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冨田メモの徹底検証5:富田メモの最も重要な部分は、元侍従長の徳川義寛の発言だった!?

■冨田メモの徹底検証
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_第5章_徳川元侍従長の発言かも


第5章 徳川元侍従長の発言かも

(1)徳川元侍従長の発言か

(一部抜粋)

 徳川発言説の場合、?富田メモの全部が徳川自身の意見とする見方、?富田メモの全部が昭和天皇からお聞きしたことを徳川が富田に伝えたという見方、?富田メモの一部は徳川が昭和天皇からお聞きしたこと、一部は徳川の意見という見方の三通りがあり得よう。

 私は、この中では、?の可能性が最も高いと考える。



 富田メモの最も重要な部分は、次の文言である。


 「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、

 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と

 松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている」




 この内容に関わることを、徳川は『侍従長の遺言―昭和天皇との50年』で述べている。本書は、朝日新聞編集委員だった岩井克己氏が、徳川から聞き書きしたものをまとめ、解説をつけたものである。岩井氏は平成6年から7年にかけて徳川に面談し、7年8月に徳川の証言の一部を朝日新聞に連載した。徳川は、8年2月2日に亡くなった。その後、本書は平成9年(1997)2月5日に刊行された。それゆえ、本書は徳川が最終校正をしたものではない。岩井氏が、徳川の死後に編集・刊行したものである。また徳川は録音を取ることを禁じたという。岩井氏は、証言内容は何度も確認したが、誤りがあれば筆者・岩井氏の責任だと書いている。

徳川発言説は、主として本書の記述に依拠している。

 松岡洋右について、徳川は本書で次のように語っている。



 「松岡洋右さんはエキセントリックな人でしたね。昭和15年の夏には、大使二人を除く外務省の幹部をほとんど替えちゃった。『外交官はいままでのようじゃだめだ』などと言ってね。(略)スターリンと条約を結んでから帰国した松岡さんはスターリンのことを『さん』づけで呼ぶんですから。ご陪食の後のお茶の席で、盛んに『スターリンさん』なんて呼んで、語り草になっていたものです」


 「私は、東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです」

 「でも当時、『そちらの勉強不足だ』みたいな感じで言われ、押し切られた。私は松岡さんの例を出して『おかしい』と言ったのだが、東条さんのことで答えられ、すり替えられたと感じた。靖国神社には軍人でなくても、消防など戦時下で働いていて亡くなった人は祀っている。しかし松岡さんはおかしい。松岡さんは病院で亡くなったんですから」




 このように語る徳川の松岡への評価と松岡の合祀への批判は、富田メモの内容に通じるものがある。

 さらに徳川は、元「A級戦犯」の合祀について、次のように語っている。


 「A級戦犯はその十年くらい前に厚生省から『戦争による公務死亡者』として名前が靖国神社に届き、神社では昭和46年6月30日の総代会で合祀する方針を一応決めたのですが、『合祀の時期は宮司に任せる』ということで、宮司の筑波藤麿さんがずっと延ばしてきていたのです。ところが宮司さんが筑波さんから松平永芳さんに代わって、間もなく実施に踏み切られることになった」。

 「筑波さんのように、慎重を期してそのまま延ばしておけばよかったんですよ。それで中曽根首相が参拝して、ワッと言われたんです」。




 これらの徳川の発言は、富田メモの内容とよく似ている。松岡に対する厳しい見方、筑波元宮司についての「慎重」という表現、松平元宮司が合祀を行なったことへの批判という三点が、富田メモと共通している。そこで、富田メモは徳川元侍従長の発言を書き留めたものだという見方が成り立つわけである。

 これに対し、「私は或る時に、A級が」以後の部分は、徳川は長く昭和天皇に仕えていたから天皇のご意思をよく理解していた。だから、徳川が語った意見は昭和天皇のご意思を伝えるものであり、富田メモはそのことを明らかしているのだという見方も成り立つ。逆に、あくまで徳川個人の意見であって、仮に昭和天皇のご意思が何らかの形で反映していたとしても、天皇の深い御心を正しく伝えるものとは言えないという反論も当然出る。

 「親の心、子知らず」という言葉も、昭和天皇のお言葉としては、違和感を与える。富田メモの最重要部分に出てくる言葉である。「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」と出てくる。その次に「だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」と続く、極めて重要な部分である。
 昭和天皇が人を批評されるお言葉としては、「親の心、子知らず」には、非常にきつい響きがあり、私は違和感を覚える。そう感じると言う人が多い。


 この点について、日本文化チャンネル桜が平成18年8月11日に放送した渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の「大道無門」という番組で、岡崎久彦氏(元タイ大使)が、次のように語っている。
 「小田村さんね、拓大の総長をやってた。会ったらね。「いやー、徳川さんは、パーティで会った時、松平さんのことを『親の心、子知らず』だと言ってましたよ」と。(略)『親の心、子知らず』というのは、徳川さんがしょっちゅう言っていたこと」



 小田村氏とは、小田村四郎氏のことである。「親の心、子知らず」は、徳川元侍従長が、松平宮司についてよく言っていた言いまわしらしいのである。




ムーブ 富田メモは世紀の大誤報か!?週間新潮8/10号
http://www.youtube.com/watch?v=Nx8P_RPJtxc
(平成18年8月3日 OA)

富田メモに何が 青山が受けた電話とは(1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=O2cQUW1mvYE
富田メモに何が 青山が受けた電話とは(2/2)
http://www.youtube.com/watch?v=KsK4Yq6SlN8
(平成18年8月9日 OA)

富田メモへの疑惑と秦郁彦の怪しさ#1
http://www.youtube.com/watch?v=cdvXHqwgwac
富田メモへの疑惑と秦郁彦の怪しさ#2
http://www.youtube.com/watch?v=QXzbnirfdps
(平成18年8月11日 OA)

富田メモで日経or半藤が嘘を付いた可能性!
http://www.youtube.com/watch?v=aIWA2GrTz0Y
(平成18年8月19日 OA)

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