

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150807/dms1508071550004-n1.htm
【戦後70年と私】占領政策の真実 間違いに気付いていたマッカーサー ケント・ギルバート氏
2015.08.07、ZAKZAK
厚木飛行場に降り立ったマッカーサー元帥(1945年8月)
70年前の終戦直後、日米関係は、お互いが完全な対立軸からスタートした。
米国は、大日本帝国とは、軍国主義の独裁者が神道という宗教を利用して国民を統率する、非民主的国家であり、世界征服をたくらむ野蛮で好戦的な民族の国だと考えていた。
日本の占領政策、言い換えれば「保護観察処分」は、危険な日本を制度面と精神面の両方から矯正する趣旨で始まった。
東京裁判(極東国際軍事裁判)を通じたABC級戦犯の処罰や、戦争の贖罪(しょくざい)意識を植付ける「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、日本国憲法第9条も一貫した趣旨に基づいている。
しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。
強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。
最高司令官を解任されて帰国したマッカーサー元帥はワシントンに呼ばれ、1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で証言した。
「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった)」と。
日本が始めた大東亜戦争は侵略戦争ではないという意味だ。戦後体制の大前提を根底から覆す、このマッカーサー証言の存在すら知らない人が日米両国とも圧倒的多数である。
占領下の日本には「プレスコード」(=GHQによる言論統制。『連合国や連合国軍への批判』など禁止事項を厳格に列記した)があったので、このニュースを取り上げることはできなかった。
しかし、終戦70年を目前にした現在も、日本の首相経験者や与野党の要職者が、「安倍晋三首相は70年談話で日本の侵略戦争をわびろ」などと、無知蒙昧(もうまい)ぶりを披露している。
70年間に、日米ともさまざまな機密文書が公開され、過去の多くの常識が、今では非常識になった。
開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。
ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。
戦後70年の節目を機に、日本人のみなさんには、日米関係のみならず、国際情勢全般について、最新情報へのアップデートをお願いしたい。
>しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。
>強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。
1922年のワシントン会議で、支那の現状維持(固定化)を図って、アメリカ・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・支那の9カ国間で締結された「九カ国条約」(ワシントン体制)は、支那が条約を破りまくり、アメリカも支那の横暴を助長したために崩壊した。
この頃、支那とアメリカは、日本に対して、とことん嫌がらせをした。
1931年に日本が満州事変を起したのも、条約を破りまくった支那に堪えかねてのことだった。
その後、アメリカは、第二次世界大戦によって日本を支那大陸から駆逐した結果、日本に替わって、ソ連や支那や朝鮮半島の共産主義勢力と対峙する重荷を背負わなければならなくなった。
マッカーサーなどアメリカの一部の有識者は、日本を支那大陸から駆逐した結果、それまで日本が背負っていた重荷(問題と責任)を日本に替わって背負うことになり、大変な苦痛を感じた。
そして、実際にアメリカが朝鮮戦争で共産主義勢力と戦うこととなり、マッカーサーなどは大東亜戦争までの日本の立場を完全に理解した!
実は、マッカーサーの議会証言があった1951年より16年前の1935年に、国際法の専門家で、ワシントン会議では米国代表団の主要メンバーだったジョン・アントワープ・マクマリーは、「アメリカが支那と一緒になって条約(国際法)を破りまくり、条約(国際法)を厳格に遵守している日本に対して嫌がらせを続ければ、日本と戦争となってしまう」と予言していた!
ジョン・アントワープ・マクマリーは、満州事変や大東亜戦争の前に、条約と平和を守っていたのが日本で、条約を破りまくって東アジアの平和と秩序を崩壊させていたのが支那とアメリカだったことを正しく把握していた。
専門的知識と外交上の知恵に満ちたマクマリーは既に1935年に、支那や米国などが条約を破りまくって、日本を追い詰めていると指摘していたのだ。
米国の大部分の人々はそのころ、日本がアジアを戦争に巻き込むドラマの悪役であると信じていたが、マクマリーはこの考えに賛成ではなかった。
日本の1930年代の新しい強引な政策は、一方的な侵略とか軍国主義のウィルスに冒された結果などではなく、それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為がもたらしたものだと熱心に説いたのである。
ワシントン会議は、確かにアジアでの国際協力を達成することのできる枠組みを決定した。
しかし1920年代において、日本がワシントン条約の条文と精神を厳密に守ろうとしているのに、この合意のもう一方の当事者、特に中国と米国が条約諸規定の実施を繰り返し阻害したり、拒否する事実のあったことを彼は指摘した。
このように米国に教唆された中国は、自らの国際的地位を保証してきた法的な枠組みを一貫して軽視し、それによって日本の激しい怒りを招く結果となった。
日本にワシントン条約を遵守させるのはなかなか難しかったのだから、日本の態度は評価されるべきだったとマクマリーは主張した。
しかしそうした評価が得られず、日本が自発的に参加した国際システムの全体が崩壊して自国の利害を脅かされると感じたとき、日本は「東アジアにおける正当な地位を保障するための強力な軍備」に頼るようになっていったとマクマリーは考えたのである。
1930年代の中頃、マクマリーは事態が重大化したと考え、もし米国が日本の苦情を認めないで中国への肩入ればかりを続けるならば、結果的には間違いなく「日本との戦争」になってしまうと予言したが、彼の外交官仲間たちの多くはこの意見に賛成しなかった。
日米戦争が勃発したのはこれが書かれた6年後である、マクマリーは、まさに先見の明があったというべきであろう。
ジョン・アントワープ・マクマリー原著『平和はいかに失われたか』(原書房、アーサー・ウォルドロン編、北岡伸一監訳、衣川宏訳)、6~7頁
1922年のワシントン会議において、支那の現状維持を図って、アメリカ・イギリス・オランダ・イタリア・フランス・ベルギー・ポルトガル・日本・支那の9カ国間で締結された「九カ国条約」(ワシントン体制)は、支那の横暴(条約違反)と、それを助長した米国の政策によって崩壊した。
国際法の専門家で、ワシントン会議では米国代表団の主要メンバーだった米国務省の外交官マクマリーは、現地で見た事実を基に報告書を作成し、1935年に米国務省に提出した。
東アジアの平和と秩序を守ろうとしていたのが日本で、東アジアの平和と秩序を破壊したのが支那とアメリカだったことについては、「ソ連【封じこめ政策】の生みの親」といわれるアメリカの外交官でリアリスト(現実主義者)の政治学者だったジョージ・ケナンも、1951年に書いた『アメリカ外交50年』で説明している。
その上、ジョージ・ケナンは、『アメリカ外交50年』の中で、ケント・ギルバートの「米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。」と同じ内容の批判もしていた!
