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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
嘘の歴史に騙されるな!日本最優先政治、日本国民の生命と財産と自由を守る核武装、日韓断交を実現しよう!マスゴミの嘘や洗脳工作を許すな!がんばれ!日本国民党!
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安倍首相が東京裁判のパール判事の長男と懇談「今も多くの日本人が尊敬」・日本とともに戦った「インド独立の英雄」チャンドラ・ボースの記念館も視察・真実が記述されていない日本の歴史教科書


「インド独立の英雄」スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070823-00000121-jij-pol


安倍首相、パール判事の長男と懇談=「今も多くの日本人が尊敬」
8月23日19時2分配信 時事通信

 【コルカタ(インド東部)23日時事】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで、極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故パール判事の長男プロシャント・パール氏(81)と約20分間懇談した。
 冒頭、首相は「お目に掛かれてうれしく思います。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めています」とあいさつ。さらに「お父様の遺志は日印関係の発展だった。今日、日印関係は大変強化されている」などと語り掛けた。 
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産経新聞の記事の方が詳しい。



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首相、東京裁判のパール判事長男と面会

8月23日20時46分配信 産経新聞

 【コルカタ=杉本康士】インド訪問中の安倍晋三首相は23日午前(日本時間同日午後)、コルカタ市内のホテルで、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会し、東京裁判で被告全員の無罪を主張したパール判事の業績をたたえた。
 パール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物。首相は冒頭、「お父さまは今でも多くの日本人の尊敬を集めている。日印関係の基礎を築かれた一人だ。パール判事のご遺志は日印関係を発展させることだったと思う。今日、日印関係は大変強化されている」と語りかけた。
 プロシャント氏は、昭和41年に父親とともに日本を訪れ、安倍首相の祖父である岸信介元首相と面会したことに触れ「岸氏に会う機会を得てから長い期間が過ぎた」と振り返り、岸氏と一緒に収まったモノクロ写真を贈った。「安倍首相が、岸氏と同様に日印関係の発展に尽くされると確信している」と伝えると、首相も「関係発展に全力を尽くしたい」と応じた。
 安倍首相は、東京裁判で有罪判決を受けたいわゆる「A級戦犯」について、国会答弁で「国内法的に、戦争犯罪人ではない」と明言している。
首相には今回の面会を通じ、A級戦犯の合祀(ごうし)を理由に首相の靖国神社参拝を批判する中国とはまったく異なるインドの対応を際立たせることで、アジアには多様な歴史認識が存在することを浮き彫りにする狙いもあった。
 首相は、先の大戦で日本とともに戦った「インド独立の英雄」であるチャンドラ・ボースの記念館なども視察した。
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>首相には今回の面会を通じ、A級戦犯の合祀(ごうし)を理由に首相の靖国神社参拝を批判する中国とはまったく異なるインドの対応を際立たせることで、アジアには多様な歴史認識が存在することを浮き彫りにする狙いもあった。


姑息なやり方だ。

アジアには多様な歴史認識が存在することはある意味において当たり前のことだ。

日本は、日本の歴史認識を堂々と真っ向から主張すれば良いではないか。

アメリカに行って慰安婦問題を謝罪するくらいだから絶対にできないだろうが。




>首相は、先の大戦で日本とともに戦った「インド独立の英雄」であるチャンドラ・ボースの記念館なども視察した。


これも同じだ。

日本の中学校の教科書には、ガンジーとネールの役立たたずでアホみたいな非暴力主義の民族独立運動は記載されているが、日本とともに戦った「インド独立の英雄」(最功労者)チャンドラ・ボースのことは記載されていない。

インドの国会議事堂の正面にはチャンドラ・ボースの、右にはガンジーの、左にはネールの肖像画が掲げられており、インド独立の最功労者はチャンドラ・ボースなのだ。

このように、東条英機首相らと共に1943年11月に開催された大東亜会議に参加し、その後、日本と共に戦ったチャンドラ・ボースこそが「インド独立の英雄」(最功労者)なのだ。

安倍首相は外交パフォーマンスを展開する前に、世界常識からかけ離れた日本の教科書を何とかするべきだ。




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1931年の満州から1941年のインド国境まで、日本が破竹の勢いで進出できたのは、アジア・太平洋諸国をヨーロッパの政治・経済的支配から解放するという大亜細亜建設計画(大東亜共栄圏)のダイナミックな革命的魅力に負うところが大きい。

 アジア・太平洋地域の植民地には、もともと経済的支配からの政治的独立と自由への渇望がくすぶっていた。
日本のプロパガンダと指導は、それに火をつけたにすぎない。
初めの頃、若干の例外はあったが(フィリピンはその一つ)、アジアと英仏蘭植民地で日本が勝てたのは、現地協力者の活動があったからだ。
開戦当初の日本は、殆ど銃火を交えることなく戦火を収めている。

 ヨーロッパのアジア「領有者」たちは、日本軍から逃げたというより、現地住民の敵意から逃げた。
米国が「解放戦争」と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジアの再征服(恥ずかしいことに、アメリカが手を貸した)だったのだ。

 ルーズベルトは1944年8月12日の声明で、アジアの民衆は日本の奴隷になることを望んでいないと言った。
全くその通りだ。

しかし、歴史的にみてアジアの民衆を奴隷にしていたのは日本ではなく、米国が同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国であることを、ルーズベルトは言わないのだ。

