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731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)5・フェル・レポートの怪・中川八洋筑波大学教授・『悪魔の飽食』は旧ソ連のプロパガンダだった

『悪魔の飽食』は旧ソ連のプロパガンダだった
中川八洋・筑波大学教授
「正論」平成14年11月号




・・・GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。

 その報告書を次にリストする。

 1.サンダース・レポート(1945年11月および同12月)
 2.トンプソン・レポート(1946年5月)
 3.フェル・レポート(以下、1947年6月20日のものを「第一」、24日のものを「第二」という)
 4.ヒル・レポート(1947年12月)

 森村誠一は、『続・悪魔の飽食』の中とじ写真Bのトンプソン・レポートを「フェル・レポート」、写真Cのサンダース・レポートを「トンプソン・レポート」と誤記している。悪意はなさそうだが、このような杜撰さは「ホラー小説」にすぎない、その著作全体の捏造性と無関係ではないだろう。

 軍医中佐サンダースのレポートにも、獣医中佐トンプソンのレポートにも、「石井731部隊」が人体実験を行ったという記述は一行もなく、細菌兵器の実用化に至らなかったと結論している。

トンプソン・レポートの結論の部分を引用しておこう。
・・・・・・・・・
4.・・・生物兵器を実用的な武器として開発する上で障害となった。5.生物兵器が実用化されても、日本がそれを使ったとは思えない。すなわち彼らは化学兵器による報復を恐れていた。
(常石敬一『標的イシイ』、大月書店、327頁、以下のカッコ内頁数も同書)。
・・・・・・・・・

 人体実験をしたと主張する最初の文献は、1947年6月20日付フェル博士の、米国陸軍科学戦部隊長あてに送った「第一レポート」である。そのなかで、旧・石井731部隊の「重要人物19人」が「1ヶ月かけて作成した」と称する「人間を使った細菌戦研究について60ページの英文レポート」なるものに言及している。(256頁)。しかしこの「60ページの英文レポート」を米国に送付した(持ち帰った)形跡はほぼ絶無である。そして、なぜか、その「要約」だけを送付している。

 すなわち、「60ページの英文レポート」には19名のサインがなければならないが、「要約」にはサインは不要であるから、フェル博士が「要約」すべてをでっちあげた可能性が高い(仮説1)。

・・・【中略】・・・

 とくに「フェル第一レポート」全体は、捏造と推断できる内容に満ちすぎている。端的にいえば、空想された“創り話の虚偽報告”である。例えば、石井四郎が「目下、細菌戦計画の全貌について執筆中である」(256頁)とも述べているが、執筆された形跡は絶無である(仮説5)。仮にそんな計画が存在したとすれば尚のこと、石井は拷問されても書くことはないのは当たり前ではないか。そもそも731部隊の技術水準は、爆弾すら完成させられず、実戦体制に入っていた英国などとは異なって細菌戦を計画立案するレベルにも達していなかった。

・・・【中略】・・・

 第二レポートにあるように、全くの部外者で専門家でもない亀井貫一郎やアラマキ・ヒロトをなぜフェルは「調査」したのだろうか。(註:亀井は戦前社会大衆党代議士のマルキスト、アラマキはその秘書で、二人とも医者ですらない部外者)ここにも、フェルの不可解な行動がある。第二レポートでの人体実験についての言及はこの亀井が「増田から聞いた」という“伝聞”しかない。しかし、この時インタヴューされた増田本人はそんなことは何も語っていない。・・・

・・・【中略】・・・

 フェル博士は、米陸軍細菌兵器研究所キャンプ・デトリックのパイロット・プラント・エンジニアリング部の主任であるが、軍医(軍人)ではない。その経歴は調査する必要があるが、自らのレポートにこれだけの創作話を書くとすれば、そして第一レポートの内容が二年半後のハバロフスク裁判での「偽証」と同一であることを考えれば、フェルがソ連のエージェント(工作員)であった(仮説9)、と推定できる。

・・・・・・・・・

しかし、第一レポートにある、全面的な創作であろう“幻の60ページの英文レポート”の「要約」は、米国政府・軍内を徘徊したらしく、1947年8月5日付で海軍情報局長が関係者に配布している(423頁~434頁)。しかし、米国政府・軍に対するフェルの偽情報工作は失敗したのかも知れない。フェルが6月に帰国してから4ヵ月後の1947年10月、キャンプ・デトリックは、ヒル博士(基礎科学部主任)を再派遣した。フェルに対する疑いの調査も任務だったのかも知れない(仮説10)。

 このヒル・レポート(同年12月)は、信頼性が全くないフェル・レポートとは異なり、おどろおどろしい「物語」などは全くない。冷静に一分野に限ってのみ人体実験を行ったと分析している。すなわち、「人間について各病原体毎の感染に必要な各細菌の量に関するものである。こうした情報は人体実験に対するためらいがある、われわれの研究室で得ることはできない」(265頁)と述べている。



「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。731部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。加えてヒル・レポートは、人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。731部隊にからみ、人体実験の“証拠”はそれ以外まったく存在しないのである。


・・・【中略】・・・

 第二次世界大戦中、細菌兵器を攻勢作戦で使用できる態勢にあったのは英国、ロシア、米国の三ヶ国であった。化学兵器では最先進国のドイツはなぜか細菌兵器では遅れをとった。石井中将が発明した宇治式爆弾のお粗末さを見てもわかるように、日本は、英米露から見ればB兵器の後進国であった。

 前に述べたフェル第一レポートですら、「我々(米国)が大規模生産という点でも、気象学の研究という点からも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である」と述べている。・・・【中略】・・・石川太刀雄丸がもっていた病理標本のほかは、米国は石井731部隊から学ぶものがなかった。東京裁判に訴追しなかったのは、取引をしたからではない。「免責」という言葉を与えたようだが、初めから訴追する気がなかった。石井731部隊の訴追にソ連の謀略の匂いを、米国は充分に嗅ぎとっていたからである。
―――――――――




一言付け加えるならば、病理標本(臓器標本ではない)は大量の臨床例があれば人体実験をしなくても作成できる。
そして満州は風土病の宝庫だった。
病理標本の存在だけで、人体実験の実在を断定することは不可能だ。




以上は、
・・・・・・・・
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2006/ 1/10 21:58 [ No.8235

投稿者 :
nmwgip
・・・・・・・・
より
(様式等を若干修正)




石川太刀雄丸が日本に持ち帰った病理標本
ペストに関するQ報告(英訳レポート)の一部
「731生体解剖標本」
  ↑  ↑  ↑
実は、新京や農安でペストが流行した際の死亡者の病理解剖標本らしい…



■関連記事

731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)1・松村高夫の「731生体解剖標本」の怪
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12852767.html





過去4回の記事と5回目の当該記事を併せて考えると、731部隊の人体実験とか生体解剖などというものが、嘘、捏造、でっち上げ、プロパガンダ、作り話、フィクション、ホラー小説…であったことが確実だ。


次回からは、731部隊の細菌戦が、嘘、捏造、でっち上げ、プロパガンダ、作り話、フィクション、ホラー小説…であることについて述べる。








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コメント
コメント
ああ
日本は謝罪汁!!
2023/07/15(土) 13:45:15 | URL | 収容所列島 #- [ 編集 ]
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