東史郎(元歩兵第20連隊第3中隊上等兵)は、昭和62年、市民団体の求めで日記を公開し、記者会見をした。
同年、その東日記を基にした南京虐殺本である『わが南京プラトーン』が青木書店から発刊された。
しかし、残虐行為をしたと書かれた分隊長だった元伍長・橋本氏が原告となり名誉毀損になるとして、東史郎、下里正樹(元「赤旗」報道部長で森村誠一と組んで「悪魔の飽食」をヒットさせた)、青木書店を平成5年4月、東京地裁に提訴した。
上の市民団体というのも実は下里だった。
結局、『東日記』は、東京地裁、高裁、最高裁で【捏造日記】と断定された。
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・森王琢氏(元京都福知山20連隊の第3大隊を指揮)の証言
『わが南京プラトーン』という著書で随所に諸上官の悪口を書き、戦友の非行として虐殺、強盗、強姦の情景を描写。
又「7千人の捕虜を各中隊に分配して殺害した」「中隊長自ら斥候(偵察)に行った」等と書いています。
彼は私の連隊の兵士です。
捕虜を各中隊に分配して殺害するというような事はあり得ませんし、現に私の中隊はそんな分配など受けた覚えはありません。
またどんなに激戦であろうとも、中隊長が約200人の部下の指揮を放棄して斥候に行くなんて、そんな馬鹿なことも考えられません。
各中隊はみな「中隊会」という戦友会を持っていますが、そんなウソを平気で書く男ですから、戦友会を除名されております。
また、「東という兵士が倉庫に秘蔵していた手記を我々に資料として提供した」と発表した新聞がありますが、同じ町に住んでいる私の部下が、私に手紙を送ってくれて、
「東の家に倉庫なんてあったことはありません」
と、はっきり言っております。
又、朝日新聞の記事によりますと、彼は自分の階級を「軍曹」と詐称して福岡で講演したこともあります。
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