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米、核廃絶の約束死文化 NPT(核拡散防止条約)、重大岐路に(2004年12月)。伊藤憲一「NPT体制の非現実性直視せよ」、「核拡散避けられぬ現実を見据えよ」(2006年)

米、核廃絶の約束死文化 NPT、重大岐路に

 【ワシントン31日共同】核保有5カ国が核兵器廃絶への「明確な約束」をうたい、2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で採択された核軍縮措置をブッシュ米政権が「歴史上の文書」とみなし、5月にニューヨークで5年ぶりに開かれるNPT再検討会議で死文化させる狙いであることが分かった。
 NPTは核保有国の軍縮義務と引き換えに、非保有国の核兵器獲得を禁じており、核軍縮措置は条約を支える大黒柱。核超大国がほごにすれば、北朝鮮など核疑惑国に条約軽視の口実を与え、核拡散に拍車が掛かる恐れが強い。発足35年のNPT体制は重大な岐路を迎えた。05年は広島、長崎への原爆投下60年の節目で、被爆国日本の立場も問われそうだ。
(共同通信) - 12月31日15時59分更新
2004年





【正論】日本国際フォーラム理事長、青山学院大学教授 伊藤憲一
2006/03/16, 産経新聞

 ■米国の核論理の転換示す対印接近

 ■NPT体制の非現実性直視せよ


 ≪核拡散は避けられぬ趨勢≫

 核の論理が、冷戦後、そして米中枢同時テロの9・11以後、様変わりしてきている。それに駄目押しをしたのが、今回の米印接近である。
 核拡散はもはや避けられない趨勢(すうせい)となった。プロメテウスがゼウスから火を盗んだあと、もはや人類を火から遠ざけることはできなくなったように、核もまた、これを未来永劫(えいごう)に封印することは不可能である。
 そもそも知識や技術は必ず伝播(でんぱ)するものなのである。加えて、地球規模でものごとが進むグローバリゼーションを背景として、「核の闇市場」まで登場している。
 「不安定の弧」と言われるユーラシア大陸の南縁に沿って、北朝鮮、中国、インド、パキスタン、イラン、イスラエルの六カ国が核兵器を保有し、あるいはまもなく保有しようとしている。この現実を日本もまた、直視する必要がある。
 ここまで書くと、「べき」思考の強い日本人からは「唯一の被爆国日本として、そんなことを認めるわけにはゆかない。核は絶対に廃絶される『べき』である」という反発の声が聞こえてきそうである。
 しかし、それゆえにこそ、私は主張したいのである。「べき」思考のまえに事実認識としての「である」思考がなければならないと。
 この点では、米国の核の論理が様変わりしてきていることにまず注目したい。米印接近は、そのことを物語ってあまりある。
 米国は、インドがその核施設を軍事用と民生用に二分し、民生用を国際原子力機関(IAEA)の査察下に置けば、米国は、インドの原子力発電に技術や燃料を供給するというのである。
 一見、インドを核拡散防止条約(NPT)体制下に取り込もうとするかのごとき印象をあたえるが、そもそもIAEAの査察は、民生用を口実に軍事用の核開発を進めることを防ぐことが目的であったのだから、軍事用を査察せずに、民生用だけを査察することなどは本来まったく無意味なことである。
 これらのことは、すべて何を物語っているかというと、米国の核の論理が転換したことを意味している。


 ≪冷戦の終焉で環境が変化≫ 

 NPTが締結された一九六八年当時における米国の核の論理は、(1)米ソ英仏中以外の国の軍事用核開発を認めない(2)それらの国が民生用核開発をする場合は、IAEAの査察下に置く-というものであった。
 この論理を貫くために多くのアメとムチが用意され、日本もその圧力に屈した。
 このNPT体制は、米ソ核不戦体制ともいうべき「相互確証破壊(MAD)」体制と表裏一体の関係にあり、当時世界は、これを米ソの「コンドミニアム(共同統治)」と呼んだ。フランス、中国が冷戦時代、ついにNPTに加盟しなかったのは、このためであった。
 このような米国の核の論理が、冷戦の終焉(しゅうえん)後も無傷で残ると考えることには無理があった。
 ソ連が消滅したあと、米国はABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約の破棄、包括的核実験禁止条約の拒否などを経て、二〇〇五年にはNPT運用検討会議を破綻(はたん)せしめた。
 なぜ米国は、その核の論理を転換させたのだろうか。
 私は、もはやソ連の核の脅威を無視してもよくなったとの判断と同時に、NPT体制による核不拡散の確保が現実的ではなくなったとの判断が米国に生まれたためであると考えている。
 ブッシュ政権は、9・11直後の二〇〇一年十二月に米連邦議会に「核戦略見直し(NPR)」を提出している。
 この報告書は、その内容が非公開とされたため、十分な注目を集めていないが、この報告書が米国の核戦略の転換を論じたことは間違いがない。


