがあった。
野中さんが町長や府議のころ、京都では、革新系の蜷川虎三知事が絶対的な権力を誇っていた。1950年から78年まで実に7期連続当選。野中さんは、ときに蜷川府政と手を組み、ときに対峙しながら政治家としての力と技を蓄えた。そして78年、府政を奪還したあとは副知事になり、行政手腕を磨いた。
90年代に自民が野党に転落した時、「皮肉にも私のその(京都での)経験が国政の場で生きることになった」(自著『老兵は死なず』文藝春秋、2003年)と振り返っている。
しかも与党に復帰するために「社会党首相を担ぐ」という離れ技を使う――その老獪さと凄腕ぶりで大物政治家としての評価が高まった。
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■「再び大政翼賛会のようにならないように」
「政治家としての野中さんは多面性を持っていた。激しい闘争を勝ち抜き、『影の総理』とまで言われた権力者の顔。苦しみや痛みを抱えた者への配慮を忘れぬ優しき顔。そして軍隊体験に根ざしたハト派としての顔...」(朝日新聞、2016年4月10日)
権謀術数に長けた老獪な政治家で、自民党の重鎮だったにもかかわらず、時折、何かに突き動かせられたかのようなイレギュラーな動きを見せることがあった。
1997年、沖縄米軍用地特別措置法改正法案が圧倒的多数の賛成で通ったときは、衆院特別委員会委員長の立場だったにも関わらず、「今回の審議がどうぞ再び大政翼賛会のようにならないように」と発言、物議をかもし、議事録から削除された。
2001年の9.11テロ事件を受けて、小泉内閣で自衛隊の海外派遣を認めるテロ対策特別措置法案が採決されたときは、直前に議場を出た。国家の運命を決めかねない重要法案だから、記名採決にすべきだと主張したが、容れられず、棄権することで、起立採決になったことに抗議の意思を示した。
引退後はさらに、大胆な言動が目立つようになる。09年には共産党の機関紙「赤旗」のインタビューに応じて平和について語り、話題になった。17年4月の朝日新聞のインタビューでは、「一番まずかったのは集団的自衛権の行使を認める安保法制をつくり、戦争をできる国にしたこと」「『憲法9条だけは守ってほしい』と言い続けるのは戦争体験があるから」と語っていた。
▼超売国奴!野中広務の売国事例▼

「日本国内で一生懸命吠えても横田めぐみさんは返ってこない」と暴言!
救う会全国協議会ニュース(佐藤勝巳)
平成12年(2000)3月、10万トンのコメ支援が決定された。
家族と我々は、外務省前と自民党本部前で抗議の座り込みを行った。
野中氏は、自民党本部裏口から逃げ出した上、「日本国内で一生懸命吠えても横田めぐみさんは返ってこない」(3月29日島根県での講演)と、家族の涙の訴えを動物と同じ「吠える」という表現を使って貶めた。
このような人物は、国会議員としての適性を欠くものと考える。
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ヽヽ: : : : : : : : . / ~'ー'" ' / | 日本国内で一生懸命吠えても
ヽ ヽ : : :i : : : : i " ,,,,,,,,;__,、 、 ',:'< 横 田 め ぐ み な ん か
ゝ ヾ ゝ y ' ∠-‐'ーゝ ; :/ | 帰って来ないんだよ!
ヽ, \ ヽ 、`ゞニニン ノ ,:" \____________
ヽ `ヽ、ヾ ,. ' /\
ヽ `ヽ、ー-‐‐--'''"
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/-ニニヘヾヾヾヾヾヾヾヾヾヾ`ー-、
./ー二㌃ `゛ `゛ ゛`ヾヾヾヾヾヾヾヾ、シナヘ
仁一彡 ゛、ヾ、ヾヾ ゛ヘイ〃メ入
f‐ニ=ツ ,.' - 、 __ チ彡ニ┤
!彡ニヽ ` ー -- 二 _ー_-- 三ニ-}
V;〃ラ /〃ニー  ̄ メ二ーヲ
ハテj ,. ニ、 、 、tヘヾi、 ヾミニソ
.l. レ < (・) > .; .;:' ,.= 、 lミ,‐ヲ
! l 、  ̄ ,! .i < (・) > レ' ノ
l ト 、 ` '"´ ,! l 、  ̄ , : ,j
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', ゛、"ー-ニニニ=ヽ ,.' / 「帰ってくる訳ねーだろうが」
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` ー--一''''"´
野中広務は、「南京大虐殺」の嘘出鱈目を言い触らした!
