東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告[六]」によれば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。
ところが、日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむなく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。
その後も調査を進め、ようやく「五百件の調査事実」を発掘したが、「資料を獲得する毎々一々これを審査」した結果、新規に採用できたのは僅か四件であった。ともかく・・・
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-2
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1946年2月付で東京裁判に提出された、南京地方裁判所付き検察官の「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」は、日本軍の虐殺行為を申告する者が「甚だ少なき」と記している。南京の大残虐事件の聞き取り調査を受けた市民のなかには、「冬の蝉の如く口を噤みて語らざる者」がいた。また、そんなものはなかったと「否認する者」すらいたと報告していた。
◆東京裁判に出廷すべき「証人たち」が出廷しなかったそのような状況のなか、連合国はいったい誰を証人にして「2万の男女子供」が殺害されたという確証を得たのであろうか。連合国が南京大虐殺の「証人」として東京裁判に出廷させたのは、ベイツ教授、ウィルソン医師、マギー師であった。南京市民の中からは、許伝音、尚徳義、伍長徳、陳福宝、梁廷芳の各氏であった。
ここで読者は、おやっと思われないだろうか。連合国が「証人」として真っ先に立てるべきは次の5人ではないか、と。まず世界初の「南京大虐殺物語」を報じたスティール記者やダーディン記者である。連合国が彼らの新聞に目を通していなかったことはないであろう。次に30万人虐殺を電報で打とうとした『戦争とは何か』の編者ティンパーリ記者と、そこに分担執筆したベイツ教授やフィッチ師であった。ところが、この5人のうち出廷したのはベイツ教授だけであった。
ダーディン記者、スティール記者、ティンパーリ記者、フィッチ師は、なぜ東京裁判に出廷しなかったのか。彼らにとって東京裁判は、当時の記事や報告を改めて国際的に認知させるうえで、またとないチャンスであった。彼らが当時書いたことは正当だったという自負があれば、歴史的な舞台で証言する好機到来と受け取られたはずだ。ところが彼らは出廷しなかった。
なぜなのか。まず考えられることは、彼らはみずからの記述を目撃証言として法廷で述べるだけの自信がなかった、つまりみずから虚報と認めていたのではないか。
2番目に考えられることは、彼らの記事や報告が中央宣伝部の宣伝戦上にあると露呈することを恐れたからかもしれない。スティール記者、ダーディン記者は、アメリカの新聞に南京大虐殺の記事を書いた特派員として知られていたのだが、特にダーディン記者が中央宣伝部の董顕光副部長と旧友であったことは、知る人ぞ知るであった。
フィッチ師は広東の呉鉄城省主席たちとも交流があり、アメリカで南京大虐殺を講演して回っていることも日本側に察知されていた。彼の妻が蒋介石の妻の「親友」であったことも知られていたであろう。ティンパーリ記者は、同盟通信の松本重治上海支局長が回想しているように『戦争とは何か』の編者として知られていた。
こうしてみてくると、連合国はあたかも、当時南京大虐殺を知らせめた人、あるいは中央宣伝部と関わりがあった人を証人に喚問することを、あたかも避けていたかのようだ。しかし連合国としては、当時南京大虐殺を主張した人を出廷させることがどうしても必要であった。それは5人のうちでベイツ教授しかいなかった。ベイツ教授は蒋介石政府との関係を知られていなかった。ベイツ教授は『戦争とは何か』の分担執筆者であったが、それが判明したのは最近になってのことである。匿名の執筆であったから、当時はまったく知られていなかった。
P222~224
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
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