『戦争とは何か』の序文を書いた編者のティンパーリ記者は、『戦争とは何か』の編集のいきさつについて次のように記している。
「昨年(1937年)12月、南京を占領した日本軍が中国市民にたいして行った暴行を報ずる電報が、上海国際電報局の日本側電報検閲官に差し押さえられるという事実がなかったならば、おそらくこの本が書かれることはなかったであろう」
(略)
たしかに、それは事実であった。ティンパーリ記者は、上海から英国の『マンチェスター・ガーディアン』に「揚子江デルタ地帯(上海、松江、嘉興の一帯)30万人虐殺」という電報を打った。それが上海の日本当局に差し押さえられた。
(略)
ここで見落としてならないことは、『戦争とは何か』の序文に、肝腎要の「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」という電報の内容が提示されていないことである。そもそも彼からすれば「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」こそ、日本軍を告発するのに恰好の「事実」ではなかったのか。ところがティンパーリ記者は電報の内容を序文に書かなかったのである。なぜなのか。ティンパーリ記者は、「電報差し押さえ」という事実だけがほしかったのである。そのために、彼はそうなるよう、必ず日本側が差し止めるに違いない、不当な電報内容を書いた。それが「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」であった。それが事実無根であることは、ほかならぬ彼自身が一番よく知っていた。
ベイツ教授はティンパーリ記者宛ての手紙で、3月3日に、『戦争とは何か』の編集方針にかんして、「戦争における野蛮な行為を……一つの町についてよりももっと広範な地域にわたって……同じ時期に上海……にも同様な話があることが分かれば、全体的に見てずっと信憑性がある」と提案し、3月21日にも同じことを再度提案している。つまりベイツ教授は上海など南京以外の日本軍をも取り上げるよう問題を提起した。
それにたいしてティンパーリ記者は、「なぜ私が上海、松江、嘉興を放っておくのかとお尋ねですが、『戦争とは何か』の第7章を読んでいただければ分かると思います。この点を調べていくと、上海付近の民衆に対する日本軍の暴行については、確実な証拠がほとんど見つかりません」と答えている。
上海、松江、嘉興の揚子江デルタ地帯では、「30万人虐殺」どころか日本軍の暴行すら確証がないことを、ティンパーリ記者自身が認めていた。
(略)
彼が本当に「揚子江デルタ地帯30万人虐殺」を確実に打電したかったのであれば、上海のフランス租界や英米人の支配する共同租界で電報を打てばよかった。ところが、彼はわざわざ日本の管理していた電報局で打電した。案の定、日本側は、ティンパーリ記者の電報は「誇張が過ぎる」という理由のもとに、これを差し押さえた。ティンパーリ記者は差し押さえることを十分に予測したうえで、意図的に日本側の電報局から電報を送ったと言うほかない。
P137~139
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
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