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朝日社説「安倍首相真珠湾訪問で忘れてはならないのはアジアの人々。靖国参拝で中韓と関係悪化に」
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朝日新聞 戦争 扇動

【朝日社説】
「安倍首相の真珠湾訪問、忘れてはならないのはアジアの人々への視線」
「真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は、アジアの多くの人々に犠牲を強いた。」
「3年前の靖国神社参拝も中韓との関係悪化につながった」

http://www.asahi.com/articles/DA3S12694094.html?ref=editorial_backnumber
安倍首相 真珠湾で何を語るか
2016年12月7日(水)付、朝日新聞社説

 安倍首相が26、27両日、米ハワイに赴き、オバマ大統領と真珠湾を訪ねる。

 旧日本軍による奇襲攻撃から75年、日米の首脳がともにその犠牲者を悼み、和解の価値を発信する意義は大きい。

 5月にはオバマ氏が、米国が原爆を投下した広島を訪ね、核なき世界への努力を誓った。

 今回の真珠湾訪問で、首相がどんなメッセージを発するか。日米だけでなく、広く世界が注目する場となるだろう。

 首相がまず語るべきは、無謀な戦争に突き進んだ深い反省のうえに立ち、不戦の誓いを新たにすることだ。

 忘れてならないのは、アジアの人々への視線である。戦火の犠牲になったのは、日米の軍人や市民らだけではない。

 真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は、アジアの多くの人々に犠牲を強いた。だが真珠湾攻撃以前から、日本は満州事変に始まる10年に及ぶ侵略と、植民地支配を進めていた。塗炭の苦しみを味わった人々の間には、いまなお日本への厳しい感情が残る。

 想起すべきは首相が3年前、靖国神社参拝に踏み切ったときのことだ。米国などから歴史修正主義者との疑念を招き、中国や韓国との関係悪化につながった。戦前の歴史を正当化するかのような言動が、どれだけ日本への不信を招いたことか。

 真珠湾訪問が、こうした不信の解消につながるなら歓迎したい。そのうえで、日米の和解をアジア太平洋地域の平和と安定に結びつけていくことだ。

 日米関係が地域の公共財として機能するためにも、日本はアジアの国々と真摯(しんし)に向き合う必要がある。そのことこそがアジアのみならず、欧米など国際社会での日本への信頼を高めることにつながるはずだ。

 安倍氏は戦後70年の首相談話で「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」と誓った。その決意を、真珠湾でも改めて語ってほしい。

 真珠湾攻撃は日本にとって痛恨の過ちだった。その反省のうえに戦後70年余、平和国家として歩んできた今の日本がある。

 トランプ米次期大統領の登場で、戦後の国際秩序が揺らぎかねない状況にある。

 現行憲法のもと、民主主義や法の支配といった普遍的な原則を貫き、軍事力を過信せず、平和的な手段によって粘り強く地域の秩序を守っていく。

 そんな日本の使命を、真珠湾から、アジアに、世界に語る機会としてもらいたい。



>首相がまず語るべきは、無謀な戦争に突き進んだ深い反省のうえに立ち、不戦の誓いを新たにすることだ。


まず、朝日新聞は「無謀な戦争に突き進んだ」と言うが、日本はできる限り戦争を回避する努力をしたものの自衛戦争をせざるを得ない状況に追い込まれて自衛戦争を行ったに過ぎない。


次に、戦前や戦中に可能な限りの和平努力をしていた日本政府とは反対に、朝日新聞は日本が戦争に突き進んで戦争をやめないように扇動していた!

朝日新聞が「首相がまず語るべきは、無謀な戦争に突き進んだ深い反省のうえに立ち、不戦の誓いを新たにすることだ」などと良く言えたものだ。

戦時中、朝日新聞は、自らの意思で、当時の日本政府よりも積極的に戦争に関する虚偽報道をし、政府や軍部にも負けを認める発表をさせないように圧力をかけた!

朝日新聞は、平成13年の「天声人語」などで戦時中の虚偽報道のことを「厳しい情報統制」とか「言論統制」などと当時の政府のせいにしているが、これは悪質な責任転嫁だ。

日本においては戦時中も言論や報道の自由は保障されており、政府や軍が新聞社に虚偽報道をさせたことなどなかった。

そのことは、朝日新聞上海支局長も戦後に明言している。

―――――――
東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言

「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていたよ」

「とにかく軍のこれからの動きが分かるような記事はだめでした」
―――――――



このように、日本が検閲などで統制したのは、日本軍の動きが判る記事や、日本軍の新兵器に関する情報や、日本軍を不当に貶める虚偽報道などに限られていた。

戦時中はどの国でも言論統制が行われるが、第2次世界大戦中は、日本よりアメリカの方が遥かに厳しい言論弾圧を行った。

アメリカは、日米戦争が始まると、それまで日本との戦争に反対していたラルフ・タウンゼントやK・カール・カワカミなどの言論人を次々と投獄した。

戦時中、アメリカが日本よりも厳しい言論統制を行っていたことは戦時立法を見ても明らかだ。

 このうち、日本の言論出版集会結社等臨時取締法は、戦後GHQ指令によって廃止を命じられたために、自由を抑圧した悪法という世評が定着しているが、罰則は最高刑懲役1年に過ぎない。
これに対して、米国の第一次戦時大権法第303項が規定している検閲違反者に対する罰則は、最高刑罰金1万ドルまたは禁固10年、あるいはその双方である。
罰則を比較するなら、米国は日本よりはるかに峻厳な戦時立法を行っていたといわなければならない。

『閉された言語空間』江藤淳著


確かに大本営は戦況について真実を報じなかったが、だからといって朝日新聞にも虚偽の報道をしろとは言わなかった。

そして、朝日新聞は、新聞の売上を増やすために自らの意思で大本営より遥かに積極的に虚偽報道をしていた。

http://www.geocities.jp/tamacamat/sonota09.html
検証:朝日報道
■戦時中の報道実例と解説

(一部抜粋)
勝利戦報道による売上大幅増加に味をしめ、むしろ統制が求めた以上に率先して戦争を煽りまくり、 結果として軍部をして、負けを認めることが不可能な地点まで追い詰めていったのが真実に近い。
(略)
実際には完敗したミッドウェー戦を勝利したように解説。戦果と味方の被害数字はデタラメ。 戦略的に重要でないアリューシャン <br>戦の成功を強調。太平洋戦争覇権の帰趨を決したと論じ、社説ではミッドウェー戦結果で気

実際には完敗したミッドウェー戦を勝利したように解説。戦果と味方の被害数字はデタラメ。 戦略的に重要でないアリューシャン戦の成功を強調。太平洋戦争覇権の帰趨を決したと論じ、社説ではミッドウェー戦結果で気を緩めてはいけない、などと解説した。