http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008121301000404.html
後援会員が「殺した」と告白 南京占領71周年で野中氏
2008/12/13 17:56、共同ニュース
旧日本軍の中国・南京占領から71年になる13日、市民団体が「南京事件71周年集会」を東京都内で開き、野中広務元自民党幹事長が講演で、1971年に後援会の人たちと南京を訪れた際、日本軍兵士だったという1人が「女子供を百数十人も殺した」と告白したエピソードを紹介した。
「子どもと教科書全国ネット21」など主催で、約300人が参加した。
野中氏の講演によると、後援会員は南京を占領した部隊の一員。野中氏らと訪れた城壁の近くで突然倒れ「体がガタガタ震え、地の底に引き込まれる気持ちになった。やってはならない(ことをした)中にいた当時を思い起こし、居たたまれなくなった」と説明。
この後援会員は「占領した市内の点検を命じられ大きな土塀の家を調べたところ、中は女子供ばかりだった。上官に報告すると、『その中に便衣隊(民間人を装った軍の部隊)がいるんだ。皆やっちまえ』と言われ、目をつぶって、恐らく百数十人を全部殺してしまった」と話したという。
野中氏は「規模は分からないが、異常で非人間的な事態があったことを、その人を通じ知ることができた」とし「国の将来を思う時、歴史に忠実でなければならない」と訴えた。
誤解の無いように、上の共同ニュースが報じた野中広務の講演にツッコミを入れておく。
>この後援会員は「占領した市内の点検を命じられ大きな土塀の家を調べたところ、中は女子供ばかりだった。上官に報告すると、『その中に便衣隊(民間人を装った軍の部隊)がいるんだ。皆やっちまえ』と言われ、目をつぶって、恐らく百数十人を全部殺してしまった」と話したという。
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
案の定、野中広務は、この後援会員の氏名も所属部隊も述べていない。
匿名証言の証拠力はゼロだ。
南京大虐殺事件について
(一部抜粋)
質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか。
回答6:
そのとおりです。
証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。
それと、野中広務の後援会員の証言部分には、すぐに判る嘘が少なくとも2つある。
まず、日本軍が南京を占領する前に、南京に残った約20万人の一般市民は全て安全区に避難していた。
したがって、この野中の後援会員が話したというように「日本軍が占領した市内の点検をしたら大きな土塀の家の中に女子供ばかり百数十人居た」などということは有り得ない。
1937年
12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令
南京市長や支那軍司令長官の命令に逆らって一般市民が危険な場所に残っていたということはない。
この頃、支那軍は、自宅から即時立ち退きを命じ、従わない者を反逆者とみなして銃殺し、支那軍の計画を妨害すれば家を焼き払っていた。
1937年12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。(関連記事)
次に、安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われており、野中広務の後援会員が言ったような事はなかった。
野中が本当だと言い張るなら、その後援会員の氏名と所属部隊を明確にするべきだ。
日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。

また、兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」(関連記事)
2012年9月、頭がおかしい売国奴の野中広務は「中国中央電視台」(CCTV)に登場し、支那で反日暴動テロが起こったことについて、なぜか支那人たちに謝罪した!

――――――――――
■動画
野中広務氏、日本人として中国人へ心から謝罪
https://www.youtube.com/watch?v=FidzXn2-ZSI
こんな不幸な事件が起きたのは、まったく日本の人間として恥ずかしいとこのように思って、中国の皆さんに大変申し訳ないと言うように心からお詫びを、かかわってきた一人としてお詫びを申し上げる次第です。
やっぱりね自民党も或いは民主党も非常に国の為にどうするか、そして国民の為にどうするか、そのためにどんな国を作るんだ、そのために周辺国とどのように大切に平和を守っていくか、これが国家を担う政治家の責任やなければならない、それが分からないでみんな自分の選挙に勝つために何か点数を上げよう、こればっかり考えてる。
これが日本の情けない悲しい思いです。私は。
間違ってます。だから、あの人たちは若い。
長い間戦争で多くの犠牲を残し、今なお傷跡が癒えてないその中国に対して歴史を知らない若い人たちはそういうことを抜きにして一つの対等の国としてやってるんです。
それは間違ってます。
――――――――――
なぜ支那人が反日暴動テロを起こしたことについて、野中広務が支那人たちに謝罪するのか?!
狂っている!

山東省青島のトヨタ販売店

山東省青島のパナソニック工場

ジャスコ

ジャスコ

「宣戦布告せよ!」と叫び、「核攻撃により日本の野良犬どもを絶滅させよ」と書いた横断幕を公然とかかげている!

アウディの販売店で横断幕
「中国が墓石になろうとも、我々は日本人を絶滅させなければならない!我が国を破壊せざるを得ないとしても、魚釣島を取り戻さねばならない。」

■動画
野中広務氏、日本人として中国人へ心から謝罪
http://www.youtube.com/watch?v=FidzXn2-ZSI
野中広務
「こんな不幸な事件が起きたのは、まったく日本の人間として恥ずかしいとこのように思って、中国の皆さんに大変申し訳ないと言うように心からお詫びを、…申し上げる次第です。」
「これが日本の情けない悲しい思いです。…長い間戦争で多くの犠牲を残し、今なお傷跡が癒えてないその中国に対して歴史を知らない若い人たちはそういうことを抜きにして一つの対等の国としてやってるんです。それは間違ってます。
野中広務は、尖閣諸島を日本の領土とは認めていない。
2013年6月3日、野中広務は、支那を訪問し、「沖縄県・尖閣諸島をめぐる問題の『棚上げ』について日中双方の合意があった」と嘘を吐いた。

2013年6月、野中広務は、支那に招待され、ノコノコと支那に出向き、「尖閣諸島の領有について棚上げの合意があった」と嘘を吐き、自分のことを「生き証人」だと嘘を重ねた。(詳細記事)

野中広務は、【在日韓国人のための介護施設(老人ホーム)「故郷の家」】にも、深く関与した!