第2次世界大戦のずっと以前から、権威ある観察者で、シナ大陸における日本の利益を覆し、またシナにおける外国政府の地位を毀損する傾向を益々強めていた政策の適否を疑問視していた者がいたのである。
我々の最も消息通の職業外交官の1人であったジョン・V・A・マックマレー(ジョン・アントワープ・マクマリー)氏は、引退されてから数年になるが、1935年に極めて思索的で予言的な覚書を書いた。
その中で、もし我々が現にとりつつある方向に進んで行くならば、日本と戦争がおこるであろうと指摘した後、彼は、かかる戦争において我々の目的を徹底的に貫徹したにしても、それはロシアに旨い汁を吸われるだけであり、山ほどの新しい問題を作るだけであると述べた。
日本を敗北させたからといって極東問題から日本を排除したことにはならないだろう。
(中略)
活力ある国民は戦敗や国家的恥辱によっておとなしくなるものではない。
むしろ彼等は、自尊心という激情的衝動にかられて、彼等の帝国的権力の全盛期に揮った実力と殆ど少しも劣らぬほどの「邪魔者の真価」を発揮するような諸手段を用いて自己の存在を再び主張するに至る。
しかしながら、日本を抹殺することが可能であるにしても、それすら極東ないしは世界にとって祝福すべきこととはならないであろう。
それは単に新たな一連の緊張状態を造り出すだけであり、日本に代わってロシア帝国の後継者としてのソ連が、東亜制覇の競争者として(そして少なくとも日本と同じ位無法な且つ危険な競争者として)現れるたけであろう。
かかる戦争における我々に勝利から利益を得るものは、恐らくロシアの他にないであろう。
仮に我々がシナを日本から「助け」てやらねばならぬとしても、我々がシナ人の感謝の念に乗じて請求権を確立すべきでなかったということを認めることは、シナ人にとって何ら不面目なことでない。
国家や民族というものは、集団的にこのような感情に動かされないのが当り前のように思われる。
(中略)
彼等は我々に対して何ら感謝することもないし、また利他的な意図について我々を賞揚することもないであろう。
かえって、彼等は、我々が引受けた責任を果たそうとする場合、これに抗争しようと試みるであろう。
今日我々が当面している朝鮮の情勢を見るならば、これらの言葉に付け加えて論評する必要はない。
アジアにおける我々の過去の目標は、今日表面的には殆ど達成されたということは皮肉な事実である。
遂に日本はシナ本土からも、満州及び朝鮮からも駆逐された。
これらの地域から日本を駆逐した結果は、正に賢明にして現実的な人々が、終始我々に警告した通りのこととなった。
今日我々は、殆ど半世紀にわたって朝鮮及び満州方面で日本が直面し、かつ担ってきた問題と責任とを引継いだのである。
もしそれが他国によって引受けられたならば、我々として軽蔑したような重荷を負って、現に我々が苦痛を感じているのは、確かに意地の悪い天の配剤である。
P62-64
ジョージ・F・ケナン著『アメリカ外交50年』(1951年)
アメリカは、最初のフィリピンの時もそうだったが、何となくほしい物を屁理屈を捏ねては強引に手に入れ、実際に手に入れて少し経てば簡単に幻滅して無責任に放棄した。
アメリカは、北米大陸を西へ西へと開拓(侵略)し、西海岸に到達した後、開拓(侵略)の矛先を太平洋へと進めた。
ハワイ王国を滅亡させて併合した後、フィリピンを騙してスペインから独立させた直後にアメリカの植民地とした。
しかし、フィリピン領有のデメリットが、メリットよりも大きいとすぐに気が付き幻滅し、やがて切り捨てる決定を下した。
アメリカは、支那大陸(支那と満州)の開拓(侵略)にも興味津々だった。
支那に関しては、英国を中心に既に勢力圏が割り振られていた。
満州は、当初ロシアが占領していたが、日露戦争の後に日露が南北で勢力圏を2分し、やがてロシアはソ連になって北満州の権益を放棄し、遂には親日国家の満州国が出現した。
アメリカは、支那大陸(支那と満州)の勢力圏の獲得に動いた時、支那の権益を英国などから奪い取るより、満州国や支那の権益を日本から奪い取ろうとした。
アメリカは、「…10年1日の如く、アジア大陸における他の列強就中日本の立場に向かって嫌がらせをやった…」(ジョージ・F・ケナン著『アメリカ外交50年』)のであり、ついに日米戦争によって満州と支那から完全に日本を追放することに成功した。
しかし、アメリカは、満州の権益も支那の権益も手に入れることが出来ず、ソ連や支那や朝鮮半島の共産主義勢力と対峙する重荷を日本に替わって背負わなければならなくなった。
その時にアメリカは、スペインからフィリピンを奪い取った後の幻滅を遥かに超える苦痛を感した。
しかも、このことは賢明なアメリカ人の多くが前々から予言し指摘していたにもかかわらず、強行されたのだから実に愚かなことだった。
>開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。
>ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。
以下は、ブログ「正しい日本の歴史」より一部修正して掲載。
━━━━━━━━━━
ハミルトン・フィッシュの証言

真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・ルーズベルト大統領は、日本に対して宣戦布告を求める議会演説(恥辱の日演説)を行った。
ハミルトン・フィッシュは、米下院の共和党議員で主導的政治家だったので民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領の政敵だったが、国家の一大事に際して、ルーズベルトの演説に続いて、それを容認する演説を行った。
全米2500万人(当時のアメリカ人口は約1億3000万人)が、フィッシュの演説をがラジオで聴いた。
ところが、戦後、フィッシュはこの自分の演説を深く恥じることになった。
なぜならば、ルーズベルト政権の対日交渉の詳細が次々と明らかになってきたからだ。
特にフィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが「ハル・ノート」の存在を議会に隠していたことだった。
ルーズベルトは「アメリカが誠意を持って対日交渉を続けている最中に、日本は卑怯にも真珠湾を攻撃した」と、議会や国民に説明していた。
しかし、それは偽りだった。
フィッシュは自著『FDR: The Other Side of the Coin.』(1976年)(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)で、次のとおり振り返っている。
私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。
1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省で最後通牒が手交された。
それはハル国務長官が渡したものである。
ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。
民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。
フィッシュは、ハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っている。
それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書だった。
フィッシュは、ルーズベルトを軽蔑するとともに、自分がその嘘に乗せられて対日宣戦布告を容認したことを強く恥じた。
戦後の研究で、日本の天皇も指導者も、対米戦争を望んでいなかったことまでが明らかになると、彼の怒りは頂点に達した。
━━━━━━━━━━私はルーズベルトを許すことができない。
彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。
日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハル・ノートはルーズベルトが真珠湾攻撃を「恥ずべき行いの日」と呼んだことにちなみ、「恥ずべき最後通牒」と呼ぶのが適切と思われる。
日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。
天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。
天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、できるかぎりのことを行っていた。
日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。
しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。
日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。
ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。
どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。
こんな理不尽な話はあり得ない。
米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。
このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。
天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。
非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。
在日米国大使であったジョセフ・グルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。
日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。
しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。
日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。
これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。
我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。
イギリスは、それ以上に多くのものを失った。
イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポール、ビルマ、インドおよびセイロンをも失った。
日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。
このような民族に『恥ずべき最後通牒ハル・ノート』を突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。
私はルーズベルトを許すことができない。
この大戦は米国に三十万人の死亡者と七十万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらした。
日本には軍人、民間人合わせて三百万人以上の死亡者をもたらした。
日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。
その責任はルーズベルトが負っているのだ。
『日米・開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか』ハミルトン・フィッシュ著、岡崎久彦訳(1992年12月)
『Tragic Deception: FDR and America’s Involvement in World War II.』 Hamilton Fish (原著)(1983年)
以上が、正確な歴史の事実であり、正しい歴史認識だ!
