犠牲者は圧倒的に住民である
もちろん、3百万もの人間が戦えば(3百万とは大げさだが、理論的にはいくつもの集団が集まって戦闘に参加するのだからこういう数字になる)、多くの死者がでる。
ところが兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死者である。米粒一つのこらず「友軍」に奪われるからである。一つ例を挙げよう。1931年の5月、広西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。
江西
死者 18万6千人
難民の死者 2百10万人
焼失家屋 10万棟
湖南
死者 7万2千人
焼失家屋 12万棟
次は1932年11月の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省知事)である。
死者 35万人
家を失った難民 3百50万人
焼失家屋 9万8千棟
これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由はない。数字にはないが、住民を守るべき軍が逆に食料を取り上げ、飢え死にさせ、あるいは焼き討ちにする。将軍たちはこういうことは報告しないのである。共産党の支配地区には「どちらもひどいが、防衛軍より共産党がまだまし」と言う者も多い。宣教師の家族たちも「その通りだ」と言っていた。私も福建で、共産党に追われた難民が徒歩で、また小船で逃げてくるのを目撃した。大混乱だったそうだ。福建や隣の広東では大虐殺はないようである。共産党のやり方はこうである。カネのありそうな者を拷問する。羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさと逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。
数百万単位で人が死ぬことはざらにある。大洪水や大飢饉があると数百万単位で死者が出る。あの太平天国の乱(1851~64年)では2千万人が消えた。この数字は外国人研究者がはじいた数字である。世界史上でも類のない数で、第一次世界大戦の戦死者をはるかに超えている。あれから2世代経った今になっても、人口が元に戻らない地方がある。昔ながらの封建的荘園制度のままで、地主は他から苦力をかき集めて働かせている。太平天国の乱が起こっても後が続かない。中国国内の、この15年の死者・餓死者は第一次世界大戦の全死者数を凌ぐと言われている。
昔はいざ知らず、現在の中国の戦いでは勝者が敗者を食い尽くすことはめったにない。占領地で食い放題、奪い放題しはするが、気怠げな感じで、最後まで行くことを恐れているように見える。大軍同士の戦いでは、両軍睨み合ったままで、小競り合いはあっても、何ヶ月も動かない。気勢だけ威勢良く上げるのである。最前線では敵も味方もなく、こっちについたりあっちに移ったりする。
(P203~204)
『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著(1933年)
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