1938年3月に開かれた国民党の臨時大会で何応欽参謀総長の軍事報告がなされたがその中で南京事件については一言も触れていない。
攻防戦でおびただしい死者が生じたがそれは戦闘行為によるもので虐殺は無かったとするのが当時の誰もが認める解釈であった。
傍証としては南京のイギリス領事も、日本嫌いで有名なドイツ大使館の書記官も虐殺には全くふれていない。38年4月東京のアメリカ大使館付き武官、コーヴィルが南京に来て欧米人と情報交換を行ったが非難は全くあがらなかった。
注目すべきは3ヶ月前に4万人虐殺を唱えたベイツがこの同国人外交官の前で沈黙していた事だ。【注】
5月には、国際連盟理事会(今日の国連・安保理事会相当)が中国の要請を共感的に考慮した決議を出したが「虐殺」非難の文言は一切ない。
支那事変一周年目の7月7日蒋介石は「友好国への声明」と「日本国民への声明」を英文で発表したがそのどちらの戦時宣伝のなかにも「虐殺」は書かれていなかった。
(これまた先の別資料だがこの中で蒋介石は日本軍の大量殺戮として広東空襲を挙げたが南京事件については何の言及もしていない)。
同時期上海の各種英文雑誌が、次々に特集号を出したがどこにも「虐殺」にはふれてない。
そのほかの教授の論点は、
i)上記一周年記念声明も含め、蒋介石も毛沢東も南京虐殺を国際世論にに一度も訴えなかった。毛沢東に至っては38年5月延安の抗日戦争研究会で「持久戦について」という有名な講演をした時、虐殺に触れるどころか日本軍の欠点は「包囲は多いが殲滅は少ない」として日本軍の甘さを指摘している。
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~ttakayam/nankin.htm
【注】 実はベイツとスマイスの二人はコーヴィルに対しアトロシティーズを宣伝したようだ。しかし、勿論コーヴィルは聞いただけで何の行動も起こさなかった。ベイツとスマイスの宣伝工作については後述。
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