このように、朝日新聞が勝利の虚偽報道をしたことにより、大本営に負けを認める発表をさせないようにしたのが真実だ。

また、戦時中、朝日新聞は、日本国民が米軍に追い詰められたら自決するように洗脳していた。

沖縄などで多くの住民が米軍に追い詰められて自決したが、そのように国民を洗脳した最大の責任は朝日新聞にあった。

現在、朝日新聞などのマスコミは、住民などの自決を「戦陣訓」の責任だとか言っているが、これは大嘘であり、実際には朝日新聞の責任だった。

http://www.geocities.jp/tamacamat/sonota09.html
検証:朝日報道
■戦時中の報道実例と解説

全滅したアッツ島戦当時の天声人語-神風賦。 「いやしくも日本人たる以上 、例外なく、玉砕精神がその血管内に脈打っている事実がここに立証せられた」と日本人が死を選ぶのが当然という主張をした。こうした報道姿
(一部抜粋)
全滅したアッツ島戦当時の天声人語-神風賦。 「いやしくも日本人たる以上 、例外なく、玉砕精神がその血管内に脈打っている事実がここに立証せられた」と日本人が死を選ぶのが当然という主張をした。こうした報道姿勢が、 多くの人々に降伏を拒否させ、死に向かわせる結果となった。


http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html
特集
日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任

(一部抜粋)
 朝日の米軍への憎しみを煽る記事が目立つようになるのは、サイパン島陥落以降だ。

 米兵が、日本兵の髑髏を記念品として少女に送ったという記事を写真と共に米誌『ライフ』が掲載したとして、こんな記事を書いている。
<屠り去れこの米鬼 仇討たでおくべき>
 の見出しのもと、
<これこそ肉を食い骨をしゃぶる米鬼の小弟をむき出した問題の写真である。(略)われわれは怒りの眼をかっと見開いて野獣の正体を正視しよう。(略)この野獣性こそ東亜の敵なのだ。敢えてここに掲げる英霊の前にわれわれは襟を正して”米鬼撃滅”を誓おう>(昭和19年8月11日)






>忘れてならないのは、アジアの人々への視線である。戦火の犠牲になったのは、日米の軍人や市民らだけではない。
>真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は、アジアの多くの人々に犠牲を強いた。



朝日新聞は無理やり日本を悪者にしようとしているが、大東亜戦争以前の「アジア」は、アメリカやイギリスやオランダやフランスなどの領土(植民地)となっていた。

アジアの人々にとって植民地支配されていた大東亜戦争以前より、独立主権国家となった大東亜戦争後の方が遥かに良くなった。

アジアの国々は大東亜戦争以前にも多数の犠牲者を出して独立戦争を試みたが、全て失敗に終わっていた。

しかし、大東亜戦争における多数の日本軍の犠牲により、アジア諸国はようやく独立できたのだ!

――――――――――
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

われわれは白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、「これからの独立は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる」と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。
そして実はわれわれの力でやりたかった。

ブン・トモ元情報宣伝相(インドネシア)

アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

モハメッド・ナチール 元首相(インドネシア)

我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。
インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは当然である。

アラムシャ 元第3副首相(インドネシア)

私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。

ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員(マレーシア)

日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。
さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。
我々はこの2つの日を忘れてはならない。

ククリット・プラモード 元首相(タイ)
――――――――――

朝日新聞の「真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は、アジアの多くの人々に犠牲を強いた。」という主張は、上記の真実を無視した捏造記事(社説)と言っても過言ではない。





>だが真珠湾攻撃以前から、日本は満州事変に始まる10年に及ぶ侵略と、植民地支配を進めていた。塗炭の苦しみを味わった人々の間には、いまなお日本への厳しい感情が残る。


朝日新聞の「満州事変に始まる10年に及ぶ侵略」などというのは、完全な捏造だ!

満州事変は、日本と支那(蒋介石の国民党政権)が1933年5月31日に締結した「塘沽協定」によって、支那も満州国の独立を承認した上で完全に終結させている!

そもそも満州事変は、関東軍が張学良の武装盗賊を満州から追放した警察行動であり、侵略などではない。

満州人やモンゴル人は、以前から支那(中華民国)から独立を希望しており、関東軍の警察行動に乗じて満州国の独立と建国を宣言した。

朝日新聞社説の「植民地支配を進めていた。」とは、いったい何のことを言っているのかサッパリ分からない。






>想起すべきは首相が3年前、靖国神社参拝に踏み切ったときのことだ。米国などから歴史修正主義者との疑念を招き、中国や韓国との関係悪化につながった。戦前の歴史を正当化するかのような言動が、どれだけ日本への不信を招いたことか。


支那に対し、日本の首相が靖国神社を参拝したら、関係を悪化させ、不信を抱くようにけしかけたのは朝日新聞だった!

昭和60年(1985年)頃まで、日本の首相は年に3~4回ずつ靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も全く問題視しなかった。

支那や韓国に「日本の首相が靖国神社を参拝したら、神経を逆なでされたと感じなさい」と持ちかけたのは、朝日新聞だった。


いわゆる「A級戦犯」とされてしまった方々が合祀されたのは1978年だが、マスコミはその翌年に合祀のことを報道していた。

その合祀以降も、大平正芳首相や鈴木善幸首相などが靖国神社を参拝したが、支那も韓国も文句など言わなかった。

それどころか、彼らが支那を訪問すると、支那は熱烈歓迎していたほどだ!

━━━━━━━━━━
1959年
靖国神社が「公務死」と認定された「戦犯」を初めて合祀

1978年10月
天皇陛下にA級戦犯合祀が上奏され、秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀

1979年
大平正芳首相が春と秋の例大祭に靖国を参拝し、国内メディアは合祀と首相の靖国参拝について執拗に報道。



大平正芳首相
1979(昭和54)年から1980(昭和55)年にかけて靖国神社を3回参拝。
(1979年4月21日・同年10月18日・1980年4月21日)


1979年12月
大平正芳首相は夫人を伴って支那を訪問、支那は大平正芳首相を熱烈大歓迎。
「中日友好医院」建設、対支円借款などを約束



鈴木善幸首相
1980(昭和55)年から1982(昭和57)年にかけて9回参拝。
(1980年8月15日・同年10月18日・同年11月21日・1981年4月21日・同年8月15日・同年10月17日・1982年4月21日・同年8月15日・同年10月18日)


1982年9月
鈴木善幸首相が支那を訪問、(北京政協礼堂で)日支国交正常化10周年記念講演



中曽根康弘
1983(昭和58)年から1985(昭和60)年にかけて10回参拝。
(1983年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1984年1月5日・同年4月21日・同年8月15日・同年10月18日・1985年1月21日・同年4月22日・同年8月15日