安倍総理大臣が戦後70年にあたって発表する談話の策定に向けた有識者懇談会「報告書」の「日本は、満州事変以後、大陸への『侵略』を拡大し、戦争違法化から逸脱して、無謀な戦争でアジア諸国に多くの被害を与えた」なんて、完全な嘘出鱈目だ!(詳細記事)
左:『日本の自立 戦後70年、「日米安保体制」に未来はあるのか?』西村幸祐著、ケント・ギルバート著 (2015/8/7)
中:『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』ケント・ギルバート著(2015/5/26)
右:『素晴らしい国・日本に告ぐ!』テキサス親父著、ケント・ギルバート著(2015/5/22)
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戦後の日本の復興を助けてくれたアメリカ人に感謝。
これ言ってるの天皇陛下です。
皇后陛下は元GHQメンバーのベアテゴードンに感謝。
内廷皇族が左翼自虐史観の発信地となっている現実から目を背けるのは欺瞞出し、危険です。
GHQの皇室弱体化政策が成就してしまいました。
そういう汚点にすべて目をつぶったことから、彼らの独善性が生まれた。
自分たちの過去はないことにし、敵対する者に対しては悪のレッテルを貼り付けるのが習い性になってしまった。
アメリカが原爆を落として日本に勝利し、日本人を洗脳したことは、彼らにとっての成功体験となった。
そこで同様のやり方で世界を席巻しようとしている。
だがベトナムにしろアラブにしろ、このやり方はすべて失敗しているのだ。
そしてその結果、さすがのアメリカの力も弱体化しつつあるのだ。
だから日本はいつまでもアメリカの力に頼るわけにはいかない。
もちろん今のところは必要な同盟ではあるが、将来を見据えた自立についても考えておかねばならない。
関東軍司令部は一九三八(昭和十三)年一月に、「現下二於ケル対猶太民族施策要領」を定めていた。これは、東條参謀長が決裁したものであった。要領は日本がユダヤ人を差別しないことについて、「独逸其ノ他ノ列国二対シテハ我民族協和、八紘一宇ノ精神並二防共ノ大義二遵由スルヲ諒解セシメ誤解ナカラム」(第四項)と、述べていた。当時、日本とドイツは、防共協定を結んでいた。
東條と、樋口と、安江が二万人以上のユダヤ人難民を窮状から救ったのは、〃日本のシンドラー"として有名になった、杉原千畝リトアニア駐在領事代理が首都のカウナスで一九四〇(昭和十五)年七月から九月にかけて、"生命のビザ〃を発行して、六千人以上のユダヤ人難民を救った、その二年以上も前のことである。
三人の日本軍将校と、杉原が、ユダヤ人を救った時には、アメリカや、イギリスをはじめとする諸国が、ユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。もし、このころにこれらの西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたとしたら、その後、数百万人のユダヤ人が、ナチスによって虐殺される運命から逃れることができたことだろう。ところが、日本は扉を開いたのだった。
◆ドイツの抗議を一蹴した東條
オトポールに集結したユダヤ人難民の大多数が、ドイツ旅券を持っていた。旅券には赤い字で大きく、ユダヤ人の"J〃を示すゴム印が、押されていた。ドイツ政府はユダヤ人は子供にいたるまで、衣服にユダヤの象徴である、黄色の"ダビデの星〃の縫い取りをつけることを、義務づけていた。
難民たちはドイツから出国した時に、この屈辱的な縫い取りをいっせいにはぎ取って、捨てていた。すると、ドイツ外務省が日本政府に対して、大量のユダヤ人難民を満州国へ入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ、すぐに伝えられた。すると、東條参謀長は難民を受け入れたのは、「当然なる人道上いつしゆうの配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。
この時、東條参謀長が樋口に許可を与えなかったとすれば、ユダヤ人難民が救われることはなかった。
樋口は有能な軍人であり、その後、東京の参謀本部で部長などを歴任し、中将に昇進した。太平洋戦争の末期には、千島列島と北海道の防衡を担当する北部軍司令官となっていた。樋口がこのように軍人として順調に出世したのは、規則を忠実に守ったからだった。樋口がオトポールに殺到したユダヤ人難民を入境させるのに当たって、参謀長の許可を仰がないはずがなかった。
◆明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別の対象
日本は明治に西洋の列強の威嚇のもとに、開国と近代化を強いられて以来、列強によって屈辱的な不平等条約を結ばされていた。幕末から海外を旅した日本人は、西洋の帝国主義諸国が同じアジアの民を、家畜同様に扱っていたのをみて、深く憤るとともに、人種平等の世界を創ることを、強く願った。日本が最後の不平等条約を改正することができたのは、日本が日露戦争に勝った後のことだった。
日本人も、傲る西洋人によるおぞましい人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと、その直後からアメリカのカリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。このことは、日本国民をいたく憤慨させた。
サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて、全市の小学校から追放した。全市で二万人以上の小学生がいたなかで、日本人児童は僅か百人にみたなかった。
東條も、樋口も、日本人だったのだ。当時の日本人は、誰もが西洋の列強が公然ともと人種差別を行っていたのを、正義に悖るとみなしていた。東條や、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救ったのだった。一日本人とユダヤ人は、正義をことさらに愛する民である。ここにも両民族のあいだに、もう一つの共通点がある。
◆東條の名が『ゴールデン・ブック』に載らなかった理由
だが、どうして東條英機の名が、『ゴールデン・ブック』に刻まれることがなかったのだろうか。東傑は最高責任者として、樋口や、安江とともに、称えられるべきだった。
しかし、『ゴールデン・ブック』に名を載せるためには、複数のユダヤ人か、あるいはユダヤ人団体が推薦する必要があった。そして、かなりの金額だった五十スターリング(イギリス)ポンドを、ユダヤ民族基金に寄付しなければならなかった。
樋口と安江は、ユダヤ人の逆境に同情して、好意を寄せていただけではなく、特務機関の幹部として、ハルビンのユダヤ民族協会と頻繁に接触していたから、ユダヤ人社会と個人的な交流があった。しかし、東條はオトポールのユダヤ人難民を救う鍵を握っており、その鍵を使って、難民を救うために、満州国の門扉を開いたものの、ユダヤ人と親交を結ぶ機会がなかった。
その時にハルビンにあった極東ユダヤ民族協会の会長は、医師のアブラハム・カウフマン博士だった。ロシアのウラル地方のパウムの出身だったが、一九二一年に満州へ移ってきたのだった。
◆鍵を握るカウフマンを訪ねる
私はカウフマン博士の息子のセオドア・カウフマンと、親しくしている。セオドアは一九二四年にハルビンで生まれ、そこで育った。今日、八十歳になるがイスラエルのテル・アビブの郊外に住んでいる。
多くのユダヤ人が、ハルビンに住んでいた。第二次大戦後、ソ連軍が満州を占領した後に、ソ連はユダヤ人を嫌ったロシアと体質が変わらなかったからカウフマン一家は苦労したが、しばらく後にイスラェルに安住の地を見出した。
セオドア・カウフマンはテル・アビブの市庁に三十六年問勤めた。今日では、イグット・ヨッエイ・シン(中国在住体験者の会)の会長をつとめている。自宅には、数千枚にのぼる満州時代の写真が保存されている。樋口や、安江の姿もある。
私はイスラエルでセオドア・カウフマンと会って、「どうして東條が『ゴールデン・ブック』入りをしなかったのだろうか」と、たずねた。すると、カウフマンは「もし、東條参謀長が、父や、ユダヤ民族協会の幹部と会っていたとしたら、その名が樋口と安江とともに、一九四一年の夏に、問違いなく『ゴールデン・ブック』に刻まれたはずだ」と、語った。
もしも、そうなっていたとすれば、その後の東條の国際的なイメージが、大きく変わっていたにちがいない。東條は日本の敗戦後に、連合国が行った一方的な東京裁判によって、"A級戦犯"として絞首刑に処せられたが、全世界のユダヤ人たちから助命嘆願書が、マッカーサー元帥のもとに寄せられたことだったろう。そして連合国を、ひどく困惑させたにちがいない。(P44-P54)
◆アメリカの黒人差別がやんだのは日本がアジアを解放したため
当時、アメリカは国内で、黒人を法的に差別していた。黒人に対する差別は、当然のこととして、全国でひろく行われていた。野球はアメリカの国技であるが、黒人が野球選手となれるようになったのは、第二次大戦後のことである。第二次大戦によって日本がアジア諸民族を解放すると、アメリカも国内で黒人を差別することができなくなった。
今日では、西洋諸国において第二次大戦はアメリカや、イギリスをはじめとする「民主主義勢力」とドイツや、日本などの「ファシスト勢力」の戦いだったと信じられている。ドイツはソ連と同じファシスト国家だった。しかし、いったい国の内外で有色人種を差別して、人権を踏みにじっていたアメリカや、イギリスなどの連合諸国を「民主主義国」と呼ぶことができるものだろうか?