 日本は当然のことながら、アジアの人々に対して、アジア或は太平洋地域の領土を併合したり、支配しようという意図或は希望は毛頭持っていないと繰り返し宣伝していた。
日本はただアジアをヨーロッパの支配から自由にしたいだけである(米国が南アメリカをヨーロッパの侵入から守っている様に)。
そして、アジアの民が互いに協力して自分たちの資源と文明を発展させることができるようにしたいのだ、というのが日本の主張だった。

 日本の主張によれば、アジアでの日本の役割は単に指導者と守護者にすぎない。
アジア・太平洋地域の民衆が西洋列強から開放された暁には、日本がアメリカが南アメリカとの間にもっているのと同じ関係を、彼らとの間で持つことになるだろう、というのが日本の主張である。

 アジアを開放したいという日本の願いは「聡明な利己主義」即ち法的擬制から出たものであり、したがって、結局はその実現方法は野蛮であるという前提に立つにせよ、日本がその擬制を信用させるために、アメリカと同じところまで、そしてヨーロッパ諸国よりははるか先まで、行っていたことを認める必要がある。



 日本は現地住民に独立を約束した。
それだけでなく、独立を保障する具体的行動を進めていた。
1935年にはすでに、満州での治外法権を放棄していたし、1940年には中国に正式に約束し、1943年には中国政府に租借地を返還した。
大戦中日本は、実際に、占領した全ての地域に現地「独立」政府を樹立していった。

 例えば、フィリピンは1943年10月14日に「独立」を獲得している。
これは米国が二度目にフィリピンを「解放」する数年前のことである。
ビルマは1943年8月1日に独立した。
マレー、インドネシア、インドシナに現地政権ができた。


マレーではインドの代表的指導者、チャンドラ・ボース率いる自由インド臨時政府が樹立された。
ボースは英国に宣戦布告し、インド人部隊を編成して日本軍と共にインド進撃を目指した。
今日、インドの代表的指導者の中には、英国の政治的撤退を早めたのは、真に平和を願う指導者の長く実りのない平和的手段ではなく、ボースの隠然たる脅威、「忠誠心のない」英印軍、そして日本軍だったという人もいる。


 こうして各地で独立を宣言した植民地政権を、西洋列強は法的擬制と呼び傀儡と言う。

しかし、フィリピンを例外として、これらの政府に参画した現地の人々が、戦争の最中でさえ、過去のどこの同じような現地政権より権威をもっていたことは事実である。

P367-374
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著(1948年)







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【動画】惨敗だったインパール作戦の意味と意義!インド独立戦争と呼ばれている事をご存知ですか?

インパール作戦をご存知でしょうか?
日本軍のアジア戦線において最大の大敗を帰した作戦でした。
しばしば、日本の無謀な作戦と言う切り口で取り上げられる歴史上の一事件です。

確かに戦果からみれば日本の大敗という現実があります。
しかし、そこにはインドがイギリス支配下400年の歴史に終止符を打つきっかけになった戦争であった事も又事実なのです。

ご存知かもしれませんがインパール作戦には日本軍と共にインド国民軍というインド外部で組織されたインド兵が参加しています。
インドネシアやマレーシア方面で日本軍と戦っていたインド兵が日本に投降し、祖国インドの為に闘うべく組織された軍隊です。

紆余曲折があり、指導者は変わりましたがその一人としてチャンドラ・ボーズ氏がいます。

過去記事を参考にご覧ください
【動画】ガンジーだけでは無いインドの偉人チャンドラ・ボーズを知っていますか?日本と共にインド独立に貢献した人物です。

インドを武力によって解放するという目標を掲げインド国内の無抵抗主義による独立運動とは一線を画し海外に活路を求めた人物です。

彼は日本が西欧諸国と闘う姿を見てインドもいつか日本同様にイギリスを打ち破り独立出来る日が来ると確信したのです。

インパール作戦の内容についてはここでは触れません。
事実、日本の大敗で終わった作戦です。
作戦の良し悪しはあるでしょうが、アジア人にとって無駄では無かった闘いだった事は西欧諸国の目線や日本人からの目線とは違ったインド国内目線での評価がある事も又事実なのです。

その証拠にインパール作戦はインドでは対英独立戦争と呼んでいるのです。

某国の幻の光復軍による日帝との闘いとは違うのですよ。

立派に自国の為に闘い、敗れたとはいえ、イギリスに対して牙を剥いたインド国民軍を称える呼称でしょう。

この戦争がきっかけになり、インドは独立へと加速していくのです。
日本のアジア進出がただの植民地を増やす戦争では無かった事の一つの証でもあります。

【日本の英霊に感謝】 インドと共に戦ったインパール作戦
■動画
【日本の英霊に感謝】 インドと共に戦ったインパール作戦
https://www.youtube.com/watch?v=JqYR7Yb2mHY
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JUGEMテーマ:気になるご飯やさん &amp;nbsp;十何年か前に、たまたま通りがかって入り、最近突然思い出してまた訪れた、JR西国立駅近くの料理屋、日本料理・懐石料理「無門庵」を紹介します。 本格的な懐石料理だけでなく、地ビールの製造販売もしているんです。 さらに驚くべきは、かつては旅館で、戦時中に神風特攻隊として出陣する兵隊さんたちに、せめて最後の夜を穏やかに過ごしていただ...
2016/03/24(木) 08:54:42 | 熱湯浴の右回りは続く
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