1984年3月
中曽根康弘首相が支那を訪問、「日中友好21世紀委員会」発足、4700億円の円借款供与で合意
━━━━━━━━━━


上記のように1978年に、いわゆる「A級戦犯」合祀後も、日本の首相はマスコミが報道する中で靖国神社を参拝していたが、支那も韓国も嫌がっていなかったから何の異議申し立ても行なわなかった。

支那が日本の首相の靖国参拝に文句をつけ始めたのは、朝日新聞が支那をそそのかした後の1985年以降だ。

『朝日』加藤千洋記者

①『朝日』加藤千洋記者
↓「中国『日本的愛国心を問題視』」ほか
↓1985年(昭和60年)8月7日

②社会党 田辺誠書記長ら訪支
↓1985年(昭和60年)8月26日

③支那の姚依林副首相が初めて政府要人として中曽根康博首相の靖國神社参拝を」批判
 1985年(昭和60年)8月27日
 これ以前、歴代首相は、いわゆる「A級戦犯」合祀後も20回も靖国神社を参拝している(合祀前も含めると58回)。


支那工作員朝日新聞→報道ステーション加藤千洋記者
支那工作員 朝日新聞→報道ステーション 加藤千洋

■YouTube 動画
『靖国問題に火を付けたのは報ステの加藤千洋だった!』
http://www.youtube.com/watch?v=KT-Dj8agc4Y






> 安倍氏は戦後70年の首相談話で「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます」と誓った。その決意を、真珠湾でも改めて語ってほしい。


戦後70年の安倍首相談話の【満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。】の部分は、完全に間違った内容だ。

絶対に繰り返すな!


上記の部分は、正しくない。

日本は、「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていったわけではない。

第1次世界大戦後の「新しい国際秩序」とは、主に、1920年に発足した国際連盟、1922年の「九カ国条約」(ワシントン体制)及び1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)などのことをいう。



まず、国際連盟からの脱退について。

そもそも国際連盟には、提唱者だったアメリカが最初から加盟しなかったくらいだから、日本が脱退したことも大したことではなかった。

当時の日本軍は、国際連盟が鉄道付属地への撤退を決議しても、「ハイ、そうですか」と撤退するわけにはいかなかった。

イラク戦争の後、アメリカ軍はイラクなどからなかなか撤退できなかったいが、当時の日本軍も同じ状況に置かれていた。

混乱している状態を放置して、支配している軍隊が撤退すれば、その地域は大混乱に陥ることとなる。

アメリカ軍がイラクなどからなかなか撤退できないのと同様に、当時の日本軍も満州の要所からの撤退は不可能だった。

当時の国際連盟は、自ら何ら努力することもなく、荒唐無稽な日本軍の鉄道付属地への撤退と、満州国不承認を決議した。

パル判事は、当時から、そのことを的確に指摘していた!

 日本が国際連盟の勧告に従わなかった事実は、大いに利用されている。
国際連盟は、他のどのようなことを討議するよりも前にまず日本軍が撤収することを強要したのである。
一部の人たちが考えているように、国際連盟のこの態度は、この事件の事情に鑑みて、正当なものとはみなし得ないかもしれないのである。
日本軍の立場は、国境を侵した軍隊の立場とは異なっていた。

 「まったく安全な自国の国境線内に軍隊を撤収させることと、容易に包囲されうる外国領土内を走る鉄道沿線へ軍隊を撤収させることは、まったく事情が異なるのである」。
この命令は連盟によって発せられた独断的なものである。
「しかしながら、だれでも、この命令が実行されることもなければ、またそれを実行させることもできないということを承知していたのである。もし日本がこの威嚇に屈服し、その軍隊を撤収した暁においては、満州は以前よりもはるかに恐ろしい無政府状態および悪政に委ねられたことであろうと思う」。
連盟自身は満州に立ち入って、その秩序を回復しうる手段をもっていなかったのである。
また同様に連盟は、日本軍の安全を保障しうる手段をも有してはいなかったのである。

P696
東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書(上)』(講談社)


満州での警察行動に責任を持つ日本は、承認した満州国を大混乱に陥れる無責任なことはできなかったので国連を脱退するしかなかった。

満州事変当時の国際連盟は正しい状況判断ができず、後に約半数の国際連盟加盟国は、満州国を正式承認した。

後に満州国を正式承認した約半数の国際連盟加盟国が、最初から満州国を承認して日本軍に治安維持を任せておけば、日本も国連を脱退しなかった。




次に、1922年の「九カ国条約」(ワシントン体制)について。

平成27年8月8日付け当ブログ記事で詳しく説明したとおり、「九カ国条約」(ワシントン体制)を破りまくって崩壊させたのは、支那とアメリカだった。

●詳細記事
間違い知ったマッカーサー「占領政策の真実」ケント・ギルバート■マクマリー、ケナン、フィッシュ
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5917.html
(一部再掲載)

1922年のワシントン会議で、支那の現状維持(固定化)を図って、アメリカ・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・支那の9カ国間で締結された「九カ国条約」(ワシントン体制)は、支那が条約を破りまくり、アメリカも支那の横暴を助長したために崩壊した。

この頃、支那とアメリカは、日本に対して、とことん嫌がらせをした。


1931年に日本が満州事変を起したのも、条約を破りまくった支那に堪えかねてのことだった。

1935年に、国際法の専門家で、ワシントン会議では米国代表団の主要メンバーだったジョン・アントワープ・マクマリーは、「アメリカが支那と一緒になって条約(国際法)を破りまくり、条約(国際法)を厳格に遵守している日本に対して嫌がらせを続ければ、日本と戦争となってしまう」と予言していた!

ジョン・アントワープ・マクマリーは、満州事変や大東亜戦争の前に、条約と平和を守っていたのが日本で、条約を破りまくって東アジアの平和と秩序を崩壊させていたのが支那とアメリカだったことを正しく把握していた。

専門的知識と外交上の知恵に満ちたマクマリーは既に1935年に、支那や米国などが条約を破りまくって、日本を追い詰めていると指摘していたのだ。

 米国の大部分の人々はそのころ、日本がアジアを戦争に巻き込むドラマの悪役であると信じていたが、マクマリーはこの考えに賛成ではなかった。
日本の1930年代の新しい強引な政策は、一方的な侵略とか軍国主義のウィルスに冒された結果などではなく、それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為がもたらしたものだと熱心に説いたのである。

 ワシントン会議は、確かにアジアでの国際協力を達成することのできる枠組みを決定した。

しかし1920年代において、日本がワシントン条約の条文と精神を厳密に守ろうとしているのに、この合意のもう一方の当事者、特に中国と米国が条約諸規定の実施を繰り返し阻害したり、拒否する事実のあったことを彼は指摘した。