日本が第二次大戦を戦った結果として、数世紀にわたって白人の覇権支配のもとに置かれていたアジア・アフリカ諸民族が、鎖から解き放たれた。アジア・アフリカ諸民族は、はじめて陽光をみることができて、自由を回復した。
アメリカもそのために、黒人を差別し続けることが、できなくなったのだった。今日、タイガー・ウツズがゴルフ界のスーパースターとして活躍しているのも、第二次大戦が人種平等の世界をもたらしたからである。黒人がゴルフ競技や、テニスの選手権に参入できるようになったのも、日本の力によるものだった。
◆日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けてくれた!
日本は人種平等の原則に基づいて、ユダヤ民族を一貫して応援してきた。この記録は、日本の国の勲章である。
先の"バルフォア宣言"が発せられると、ベルサイユ講和会議で日本代表団の一員として加わっていた、珍田捨巳駐英大使が、「日本政府はユダヤ人が自分の国家をパレスチナに建設しようとするシオニストの願望を支持し、その要求が実現されることを望む」という書簡を発表している。 (P80-P81)
◆その時、アメリカは民主国家だったのだろうか
アメリカは日本を「民主化」することを大義名分として掲げて、強引に日本を改造することをはかった。これも、歴史の一幕の笑劇だったのかもしれない。
いったい、その時のアメリカは、民主国家だったのだろうか。
アメリカでは、黒人はアメリカ国籍を持つアメリカ人でありながら、一九六〇年代にキング師の公民権運動が歴史的な勝利を収めるまでは、アメリカの多くの州において、白人の洗面所や、便所をともに使うことが許されず、白人専用のバスに乗ることも、白人だけに限られた待合室や、食堂に入ることもできなかった。日本とアメリカのどちらが、「封建的」だったのだろうか。
二〇〇四年にニューヨーク大学出版局から、ノース・カロライナ大学のジェラルレイス・ウオード・ホーン教授による、『人種戦争1』と題する第二次世界大戦についての本が、出版された。この本は、いまや歴史によって埋め去られるようになっている真実に、光を投げかけている。この労作は、日本がアジアの民衆の広範な支持をえて、アジア・アフリカを解放したことを、証している。
著者はインドを一つの例にとって、かつてインド人は「イギリス人の奴隷でしかなかった」のだったと記し、したがって「白人はインド人が何をしても、礼をいうことすらなかった」と、述べている。
そして、白人による不条理な覇権に対する日本の戦いは、第一次大戦後のベルサイユ講和会議から始まったと、論じている。ベルサイユ会議はパリ会議としても知られているが、ここで今日の国際連合の前身となった国際連盟が、創設された。この時に、日本全権団が国際連盟規約のなかに、「人権平等の原則」を盛り込むことを、強く主張した。
ところが、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が先頭に立って、イギリス、フランス、イタリアなど、アジア・アフリカにわたって植民地を支配していた列強を誘って、日本の提案を拒んだ。アメリカのウィルソン大統領はベルサイユ会議において、"諸民族"の「セルフ・ディターミネイション」(民族自決)の理想を主張した。そのことによって、歴史に名をのこしている。
第一次大戦後、「民族自決」は東ヨーロッパにおいて合い言葉となった。だが、世界の大半を占めるアジア・アフリカは除外された。ウィルソン大統領が提唱した「民族自決」は、白人の諸民族だけに限られていた。当時、アメリカは国内で、同じアメリカ人だった黒人を、法によって厳しく差別していたのだった。
ホーン教授はアメリカの黒人の多くが、「日本が傲るヨーロッパ人や、アメリカ人の命令に従うことを拒んだ、最初の有色人種であることを、大いに誇りにしていた」と、述べている。
教授によれば、一九四〇年代にアメリカ黒人運動のリーダーであった、W・E・B・デュボイスが、西洋の帝国主義について「ヒトラーが百年生きたとしても、それよりもはるかに大きな惨禍を人類におよぼした」と、説いていた。
そして、アメリカ人や、イギリス人が「日本人も、野蛮な劣等民族として見下していた」といい、アメリカは第二次大戦に当たって白人の部隊と、白人が同席してはならない黒人だけの部隊に差別して分けていたと、記している。
アメリカは白人至上主義のイギリスとともに、「民主主義」を旗印として、戦った。教授はそのかたわらで、人種平等の理想を求めて戦った日本が、ナチス・ドイツと同盟していたのは、歴史の大きな皮肉だったと、観察している。
◆日本が戦った結果、アジア・アフリカが解放されたのは歴史の事実
西洋諸国は第二次大戦前まで、あるいは大戦が終わるまで、アジア・アフリカの植民地の人々を劣等な人間として蔑んで、家畜と同様に扱っていた。
日本が先の大戦を戦った結果として、これらのすべての植民地が解放されて、人種平等の理想の正義の世界が、地上にあまねく招致された。これは、誰も否定することができない、歴史の事実である。
人種を肌の色や、宗教によって差別することは、それまで西洋諸国が日常的に行ってきたことだった。だが、今日ではまったく許されないことになっている。ユダヤ人も、人種平等が普遍的な規範となった世界の恩恵を、大いに蒙っている。
当時のセイロン(今のスリランカ)のジャヤワルダナ蔵相は以下のように演説しました。
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか、
それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、
また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して
抱いている深い尊敬のゆえである。
往事、アジア諸民族の中で、日本のみが協力かつ自由であって、
アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。
私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄の
スローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、
ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が
解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」
そして、セイロンは日本に対して賠償を求めないとジャヤワルダナ蔵相
は述べられたんです。同様に、インド・ラオス・カンボジアなども
対日賠償請求権を放棄しております。
インドネシアについても教えてあげましょう。
確かに日本はインドネシアに当時の価格で8億ドルの賠償をしました。
ただですね、賠償交渉で来日したアルジ・カルタウィナタ国会議長は次のように仰っています。
「独立のお祝いというつもりで賠償を払てください。日本が悪いことをしたから
賠償をくれというわけではありません。こんなにひどい貧乏な日本から
お金を貰うのは辛いなぁ。
しかしこの働きぶりなら日本は必ず一流の国になると思うのでまず私たちを助けてください」
日本は韓国の経済成長も技術的にも資本的にも助けました。
韓国は文化的にも日本から大きな影響を受けました。
中国も同様です。
ところがそれを快く思わないのが日本のあちこちに巣食う共産主義者たちでした。
こいつら北朝鮮を崇拝して、日本を誹謗中傷しまくっていましたが、
ついに共産主義の悪魔性が国際的に知られてきたら、今度はあることないこと世界中に
日本軍や日本人の残虐性を吹聴していきました。
朝日新聞もその最先頭にたって日本軍の残虐性を糾弾する記事を世界中に拡散しまくって、極左勢力の応援をしました。
それでいつのころからか日本の極左勢力がメディアを巻き込んで日本の夏が来るたびに日本侵略戦争キャンペーンを