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15592/20150319/kokyo-no-ie.htm
多文化共生の介護施設「故郷の家・東京」着工 2016年秋のオープン目指す
2015年3月19日11時34分、Christian Today
多文化共生のための介護施設「故郷の家・東京」の着工記念式典が17日、東京都港区の韓国領事館で行われた。2016年秋のオープンを目指して工事を進める。式典には、鳩山由紀夫元首相や野中廣務元官房長官、韓国からは柳興洙(ユ・フンス)駐日大使など多くの著名人が参加した。
(中略)
関東初の「故郷の家」として、江東区塩浜に建設される「故郷の家・東京」は、2016年秋のオープンの予定。
>式典には、鳩山由紀夫元首相や野中廣務元官房長官、韓国からは柳興洙(ユ・フンス)駐日大使など多くの著名人が参加した。
●関連記事
在日韓国人の介護施設「故郷の家」に日本国民の血税8億円を投入!式典に鳩山由紀夫や野中廣務が参加
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-5768.html


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テーマ:サヨク・在日・プロ市民 - ジャンル:政治・経済
もう忘れていたくらいの存在ですが、御冥福をお祈りします。
【TPP】河野太郎外相「TPPの中身を変えるつもりはない」 復帰示唆のトランプ米大統領「有利な協定なら」発言を一蹴
http://news.livedoor.com/article/detail/14212266/
《 河野太郎外相は26日午前の記者会見で、トランプ米大統領が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関し、米国に有利な条件付きでの復帰を示唆した件について、「すでにTPPの中身は決まっている。これを変えるつもりはない」と述べ、米国に有利な条件の付与は行わない考えを示した。米国のTPP離脱後、日本を含む11カ国は米国の復帰を念頭に置いた新協定で大筋合意しており、3月に南米チリで署名式を開催する。こうした経緯を念頭に、河野氏は「TPP11をしっかり発効させていきたい」と強調。一方で「ぜひ米国には戻ってきてもらいたい」とも強調した 》
野中広務氏は要職に就けてはいけない人物でした。
故に、引き上げた人物も弾劾されるべきです。
昔は”総理の器”という言葉があり、強要・胆力の無い人物は要職には就けないのが常識でした。
田中曽根内閣と揶揄された中曽根内閣以後、それが崩れ、
1994年の小選挙区導入により崩壊した感があります。
依存症の独り言
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2013/06/post-9326.html
(引用開始)
なぜ野中は、こういう売国奴としか言いようのない言動を続けたのか?
しかも、同盟国である米国から「ならずもの国家」と名指しで非難されていた北朝鮮に対して、なぜ特にそうなのか?
それは、下の記事を読んでもらえば解る。
ただ、少々長いので、結論を先に書いておく。
野中は、武装闘争路線時代の日本共産党員だった。
そして、その時に朝鮮人の共産党員(後に朝鮮党員)が野中の同志だった。
以下の記事はそう結論付けている。
記事内のX≒X'は間違いなく野中であり、S町とは京都府園部町のことだ。
そして、「最下層民の出身」は被差別部落民を意味する。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
実は、1950年頃まで日本共産党にいた人物が、のちに保守政界に転向して大出世した、という事例が、上記の『マンガンぱらだいす』(風媒社95年刊、p.234)に紹介されている。固有名詞は伏せてあったが、だれを指しているかは、筆者にはすぐにわかった。
著者の田中は、けっして反共右翼ではなく、どちらかといえば左翼的、親北朝鮮的な主張の持ち主であり、上記の著書も、べつに共産主義者や北朝鮮や某転向者をおとしめる目的で書かれたものではなく、むしろ朝鮮人や共産主義者への共感のにじみ出たノンフィクションだ。
それだけに、この本の「転向者」の下りは信用できる。
筆者は小説『ラスコーリニコフの日』を執筆するにあたって、「なぜ、95年の国松警察庁長官狙撃事件は8年後のいまになっても、まったく解明されないのだろう」と様々に仮説を立てて考え、仮説の検証に役立ちそうな資料を探すうちに、上記のノンフィクションに出会った。
そして、絶句した。
日本の政治家が、とくに(左翼系でなく)保守系の多くの政治家が、なぜ北朝鮮に弱腰なのか、という疑問が一気に氷解した。
テロや拉致で、何千人もの同胞の人権が侵害されても殺されても、日本の政府と国民は異様なほど北朝鮮に寛大で、事件の解明、犯人の処罰、経済制裁や外交制裁を十分にしないだけでなく、北朝鮮を援助し、国交を結ぼうという世論すら少なくないが、その理由はこれだったのか、と一瞬思った。
自国民が(国交のある)外国からテロや拉致の被害を受けたら、「加害国」とは国交断絶するのが普通なのに、逆に国交を結ぼうなどと考える政治家やジャーナリストが大勢いる国は、世界広しといえども、日本ぐらいしかあるまい。
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今回紹介したX'の「容共」時代の活動はいずれも、合法的な活動の範疇にとどまっている。彼自身が認めている(あるいは、府議会の公式記録に残っている)のだから、当然だが、思想的にここまで無節操だとわかると、政治家として表舞台に出る前、つまり、終戦直後に日本共産党の党員だったとしても不思議ではない。
X'にとって、もっとも重要なものは政治的な主義主張ではなく、前回紹介したように、S町で幼少期に得た期待と優越感であり、S町同郷人の(「最下層」民としての?)連帯感(組織票)なのだ。郷土の期待を実現するために(故・竹下登元首相に負けないために?)右であろうと左であろうと立身出世(権力獲得)のためなら平気で尻尾を振る、文字どおり「右顧左眄」の姿勢こそが、政治家X'の本質だ。
言い換えれば、彼は心理的には、日本国にも保守政界にも自民党にも属しておらず、ただ「郷土」(S町)のみに属し、「郷土の代表」(町一番の高学歴)というペルソナを最優先にして生きているのだ。
もしも「X=X'」なら、終戦の頃、X'と日本人共産党員と朝鮮系共産党員(のちの朝鮮党員)は、同じ「日本共産党」に在籍していた「同志」ということになる。これについてX'および現在の日本共産党、朝鮮党の3当事者はそろって口をつぐんでいる。
志位も、上記のように府議会議事録を使ってX'を攻撃するのもいいが、そんなものより、自分の党の過去の活動記録を公開すれば、簡単にX'の息の根を止められるのではないか?
