国民党内部の争覇戦が1927年末には一先ず片付いたので、ここに再び張作霖の一味に対する戦争が開始された。
河南、陜西、甘肅の諸省を支配する馮玉祥と、山西省の支配者閻錫山は国民軍に参加したので、少なくとも名目上は南京政府に属する各軍隊が南方及び西方から北京を包囲した。
そして北京は遂に閻錫山の攻略するところとなり、閻軍は1928年6月8日、北京に入城した。
北京の陥落と共に国民党政府は、内乱開始以来北京政府に属した合法性を引継ぐことになった。
だが国民党は、南京を将来の首都と定めていたので、政府を南京の地から動かさなかった。
北京の外務省は閉鎖され、そして支那の対外関係の指導権は、今や正式に合法政府として承認された国民政府の手に移った。
だた、満州の形勢は、国民党の北京占領後もなお混沌としており、国民党を「利権回収」闘争がその悲劇的クライマックスに達したのは実にこの満州においてであった。
支那の条約改正運動は、長城以北の地においては新しい形態をとった。
該地域においては、問題の対象は「特殊権益」であって、もはや重要諸外国の多数に共通な条約上の諸権利ではなかったからである。
支那の改正論者が廃棄しようと努力した条約上の諸権利は大体5種目に分かれていた。
即ち、治外法権、独立租界、関税制限、租借地、鉄道付属地であった。
初めの3種目に属する特権は最恵国待遇を有するすべての国に共通するものであり、従ってその共通の諸権利を害する何らかの高圧手段に対しては関係諸国(主として英、仏、米、日)の共同戦線による抵抗が予想された。
租借地は今は3国が所有するだけであった。
即ち英国が香港を、フランスが広州湾を、日本が関東州を租借していた。
各租借地には守備隊が駐屯しており、公然の戦争によらなければ奪還は不可能であった。
他方、鉄道付属地は、ソビエト・ロシアと日本の2国が有するだけで、しかも完全なる特権を享有するのは日本だけであり、従ってこの種の権益擁護において利害を1にする国家ブロックは存在せず、しかも日本とロシアは、日本のシベリア出兵以来両者を阻隔せしめた相互の敵意と猜疑のために、権益擁護の共同戦線は容易に作り得ない状態にあった。
P188
『世界政治と東亜』G・F・ハドソン著(1939年)
1924年に成立した第1次国共合作だったが、1927年に国民党左翼(共産主義者)が中心となって起こした「南京事件」を契機に、国共合作は終焉し、国民党内部の争覇戦が起こった。
国民党の右翼は南京政府を樹立し、左翼の漢口政府を崩壊させた。
当時、対外的には北京にある政府が支那を代表することが慣わしだった。
国民党は、張作霖が支配していた北京の占領に成功したが、首都を北京に移すことなく、南京に首都をおいたまま正式に合法政府として承認された。
支那を代表する政府となった南京の国民政府は、それまで支那が結んでいた条約の外国権益を廃棄しようと画策し、日本の鉄道付属地をそのターゲットにする。
次回、国民党の北伐軍が山東の首都済南で日本軍と衝突する。
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