【反対尋問】に耐えられない証言ばかり
中国政府は、中国国民党が戦後、多大の苦労をしてようやく集めた十一件の証言によって「十九万人が集団殺戮された」と主張している。
しかし、その計算の仕方は杜撰極まりない。どこそこでAという中国人が、日本軍が何万もの中国人を集団殺害しているのを目撃したというような《十一件》の証言の犠牲者数を単純に合計して十九万人という数字を主張しているに過ぎないのである。
しかも、この十九万に関して『資料選輯』は「集団殺戮に会い、死体を焼かれて痕跡をとどめなかった者は十九万以上に達」したと主張し、死体なき殺人事件だと言い張るのである。数名ならともかく、十九万人もの死体が跡形もなく消えたと言われて、誰が信じることができるだろうか。
実はこれら十一件の証言は、事件から八年も経った後に集められたものであり、反対尋問も受けていない。その内容も合理性を著しく欠く。
何故なら、これらの証言を信じれば、陥落直後の十二月十四日から十八日までのたった五日間に、一日平均三万八千人もの中国人が、約千六百人の日本軍歩兵第七連帯第一、第二大隊(その多くは治安維持や警備を担当していた)の手によって安全区及びその付近において殺害され、十九万もの死体はすべて石油などで焼かれて痕跡をとどめなかったことになるからである。
大量殺害施設として名高いナチスのアウシュヴィッツでさえ、殺害数は一日平均約七百十人であった。一日平均三万八千人も殺害するためには、アウシュヴィッツ並の施設が五十三箇所も必要となる。もちろんそんな施設はなかった。
では十一件の証言はどのようなものか。〈起訴状〉にその内の一件、「魯甦」の証言に基づいて次のように書かれている[九]。
日本軍は十二月十八日、南京城北の草鞋狭で捕虜と老若男女の避難民を含めた五万七千余人を一ヵ所に集めて、まず機関銃で掃射し、さらに生きている人を銃剣で刺殺し、その上にガソリンをまいて焼いた。おなじような大規模な虐殺は南京陥落後の一週間のうち数件おこなわれた。
東京裁判にも証言を提出した「魯甦」によると、日本軍は、近郊の村に包囲・拘禁していた五万七千四百十八名もの難民と兵士を十二月十六日夜、ワイヤーロープで二人ずつ括り、四列に並べて下関・草鞋峡まで追い立て、機関銃で掃射しつくした後、さらに銃剣でやたらめったら突き刺し、最後に石油をかけ、火をつけて焼き、残った人骨をことごとく揚子江の中に投げ入れた。この一部始終を、南京城内の「市街戦」に際して「砲弾」を受け「腿」に負傷し上元門大芽洞に避難した証言者が「目の前で」目撃したという。
この〈証人〉が法廷に出廷していたならば当然、次のような【反対尋問】を受けただろう。
一、証人は闇夜の中でいったいどうやって五万七千四百十八名もの犠牲者を一桁まで正確に数えることができたのか。
二、日本兵が要所を固めている城内から城外の下関までの道を、証人はどのようにして通って、殺害現場を目撃できる場所に行けたのか。
三、六万人近い中国人をワイヤーロープで縛り上げるのに日本兵は何人くらいおり、どれくらいの時間を要したか。中国人はおとなしく縛られたのか。
四、六万人もの中国人を殺害現場まで押送するのに、警護の日本兵は何人いたのか。
五、六万体もの死体が骨になるまでにどのくらいの時間がかかったのか。また六万体もの人骨を揚子江に流すために、どのくらいの日本兵がどのくらいの時間をかけたのか。
更に、数時間にわたる機銃掃射の音が夜間に下関で鳴り響けば、安全区にいた安全区委員会のメンバーなど誰かが気づいたはずだが、他に傍証は存在するのか。この疑問に、本〈証人〉を採用した告発側は、答えねばならない(安全区委員会の記録には、この時期に日本軍によって殺された中国人の数は十四人と記録されている)。
こうした【反対尋問】を想定すれば、この証言に証拠としての立証能力を認めるのはほとんど不可能だ。中国側が懸命に集めて、ようやく採用した証言でさえ、かくもいい加減なのである。ほかも推して知るべしであろう。「十九万人殺害」の根拠たる中国側証言に【証明力】はもとより【証拠能力】すらない。
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html#chapter2-1-2
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