やるようになりました。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E7%B1%B3%E3%83%BB%E9%96%8B%E6%88%A6%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E2%80%95%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%82%92%E6%8B%9B%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5/dp/4569565166
https://en.wikipedia.org/wiki/Hamilton_Fish_III
二、米東洋史・地政学者であったヘレン・ミアーズ(Helen Mears。1900~89年)が『アメリカの鏡・日本(Mirror for Americans: JAPAN)』(1948年)の中で、「前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえる。開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動に倣い、「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえる」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%8F%A1%E3%83%BB%E6%97%A5%E6%9C%AC
ハルノートは国務長官のメモレベルで、真剣に考える必要はなかったという意見もありますが、メモレベルにしたのはアメリカ議会にばれないようにするためだったのかもしれないと思いました。
教育改革で近現代史が必須となり、国史と世界史を一緒に学べるようになるようです。
その今だからこそ、なぜ鎖国をしたのか、なぜ第一次世界大戦に巻き込まれたのか、なぜABCD包囲網をされなければならなかったのか、日本人全員が理解できるようになって欲しいものです。
これからも私たちにいろいろ教えてください。
拡散していきます。
1.非武装の民間人を女子供の区別なく虐殺した
2.そしてその数20万人である。
と極東軍事裁判で持ち出された。
そして
被害者の数はその後30万人昨今は40万人などという
馬鹿馬鹿しい数字に膨れ上がっている。
この南京大虐殺はアメリカのプロパガンダで、
安全な高高度から「東京大空襲」「広島・長崎原爆投下」
で非戦闘員を大虐殺した戦争犯罪を糊塗するために
極東軍事裁判でいきなり持ち出されたのです。
日本人は朝鮮人や中国人と違い弁解することを
潔しとしない風潮があります。いわゆる「真実は神のみぞ
知る」というわけです。松井大将も言いたいことは
沢山あったでしょうが黙って刑に服した。
南京大虐殺の話題は一人歩きし始めて「幻派」
だの「無かった派」などとレッテルを貼られていますが。
本来「南京大虐殺」は一体誰が何人の民間人を
殺害したのかをアメリカが責任もって証明しなければならない
問題です。
アメリカが証明できなければ「松井大将」の
罪は冤罪ということになります。
またアメリカに尻馬に乗って騒ぐものどももやはり
南京大虐殺を主張するからには同様の証明をしなければ
なりません。
証明できなければ世に言う「南京大虐殺」は通常の戦闘行為
であり、日本が単に勝って「南京入城」下だけのことです。
中国人や反日的似非人道主義者の言うことはまるで日本陸軍が
インカ帝国を侵略滅亡させたようなことを言っているが
これは捏造です。
ハルノートがアメリカ議会の承認を経ていないものだったと、今回の記事で初めて知りました。自分にとっては貴重な新情報を発信頂きありがとうございます。
…戦艦大和の建造費を、アメリカへの諜報&諸外国への広報活動に振り向けていれば、けっこう歴史が変わっていたかもしれませんね(苦笑)。
戦後70年談話 “侵略”は踏襲しない方向
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150807-00000007-nnn-pol
中国の王外相が「安倍談話によって引き起こされるその後の反応の責任は、全て日本が負うべきだ」みたいな脅しをかけていたが、また「暴動」を煽るのだろうか・・・。
アメリカの大統領は在任中に必ず一度は戦争する決まりになっているようだが、中国の国家主席も任期中に一度は「反日暴動」をやる事になっているのかも知れない。
破壊、焼き討ち、略奪の恐れあり。
外務省は早々に、「渡航延期勧告」の準備に取り掛かるべきだ。
「ドイツと日本を暴走させよ! しかし、その矛先を祖国ロシアに向けさせてはならぬ。
ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の支那へ向けさせよ。
そして戦力の消耗したドイツと日本の前に、最終的にアメリカを参戦させて立ちはだからせよ。
日本とドイツの敗北は必至である。
そこで、ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域、つまり、日独砕氷船が割って歩いた後と、疲弊した日・独両国をそっくり共産主義陣営にいただくのだ。」
つまり、日本とドイツを他の国と負ける戦争をさせ、その後ソ連が両国を属国にするよう仕向けさせた。 これはその後忠実に実行され、最後の一行以外は全て現実のものとなった。
2004年
「世界最大のドキュメンタリー専門チャンネル「ディスカバリーチャンネル」(ディスカバリー・ジャパン株式会社、所在地:東京都新宿区)はこのほど、
テキサスA&M大学の研究者たちとの共同探査により、日本の五島列島沖64キロの海底で、第二次世界大戦当時の日本の潜水艦24隻を発見したことを正式に発表した。
潜水艦を発見したのは、テキサスA&M大学の海洋学教授ウィリアム・ブライアント氏と、同大学で海洋学を専攻する博士課程の学生で、
非営利の海洋研究グループ「プロメア(ProMare)」を率いるブレット・ファナフ氏の二人。
第2次世界大戦当時の潜水艦が24隻も1ヶ所に海沈処分された例は他になく、
また日本でこれほど大がかりな海底探査が行なわれるのも、初めてのことである。」
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1090246377/
2006年
「テキサスA&M大学の研究者たちとの共同探査により、日本の五島列島沖64キロの海底で、 第二次世界大戦当時の日本の潜水艦24隻を発見された。 今回の探査では〈伊58〉と潜特(極秘建造された「特型潜水艦」の略)の〈伊402〉以外にも、22隻の潜水艦がここに沈んでいることがわかった。どれも見事な潜水艦で、最大のものは全長122メートルに及ぶ。」
http://d.hatena.ne.jp/rahoraho/20061030/1162202504
そして
↓
2015.8.7 18:53
「旧日本海軍の潜水艦か 長崎沖海底、24隻発
海上保安庁は7日、長崎県・五島列島の東南東約35キロの海底で、旧日本海軍の潜水艦とみられる24隻の船影を発見したと発表した。この海域では終戦後の1946年4月、当時世界最大の潜水艦だった「伊402」(水中排水量約6600トン)など24隻が処分のため米軍に撃沈されたとの記録があり、船影の大きさや形状と合致するという。
長崎県・五島列島沖の海底で見つかった旧日本海軍の潜水艦とみられる複数の船影。中央の大きな盛り上がりが「伊402」とみられる。音波探査データを元に再現したCG画像(海上保安庁提供)
同庁によると、海底地形調査中だった測量船「海洋」(550トン)が7月14日、音波による探査で船影を捉えた。24隻は東西4キロ、南北2キロの範囲で水深約200メートルの海底に散らばっていた。
最も大きな船影は長さ約120メートル、幅約15メートル、海底からの高さは約10メートル。艦橋を上にして沈んでおり、大きさなどから伊402とみられるという。ほか23隻は、長さ50~100メートルほどだった。」
http://www.sankei.com/photo/story/news/150807/sty1508070013-n1.html
・・・・・????!
おかしい!!
