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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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日本は思いやりの態度で韓国に接した・国際慣行を律儀に守り韓国を開放・請願され国際関係の規則を几帳面に守って韓国を併合・『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著10

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 こうした状況下で、米の立場はどうだったろうか?
勿論、米も中国、韓国、日本との間で「和親」条約を結んでいた。
米は表向き中立だったが、実際行動で日本を支持することになった。


 1894年7月29日、韓国駐在シル米代表は次のように書いている。


 ・・・日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民の平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識階層である官僚の多くが歓迎している。米にも異論はないと思われる。


 日清戦争が継続中の1894年、米は特定関税制限を除く全ての特権や治外法権を放棄する新条約に関し、日本と交渉し、日本を完全な主権国家として認めた。
日清戦争を終結させるための会談では、中国と日本にそれぞれアメリカ人顧問がついていた。
会談終了後、明治天皇は米大統領に親書を送り、東京と北京の米代表の協力に感謝している。

 日露戦争では、米は日本を強力に支持していた。
セオドア・ルーズベルト大統領はロシアを説き、ニューハンプシャー州ポーツマスで日本と交渉する労をとった。
ルーズベルト大統領は、日本が勝っている段階で、しかも日本の不十分な戦備が底をつく前に、戦争終結を図った。
ポーツマス会議の日本代表の1人、金子堅太郎伯爵によれば(『現代の日本』1932年9月号)、ルーズベルト大統領は、スエズ運河の東からカムチャッカの西までを範囲とするアジアを対象として「モンロー・ドクトリン」を宣言するよう日本に勧めたという。
西洋列強の租借地と植民地を除いて、中国での門戸解放政策を維持していこうというものだった。


 日露戦後、米は「事実の論理」(ロジック・オブ・イベンツ)を認め、韓国から代表を引き揚げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルトに訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否。
「その後の3年間の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称讃をかち得るような改善が数多く実現した」と書いた米の歴史家もいる。


 1917年、ランシング米国務長官と日本の石井菊次郎元外相の間で交わされた協定で、米は特に韓国と中国に於ける日本の特権を認めた。
ランシング長官は次のように確認している。



 合衆国政府と日本は、領土的近接が国家間に特別な関係を構成することを認める。したがって、合衆国政府は日本が中国に、特に日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。


 こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。

もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。
日本の韓国での行動はすべて、イギリスの 同盟国として「合法的に」行われたことだ。

国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。
しかも、その原則は日本がつくった ものではない。
欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。



 日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。

第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れて しまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それ
にうながされて行動したのだ。
日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」 を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくのである。

1907年、韓国皇帝はハーグの第2回万国平和会議(当時の平和愛好国の会議)に抗議しようとしたが、皇帝の特使は発言の機会を与えられなかった。
そして皇帝は退位に追い込まれた。



 1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。
パールハーバー以前は、日韓関係について 語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。
トリート教授によれば、日本は「・・・一つひとつの手続きを外交的に『正しく』積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」。
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」 手続きを踏んでいなかった。


P256-258
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)
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参考資料 :上海・申報 1910年9月1日号より

 『韓国は滅んだ。しかるに韓国の皇帝はニコニコとし、韓国の家臣は歓び、太上皇(高宗)もまた恨みを残さない。均しく外国の寵遇を得意としているようだ。ただうつうつとして不平を抱いているのは韓国の学生だけだ』



参考資料 :洪鐘宇(反日派の韓国人で暗殺などの汚れ仕事も行うほどの国王派) 青柳綱太郎著「李朝史大全」

 『こんな国王を戴きながら、韓国が滅びないのは僥倖(幸運)だ』 『韓国も今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の旧邦も今は断末魔に近づいている。一進会員ならざるも庶民はこのうえ塗炭の苦しみにまみれたくなかろう。むしろ、日本は速やかに併合して日本天皇陛下の政によりて1200万国民が蘇生する事を得れば、国は亡んでも亡び甲斐ありと言わねばならない』




我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って歴史とプライドがある。
「お金をくれ」などとは、360年間、わが国を支配したオランダにだって要求しない。
インドネシア:ジャマル・アリ会長

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