それをしないのは、古すぎて資料が残っていないか、あるいは、当時の日本共産党が武力闘争(現代語で言うと「テロ」)をしており、そこに触れられるとまずいからか、のどちらか、ではあるまいか?
公表されているX'の、終戦直後の足跡と、当時の左翼の武力闘争(テロ)の実態を付き合わせると「接点」が浮かび上がる。次回は、X'(=X?)に非合法活動を行った過去があるか否かに迫りたい。
念のために確認しておくと、共産思想を持つこと自体を非合法化した治安維持法は終戦後、米占領軍の統治下で廃止されている。したがって、それ以降、X'が田中好代議士の秘書になる1953年までの期間に隠すべき「非合法活動歴」があるとすると、それは思想犯ではなく、ほとんど、暴力的破壊活動以外にはありえない。
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田中宇 『マンガンぱらだいす』(風媒社95年刊)が指摘する、終戦直後日本共産党にいて(自身は日系日本人だが)当時の朝鮮系共産党員(のちの朝鮮党員)と行動をともにしていた、95年現在「バリバリの自民党(国会議員)」を「X」とする。そして、Xとよく似たプロフィールの超大物政治家を「X'」とし、このシリーズでは両者が同一人物か否か(X=X'かX≠X')を検証している(なぜ人名の特定に慎重なのかは「タブーを破るための4項目」を参照)。
『マンガン…』は、50~52年頃、日本共産党を上部組織とする組織、在日朝鮮人連盟(朝連)や在日朝鮮統一民主戦線(民戦)に参加していた在日朝鮮人らの証言を載せている。その1人、マンガン鉱山者のイ・ジョンホ(李貞鎬)によると、「(95年現在)自民党国会議員のXも、当時はバリバリの共産主義者」で、京都府S町の細胞(暴力革命の行動単位)のキャップだったので、Xと一緒に細胞会議をしたこともある、という(田中前掲書p.234)。
元共同通信記者の魚住昭によると、X'の父は、最下層民の出身(ながらS町でほとんど唯一の自作農で、比較的裕福)だったので近郷近在で、元受刑者や朝鮮人の「救済活動」に熱心だったようだ。S町周辺にはマンガン鉱山がたくさんあり、そこで働く朝鮮人は貧しかったので、彼らの娘をX'の父はX'の弟らの子守りに雇ったという(講談社『現代』(03年3月号p.94)。
つまり、田中と魚住の取材はぴたりと符合して、矛盾がない。よって、99%の確率で「X=X'」と判断できる。
そのうえで田中の『マンガン…』を再度読むと、Xと細胞会議をともにした李貞鎬は、上記の年表のとおり鉄橋、弾薬庫、ダム(発電所)などの爆破テロを計画していたことがわかる(田中前掲書p.233-235)。
李貞鎬は、テロ計画にXが参加していたとは明言していない。が、当時の日本共産党は武力革命(テロ)を起こすと宣言しており、Xが細胞のキャップなら、テロ計画に関与しなかったはずはない。
とくに鉄橋爆破計画の場合は、関与しないほうが不自然だ。
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京都府北部には、戦時中日本海に面した重要な軍港だった舞鶴港があり、朝鮮戦争が始まると、そこから軍需物資が搬出され、朝鮮半島に上陸した米軍に補給された。そこで、当時京都府内にいた在日朝鮮人の共産主義者らは、米軍と戦う北朝鮮軍の支援には、米軍用の物資搬出を阻止するのが最善と考え、舞鶴港に物資を運ぶ山陰線の、鉄橋爆破を計画した(田中前掲書p.234)。
X(=X')は、弟の子守りを「マンガン鉱山者の朝鮮人の娘」にしてもらっていたのだから、人脈的には李貞鎬らの共産主義者と相当に近く、李貞鎬が鉄道テロを計画する場合、Xに相談しないのは不自然だ。
というより、鉄道の仕事に就いたことも、軍隊で物資輸送を務めたこともない「素人」の李貞鎬が(弾薬庫やダムと違って鋼鉄でできていて頑丈な)鉄橋の爆破などいう、鉄橋の構造や軍需物資輸送の重要性を知り尽くしていないと不可能なテロ計画を発案するとは考え難い。素人なら、鉄橋よりも爆破しやすい、平地の線路や駅の攻撃ぐらいしか思い付くまい(たとえば52年の青梅線のテロ犯は、貨車の暴走しかできなかった)。が、鉄道のプロであるX'は「それでは、すぐに復旧してしまうので、米軍の物資輸送にダメージはない」と判断できる。
また(日本軍は米軍と違って物資輸送を重視していなかったから第二次大戦に負けた、という説もあるくらいで)「物資輸送を断てば米軍に勝てる」などと発想する者が、当時の日本の「民間人」にはほとんどいなかったことも、徴兵経験のあるX'の関与をうかがわせる。
他方、終戦後大陸でソ連に抑留され(共産思想に洗脳され)た日本兵捕虜のなかに、南満州鉄道((満鉄)の者が多数含まれており、彼らが復員してくると日本政府は失業対策の意味もあって次々に国鉄で雇い入れた。このため国鉄の組合は極左暴力思想に冒され(上記の渡部の指摘のように)戦後は違法ストを繰り返し扇動する共産圏のスパイや過激派の温床となった。
こうした事情から、鉄道テロは、終戦直後から左翼の有力な闘争手段だった。52年の青梅線貨車暴走事件もこうしたテロの一環であり、当時の左翼はより効果的なテロのために、鉄道事情に精通した共犯者を必要としていた。