流石ブログ主様です
やはりアメリカ民主党は日本にとっては癌ですね
歴代に渡ってろくな事をしない
オバマも就任当時は中々の反日ぶりでしたからね
漸く中国・韓国・北朝鮮の駄目さ加減、アメリカの国益に反する連中だと理解したようでw
あれだけやりたい放題されてからでは遅いんですけどね
まして、相変わらず日本の足は引っ張るの止めないし・・・
所詮友好国や同盟国と行っても国益に成らなければ意味が無いんですよ
国と国とはお友達じゃ無いのですから
まぁ、現場の人間や国民感情は別ですが、政府のプロパガンダや敵のプロパガンダであっさり国民感情何て変わりますからね
どんなに友好的でも、全幅の信頼など国際政治では出来ませんよ
だからこそ、金や技術支援や軍事力が必要何です
友好国を繋ぎ止める為に
『金の切れ目は縁の切れ目』は正に国際政治に於いては真理と言えましょう
だから、中国はAIIB何ぞで他国を騙そうとした訳です
とは言っても、現実的にアメリカも日本もオーストラリアも『単独』で自国を防衛するのが不可能な以上、国益の為に『集団的自衛権』を行使する以外有りませんからね
『アメリカは日本にろくな事をしない』『オーストラリアは反日だ‼』等と言っても、国際情勢的に、アメリカの思惑や謀略も含めてアメリカと組むしか有りませんから・・・
安倍内閣のアジア歴訪やアメリカに邪魔される前のロシアとの外交は、アメリカの軛から抜け出す為の策だったのでしょうが、ロシアに関しては潰されましたからね
事実上アメリカの支配から脱却出来てない以上、『アメリカが~‼』と言ってもせんない事です
問題は銀行家とは誰かということですが…世界の戦争を起こすか起こさないかを決定できる力を持つ銀行家といえばあの民族しかいませんよね…。
お二人に神のご加護があらんことを。
それでも、日本を悪者にしときたい、疚しく卑しい事情のある連中の方が、圧倒的に多いってこった。
もう、談話なんぞ要らないと思う。
70年も経って何のために?というか国益になっていないし、反日連中の「圧力」で、
売国(反日)に値する「談話」を強要されるなんて愚の骨頂だ。
戦後、日本が歩んできた足迹や、世界貢献を見て判断してもらえばいい事。
それを言葉で出させて、言葉尻から揚げ足を取ろうという、腐った連中の思惑通り進めることは何もない。
そもそも、既にもうあれだけ米にも恩仇や裏切りしている、下朝鮮にすら、何も報復しないどころか
、売春婦等の捏造した言い分の後押ししてやってる米だし、日本に露骨に与しない様子も分かったし、
逆に、日本が「自前で何かを決めても」何も言わないだろう。
(ちょっと圧力かけて、思惑通りに配慮されるなら一応言ってみよう位なのに、日本がポチ反応するから・・・)
戦後70年にもなって、独立した主権国家に踏み出せないのは日本の方で恥。
チョンを嗤えない。ダメリカのせいにももうできないはず。
むしろこんなだから、青い目には、(日本人から見れば)自己主張(し過ぎに思えるが)、
シッカリハッキリできる鮮塵の方に親しさという「勘違い」を持ってしまうのだろう。
その自業自得は、屑米がシッカリ自己責任で受け止めて欲しいが。
宗主国を勝ち取った()のだから、二度と日本に押し付けるなと言いたい。
卑屈な日本人の態度がアメリカをつけあがらせ、戦争で破壊すれば平和な国が作れると思いこませた。
日本人の罪は重い。
イラクや中東が目茶目茶になったのは、殆ど日本のせいだと言ってもよい。
日本のGHQ方式でやるとブッシュはイラク戦争を始めた。
それは戦後日本の卑屈な態度を見てしまったからです。
そしてイラク戦争を日本は指示した。
アメリカの戦争を日本は米国債を買い続けることで支えた。
日本のどこが平和国家なものか!
日本こそ、世界の平和をずっと乱してきた元凶じゃないか!
何が平和主義だ!
ふざけるな!
イラク人を殺したのは日本も同じだよ。
責任を感じるなら、日本は核武装しアメリカと決別すべき!
そして日本自身が世界平和の為に主導権を取りアメリカやシナを黙らせることだ!
ケント:ギルバートの東アジア理解は、いつも,かなり的確で、変なジャパノロジストは足元にも及びません。
それにつけても、問題は、談話の中身ですが、まさか「謝罪」はしないだろうと思いますが、「深い反省」はするつもりでしょう。それが、「侵略」への、と明記するか、しないかが内閣でのポレミークな点だろうと思います。
まぁ、その程度に高を括っていますが、閣議決定に拘るなら、後味の悪い「玉虫色」になるでしょう。
「謝罪」はもとより。「慰安婦」にまで言及すれば最悪です。
そうであれば、談話の意味はなくなりましょう。
これからも、邁進し続けていく事だけをホルホル発表すればいいよ。
醜いシナ・チョンにも、多大な貢献をした事も挙げるといいかもな。
(日本が施しを)恩に着せない事をいいことに、
ないことないこと被害者面して永遠果てしなくオカワリする、反日事業連中に向け出す談話なら希望。
米国とも対等という立場を、どんどん出して行って欲しい。その方が米国もやりやすいと思うし。
http://gogotorimaru.blog19.fc2.com/blog-entry-10914.html
笑福亭鶴瓶が、東海テレビのドキュメンタリー番組収録で「安保法案には断固反対」を明言した。
「笑いが自分の本分」と考え、政治問題に関わるのは避けてきたが、
安倍政権が衆院での強行採決に踏み切ったことで「もう人任せにしてたらあかん」と決意したという。(一部抜粋)
↑
お前こそ、何してんねんw
この口だけ珍獣ハゲがバカじゃないの?
もう何か事の顛末がスケスケなんだよネw
>学校教育でも全く紹介されないのが歯がゆいばかりです。
↑
反日教育がお盛んな南トンスルと同じです。
例えば、、、、
日米安保についてですが、南トンスル軍の現場の人間ならその重要性をよく知ってても、
反日教育に洗脳された多くの無知でバカな一般のチョン市民の思考は、ソレとは真逆ですからネw
(笑)
>「侵略」との表現を踏襲しない方向で調整していることがわかった。
決定ではありません。 アベ君は基本ヘタレなので、事前リークから反応を伺っているようです。
基地サヨとシナチョンの発狂怒号よりでかい「安倍支持表明」をしてあげてください。 ↓
https://ssl.jimin.jp/m/contact
Posted by 憂国 at 2015年08月08日 12:04
【NEWSポストセブン 2015.08.07 16:00】
http://www.news-postseven.com/archives/20150807_340425.html
明治産業施設の世界文化遺産登録に際し、改めて注目されたのが
「戦時徴用による韓国人の強制労働」問題だ。韓国ではこれまでも、
新日鉄や三菱重工など日本企業を相手取った
“強制労働被害者”訴訟が行われ、日本企業が相次いで敗訴している。
だが、戦時徴用の勤労動員は合法的に行われており、
そこで働く人々には宿舎も用意され正当な報酬が支払われていた。
韓国人にとって徴用は人気の“出稼ぎ労働”だったのである。
戦時中、日本企業での徴用を志願した
崔基鎬(チュキホ)・加耶大学客員教授は、
1000名の炭鉱員募集に7000人が殺到したことを
自著『日韓併合』(祥伝社刊)で明かし、こう振り返っている。
「採用者(徴用者)たちは歓喜に溢れ(中略)
就業後も休祭日は自由に札幌に繰り出し、
ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ」
いかに徴用工が好待遇だったのかを示す逸話だ。
※SAPIO2015年9月号
サンフランシスコ講和条約、一言でいえば「日本が悪者でした」と国際条約で認めたのに「日本は悪くなかった」と否定すると、この条約で得た各国の日本への賠償放棄という日本の利益も否定することになる。それこそが中国・韓国の思惑なのである。
中国・韓国 靖国参拝や歴史認識で日本を挑発し続ける
↓
中国・韓国 意図を見抜けないアホな日本人が反応する
↓
日本 ポピュリズム政治家が靖国神社に行く
↓
中国・韓国 日本から再び金を巻き上げるネタをゲット(ラッキー!)
↓
中国・韓国 日本追込み開始
↓
中国・韓国 日本は戦犯を否定して大戦後の世界体制を否定した
↓
中国 日本は同じスキームである日中友好条約をも否定したことになる
↓
中国 これで日本への戦時戦争賠償放棄も否定できる
↓
中国 戦時賠償請求権復活
↓
中国 人民の戦争損害賠償請求受理開始(現在訴訟多数)
↓
中国 国内日本資産の没収開始(商船三井事件)
↓
中国・韓国 日本政府が強制性を認めたことにより企業と個人間の戦後賠償で日本から金を巻き上げるネタをゲット(ラッキー!)