このように米国に教唆された中国は、自らの国際的地位を保証してきた法的な枠組みを一貫して軽視し、それによって日本の激しい怒りを招く結果となった。

日本にワシントン条約を遵守させるのはなかなか難しかったのだから、日本の態度は評価されるべきだったとマクマリーは主張した。
しかしそうした評価が得られず、日本が自発的に参加した国際システムの全体が崩壊して自国の利害を脅かされると感じたとき、日本は「東アジアにおける正当な地位を保障するための強力な軍備」に頼るようになっていったとマクマリーは考えたのである。

 1930年代の中頃、マクマリーは事態が重大化したと考え、もし米国が日本の苦情を認めないで中国への肩入ればかりを続けるならば、結果的には間違いなく「日本との戦争」になってしまうと予言したが、彼の外交官仲間たちの多くはこの意見に賛成しなかった。
日米戦争が勃発したのはこれが書かれた6年後である、マクマリーは、まさに先見の明があったというべきであろう。


ジョン・アントワープ・マクマリー原著『平和はいかに失われたか』(原書房、アーサー・ウォルドロン編、北岡伸一監訳、衣川宏訳)、6~7頁


1922年のワシントン会議において、支那の現状維持を図って、アメリカ・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・支那の9カ国間で締結された「九カ国条約」(ワシントン体制)は、支那の横暴(条約違反)と、それを助長した米国の政策によって崩壊した。



最後に、1928年のパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)について。

平成27年8月7日付け当ブログ記事で詳しく説明したとおり、パリ不戦条約は、自衛戦争を認めていた。

●関連記事
戦後70年首相談話報告書(有識者懇)の嘘出鱈目・「日本は大陸へ侵略を拡大し各国に多くの被害」
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5916.html
(一部再掲載)

当時「侵略」を禁止したパリ不戦条約は、自衛戦争を認めており、「自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する。」とする留保があった。

つまり、当時の国際法では、戦争当事国が「この戦争は、侵略戦争ではなく、自衛戦争だ」と判断すれば、その戦争は侵略ではないことになっていたのだ。


■1928年締結「パリ不戦条約」関する補足資料
――――――――――
【米国政府覚書】

(抜粋)

1928年(昭和3年)6月23日

一、自衛

反戦条約米国草案に、自衛権を制約又は侵害するものは一切含んでいない。自衛権は各独立国に固有のものであり、各条約に包含さるるものである。各国は条約文には関係なく攻撃侵略よりその領土を防衛する自由を常に有しその国のみが自衛戦を必要とするか否かを決定する能力を持つているのである。若しもその主張が正当な場合は全世界がその行動を非難するどころか称賛するであろう。但し、此の不可譲権を条約により明文にしようとすれば「侵略」を定義しようとする時遭遇すると同様の困難に突き当たる。之は同一の問題を向ふ側から取扱はうとするのである。如何なる条約文も自衛の本質的権利に何者をも付加し得ざるを以て条約が自衛の法的観念を規定することは平和を促進する所以ではない。がむしやらな者にとつては条約の定義に一致せしむべく事件を作成するのは極めて容易であるからである。

東京裁判資料刊行会編『東京裁判却下未提出弁護側資料』第1巻240(上下)頁
――――――――――

解説

【1928年不戦条約の解釈】

●米国政府の自衛権の解釈(1928年6月23日)
(略)
しかも米国政府の自衛権の解釈によれば、不戦条約は国家の自衛権発動を容認し、戦争が自衛戦争か否かの決定権を戦争当事国に与えたのだから、この条約は全ての戦争を容認したに等しい。戦争当事国が「我が国は、自衛の為の武力行使に訴えざるを得ない情勢にあり、我々の戦争は自衛権の発動であり自衛戦争である」と宣言すれば、戦争は自衛戦争となり、不戦条約はこれを容認するからである。
つまり不戦条約は、ケロッグ国務長官から、全ての戦争を否定する条項と、全ての戦争を容認する解釈を与えられた支離滅裂な条約であり、パル博士の指摘通り、「法の範疇から除外される」に十分であり、現在でも、侵攻戦争はその厳格な法的定義を持ち得ず、国際法上の犯罪とはなっていないのである。

――――――――――

自衛の問題に関して、ケロッグ氏は次のように言明した。

自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する。
323P

ホールの見解。

自存権は、ある場合においては、友好国、または中立国に対する暴力行為を、正当化することがある。
(略)
国家は外国にある自国民を保護する権利を有する。
328P

リビエは、この自衛権または自存権を次のように説明している。

(略)
政府は、自国の安全のため、他の一国の権利を侵害する権利を与えられているし、且つある状況のもとにおいては侵害する義務を負うことさえある。
329P

東京裁判研究会編『パル判決書』上巻






>真珠湾攻撃は日本にとって痛恨の過ちだった。その反省のうえに戦後70年余、平和国家として歩んできた今の日本がある。


これも真実ではない。

私たち日本人は、アメリカの日本に対する嫌がらせの歴史、日本の和平努力と自存自衛の戦いについて改めて正しい歴史認識を確認しよう。

満州や支那での利権を狙っていたアメリカは、支那に対して金や武器を援助し、日本に対しては経済制裁を行った。

我々は十年一日の如く…日本に嫌がらせをした。

『アメリカ外交50年』ジョージ・ケナン著(1951年)



(1941年に米国が対日石油輸出を全面禁止する以前の)ルーズベルトは、もし、我々(米英蘭)が日本に石油を売らなければ、彼らは蘭領インド諸島に南下して、武力奪取するだろう。そうなれば「戦争になるだろう」。だから我々は日本に石油を売り続けなければならない、と説明している。

P355
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)



「実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追い込んだものである。かくなった以上は万一の僥倖に期しても、戦った方が良いという考えが決定的になったのは自然の理と云わねばならぬ」

「(大東亜戦争の)原因を尋ねれば、遠く第一次大戦后の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。

『昭和天皇独白録』文藝春秋


―――――
1924年、「絶対的排日移民法」が成立。米国は、ヨーロッパからは毎年何十万人もの移民を入れていた時、日本人移民を一人も入れない法律を作った。

●1941年
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
8月1日、米国が対日石油輸出を全面禁止
11月26日、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

―――――
アリゾナ
1941年12月7日(現地時間、日本時間8日)、日本海軍の攻撃により沈没する戦艦アリゾナ

当時の日本は、石油の殆どをアメリカからの輸入に頼っていた。

そのアメリカが日本への石油の輸出を禁止した。

アメリカ以外では、わずかにイギリスやオランダ(オランダ領インドネシア)などの輸入先があったが、アメリカががイギリスやオランダにも日本に石油を売らせないようにした。

当時の日本は、アメリカから「日本に石油を売らない」と言われたら、戦争をして石油を確保するしか選択肢はなかった。

だから、戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくと、日本はエネルギーや食糧などを輸入に頼ってはいけないのだ。

【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い60~66東条内閣の和平努力】

62、激怒、安堵、絶望、喝采
(一部抜粋)
 (1941年11月)二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。 東京裁判において東郷は、