したがって、京都府内で計画された3つのテロのうち、鉄橋爆破は、朝鮮人共産党員ではなく、ほかならぬXが発案したのではないか、と筆者は推定する。なぜなら、X'(≒X)は戦中戦後大阪鉄道局(業務部審査課)に勤務して鉄道事情に精通しているうえ、当時の復員軍人の輸送業務や駅員への指導を通じて「大陸帰りの工作員」と接触しやすい立場にあり(『現代』03年3月号p.105)しかも終戦のときは四国山中で所属部隊の「物資輸送」に従事していたからだ(同p.103)。
X'は魚住に、終戦直後、復員して京都駅で浮浪者の群れを見たときの心境を(うっかり?)語っている。
「ひょっとしたら革命が起きるかもわからん……もう少し世の中の動きを見てみようかと思ってね。友だちの家を1週間ほど泊まり歩いた」(『現代』03年3月号p.104)
------------------------------------------------------------------
半世紀前の日本の公務員事情はいまとかなり違ったようで、51年4月、X'(≒X)は大阪鉄道局に勤務したまま、故郷のS町の町議会議員選挙に立候補して当選し、以後「二足のわらじ」を履いた。が、翌52年3月、X'は鉄道局を退職する。
退職の理由は、X'の出身階層に基づく差別だった……と(不思議なことに21年後に)X'は73年の京都府議会本会議場で自民党の府議会議員として演説している。
魚住によると、X'は優秀な職員で、どんどん昇給したため、あとから復員してきた先輩職員にねたまれたから、となる。20代半ばに早々と係長を抜き、課長補佐に近い額の給料を得たX'に対して、52年頃「X'は最下層民だ」という陰口がささやかれるようになり、それを苦にしてX'は52年3月に鉄道局を退職した、という(『現代』03年3月号p.105)。
が、別の理由がありうる。
退職直前の52年2月には、青梅線で鉄道テロがあり、京都では警官隊とデモ隊の大規模な衝突事件が起き、いずれも日本共産党が関与したと警察当局は疑っている。しかも、前年4月のS町の町議選ではX'という鉄道員が当選しているのだ。この時点でX'はまだ最初の「反共(決別)宣言」をしておらず、京都府下の町村議会議員は全員、自動的に共産党の影響の強い「京都府青年団連合会」(京青連)に加盟していたから、警察当局は当然、X'を「今後、共産党の指導を受けて鉄道テロを行う可能性のある要注意人物」と見て摘発しようとしたはずだ。
【58年のS町長選挙のときまで、X'が社会党支持者などの「左翼票」を得ていたことは確実なので(『現代』03年4月号p.115)51年のS町の町議選でも左翼票を得て当選したことは間違いない。したがって52年当時、警察当局にはX'を共産党の党員またはシンパと疑う合理的な理由があった。】
筆者は断定する。X'の鉄道局退職の理由は差別ではない。52年2月の時点で、現役の鉄道局職員にして日本共産党員だったX'(=X)は、S町周辺在住の朝鮮人共産党員とともに、鉄橋爆破という(思想犯ではなく)正真正銘の非合法活動(凶悪犯罪)を計画し、それが摘発されそうになったのであわてて計画を中止し、鉄道局を退職したのだ。
ただ、退職の理由が「共産党員と疑われたから」となると、今後も警察にマークされるし、当時の日本政界では「出世」も「天下取り」も望めない。
すでに51年の、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の締結で、日本は米国を盟主とする西側自由陣営に組み込まれていたし、朝鮮戦争では「共産革命勢力」が米軍をなかなか圧倒できそうになかったから、日本で共産革命が起きる可能性も(終戦直後にX'が京都駅で予感したほどには)高くなかった。とすると、共産党員であることは政界での出世(たとえば大臣になること)の足しにならないばかりか、再就職して生活費を稼ぐうえでも(警察に追われるので)障害になりかねない。
X'は、自身に今後「共産党在籍疑惑」が降りかからないように、急遽別の退職理由を捏造する必要に迫られた。そこで思い付いたのが「自分は最下層民の出身で、それで差別されたから辞める」というものだった。この捏造は簡単で、だれかに頼んで職場に「X'は最下層民」という噂を流してもらうだけでよい。
この噂は事実に基づいているから簡単に広まる(但し小誌「『被差別』の虚像」で述べたように、X'自身は、出身階層を理由に教育上、職業上の差別を受けたことは、少なくともこの時点までは一度もない「恵まれた育ち」である)。当時の(西)日本ではこの種の差別意識は強烈なので、職場の同僚の関心はすぐにこの問題に集まり、だれも「X'が共産党員かどうか」などといったささいなことには関心がなくなる。カモフラージュ効果は抜群だ(当時は、娘が共産党員と結婚するほうが、最下層民と結婚するよりましだ、と考える親も少なくなかった)。
鉄道局退職直後の52年4月、X'は京青連大会で最初の「反共宣言」を行ったが、これは(その後、53年の保守系代議士への接近と併せ)自身への共産党在籍疑惑を完全に払拭する「駄目押し」のカモフラージュだったに相違ない。
(引用終了)
「巨星墜つ」野中広務氏が死去されました。
だそうです。
NHKがいかに反日左翼目線かわかる表現でした。
小泉とか小和田も背乗り疑惑がありますよね。
あと西福岡穢多頭の古賀誠や松本龍とか松嶋晃などもくたばってもらいたい。
同和と在特亜人と名誉同和・朝鮮人(パヨク)は日本の敵!