 ≪取り残されかねない日本≫

 米国は、すべての非核保有国を一視同仁するのではなく、敵味方を区別して、「グッド・ボーイ」の核保有は黙認するが、「バッド・ボーイ」の核開発はこれを全力で阻止するとの戦略に転じたものと思われる。
 しかし、この戦略転換はNPT体制の崩壊を糊塗(こと)する弥縫(びほう)策にすぎず、核は長期的には拡散防止が不能となりつつあるのかもしれない。
 日本は、「核廃絶!」と叫んでいるだけでは、時代に取り残されてしまう恐れがある。
 今こそ日本もまた、核の現実を直視し、その戦略をもたなければなるまい。
(いとう けんいち)





【正論】日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一 核拡散避けられぬ現実を見据えよ
2006/06/26, 産経新聞

■最終局面予測する長期的展望を


 ≪最悪事態も想定する責務≫

 私は3月16日付の本欄に「米国の核論理の転換示す対印接近」という一文を寄稿した。注意深くお読みいただければお分かりになると思うが、私はこの小論のなかで、米国とインドの原子力協力を支持するとも、反対するとも言っていない。
 私の指摘したかったことは、事実関係とその意味であって、それは21世紀央以降の長期的未来を展望した場合に、「核拡散はもはや避けられない趨勢となった」という指摘であった。
 「べき」論の世界に踏み込むことを注意深く避け、「である」論をまず述べたつもりであった。
 それというのも、日本人は朱子学の影響のせいか、まず「べき」論ありきの議論が好きで、見たくない現実は存在しないことにして議論を進め、結果として戦略を誤り、自らの墓穴を掘る結果となる傾向が強いからである。
 唯一の被爆国である日本が、核廃絶を悲願としてきたことは世界中の知るところである。核拡散を望む日本人など1人もいないと思う。しかし、そのことと現実がどう展開するかを冷静に判断することとは、別のことである。
 21世紀における科学技術の発展と普及の状態を冷静に予測するだけで、核拡散の趨勢については悲観的な見通しを持たざるを得ない。そのような最悪の事態をも想定の中に収めるのが、政治の責務であろう。
 米印合意後の状況の推移を概観すると、国際社会は米印原子力協力と、それが結果として意味するインドの核武装の合法化を容認しつつあるようであり、たぶん日本政府もこの大勢に追随するのであろう。
 それはもはや、核不拡散条約非加盟国の核武装を阻止するという核不拡散の大義よりも、中国に対抗するバランサーとしてのインドの育成という地政学的利益や、将来の原子力発電市場としてのインドの取り込みという経済的利益のほうが、国際社会にとって重くなっているという、今日の国際社会の現実を黙示している。
 私が21世紀における核拡散の展望について悲観的となる第1の理由は科学技術伝播の不可避性だが、第2の理由は国際社会における核不拡散の大義の加速度的かつ不可逆的な後退である。


 ≪最大限の努力継続は当然≫

 私の問題提起には各方面から反応があったが、日本国際フォーラムのホームページ 
http://www.jfir.or.jp
に設置されている政策掲示板「百花斉放」では、大阪経済法科大学教授の吉田康彦氏から貴重なご批判を頂いた。
 吉田氏は「米印接近が米国の核論理の転換を意味するという伊藤氏の指摘は正しい。日本人は『べき』思考が強く、観念論を振り回す傾向があるので、その前に事実認識としての『である』思考がなければならないとする伊藤氏の主張もうなずける」とまず認めたうえで、「しかし、米国の核論理の転換という事実と米印原子力協力という事実を同一視してはならない。インドはネルー首相が熱心な核廃絶論者であったし、また全面的核実験廃止条約の原提案国でもあった」と結論しておられる。
 米国は信頼できなくても、インドは信頼できるから、私の心配は杞憂だという反論であった。この反論が「核拡散の悲観論は根拠なし」との主張を正当化するかどうかの議論は、紙面の制約上ここでは割愛せざるを得ない。
 しかし、私も同意できるかなと思ったのは、「核拡散が避けられぬ趨勢だとしても、核不拡散のための最大限の努力を続けなければならない」という吉田氏の主張である。


 ≪核問題の本質は新段階に≫

 なかなか「べき論」にコミットしない私に「じゃあ、日本はどうすればいいんですか」と食い下がる多くのひとに、私は「どうしたらよいか、それは日本だけでなく、世界中がいま頭をかかえている問題です。核論理の変質に伴い、核問題の本質はだれにも分からない新段階に迷い込んでいます。それが北朝鮮問題やイラン問題の解決を難しくしているのではないでしょうか」と述べてきた。
 「どうしたらよいか」の最終解答を見つけるまで、人類は短期的には弥縫(びほう)策(英語でmuddling through)を続ける以外の選択肢をもたないのかもしれない。
 しかし、これまでと同じ対応を続けるのだとしても、そこに最終的局面を予測する長期的展望があるのと、ないのとでは、大きな違いが生ずる。そのことを私は指摘しているのである。

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