 「ハル・ノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。
 また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。
 さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。
 ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。もしハル・ノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。

従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。」

63、自衛のための自殺
(一部抜粋)
昭和十六年十二月一日、御前会議は「もはや開戦やむなし」という出席者全員の賛成によって我が国の対米英蘭開戦を決定した。翌二日午後二時四十分、杉山元参謀総長は、サイゴンの寺内寿一南方軍総司令官に「大陸命第五六九号(鷹)発令あらせらる、日の出はやまがたとす、御稜威の下切に御成功を祈る」と打電し、同日午後五時半、山本五十六連合艦隊司令長官は、ハワイ作戦のため択捉島の単冠湾を出撃し(十一月二十六日)、太平洋を東航中の我が海軍空母機動部隊に「新高山登れ一二〇八」を打電し、遂に日米和平交渉は終止符を打たれた。

連合軍最高司令官として無法な対日占領作戦を敢行したマッカーサーは、一九五一年五月三日アメリカ上院軍事外交委員会において次のような証言を行った。


 「日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
 これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。


 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」



凛として愛

凛として愛

凛として愛
■動画
凛として愛(4/7)
http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs
凛として愛(5/7)
http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q

【動画の要約】
1937年、支那事変
1937年~、米英ソなどによる蒋介石支援
1940年~、米国による対日経済制裁
1941年
4月、日米交渉開始
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣が発足、「帝国国策遂行要領」を白紙還元し、和平努力
11月、ハルノート提示
12月7日(8日)、真珠湾攻撃

日本海軍の軍令部総長の永野修身大将は、その決断を次のように語っている。
「政府の陳述によれば、米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂を喪失する民族永遠の亡国である。たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」

アメリカ陸軍スチムソン長官の日記
「ハワイで我々を攻撃したことで、今やジャップは問題の全てを解決してくれた。これで全米国民が危機感を覚え、一致団結の機運が生まれた。」


■動画
大東亜戦争 その歴史的意義 FLASH
http://www.youtube.com/watch?v=m8o_Y6ekPcA
大東亜戦争の名言集
http://www.youtube.com/watch?v=Gz8s23-SQG4




左:「在日特権と犯罪」坂東忠信著(2016/10/8)
中:「カエルの楽園」百田尚樹著 (2016/2/26)
右:『日本人に「憲法」は要らない』西村幸祐著(2016/8/9)


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コメント
次期米政権とウマが合うのは田母神氏!
軍事を強化するトランプ政権と話が合うのは、日本では田母神氏のような人物です。
田母神氏を特赦して日本政府の要職に就けるべき。
2016/12/07(水) 20:05:59 | URL | 必勝 #- [ 編集 ]
その前の日露戦争の意義について
最近は、日露戦争の世界史上の意義を触れる方が少なくなりました。

世界史上の日本の戦争、その中の日露戦争の意義は、古代ギリシャの
ペルシャ戦争のマラトンの戦いとかテルモピレーの戦いに匹敵する面もあると
思います。

もしペルシャ戦争で、アテネやスパルタやテーベなどのギリシャの諸ポリス側
が負けたなら、現代の西洋文明はかなり形を変えたと思います。西洋文明の
源流になった、ギリシャの都市国家において具現された西洋的な市民の
独立自尊や自由という徳目は、ペルシャ帝国に具現された東洋的な秩序感覚・
礼節・目上に対する服従などの徳目に飲み込まれてしまったと思います。

ペルシャ戦争は、世界史の西洋文明と東洋文明の大きな枠組みにかかわりました。

同じようにもし日露戦争に日本が負けたなら、また日本という国がなければ、
当時の世界史上の有色人種と白人の人種差別はさらに固定化していたと思います。

日本をはじめ有色人種の独立国は何ヶ国だけで、ほとんどは植民地でした。

世界史の流れとしてこれは続き、また人種上の優劣は固定した観念になって
いたと思います。

これに反対する人道主義者も多く出たでしょうが、結果として人類は
上下に二分化されていたと思います。同じ人類とは思われて
なかったですからね。

こういう感覚は現在では非常にわかりにくくなっています。
しかし、当時は有色人種が近代兵器を造ったり、西欧科学文明を自分のものに
できるとは考えにくい時代でした。

また白人が有色人種と対等につきあったり結婚するということも
原則ありえないことでした。

しかし、日本が世界史の表舞台に登場してから、現実問題として西洋諸国も
見方を変えざるを得なくなり、そして現代もそうですが、他のアジアアフリカ
の人々は留学生を送ったり翻訳したり産業をおこしたりと日本の真似をして
いったわけです。それが可能だとわかったからです。

世界史の流れ(少なくとも数百年単位の)は変わりました。
その転換点の一つが日露戦争です。
世界史では実際に戦争の結果というのは大きな作用を及ぼします。
2016/12/07(水) 20:26:45 | URL | 歴史の断面 #HCVO0wnY [ 編集 ]
大東亜戦争時の米国の悪行
大東亜戦争時の米国の悪行!

1.ワシントン会議における日英同盟破棄のような米国の一方的な決議
2.白船による威嚇、ABCD包囲網、対日石油全面禁輸、ハル・ノ-ト
3.シナ事変における米国(国際法上中立国)の義勇軍派遣等といった
 国際法を無視した行為。
4.東京大空襲による非戦闘員を含めた大量虐殺。
5.広島、長崎への原爆投下
5.マッカ-サ-によるでたらめな無条件降伏声明
6.極東軍事裁判における報復裁判、及び強引な処刑
7.戦後の厳しい検閲

今、世界各国は何の疑問も無しに”経済力”を競い合っておりますが、
それと同様に、世界は、19世紀後半から20世紀初頭にかけては、何の
疑問も無しに”武力”を競い合っていたという時代があった訳です。

 ・欧米列強各国によるアジアの分割統治(勢力圏争い)
 ・白人社会における有色人種差別
 ・中国の内乱
 ・ソ連の南下政策可能性への恐怖
 ・米国拡大主義の脅威

という状況下にあり、第一次大戦後も米国のフロンティア精神は残っており、
その中で特にその頃は節倹精神に富み、勤勉な日本を脅威に感じてました。

米国湾岸での排日移民問題のように政府間同士だけではなく、民衆レベルまで
そうなってしまったのです。また、イエロ-ペ-パ-もその追い風になりました。
2016/12/07(水) 20:31:33 | URL | COPY #UwJ9cKX2 [ 編集 ]
朝鮮人(当時は日本人)の証言
●朴 鉄柱(韓国 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)

ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。

現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。

それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。

この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」

大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。

二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。


●朱 耀翰 (韓国 元国会議員)

アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別撤廃文案を
挿入しようとしたときこれに反対し削除したのはどこの国だ?

黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?

しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!
2016/12/07(水) 20:38:38 | URL | COPY #- [ 編集 ]
『朝日新聞の戦争責任』 太田出版
安田将三、石橋孝太郎著 太田出版『朝日新聞の戦争責任』

本書は1994年にリヨン社により発刊され、著作権侵害を理由に
朝日新聞が圧力をかけ、発売停止となった本です。

戦時中の新聞は言論統制されていたから、責任は問われないという見方が
ありますが、現実にその紙面を見るとそれはウソであるとわかる。

統制は確かにあった。

しかし、勝利戦報道による売上大幅増加に味をしめ、むしろ統制が求めた以上に
率先して戦争を煽りまくり、結果として軍部をして、負けを認めることが
不可能な地点まで追い詰めていったのが真実に近い。


2016/12/07(水) 20:45:55 | URL | COPY #UwJ9cKX2 [ 編集 ]
戦後の朝日新聞
■戦後に花ひらいた朝日新聞の精神構造

1959/12/25 朝日新聞朝刊 「ばく進する馬」北朝鮮 よくはたらく人々
1971/11/17 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 1 首都発見 中心部の25%が緑
1971/11/18 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 2 豊かさの基準 家賃は月収の0.5%
1971/11/20 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 3 女の地位 男並みの革命闘士
1971/11/22 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 4 小さな革命家 思想重視する教育
1971/11/24 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 5 仁術 医師と患者も同志
1971/11/25 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 6 英雄たち 千里馬運動の象徴
1971/11/26 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 8 ミジェ 「米帝」に激しい憎悪
1971/11/29 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 9 ウェノム 日本軍へも憎しみ
1971/12/03 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 12 指導者 現場で大衆に学ぶ
1971/12/06 朝日新聞夕刊 チュチェの国 北朝鮮 12 指導者現場で大衆に学ぶ 
1978/11/24 朝日新聞夕刊 '78初冬 北朝鮮 1 一糸乱れず すべてに金日成主席
1978/11/29 朝日新聞夕刊 '78初冬 北朝鮮 3 文化革命 芸術も娯楽も超健全
1978/11/30 朝日新聞夕刊 '78初冬 北朝鮮 4 安定 衣食住には心配なし
1978/12/01 朝日新聞夕刊 '78初冬 北朝鮮 5 女性解放 進学以外は全員就労
1985/05/16 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 3 後継者 実務執る金正日氏
1985/05/17 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 4 経済開国 合弁法で経済に活
1985/05/22 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 7 安定社会 物価も給与も不変
1985/05/23 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 8 サービス革命 消費多様化めざす
1985/05/25 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 10 農業優遇 増産へ手厚い補助
1985/05/29 朝日新聞朝刊 '85春 北朝鮮から 12 平和の中で 戦争への警戒常に

朝日新聞の北朝鮮への賛歌。(その一方で、韓国は「軍事独裁」だと猛攻撃していた。おそるべきダブルスタンダード)

講読者数が800万部なんて時期があったのは空恐ろしいことだよ。

最近はタダで配っているようだが。
2016/12/07(水) 20:49:54 | URL | 反朝日 #XFgF2YMk [ 編集 ]
韓国企業の旅客機、たった半日の間に世界各地で重大トラブル3件!エンジン故障、機体欠陥で離陸できず、空ではエンジン火災警報で緊急着陸などめちゃくちゃ…
http://nstimes.com/archives/81329.html
2016/12/07(水) 20:54:43 | URL | 大豆 #- [ 編集 ]
>韓国が日本の漁場を荒らしまくる悲惨な現実 水産庁は無法者の取り締まりを徹底できるか

70年前の事よりも今、現実に起きている中韓の日本近海で起こっている現実に対処すべきでは?
2016/12/07(水) 20:56:36 | URL | うんざり #EeYiYRAs [ 編集 ]
>日本の排他的経済水域(EEZ)における韓国漁船の違法操業摘発が続いている。
2016/12/07(水) 21:01:26 | URL | うんざり #EeYiYRAs [ 編集 ]
中国外務省「日本が本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」
http://gensen2ch.com/archives/67647800.html
2016/12/07(水) 21:09:30 | URL | ななし #- [ 編集 ]
馬野周二の証言
陛下はまず平塚の雪印乳業にお出まして、それから、全国のあっちこっちを巡られ、国民の中に入ってこられた。

その陛下の清々しい人間性に、国民が接して、敗戦のショックがやわらいだんです。

これが5年続いた。九州の、三池炭鉱、北海道ずーっと隈なくお回りになって、国民の活力が増し、復興が急に盛り上がった。

これを見て、スターリンは、共産主義を力で押しつけていくのは、これはちょっと具合が悪いということを感じた。

これはいかんと。方針変えないといかんということで、社会党の左派の松本治一郎、参院副議長を、よく調査し、
彼に白羽の矢を立てた。

大使を通じてソ連に来てくれないかという再三の要請、それで彼は腰を上げたと云うことでした。

そして、革命を起こすと、スターリンに誓ってきたと云うわけです。

その時に、私は初めて質問しましたよ。革命ということをあまり知らんもの。研究してないから。

初めて聞く言葉やもの、革命ということは。だから、

「先生、革命って、マッカーサーが丸の内にいまして、革命というのはどういうことをやりますか」

と、こう尋ねた。そしたら、

まず日本の教育を我々が、オルグを先生の中にもぐり込ませ、先生達をダメにすると。それからストを
繰り返しやって、国鉄をズタズタにする。

さらに地方自治体を基盤にして、選挙に勝つために、官公労を握ると。

そして、国民の目を誤魔化すために、朝日に同志を導入させ、我々に有利な報道をさせ朝日新聞を占領すると。

すると、他の新聞は右へ倣えと、彼は言うわけなんです。

それ、みんなソ連の指示で。

私は「はぁ、はぁ」と聞いていた。

つまり、スターリンの指示によると、同志が日教組を創り、各学校に同志が入り込んで日本の教育を根本から変え、
日本の歴史を引っ繰り返す。

そして国鉄をね。国鉄には一番よけい共産主義の同志がいるわけだ、線路工夫だとか油差しとか労働組合が多いんですよ。

だから国鉄をメロメロにして日本人同士をいがみ合わせて、日本人同士で争いをさせると。

それからストライキやって、あっちで貨車停め、こっちで貨車停めて国民の足を奪うと。

そして他方で、われわれの同志は肥汲みやってる、これを大学出と同じように昇格させて、そして自治体を完全に牛耳ると。

この中から村会議員、市会議員、県会議員をどんどん出して、さらに中央へどんどんと国会議員を出していくと。

そうするとあとの所管官庁や団体は右へならへと。

そして国民の目を誤魔化すために朝日新聞を味方にする。これはもうスターリンがとくにそうせいって言ったんですな。

朝日を、朝日を完全にわれわれの味方にして利用し、われわれの言う通りにもっていくと。

これで日本のあらゆる分野にわれわれの同志が浸透して、日本人に共産思想を浸透させ、その時期を見て国政を変え、国体を変えると。

それから、彼は、じっと話を聞いている私に突然、
「お前は今年なんぼか」と。

「はい、三十一です」と答えると、

「おっ、若い。弥之助と同じじゃないか」と。
「これからは、お前たちが中心になってやれ」と。

話は、食事を間にして、3時間有余になった。
「お前、いまどこにおるか」と。

「赤坂の溜池にちょっとお世話になっております」と云うと、
「そんなところに住まずに、今晩からこの家に泊まれ」と、
私を離さないです。

これだけの秘密を話したのだから。同志中の同志だからって。私、とまどったんですよ。

「先生、お願いします。今日は、ちょっと帰らせて下さい。一週間後に九州に帰りまして、家族といろいろ打ち合わせをして、
それからいよいよ先生の下にお世話になりますから」