>>死後、人は生前の振る舞いから、最もふさわしいところへ行くという 今頃地獄で大好きなシナ人や朝鮮人に囲まれて本望だろうよ
そんなことしたら野中が喜んじゃうw
人にした仕打ちは必ず支払わされる
人の念は、生きてる時には眼に視えない
死んでからが念と対峙する本番ですね
ご健闘を祈ります
今反日や売国をやってる連中も、そこんとこを理解してやるがいいよ。
死んだら終わりだと思ってた・死んだら終わりって方が良かったと 必ず思うから。
地獄に落ちろ
ご冥福は祈れないけど、
あの世の地獄で、鬼達の【責め苦】を受けて
恩人を欺き、多くの人々を苦しめ、
傷つけた大罪=【この世の垢】を
シッカリと落とすことですね。
未来永劫かかると思うけど…。
結婚後大韓民国の平凡な夫婦の様に生きたい 韓国の反応 2018年01月27日
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/51446057.html
関連投稿:
・シュレーダー前ドイツ首相「慰安婦女性が日本から受けた蛮行はホロコーストの痛みと違わない」
→日本右翼がシュレーダー前首相を猛非難 韓国反応
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3. 名無しさん 2018年01月27日 01:31
どこを切り取ってもバカっぽい話だな。
恥ずかしくないのかね?
周囲のドイツ人にも丸わかりじゃん。
反日活動の為に近づいた女と、色仕掛けに嵌まった爺だろ。
ドイツ人はこういうコメディも笑って済ますのかな?
4. 名無しさん 2018年01月27日 01:35
ドイツ親父「性欲の為に魂売りました。」
ドイツ人もプライドないんだな。
5. 名無しさん 2018年01月27日 01:54
馬鹿にできない話。
韓国人 世界中に散らばってるし、輸出してる養子も含めたら結構な数。
世界的に影響力のある年寄りにハニトラかけて、反日活動させるとか(シュレーダーやってるし)
普通の人でも、外人の旦那や奥さんに嘘を吹き込んで、反日を広めさせる活動とか普通にやってそう。
シュレーダーの今後の動向、要注意。
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全く見覚えがないURLに飛ばされて「ウイルスを検知しました!」などという警告ページに飛ばされる事が何度かありました。
もちろん、そんなものに引っかかる程、愚かではありませんのですぐさま一度、回線を落として再度、記事をクリックしてココへ来てます。
少なくとも1週間前までは、こんな事は起きませんでした。
もしかしたら、このブログは何者かからサイバー攻撃されてるのでは?
「毎日新聞変態捏造記事事件」や、「日本の女学生の30%が援助交際している!」などというデタラメ反日プロパガンダを行った連中が過去に居ましたが、
今度は「佐々木くみ」という女が、「実体験を基にした痴漢告発本」などという小説を(なぜか)フランスで出版したという記事を以前ココで紹介したのを皆さんは覚えてますでしょうか?
その作品が諸外国で大きく取り上げられています。
↓
【悲報】佐々木くみさんの痴漢告発本、多数の海外メディアに取り上げられ、取り返しがつかないほど拡散される → 「センター試験日に痴漢をしても捕まらない」という書き込みも取り上げられる(画像アリ)
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/4886184.html
>「センター試験日に痴漢をしても捕まらない」という書き込み
ツイッターで痴漢予告する連中が大量発生した矢先にこの本が出た…
偶然にしてはあまりにタイミングが良すぎませんかねぇ?
>6年間毎日痴漢されてた
2190日も?私服の鉄道警察が車両をパトロールしてる中を?毎日痴漢されて誰一人として捕まらなかったの?
へー!スゴい犯人達ですね!ソリッドスネークもビックリの隠密能力だ!
