当時、支那のことをよく知っていた人物のスマイス報告(調査)に対する認識を示す資料がある。
興亜院政務部 昭和15年7月調査報告会速記録内 吉田三郎「支那に於ける第三国人の文化施設」
『「南京事件」の探求』P176より引用
「これ(スマイス報告)はその時にもらった資料でありまして、南京地方に於ける戦争によるフィールド・リサーチ以下各種の統計的研究であります。こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、所謂科学的調査を標榜しつつ、そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような印象を世界中に統計を通して与えている、しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」
「たとえばこういうことをやっている。南京地方に於ける損害の統計を作る場合に、戦争の直接の被害、火災によるもの、日本の軍隊の掠奪によるものというような項目が挙がっており、火災の場合についていえば、支那軍が逃げるときに放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。数字としては極めて確かだけども、これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見たのであります。ベーツ教授は私がミリカンの友達というので直ぐこういうものを出して呉れたわけであります」
つまり、南京の状況をよく知っていた当時の人の認識によれば、スマイス報告は【科学的な研究という面を被った排日宣伝文書】と断言できるものだった。
ただし、この資料を見ると、吉田三郎氏も、実はベイツこそが宣伝工作員の中心人物だったことまでは見抜いていなかったようだ。
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