第2章 満州
2、支那の他の部分との関係
(一部抜粋)
満州は有史以来各種「ツングース」族居住し蒙古韃靼人と自由に雑居したるが優越せる文明を有する支那移住民の影響を受け団結心に目覚め数個の王国を建設し此等王国は時に満州の大部分並びに支那及朝鮮の北部地方を支配せり。殊に遼、金及清朝は支那の大部分又は全部を征服し数世紀間之を支配したり。
(中略)
1911年革命起こるや共和政体に賛せざる満州官憲は後日満州及北支の独裁官となるに至りたる張作霖に対し革命軍の前進阻止を命じ以て内乱の騒擾より此等の省を救うに成功したり。共和国建設せらるるや満州官憲は既成事実を受諾し進んで共和国第1大統領に選任せられたる袁世凱の統率に従いたり。各省には省長及督軍任命せられたるが満州に於いては支那の他の部分と同様督軍は忽ち同僚たる省長を無力の者たらしめたり。
1916年張作霖奉天省督軍に任命せられ同時に省長の職を執りたるが其の実力の及ぶ所は遥かに大なりき。対独宣戦の問題起こるや彼は支那将領と共に之に反対せる会議の解散を要求せり。而して右要求大統領に依り拒絶せらるるや彼は奉天省は北京中央政府に対する功績に依り東三省巡撫使に任せられたり。斯くして満州は再び特別の制度を有する一つの行政単位となりたり。
張作霖は中央政府の与えたる顕職を受領したるも其の態度は変転常なき中央政府の支配者たる軍閥との個人的関係の如何に依り変化せり。彼は自己と政府との関係を視るに個人的同盟の意味を以てしたるものの如し。1922年7月其の権力を長城以内に樹立するに失敗し其の政敵北京政府を支配したる際彼は中央政府に対する忠誠を廃棄し満州において行動の完全なる独立を維持し遂には其の権力を長城以南に及ぼし北京の支配者となりたり。彼は外国の権利を尊重するの意あるを表明し支那の義務を承認したるも外国に対し満州に関する一切の事項に付いては今後自己の政府と直接交渉せむることを要求せり。
『リットン報告書』
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