↓
中国 堪らず三菱マテリアルが当時の中国人労働者に和解金80億円提示(これでも一部) ← 今ここ
↓
中国 シャドーバンキングでの損失補填に没収日本資産を使用
↓
中国 大復活
↓
中国・韓国 中国による韓国援助も継続
↓
中国・韓国大喜び!
http://www.youtube.com/watch?v=kvkNSmHGCEw
靖国参拝とアベちゃん問題の深刻さ
7分から
「サンフランシスコ講和条約によって得たベネフィットを全く無視した行為になるという可能性~(中略)~大丈夫かな、これで?」
「いや、大丈夫じゃないんですって!」
「日中共同声明1972年だってこのスキームなんですよ!」
つづく(この話はつづきがあります)
ならない。何千、何万回論破されても嘘デタラメをわめき続ける反日蛆虫。
反日は嘘で出来ている。嘘を吐かないと成り立たない反日。逆にいえば、それだけ日本が素晴らしい国で、日本人が素晴らしい民族だということだね。
中国・韓国 靖国参拝や歴史認識で日本を挑発し続ける
↓
中国・韓国 意図を見抜けないアホな日本人が反応する
↓
日本 ポピュリズム政治家が靖国神社に行く
↓
中国・韓国 日本の脅威を理由に(核含む)武装強化の正当性をゲット(ラッキー!)
↓
中国・韓国 大戦後の世界秩序を守る気の無い日本は脅威と宣伝
↓
中国 日本の脅威を理由に更なる軍拡
韓国 日本の脅威を理由に米国にウリ達にも高純度プルトニウム生産容認を要求
↓
米国 中国の軍拡を認めるわけにはいかない
韓国の高純度プルトニウム生産など絶対に認められない
↓
米国 日本へ貸していた高純度プルトニウムを返還させる
日本の六ヶ所村での高純度プルトニウム生産を認めない
↓
日本 世界秩序の根幹にある核均衡抑止の中で肝心の核を大量に失う
↓
日本 存続の危機
軍事バランス 中国・韓国 >> 日本
米国従属強化 米国 ⊃ 日本
↓
中国・韓国・清和会政治家(米国の代理支配人)大喜び!
エネルギー基本計画とプルトニウムの返還を求めるアメリカの真意
http://www.youtube.com/watch?v=N640rgJbYzw&feature=c4-overview&list=UU5oLRA4CAPwZdZ-o0yLF-Tg
~20分頃から
抜粋
「日本に持たせるならうちらにもたせろ」~中略~
「(米国が)日本を弁護できなくなったことが重大なポイント」
<コメント>
プルトニウムを取上げられ、かつ、六ヶ所村での再処理(兵器転用可能高純度プルトニウム生産)ができなくなれば本当に危ない。冷徹な世界の核均衡抑止の中で日本という国が霧散してしまうかも知れない。
アホなネトウヨはどんだけ日本の国益を害すれば気がすむんだ!
最近の反安倍デモを見てもわかると思うが、酷暑の中女子供を動員、政治活動を禁じられている外国人が堂々と参加、国民的追悼行事に反安倍デモ、国民的お祭りに政治を持ち込むという、なりふりかまわぬ状況となっている。野党の幹部が安倍総理の強硬姿勢に完全に腰を引いてしまって、前線に使い捨て配置をしている感じだな。
これ以上やばくなれば、トカゲのしっぽ切りで逃げようという魂胆が見え見えだ。
こういう連中のことを捨て石というのである。まあ、狙いは日本人の攪乱と団結阻止、分断工作だから放置がよろしいかと....。http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-08-08
感謝この上ありません。
もちろんブログ主様にも感謝です!
http://totalwar.doorblog.jp/archives/45028818.html
怒れ日本人!
猶太禍
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1270323/1
猶太禍の世界
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459178/1
アメリカの実力
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062805/1
アメリカの解剖
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267189/1
フイリピンで最後まで抵抗を諦めなかった第14軍山下奉文大将 武藤章中将を軍人としての誇りを剥奪し、一方的軍事裁判で絞首刑にして遺骨を木の下に埋めた復讐鬼。
バターン死の行進の汚名を着させられた本間雅晴中将もバターン半島に捕虜を止めおくと伝染病の蔓延でより多くの死者を出すとの判断からトラック輸送力に劣る日本軍としてはやむなく徒歩移動を命じたのに捕虜虐待として同じく死刑に処した。
又日本降伏調印式ではシンガポール司令官パーシバル、フイリピン司令官ウエンライトを同席させ復讐の為の戦争であった事を強調し自分はフイリピンから逃げ出し豪州へ逃亡した事実を覆い隠そうとした腰抜けの陰湿将軍であり、朝鮮戦争では共産軍南進の情報が有りながら手をこまねいた無能将軍である。
http://mizuhonokuni2ch.blog.fc2.com/blog-entry-12106.html
めんどくさいから最初だけw
シナ畜共産党なんて、1951年のサンフランシスコ講和条約に呼ばれもしませんでしたよネ。
むしろ"出禁"の表現の方が正解かな?w
(笑)
http://asianews2ch.jp/archives/45850313.html
http://www.cnn.co.jp/usa/35068598.html
http://chinakorea96968.blog.fc2.com/blog-entry-87.html
本当に日本人として感謝に堪えません。
http://syoshisakuron.blog130.fc2.com/blog-entry-567.html
広島の平和記念公園にある‘’二度と過ちは犯しません‘’などという文言などがよく表している。情けない限りだ。
今日のブログ内容に涙が出てきた…。
http://www.j-cast.com/tv/2015/08/07242208.html?p=all
▼天然記念物にこんな事をしたら 日本人なら即逮捕なのに中国賊は無罪か!警察何をしている!
▼中国人の爆買に依存する経済は、危険だ。日本を侵略する意図ありと危惧されているのは、本当だ。入管規制を元に戻せ!貧乏人がいくら来ても、環境が荒廃し、日本人が減って観光地がやがて廃れるだけだ。安物の爆買などは、害あって益なしである。創価太田にいつまで国交相・観光担当させるつもりだ。駅表示になぜ簡易漢字やチョンセン文字が必要か!
http://totalwar.doorblog.jp/archives/45038303.html
http://totalwar.doorblog.jp/archives/45039780.html
http://www.youtube.com/watch?v=Tri4FvgcKg4
http://treasonnews.com/archives/45853552.html
http://rejapan.blog.jp/archives/1036419025.html
アメリカが民主党の時は、ゴジラか自然災害が来ていると考えるようにしてるんですよ、私この頃。
ケントもありがとう~~~~ヽ(^。^)ノ。
アメは日本には、あめにかくを落とす権利があるとか、勝手に思ってるようなんですがね(;一_一)。
世界的には標準的な、報復の思考だそうです
でも、勝手にアメは思ってるんですから、日本にだけは持たせないんですよ。
http://jpn-sd.seesaa.net/article/423779242.html
ついに民主社民が提出した第二の人権擁護案が参院法務委員会で審議入り!
参院法務委員会の自民党や野党議員に至急
成立反対のメールや手紙を送ろう、地元選出議員への陳情も非常に有効
自民党本部意見箱(自民個人宛に送れます)
https://ssl.jimin.jp/m/contact
参議院法務委員会議員(一部削除)
理事 熊谷 大 (自民)
理事 三宅 伸吾 (自民)
理事 真山 勇一 (維新)
有村 治子 (自民)
猪口 邦子 (自民)
鶴保 庸介 (自民)
牧野 たかお (自民)
溝手 顕正 (自民)
柳本 卓治 (自民)
田中 茂 (元気)
山崎 正昭 (無所属)
日本人が強調、団結するイベントは極力阻止が彼らの生き様である。とくに対応する必要もないと思うが「海女を侮辱している」なんて平気で言う非常識な連中だから市を応援していく姿勢は必要だろう。
余命が記事にしたことで、少なくとも日に4万人以上がこの状況を知ったということで、在日が100人や200人恫喝にきても、驚くことはない。必要となれば余命から応援メーセージなり、何らかの対応をとるつもりである。http://kt-yh6494.blog.so-net.ne.jp/2015-08-08
<米国の原爆投下に時効はない 米国大使館前で原爆犠牲者へ黙祷を>
長崎の恨みを忘れるな!米国の原爆投下に時効はない!