ということで、なかなか離そうとしない中を、とうとう振り切って、表へ出たきり、それ以来ニ度と会ってないわけです。・・・
2016/12/07(水) 21:13:37 | URL | 戦後の記憶 #- [ 編集 ]
1941年12月8日 ~なぜ大東亜戦争を始めたのか?
http://ameblo.jp/anti-ccp/entry-12103844625.html
2016/12/07(水) 21:27:57 | URL | 鮫島博士 #- [ 編集 ]
アニメ「この世界の片隅に」がタイ国内で2017年2月2日公開
http://www.thaich.net/news/20161206nn.htm
2016/12/07(水) 21:32:00 | URL | 巻貝 #- [ 編集 ]
安倍総理 12月26・27にハワイオワフ島で真珠湾攻撃慰霊訪問
鳥越・津田自称ジャーナリストども80%が反対の「日本×ね」賛成&擁護

安倍総理 12月26・27にハワイオワフ島で真珠湾攻撃慰霊訪問

=日米外交一連の流れの一環

2015年4月30日 安倍総理米国議会演説

「かつて熾烈に戦った敵同士は今や親友になった」

硫黄島の指揮官、栗原中将の孫である新藤大臣と、当時攻撃側の指揮官スノーデン中将が握手
http://bouzup.blog.jp/archives/1062923391.html
2016/12/07(水) 21:55:56 | URL | opera@! #6aNalt3w [ 編集 ]
朝日は、皇国日本を亡ぼすために存在した。
戦前は煽りを入れて本土決戦をさせようとしたし、戦後は、GHQの代弁者のごとく振る舞いを現在でも行っている。
通して言えることは、皇国日本の消滅で有る。
朝日は、コミンテルンの流れが出来ていたとしか思えない。
民度の高い日本であったことが朝日の失敗である。
完成された民族にコミンテルン的考えは、通用しない。
中でも騙される日本人は居る。
しかし大半は、騙されない。
インテリは、騙される。真にある人間が多いからである。
レールに乗っかるほうが楽だから思考停止を選ぶ。
したがって勉強は、出来るが実用に耐えない使えない人間が生まれるだけだ。
昔宣教師が日本に来た頃、カトリックでは、宣教師の墓場だと言われるほど日本の民度は、高かった。
今でもキリスト教徒は、増えていない。
ガチンコで戦争してよかったと思う。
戦争を経なければ、真の同盟関係は、生まれないであろう。血を流して初めて相手を知ることもある。それが、先の戦争であった。
ヨーロッパ戦線は、やらせであると聞いた事が有る。
裏を見るとそう言う気配が有ります。
アメリカの日本の場合、本気で潰しに来ていた感じがする。
差別と偏見アリアリの戦争だ。


2016/12/07(水) 22:49:37 | URL | katachi #- [ 編集 ]
【日本だから安泰】 あれまだあんの?大嘘吐きの朝日新聞 【自由の国マンセー】
■中国籍の男に懲役28年判決 品川4人殺傷で東京地裁
 日本経済新聞 2016年12月8日(木)

>東京都品川区で昨年5月、交際相手の女性と両親ら4人を切りつけて殺傷したとして、
>殺人罪などに問われた中国籍の無職、徐海培被告(26)の裁判員裁判の判決公判が7日、東京地裁であった。
>園原敏彦裁判長は「犯行の結果が極めて重大」として懲役28年(求刑無期懲役)を言い渡した。

>判決によると、徐被告は昨年5月23日朝、品川区のマンションに侵入し、
>交際相手の父親(当時47)の首を包丁で突き刺して殺害。
>止めようとした母親や駆けつけた警察官にも重傷を負わせるなどした。

>園原裁判長は判決理由で「交際相手と別れる時には、
>相手を殺して自分も死ぬという殺害の動機は身勝手極まりない」と述べた。
------------------------------------------------
日本なら、4人も殺傷しようが「殺害の動機は身勝手極まりない」とまで言われようが、
懲役28年(求刑無期懲役」ぽっちりしか言い渡さないからw
いらっしゃーいらっしゃーい!反日キチガイの皆さん、日本にいらっしゃーい!!
刑務所の飯は、おまエラ粗国の飯より旨いですよ。
反日(特ア)出身なら、犯罪者でも大歓迎ご優待の国。
2016/12/08(木) 01:51:25 | URL | 何でもOKの国 #Vbf4Orm6 [ 編集 ]
もうなりかけてるけどねw
■ドイツ・移民にレイプされ川に落とされ溺死

 2016年12月07日
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53211909.html

 親は欧州委員会の高官、被害者娘は難民施設でボランティア


<=( ´∀`) 日本もこんな国にしたいニダ
<=( ´∀`) もちろんウリや宗主国シナ様がレイープ汁
<=( ´∀`) もっともっと特権くれアルニダ
2016/12/08(木) 02:00:09 | URL | こんな連中が働き手?w #0w2DLiwc [ 編集 ]
[004] 失敗しない英語教材の選び方 3つのポイント:大人が英語を身につける方法4
http://www.youtube.com/watch?v=6dFW-p_MXuY
2016/12/08(木) 02:37:54 | URL | NICKEL #- [ 編集 ]
反日カルト原理主義者である朝日新聞は黙れ!
反日カルト原理主義者である朝日新聞は黙れ!
反日カルト原理主義者である朝日新聞は黙れ!
反日カルト原理主義者である朝日新聞は黙れ!
2016/12/08(木) 02:45:58 | URL | ニック(元祖) #82nMtB.6 [ 編集 ]
黒人であるオバマが大統領になれた「単純な」理由
 【アメリカのサヨク教師】は学校現場で、黒人奴隷の搾取の上で富を築いた【白人たちは生まれながらにして富と特権を与えられている】のだから、【黒人たちに配慮するのは当然】だという意味合いで【「白人の特権(White Privilege)」という言葉を使って、特に白人の子供に自虐思想を徹底的に植え付け】ています。
 学校教育で、白人の子供たちに
「あなたたちが豊かなのは、黒人奴隷たちから搾取したからだ。そんな罪深い富で暮らしている白人のあなたたちは、黒人の子供たちにもっと配慮すべきだ」
と教え込むのです。
http://oyakochoco.jp/blog-entry-1633.html
2016/12/08(木) 03:08:24 | URL | 名前を書いてください #TxA5n9P2 [ 編集 ]
日本の国際的評価落ちた、バー赤日新聞4ね!(比喩)
>朝日社説「安倍首相の真珠湾訪問、忘れてはならないのはアジアの人々への視線」

おまエラの言う「アジア」とは、どの国のことだ?
「中韓北」の「糞特亜」だけのことだろ、バー赤!

