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冨田メモの徹底検証6:4月28日に何があったか?富田メモの「=」の部分に注目!最重要部分は、徳川義寛の発言だった!?

■冨田メモの徹底検証
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion08k.htm#_第6章_4月28日に何があったか



第6章 4月28日に何があったか

(5)テキスト分析が必要

(略)

  昭和63年4月28日の富田メモは、3枚目に「Pressとの会見」と題している。3枚目の上半分は、次のような内容である。
 「[1]昨年は
  (1) 高松薨去間もないときで心も重かった
  (2) メモで返答したのでごつごつしていたと思う
  (3) 4.29に吐瀉したが その前でやはり体調が充分でなかった
  それで長官に今年はの記者  印象があったのであろう
   =(2)については記者も申しておりました」

 これは、昭和62年4月の天皇記者会見を振り返って昭和天皇がお話になったことを、富田が直接お聞きして書き留めたものと考えられる。徳川自身の体験ではあり得ない。彼には関連する体験がない。ここに「=」という記号が出てくる。仮に日経の説明に従って、「=」は富田自身の意見を示す記号だとしよう。富田は徳川を通じてではなく、直接陛下から拝聴したのだろう。職務記録を見れば確認できるだろうが、徳川が同席していた可能性はある。同席していれば、昭和63年4月28日の記者会見では、上記の趣旨のことを徳川が語った可能性もある。

 さて、この部分で富田は、「=」で始まる文では「申しておりました」と謙譲語を使っている。3枚目の下半分も、内容から見て天皇のお言葉を書き留めたものと思う(ここでは省略)。
 ところが、4枚目の上半分、奥野・藤尾のところでは、「=奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いである。
 「前にあったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか 藤尾(文相)の発言。
 =奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも。」

 
 私は、ここに注目する。この会話の相手が、3枚目で「申しておりました」と書いたのと同じ人物であれば、この4枚目の「=」もまた「思いますが~ 思います」と書くべきだろう。富田は、謙譲語をここでは使っていない。それゆえ、3枚目の「=」は天皇に対するご返事、4枚目の「=」は同等の者の発言へのコメントと、私は区別できると思う。同等の者とは、だれか。徳川元侍従長と考えられる。



(6)欄外の2行に鍵がある

 しかも、もう一点、注目すべきことがある。4枚目の下段に、欄外に縦で「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」と書かれていることである。富田メモについて、半藤一利氏、秦郁彦氏、保坂正康氏の三氏が『文藝春秋』9月号で鼎談をしたが、そのなかでも、この欄外の2行は不明のままとなっている。半藤氏は「うーん、ここはよくわかりません」と言っている。私は、全体に関わる鍵がここにはあると思う。



昭和63年4月28日には、昭和天皇の記者会見は行なわれていない。だから、「・余り閣僚も知らず ・そうですがが多い」は、この日の天皇と記者のやりとりに関するものではない。誰かと記者のやりとりについて、書いたものである。この日、富田は夜、記者の取材を受けている。また、徳川元侍従長の記者会見があったとも伝えられる。4月28日の記者会見は1回なのか2回なのか、参加者、記者による記録等を調査することが喫緊の要事となっている。



 可能性の第一は、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴き、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという状況である。
 4月28日の出来事について調査が進まないと判断できないが、富田メモの欄外の縦書きは重要なのである。その2行を解読できないと、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言が、昭和天皇のお言葉だとは、断定できない。発言者が徳川元侍従長という可能性がある。



(中略)


 私は現在のところ、第二の可能性は、ほとんどありえないと思う。第一の可能性つまり、場面は記者会見。発言者は徳川。富田はそこに同席。富田は徳川と記者のやりとりを聴いていて、記者について「余り閣僚も知らず」「そうですがが多い」などと、さめた感じで欄外に感想を書いているという可能性が高いと思う。
 そして、この場合、富田のコメントと思われる第二番目の「=」の部分、つまり「奥野は~と思うが ~と思う ~とも思う」と普通の言葉遣いで書いた部分は、天皇に対するご返事ではなく、同等の立場にある徳川元侍従長の発言に対するコメントと私は考える。



以上の考察によって、富田メモの4枚目は、3枚目とは異なる場面での記録と考えられる。3枚目は、富田が記者会見の前に、午前中に昭和天皇からお言葉を伺って書き留めたものだろう。これに対し、4枚目は、そのメモを持って臨んだ記者会見の場で、書いたものではないか。
 3枚目は、[1] [2]と番号が振ってあるが、4枚目にはそういう番号を振っていないことも、時間・場所・状況が異なることを示唆しているかもしれない。
 3枚目の「=」の部分は、午後または夜の記者会見において、徳川が発言した内容について、富田が書いた。「奧野は藤尾と違うと思うが バランス感覚のことと思う 単純な復古ではないとも。」と自分の意見を記した。このように考えられる。ただ書いただけでなく、記者に対してそのように富田自身が発言したのかも知れない。

 では、富田メモの最重要の部分、つまり、いわゆる「A級戦犯」の合祀に関する文言は、誰の発言なのか。天皇ではなく、徳川の発言であり、それを記者会見の場で、富田が書き留めたものという可能性が高く浮かび上がってくる。

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