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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
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日本のアジア(北支)開放を邪魔した英米 ・北支3省と汪精衛は日本と協力して蒋介石に対抗したが、英などが妨害・『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著21

 1935年後半までに、日本は軍事力より外交的、経済的手段で中国での目的をかなりのところまで達成していた。
華北に日本に友好的政府を樹立するうえで、日本が条約国という特権的地位から受けた恩恵は計り知れないほど大きい。
また、国際合意によって、中国軍が北京から海までの間の地帯に入れなかったことも大きな助けとなった。
そのおかげで、日本は武装勢力の抵抗を受けずにこの地域に進出することが出来た。
例えば、天津のような国際都市で、中国人武装勢力が抵抗すれば、必ず英国が日本側についた。
なぜならば、英国は自分たちの「権益」を戦争に脅かされたくなかったし、日本には経済的、政治的圧力をかけられると思っていたからである。


 1935年、日本は華北を蒋介石政権の悪政から殆ど解放していた。
日本は華北3省を統治する将軍たち(軍閥)の協力でこれを達成した。
将軍たちはいずれも華北の「自治」確立と、満州国と日本の緊密な経済関係を支持すると宣言した。
汪精衛(後に南京傀儡政府)も日本についていた。
かれは1935年当時、蒋介石が率いる南京政府の行政院院長だった。
つまり、日本は中国の統治グループの中に緊密な協調関係を作ることが出来たのである。


 列強が承認した中央政府の中にさえ、政策の不一致があったのだ。
蒋介石はどちらかといえば親英路線、汪精衛はどちらかといえば親日路線だった。
1935年、汪は日本に協力して、蒋介石を国民党の指導的位置から外そうとしていた。


 この時点まで英国は蒋と日本の双方を牽制しつつ支援していたが、華北が独立を宣言し、日本と満州国が共同して関税同盟と経済ブロックを結成する可能性が強まってくると、危機感を抱くようになった。
英国は華北に大きな権益をもっていたから、支配的地位から降りようとしなかった。
そこで、英国は通貨再編成のために金融専門家、フレデリック・L・ロス卿を送り込み、銀の国有化計画を成功させて、蒋介石を外交的にも財政的にも強化した。
同じ頃、国民党大会初日の記念写真におさまろうとしていた汪精衛は、カメラに隠されていた銃に撃たれた。


 複雑極まりない情勢の中で起きた一連の事件は、日本の計画にとって大きな障害となっていた。
日本の善き理解者は入院し、蒋介石は英国の財政援助で威信を高めた。
このために日本は華北の解放計画を断念せざるを得なくなる。
英国に代わって華北を包み込もうとした経済ブロック計画(日本が武力によらず「合法的」に達成寸前だった)は阻まれ、日本は一歩一歩、日華事変の泥沼にはまり込んでいく。
その過程で日本は、不正義ではあったが、「アジア解放」の旗手として台頭してきた。


 日本は限定目標の中国から、「西洋列強の支配から解放された」アジアの国々が「共栄圏」の中で共に手を携える汎アジアへと進撃を開始した。
日本の説明に拠れば、それはアメリカ大陸の諸国が汎アメリカ同盟の中で協力し合っているのと同じものであった。


P352-353
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)








つまり、支那人の有力者には蒋介石よりも日本と組むことを望んでいた者が何人も居たが、そうなることを英国などが妨害し、戦争の火種を残していた。

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