>「真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争は、アジアの多くの人々に犠牲を強いた。」

「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」だ、バー赤!
アジア諸国を「植民地」にして「犠牲を強いた」のは「アングロサクソン白人国家群」の方であり、そこからアジア諸国を「解放」して「独立」に導いたのが「日本」だ、バー赤!

>「3年前の靖国神社参拝も中韓との関係悪化につながった」

だからそれがどうした?
万年反日国と関係改善したところでどうなる?
中韓と国交回復したせいで、日本の経済成長が止まったんだぞ!
中韓との国交断絶は「日本」と「まともな日本人」にとっては大歓迎だ、バー赤!
2016/12/08(木) 03:41:06 | URL | 歴史の真実 #QMnOeBKU [ 編集 ]
フライングタイガー 捕捉
>●1941年
7月23日、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名

マッカラムの覚書の第3項が、アメリカの蒋介石支援を明確にしている。
1940年9月にアメリカは蒋介石政府に2500ドルの借款供与を決定。
この具体化策としてルーズベルトは1941年4月15日に、アメリカ軍人に対し、フライング・タイガース戦闘機部隊に自主的に志願するよう行政命令を出した。
大統領命令という形で、議会の承認なしに戦争行為に踏み切っている。
アメリカは1941年4月15日に、対日宣戦布告を行っているのである。
アメリカは民主主義の国を自称しているが、キッシンジャーなどの大統領補佐官は議会の承認を受けないこういう影響力ある側近を送り込むのがキングメーカーで、それは大統領選挙に大金を支援する国際金融資本なのである。
つまり、うわべだけ「民主主義を装っている」のだ
実態を握るのはキングメーカーである。
2016/12/08(木) 03:57:16 | URL | たつや #- [ 編集 ]
真珠湾攻撃-日本が米英に宣戦布告。
アメリカの反日政策(東亜新秩序~日米開戦)

上記の開戦にいたる経緯を振り返ってみると、日本が生き残る道はもはや戦争しかなかったことがわかる。戦争責任を問われるべきは、日本を開戦へと追い込んだアメリカであろう。

東京裁判において「平和に対する罪」で日本が有罪とするなら、アメリカははるかに重罪である。
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-6685.html
2016/12/08(木) 07:54:25 | URL | xx #- [ 編集 ]
朝日新聞「嘘でも書いてしまえば事実になる。」
朝日新聞「嘘でも書いてしまえば事実になる。

朝日新聞読者「朝日新聞は一度も嘘をついたことが無い。」
2016/12/08(木) 08:11:16 | URL | さよならサヨク #- [ 編集 ]
【文春】ホリエモン堀江貴文、女装男子「大島薫」とホテルでやっていたことがヤバイwwwww(画像あり)
http://www.akb48matomemory.com/archives/1062935834.html
2016/12/08(木) 08:13:11 | URL | りーべ #- [ 編集 ]
大東亜戦争の意義


>朝日社説「安倍首相の真珠湾訪問、忘れてはならないのはアジアの人々への視線」

その通り! 我々日本人は大東亜戦争によって欧米のアジア植民地支配を打破し、その結果、アジアの人々に尊敬と感謝のまなざしで見られている事を忘れてはなりません。


>朝日社説「3年前の靖国神社参拝も中韓との関係悪化につながった」

その事で国交を断絶すべき敵性国家がより鮮明になり、大変良かったと思います。

大馬鹿は特亜のみのようです。

元祖Love&Peaceは、大東亜戦争の意義の良き理解者だった! ↓


"ジョンは靖国の英霊に祈った 外交評論家加瀬英明(正論11月号より)"

産経ニュース 2016.12.8 06:00

http://www.sankei.com/entertainments/news/161208/ent1612080002-n1.html

2016/12/08(木) 10:06:35 | URL | John Doe The PasserBy #o8e8jAgU [ 編集 ]
開戦記念日
東條英機 演説 / Speech by Hideki Tojo
https://www.youtube.com/watch?v=EvDlpwWz9Ag

東條由布子様が語る大東亜戦争の真実と東條英機総理の遺言
https://www.youtube.com/watch?v=07iyY6HhkRg

東条英機と世界維新
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1273655/1

東条英機と世界維新を読むことを強くお薦めします。
2016/12/08(木) 17:23:37 | URL | 774 #- [ 編集 ]
2016/12/08(木) 17:24:39 | URL | 774 #- [ 編集 ]
戦争を仕掛ける 煽る 米スペイン戦争
米西戦争
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/hidish/beiseisennsou.html
(抜粋)スペインの支配は揺らいでいる。アメリカ政府はスペインに対し、早く反乱を鎮圧して砂糖をアメリカにきちんと輸出するよう迫ったが、一方でアメリカの国民は、スペインの圧制からキューバ国民を解放しようとする独立派に同情を寄せた。こうしたなか、アメリカ政府はキューバに住むアメリカ人の保護を理由に、新鋭戦艦メイン号をキューバに派遣する。ところが、ハバナ港に停泊していたメイン号は1898年2月、謎の大爆発を起して沈没し、乗員354人のうち、266人が船と運命をともにした。日本人8人もボーイやコックとして乗船しており、うち6人が死亡している。(略)
国民感情に火をつけたのは新聞だ。スペインが仕掛けた水雷による沈没だと決めつけて、アメリカはスペインに宣戦布告すべきだと主張した。そこで作られた文句が、「リメンバー・ザ・メイン(メイン号を忘れるな)」である。新聞は連日、このスローガンを大きく掲載した。
2016/12/09(金) 14:36:38 | URL | y #3oWP29F. [ 編集 ]
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2016/12/07(水) 20:31:09 | 日本は危機的な状態です!
&nbsp; ◎当ブログ、IR(カジノ)法案関連エントリーの一覧 &nbsp; このYahoo!ブログには「タグ」やカテゴリー分類の機能が無いので、不便極まりない。仕方ないので以下に、当『賭人がゆく』ブログに於ける 「IR(カジノ)法案」 に関連する過去エントリーを既出順でまとめてみた。 &nbsp; … … … … … … … …...
2016/12/08(木) 01:22:01 | 賭人がゆく
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