因みに、作品の作者ならびに作品を読んだという日本人評論家やフランス人評論家らは、「日本は最低最悪!フランスには痴漢は存在しない!フランス最高!」みたいにぬかしてますが、
↓
https://courrier.jp/news/archives/109596/
「治安の悪い危険な国?治安の良い安全な国?世界治安ランキング」によると、
163ヶ国中、日本は6位、フランスは55位です。
仮に作品内容が全て事実だったとしても、それは犯人個人が異常だっただけであり、日本人そのものが異常者であるという証明にはなりません。
まぁ、野中広務にせよ、『彼の勲等宜しく』を得た弟子の様な議員も居るでしょうから、本人が消えたからと言って劇的に『媚中派議員が減る』と言う物でも無いでしょうが、二階俊博を含む【媚中派(反米派)】を本当に問題だと考えている自民党内の勢力が、この機会に此等の【媚中派】の勢力を削げるかどうか?は見物かと思われます
最も、どんな政党であれ、現実的に『韓国』や『支那』とのパイプを持つ議員を、完全に排除する事は出来ませんけどね?
交渉がスムーズに出来なく成りますから
腹に抱えた爆弾を、如何に往なせるかが『内閣府』の力量なのですが、今回の安倍晋三氏の『結局訪韓』の様な事が起きると、安倍内閣支持者がですら『本当に大丈夫なの?』と成りますからねぇ?
それに対する日本人はバラバラの個人で戦っている。
会社に入った日本人と、中華系移民を比較すれば、日本人は一つの契約を取るのにも四苦八苦しますが、中華系移民は「幇」のネットワークを使い、たちどころに契約がとれる。
勿論、日本人もLINE等で友人ネットワークを持ってはいますが、それは韓国の諜報機関に握られており、美味しい所は横取りされてしまいます。
こうして日本人は最下層の経済的地位になって行くのです。
朝日新聞への『言論テロ』だそうです
まぁ、確かにテロ事件ですが、『言論テロ』をやっているのは果たしてどちらですかね?
『従軍慰安婦強制連行虚偽報道』『南京大虐殺虚偽報道』ねぇ?そしてNHKの『ジャパンデビュー』とか、あれやこれやねぇ?
コイツらを 殲滅しなければなりません。
http://www.youtube.com/watch?v=Lal9U3XJwhA
アジア解放の企ては洪門会首領、孫文から始まる・・・!
映画 『孫文-100年先を見た男-』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=7c9gXyT6KT0
映画『孫文の義士団』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=-j2eGQcmkd4
孫文を疑え
http://www.meix-net.or.jp/~minsen/kako/murakami/murakami2.htm
死しても経歴の事実は語られるべき
公人としての責任がある。
各マスコミは、挙って「信念の人」、「良心の政治家」等と訃報で持ち上げています。
筋金入りの売国奴でした。あの辣腕と称される二階俊博が小者に見える程でした。
>「野中広務は、あと30年早く死ぬべきだった!」
享年92ですか。92-30=62.。。いや、この手の思想が許されるのは、精々、20代まで。戦後すぐに死ぬべきでした。
迷わず成仏してください。
高知市の第155師団歩兵第452連隊(通称号:護土22756部隊)に所属していたときに終戦を迎え、坂本龍馬像の前で自決を考えたが、上官の将校に「死ぬ勇気があれば、これから日本の国を建て直す勇気に変えろ」と諭された。
野中広務さん、かつて自民党幹事長時代に案内された「抗日大虐殺記念館」に虐殺者30万人という荒唐無稽な数字が記されている事を知り、献花を拒否しています。
野中広務さん
その昔、会津小鉄会とは同和利権に絡む蜜月関係がありました。
会津小鉄会の新年会、それまでは北陸の温泉旅館を貸し切っていたが、平成4年に暴力団新法が施行され、新年会は高山会長の新年のあいさつのみになった。
しかし、各組では祇園や北新地に繰り出し、豪勢にやったものでした。
西日本で山口組に次ぐ勢力だった会津小鉄会は沖縄への不動産投資で大失敗した。
沖縄投資の失敗で会津小鉄会は100億を余裕で超える損害を出した。
高山会長以下幹部の懐事情は本当に火の車状態になった。
平成8年から組員の大量離脱が始まった。
もう歯止めがかからなかった。組員の夜逃げや失踪も相次いだ。
京都の会津小鉄会も分裂があるのか?京都は人権左翼、同和、ヤクザ、神社仏閣、宗教などドス黒い街。
http://daiwaryu1121.com/post-3506/
思った。
ああ、コーヒー美味い。
最近はもう隠したり、ぼやかしたりという事さえせずに、
直球で酷い番組だらけです。情弱の人でさえ、コレおかしいぞの段階です。
特に子供向けのEテレでの番組は、酷すぎる。
製作者は、野中のクローン達か?