日時:8月9日(日) 10:30集合
黙祷11:02
場所:米大使館、JT本社前
呼び掛け:主権回復を目指す会
http://nipponism.net/wordpress/?p=31556
無責任万年夜盗の朝鮮民主党が朝鮮民主党内にも保守層が居るかに見せる為「皆さん此方も見て下さい保守が居りますよよ」と保守支持層にアピールして保守層の足並みを掻き乱し分断を図る狙いで発言しただけにしか過ぎないパフォーマンス発言だと思います。
飼い主の中韓朝様の為に何時もの思っても居ない無責任釣り工作発言に過ぎませんからね。
此の与太元総理の談話なんて。
こんなんに釣られてるとかガチに工作に嵌まってるのと同じでしょうね。
まさか民主党が政権取る前の大ボラ連呼と民主党政権の三年半を忘れた訳で( ´゚д゚)(゚д゚` )ネーべ皆さん。
『日本人が知らなければならない歴史の真実【ソ連の策略】』
http://matome.naver.jp/odai/2130527430107993901
より抜粋します。
フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上コミンテルン国際共産主義のスパイがいた。
それを、まとめた文書がヴェノナファイルと言う文書。
アメリカの公式の文書です。
今これはですね、CIAのホームページとアメリカのNSA国家安全保障局のホームページに掲載をされているので、
誰でも読むことができます今はです。
まぁ、英語だから読むのはちょっと大変ですけれどもこの1980年当時は冷戦の真っ只中ですからですね
ソ連に手の内を知られるのはまずいと言うことでこれは機密文書にされていたんですね。
1995年になって冷戦がおわって機密が解除されて今は一般に公開されているんです。
それによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人コミンテルンのスパイがいました。
その中で、政権の中で一番えらくなったのは
ハリー・デクスター・ホワイトと言う男。これは後に財務次官補になったんです。
財務省のNo2になったわけですね。
この男がコミンテルンのスパイだった。
ハルノートを書いたのはこのハリー・デクスター・ホワイト。
当時、フランクリン・ルーズベルト大統領の下にはヘンリー・モーゲンソウと言う財務長官がいました。
ハリー・デクスター・ホワイトはこの下にいるわけですね。
一方国務省ではオーデル・ハル国務長官。ハル国務長官ですね。
フランクリン・ルーズベルト大統領はこのハリー・デクスター・ホワイト、
コミンテルンのスパイが書いたものを採用してハル国務長官を通じて日本に渡した。
ハル国務長官もこんなことを日本に言ったら戦争になるんではないかと言うことを言ったそうですから、
まぁ、それはもう判っていたわけですよね。
以上、
『日本人が知らなければならない歴史の真実【ソ連の策略】』
http://matome.naver.jp/odai/2130527430107993901
より抜粋しました。
蒋介石の奧さんです。
宋三姉妹は美人だったそうで、アメリカの上流階級にも、顔が利いたようです。
これがアメリカ中回って、反日を吹いて回ったようなのです。
米英主導が、「白人民主主義」を扇動して戦ったに対して、「人類平等」を求めた日本がこれを実現させた、しかし、これをあらゆる悪意を持って消し去ろうとする米国!
▲西洋諸国では無かった、日本だけがユダヤ難民に扉を開いた!
東條、樋口、安江が二万人以上のユダヤ難民を窮状から救ったのは、杉原千畝リトアニア駐在領事代理の六千人以上のユダヤ人難民を救った、その二年以上前である。三人の日本軍将校と杉原がユダヤ人を救った時にはアメリカやイギリス諸国がユダヤ人難民に対して扉を閉じていた。西洋諸国がユダヤ人難民を受け入れていたら数百万人のユダヤ人が虐殺を逃れることができたことだろう。しかし、日本だけが彼らに扉を開いた。
▲この時の東條 ドイツ抗議を一蹴した
▲明治以来の日本も、西洋人によるおぞましい人種差別をされて来た
日本が最後の不平等条約を改正することができたのは日露戦争に勝った後のことだ。 日本人も人種差別の対象となっていた。日本が日露戦争に勝つと直後から米カリフォルニア州において日本人移民排斥運動が起こった。事件は、日本国民を憤慨させた。サンフランシスコ市は日露戦争が終わった翌年に、日本人児童の小学校就学を禁じて全市の小学校から追放した。全市で二万人以上の小学生で日本人児童は百人にみたなかった。---- 東條、樋口はこのような国民精神にもとづいて、ユダヤ人難民を救った。日本人とユダヤ人は正義を愛する民である、ここにも両民族の共通点がある。
▲東條の名が『ゴールデン・ブック』に載らなかった理由
「もし、東條参謀長が父やユダヤ民族協会の幹部と会っていたとしたらその名が樋口と安江とともに、一九四一年の夏に、問違いなく『ゴールデン・ブック』に刻まれたはずだ」。その後の東條の国際イメージも大きく変わっていたに違いない。東條は連合国の一方的な裁判によって絞首刑に処せられたが、全世界のユダヤ人の助命嘆願書がマッカーサーに寄せられたことだろう。
▲アメリカの黒人差別が止んだのは日本がアジア解放をしたからだ
当時アメリカは黒人を法的に差別していた。黒人が野球選手となれたのは大戦後のことである。第二次大戦によって日本がアジア諸民族を解放すると、アメリカも国内で黒人を差別することができなくなったのだ。自国の内外で有色人種を差別して踏みにじっていたアメリカやイギリスの連合諸国を「民主主義国」と呼ぶことができるのか?今日、タイガー・ウツズがゴルフ界で活躍しているのも・・・日本の力によるものだった。
▲日本は人種平等の原則に基づいてユダヤ人を応援し続けたこの歴史は日本国の勲章である。
>「ユダヤ製国家日本―日本・ユダヤ封印の近現代史」/ラビ・M.トケイヤー/(著)
これを左翼のようにしつこく繰り返し繰り返し広めることが重要だと思う。
中曽根一族よ。
これから、どんな顔して日本で生きていく
因果応報、きっちりと罪を償わせるよ。
中曽根一族にはな。
日本の左翼は国を想わず、支那朝鮮を想う。コイツらは真の売国奴である。
尤も戦後米国がやってきたことは、戦前のそれと変わりはなかったという事が残念なことではあります。マッカーサー達が過ちに気づいても、日本への工作は未だに半島人の特権であり、日本は彼らの特権を剥奪することもなく、日本の屋台骨が揺らぎ始めています。
真実を知ったところで、行動を起こさない限り何の意味もないことの証明です。
ならばせめて、一家にこの手の書籍を本棚に収め、家庭の中で課題にし、日本人としての生き方、物の見方、考え方の方向性などを語り合える環境を整えていくことから始めようと思います。
自分で防波堤壊しちゃうなんざ詮無いにも程がある。
→信じられません。大統領が殺される国ですよ?これが極右組織の自作自演でないと言い切れる証拠はどこに?
この話がアメリカが自国の誤りを美化したり、対日感情的に配慮するための捏造の可能性は?客観的な事実確認と検証ができていないと思います。
工作大国アメリカに忠誠を誓った人間の証言を信じるなんて馬鹿げてる。