東京裁判に於ける南京問題と「検閲」
連日新聞紙上に報じられて全国民の注視を集めた各段階の審理過程の中、殊に印象深かったのが、満州国建国事情めぐっての審理で検察側証人として出廷した廃帝溥儀(ふぎ)氏の錯乱した言動(八月の後半)、そしてその少し前七月下旬に突如として法廷に登場し九月始めまで尾を曳(ひ)くことになる「南京問題」である。
これは全ての日本国民にとって寝耳に水の衝撃だった。南京問題の証言に法廷に呼び出された検察側証人達は、簡単に言へばそこで思ふ存分に法螺(ほら)を吹きまくり、見て来た様な嘘をつき放題に言ひ散らす。新聞報道を通じて唯一方的にその虚構を耳に吹き込まれる一般の市民、法廷内で直接それを聞かされる弁護人、記者、傍聴人達、いづれも遺憾(いかん)ながらそれに反駁(はんばく)する力も手段も持ち合わせてゐない。凡そ或る事実が「あった」といふ証明は証拠さへあれば誰にもできるが、「なかった」といふ証明は極めて困難である。それは汝が「知らなかった」だけのこと、と言はれればそれまでだからだ。
かくてこの巨大な「うそ」が世界の眼を欺く「まこと」に仕立て上げてゆくからくりはそれ自体極東国際軍事裁判所が抱へこんだ大醜聞(だいしゅうぶん)であり、永く歴史に残る不名誉な失策となった。南京問題が全く検察側証人達の虚言(きょげん)から捏造(ねつぞう)された架空の事件であるとの実証的及び文献的研究は数多くあるが、その虚構が成立することになった現場としての東京裁判法廷内部の経過に焦点を絞った研究としては冨士信夫氏の『「南京大虐殺」はこうして作られた-東京裁判の欺瞞(ぎまん)』(平成七年四月、展転社刊)が始めてのものであると言ってよい。
この南京問題の場合に典型的に表れてきたことだが、検察側の立証に八箇月も日時を費し、その間に提出される個々の事項について弁護側の反駁立証を即座に行ふ機会が与へられてゐない、といふ構造は非常な問題である。
(中略)
何分事件全体が虚構なのであるから、事件の不存在を直接証明する形の証拠資料もあり得ないわけで、弁護側の提出した南京問題に関係する反証は、その様な事が起り得るはずがない、そんな事実を見た人はゐない、といった形の消極的なものばかりで、且つ点数も少ない。
従って却下されたり未提出に終ったものも点数からいへば僅少であり、本書原本の資料集も、その点では別段の新しい論拠を提出するものとはなってゐない。
『東京裁判 日本の弁明』小堀桂一郎編 講談社学術文庫(解説P25~28)
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