野中広務さんが亡くなって、毎日新聞に「親交のあったジャーナリスト」のコメントが載った。「『普天間飛行場の移設問題では沖縄中を歩き回り、酒を酌み交わしながら県民の話に耳を傾けた』と悼んだ」 とある。
よく言うよ。野中さんは酒を飲まないんだよ。親交があれば知っているはずじゃないの。
https://twitter.com/kazuhisa_ogawa/status/957135370063237122
■1944年3月29日
◆ 中共指導部はまさに、米国との接触を試みつつある。まず彼らは、外国人記者団を招こうと手配を進めている。しかし外部には、記者団を招聘するのではなく、記者自身が、来訪を要求しているように見せようと必死である。
同時に康生は、米大使館と軍事機関に各種の情報を丁寧に提供している。
■1944年4月3日
◆ 外国人記者の訪問が決まり、延安は興奮に包まれている。
主席は抗日統一戦線への態度が、中共指導部の誠意を推し量る、一個の重要問題であることをよく理解している。この問題で、重慶政府はすこぶる不満であり、各種の事実を持出してきている。
毛沢東からすると、重要なのは記者たちを納得させることだ。つまり、彼は共同抗日に忠実であり、また全国抗日政府のリーダーである蒋介石に忠実である、と思わせることだ。さらには、彼らの疑念を取り除くこと。即ち、「重慶の非常に高圧的な態度に対して、毛は忍耐を持って穏便に対応している。蒋介石は、悪意に満ちた犯罪集団の首魁である」と印象づけることである。このため、記者会見の計画はその細部に至るまで、全て綿密に考慮されている。
◆ 特区には、色々な反国民党キャンペーンの痕跡がまだ残されている。建物の壁、城壁、断崖などには、全て反国民党の標語を見ることができる。そのため、毛沢東はこれらの標語を全部消すように命令を出した。スローガンはいたる所にあるために、それを消すために大部隊を派遣した。兵士たちが、特区全域でスローガンを消している。反国民党のスローガンを抹消すると、今度はすぐに新しいスローガンが書き込まれた。例えば、「抗日統一戦線強化!」「蒋介石総司令官と合作し、抗日勝利を獲得しよう!」「打倒日本ファシズム!」「国共合作万歳!」「日本ファシズムと戦うために、全ての力を捧げよう!」等々である。
■1944年4月4日
◆ わが軍は、ソ連国境のプルート川を突破し、ルーマニアに進入した。
ジューコフのウクライナ第一方面軍は、ドイツ軍の戦線を真っ二つに分断し、カルパチア山脈の丘陵地帯に到達した。
■1944年4月7日
王震の第359旅団は、1938-39年、日本軍との戦いで際立った活躍を見せた。この部隊は、中国紅軍のベテラン戦闘部隊である。この時期、八路軍とゲリラ部隊は、日本軍にかなりの損害を与えた。後に毛沢東は、戦闘作戦を縮小することを決め、八路軍と新四軍の活動を急激に減少させた。
王震は有能な指揮官である。彼は探求心旺盛で規律正しい。彼の旅団は、特区最良の戦闘部隊だ。しかもそれは、特区のみに留まらない。
軍に入る前、彼は労働者であった。彼は現在40歳前後である。とても痩せていて、まるでティーンエイジャーのように見える。彼がすでに15年近くも戦っていることが、とても信じられない。彼の旅団は、外国特派員に紹介される予定である。□
(続く)
☆Peter Vladimirov, 〖THE VLADIMIROV DIARIES:1942-1945〗(Hale, London, 1976)
30年早く死ぬべき輩でもあり、しつこくこの世にしがみついているなら、せめてきちんとおとしまえをつけたい輩だったとも思います。
こういうのが徐々に消えてゆき、少しでもましな世の中になるまで、ブログ主さんも頑張ってください。
わたしも地道な保守活動をしていきたいと思います。
投稿日:2018-01-27
政界の ”たぬきおやじ”、だった 野中広務が死去したという。
野中広務は、竹下登という、田中角栄の寝首を搔いた、極悪人の政治家のの名代として、1993年から、2001年までの約10年間ぐらい、この男が、日本の最高実力者だった時代がある。
あれこれ書いて、明らかにしなければいけないことが、ある。
この 恐ろしい男に、私は、京都まで呼ばれて、面と向かってあれこれ話したことがある。それらを、そのうち書きます。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
>>2018/01/26(金) 23:00:21 | URL | きびなご #aIcUnOeo
朝鮮人、朝鮮人認定工作バレバレ乙。
在特会メンバーなどから暴行を受けたことで、山口祐二郎氏(憂国我道会会長)が損害賠償を求めた裁判が、8月26日東京地裁でおこなわれた。
高田(桜井)誠、水谷架義、新妻眞一、藪根新一、麻生照善、逮捕被告
懇親会を終えたばかりの在特会メンバーらが、偶然に居合わせた山口氏ら9名に襲い掛かり、暴行を働いた。
以下はN氏の陳述である
まず原告およびその場に居合わせた方々、そして差別的な言動によって人権を侵害してしまった不特定多数の在日コリアンの方々に、心からお詫びします。
インターネット上では在日コリアンにばかり向けられた悪意のあるデマを真に受けてしまい、いま思うと、カルト宗教に傾倒してしまったような状態でした。
《松井 昭和天皇独白録 高須 ナチス 足立 維新 安倍 大阪 橋下 カジノ 平昌 カルトレプロ》
私は原告の請求原因の認否を争う趣旨ではありません。
本当に申し訳ございませんでした。
N氏は、「差別」に向かわせたものが、ネット上の「悪意のあるデマ」と「家族の言動」だとしたうえで、行動保守の運動を「カルト宗教」にたとえた。
www.targma.jp/yasuda/2016/08/26/post558/
《 koichi.sato.79656 》
[url=http://www.gsn6qcdkr2q11t782o2631bu8o9c0l78s.org/]ukhqfzqgwfl[/url]
khqfzqgwfl http://www.gsn6qcdkr2q11t782o2631bu8o9c0l78s.org/
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